新鮮な水を
「……は? あの……探偵さん?」
 部屋のソファに座り事情聴取を受けていたメイド服を着た少女が困ったような顔をした。
 そりゃ普通警察に事情聴取を受けている時に探偵が出てきたら困惑するだろう。しかし速水はそんな事情は歯牙にもかけず少女を上から上目遣いという器用な方法で見た。
「はい。僕はこれでも結構名を知られた私立探偵なんです。今あなた方が陥っている事件という名の逆境から抜け出すお手伝いができればと思ってやって参りました。そういうわけなのでこの屋敷の責任者の方に、速水厚志が来たと言って頂けませんか? 多少なりとも事件解決の助けになれるかと思うのですが」
「は、はあ……」
 眼鏡をかけたメイド少女はにこにこ笑いながらの速水の弁舌に気圧されて身を退いた。言ってることはメチャクチャなのだが何故だか妙に威圧感がある。
「……速水君……今、我々は彼女に事情聴取をしていたところだったんですが……」
「あっ、善行さん、いたの? ごめーん、全然気付かなかったv」
 それいくらなんでもムチャだろうというくらい白々しく速水はてへっvと笑った。
 善行忠孝。クマモト警察でも随一の検挙率を誇る優秀な刑事である。
 階級は警部。何度も事件の捜査を共にしてきた速水にとっても旧知の男だ。
 速水の力″を知っている分、速水にとってもやりやすい。
「事情聴取どのへんまで進んだの? 僕も一緒にいていいよね? 彼女の事情聴取が済んだら事件の詳しい説明聞かせてくれる?」
「……速水君、言っておきますが警察では基本的に部外者の介入を受けることを一番嫌うものなんですよ? あくまで一民間人にすぎないあなたが、当事者の依託も受けないうちからどうして捜査に――」
「やだなあ善行さんてば、僕たちと善行さんの中でそんな水臭いv それに――」
 速水は唇に笑みを乗せたまま、眼だけを急に冷徹なまでにシビアにして言った。
「十一月十七日、クマモト警察署、会議室。……なにがあったか、覚えてるよね?」
 その言葉を聞いたとたん、善行ははーっとため息をついた。そしてのろのろと顎をしゃくって、速水を促し――
「あ、先輩先輩センパーイ! やっぱ先輩も来てたんですねー!」
 場違いに朗らかな声にちょっとこけた。
 ようやく、速水に追いついて来て部屋に入ってきた滝川が声を上げて、とてとてと来須刑事のそばに寄ってきたのだ。
 来須銀河。善行の子飼いの部下の一人の優秀な刑事である。
 ――のだが、彼は滝川の学生時代の先輩であるせいか、常に滝川に先輩先輩と慕われまくっているのである。そりゃもう鬱陶しいくらいに。
「先輩、体のほうだいじょうぶですか? 病気したりはしてませんよね? あ、別に先輩がそんなに簡単に病気にかかるとか思ってるんじゃなくて――」
 慌て気味に喋りたてる滝川に、ポン、と来須は手の平を頭に置いた。そしてそのままわしわしと撫でる。
 最初は驚いた滝川も、すぐに安堵したようだった。気持ちよさそうに目を閉じ、えへへ、と笑う――その背後にいきなり速水が立った。
「……滝川?」
 びくぅ、と条件反射で身をすくませる滝川。速水はにこにこ笑いながら、おもむろに握った拳を滝川のこめかみに当てた。
「君はなにをいきなり出てきて話を中断させてるんだい? 僕は今まさに善行さんとの大事な話をしようとしていたところだったのにぐりぐりぐりぐり」
「痛い速水痛い痛い痛い痛いっ!」
「君は全く状況と言うものが見えてないようだね。ここは僕が雇い主としてきちんと君をしつけてあげるべきなのかなあぐりぐりぐりぐり」
「痛い、速水、痛いってば、ごめんなさーいっ!」
「……今……事情聴取してたところだったんですけど……」
 善行の言葉が半ば枯れたように空しく響いた。

「あの……す、すいません、執事の岩田さんを呼んできました」
 部屋の外からおずおずと声がかかる。
「どうぞ。お入り下さい」
 入ってきたのはさっきの眼鏡をかけたメイド――田辺真紀と、純白の執事服に妙な化粧を顔に施した背の高い男だった。
 善行がかなりいやいやに口を開く。
「ご紹介しいます、岩田さん。こちら速水厚志君。私立探偵です。あなた方――遠坂家に雇ってほしいということなんですが」
「探偵、タンテイィィィ! 探偵ということは僕の秘密を探りにきましたねェェ!? それは秘密、秘密ゥゥ! 秘密だから秘密、フフフ」
「……なあ、芝村。この人って、アレなのか?」
「社交界では有名だな、遠坂家御曹子付きの変態執事。あれで頭は切れるらしいぞ、あの言動で既に執事としては失格だと思うがな」
