4/14・U
「スキュラ四、ミノタウロス八。ゴルゴーン八。……これまたゴージャスな陣営だな」
 指揮車内で瀬戸口が呟く。敵戦力はこれまでで最大。こちらは5121小隊に加え、新兵ばかりのスカウトたちが合計で六人、それのみ。
 これならむしろ友軍がいない方がマシだ、と瀬戸口は内心臍を噛んだ。友軍の貧弱な攻撃では敵に蚊ほどのダメージしか与えられないだろう。
 だが、敵の攻撃をまともに食らえばまず間違いなく一撃で友軍は全員お陀仏だ。
 滝川がまともに動けるかも、あの機体が期待通りの働きをしてくれるかもわからないのに、ここまでの激戦区に小隊を連れてくるとは。何を考えていやがる、速水、とちらりと速水を見やった。
 速水はいつものごとく、完全な無表情でレーダーマップを見つめている。眉を動かしもせずひたすらに見入っていたと思うと、通信用マイクを手に取った。
「一番機、二時の方向に500m進んで待機。近づいたゴルゴーンやミノタウロスを片っ端から斬りまくれ。スキュラの攻撃範囲に入ったら退避しろ。三番機は煙幕射出後、遠距離からバズーカでスキュラを一射。その後敵陣に進入してミサイル、四時の方向に退避して一番機と協力しアサルトで順次敵を撃破せよ。来須と若宮は後方から援護射撃だ。無理はするな。一機ずつ確実に敵を倒せ」
 妥当な指示だ。
 ――ただ、二番機――滝川機に対する指示がない。
『司令。二番機に対する指示はいかがなされます?』
 善行が冷静な声で問う。あいつ勇気あるな、と瀬戸口はこっそり感心した。
 だが速水はそれよりもさらに冷徹な声を返す。
「お前が口を出すことではない、善行千翼長。指揮を執っているのは僕だ。お前はお前の仕事をすればいい」
『………了解』
 それで通信は切れ、速水は再びレーダーマップを睨む。
 その口が意識的にか無意識的にか、小さく動いた。
「……僕にとっては、どちらでもいいんだ」

 舞はガンナー席で、善行と速水の会話を聞いていた。
 善行とは初陣になる。息が合うかどうか、以前の戦闘方法にどう変化を加えるべきなのか、そういう不安材料は山ほどある。
 だが、舞はそんな思考を無視して、目を閉じ全神経を戦闘のための準備に集中していた。善行がどんな動きをしても対応できるよう、素早く的確な射撃ができるよう。
「……私は、負けぬ」
「……芝村さん、何か言いましたか?」
「私は負けぬ。決して何もせず悲しむようなことはせぬ。私が私である限り、私の全てに賭けて負けはせぬ……」
「芝村さん……?」
 ほとんど呟いているとも意識せずそう言うと、舞は目を見開く。
「行くぞ善行。我らのすべきことを為そう」
「……は」
 返事を聞いて、滝川ならばこんな時は分からないくせに『お、おう』と空元気で答えるのだろうな、などと考えてしまい、舞はきゅっと唇を噛み締めた。

 ―――滝川は、動けなかった。
 士翼号の中で、指一本動かすこともできず硬直していた。
 ついに戦いが始まってしまう。人が人を殺す、そんなひどいことがまた当然のように始まってしまう。
 嫌だった。やめてくれよと泣き叫びたかった。だがそんなことをしても幻獣は襲ってくるし、人間だって戦いをやめることはないだろう。
 だってみんな生きたいんだから。
 ―――でも俺は、もうそんなことできない。
 人の想いを殺すのも嫌だ。殺されるのも嫌だ。
 怖い。怖い怖い怖い、怖いんだ。もう嫌なんだ。逃げ出したい。こんなところにはもういたくない。
 助けてくれよ……芝村……。
 そう反射的に思って、今の自分には舞に助けを求める資格なんてないことをすぐに思い出す。
 いや、そんな資格最初からなかったんだ。だって俺は、最初からずっと自分のためにしか戦ってこなかった最低の奴なんだから。
 滝川はひたすら、唇を噛んで硬直を続けた。少しでも体を動かすととんでもないことになりそうで。
 それをすぐそばで、じっと笑みを含んだ視線に見られているような気が、なんとなくした。

