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「聞いたか? 滝川が芝村に告白したそうだ」
「なに? 本当かよ」
 瀬戸口は教室に向い歩きながら、考えこむようにあごに手をあてた。
「思ったより早かったな……というか、こんなにあっさり決着がつくとは」
「まったく、まさかあの二人がくっつくとは思いもよらなかったぞ。確かによく一緒に訓練しているのを見かけてはいたが……同じ三番機パイロットになってからまだ三日目だというのに、見かけによらず手の早い奴め」
 半ば独り言を言うようにブツブツと愚痴る若宮の肩をポンポンと叩く。
「まあまあ、ひがむなって。滝川の趣味に疑問は残るが、あの一生チェリーボーイかと思われた奴に彼女ができたんだ。ここは素直に祝福してやろうじゃないか」
「いや、別に俺はひがんでいるわけでは……ただ、一応先任としてだな、あいつの行状が学兵としての本分を外れることがないようにと……」
「はいはい」
 瀬戸口は苦笑して、若宮から離れようと―――
 したとたん、ゾクッと背筋に冷気が走った。
 体中を強烈な悪寒が駆け巡り、全神経が自身に危険″という赤信号を告げている。
 これは―――
「面白そうな、話だね」
 瀬戸口はぎぎぎぃっときしむ音がしそうな動きで振り返った。
「もっと詳しく聞かせてくれないかな?」
 そこには5121小隊付き司令官、速水厚志がにっこり笑って立っていた。

 授業が終るやいなや、滝川はぴょんと椅子から飛び降りてててっと舞の席に近付いた。少し顔を赤らめ、頬を指でひっかきながらやや照れたように話しかける。
「あのさ、芝村。嫌だったらいいんだけどさ、もしヒマなら一緒にメシ……」
「みんな! お昼ご飯にしないか?」
 突然大声で呼ばわった速水に、滝川と舞はきょとんとした顔をし、他の者は恐怖に身を震わせた。
 普通の神経を持っているならこれは怖いだろう、と瀬戸口は一人呟く。授業中からして速水の席からは冷気が噴出しているような感覚があった。
 滝川と舞がふとした時に交わす視線、ちらっと見せる笑顔。その奥にほのみえる昨日とは明らかに違う親しみと恥じらいは確かにああこの二人はつきあっているんだな、それもつきあいだして間がないんだな、とわかる人にわからせるだけの説得力を持っていた。
 それは見るからにほほえましいものではあったが――
 そんな二人の姿を見るたびに、速水が怒りまくるのだ。静かに、そしてかなりあからさまに。
 偶然滝川と舞の視線が合って、慌てて互いに目をそらした後二人で赤くなっていたらバキッ! と音がしていつのまにか速水の机がボロボロになっていたり。
 休み時間二人が照れながらも親しげに話していたらドンッ! と急に速水のいる場所を中心にプレハブ校舎全体が揺れたり。
 そういうことが授業時間と休み時間の間中ずーっと続けば普通は怖がりもするだろう。
「……いいだろう」
「……オッケイ、いいぜ」
 しばし間があいてから、舞と滝川が速水に返事をする。
 よく気づかないでいられるもんだな、と瀬戸口は半ば本気で感心した。
「……………」
 瀬戸口はびくりと体を震わせた。速水がこちらを横目でじーっと見ている。
 なんだなんだ。俺何かしたか?
 と考えて――周囲に自分以外に残っている人間がいないということに気がついた。
 しまった。逃げ遅れた。
 いまさら逃げ出すのも不自然なので、仕方なく瀬戸口は遅い返事をした。
「……ああ、俺もいいよ」
 他に何かうまい返事の仕方があっただろうか?

