5/9〜デート
「今日、家帰んなきゃいけないの? …って、な、何でもない」
「…今日はお前に任せる。早く行くぞ」

 気象庁が最高気温31℃を予報した、五月九日、日曜日。
 すでに陽光がさんさんと大地に降り注ぎ始めている午前九時、滝川と舞は尚敬高校門にいた。
「え? ちょ、ちょっと待てよ。その前にさ、ほら、なんか言うことねぇ?」
「………なにをだ」
 歩き出そうとした舞を止めた滝川に、舞は仏頂面を向けた。滝川は顔を赤らめながら、慌てて説明する。
「だ、だからさ。この服似合う? とかさ、髪型普段と違うね、とかさ。そーいう……付き合ってるやつらっぽいの」
「……私は……そういうのは、苦手なのだ。どうすればいいのか、わからん……」
 うつむく舞に、滝川は必死になって両手を振った。
「あ、いや! そんな、嫌なら無理することないんだけど! なんつーか、こういう時って普段とはちょっと違うことやってみても、いいんじゃないかって思って……。その、初めての――」
 ここでちょっと言葉につまるものの、意を決して言う。
「初めての、デートなわけだしさ」
「……………」
「……………」
 顔を赤らめてうつむく舞に、滝川も恥ずかしさに耐えきれなくなって赤い顔を下に向けた。

「………あのさ。お前、好きな人が幸せに笑ってくれる方が嬉しいとか言ってなかった?」
 そんな滝川と舞を百mほど離れた物陰から双眼鏡で見張っている速水の横で、瀬戸口が言う。
 速水は双眼鏡から目を逸らさずに答えた。
「言ったよ」
「じゃあなんでデートの邪魔しようとか考えるわけ?」
「邪魔するなんて言ってないだろ? ただあの二人の行為が学生としての範囲を逸脱したら止めに入らなければという義務感に燃えているだけさ」
「それを邪魔って言うと思うんだが……お前、あんなしおらしいこと言ったけど本当はあいつらが本格的にくっつくの面白くないんだろ」
「うるさいよ、瀬戸口」
 やれやれ、と嘆息する瀬戸口の服の裾を、ののみが引っ張った。
「たかちゃん、ののみたちいつぷーるにいくの?」
「もうすぐだよ。ほら、あの二人も歩き出したぞ」

 二人はどちらからともなく歩き出したものの、どちらもまだうつむいたままだった。
 照れくさくて顔が上げられない。二人で出かけるなんて――デートなんて初めてだというせいも大いにあるが、二人きりで会うのがすごく久しぶりだというのがやはり一番の理由だろう。
 病院に見舞いに来てくれた時は、いつも誰かしらが一緒にいたから。
 そんな中、退院したらデートしようとこっそり誘ったのは、滝川だった。
 決意と実行までに、多大なエネルギーを必要としたが。
「………退院するなりデートか。ふん、仲のいいことだな」
 ふいに後ろから皮肉っぽい声がかけられ、滝川と舞は文字通り飛び上がった。
 慌てて振り向いた先に立っていたのは、茜と中村だ。茜は偉そうに腕を組みながらこちらを見下すように見上げ、中村はそんな茜の隣で苦笑しつつこちらを見やっている。
「すまんね、俺は声かけんほうがよかろというたんじゃが」
「僕の視界でいちゃいちゃするお前らが悪い。邪魔したくなって当然だろう」
「なっ……! いちゃいちゃなんかしてねぇよっ!」
 したいけど……という滝川の内心の声を読み取ったか、茜はふんと鼻を鳴らした。
「デートなんていちゃいちゃする以外のどんな目的があるっていうんだ。いちゃつく根性もないならデートなんてするな」
「なっ……」
「こいつは素直やないけん、こう聞いとくがよか。『せっかくのデートなんじゃし仲良くしんしゃい』」
「中村!」
 顔を赤くして掴みかかる茜をあしらいながら、中村は笑った。滝川も嬉しくなって笑い返す。
「お前らはどうしたんだ? どっか行くのか?」
「こいつにつきあって図書館ばい。男二人で色気なしたい」
「色気が欲しいんならつきあわなきゃいいだろ」
「キチー。お前もそうすぐ拗ねんと。……ま、こいつの言う通り、お前らは仲良くしとくがよか。無事退院できたんじゃし、幸運に感謝しんしゃい」
 茜もまだ顔を赤くしたまま、そっぽを向いてぼそぼそと呟いた。
「下手しなくても死んでるところだったんだからな。僥倖に僥倖が重なってお前は生きてるんだ。……生きてるからには、生きてて嬉しいと思えることしろよ」
「茜、中村……」
 滝川はなんだかひどく嬉しくなって、にっかりと笑った。
「ありがとな!」