 戦端を開いたのは三番機のバズーカだった。よく狙いをつけられたバズーカはスキュラに多大なダメージを与えたが、落とすにはあと一押し足りない。
 一番機――壬生屋は言われた通り二時の方向に進んで待機していたが、やがて耐え切れなくなっていつものごとく突撃を始めた。手近にいるゴルゴーンやミノタウロスを、片っ端から斬って捨てる。
 来須と若宮は指示通り後方から援護射撃を行っていた。四十mm高射砲を装備した二人は、敵幻獣に確実にダメージを与えている。
 友軍たちはのろのろと前に進んできていた。幸いリテルゴルロケットを装備していない上武装は互尊や久遠ばかりなので、足は遅い。
 しかし、二番機は動かなかった。戦闘開始後数分が経とうとしても、微動だにしようとしない。ただひたすらアサルトと大太刀を下げて、突っ立っているだけだ。
「どうするんだ、速水司令?」
「どうもしない」
 問いにどうしようもないほどきっぱり答えられ、瀬戸口は憮然とした顔になった。
「確かに今はまだ順調だ。だがこのままうまくいき続ける保証はどこにもない。二番機の――滝川の戦力がどうしたって必要になるだろう」
 どこにもないどころか瀬戸口の予想では友軍はもちろんのこと、下手をすると小隊員にまで被害が出ると考えていたのだが、ののみや加藤、石津の前でそんなことは口にできない。
 5121小隊が今まで破竹の快進撃を続けてこられた理由として、一番大きいのは滝川の力だ。滝川が三番機に乗るようになってから、小隊はスキュラやミノタウロスのような強力な幻獣を相手にしても負けることがなくなった。
 しかし滝川がいなくなれば前々回のように強力な幻獣にうじゃうじゃ出てこられると、まず勝ち目がなくなる。
 速水もそれが分かっていないはずはない。だが速水は無表情のまま言った。
「お前はお前の仕事をしろ、瀬戸口。滝川が動こうと動くまいとお前のやることは一つだろう。こんなことを話している暇はないはずだ」
「……失礼いたしました、司令」
 この頑固もんが、と苦々しく思いつつ、瀬戸口はレーダーマップに向き直った。何を考えているにしろ、それをこちらに教えてくれるつもりはまったくないらしい。
 そう苛立ちながら誘導をしていた瀬戸口は、速水が小さな声でこう呟いたのを聞き逃した。
「どちらにするにしろ、決めるのは君だ……滝川」

 滝川は戦いが始まっても硬直したまま動けなかった。
 みんな戦っている、自分も戦わなくちゃいけない。それは分かってる。
 でも怖かった。迷っていた。だから動けなかった。
 人を――人の想いを自らの手で殺すというのが、どうしても怖くてしょうがなかった。存在した、存在したいと思っていたものを自分が存在できなくさせる。それはひどく恐ろしいことだと思えた。
 だって自分も存在したいと思っているから。
 自分は生きたい。これからも生き続けたい。
 自分の抱いている想いも、消されたくない。誰かを好きだっていう想いも、みんなを守りたいという想いも、何一つ消されたくなんかない。
 忘れたい思い出もいっぱいあるのは確かだ。だけどそれがなくなってしまったら、今の自分はどうなってしまうんだろう。今の自分っていうものもなくなってしまうんじゃないだろうか。そう考えると怖かった。どうしようもなく。
 みんなを守るためなら戦わなくちゃ。その想いに嘘はない。
 だけどそのために人を殺しても本当にいいのか。生きたいと思っているものを、当然のように殺してしまって本当にいいのか?
 戦闘が始まる前からずっと考えているけれど、まだ答えが出ない。
 どうすればいいんだ。どうすれば。
 硬直したまま必死に葛藤する滝川の耳元で、くすり、と笑い声が聞こえた気がした。