 食堂兼調理場で、各自弁当を広げる。
 速水の弁当はいつものサンドイッチ。舞の弁当は料理人が作った仕出し弁当のように派手なおかずが整然と並んでいる。
 滝川の弁当は――
 おそらく舞の手作りなのだろう、少し焦げた卵焼きにほうれん草のごま和え、形の崩れた焼き魚とご飯。
 見た目はよくないが、不器用なりに気持ちがしっかりこもっている。
 滝川もそれに気づいたのだろう、嬉しそうにへらっと笑った。
 舞はそんな滝川を見てまた少し顔を赤らめる。二人がチラリと視線を交わし、間に親密な空気が流れた。
 バキャイ。
 速水の方からまた不穏な音が聞こえてきた。今度は食堂の机のはしっこを握りつぶしたらしい。
 頼むからこれ以上備品を破壊しないでくれ、と祈りつつ瀬戸口は明るく言ってみた。
「さて、そんじゃいただくとするか」
「そうだな! 早く食おーぜ!」
「…うむ」
「そうだね、じゃ…いただきます」
「いただきまーす」
 滝川はゆるんだ顔で照れ照れと笑いながら箸を取った。その瞳が少しばかり潤みかかっている。
 手作りの弁当がそんなに嬉しいのか。瀬戸口は微笑ましく思って、滝川が卵焼きを口に運ぶのを見守った。
 ぱく。
 卵焼きが口の中に入って、咀嚼される。
「―――――――!!!」
 滝川が声にならない絶叫を発した。箸を持っていない左手が何かをこらえるようにぎゅっと握り締められ、体も前倒しにうつむけられる。
「………っ………」
 ――やがて、拳が少しずつ緩められてきた。滝川が亀の這うような遅さで顔を上げていく。その顔は、必死になって何かと戦った人間のそれだった。
「…滝川……どうだ?」
 息詰まるような沈黙の中、舞が訊ねる。
 表情は冷静に見えるが、瞳は明らかに不安と期待の間で揺れている。
 こういう目で訊ねられちゃあ、男としてはこう言うしかないだろう――
「う…う…うま…うまいぜっ!」
 ほら、やっぱりね。
 予想通りの答えに、瀬戸口は内心苦笑した。
「そうか……」
 舞は重々しい表情でうなずいた。
 だが重々しい表情でありながら、舞は嬉しそうだった。
 よく見ると頬の辺りが少し赤かったり、耳の辺りがぴょこぴょこしていたりする。
 可愛いじゃないか。滝川はこういうところに惚れたのかね。
 瀬戸口は、ちょっと助け船を出してやる気になった。
「この卵焼きとこのフライ、交換しようぜ」
「あ? う、うん」
 一仕事やり終えて呆けている滝川の弁当から卵焼きを素早く奪い取り、フタの上で細かくしてから少しだけ慎重に口に運ぶ。
「――――!!」
 めちゃくちゃしょっぱい。
 明らかに塩の入れすぎだ。
「せ、瀬戸口師匠……」
 はっと気づいてこちらを気遣うような視線を送ってくる滝川を目で制して、瀬戸口は舞に向き直った。
「…姫さん、姫さん。これ作るとき、味見した?」
「せ、瀬戸口師匠!?」
 滝川が慌てたような声を上げるが、ここはあえて無視してやる。
「味見? なんでそんなことをせねばならんのだ」
「いや、だって普通……」
「料理の本にはそのようなこと一つも書いていなかったぞ」
 なるほど。一から十まで料理の本の文言通りに作ろうとしたわけか。それで分量間違えてりゃ世話はないが。
「ちょっと食べてみなよ」
 フタの上の卵焼きを差し出してみる。
 舞はちょっと顔をしかめたが、無言でその卵焼きを口に運んだ。
「――――――!!!」
 ゲホゲホ、と咳き込む舞。
「こっ、こっ、これはっ―――」
「今度からは作ったとき味見するようにしてみな? そしたらもっと上達が早くなるぜ」
 そう言うと、舞はうつむいてしまった。
 ありゃ。これは……まずったかな?
 落ちこませてしまっただろうか。
 だが、舞はうつむきながらもはっきりした声で言った。
「滝川、すまん」
 そう言って滝川にぺこりと頭を下げる。
「……なんで謝るんだよ。別にお前悪いことしてねーだろ」
 滝川はやや目をそらすようにして、ぶっきらぼうに言う。
「私の努力が足りなかった。お前に迷惑をかけた。許すがいい」
「……だからぁっ! そーじゃねえだろ!?」
 滝川はがたんっ、と音を立てて立ちあがった。すわ、喧嘩かと身構えた瀬戸口だったが、滝川は真っ赤な顔をしてうつむいて言った。
「いーんだよ、俺は……その……お前に弁当作ってもらえてすっげー嬉しかったんだよっ! だからいーの!」
「…………」
 舞はちょっときょとんとした顔をして、すぐにふっと笑った。
「呆れた奴だな、お前は」
「なんだよ、それ」
「私のような女にそんなことを言うとはな」
「いーだろ、そう思ったんだからっ!」
 やれやれ、まあ、後は勝手にやってくれ。
 そう思って瀬戸口は自分の弁当に向き直り――
 速水と目が合った。
 速水はにっこり笑って、静かに言った。
「瀬戸口……」
 バキッと弁当箱をつぶして、
「……わかってるね?」
 ――瀬戸口は自分の顔が勝手にへらへらした笑みを浮かべるのを感じていた。


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