「中村と茜が離れていく。話が終わったようだね」
「……いちいち解説しなくてもいいって」
 速水は瀬戸口とののみと共に、百mほど後ろから見張りを続けていた。物陰に隠れつつ双眼鏡を使うその姿に、周囲からは訝しげな視線が投げかけられているが全く意に介さない。
「二人とも一瞬だけお互いを見て、また顔を伏せて歩き出した。顔色は……この角度だと見えないか、くそ。滝川も舞もなんにも喋らない。心臓の鼓動はうるさいくらいだけど……」
「だから解説はいらんっていうのに……ていうか、お前盗聴器仕掛けてるのか?」
「滝川の服の胸ポケットにね。……ん? あれは……」
「どうしたの、あっちゃん」
「善行さんと原さんが、二人と出くわした」

「あら」
「……いいですね。デートですか」
 にんまりと笑う二人に、滝川は顔を赤らめて反論した。
「そ、そーいう委員長と原さんだって二人っきりじゃん! デートなんじゃねぇの?」
「残念ながら我々はこれから学校に行って残務処理をするところでしてね。偶然行き会ったんですよ」
「上の人間は最初と最後が一番忙しいのよねぇ。いいわねぇ、あなたたちは思う存分いちゃつけて。うらやましいわ」
「なっ、なっ、なっ……」
 赤い顔で『なななな』を繰り返している滝川と、やはり赤い顔で憤然とこちらを睨みつけている舞に原は笑う。
「まあ、真面目な話、黒い月が消滅して幻獣も出なくなった現在の状況では、学校の方もいつまでこのままかわからないものね。軍はまだしばらくは解体されないでしょうけど。今のうちにやれることやっとかないと、後悔するわよぉ」
「や、やれることって……!」
「あらあらそんなに顔を真っ赤にしてなに考えているのかしら滝川くん?」
「からかうのはそのへんにしておきなさい。私たちは私たちでやることがあるのですし」
「はいはい。それじゃね二人とも。今のうちにせいぜい仲良くしときなさい」
「それについては私も同感です。いつ離れる時が来ても後悔しないように、たっぷりしっぽり思う存分仲良くしておくことですね」
 そこまで謹厳な口調で言ったかと思うと、善行と原は口に手を当てて怪しい笑い声を上げながら走り去っていく。それを唖然としながら見送って、滝川はまだ赤い顔をちぇっという感じに歪めて頭をかいた。
 どちらからともなく再び歩き出す。だが滝川の頭の中からは二人の言葉が離れなかった。
『今のうちに――』
『後悔するわよ――』
『いつ離れる時が来ても――』
 ……そうだよな。もしかしたら、これが最後の――ううん、最後にするつもりなんて全然ないけど、このあとしばらくはデートなんてできなくなっちゃうかもしれない。会えなくなっちゃうかもしれない。俺は忘れる気なんて全然ないし、こいつも忘れる気なんてないと思うけど、それでもやっぱり今日のことは思い出に残るようにしたい。
 ……手を繋ぐくらい、いいよな。
 さりげなく……さりげなく……。
 そーっと、ひどくぎこちなく舞の右手に左手を伸ばし、指の先っぽをきゅっとつかむ。舞の手が一瞬びくりと震え、そのあとゆっくりと滝川の手を包むようにつかみ――
「あーっ! 手なんて握ってるーっ!」
 硬直した。
 声を発したのは新井木だった。田辺、森、田代、ヨーコと二組女子が勢揃いでこちらを見ている。
 新井木は遠慮会釈なくこちらに近寄ってきて、囃したてた。
「なになに滝川退院したと思ったらいきなりデートなんかしちゃってんの? うわー手なんかしっかり繋いじゃってやーらしー。うまくすればえっちなことできるかもとか甘いこと考えてんでしょ!? このすけべー!」
「なっ……!」
 めちゃくちゃ恥ずかしくなって、慌てて手を離そうとする――が、その瞬間指先に舞のかすかな抵抗を感じた。
 繋がっていたいという、かすかだが確かな意思。
 ――それを感じたとたん、滝川は自分の中にものすごく強い力が流れ込んでくるような気がした。
 なに言われようが上等! 絶対この手は離さない!
「いいだろ、手繋いだって。俺たち恋人同士なんだから」
