君に届けるある冬の一日
「やーやーみんな、今日も元気だね! ちゃんとご飯食べてるようでなによりなにより」
「……あんたな。毎朝毎朝朝っぱらから押しかけんじゃねぇよ、別になんか用があるわけでもねーくせに」
「いやいや、しばらく一緒に旅をする相手と親しくなっておくのは大事なことだよ? 交流して信用と信頼を得ておかないと、いざ危なくなった時とかに見捨てられたりしちゃうかもしれないし!」
「しませんよそんなこと……俺たちのことをなんだと思ってるんですか」
「いやいや確かにサヴァン殿の言う通り、旅の連れにある程度好感を得ておくのは大事だぞ。義務感で助けるのと相手がいい男だから助けるのとでは気合の入り方も違うだろう?」
「いい男ってんっだよそりゃ、俺らまでてめーの変態趣味に巻き込むんじゃねーよっ!」
 大声で喋りあうサヴァンと仲間たちを、仲裁に入った方がいいのだろうかとおそるおそるうかがいながら、セオはこくんとカップに入った牛乳を飲んだ。まだ朝食の途中なのは確かだったので。本来ならわざわざ自分たちに会いに来てくれた相手を前に食事をするなど失礼だとは思うのだが、サヴァンには『しばらく一緒に旅するんだから気を遣わなくていいよー』と言われているのだ、気遣わせてしまうのも申し訳ない。
 ロンが無事賢者に転職してから今日で三日目。まだ自分たちはダーマにいる。
 その一番大きい理由はもちろんロンが本調子でないことだった。詳しく話してはくれなかったが、賢者への転職というものはロンに強い負担をかけてしまったらしく(転職した際の能力の低下とはまた別に)、心身に職業を馴染ませるのに三日くれ、とロンは自分たちに頼んだのだ。
 もちろんセオとしては否やはないし、ラグとフォルデも同意してくれた。七日(つまり、今日)にラグの母であるヒュダの誕生日があるのでラグがアッサラームへ戻ることになっていたこともあり、しばらくダーマに腰を据えよう、と互いに相談して決めたのだ。
 その間に世界一の蔵書量を誇るといわれるダーマ図書館の書庫をあさり、旅の予定について考えよう、ということになっていたのだが、そこにやってきたのがサヴァンだった。
「とりあえず、今すぐ向かわなきゃなんない目的地がないんだったら、僕を船に乗せてくれないかな? 連れていってほしい場所があるんだけど」
 笑顔で言った言葉にフォルデはなんでてめーの使い走りやんなきゃなんねーんだと怒ったが、サヴァンの『連れていってくれるならロンくんの教師になって賢者の修行方法について教えてあげる』『目的地は君たちの旅にも有用な場所なんだよ』という説得に(渋い顔はしていたが)同意した。ラグもロンもその目的地の話を聞いて乗り気になったし、セオは最初から拒否するつもりはない。
 そういうわけで、自分たちはサヴァンとしばらく一緒に旅をすることになり、この三日間は毎日顔を合わせているのだった。四六時中というわけでもないが、全員集まる食事の時間には必ず宿を訪れるし、宣言通りロンの修行の時も必ず現れると聞いている。
「そーいやお前、あのクソ女についてなくていーのかよ。お前あいつに飼われてるんじゃねーのか?」
「飼われてるって……フォルデお前な」
「あーそっか、そういえば言うの忘れてたね。僕、オクタビアさんとの契約はもう完了したんだよ」
「へ? 完了って」
「あなたは、オクタビアさんと契約を結んでいたんですか?」
「うん、そうだよ。あの人は根っからの商人だからねー、契約結んでおかないと落ち着かなかったんじゃないかな。基本的にはお互いの好意と信頼に拠る約束にすぎないんだけどね。まぁ、おかげで僕もちょっとお給料もらえたんだけど。助かっちゃったよ」
「ほう……なるほど。なかなかあこぎな手を使われる。参考になります」
「参考例提示料払ってくれる?」
「船舶使用料の額次第では」
「ふふふー、いいねいいねー、頭の方もだんだん働いてきたんじゃない?」
「おかげさまをもって」
「お前ら二人で妙な世界作ってんぞ……」
「賢者同士の会話ってやつなんだろ。さて、じゃあ俺はそろそろ行くから」
 立ち上がったラグに、サヴァンはきょとんとした顔をする。
「あれ? どっか行くの、ラグくん?」
「ええ、まぁ。母が今日誕生日なので、祝いに故郷まで」
「ふーん、そうなんだー。親孝行だねー、ラグくん」
 サヴァンはにこにことうなずいて、それからぽんと手を叩き言った。
「そーだ、ならせっかくだから仲間孝行も一緒にしてみたら?」
「は?」
「実はねー……じゃーん! 今日はこんな日なのでありましたー」
 サヴァンが懐から取り出して突き出した紙には、こんなことが書いてあった。
『一月七日は仲間記念日! 普段仲間に世話になっている冒険者のあなた、一年分のお礼をこの日にまとめて返しましょう!』
「……んっだよ、こりゃ」
「ん? 見た通りだよ? 一月七日は仲間記念日! パーティを組んでいる冒険者の人が、仲間に日頃の感謝を表すための日なんだー」
「…………!」
 セオは大きく目を見開いた。そんな、そんな日が、この世にあったなんて!
「……そんな日、ありましたっけ? ダーマの暦はよく知りませんけど」
「うさんくせぇなー……お前今作ったんじゃね?」
「そんなことないよ! 仲間記念日は古くから伝わる由緒ある祭日なんだから! そもそもの由来はダーマでも老舗の商店が商店街の活性化のために作ったという」
「微塵も由緒なんぞねーじゃねーかよ!」
「あっはっは、まーいわれはともかくさ、そういう日がダーマにあることは確かなんだから。せっかくだからお互いに感謝の気持ちを表しあったりしてみたら? こういうきっかけがないと気持ちを形にしたりできないでしょ」
『…………』
「っつーかな、そもそもなんで感謝の気持ちなんてもんを表さなきゃなんねーんだよっ! 俺はそーいう、なんつーか、おキレイな建前がいっちばん嫌ぇなんだっ!」
「なら本音の気持ちを込めて形にしてみればいいじゃない」
「っ、だから、そーいうのは……いちいち形にするもんじゃねーだろっつってんだ! そーいうのは、こー、心の中だけにしまっとくのがいいっつーか」
「わー、フォルデくんってば男の子だねv 可愛いこと言うなー」
「っっっ……てっめぇなぁっ!!」
「おっとっと」
 胸倉に掴みかかったフォルデの手を素早くさばき、サヴァンはにっこりと自分たちに笑いかけてみせる。
「まぁ、決めるのは君たちだからね。もちろん嫌だっていうんならいいけど? ただ僕はこういう催しごとをきっかけにお互いに対する好感をぐぐーっと引き上げられたら楽しいんじゃないかなーって思っただけだから♪」
『…………』
「だ……っから好感なんぞ引き上げたく……っ。……っ!」
「……失礼します。そろそろ急がないと、時間に遅れてしまうので」
「ふむ。とりあえず修行場に行くとするか。……さぁて、どうするかな……」
 フォルデたちはそれぞれ素早く朝食を腹に収めると、立ち上がった。セオはそれをひたすらに呆然と見送る。サヴァンが隣の席にちょこなんと腰掛け、微笑みかけてきた。
「仲間のみんなはああ言ってるけど。セオくんは、どうする?」
「…………。………………」
 セオはのろのろとサヴァンの方を見た。震える唇を動かして、おそるおそる口にする。
「ほん……とうに、感謝を表して、いいんで、しょうか?」
「うん、もちろん! そのために作られた日なんだもん。贈り物するのでもいいし、パーティするのでもいいし。自分の気持ちをありったけ表して、ありがとーって伝えていいんだよー」
「ほんとうに……本当に、いいんでしょうか。ご迷惑じゃないでしょうか。余計なことするなって、思われるんじゃないでしょうか」
「だーいじょうぶ、そういう気持ちを解決するためにある日なんだから! 特別な記念日にはうんと気合入れて祝っていいんだよー。ハレの日とケの日ってやつ。知ってるでしょ?」
「………はい」
 のろのろとセオは立ち上がった。そうしなければ昂ぶる感情のあまり倒れてしまいそうだった。
 気持ちを、表していい。全力で。あの人たちに対する感謝を、ありがとうとめいっぱいの心で言いたい気持ちを、全身全霊で表していいと、許可された。
「……行って、きます」
「はーい、行ってらっしゃーい」
 手を振るサヴァンに一礼し、セオは宿の食堂を出た。体の底から、溶岩流よりまだ熱い感情の奔流が噴き出している。暴発しそうなその熱を抑えるために必死に地面を踏みしめて歩いた。