 陣形が崩れてきたのは、意外なことに三番機からだった。
 善行は慎重な操縦でさほど敵陣に踏み込まずミサイルを発射、その後幅跳びで一番機の後方から援護射撃を行っていたのだが、善行は視界に入らないところにいるゴルゴーンの射程に入っていることに気づかなかった。
 生体ミサイルの直撃を受けて性能が低下、慌てて幅跳びで射線を外すが、そのとたん煙幕の効果が切れた。
 そして移動した先はスキュラのレーザーの射程範囲内だったのだ。
 レーザーの直撃を受けて、三番機の装甲はほとんど融解した。
 それを何とかフォローしようとした一番機は、無理な移動の隙を突かれ攻撃をもろに受け、どんどんと性能を低下させていってしまう。
 スカウトの二人も攻撃を繰り返すが、敵は耐久力の高い奴らばかり、そうそう撃破できるものではない。
 友軍たちもようやく戦場に到着し攻撃を開始するが、彼らの攻撃でははっきり言ってほとんど傷すらつけられない。
 戦局は、刻々と敗北に近づいていた。

「善行機被弾! 神経接続と火器管制が性能低下……いや、故障!」
「壬生屋機被弾! 反応速度が性能低下! 機体強度が故障!」
 次々と寄せられる被弾報告の中、速水は矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。
「三番機は幅跳びで二時方向に100m移動しつつ引き続きスキュラを狙って射撃! 一番屋機は十時方向に跳んでゴルゴーンを斬れ! 若宮と来須は真正面右のミノタウロスに集中攻撃!」
「……撤退の準備をしたほうがいいんじゃないですか」
「まだ撤退命令は出ていない」
 そう言い捨ててまたレーダーマップを睨む。速水はこの期に及んで滝川機に指示を出そうとしない。
 瀬戸口はちっと舌打ちして滝川機との通信をオンにしようとする――だが、その手を速水ががしっと掴んだ。
「二番機への通信はするな」
 瀬戸口は強烈な腹立たしさを感じ、それをそのまま速水にぶつけた。
「なんでだ! 今は一兵でも助けが欲しい時だろう!? お前が何を考えてるかは知らないが、何も言わないまま俺たちを納得させられるなんて甘いことを考えてるんじゃないだろうな!? 俺は人を見殺しにするのはごめんだ、滝川の力が必要なんだぞ、あいつの首根っこ掴んで引きずり出す奴が必要だろう!」
「今あいつを無理やり引きずり出したところでものの役にはたたん! 滝川が自分でその気にならなければどの道この戦闘は負けだ!」
 速水に自分以上の苛烈な感情を込めた言葉を返され、瀬戸口は一瞬言葉を失う。速水はその勢いのまま言葉を連ねた。
「あいつがこのまま動かずそのせいで負けたというなら銃殺でもなんにでもしてやる。だがそれでも、これはあいつに選ばせなくちゃならないんだ。あいつが自分の戦闘能力を全開にできなければこの戦争は負ける。少なくとも厳しくなる。だからこそあいつが自分で選ばなけりゃならないんだ! あいつの道を! あいつの人生を踏みにじらなけりゃ生き延びられない人類なんて、滅びた方がマシだ!」
「………………」
 瀬戸口は絶句した。加藤と石津も絶句している。ののみはオペレーティング画面を必死に見つめていて、こちらの声も耳に入らない様子だ。
 ―――こいつが、ここまで言い出すとは思ってもみなかった。
 それだけ言うと速水は再びレーダーマップを睨む――とたん、ののみが叫んだ。
「三番機、スキュラにやられました!」
「舞と善行は!?」
 即座に速水が叫ぶ。瀬戸口が慌ててオペレーティング画面を確認し、ほっと息をついた。
「二人とも無事脱出してる。全速力で撤退中だ」
「………そうか」
 速水が息をつく。その時、はっと瀬戸口が気づいた。
「スキュラが――芝村を射程範囲に入れてる!」