 恋人同士。
 その言葉はたまらなく気恥ずかしく、照れくさくて、思わず逃げ出しそうになっちゃうような言い方ではあったが――
 それをきちんと真正面から言えることは、とても誇らしかった。
 新井木はその言葉を聞くと、ちょっと唇を尖らせた拗ねたような顔をしたかと思うと、すぐ大口を開けて笑い出した。
「なーにカッコつけてんだかこのバカゴーグル! デートの時にまでゴーグルつけてきてんじゃないっつーの!」
「うっ、うるせぇな! だいたいおまえら女ばっかでどこ行くんだよ?」
「買い物だよ買い物! もうすぐ夏休みだからね、乙女はいろいろ準備が必要なの!」
「いつ解散するかもわからないんだから、みんなで楽しく街に繰り出そうって、勇美ちゃんが言い出したんですよ」
「俺はかったりぃっつったんだけどよ、こいつがどーしてもってうるせぇからよ」
「なーに言っちゃってんの、夏休みにはやみん誘って水着で悩殺しちゃえって言ったらすぐその気になったくせに」
「んっ、んだとテメェっ!」
 たちまちかしましく盛り上がる女子たち。滝川はやれやれ、と肩をすくめて言った。
「じゃ、俺たち行くから。お前ら、女しかいないんだから絡まれたりすんなよ」
「へっ、んな奴ら俺がぶちのめしてやるっての」
「じゃーね、バカゴーグル! せいぜい頑張りな!」
「滝川クン、ちょっトいいですカ?」
 ふいにヨーコが一歩前に進み出て、滝川の目を覗き込んだ。
「……? なに、ヨーコさん?」
「……精霊に気付かズ、タダひたすらニ自分の求めルものヲ求め、それでモ世界を幸せにする人……」
「???」
 ヨーコは独り言のように(滝川にしてみれば)わけのわからないことを言うと、にっこり笑った。
「滝川クン、幸せニなっテ下さいネ」
「………うん」
 よくわからないが、ヨーコは自分に優しい言葉をかけてくれた。
 それが嬉しくて、滝川はへへっと笑った。
「ほら、ヨーコさん、モリリン、行くよ!」
「はいデス」
「…………」
 森は新井木に声をかけられても動かずに、さっきからずっと声も出さずじっとこちらを見つめている。怪訝に思って滝川が口を開こうとすると、森は遮るようにして声を張り上げた。
「滝川くん!」
「はいっ?」
 大声を上げられびくつく滝川に、森はにこっと、懸命に作ったような笑みを浮かべてみせた。
「……芝村さんと、仲良くしてくださいね」
「……ああ、うん、はい」
 それだけ言うと身をひるがえし、新井木たちと共に去っていく。
 なにがなんだかわけがわからずぽけーっとしている滝川に、舞はぎゅっと頬を引っ張った。
「いひぇ! いひなひはひふんだよ!」
「ふん。緩みきった顔をしおって。そんなに他の女と話すのが楽しいか?」
「は?」
 滝川は呆気に取られた。なに言い出すんだいきなり?
「どうせ私と話しても楽しくないのだろう。私は普通の会話というのが下手な女だからな。本当はあの者たちについていきたいとか考えていたのではないか?」
「な、なに言ってんだよっ!」
 滝川は思わずぐい、と舞の肩を引き寄せて叫んだ。
「会話が下手とかうまいとか、そういうことじゃなくて! 俺は芝村が……」
 そうじゃない。その呼び名は違う。滝川は一回唾を飲み込んでから、改めて叫んだ。
「俺は舞がいいんだ! 舞とデートしたいんだ!」
「……………」
 舞はうつむいてその言葉を聞いていたが、やがてゆっくりと顔を上げると、その顔には笑みが浮かんでいた。
「し、じゃなくて、舞……?」
「ようやく名前を呼んだな」
 笑いながら言うと、すたすたと先に立って歩き出してしまう。
 滝川はしばらくぽかんとしていたが、数瞬後ようやく理解して、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お前、俺のことからかっただろ!?」
「今頃気づいたか、たわけ」
「このやろっ、待ちやがれ!」
 二人は楽しげに声を上げてじゃれあいながら、歩道を走った。