 今日、この日。この日に全力で感謝を表せなければ、自分の生きている甲斐はない。
 顔を上げ、周囲にある情報をありったけ拾い、全脳細胞を最大限に酷使してセオはお祝いの案を練り始めた。
 そのあまりの気迫に(普段なら気付かれない方が多いのに)、周囲の人間が思わず道を開けて敵軍の将軍でも見るかのような恐怖と畏怖を込めた視線を向けてきていることや、サヴァンが振っていた手を下ろしてから「燃えてるねぇ。……ちょっと焚き付けすぎたかな?」と首を傾げていることには、当然少しも気づかないままで。

 ラグは宿を出ると、さっさとキメラの翼でアッサラームに飛んだ。一瞬でたどり着いたアッサラームの発着場から、通い慣れた我が家への道を足早に進む。ヒュダへの贈り物はすでに用意している、宴会の準備は家にいる奴らの担当だ。あとはただ兄弟たちと、笑顔でヒュダを祝えばいい。
「おー、破壁≠カゃねぇか。あーそうか、今日はヒュダちゃんの誕生日か」
「ああ。久しぶりだな」
 道の脇に寝転がっていた物乞いが声をかけてくる。それに声を返すと、物乞いはわずかに不審そうな顔になった。
「おい、お前旅先でなんかあったのかい?」
「っ、なにもないよ。なんでそんなことを?」
「いや、なんかすげぇ顔しかめてるからよ。いっつも家帰る時はでれでれに笑いながら歩いてくるくっせに」
 ばっ、と思わず顔を押さえた。物乞いは怪訝そうに、だがその底に好奇心を揺らめかせつつ訊ねてくる。
「お前さん勇者の仲間になったんだよな。ってことは勇者となんかあったのか? それとも仲間と? 今どのへんにいるんだっけか、確か一月くれぇ前ポルトガから船出したって聞いたけど」
 ラグは物乞いに小さく頭を下げて顔を逸らし、のしのしと音を立てて道を歩き始めた。話しかけるなと全身で主張しつつ。自分のごつい体がその気になれば周囲の人間を圧する迫力を振りまくことができるのはよく知っている。
 馬鹿か俺は、とラグは内心自分を罵った。今日は一年に一度のヒュダ母さんの誕生日だっていうのに。もうすぐ世界の誰より愛するあの人と、誰はばかることなく会ってこの一年のことを語らうことができるというのに。
「……別に、なにかあったってほどのことじゃないさ」
 口の中だけでそう呟く。そう、別に大したことじゃない。ヒュダに報告するほどのことじゃない。仲間と喧嘩して、冒険の中で会った人に勝手なことを言われて、なし崩しのうちに仲直りしてしまっただけだ。その会った人というのがガルナの塔の支配者らしいサトリとやら言う怪しい存在だというのは、少々珍しいと認めざるをえないにしても。
 自分は、サトリに言われた言葉をまだ引きずっている。あの声。あの『嘘をついては、駄目よ?』という声。ヒュダそっくりの声で言われたその言葉は、自分の中に確かに強烈な一撃を加えたのだ。その衝撃を取り繕わなければ、と必死に普通の顔を装ったせいで、ロンとも普通に話せるようになってしまったのだけれども。
 ぎゅ、と唇を噛む。ロンの言った言葉に対するこだわりは、もう薄くなっている。時が経ち、感情が落ち着いて、まぁあいつもうっかり口が滑ったんだろう、ぐらいに思えるようになってしまっている。許さなくてはならないからそのふりをする、というのではなく、本当に、普通に、心から。――それが、ひどく嫌だ。
 今までなら母親のことについてなにか言われた時、自分が相手を本当に°魔キことはなかった。許さないという状況をこれ以上続けたくないから、許したことにするというだけだった。自分にとって母とは、ヒュダとはそれほど神聖で侵さざるべきもの。全身全霊で大切にすべき、というより大切にせずにはいられない存在だったのに。
『仲間≠ニいう存在ができてしまったから』
『ヒュダと違う価値観を持つ、なのに大事だと感じてしまう人間』
『自らの価値観に揺らぎが』
「……違う……」
 小さく呻く。そんなんじゃない、別にそういうわけじゃない。確かに仲間は大事だ、もちろん。それなりに。命を懸けて守るのも信じるのも当然だ。ヒュダの教えを実践するために。
 だけどそれは、ヒュダに対する感情とはまるで桁が、格が違うものであったはずなのに。なんで、こんな、当然のように。当たり前のように彼らを大切な存在≠ニして認識してしまっているのか。ヒュダとは違う彼らを、違う存在として。
「……ヒュダ母さんなら」
 ヒュダ母さんなら、こんな問題にどう答えを出すだろう。考えてみて、苦笑した。そんなの、『好きなら好きで、大切なら大切でいいじゃない』と言うに決まっている。『いちいち理由を考えなくたって、誰かを好きだと思えることは、とても素敵なことよ』というように。
 ただ、それでは自分の答えにはならない――空を仰ぎ見る。空気が冷たい(北国とは比べ物にならないが)せいかもしれないが、アッサラームの太陽は冬でも刺すように鋭い。本当に、なんでこんなことで悩まなければならないのだろう。自分は、ただヒュダ母さんの――
『好き、ですっ!』
 ラグは唐突に思い出してしまった声に思わず口を開けた。なにも、わざわざこんな時に。
『俺っ、みなさんのことがっ、大好きですっ! 世界でっ、いちばんっ!』
「…………」
 ラグは眉を寄せつつ、苦笑した。あの子のあの懸命な叫び声を、少なくとも無視はできないしする気もない。あの子は可愛いし、大切にしてやりたい、と思うのも確かだ。
 考えるのはあとに回そう。そんなことはいつでもできる。とりあえず、とっととヒュダ母さんのところに行って……
「……その帰りに、なにか贈り物でも見繕っていくか」
 なに考えてるんだかなぁ、と思いつつもちょっと笑う。わざわざ男の仲間同士でそんなことをするなんぞ馬鹿馬鹿しいと思うし、意味がないという気もするが、少なくともセオは喜ぶだろう。泣きながら謝られそうでもあるけれども、心の中では。
 それはたぶん、そう悪いことではないだろうし、自分もそう悪い気もしない。本当に、なに考えてんだか、と苦笑して、ラグは家路をたどる足を進めた。

「……ったく、バッカじゃねーのか。なんで俺がんなことやんなきゃなんねーんだよ、バカバカしい」
 ダーマの街をうろつきながら、フォルデはぶつぶつと唸る。周囲の人間が変な人間を見るような目で見ているのに気付いてはいたが、そいつらには軽くガンを飛ばすだけで終えた。いちいち喧嘩を売るより今はやりたいことがあったのだ。
「大体なー、仲間だなんだってそんなもん別にいまさらんな、あーだこーだするよーなもんじゃねーだろーが。別に俺はあいつらとべたべた仲良くしたいわけでもなんでも」
『寂しさを埋めてくれたのか?』
「……ッ」
 フォルデは嫌なことを思い出し小さく舌打ちした。まったく、余計なことばっかり抜かしやがってあのジジイ。実際の年はどーなのか知らねーけど。
 自分にとって仲間とは、そんなもんじゃない。そんな甘ったれたもんじゃない。命を預けるに値する奴らなんだ。
 そして自分が命を懸けてあいつらを守るように、あいつらも命を懸けて自分を守ることを自分は知っている。
「修行が足りねーだぁ? ンなことわかってんだよ、クソッ」
 ダーマの石畳を敷き詰められた道を、盗賊用のブーツでがつがつと踏み鳴らす。自分はあの時、サドンデスとの戦いの時、ろくに役に立てなかったのだから。
 圧倒的に強い敵。それと自分はあの時、初めて相対した。一方的に蹂躙される、その恐怖と苦痛を味わった。
 そして同時に、溶岩よりもまだ熱い、魂かけての悔しさというものを味わったのだ。
「……ある意味、いい経験した、っつーことになんのかな。礼なんて死んでも言わねーけど」
 初めての死。敗北。それは確かに強烈で、これまで経験のないほど強くフォルデの心身を打ちのめした。しばらくはちゃんと思い出すことすら避けていたほどだ。
 でも、これからはそうじゃない。
「あのジジイのおかげだとか、ぜってー思わねーけど」
 ガルナの塔での経験は、確かに自分の底に渦巻く感情に火をつけて、発奮させるきっかけにはなったのだ。
 自分はもっと強くなる。もっとずっと強くなる。誰にも、どんな奴にも負けないくらい。負けたくないとずっと思っていた、誰かのためでなく自分のために。そのための努力を惜しんでたまるか、今日だって盗賊ギルドで特訓してやる。
 自分は、仲間を守りたいと思っているのだから。
 思考の中そんな言葉が浮かび、フォルデはぶるぶると勢いよく首を振った。だっからんなことは関係ねーんだよ! それとこれとは……あー……だーっ!