 急にグネグネと体を動かしながら妙なことを叫ぶ岩田と呼ばれた男に気圧されながら、滝川はこっそり舞に話しかけた。
 舞は毛ほども動揺した様子がない。
 そしてやはり毛ほども動揺せず、速水が立ちあがって岩田に礼儀正しく話しかけた。
「はじめまして岩田さん。ただいまご紹介にあずかりましたクマモト・シティで私立探偵を営んでいる速水厚志と申します。さて、早速ですがこの度のそちらの事件の捜査に加わることを許可していただけませんか? もう警察の方に許可はいただいてます(ここで善行ははーっとため息をついて肩を落とした)。警察の捜査の邪魔はいたしません――というより、お力になれると思うのですが」
「ふふふ、不・許・可。人を見たら泥棒と思えとジャン・ヴァルジャンも言ってますよククク」
 腰を猥褻に揺らしながら岩田。
 要するに信用できないと言っているらしい。言動は妙だが、言ってることの筋は通っている。
 だが速水も負けてはいない。
「ご心配なく。秘密が厳守されるのは警察の方々が僕たちを同席させたことでおわかりでしょう? それにはっきり申し上げますが、僕は優秀です。三日以内に犯人を特定出来なかったら罰金を払ってもよろしい。遠坂家の方々にとってははした金でもしがない探偵にとって金を払うということがどれだけ負担になるかはおわかりでしょう? それだけの実績と自信があるということですよ」
 目をわずかに伏せて、誘うように岩田を上目遣いで見上げながら速水は言う。
 岩田は頭と腰を同時に振りながら答えた。
「フフフ、あなたはなにが望みなのです? 僕のカラダですか? それは変態、変態ィィィ!」
「ンなわけねーだろ!? …おうっ!」
 小声で言った滝川に後ろも見ずに裏拳をかまし、速水はにっこり笑った。
「それはあなた方のお気持ち次第です。全てが片付いたのち、僕たちの働きに見合うと思われるだけを支払っていただければ」
「……あなた、なにか企んでいますねェェ? 托卵はたまらん! なんちゃってククク」
「つまんねーよ……おぎゃっ!」
 頭を押さえながら言う滝川に目にも止まらぬ早さで手刀を入れ、速水は艶然と微笑んで言う。
「ええ、もちろん!」
「…………」
「…………」
 しばしの沈黙。
 やがて岩田が急に姿勢を正し、ひどく冷静な顔で小さく笑った。
「いいでしょう。あなたを雇います。田辺! 新井木と一緒に、すぐこの方々の部屋も用意してさしあげなさい。警察の方々のすぐ近くになるように。それと御用を申しつけられたら最大限に便宜を図ってさしあげること! いいですね?」
「は、はい、岩田さん!」
 善行ははーっとため息をついて胃を押さえた。速水の仕事はいつもこんな風なのだ。
 難事件を抱えた上流階級のところへどこからか話を聞きつけ押しかけて、弁舌と強引さと時には色仕掛けでむりやり仕事をもぎ取る。
 そして本当に言葉通りあっという間に解決してしまうのだから警察としては立つ瀬がない。
 しかも速水の仕事はそれだけでは終わらない。そうして得た金を使って、大会社相手に壮絶な仕手戦を繰り広げたりするのだ。
 それに探偵の仕事で得た情報を使う。もちろんそれをネタに脅迫するなどということはないが、それぞれの家の恥を知られているというだけでも各家にとってはプレッシャーだし、各家の人間関係から趣味嗜好に至るまで知られているということはどこをつつけば相手に一番堪えるか知っているということなのだ。
 さらにその情報をつかんでいることや恩義を利用してとんでもない情報網を作り上げているし、かてて加えて政財界に強い影響力を持つ芝村一族の末姫が共同経営者だというのだから怖いものなしだ。
 速水は政財界では恐怖と羨望を込めてその名を囁かれ、警察関係者には悪魔の如く恐れられる存在となっている(下手すれば自分の弱みも握られるかもしれないから)。
 確かに彼はおそろしく優秀な探偵なんだが、と善行は速水を見た。
「え……えと、じゃあ、お茶お持ちしますね」
「あ、僕フォートナム・メイソンのロイアルブレンドティにミルクとスコーンをそえて。ジャムとクロテッドクリームも忘れずにね。それとミルクはヘレフォード種のを」
「私はハロッズのアッサム・ケルングをロイヤルミルクティで。ミルクはジャージー種で頼む」
「俺ケーキ! あと食いもんいっぱい持ってきて! 飲みもんは牛乳!」
「……君達……少しは遠慮というものを……」


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