「……来須先輩と若宮さんと石津さんと別れた。あ、今度は遠坂と岩田を見つけたようだよ。でも二人がこそこそしてるから声はかけないことにしたみたい」
「だから解説しなくていいってば……」
 しつこく二人のあとをつける速水と瀬戸口とののみ――といっても瀬戸口とののみはただ速水のあとをついてきているだけだが、とにかく三人は物陰から物陰へと潜みながら尾行を続けた。
「あ、壬生屋さんだ」
「なにぃっ!? あいつがなんでこんなとこにいるんだよ!?」
「偶然だろ。心配しなくてもこっちの方には来てないよ。あの二人に挨拶したらさっさと行っちゃったし」
「はーっ……」
 ほっと息をつく瀬戸口にかまわず、速水は双眼鏡をのぞき続ける。
「――プールに着いたようだね」

「見るな! 絶対に見るな! 見るなと言っているだろう!」
 胸と腰をやたら大きいタオルでしっかりガードして喚く舞に、滝川は苦笑した。
「見るなったって、普通に話してたら見えちゃうだろ?」
「だから隠しているのではないかたわけ!」
「……わかったよ。お前が水に入るまで目閉じてるからさ、とにかくそのタオル置いとけよ。そのまんまじゃ泳げないだろ?」
「…………」
 怒りゆえにか恥じらいゆえにか、とにかく顔を赤くした舞は、いかにも渋々とうなずいた。滝川が目を閉じると、ごそごそとタオルを動かしているらしい音が聞こえてくる。
「目を開けたら殺すぞ。よいな、絶対に開けるなよ」
「はいはい、わかったって」
 薄目を開けてみたい気もしたが、せっかくの初デートに機嫌を損ねられてはかなわない。滝川はしっかり目を閉じていたが――
「うわっ!」
「! 舞っ!?」
 近くで何かが倒れる気配。舞か、と考えるより早く、目を閉じたままその下に回りこんでいた。
 ――むにゅ、という柔らかい感触。
「…………」
 こ、こ、これは……まさか。
 恐る恐る目を開けてみると、自分の腕の中には予想通りポニーテールの少女が飛び込んでいた。白い水着がよく似合う、そのささやかな胸を自分の腕に触れさせているその少女は――
 顔を真っ赤にした憤怒の形相でこちらを見上げた。
「………そなた………よほど命がいらないとみえるな」
「いっ、いやっ、これはそのっ、そういうんじゃなくて! だって普通倒れそうになってたら助けるだろ!? 別に水着姿見たいとかあわよくば触れるかもとかそういう気持ちは誓ってない……と、思うんだけど……」
「思うとはなんだっ! このたわけ―――っ!」
「うわわわわわっ!」

 バキィ、と双眼鏡にヒビを入れながらそれでも二人を観察する速水に、瀬戸口はおずおずと声をかける。
「あのさ……そんなに腹立つんなら、見ないほうがいいんじゃないか?」
「腹を立てる? なににだい? 瀬戸口、よけいな口は利かないほうがいいよ」
「……へいへい」