 苛々をがすがすと石畳を蹴ることで紛らわせ、フォルデはいつの間にか止まっていた足を再び動かした。自分に暇な時間なんぞない、こんな修行の時間がきっちり取れる時なんてめったにないんだから、有効に使わなければ。
 贈り物を買うのは帰りだっていいのだから。
「だーくそっ、なに考えてんだ俺っ!」
 んなことは関係ねーんだっつのっ、とぶるぶる首を振り、フォルデは盗賊ギルドへと走り出した。きっと正面を、空を睨みつけ、拳を握り締めて何度も確認した誓いを思い出す。
 ぜってー負けねー。
 それがサドンデスに対してなのか、魔王に対してなのか、それとも仲間に対してなのかはっきり考えることなく、フォルデは走った。そんなことはどうでもいいことだ。ただ、自分の胸の中に燃える負けたくないという感情さえあれば。

 ロンはすいすいと人ごみの間を歩きながら、今日仲間たちになにをしてやるかを考えていた。もちろん素直に贈り物を渡すというのもいいだろうが、それでは少々芸がない。物を送るにしろ行為を送るにしろ、なにか自分らしくも相手を嬉しがらせるような付加価値のひとつふたつはつけておきたいところだ。
 仲間たちの信頼を裏切るわけにはいかない。仲間に買われているというのも時には大変だな、とロンは口の中でくすくすと笑った。自ら買って出た苦労だというのは、自身異論がないが。
「あ、賢者さまだ!」
「ほんとだ!」
 自分の額冠に目を留めた道で遊ぶ子供たちに、軽く手を振ってやる。子供たちは元気に手を振り返すが、すぐにまた遊び(石蹴りだった)に注意を戻した。周囲の人々も、その声にちらりとこちらを見はするがすぐに会釈しただけで自分の仕事に戻る。
 賢者というのは、ダーマではその程度にはありふれた存在だということだ。学者、神官、統治者として尊崇を集めてはいるが、ものすごく珍しい、というわけではない。ときおり信心深い年寄りにありがたやと拝まれることはあるにせよ。
 ダーマには賢者という職業に属する者が百人以上常駐している。ダーマに属するも修行者として、あるいは使節として、あるいは工作員として世界を巡っている者を加えれば百五十を越すだろう。
 一年の間に、ガルナの試しを受けて賢者になる人間は二人か三人というところ。賢者志願者が万を軽く越えることを考えずとも、狭き門には違いない。が、賢者となった人間はほぼ全員おそろしく長生きし、かつ年を取ってもすさまじく健康なので、実動員数は資格保有者とほぼ同数となる。
 彼ら百五十人が道を修めし者として神官たちを統率し、ダーマ神殿を統括している。すなわち、このダーマという都市と周囲の村々、小都市群を事実上支配しているわけだ。俗世においては一国の首脳陣と呼ぶべき人々なのだが、彼らに対しそういった扱いをする人間は、少なくともダーマには存在しない。
 彼らはみな徳高き修行者であり、神に選ばれし巫であり、真理を探究する研究者だった。彼らは多く民草と交わり、神の声を伝え、志を同じくする者たちに研究成果を解放した。神殿に行けば週に一度は必ず賢者が法話をしてくれるし、大神官ですらどんな人間のものであろうと転職の儀式ではいっさいを取り仕切るほどなのだから、民間人との間に距離はほとんど存在しないといっていい。
 他国ではありえざることだったが、ダーマではそれが当然だった。賢者たちはまさに神に選ばれし者、自分たちを導いてくれる一段階上の存在だったのだ。俗世の思考などで彼らを推し量ることは不敬と考えられた。それこそ神のように一部では崇められながら、彼らは民草と距離が近かった。そして距離が近かろうともなお深い敬意を保たれるほど、彼らはみな有徳の士だったのだ。
 これがいかに奇妙なことか、ロンも賢者になるまで気づかなかった。
 ダーマは世界有数、というより最大と言った方が近いのではないかといわれる大都市だ。人口は推定でも百万近いと言われる。ダーマ神殿に仕える神官、各種職業ギルドの運営者、研究者、それらに物を売り買いする商人、そして冒険者。それらはダーマ神殿の権威と、そして富に惹かれてこの地に集まるのだ。
 ダーマ神殿が莫大な富を有する、ということを最初聞いた時、その時十歳かそこらだったロンは意外な思いを禁じえなかった。ダーマ神殿は贅沢をしているようには見えなかったからだ。神官も、それどころか賢者さまですら、みんな粗末ではないが庶民の中でも相当に質素な部類の衣服しか着けていなかったし、神殿や自宅を豪勢に飾り付けたりもしなかった。ロンの生まれた小さな村ですら、金持ちはそういうことをするものだったのに。
 だが、ダーマ神殿は確かに富を有してはいたのだ。常に世界の最先端をいく高度な技術知識と、優秀な人材を。
 人通りの多い通りを抜け、神殿の裏側、俗に鐘突き通りと呼ばれる通りに入る。ここは魔法使いギルドや様々な神の教会などが立ち並ぶ、呪文を操る職業の本拠が立ち並ぶ通りだ。修行場も多い。ロンはここの一角にある、昔にも何度か通った修行場にここ数日毎日通っていた。
 ちなみに教会と神殿はまったく別物だ。教会は僧侶の集う場所で神殿は神官の集う場所。僧侶はこの世に数多存在する神のうち一柱の教えに共感し、信仰する職業。神官は神のうちどれか、ではなく神という存在そのものに仕え自らを高めんとする職業で、どちらかというと賢者となるべく修行している者、という認識が一般的だ。
 基本的に信仰の場となるのは教会で、一般人は自分の生まれた街にある教会で祝福を受け、祈りを捧げ、職業選択の儀を執り行ってもらう。神殿はそもそも絶対数が少ない(ダーマとランシールの神殿以外は修行を積んだ賢者や神官が個人的に作った神殿しか存在しない)上、神官は聖呪(聖別された場所で僧侶が使用する解毒や解呪や蘇生を可能とする呪)が使用できないし高位の僧侶呪文も使えないので(だから冒険者の職業としては扱われていない)、地域に密着した信仰の場にはなりにくいのだ。
 どちらかというと、神殿というのは修道的な場所と言う方が近い。神の教えを説くのではなく、道を説く。時に矛盾しぶつかり合うこの世に数多存在する神の教えを、融和させ、止揚し、神というものに対する考察を深め、自らを高める。なにかの神を信仰するのではなく、神という概念に仕えるのだ。
 道を歩く人々に会釈されながら(この辺りまで来ると人が少ない分注目されやすいが、この一帯には賢者がわりと多いし賢者を珍しがるような人間はほとんどいない)道を歩き、修行場の集まる一角の隅にある道を登って目的地に着いた。
「おはよう」
 ロンは修行場入り口の受付に声をかける。受付の男(神官)はただ、静かにうなずいた。この場所は別に料金を払う必要があるような場所ではなく、彼はただ厄介事などが起きた時矢面に立つためにここにいるにすぎないので、ずかずかと入っていってもなにか言われるわけではないのだが、気は心だ。
 修行場、といってもここにあるのはただある程度広い空間だけだ。ここは呪文や戦技を修練するための場所ではなく、自らの精神と相対し会話するための、要は瞑想するための場所。主にここを使用するのは、神官や若い賢者だ。
 ちなみにロンはもう二十九になるが、賢者の中では充分若い部類に属するので珍しがられるということはない。壁の前にずらりと並ぶ座禅を組んだ修行者たちの最末端にひょいと座り込み、目を閉じた。
 ――そして、操作≠始める。
 深くへ潜る。奥へ。下へ。世界から自分へ、自分から世界へ。繋がり流転する輪廻と網の中へ。ありえざる世界を認識し、受容し、操作する。押し寄せる情報を制御し、統御し、整理して自らの前に表示する。
 そういった作業を行いつつ、苦笑する。まさかダーマを動かす賢者さまたちがこんなものと繋がっていようとは。技術や学問が常に世界の最先端をいくわけだ。それに惹かれて優秀な人材が集まり、派生する研究成果を上げ、民生に還元する方法を考え出す。そしてそれらを商売として世界中に売る人間も集まり、かくしてダーマには金が集まる、と。
 まぁダーマはその集まった金を公平かつ効果的に分配しているので、誰からも文句が出ないのだろうが。そこまで考えて、ふと思った。
 なら、その集まった技術の粋を少しばかり使わせてもらうというのはどうだ?
