「えぇっ!」 律儀に驚く滝川。狩谷も一瞬顔を引きつらせて硬直したが、すぐには、と皮肉っぽい笑みを浮かべた。 「僕が? 圭吾氏の殺害犯だって? 馬鹿馬鹿しい」 「なぜですか? あなた以外に犯人はありえないと僕は確信しているのですが」 にこにこ笑顔で言うと、狩谷はは! と大きな笑声を立てる。 「馬鹿か! そりゃ僕は圭吾氏を嫌ってた、動機はあるかもしれないさ。けどな、僕が圭吾氏を殺すのは不可能だろう?」 「ほう。それはなぜ?」 「なぜもなにも……! お前はまともに人の話を聞いていないのか!? 圭吾氏はシャンデリアから吊るされて死んでいたんだぞ! 車椅子の僕に、あんな体の大きな男を吊り下げるなんて芸当ができるもんか!」 「なるほどなるほど。でも、なんでそれを知っているんです?」 「……なに?」 「どうして圭吾氏がシャンデリアから吊るされて死んでいたということを知っているんです? あなたは圭吾氏の部屋の扉を破った時には皆さんと一緒にはいなかった。それからもずっと部屋に閉じこもっていた。あなたに事件のことを知らせに来た岩田さんはそこまで細かく話してはいないと言っている。善行さんたちが話したわけでもない。じゃああなたはいつどこで、圭吾氏がシャンデリアに吊るされて死んでいたと聞いたんですか?」 「――――」 狩谷は一瞬絶句したが、すぐ嘲るような笑顔に戻った。 「は! 馬鹿か、新井木に聞いたんだよ。あのメイドは事件のことをなんやかやと話に来てたからな」 速水もにっこりと、優雅な笑顔を浮かべた。 「あはっ、すぐバレるような嘘ついちゃってー」 「なんだと!?」 「まぁいいですよ、別にその程度のこと認めようと認めまいと一緒だから。もう一度言いますが、あなた以外に犯人はありえないんですよ」 「だからそれは不可能だと――」 「不可能ではないでしょう?」 「――なっ」 「あなたにはそれが可能だった。――その車椅子と、圭吾氏の部屋の仕掛けを使えばね」 「――――!」 今度こそ完全に絶句する狩谷と速水の顔を等分に見比べながら滝川がきょどきょどと訊ねる。 「なぁ、圭吾氏の部屋の仕掛けってなに? ていうか車椅子って?」 「なに、簡単なことだよ。――舞」 合図をすると舞はうなずいて圭吾氏の部屋に続く扉を開けた。そして壁際のガス灯のスイッチをいじる――するとがこん、と音がしてゆっくりと圭吾氏の部屋の天井から階段が下りてきた。圭吾氏の部屋の天井には階段が隠してあったのだ。 そしてその階段を登った先が、圭吾氏の『個人的な趣味の部屋』だった。 「えーっ!? 階段が隠してあったのかーっ!?」 「そう。狩谷さん、あなたはこの隠し階段の動きを使ってシャンデリアにロープを引っ掛けた。寝ている圭吾氏の首にロープを巻きつけてね。あとは思いきりロープを引っ張ればよかった」 「え……え? でも、ちょっと待ってくれよ。ロープ引っ張るって、車椅子で? それちょっと無理じゃね? だって人一人を車椅子の力だけで引っ張り上げるって……」 速水は微笑んだ。実際滝川のこういう驚異的なまでに疑問にいちいち引っかかるところを自分は愛してやまない。 「うん、そうだね。でも、狩谷には可能だったんだよ。階段の仕掛けと車椅子を使えばね」 「ど、どうやって……?」 「実際にやってみせていただけますか、狩谷さん?」 「………っ」 「ふむ、まだ降参はしていただけない、と。――舞」 「うむ」 舞はうなずいて、持ってきていたものを取り出した。 「? なにそれ……車椅子?」 「そう、これは車椅子さ。狩谷の使っている車椅子の予備だ。狩谷の乗っているのとまったく同じに作ってある――名称は『スポーツ用車椅子』だそうだよ」 「スポーツ用、車椅子……?」 じぃっとその車椅子と舞を凝視する滝川に、舞はうなずいてみせてスポーツ用車椅子を広げて乗った。きぃきぃと小さな音を立てながら車輪を動かして走る。 「わ、速い……!」 「そう、これはスポーツ用車椅子だからね。――そしてこれを使えば」 舞は下ろしていた隠し階段に車輪を乗せ、回転させる――すると、車椅子はからからと音を立てながら――階段を登り始めた。 「………! 車椅子が、階段登ってる……!」 「そう。