沸騰するまで
「言っとくがな、まだ他殺と決まったわけじゃないんだぞ? むしろ自殺の公算の方が強いんだ」
 やや苦々しい顔でそう言ったのは若宮康光。来須と同じく善行の子飼いの部下だ。
 二人とも180を軽く超える長身にムキムキと筋肉をつけているため、二人が並んでいると大抵の人は威圧されて声もまともに出せなくなる。
 だが速水は当然ちーともプレッシャーを気にした風もなく微笑んだ。
「それは話を聞いてから考えるよ」
 そう言う速水の両隣で舞は静かに紅茶を楽しみ、滝川は出されたケーキやらスコーンやらクッキーやらを食べまくっている。
 若宮は滝川にちらりともの言いたげな視線を送った。
 ん、と滝川が若宮の視線に気付いた。へへっ、と嬉しげに笑って手元の皿を若宮に差し出す。
「若宮さんも、食べる?」
「お、いいのか?」
 嬉しげに若宮が差し出す手に、滝川が笑って皿を渡そうとする――その手に速水が手を置いた。
「あ、あの……速水……?」
 ビクビクした目で見る滝川に、速水はにっこり笑った。
「滝川、マッサージをしてあげよう。ほらほらぐいぐいぐい」
 的確に手の甲のツボをぐいぐいと押す速水。
「あだだだだ、痛い痛い痛い!」
「君はどうして話の腰を折るような事ばかりするんだいぐいぐいぐい。第一君は一応応急的にそういうことにしておいてあげない事もないことに僕の助手なんだからきちんと話を聞いておかないと駄目じゃないかぐいぐいぐい」
「いだいいだいいだいって速水!」
「ほら若宮さん、早く聞かせてよ。あ、これ(と滝川を指して)のことは全然気にしなくていいからね♪」
「………」
 若宮はいいのか? と思ったが、速水の笑顔になんとなく身の危険を感じたので、話し出した。

「さあ皆さん、存分に召し上がって下さい! 足りなければいくらでも運ばせますよ!」
 ワイングラスを高高と掲げて、この屋敷の一応の主人、遠坂圭吾は言う。
 この屋敷に招待されている彼の個人的な友人たちのため、今夜はパーティーというほど大げさではないがごく内輪な晩餐会のようなものを催していた。
 もっともごく内輪と言ってもそれは遠坂家での話である。明らかに人数分の胃袋の許容量を超越した量の料理がどっさりと積み重ねられ、食卓の上だけはパーティ並に賑やかだった。
「そんな、ご冗談を。殿方ならともかく私たち女性はこれだけ食べるだけでも四苦八苦していますのに」
 と言いながら既に成人男性の平均的食事量をはるかに超えて食べまくっているのは地方に広大な土地を所有する大地主、壬生屋未央だ。
「はいデス。あまりゴハン無駄にスルの、よくないデスよ?」
 そう言ったのは石炭で一財を為した小杉家の御令嬢、ヨーコ小杉。
「確かに私たちには少々多すぎますが……さすが圭吾さんの選んだコックですね、味は最高だ」
 ほとんど食べていないくせににっこり微笑んでそう言うのは茜大介。その美貌と才知で最近社交界の薔薇という恥ずかしい名で呼ばれている若き大学教授だ。
「そうおっしゃっていただけると嬉しいですよ。石津さん、加藤さん、お口に合いますか?」
 遠坂が声をかけたのは、少し離れたところで並んで食事している二人の女性だった。
「……ええ……」
 小さく頷いたのが最近評判の占い師の石津萌。遠坂が今日の余興として呼び寄せた者だ。
「ええ……おいしゅういただかせてもらってます。せやけどほんまにウチなんかがご一緒に食事させてもろてよろしいんですか?」
 不安げな声で銀行員の加藤が言う。彼女は遠坂の客ではなく、岩田に仕事の話で呼ばれ、話をしているうちに遅くなったので泊っていくよう薦められた人間だ。
「もちろんですとも! 遠慮は無用ですよ、たっぷり召し上がって下さい」
 いかにも御曹子然とした顔で遠坂が笑った。
 そろそろ食事も終わろうかという頃、遠坂が立ち上がる。
「皆さん、ちょっとお聞き下さい。是非皆さんに紹介したい方がいるのです」
 パチッ、と指を鳴らすと食堂の扉が開いた。メイドの一人、新井木勇美が眼鏡をかけた青年の乗った車椅子を押して入ってくる。
「……?」
 見覚えのない青年に茜は怪訝な顔をした。茜は遠坂家の内情をかなり正確につかんでいると自負している。だが車椅子の青年は茜の知っている遠坂家の関係者リストの中にはいなかった。
 がた、と加藤が勢いよく立ちあがって叫んだ。
「な、なっちゃん!」
 遠坂が怪訝そうに加藤の方を向く。
「おや、加藤さん、どうかしましたか?」
「え……いえ、なんでも、なんでもありまへん……」
 加藤は自分に視線が集中していることに気付き真っ赤になって腰を下ろした。
 それを気にした風もなく、遠坂は実に嬉しそうに車椅子の隣に立つ。
「ご紹介します、僕の仕事や私生活のオブザーバーをやってくれている、狩谷夏樹君です」
 遠坂がほとんどひざまづかんばかりに恭しく、狩谷の車椅子を自分の隣の席に押してきた。
 狩谷は全くの無表情で客たちのほうを向き、抑揚のない声で言う。
「狩谷夏樹です。よろしくお願いします」
 茜はまた怪訝に思った。
 そりゃ金持ちがブレインを求めるのはよくある事だが、遠坂圭吾の実務を実質的に取り仕切っているのは執事の岩田裕だ。一体何を意見してもらう事があるというのだろう。
「ああ本当に狩谷君はすごいのですよ。高い知性と高潔な品性、どんなことにも卓越した見識を持ち、その精神の高次性といったらどんな聖人もそうはいかないだろうと思われるほどで、少々足が不自由なのですが、そんな事とはなんの関係もなく素晴らしい人なのですよ」
 足、と遠坂が口に出したとたん狩谷はギッ、と凄まじい目で遠坂を睨んだ。
 だが遠坂はそれに全く気付いた様子がなく、笑いながら話し続ける。
「彼は普段あまり人と会わないので、いい気晴らしになるだろうと僕が部屋から連れ出してきたんです。みなさん、どうぞ仲良くしてあげて下さいね」
 戸惑いながらも客たちは頷く。
 それを見て遠坂は嬉しげに笑い、立ち上がった。
「さあみなさん、食事もお召し上がりになったようですし、サロンに行きましょう! 今日は楽しい夜になりますよ!」

