速水は珍しく、一人でグラウンドのはしっこにぼおっと座っていた。 初春の柔らかな風が肌を心地よくくすぐる――もっともここ熊本の気温は初春からかなり高いのだが、それにもかまわず速水はひたすらぼーっ、としている。 勤勉という印象はないのにいつも忙しく訓練に仕事にと明け暮れている速水にしては、実際かなり珍しいことではあった。 彼は見るとはなしに、という感じでグラウンドの中央を見ている。そこには必死になって若宮の後について走っている士魂号二番機パイロット、滝川陽平の姿があった。 彼は別に悩んでいるわけではなかった。そもそも彼は悩むという事が全くといっていいほどない。 ただ、なんとなく――そう、このなんとなく、というのが問題なのだが――苛々するのだった。 何に対して苛々しているかというと――それは滝川に対して、というのが一番妥当だろう。 そう、速水は滝川に対して苛々していた。なぜか、と問われると速水自身困惑しただろう。 別に滝川が速水に何かをした、というわけではない。今までと同じように、顔を見ると『よお!』と明るく声をかけて、くだらないことをおしゃべりし、それが放課後ならたいてい訓練に誘われる――それだけだ。 ――いや、訓練に誘うというのは今までと同じというわけではなかった。数日前まで、滝川は自分から訓練しようなどとは絶対に言い出さなかった。ある日急に、熱心に訓練するようになったのだ。 大体その頃からだろうか。滝川を見るとむずむず″するようになったのは。 どういう感覚か言い表すのが難しいのだがむずむず″という言葉が一番近い。 滝川を見ていると、背筋に何か虫が這うような感覚があり、背中から腰にかけてが妙に落ちつかなくなる。今にも体中に溜まったものをばーっと発散して動きたくなるのに、動くととんでもないことが起こりそうな気がして動けない。 最初滝川に出会った頃はこんなことはなかった。やけに速水に親しげに話しかけてくる滝川を、速水は他の人間と同じような視点で見た。 即ち、利用価値があるかないか。 無職のくせに訓練もろくにしない滝川を速水は無駄な人材″と判断したが、邪険にはしなかった。必要がなかったし、天然で優しい人間″という自分に張ったレッテルをはがしたくもなかったからだ。 たまにその根拠のない明るさと情けなさに苛立ちを感じ、『こいつを苦しめて苦しめて――たとえば体の肉と骨を少しずつ削って恐怖と激痛にのた打ち回らせながら殺したらどんな顔をするかな』なんてことを考えることはあったが、それはただ想像を弄んでいるだけで、実際にしようと思ったことはないし、そんなことを考えているなどおくびにもだしたことはない。 速水はにこにこ笑いながらそういうことが考えられる人間だからだ。 ただ、それでもこのむずむずする感覚には難渋していた。速水にとって、どうにもなじみのない感覚だったからだ。 頬杖をついて眺める速水の視線の先で、滝川はぜえぜえ言いながら若宮について腕立て伏せを始めていた。ぜえぜえ言っていてもついていけるだけ大したものだと、速水はお世辞抜きでそう思う。ここ数日熱心に訓練した成果がしっかり現れているらしい。 だが、速水はそんな風に熱心に訓練する滝川を見ていると、腰の辺りにわだかまっているむずむずが暴れ出しそうになるのを感じるのだ。もうどうにかして、滝川の首を締めるか心臓を一突きにするか身体を八つ裂きにするか、そういうことをやりたくてやりたくてしょうがなくなる。 そしてそんなことをしている瞬間を想像すると――特に身体を引き裂く時の肉の感触などを想像すると、ひどく甘やかな刺激が背筋を走りぬけるのだ。 ということはこれは殺意なのだろうか。自分は滝川に殺意を抱いているのだろうか。 それはそれで別に珍しいことではないのだが、そうしてみるといくつか奇妙なところがあるのだ。 まず、確かに甘やかな刺激は走り抜ける、だが同時に自分の体をも引き裂きたいような黒い衝動に駆られもするのだ。 それに殺意を抱いたならなぜさっさとやらないのかが自分でもよくわからないのだ。このご時世だ、殺したところでごまかし方などいくらでもあるのになぜか自分は滝川を殺さない。どういうわけか今一つのところで殺す方に針が振り切れないのだ。 じゃあ別の感情なんだろうか。 体中を震わせながら必死に若宮と同じメニューをこなす滝川を見つめながら、速水はぼおっと考える。 