 ロンは思いついた面白い贈り物の案に少しばかりほくそ笑み、それから操作≠ノ集中した。もうすぐサヴァンがここにやってくる時間だ。

 セオは全神経を集中させ、体のすべての力を全力で適切に操り、手を動かした。力加減、指先と腕の動きの細やかさ、失敗しないように注意を配る視覚と脳、それらすべてを完璧に、完全に適切に成立させながら、最高速度で、いやそれ以上の速さで体を動かす。それこそ脳味噌が焼き切れそうなほど疲労し、擦り切れていくのを感じたが、そんなことはまったく問題ではなかった。
 あの人たちに、少しでも、この想いの欠片でも伝えることができたなら。その想いを、伝えてよいと許された。こんな機会は、もう二度とあるかどうかわからない。
 だから、自分は、この機会に命を、魂を懸ける。
 素早く小刻みに呼吸をしながら、セオは全力を集中させて手を動かした。

「ラグ兄ー、今日泊まってってよー」
「え」
 妹の一人にねだられて、ラグは一瞬固まった。
「こーら、無理なお願いしないの。ラグにだって仕事や用事があるって、知ってるでしょ?」
 ヒュダに割って入られ、妹は不満そうな顔をしながらもうなずいた。ラグは一瞬ほっとして、それからなんでほっとしてるんだする理由がないじゃないかと首を振り、でも実際これまでもこの日に泊まったことほとんどないし(ここに留まると際限がなくなりそうだったので)、これでいいんだよな、うん、と一人心の中だけでうなずく。
「うー、ラグ兄の話もっと聞きたいのにー」
「勇者さまと一緒に旅してるんだからさ、すっげー話とかいろいろもっとあるんだろー?」
「いや、勇者の仲間っていっても、普段は地味なもんだよ。いつもの旅とおんなじ。歩いて船に乗って魔物と戦ってってだけだから、大して話すことなんてないさ」
 その魔物と戦う頻度がここ一ヶ月おそろしく高くなっていることや、時々は王に謁見したり古代遺跡を踏破したりすることがあるのはおいておくとして。少なくとも話せることはだいたい話した。
「じゃあ、ラグ兄、もう帰っちゃうのー?」
 寂しげに見つめられ、ラグは「あー……」と眉間に皺を寄せつつ言葉を探した。道にまで椅子や机を出して行われた家族みんなでの宴会も終わり、他の自分と同じように働いている兄弟はあらかた帰った。まぁアッサラーム以外の場所からわざわざ飛んでくるのは自分を除けばわずかだが(毎年絶対にやってくるのは自分ぐらいだろう。なのでそのたびに(アッサラームに寄った時にも必ず)顔を出して土産もよこす自分は弟妹からそれなりに懐かれているわけだ)。
 だが自分はこの日はほとんど(抜けられない用事があるとかいうのでなければ)ぎりぎりまで滞在し、弟妹の相手をして、ヒュダと話した。幸せな時間を少しでも長引かせたいという当然の心理から。だから、今日だって(まだ日も暮れていないのだから)まだこの家にいたっていいのだろう。
 なのに、なぜか。妙に心に引っかかるものがあり、ラグは即答をためらった。
「ラグ、無理しなーいの。用事があるんでしょう?」
「え……なんでそんな」
「だってそんな顔してるもの。宴会の間もずっとそんな感じだったし」
「そんな! 俺は、別にそんな、母さんの誕生日に」
「心配しないで、わかってるわよ、私の誕生日を祝いたいって心の底から思ってくれてるあなたの気持ちは。その気持ちによそごとを持ち込みたくないって気持ちもね。だけど、それはそれとして、他に気になることがあるのは確かでしょ?」
「それは……けど、俺は」
「なにも今日しか会えないってわけじゃないんだもの、なにか気になることがあるならそっちを先に片付けてらっしゃい。話がしたいっていうなら、いつだって相手してあげるから」
 にっこり笑ってどん、と胸を叩くヒュダに、本当に大したことじゃないんだ、と強弁するのもためらわれて、ラグは渋々腰を上げた。
「……また、来るから」
「いつでもいらっしゃい。待ってるわ」
 その時のヒュダの笑顔は、たまらなく心を蕩かせるものだったけれども。
 なにも別に、本当にヒュダ母さんの誕生会を切り上げてまでしなくちゃならないことがあるわけじゃないんだけどな、とラグはぶつぶつと呟いた。仲間記念日、なんて。ダーマの商店街が勝手に決めただけの、しょうもない記念日だし。サヴァンが自分たちをからかったって可能性もあるし。わざわざなにかしなくちゃいけないなんて、そんな必要も必然性もないし。
「本当に……別に、わざわざ気にするほどのことでもないっていうのになぁ……」
 心底そう思うのに、馴染みの武器屋で真剣に武器の手入れ用品を見繕っている自分に気付き、ラグは一瞬顔をしかめてからため息をついた。そのため息には、照れくささの成分がいくぶん含まれていることは否めなかったが。
「武闘家の武器の手入れの仕方はよくわからないが……あ、ロンは賢者になったのか。じゃあ装備も変わるのか? なら別の物の方がいいか……フォルデもアサシンダガーの手入れなんてのは本人の方が詳しいだろうしな……じゃあセオはどうしよう。セオの武器はゾンビキラーと鋼の鞭だから……ゾンビキラーには魔力をこめた打ち粉の方がいいって言ってたよなオクタビアさん……うーん……」
 うんうん唸りながら並べられた手入れ用品を見つめていると、声をかけられた。
「はっは、ずいぶん熱心に見てんな、破壁=Bまさか……コレか?」
 にやにや笑いながら小指を突き出してみせる店の主人に、ため息をつく。
「そんなわけないだろ。わかってるくせに」
「はは、まぁ女戦士はお前の好みじゃねぇからなぁ。じゃあ誰にやんだよ、仲間にやるにしちゃやたら真剣だけどよ」
「……誰でもいいだろ」
 ぶっきらぼうに答えて、また視線を元に戻す。あー本当になにやってんだろーなはたから見てもやたら真剣って言われるくらい真面目に仲間(しかも同性)への贈り物贈るってやっぱおかしいよな、とため息をつきつつも、視線と思考は止まらなかった。

「大した腕だなぁ、若いの。どこで技を磨いたんだ?」
「どこでもいーだろ。っつか、訓練中に話しかけてくんな、怪我するぞ」
「へいへい、まったく真面目でいらっしゃることで」
 軽口を叩きつつ相手の中年盗賊がたんっと踏み込んで突き出してくる木製の短剣を、わずかに身を傾けて一分の見切りで避ける。そしてそのまま腕を戻す機に合わせて踏み込み、相手の腕を右肘で跳ね上げて空間を開け、喉に短剣を突きつけた。
「フォルデ、一本!」
 修行場中で行われている模擬戦闘を監督している男が声を上げてフォルデの勝利を告げる。フォルデはふ、と息をついた。
 ここダーマの盗賊ギルドは、奇妙な存在だった。盗賊ギルドというのは本来その存在を隠すもののはずなのに、街の中に公然と看板を構えている。これは贋物で別に本物が存在するのかと思えばそういうわけでもない。密偵や冒険者としての盗賊のギルドなのかというと、そうではなく街の盗賊たち、すなわち犯罪者たちもここに属しているのだという。
 実際ここは奇妙な街だった。世界一の大都市で、宗教都市で、転職の神殿のある聖地で。なのに公然と盗賊ギルドがあったり、娼婦のギルドなんてものがあったり(当然ながらそんなものがあるなどフォルデは聞いたことがない)。のみならず娼館の隣に教会があったり、やたらでかい医院があったり(興味本位でのぞいてみてやたら人が多く客層が幅広いのに驚いた。アリアハンでは普通の人間は怪我や病気は教会に面倒を見てもらうか薬師に薬をもらって自分でなんとかするもので、医者など特権階級専用の代物だったからだ)。
 そんなよくわからない街なのに、盗賊たちの能力は相当にレベルが高い。少なくともアリアハンの盗賊ギルドははるかに凌駕しているだろう。そいつらが普通に、冒険者や密偵ではなく、犯罪者だと当然のように言ったりするのだから本当によくわからない。
 フォルデはよくわからない≠烽フは苦手だった。そういうものがそばにいると居心地が悪くなる。なのでこの街では基本的にいつも居心地が悪いのだが、盗賊たちの質が高く意識も高く練習の相手になったりいろいろ技術についての忠言をくれたりするので、セオたちにとっとと出発しようなどと言う気にもなれずにいるのだった。ロンに無理をさせて借りを作ってしまうのも業腹だし。
「おいおい、勝っといてため息かよ。いちいちむかっ腹の立つ奴だな、若ぇのに」
 一本取った相手が(すでに十本ほど勝負している)言葉とは裏腹ににやにやと軽口を叩くのに、フォルデは仏頂面で答えつつ短剣を構えた。
「うっせぇな。ほっとけ、オッサン」
「へいへい、っと。しかし、実際お前さんよそで修行したってのに大した腕してるな。あれか、天才くんってやつか?」
 が、相手の男は両手を上げて降参の仕草を取り、修行場の隅の方に向かいつつそんなことを言ってくる。流れ上つい短剣を下ろしてついていきながら、フォルデは眉をひそめつつ疑問を発した。
「は? んっだよそれ、つかなんだよそのよそで修行って」
「ああ、なんつうかな……お前さん、よその盗賊ギルドにいたことあるか?」
