3/17〜若宮
「え? もういいんですか?」
 滝川はきょとんとした顔になった。ついさっきまで訓練していたので息は荒いが、呼吸のリズムはしっかりしている。
「ああ。今日の訓練はもうこれで終わりだ」
「はー……」
 滝川は不審げだ。
 まあ無理もないと若宮は内心苦笑する。昨日、一昨日と若宮は滝川を徹底的にしごきあげた。今日はそのせいぜい半分の時間しか過ぎていない。
「だからと言って訓練をしなくていいというわけではむろんないぞ。だが、お前も機体の調整などの仕事もあるだろうし、後の訓練はお前の自覚に任せようということだ」
「はあ……」
 滝川は相変わらず困惑した顔をしている。
 若宮は声を張り上げた。
「以上! ぼーっとするな、訓練も仕事もやることは山ほどあるぞ!」
「はいっ!」
 慌てて飛びあがってその場を走り去る。おそらく誰か一緒に訓練してくれる人を探しにいったのだろう。ここ数日一緒にいて、そういう点では若宮は滝川を信用するようになっていた。
 だがおそらく、信頼はできない。
 若宮は肩をすくめ、自分の仕事を始めるべくグラウンド中央へ足を向ける。
 と、大音量でサイレンが鳴った。スピーカーからやはり大音量で坂上教師の声が流れる。
『201v1、201v1、全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限りすみやかに教室に集合して下さい。繰り返します……』
 若宮は苦笑して教室に向け走り出す。
「はからずも絶好のタイミングで出撃がかかったな。あいつが何″なのかこれでわかる……」
 口の中で小さく呟いた。

 すでに日は落ちて、赤外線ゴーグルがなかったら10m先も見えないほど周囲は暗い。友軍との距離が離れているのでキャタピラ音も聞こえない。戦場はまだ静かだ。
 滝川にとっては二度目の戦闘が始まろうとしていた。
『全機前進。左翼から敵陣に切り込みます。壬生屋機が突撃して敵の目を引きつけ、その隙に速水機が敵中に飛びこんでミサイルを発射。滝川機は側面から援護射撃を。若宮・来須機はいつも通りに働いて下さい』
『了解』
 全員の声が唱和する。滝川の声はおそらく興奮と緊張で、やや震えていた。
 若宮は、自分がやけに滝川を気にしているような気がして苦笑した。慣れ親しんだ戦場に臨む自身の精神状態は適度に緊張と弛緩を取り混ぜて、自分自身への見切りも覚悟も揺るぎもしていない、つまり普段どおりだが、だからといって戦場で気を散らしていい訳はない。
 若宮はペースを崩さずに走りながら敵味方の配置をチェックした。
 幻獣はいつものごとく戦場の左右に広く散らばっている。ゴルゴーンが一体、きたかぜゾンビが数体、後はほとんどがキメラとナーガの混成舞台で、ゴブリンとヒトウバンはごくわずか。
 対してこちらは5121小隊のほかは戦車がニ台、モコスが一台、きたかぜ一機、後はスカウトばかり。
 戦力比としてはほぼ互角。とりあえず自分の相手としてはビルの隙間からじわじわこちらに近付いてくるヒトウバンかナーガ辺りだろう。その気になればキメラやきたかぜゾンビも倒せないわけではないが、自分の仕事は戦車の露払いだ。
『一番機、いきますっ!』
 壬生屋が高らかに叫び、ビルの狭間を突進する。増加装甲を両肩につけた壬生屋の一番機はなまなかな攻撃では傷ひとつつけられない。
 その分厚い装甲を利用して敵の攻撃を引きつけるのが一番機の役目だ。集中する攻撃に耐えられるだけの装甲を一番機は持っている。
 ふと、気がついた。二番機が一番機と併走するように進んでいる。
『滝川機。敵幻獣との距離をとりなさい。一番機と同じ場所にいては援護射撃もうまくできないでしょう』
『は……はいっ……』
 すかさず飛んだ善行の声に答える滝川の声は小さくかすれていた。若宮は一瞬眉を寄せるが、ペースを崩さず走り続ける。
 壬生屋機は戦闘を開始したようだった。壬生屋機の近距離にあった幻獣の表示映像が消えた。
 と、ほぼ同時にもう一体、それより少し奥で幻獣表示映像が消える。
 すぐにオペレーター瀬戸口の『壬生屋機、ナーガを撃破! 滝川機、ナーガを撃破!』という声がしたので滝川がやったのだとわかった。
 ただ、滝川機とその映像の距離はやけに近かった。零距離射撃とまでは行かないが、射撃としては至近距離だ。それを普通援護射撃とは呼ばない。
 壬生屋機が突進する先でもうひとつ幻獣表示映像が消えた。それによって空いた道を壬生屋機は突進し、敵陣深くまで斬り込む。滝川機も併走して敵陣に向けて突っ込んでいく。
 すかさず善行の声が飛んだ。
『滝川機! お前は側面からの援護射撃をしろと言ったはずだ!』
『は、はいっ! すみません!』
 滝川機が急に脇に跳ね飛び、幻獣表示映像はいっせいに壬生屋機のほうを向く。
『壬生屋機、被弾により一番機整備部署の運動性能が低下!』
 オペレーターの声が耳に飛びこんで来る。攻撃が壬生屋機に集中しているのだ。壬生屋機も負けてはおらず、次々と近くにいる幻獣を攻撃していく。
『滝川機、ナーガを撃破!』
 そんな声も飛びこんでくる。滝川の援護射撃も確実にヒットしているらしいが、一度脇に飛んだにもかかわらず敵との距離はひどく近い。
 ふいに、一体の幻獣が滝川機の方を振り向いた。
 そんなはずはないのに、若宮は一瞬滝川機の表示映像が震えたような気がした。
 一瞬の間にいかなるやりとりがあったのか、表示映像だけではわからない。オペレーターもその瞬間は何も言わなかった。
 ――その一瞬の後、速水機が敵陣に飛びこんでミサイルを発射した。