 滝川はびくん、とした。滝川は三番機がどんどんとダメージを受けているのがわかった。通信はオフにしていても、感覚でわかる。
 それでも動けなかった。戦わなくちゃという思いと、殺すのも殺されるのも嫌だという思いがせめぎあって動けなかった。
 だが、三番機が破壊されて、舞と善行が脱出して。
 撤退する舞に、スキュラが照準を合わせるのが感じられて。
 ―――世界から音が消えた。
 一瞬が永遠のように感じられた。現実のこととは思えなかった。夢を見ているような気がした。
 だが、体の一部の感覚だけがやけにリアルだった。心臓が猛烈な早さで踊りだす。背筋が凍り、手足が小刻みに震えだした。
 このままでは、舞は、確実に――――死ぬ。
 脳裏で顔の見えない相手が、にやりと笑うのが見えた気がした。
『―――さあ、どうする?』

 その瞬間、じりじりしながら士翼号を見ていた補給車の整備員たちは士翼号が消えたと思った。
 慌ててある者は双眼鏡で、ある者はTVで、ある者はレーダーマップで士翼号を探す。
 そのとたん、瀬戸口の声が聞こえてきた。
『滝川機、スキュラを撃破!』
 整備員たちは目をむいた。確かに舞を射程範囲に入れていたスキュラがレーダーマップから消えている。だが、滝川の駆る二番機からそのスキュラまでは数百mは離れていたはずだ。その間合いを一瞬で詰めたというのか?
 しかも――あのスキュラは無傷だった。無傷のスキュラを、一撃で?
 TVが慌ててスキュラのいた場所にカメラを向ける。だが士翼号はすでにそこにはいなかった。
『滝川機、ミノタウロスを撃破!』
 今度はののみの声がした。レーダーマップでは士翼号は戦場のほぼ反対側まで一気に移動している。
 茜は、そこにいたミノタウロスが友軍を射程内に入れていたことに気づいた。
 士翼号はそれからもすさまじい速さで戦場を縦横無尽に駆け、敵を撃破し続けた。
『滝川機、ミノタウロスを撃破!』
『ゴルゴーンを撃破!』
『ミノタウロスを撃破!』
『スキュラを撃破!』
 TVは必死に士翼号を追ってカメラを動かすものの、その影すらほとんど捉えられない。
「こっちの方がよか」
 中村が双眼鏡で戦場を眺めながら言う。倍率がそれほど高くない分、ぼんやりとではあるが戦場全体を捉えることができるようだ。
「……滝川は、大太刀一本で片っ端から敵を撃破しとるばい。……まるで踊っとるばごたる」
「見せて!」
 新井木が苛立たしげに中村の双眼鏡を奪い取る。双眼鏡越しに戦場を睨んで、やがてポツリと呟いた。
「ホントだ……踊ってるみたい。あっちこっち飛び回って、飛ぶ度に幻獣が消えて、動きがすごくしなやかで……綺麗。でも、なんだか……」
 新井木は双眼鏡を中村に押し付けて、新井木には似つかわしくない妙に冷えた声で言う。
「綺麗すぎて、なんだか怖い……」
『ミノタウロスを撃破!』
 瀬戸口がまた叫んだ。

 その日の戦果報告には、滝川機十六機撃破、壬生屋機二機撃破、善行機一機撃破、来須機一機撃破とだけ書かれた。
 滝川機が桁外れの戦果を得るのはいつものことだったので、誰も注目はしなかった。

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