「? ああ、あるに決まってんだろ」
「ふぅん……なら、ここの盗賊ギルドのレベルの高さ、わかるだろ?」
「……ああ」
「そりゃあな、ここのギルド……っつうか、この街が技術の最先端ってやつだからなのさ。文字通り、ありとあらゆる技術のな」
「……は? んっだよそりゃ、意味わかんねぇ」
 顔をしかめると、男は笑う。
「ここはダーマだ。転職の神殿がある。転職の神殿には、賢者さまがいらっしゃる」
「……だから?」
「賢者さまってのはな、文字通り賢い方々なのさ。賢者という職業に属する者はみな、この世界に存在する、またはかつて存在した技術と知識をすべて所持しているといわれてる」
「はぁ? んなわけねーだろ」
 フォルデは一言のもとに否定した。今までに会った賢者の奴らが、そんな大層な存在だとはとても思えない。
「ま、そりゃ眉唾だがな。けど賢者さまがみんなとんでもなく物知りで、その知識を必要な、正しく使う人間に与えてくださるってのは確かなことだ。それこそどんな職業の人間でもな」
「……盗賊でも、ってか?」
「ま、そういうこった。だからこの街ではそれこそありとあらゆる職業のギルドが存在し、そのトップはその職能に高い知識と意識を持ってる。そうじゃなきゃ賢者さまに教えを受けた他の人間にあっさり追い落とされちまうからさ。実際に賢者さまから教えを受けた人間もいる。それを狙って神殿で修行する人間もいる、ダーマ神殿では試練に合格しさえすりゃありとあらゆる職業の修行を認めてるからな」
「…………」
「で、そういう高い知識と意識を持った人間が、それぞれ競争したり協力したりして互いの技術知識を高め、自分の部下に教える。そいつらも自分と同程度のレベルの奴らと同じことをする。そういうことの繰り返しと積み重ねでな、ダーマは何百年も、それこそありとあらゆる技術で世界一の看板を背負ってきたのさ」
「けど……他の国の奴らがなんか、すげぇ技術身につけたりすることだってあるだろ。勢いっつーのもあるだろうし」
「まぁな、そりゃあるさ。が、その技術知識も賢者さまは俺らに伝える。もちろん互いに競争はするが、こっちが技術をあえて隠したりせずどんどん流出させるのと同様、向こうもこちらには技術を隠せん。ここには世界中からどんどん新しい人間が入ってくる、なにせ世界でただひとつ転職ができる場所な上世界最大の都市だ。で、追い抜いたり追い抜かれたりってのはあるが、最終的にはダーマが技術をより高めるって結果に終わってるのさ、今までのところはな」
「…………」
 フォルデはますます顔をしかめた。なんというか、なんだか気に食わない。
 賢者ってのがいちいち偉そうで気に食わないというのもあるが、それ以上に。そんな偉そうなものに、あの腐れ武闘家がなってしまったというのが気に食わない。なんだか、ものすごく。
「よそなら後ろ暗い職の盗賊やらなにやらが、こうして公然とギルドを構えてるのも賢者さまがいるからさ。賢者さまたちはありとあらゆる技術を研究してるから、それを伝える相手が地に潜ってんじゃ意味がねぇってな。当然罪を犯して捕まりゃ罰されるが、技術を研究する機関として、盗賊ギルドやら娼婦ギルドやらが公然と他のギルドと肩を並べられるってわけだ」
「…………」
「でぇ、だ。ここの盗賊ギルドは技術的にも層の厚さでも文字通り世界一で、世界中に優秀な密偵を排出してるってのに、その中で頭ひとつ以上飛び抜けてるお前さんが俺らとしては気になってしょうがないわけだ。しかもその年だ、まさかたぁ思うが勇者さまのお仲間さんってこともありえなくはねぇってな。どうだ、お前さん、実は勇者さまのお仲間さんだったりしねぇか?」
「……うっせぇな。関係ねーだろ」
「お、そういう言い方するってこたぁ本気でそうなんか」
 フォルデは苛ついた。ロンのことについて苛々と考えている最中に、横からいちいちやかましくさえずられては神経に障る。
 なので、相手のにやにや笑いの底に鋭くこちらを探る気配が潜むのに気付かず、ぎろりと睨みつけて言ってしまった。
「うっせぇっつってんだろーが。だったら悪いかよ」
 ざわり、と一瞬修行場がざわめいたような気がして、フォルデはわずかに眉をひそめる。なんだ、と周囲を警戒しかけ、ずいっ、と周囲の盗賊たちがこちらに向け踏み出してきたのに気付き思わず一歩退いた。
 目の前の盗賊が笑顔で、だが目の底に殺気に近いほどの気合を込めて言う。
「なぁ、兄ちゃん。ものは相談なんだが、俺と代わってくれねぇか? 勇者さまの仲間、ってやつ」
「……はぁ?」
 ぽかんと口を開くフォルデに、さらに盗賊たちは近づいてくる。
「ただとは言わねぇ。俺の文字通り全財産、五万ゴールドでどうだ」
「はぁ!?」
「待った。俺も一枚噛ませてもらおうか。俺ぁ今すぐ代われなんて無茶ぁ言わねぇ、最初に何度か代役ってことで入れ替わらせてもらって、ちっとずつ馴染ませてもらって」
「ねぇ、お兄さん。あたしと代わっておくれよぉ。あたし、これまでずっとそれこそ泥水啜って死にそうな思いしながら生きてきたんだよ、幸運ちょっと分けてくれてもいいだろぉ、なんでもするし、あたしのことだって好きなようにしていいからさぁ……ね?」
「無茶言うなよ、お前ら。銀星のフォルデさんが困ってるだろうが? 最初に勇者の仲間になったのはこの人なんだぞ? フォルデさん、俺はこいつらみたいな無茶言いません、ただしばらくの間でいいですからあなたが外れている間勇者のお仲間に」
「………ってめぇら、黙りやがれこのクソボケどもーっ!!」
 あとからあとから現れてくる『勇者の仲間志願』の盗賊どもを千切っては投げの勢いで怒鳴りつけ押しやり、足取りも荒くフォルデは盗賊ギルドを出た。なんなんだ、あいつら。なんでよってたかって勇者の仲間になりたがりやがってんだ、馬鹿か、第一なんで急に。
 苛々ずかずかと大通りをのし歩き、繁華街から商店街へと抜けかけて、ふと気付いた。そういや、盗賊ギルドに初めて入った時から、妙に注目されてたような気が。
 あとこちらを隠れて監視する気配も増えていた。もともとダーマにいる間中神殿の密偵らしい連中には監視されていたからそいつらかと思ったが、今思うとそいつらより気配の消し方が下手だったような気がしないでもない。
 なんだそりゃ、どういうことなんだ、とぐるぐる考える。一瞬『めんどくせぇ』とも思ったが、これを放置しておいたらさらに面倒なことになりかねないとも思ったし、なによりこれは自分の領分の厄介事だ。盗賊が盗賊相手に意図がよくわからないなどと抜かしてたまるか。
 足を止め、顔をしかめ、必死に真剣に考えること十分弱、こういうことかもしれない、と一応筋の通る結論を出せた。要は、神殿の密偵と盗賊ギルドにあまり強い繋がりがない、ということなのだろう。たぶん。
 自分たちの情報を神殿は隠した。なので盗賊ギルドも自分たちパーティがダーマに来ているという情報を知らない。が、自分たちの風貌のことはおそらく構成員の間にも知られていたのだろう。そういうところに自分がやってきた。
 盗賊ギルドの上層部がどう判断したかはわからないが、とりあえず即喧嘩を吹っかけてこなかったところをみるとこちらを利用する気にはならなかったのだろう。自分たちはサヴァンの呪文で一気に飛んできたわけだから、裏を取るのも難しい。なので、構成員はしばらく息を潜めていたが、個人的に話しかけて情報を引き出せたので、勇者の仲間のおこぼれにあずかれないか、あわよくば成り代われないかと堰を切ったように押し寄せてきたわけだ。よし、筋が通っている。
 が。その結論を認めると、自分が周囲から『勇者の仲間』として強い羨望の眼差しで見つめられていることも認めねばならないわけで。
「………クソどもが」
 大きい音を立てて舌打ちし、歩き出す。しばらく歩いてから、だっと全力で走り出して角を曲がり人ごみに紛れ、追いかけてくる奴らの視界から一瞬消えたところで大きく飛び上がって並んでいた建物の屋根に登った。もちろん一息でそこまで飛び上がれたわけではないが、ダーマの建物には軒やら庇やら雨樋やら、足がかり手がかりになるものがごろごろあるのだ、それらをたんたんたんと登って一瞬で三階だか四階だかの屋根に上がるくらい今の自分にはたやすい。
 おそらく自分を監視していた奴らには、自分が急に消えたように見えただろう。そいつらの気配が乱れるのを感じ取ってから、ふふんと鼻を鳴らして屋根の上を悠々と歩き出す。これで奴らの目を気にせず歩ける。
 フォルデにとっては、自分を『勇者の仲間』なんぞと見る奴らは全員敵だった。自分は勇者なんてものの仲間になった覚えはない、セオの、ラグのロンの仲間になったのだ。セオを勇者さまなんぞという違う世界のお偉いさん扱いされるなんぞまっぴらごめんだったし、自分の立ち位置を羨ましがられる覚えもない。
「だいったい、あいつに勇者さまなんつー呼び方似合わねーっつの。あいつはいっつも泣き虫だし、情けねーし、すぐ謝るし」
 そのくせ他者と他の命を異常なまでに大切にしようとするお人好しだし。