 サロンに全員が集まり、お茶とお菓子が行き渡ると、早速石津の占いが始まった。
 石津の占いはあまり仰々しいものではなく、水晶球を取り出して念じるだけなので話の進みは早かった。
 めいめいが占ってほしいことを石津に告げる。それに石津は何事か口の中で唱えて水晶球をしばらく覗いただけで次々に答えていく。
 だがその言葉ははなはだ甘味に乏しかった。
 結婚運を聞いてきた壬生屋には「趣味を許容してくれる人を見つけなければ望みなし」と言い、金運を訊ねた小杉には「自分の悪癖を治して節約に努めよ」と、仕事運を訊ねた茜には「今一番望んでいることはかなわない、もう一度目的を見つめなおすべき」と言ってのけた。
 白けた雰囲気が漂い始めたことに気付かず、遠坂はうきうきと加藤に話しかけた。
「さあ、加藤さん。今度はあなたですよ」
「……はい……」
 加藤はさっきまでひどく気後れしていた事など全くうかがえない思いつめた顔で、ひたすら狩谷をじっと見つめていた。
 だが遠坂に言われ、スッと目をそらして石津に向き直る。
「……恋愛運、占っていただけますか」
「……恋愛運、ね……」
 石津は水晶球に手をかざした。水晶球に変化があるわけではないのに、なんだか雰囲気は息詰まるような神秘的なものになっていく。
 しばらく手をかざして、石津は手を元に戻した。
「……あなたの……気持ち、相手に……届いて……ない……。相手……は……ひどく、心を……閉ざして……る……。さっさと……他に相手を……見つけるか、急いで……自分のものに……してしまわないと、想いは……無に……帰す……」
「……ありがとうございました」
 明かに沈んだ表情で加藤がうつむく。
 雰囲気がずーんと暗くなるが、遠坂はちっとも気がついた様子なく次は狩谷に占ってもらうことを勧めた。
 しかし狩谷は「結構です」と固辞したので、遠坂はそれ以上勧めることなく「では僕の番ですね」と嬉しげに微笑んだ。
「僕は……そうですね、全体運を。僕の生活がこれからどう変化するか、知りたい」
「………」
 石津は頷いて、水晶球に手をかざした。
 やいなや、顔を険しくして遠坂に顔を向ける。
「あなたの……将来は……闇に閉ざされて……いる……。闇……縄……宙に浮く体……。思いは……空回り、憎しみを……向けられる……。早く……逃げなくちゃ……駄目」
「ちょっと、あなた……」
 壬生屋がいきり立って石津に詰め寄ろうとした。今のはまるで死の予言ではないか。
 慌てて小杉に取り押さえられるが、遠坂はそれにも気付かず首を傾げた。
「なんのことだかよくわかりませんね。まあ、ともかくありがとうございました」

「それでその後、全員十二時頃までおしゃべりしてから寝室に……おい、聞いてるのか?」
 そう聞いたのは速水がさっきからえんえんと滝川をいぢめ続けていたからである。
「滝川ー、鼻をぎゅっとつまんでみてくれる?」
「んー? ほうは(こうか)?」
「えいっ」
 強い力で鼻をつまんでいた手を叩き落とす。
「うわぁ! 鼻が痛ぇ!」
「おばかさんだね滝川。君は僕の助手というかその心得見習と言えば言えないこともないような存在なんだからもうちょっとしっかりしてくれない?」
「おい!」
 若宮に声を荒げられ、速水は若宮のほうを向いて微笑んだ。
「やだなあ、ちゃんと聞いてるよ。遠坂御曹子に占い師が死の予言をしたんでしょ? ちゃんと聞いてるから心配しないで」
「………」
 そりゃ確かにちゃんと聞いてはいるだろう。速水は優秀な探偵だから。
 しかし仕事の片手間に滝川をいぢめると言うか、滝川をいぢめる合間に仕事をしているように見えるのは、やはり問題なんじゃないかと若宮は思った。


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