 その日の戦闘はそれで終わった。敵撃墜数は二十体近く、小隊被害はなし。友軍の戦車が一台落とされたものの、大勝と言えた。
 若宮はカーゴに揺られながら滝川のことを善行司令にどう報告するか考えをまとめていた。
 滝川は決して無能というわけではない。体力、技術、ともに並の旧世代兵士など及びもつかないレベルまで鍛えられているし、特に運動力の高さには若宮も舌を巻くほどだ。よほど熱心に的確な訓練をしたのだろうと思う。
 だが――現在の滝川は、能力技術で勝る有象無象の旧世代兵士たち、誰一人にも勝てまい。
 若宮は壁によっかかっている頭の後ろで手を組み、考え続ける。
 滝川の能力は決して低くはない。
 だが、滝川には覚悟″がない。
 初陣での突進を見た時からそうではないかと考えてはいた。が、今日の戦闘での行動ではっきりわかった。
 滝川は自分が死ぬかも知れないということを意識的にか無意識的にかはわからないが、意識の外においているのだ。だから無謀とも思える突撃もできるし、敵と至近距離で相対もできる。
 だがそれは、死ぬことを覚悟しているのとは違う。
 最後の最後の所で自分の全てを背負って戦えるかどうかは、自分が死ぬことも生きることも全てを飲みこんで戦えるかどうか、ひとえにその覚悟″にかかっている。
 だから自分は滝川を信頼する気になれない。
 若宮は頭の後ろで組んでいた手を前に組みなおした。
 善行司令になんと報告すべきだろうか。だがなんと報告しても善行は滝川を二番機パイロットから解任しようとはしないだろう。
 なんとしても、パイロットは必要なのだ。無駄な人員を遊ばせている余裕はない。
 覚悟ができていない兵士というのは決して少なくはない――だがその大半が早々と死んでいく。
 能力をどんなに必死に磨いても、戦術を駆使しても、死を乗り越えられない人間は最後の最後で脆い。
 磨いた能力を生かす機会もなく、あっさりと死んでいく。
 嘆息して視線を天井から落とすと、目の前に座っている来須が目に入った。
 なんとなく、声をかける。
「来須」
「………」
 来須が顔を上げてこちらを見た。
「お前、滝川が強くなると前に言ったな」
「……ああ」
「今でもそう思うか?」
 来須は帽子を目深にかぶり、目を隠して小さくうなずいた。
「……ああ」
 若宮は息をついた。
 そう長いつきあいではないが、来須が間違ったことを言ったことはこれまでに一度もない。
「賭けるか?」と言いそうになったが、やめた。
 そうならそうなる方がいい。
 若宮は揺れるカーゴの中で、もう一度天井を見上げて目を閉じた。


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