 まだ会ってから一年も経ってないというのに、自分たち仲間のために当然のように命を懸けて、自分たちがまるで世界で一番優しい人みたいに思い込んでいるガキだし。
 自分たち三人の命が失われるのが怖くて、一ヶ月前までそれこそ殺されてもやろうとしなかった魔物殺しを、唇を噛み締めて痛みを無視して泣かないように心を押し殺して全力でやり始めた大馬鹿者だし。
「……そんなど阿呆のくせしやがって……」
 自分なりに、必死に自分たちとの関係を修復しようと、涙を堪え、怯えながらも手を伸ばしてきている。
 ここ数日、セオは自分たちに懸命に話しかけようとしていた。ほとんどは話しかける前に失速し話しかけていいのかどうかとおろおろしていたので、つい怒鳴りつけたりもしたが、何度かは実際に話をした。
 で、どんな話をするかというと、大した話は全然していないのだが。必死になにか伝えようとしているのはわかるのだが、セオの口から出てくるのは「あの、えと、いい天気ですね!」ぐらいで、「フォルデさんは、どんな天気が、お好きですか?」までいけば上等なほどなのだ。
「……まー、いちおーあいつなりに頑張っちゃいるんだろーけどな……」
 セオなりに全力を尽くして自分たちと、まぁその、仲良く≠オようとしているのはわかる。ただそのやり方があまりにも下手くそなだけで。
 そもそもんなことしようなんて考えてんじゃねぇ馬鹿かと思ったし実際に言ったし、そのやり方の下手くそさも阿呆かと心底思うが。セオはセオなりに必死なのは、確かだ。
 自分たち同様、朝から晩まで修行して、神殿の書庫も漁って、そんな中必死に時間の合間を縫って話しかけて。そのたびに自分の会話の下手さに落ち込んで謝って。それで少ししたらまた必死に勇気を振り絞って話しかけて――
「………あーっ、たくっ! なに考えてんだ俺はっ!」
 わざわざこんなこと考えてどーするってんだっ、と屋根の上をずかずかと歩き出し、足を止めた。顔をしかめる。ちょうどその思考に機を合わせたかのように、今朝サヴァンが言った『仲間記念日』とやらいうもののことを思い出してしまったのだ。
「……冗談じゃねぇ、やらねぇぞ俺はそんなもん、馬鹿馬鹿しい、やってられっか、っつかそんなもんやる意味」
 だが、もし自分がなんにもしなかったら、たぶんセオは落ち込む。
 そのことに思い至り、思いきり顔をしかめる。だが頭は勝手に回転してどんどん思考を紡ぎ出してしまっていた。
 自分がなんにもしなくてももちろんセオはなにも言わないだろう。下手をしたら表情にも出さないかもしれない。いつも通りに必死に下手くそに話しかけてきて、いつも通りに失敗して、いつも通りにおずおずとおやすみなさいと言って部屋に引き取って。
 一人になってから、思った通りなにももらえなかったな、などと一人思って、そんなことを考えた自分を責める。
「………っ…………っ!!」
 勝手に回転する頭をがーっ、と怒りを込めて掻き毟り、苛立ちを込めてだんだんだん、と地団駄を踏み。ぐぅっと奥歯を噛み締めて、腕が痛くなるほど力を込めて腕を組み、ぐるぐるぐる、とその場でうろうろ回り。
「…………、…………、………………っ、気が、向いたら、だっ」
 気が向いたらだ。たまたま店に足が向いて、たまたま気が向いてなにか買ったら、そしてそれが自分が持っていてもしょうがないものだったら仕方ないからセオ……とかラグとかロンとかにやってもいい。たまたま、本当に気が向いたら。わざわざ買う気なんて絶対ない。そんな馬鹿馬鹿しいこと死んでもしない。
 そうぶつぶつ言いながら歩き出し、その先が道具屋に直行する道筋だったことにはっとして慌てて別方向に向かって、向かいながらけどこっち行っても別になんもねーし、などとぶつぶつ呟きながらまた道具屋に向かって、はっとして別方向に向かって、などということを繰り返しているフォルデは、自分のやっていることがそれこそものすごく馬鹿馬鹿しいということには、あんまり気付いていなかった。

 ロンはふ、と息をついた。ようやく操作≠ノも慣れてきたというところか。一応基本のやり方は脳髄に叩き込めた、あとは武術同様反復練習と自分なりのやり方を開発するのを繰り返すのみだ。
 サヴァンに感謝としばしの別れの言葉を告げて、深い場所から立ち上がる。そろそろ陽も沈もうという頃合だ、セオたちへの贈り物を物色してもいいだろう。
 といっても、一応もう目星はつけてある。セオにはオルゴール、ラグには蝋燭と蝋燭立て、フォルデにはペンダント。どの店で買うかも検索調査済みだ。
 相手に好印象を与える贈り物には二通りある。使える贈り物と使わない贈り物。
 使える贈り物は文字通り、日常的に使用する贈り物だ。時計や衣服など。食べ物や花のような消えもの系も一応ここに含まれるだろう。実際に使うものだから、もらえれば普通に嬉しい。今あるものとだぶついても、残しておけばいずれ使うかもとたいていの人間が手元に残す。
 使わない贈り物は、使いようがない贈り物と言ってもいい。置物やら人形やら、人によっては装飾品も含まれる。記念式典などで大量生産されるような、もらってもどーしようもないんだけどなー、と思われがちな代物。が、今回ロンはあえてこちらを選んでみた。
 なぜかというと、ひとつにはこれが初めての贈り物だから。実際に使うものはどうしてもくたびれて、贈り物というより日用品として扱われる。なのでとりあえず手元に残してもらって、自分という存在を繰り返し印象付けるきっかけにさせたいと思ったのだ。
 もうひとつには印象作り。せっかくの機会なのだから自分の存在を想起させるものを贈りたい。で、ロンは自分のことを実用本位というよりは無駄の多い人間だと自負しているので、そういうものを贈ることにしたわけだ。
 そして、なによりロンは無駄なものは美しい(もちろんすべてではないが)と思っている。ので、自分の美しいと思う、相手に似合うものを贈ろうと考えれば、そうなるのは自然の成り行きだった。まぁ、そういうものが贈れるのは、船を得て、個室を持って移動できる状況になったからだというのはもちろんだけれども。
 商店街に出て店をのぞく。調べた通りの店にお目当ての物はあった。楽器店で掌に収まるぐらいの、ただし中心に立てられた柱が回転する型のオルゴールを買い、蝋燭専門店で香油入り蝋燭と小さな蝋燭立てを買い、装飾品店で銀製の開閉型ペンダントを買う。あとはこれに少々細工すれば完了だ。
 ふと省みて、我ながら気合が入っているな、と苦笑した。普通ならここまで気合を入れて贈り物を選ぶのはそれこそ『落とす』時ぐらいだろう。
 だがロンとしてはそういう気持ちはまったくない。というか、そういう関係に伴う感情を互いの関係の中にできるだけ持ち込みたくないと思っている。
 友情と愛情の区別というのは案外曖昧なものだが、それでもやはり相手と寝るのとそうでないのとではまるで違う。それぞれに得るものと失うものがある。
 そして自分は、押し倒してしまうことで今の状態から失われてしまうものがあったら、かなり寂しいしもったいないな、と思ってしまうのだ。
 だからまぁ、今はこれでいいだろう。友情であれ愛情であれ、大切だと思う人間に想いを込めて贈り物を選ぶことは、楽しいことには違いない。
 くくっ、と小さく笑い声を立てて、ロンは宿への帰り道を急いだ。

「あ」
「う」
「お」
 三人揃って宿の前で鉢合わせたことに、ラグは微妙に困りながら視線を逸らしフォルデは苦虫を噛み潰したような顔になりロンは面白そうに笑った。
「お前らも今帰ってきたところか。いい贈り物は見つかったか?」
「なっ、ざっけんなっんな阿呆らしいもん買うわけ」
「フォルデ……道具屋の紙袋持ちながらその台詞はだいぶ間抜けだぞ」
「う゛……っ」
 紙の大量加工生産体制が確立している、ダーマ商店街特有の買った物を入れる紙でできた袋。それを右手に抱えながら、フォルデはカッと赤くなった。
「ば、馬鹿言ってんじゃねぇこれは別にそんな」
「お? 違うのか? そうか、それはセオも悲しむだろうな。仲間記念日に仲間が贈り物をくれないとは。口ではなにも言わんしもしかしたら顔にも出さんだろうが、『俺が駄目だからなにもくれなかったんだ』と思うだろうなぁ確実に」
「………っ!!」
「からかうなよ、ロン。第一、そういうお前はどうなんだ」
「俺か? もちろんパーティ全員に愛を込めて贈り物を選ばせてもらったとも。まぁ、渡す時はセオと一緒だからそれまでのお楽しみだが……そういうラグも相当に気合を入れて選んでくれたようだな?」
「気合とか、別にそこまでのものじゃないけど……」
 ラグはさすがにフォルデほど顔を赤らめはしなかったものの、耳の辺りがほんのりと染まっているのを隠せてはいない。微妙に視線を逸らしているのも、ラグが実は相当に照れているのを表していた。
「まぁ、とりあえずセオに会いに行くとしよう。さて、セオはなにを贈ってくれるか楽しみだな?」