これが圭吾氏が特注で作らせたスポーツ用車椅子の力だ。まさか圭吾氏は狩谷がこれを使って自分を殺害しようなどとは夢にも思わなかっただろうけどね。――これと階段の仕掛けをうまく使えば……」 舞が階段の上のスイッチを押して階段をゆっくりと上にあげ、階段に持ち上げられながらシャンデリアにロープを引っ掛ける。そこで階段を止め、車椅子を走らせてロープに繋いである人形――シーツに砂袋を詰めたものを持ち上げる。充分に持ち上がったところでシャンデリアにロープを巻きつけ結び止める。階段を下ろして自分たちのところへ戻ってくる。 この間、一度も足を使っていない。 「車椅子に慣れていない舞でもこの早さだ。狩谷だったらもっと早く済ませられただろうね」 「……っ、だが! たとえ僕が圭吾氏を殺せたとしても実際に殺したという証拠はどこにもない!」 「あはっ、くだらない悪あがきですねぇ。素人の、それも車椅子の人間が犯した犯罪なんて、その気になればいくらだって証拠品は見つけられるんですよ」 「な――」 「あの階段の上にあなたの車椅子の塗料が残ってました。ロープにあなたの汗で手袋の色が写ってました。圭吾氏の体にあなたのものと思われる髪の毛が付着していました。階段に着いた車輪のあともあなたの車椅子と照合できます。――どれをとってもあなたを有罪にするには充分な証拠だと思いますが?」 「――――」 愕然とする狩谷。実はその証拠の半分はでっちあげなのだが、別にかまいはしない。実際に裁判で使うというわけではないのだし。 速水はにっこりと笑って、狩谷に訊ねる。 「さ、これでもまだ言い逃れができますか、狩谷夏樹さん?」 「……いいさ。君の勝ちだ。認めるよ、遠坂圭吾を殺したのは僕だ」 開き直った捨て鉢な笑顔を浮かべて狩谷は言った。速水は微笑みながら聞いてやる。 「いい覚悟ですね。捕まることを覚悟していたとでもおっしゃりたそうですが?」 「……そういう可能性も考えていなかったわけじゃないさ。だが、僕はそれでも遠坂圭吾を殺さないわけにはいかなかった」 「へえ」 「な……なんでだよっ! 相談役してたんだろ、世話になってたんだろ!? 奨学金までもらってたのに、なんで殺さなくちゃならなかったんだよっ!」 狩谷はく、と顔に歪んだ嘲笑を浮かべた。 「馬鹿だな。本当に馬鹿だ。まぁ、僕も学生時代はその馬鹿だったわけだけどな――遠坂家の御曹司ともあろう者が、いくら優秀だからってなんの実績もない一学生を純粋に相談役に迎えたりするわけがないだろう?」 「……へ?」 「遠坂圭吾は、僕に変態的な感情を抱いていたんだよ。だから僕を相談役に迎えたんだ」 「え……ええぇ―――っ!?」 仰天して滝川は叫んだが、速水と舞は平然としていた。そんなことはとっくのとうに熟知していたことなのだから。 「あいつは本物の変態だった。初めて会った時からこうしたかったなんて言って、僕を相談役に迎えたその日から……僕の、僕の……」 狩谷はぐっとうつむき、叫んだ。 「靴下の匂いを嗅ぐんだ!」 「………は?」 滝川がぽかんとしたように口を開ける。狩谷は堰を切ったようにまくし立てた。 「それだけじゃない、僕の靴下をおかずにパンを食べたり、靴下でだしをとって飲んだり、靴下を……靴下を、あそこに巻きつけたりするんだ……! それをすべて僕の目の前で、僕に見られながらやるんだ! 僕に視姦されながら僕の靴下を堪能するのがたまらない、とか言って! 毎日毎日靴下靴下靴下靴下! 僕は……僕は、気が変になりそうだった……! 限界だったんだ!」 「……なんで靴下なんだ?」 「靴下をなにより愛好する人々……ソックスハンター。それは上流階級にも多く存在し、政財界に隠然とした勢力を誇っている。遠坂圭吾はその中でも有数のソックス愛好者だった」 「…………なにそれ…………」 呆然とする滝川をよそに、狩谷は狂ったように笑い叫ぶ。 「だからあいつを殺したことなんか微塵も後悔していない。もし生き返ってきたら、そのたびに殺してやるさ! あんな変態、二度と存在すら思い出したくない! あいつの変態行為にこれ以上付き合うくらいなら、刑務所に行った方がマシだ!」 「なるほど。けっこうな覚悟ですね?」 