腰の辺りがむずむずするから、性欲とかだろうか。 滝川を相手に性欲を解消する方法を考えてみる。犯して、殺して、もう一回犯して死体の後始末をするなんてどうだろう。 悪くない計画に思えた。 泣き叫ぶ滝川を犯し、恐怖にあえぐ滝川の首を締めて殺し、弛緩した滝川の体をもう一回犯し、四肢をバラバラにして始末する。 のこぎりで滝川の四肢の肉を裂き骨を砕いてバラバラにし、焼却炉で焼いたり穴を掘って埋めたりするところまで事細かに想像していくと、もうたまらなく体中が震えるほどの強い快感を感じた。 だが、殺意の時と同じように、同時に自分の心臓を引き裂きたいような衝動にも駆られる。 してみると性欲でもないらしい。では結局なんなのだろう、このむずむずする感覚は。 くりかえすが、速水は別に悩んでいるわけではない。 ただ滝川を見るとむずむずして、そしてそれがどういうものなのかわからない。そのせいなのか、なんとなく苛々するのだった。 速水がひたすらぼおっと滝川を見ていると、ようやく訓練が終わったようで、滝川はよろよろと立ち上がり若宮に礼をした。若宮は軽くうなずくと、こちらに向かいやってきて、側を通り抜けるときに軽く会釈していった。 速水は滝川を見つめる。自分の行動が妙であることは自覚している、だがどうにも苛々する。おさまりがつかない。その原因であるような気がする滝川を、どうにかしてやりたいようなしてほしいような気がして、耐えられなくなると滝川の側へ行ってしまう。 自分でもさっぱりわけがわからず、それがまた苛々するのだった。 舞への気持ちとは全く違うな、とふらふらよろめきながら歩いてくる滝川を見ながら速水は思う。 舞に対する自分の気持ちは世界の何より愛してる″の一言ですむ。だから自分の物にして、永遠に愛し続けたい。 比べるものでもないだろうが、この苛々が舞に対する感情を思う時にまで入りこんできそうになる時がある。それがまた苛々をつのらせる原因になっているような気がした。 フラフラしながら滝川が速水の前に立つ。少し弱ってはいるものの、やはり明るい笑みを浮かべた。 「よう」 「やあ」 速水も笑みを返す。 「なにやってんだよ、こんなとこで」 「仕事に疲れたから、ちょっと休憩。滝川ずいぶん頑張ってるみたいだね、あの若宮さんの訓練についていくなんて」 「だーもうそれ言うなよー! 思いだしたくねー……死ぬかと思ったんだぜマジで!」 「とかなんとか言いながらしっかりついてってたくせに」 滝川は照れたように小さく脇を向いて頭をかいた。 「いやー、そりゃまあなー。俺やっぱりパイロットでいてえしー」 速水を見て、やや恥ずかしげに肩をすくめるようにする。 「なんたって俺、初陣でとんでもねえポカやっちまったからなー。ちゃんと司令の言うこと、聞いとかないと」 それを聞いて、速水はにっこり笑った。 そしてなんとなく、滝川の首を手でつかんだ。 滝川はびっくりした様子で、小さく目を見開いた。 筋肉がつき始めてはいるが、まだまだ細い首だ。本来の力を出せば、一撃で――それこそこのまま一折りにできないこともないだろう。 速水はにこにこ笑いながらそんなことを考え、快感と痛いような衝動に震えた。 「……何やってんだよ、バカ」 滝川が戸惑った笑いを浮かべて首にかけられた手を取る。 触れた瞬間ビリ、と電気が走り、反射的に押し倒しそうになったが速水はそれを抑えて、滝川の手に従って首から手を離した。 「…やっぱりまだ細いね。これからまだまだ鍛えないと」 「…なんだよー、お前だって俺より細いくせに」 滝川はほっとしたように笑うと、速水の手から手を放した。 滝川が頭をかきながら言う。 「あのさ、速水。一緒に訓練しねえか?」 「大丈夫なの、滝川? さっきまで若宮さんにしごかれてたんじゃない」 「あ、俺大丈夫大丈夫、もうちょっとくらいなら。…嫌なら、別にいいぜ?」 速水はまたにっこり笑った。 「いいよ。僕も頑張らないとね」 滝川はほっとしたように笑った。 「よっしゃ! それじゃ、どこいこか?」 「祈りの泉でいいかな?」 「おう!」 ふらふらよろけながらも走り出す滝川を、ゆっくり速水は追った。 首を触った手を、ゆっくり握り開きしてみる。 やっぱり、舞とは違うな。 そう考えたことに混乱して、速水はにっこり笑った。 |