 ロンはくつくつ笑いながらラグとフォルデを押しやる。その顔は心の底から楽しそうで、少なくとも見える限りでは照れているという気配すら浮かんではいない。
 そんな三人が宿に入ってすぐ、妙に宿(こういった宿にありがちなことに、一階は酒場兼食堂になっているのだが)の中がざわついているのに気がついた。
「? なんだ? なにかざわついているようだけど」
「ざわついているというか、どよめいていると言った方がよさそうだな」
「……おい。まさか、セオがなんかやらかしたんじゃねぇだろうな」
「な……そんな馬鹿な。なんかってなんだよ、あの子が人に迷惑をかけるようなことを」
「わかんねぇけど、なんか……迷惑ってんじゃねーだろーけど、なんか」
「まぁ、とにかく行ってみるとしよう」
 三人揃って奥へ進み、自分たちがいつも使っている席のところまで来て、ラグはぽかんと、フォルデはぱかっと、ロンは目を瞬かせつつ小さく口を開けた。
「これ……って」
「……看板? 光ってるけど」
「注目するとこはそこじゃねーだろっ!?」
 そこにあったのは確かに光った看板、に見えた。それも屋内ということを考えれば度外れていると言ってもいいほど大きな。
 二本の柱で支えられた、文字も周囲の縁取りもやたらぴかぴかきらきらしている看板には、『ラグさんロンさんフォルデさんいつもありがとうございます』と書いてあった。その下の卓の上には料理がどっさり。ラグたちの目には、それがおそらくセオの手によるものであろうことはしっかり見て取れた。
 三人がどう反応すればいいのか迷いつつとりあえず一歩を踏み出すと、ぱぱらぱーん! と急に音楽が鳴り出した。ぱぱらぱーん、ぱぱらぱーん、と席の方から、誰もいないのに結婚式やら式典やらに奏でられる行進曲が鳴り出す。
 しかもなぜか後方からも聞こえる。三人は顔を見合わせ、大音量の行進曲の中のろのろと席の前に進み出た。
 と、卓の上からぱーん、ぱぱーん、と小さな花火が打ち上げられた。小さいながらもその火花は尾を引き、空中にいく筋もの線を作る――と思うや、ぱっとその線ひとつひとつが大きな銀の火花に変わって宙に散った。
 そして周囲から(というように聞こえるのだ)いっせいに声が浴びせられる。
『ラグさんロンさんフォルデさん、ありがとうございます!』
 そして割れんばかりの拍手と歓声。当然ながら周囲の人間からではない。合成音声を魔道具で記録して再生してるんだな、と小さくロンは呟いた。
 そしてそこに、さらなる大音量の行進曲と共に、しずしずとケーキが現れた。それこそ天井にも届かんというほどの大きさの、三階建てのデコレーションケーキが。
 それを台車で自分たちの前まで運んできた頭から深々とフードを被った人影は、小さく頭を下げて、台車から手を離しくるりと踵を返す――
 その腕を、ラグとロンが揃って捕まえた。
「おい。ちょっと待て」
 いろんなものを堪えてぶるぶる震えている声で言うフォルデに、人影はびくん、と大きく震えてかすかな声で答えた。
「な、なん、です、か」
「なんだ、これは」
「え、あの、お気に、召さな」
「いや、ていうか、これ準備したの、君だよね? セオ」
 ラグの言葉に、人影はびっくん! と全力で大きく震えて、おそるおそるという感じに小さくうなずいた。
 フォルデがばっ、とフードを取る。その下にあったのは、確かに間違えようもないセオの全身全霊でびくびくどきどきしている時の顔だった。
「あ、あの、お気に、召さな」
「いや……あの、お気に召すとか召さないじゃなくて……」
「っっってっめぇは、阿呆か――――――っ!!!! なに考えてんだてめぇ脳味噌蕩けてんじゃねぇのか頭悪ぃのか死んでんのかっ、こんな馬鹿みてぇなことやって俺らが喜ぶと、本気で思ってんのかあぁっ!!??」
 セオの胸倉をつかみ、頭をがっくんがっくん揺らしながらフォルデががなる。当然ながら周囲からはひそひそと叩かれている陰口が聞こえ白い視線がよこされ、ときおりあからさまにこちらを指差す連中もいる。そういう中で『お気に召しませんか?』などと聞かれたら、普通の人間はそういう反応をするだろう。
 が、セオはあんまり普通の人間ではなかったので、明らかにがーん、と衝撃を受けた顔をした。ざーっと顔から唇が真っ青になるほどに血の気が引く。ぶる、ぶるぶる、と体が小刻みに震えだす。唇が開いて「ご」の形を作り始めた時、フォルデもヤバいっ、と気がついた。
 が、気がついただけではどうもこうもしようがない。セオが口を大きく開け、悲痛と悲嘆と哀切と絶望を絞り出したような声で「ごめんなさ」と謝罪の言葉を叫びだす――
 というぎりぎり直前に、ラグがぐいっとセオの体を抱き寄せた。
「……え」
「へ」
「ほほう」
 ラグは力強くセオの体を抱きしめながら、ぽんぽんと背中を叩く。そして真剣な声で囁くように言った。
「大丈夫だから。セオ、ちゃんと君の気持ちは伝わってるから」
「ぇ……ぁ、の」
「俺たちにありがとうって言いたくて、いっぱい頑張ったんだろう? ありがとう、セオ。すごく嬉しいよ」
「ぇ、ぁ、ぅ、の」
 ぼんっ、とセオの顔が湯気が立ちそうなほど真っ赤になる。このまま倒れるんじゃないかというほど頭に血が上っているようだ。が、ラグの方も実は相当恥ずかしがっているのは、耳やこめかみがかなり赤くなっていることで簡単に見て取れた。
 周囲からひゅーひゅーと囃し立てるような口笛と歓声が浴びせられてくるのを無視して、ラグはにっこり笑顔でぽんぽんと背中を叩いてからセオを離す。セオはぼうっと熱に浮かされたような顔でラグを見上げた。
「さ、食べようか! セオが作ってくれたんだろう、この料理?」
「え……は、い………」
「ほら、お前らもちゃんとセオにお礼を言って」
「え、あのっ、そんな、お礼とか、迷惑だったんで」
「ありがとう、セオ。君の一生懸命な気持ち、しっかり受け取らせてもらった。ものすごく嬉しいぞ。本当に可愛いな、セオは」
「ぇ、いえ、あの、そんな、ごめんな、じゃなくて」
「…………。……………。………………っ! …………っあり…………だーもー阿呆らしい! やってられっか! どーでもいいからとっとと食うぞ、一応こんだけの料理作った根性認めてそんくらいはやってやる!」
「………! フォルデさん……ぁの、あのっ、あり、ありがとうございま」
「いいからとっとと座れ、ボケッ! ……それから、この看板は下ろせ」
「え……あの、お気に召さ」
「召すかボケタコっ! ……っ、っ」
「っ……ごめ、んなさ」
「さぁセオ、早く食べよう! どの料理もすごくおいしそうだよ!」
「ぇ……あの、は、い……」
 そういうわけで、四人は揃って卓について食事を始めた。光る看板はきちんと下ろして。
「うん、このキッシュもおいしい。これは……確か油林鶏とかいうダーマの料理だっけ? これもおいしいよ、頑張ったね、セオ」
「ぇ……あの、ありがとう、ございます……」
「…………っ」
「その仏頂面なんとかしたらどうだ、フォルデ。せっかくうまいものを食わせてもらっているのに」
「好きで食ってんじゃ……っ、やかましい、黙ってろ」
「おお……! フォルデ、すごいな、成長したな! お前が文句を途中で飲み込むのなんて初めて見たような気がするぞ」
「ざけんなてめぇ喧嘩売ってんのかっ、俺がなんのためにこんなことしてっと」
「そうだな、すまん。……セオ、この宴席を開くのは、君が考えたことなのか?」
 顔を真っ赤にしてラグの褒め言葉を聞いていたセオは、ロンの言葉に顔を赤くしたままこくんとうなずいた。
「あの、はい。ご迷惑で」
「いや迷惑じゃないぞ。が、少しばかり興味があるんでな、君がこの宴席の準備というか、開くに至るまでの経過を聞かせてもらえたら嬉しいんだが」
「え、あの、はい」
 セオは顔を赤くしたままきょとんとした表情になったが、すぐにすらすらと流れるように話し始める。その声には揺らぎがなく、少なくともセオの中にここに至るまでの経過には疑問も迷いもないのがうかがえた。
「えと、今日が仲間記念日だ、ってサヴァンさんに教えていただいて、少しでも普段のご恩返しと、感謝の気持ちを表さなくっちゃ、って思って。普通の宴席じゃとても足りないですから、今までこの街で見てきたもので使えそうなものを思い出して、せめて発光看板と、音楽と拍手と歓声、あと小さな花火ぐらいはせめてご披露しなくちゃ、って」
「どっから宴席でそんなもん使うっつー発想が出てくんだ」
「………! ご、めんなさいっ、実際に人を雇って明かりを持って集団体操とか空に花火を打ち上げるとか建物の光で文字を描くとか雪を降らせるとかも考えたんですけどっ、お金が足りなくてっ」
「正気かてめぇは……っ! あーもーいーから、それからなんだって!?」
「あ、の、それで、街に出てそれを買ってきて、宿の方にお願いしてこの席を一日借り切らせていただいて、飾り付けの準備して、大きなかまどをひとつ貸していただいて……買ってきた型で大きさの違うケーキを三つ焼いて、料理の下ごしらえをして、ケーキが冷めたのを見計らってデコレーションして、合間を縫って贈り物を編んで」