速水はにこにこと笑顔になりながらすっと狩谷の前に立った。すっと契約書を差し出す。 「ですが、あなたに刑務所に行かれては困るんですよ。遠坂家の御曹司がソックスハンターだった、なんて醜聞を世間に知られるわけにはいかないのでね」 「……この契約書は……」 狩谷は奪い取って読み始める。次第に狩谷の顔に嘲るような色が浮かんだ。 「ふん、僕に沈黙の代わりに一生涯の生活の保障をしてくれるっていうわけか。警察の犬じゃなくて遠坂家の犬だったわけだ」 「僕はただ双方にとって幸福な結論を導き出そうとしているだけですよ。あなたも刑務所に行かないですむのならその方がいいでしょう? 刑務所では線の細い美形はいろいろと需要がありますからね」 「…………」 「え、ちょっと待てよ速水! それじゃ狩谷のこと見逃すってことか!? 駄目だよそんなの、こいつは人を殺し――」 「少し黙れ、滝川」 「むがむがむー!」 舞の手に口を塞がれて、滝川は口を開けなくなった。速水は笑顔で狩谷に言う。 「どうですか、サインしていただけますか、狩谷夏樹さん?」 「……ふん、まぁいいさ。取引に応じてやろうじゃないか」 狩谷は嘲笑を浮かべながらサインする。拇印もしっかり押させると、速水はにこにこ笑顔で舞に言った。 「サインしたの、見たね?」 「ああ」 「岩田さんもご覧になりましたね?」 「もちろんですゥゥゥ、フフフ」 「な……なんだ、急に」 うろたえて周囲を見渡す狩谷に、速水はにっこりと笑う。 「いえいえ、なんでも。ただあなたもずいぶん物好きだなと思っただけですよ。靴下愛好家から逃れるために人殺しまでしたのに、また自分を靴下愛好家たちに身売りするとはね?」 「………な!?」 愕然とする狩谷に、速水は相変わらずのにこにこ笑顔で言う。 「ここに書いてあるでしょう? 『一週間に一度生活資金の提供者と会う義務を負う』。この提供者が遠坂家の当主だなどとはどこにも書いてないでしょう?」 「………まさか………!?」 「そう、この提供者というのは上流階級の靴下愛好家のみなさんですよ。もちろん会うだけで済むわけがないのはおわかりですね? 線の細い美形眼鏡青年の靴下はいつだって需要があるものでしてね。中には圭吾氏よりも下品で、自らの奴隷に対して容赦のない人もいるでしょうね。靴下だけで済めばいいですねぇ?」 「き、きさ、貴様………その契約書をよこせ!」 「よこすわけがないでしょう?」 必死に腕を伸ばす狩谷の手を、速水はゆうゆうと避けて笑ってみせる。 「そ……そんな契約は無効だっ! 同意のない契約なんて……!」 「あなたは熟読の上この書類にサインした。弁護士立会いの下でね。僕も舞も弁護士資格は持ってますから。これは正式な契約ですよ。違反すれば違約金の支払い義務が生じます」 「違約金……?」 「とりあえずざっと一千万ドル。あなたの資産のざっと十倍ですねぇ? しかもこれは即金での支払い以外は認めないって書いてあるんですよ契約書に。街金だって九百万ドルも返済能力のない人間に貸しはしないでしょうねぇ?」 「そんな……そんな……!」 「逃げても無駄ですよ? このあとあなたは遠坂家の監視下に置かれます。とりあえずここの地下牢に監禁、って決まってるんですよ。契約書にも『遠坂家の指定した場所にて居住すること』って書いてあるでしょ? 遠坂家の当主があなたにどんな報復をするか楽しみですね?」 「そんな………!」 真っ青になって、がたがたと震え始める狩谷に、速水はにこにこ笑顔で言ってやる。 「まぁ、場合によってはこの契約書、破り捨てないでもないんですけどねぇ……」 「!」 わずかな希望に喜色を浮かべる狩谷。速水はこれ以上ないほどの笑顔を浮かべる。 「もしあなたが伏して頼むというんだったら、考えてあげないでもないですけど?」 「………っ………」 狩谷は屈辱に唇を噛み締めたが、逡巡は一瞬だった。小さな、小さな声でうつむきながら言う。 「……します」 「聞こえないなぁ? なんて言ってるんですか?」 「お願いします……契約書を破り捨ててください」 「お願いするんだったらもう少し口の利き方があるんじゃないですか? 僕は初めて貴方に会った時、なんて言いました?」 