 プールの中まで追いかけっこを続け、いつしかそれが水泳競争に変わり、最後には水のかけあいっこになった。
「あははははっ、ほらほら!」
「やったな、ならばお返しだ!」
 お互い笑いながらばしゃばしゃと水をかけあう。恥ずかしさもなにもかも忘れて、夢中になって相手を追いかけた。
 さんざんはしゃいだあとに、プールから上がる。今日も舞は手作り弁当を作ってきてくれているのだ。
「今日はなに作ってきてくれたんだ?」
「たわけ。そんなことを聞いてどうする。弁当を開けばすぐにわかることだろうが」
 そんなことを笑って話しながら歩いていると――
「あ」
「………君か」
「…………」
「滝川くん……芝村さん……」
 狩谷と、加藤に会った。
 この二人は一度も滝川の見舞いに来なかった。それは顔を合わせたくないとかそういうこと以前に、あのとんでもない幻獣はなんだったのかという軍部の追及から狩谷を逃すため、しばらく時間が必要だったというのが一番の理由だ。
 だが、工作が充分に終わっても、二人は滝川の病室には姿を見せようとしなかった。
「……芝村さん。少し滝川を貸してくれないか。二人だけで話がしたい」
「……いいだろう」
「加藤。先に行っていろ」
「なっちゃん……」
「心配するな。なんにも起こらないから」
「…………」
 狩谷はキコキコと音を立てながらプールサイドを車椅子で移動する。滝川は舞と加藤に見送られながら、そのあとを追った。
 しばらくの間は二人とも無言だったが、ふいに狩谷が言った。
「見舞いに行かなくて、すまなかったね」
「……んなこと気にすんなよ。お前の方はお前の方で大変だったんだろ?」
「まあ、ね」
 しばらくの沈黙。
 狩谷は車椅子の足を止めて、滝川の方を向いた。
「僕には、あれしかなかったんだ」
 ひどく、苦しげな声だった。
「あの時の僕には、ああして君に感情をぶつけるしかできなかった。ただもう、とにかく一人になってしまうのが――怖いとか嫌だとか、そういう言葉では言い表せないほど、なんていうか――拒みたかったんだ。その感情を全て君のせいにして、君にぶつけた。――君にしてみれば、ひどく迷惑だったと思う」
 狩谷は滝川に頭を下げた。
「すまなかった。詫びてすむことじゃないけれど――せめて一言、謝りたかったんだ」
 その顔はひどく辛そうで、苦しげで、滝川はひどく慌ててしまった。
「な、なに言ってんだよ! んなこと気にすることじゃねぇって、結局両方無事だったんだしさ! それにさ、俺たち友達じゃん? クラスメイトじゃん? なのに辛い時助けられないのって、嫌じゃん。だからさ、たぶんあれでよかったんだよ。俺も狩谷にああされないとわかんなかったことってあると思うしさ。だからおあいこ! 俺の方が礼言わなくちゃなんないのかもって思うくらいだしさ! もう気にしっこなし!」
「滝川……」
 狩谷はひどく驚いた顔をしてから、少し笑った。優しい笑い声だった。
「君は本当に、お人好しだな。そういう君だから――僕は救われたんだ、きっと」
「そ、そっかな? 俺は別に助けたってほどのことしたわけじゃないと思うぜ、だって、みんなと俺の気持ち伝えただけだし……」
「君に、ああして伝えられなければ、僕は自分の周りに自分を想ってくれる人がいるということに気づけなかったと思う。実感できなかったと思う。君が、そういう君だから……僕のために、泣いてくれたから――」
 そう言うと狩谷は照れくさくてしきりに頬を掻いている滝川に、また頭を下げた。
「ありがとう。本当に――感謝しているよ」
「や、やめろって! だから気にすることじゃねぇんだってば、俺ほんと大したことしたわけじゃねぇし……」
 本気で恥ずかしがって手を振る滝川に、狩谷は声を立てて笑った。

 プールからの帰り道、滝川と舞は言葉少なだった。
 プールで遊んだ程度で疲れるほど二人ともやわではない。それぞれにそれぞれの想いに沈んでいただけだ。
 滝川は、あの日のことを考えていた。舞を初めて舞と呼んだあの日。あの日感じた、自分は一人じゃないという感覚を。
 舞はこれからのことを考えていた。これから自分はどうするべきか、幻獣がいなくなった後、自分はなにをしようと考えるのか。
 滝川が立ち止まった。分かれ道だ。滝川と舞の帰路は、ここで別れる。
「―――あのさ」
「―――なんだ」
 夕陽に照らされて、赤くなったお互いの顔を見た。二人ともひどく真剣な顔だった。
「俺、自分は一人じゃないって思うんだ」
「―――うむ」
「自分を好きな人がいてくれるって思うから、自分にも好きな人がいるから、どんなに周りに人がいなくても、俺は一人じゃないって、そう思えるようになったんだ」
「うむ」
「――だから、俺、お前と別れ別れになっても絶対一人だなんて思わない」
「――――」
 舞は滝川を見つめた。滝川は真剣な顔のまま、舞を見返す。
「お前頭いいし、俺、馬鹿だから。たぶん戦争が終わったって政府が判断したら別々の学校行くことになると思う。それ、しょうがないと思う。お前は俺がついてこようがこまいが、自分の目標に向かってく奴だと思うし、俺はまだこれからなにをすればいいかもよくわかってない」
「……………」
「だから別れ別れになるのもしょうがないと思う。でも、そうなったって俺はお前のこと忘れない。絶対、絶対忘れない。そんで、ずっとずっと好きでいる。………それで………」
 滝川は口ごもり、いったんうつむいてからきっと舞のほうを見た。
「お前の気持ちはどうなのかって、聞きた――てっ!」
 滝川は頭を押さえて、涙目で舞を見つめた。頭を思いっきり殴られたのだ。
「なにすんだよ……」
「ふん、愚かな質問をするからだ、たわけが。まったくお前は私のことを侮っているとしか思えんな」
「侮るって……」
「私はそなたをカダヤにすると言っただろうが。私が離れ離れになったくらいで変わる程度の気持ちでそんなことを言うと思うのか」
「? カダヤって保護者って意味なんだろ? なんでそれが、てっ!」
 また殴られた。さっきよりだいぶ強く。
「………たわけ」
 ぎっと滝川を睨む舞に、滝川はよくわからないながらも、うなずいた。
「……うん、まあ、それはともかくさ。お前も俺と同じ気持ちでいてくれるって、ちゃんと確認しときたかったんだ」
「…………」
「やっぱり言葉でちゃんと伝えないとわかんないことってあると思うし。俺もこれ言うって決めるのに、けっこう――ってか、めちゃくちゃ覚悟いったしさ」
「…………?」
「もちろん今すぐってわけじゃないぜ。でも、こういうことは早めにきちんと約束しとかなきゃダメだって思うんだ。約束してたら、やっぱり心構えとか違ってくると思うし――少なくとも俺は違うし、心が変わらないとは思っていても先に申し込まれたりしたらやっぱり嫌だし。俺は絶対そうしたいって思ったから、お前にもそう思ってほしくって」
「………なにが言いたいのだ。はっきりと言え」
「ああだから、うん、今日ちゃんと言わなくちゃって決めてたことなんだけど――」
 滝川は夕陽のせいだけでなく、はっきりとめちゃくちゃ赤い顔で、それでもしっかりとした口調できっぱりと言った。
「俺と結婚してくれ、舞」
 ――舞の顔から、表情がきれいに吹っ飛んだ。

 がちゃり、と懐からサブマシンガンを取り出す速水を、瀬戸口は必死に抑えた。
「速水っ! それはやめろ! それはまずい! 死ぬ! マジ死ぬって!」
「いやだなぁ瀬戸口なにを言ってるんだい? 殺しはしないよなんで僕が滝川を殺したりしなくちゃならないんだい。僕はただ彼の勇気を祝福してあげようとしているだけさ」
「なら銃はやめてくれ! 銃はしまってくれ、頼むから!」
「きゃあ、よーちゃんとまいちゃんがくっついてるのよ」
 速水は表情をなくした顔で滝川と舞のほうを見た。舞は滝川に寄り添い、滝川は舞の背中に腕を回し、二人ともぴったりくっついて顔を寄せ合っている。あれは、どう見ても――
「…………」
「速水ーっ! 落ち着いてくれ、正気に戻ってくれー!」
「うるさいよ、瀬戸口」
 速水はすたすたと滝川と舞の方に近づいた。こちらに気づきもしない二人をサブマシンガンの有効射程範囲内に入れると、にっこり笑って――
 サブマシンガンを上空に向けて乱射した。
 驚き慌ててこちらの方を見る二人に、速水は朗々とした声で言う。
「婚約おめでとう、滝川、舞!」
 ――数瞬呆気に取られていた二人の顔が、ぼんっと赤く染まった。

「速水てめぇっ! いつから見てやがった!?」
「あはははは、デートの最初からずっと見ていたよ本当に恥ずかしいなぁ君たちは」
「お前、一発殴らせろ! いや、十発くらい殴らせろ!」
「嫌に決まってるじゃないかはっはっはっは、ここまでおいでお馬鹿さん」
 やにわに始まった追いかけっこを、瀬戸口はののみを抱えて素早く物陰に隠れて避けた。猛スピードで追いすがる滝川に、速水は煙幕を放出して逃げ回る。
 舞はしばし呆然としていたが、やがてわけのわからないことを喚きながら追いかけっこに参加し始めた。銃を乱射しているが、麻酔銃のようなので口を出さずに引っ込んでおく。
「……まあ、なにはともあれ、とりあえずみんな落ち着くところに落ち着いて……めでたしめでたし、ってとこかな?」
 そう独り言を言うと、ののみがにっこり笑って付け足した。
「めでたしめでたしなのよ。これからはいいことしかおこらないもの」

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