「……どうか許してください、速水様………」 怒りに青ざめた顔で唇を噛みながらも、以前速水が言った通りに言う狩谷に、速水はにっこり笑って言った。 「さんべん回ってワン、と言って土下座したら考えてあげなくもないですよ」 「…………っ!!」 狩谷はその場で車椅子をくるくると回し、頭を膝にくっつくほど下げて言った。 「ワン!」 「頭の下げ方が足りないんじゃないですか? 椅子に座ってるの土下座っていいます、普通?」 「………………っ!!!」 狩谷は腕の力でずるう、と車椅子から滑り落ち、床に頭を擦りつけて叫んだ。 「ワン! お願いしますどうか許してください速水様!」 速水はにっこりと笑い、それから氷よりも酷薄な表情になって言った。 「いやだね」 「…………っ、きさ、貴様…………!!!!」 「お前は僕を怒らせた。飽きられるまで靴下愛好家どもに可愛がってもらうがいいさ。そのあとは遠坂家の地下牢で死ぬまで幽閉されていろ。食事を届けられるのを忘れて餓死されるかもしれないけどな?」 「…………!」 「いいことを教えてやろうか、狩谷夏樹?」 速水はまたにっこり微笑んで、狩谷の耳元に口を寄せて囁いた。 「滝川をいじめていいのは、僕だけなんだよ」 「……えーと、結局どういうことになったわけ?」 狩谷が運ばれていき、とっとと退散するよと速水が宣言して、滝川は来た時と同じように車を運転していた。隣には速水が、後部座席には舞が乗っている。 「とにかくめでたしめでたし、なんだよ。犯人は遠坂家に引き渡したし、報酬もたっぷりと手に入った。遠坂家に貸しを作ることもできた。いつも通りの仕事の終わりさ」 「……そうなの?」 「そうなんだよ」 力強くうなずかれて、そうなのかな、となんとなく納得した。最後の方の速水と狩谷の話はよくわからなかったのだが。 でもめでたしめでたしって速水が言うならいいや、と滝川は元気になって言った。 「あのさ、今回の仕事は俺楽しかった!」 「へぇ? なんでだい?」 「だって先輩にも森にも会えたし。それに……」 滝川はちょっと照れくさくなりながらも笑顔で言う。 「芝村のカッコいいとこ、見ることも、できたし、さ」 「……なに?」 少し驚いたような舞の声に、滝川は照れ照れと説明する。 「いやー、あのさー、あの泥棒に俺が捕まりかけた時さぁ、芝村が助けに飛び込んできてくれたじゃん? あれ見てさー、なんつーかすっげーカッコいい! って思ったんだよ俺! まるでヒーローみてぇ、ってさー! なんつーの、芝村ってなんか、俺の身近なヒーローとか、そういう風になったっていうか……」 「滝川」 「ん? なんだよ速水」 「チェイッ」 ドムッ! と音を立てて速水の拳が滝川の腹に叩き込まれた。滝川は反射的に急ブレーキを踏む。強烈な衝撃に息が止まった。 「別に君が誰を英雄視しようといいけどね、お喋りに夢中になって運転がおろそかになってたよ? 少し揺れたじゃないか。気をつけなくちゃ駄目だろう?」 「………別に、揺れて、ないじゃ………」 「揺れたよ。気づいてなかったの? ああそれと、今回の事件で君はずいぶんとこちらに面倒をかけさせてくれたよね? その分おしおきポイントの加算をしなくちゃね」 「……え゛!?」 「狩谷への聞き込みの時邪魔したからおしおきポイント+1。ソックスバトラーを捕まえる時足手まといになったからおしおきポイント+1。狩谷を追い詰める時無駄に騒いだからおしおきポイント+1――これでおしおきポイントの合計はぴったり300ポイント。スペシャルおしおきコース決定だね♪」 「え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛――――っ!?」 絶叫する滝川に、速水はにっこり笑って言ってくる。 「雇い主に対して、なにか文句がある?」 「………ないです………」 半泣きになって滝川は答え、運転に集中した。いっそ事故ってしまえば、とも思うが速水や舞に怪我をさせるわけには行かない。 ちくしょー、と落ち込む滝川を、速水がひどく幸福そうな表情で見ていたのには、滝川はまるで気づかなかった。 そして、それを見ていた舞がやれやれ、と肩をすくめたことにも。 |