「編む……っ、て」
「……もしかして、セオ。君が用意してくれた贈り物というのは」
「おい……待て。まさか、まさかたぁ思うが、手編みのなんかとか言わねーだろーなっ!?」
 その言葉に、セオはへちゃ、と赤らめた顔を崩した。たぶん嬉しさと恥じらいが満ち満ちているんだろうなぁという雰囲気に。
「あの、はい、あの……セーターと、手袋と、マフラー、あと帽子、です……これから寒い海を渡るから、ちょうどいい、かなぁ、って」
『………………』
「あのさ、セオ。せっかくだから、ちょっとその贈り物を見せてくれないかな?」
「え……はい」
 セオが恥ずかしそうにうつむきながら、紙に美しく梱包された包みを差し出す。「開けてもいいかい?」と訊ねてこくんとうなずかれ、ラグが包みを破って出てきたのは、網目がきっちり詰まり、縁飾りやら模様やらが編みこまれた、やたらめったら手の込んだセーターだった。
「………………」
「………………」
「………………」
「あ、の。お気に、召さない、です、か……?」
 怯えに満ちた顔で、おずおずと訊ねてくるセオに、ラグはこれ一日で編んだのか……と少々、というよりかなりだいぶこの少年に恐れをなす気持ちを堪えて、にっこりと優しく微笑んだ。
「いや。セオ、ありがとう。本当に頑張ってくれたんだね。嬉しいよ」
「………! は、い……ありがとう、ございますっ!」
「おいラグ。お前嬉しいのか? ほんっきで嬉しいのか!? 正直に言いやがれてめぇ日和ってんじゃねぇ!」
「この際だからセオには過ぎたるはなお及ばざるが如しという言葉をきっちり教えた方がいいような気もするが……まぁそれはさておき。セオ、俺の分もあるんだな?」
「え、あの、はい……どうぞ」
 差し出された包みを開けると、ラグのセーター同様手の込みまくった手袋が出てくる。ロンは微笑んでその手袋を嵌め、「暖かいな。ありがとう、セオ」とにっこり笑顔で言ってのけた。
「あ……りがとう、ございますっ……!」
「いやいや。ほら、フォルデも」
「う……つーかな、その前にこいつにきっちり一言」
「宴席で言うことでもないような気もするがな」
「てっめぇさっきと言ってることが」
「なんにせよ、この子が本当に頑張ってくれたのは確かなんだ。たとえ少々方向や結果が……その、アレでも。俺たちはその気持ちに応えてやるべきじゃないのか」
「う゛……つ、つーかな! それ以前に常識ってもんからして……だーくそっ、おいセオっ!」
「は、はいっ!」
「………、…………、……………っ。……俺の分、とっととよこせ」
 セオは苦虫を噛み潰したような、そのくせ耳の先の赤いフォルデの顔を一瞬まじまじと見つめ、へちゃり、と顔を緩めてから、おずおずと包みを差し出した。フォルデがばりばりと紙を破ると、中に入っていたのは、やはり手の込みまくったマフラーと、帽子だった。
「……なんで俺だけ二つなんだ」
「あの……ラグさんと、ロンさんは、耳当てを持ってらっしゃるので、俺が勝手に帽子とか編んだら、邪魔、かな、って……」
「お前俺らの所持品全部把握してんのかよ!?」
「え、あの、はい。それが、なにか……?」
「……もういい」
 フォルデはざっ、とマフラーを手に取り、帽子をかぶってみせて(当然のように寸法がぴったりなのがまたなんというか)、ぶっきらぼうに告げた。
「ありがとよ」
「………っ! あ……、り。あり……がとう、ござ、います……」
 顔をくしゃくしゃに歪め。かぁっと頬を上気させ。体をぶるぶる震わせて、セオは深々と頭を下げた。それを微笑ましく(内心では少しばかりこの状況に遠い目になりつつも表には出さず)見守っていたラグとロンは、互いに目配せをし、間を見計らってす、とセオに揃って包みを差し出した。
「……? あ、の」
「セオ、俺からも贈り物……というほど、大したものじゃないけど。せっかくだから、普段お世話になっているお礼」
「俺の愛をたっぷり込めて選ばせてもらった贈り物だ。受け取ってくれ」
「……え」
「なっ、ちょっ、待ててめーらっ、なんでんな突然」
「突然でもないだろう、さっきからずっと持ってたんだし……」
「そういうお前は渡さんのか。せっかく買ったのに」
「なっ、別にわざわざ買ったとか、そーいうんじゃねーし、たまたまなんとなく気が向いたからちょっと買ってみただけでなぁっ」
「セオを見てみろ、あの切なげな瞳。お前はあの健気な視線を裏切ることができるのか?」
「っ、だっから切なげとかそーいう……っ! ………っ、だーっ!」
 がしがしがしっ、と頭を掻き毟り、フォルデは全力で顔をしかめながら「おら」と包みをセオに差し出す。セオはあからさまにうろたえ呆然とし、ばっばっ、とラグたちの顔を見比べていたが、受け取らないこと数秒でフォルデが当然のように切れた。
「だーっ、ぐだぐだやってんじゃねぇ、いーからとっとと受け取りやがれっ!」
「はいぃっ」
 慌てて三人の包みを受け取り、おずおずと周囲を見回し、「開けていいよ」とラグに言われておそるおそる包みを開ける。セオは中から出てきた贈り物を小さく口を開け、呆然と見つめた。
「ほう、ラグはちょっとお高い武器の手入れ用品か。お前らしく手堅いところを押さえてきたな」
「手堅いって、女への贈り物じゃないんだから……そういうお前のはなんだ。オルゴール?」
「そう。これにはちょっと細工がしてあってな、こうしてちょっと周囲を暗くして、中の光をつけて、回すと……」
「あ……影絵が回ってる!」
「そう。物語好きなセオにはいろいろ想像ができていいんじゃないかと思ってな。外側を取り替えればいろんな影を映し出せるし」
「フォルデは……これ、満月草か?」
「っっ……んっだよ悪ぃかよ! いくらあっても困んねーだろ!?」
「まぁ消えもの系もありだとは思うが。実用品だと贈り物という雰囲気はかもし出しずらいな」
「……っ……っせぇなっ別に俺は贈り物なんてつもりで買ったんじゃねーんだからなっ! たまたま目にいたからついでだから一応少し買ってってやるかってだけで」
「別にそこまで全力で予防線を張らなくても」
「意地っ張りもいいが、たまには素直にならんと話が進まんぞ。というわけで、ほら」
「……は……? なんだこれ、俺に?」
「そういうことだ。ほらラグ。お前たちも俺にもお互いにも贈り物を買ってるんだろう? 出した出した」
「い、いやそりゃ一応買ってはいるけど……別に大したものじゃないんだぞ? ……ほら」
「俺のだって大したものじゃないさ。愛を込めて選んだだけで」
「キショいこと言うな! ……これ……ペンダント? なんだこれ、開け閉めできんのか?」
「ロケット、と言う。中に愛する人の絵を入れてお守り代わりにするのが普通だな。絵は一通り用意してあるからな、お前が誰の絵を入れるか、楽しみにさせてもらうぞ?」
「な……っ、てめっ……!」
「俺のこれ……蝋燭、と蝋燭立て?」
「その蝋燭には心を安らがせる香油が入っている。ついでに俺が調合したこの香油を数滴振りかけて火をつけるのがお勧めだ。武器の手入れをする時にでも使ってくれ、気は心ということでな」
「へぇ……お前、香油なんて調合してたのか」
「お前はしてないのか? 旅の必需品だぞ。細かい傷には魔力のある薬草よりも自然な薬効で自然治癒を加速させるものの方がいい」
「一応やり方は知ってるけど、自分ではあんまり……うん、でも確かにそうだな、ありがとう。使わせてもらう……セオっ!」
 ラグの伸ばした手は、ぎりぎりのところで倒れるセオの体を抱きとめた。セオの顔はのぼせたように真っ赤で、口からはせわしない呼吸音が漏れ、目はこの世ならぬものを見ているように虚ろだ。ラグは思わずセオの顔をのぞきこみ叫んでしまった。
「セオっ、どうしたんだ、大丈夫かセオっ!」
「………あり」
『……あり?』
「あり、が、とうご、ざいま、す………」
 くへちゃっ、と顔を緩め崩して、真っ赤な顔で礼の言葉を、おそらくは体中の力を振り絞って告げたセオは、次の瞬間くたり、と体から力を抜いて目を閉じた。
「セオっ!? ちょ……しっかりしてくれっ、大丈夫かセオっ!」
「これは、あれか。知恵熱ならぬ嬉し熱というやつか? まぁどっちも頭に血が上るというところでは大差ないといえばそうだが」
「阿呆かくだらねーこと言ってんじゃねぇっ! 氷、じゃねぇタオルだタオルっ、ラグこのボケベッドに運べっ!」

 結果、セオは体力を消費したせいかあまりの嬉しさに耐えきれなかったか、一日寝込むことになり、仲間たちは交代でセオの看病をすることとなった。
「俺たちに仲間の誕生日を祝う習慣がなくてよかったかもなぁ……」
「そうだな。まぁこういう催しごとは、一年に一日二日ぐらいにしておこう。セオの誕生日とか」
「あーっ……たく、バッカバカしーったらねーぜ、やってられっか! ったくこの大ボケ勇者が」
 仲間たちのそんな言葉は、紛うことなき本音であっただろう。
 が、真っ赤になって寝込んでいるセオの顔が、ここしばらく見ないほど緩んだものであったのも(あとそれにこっそり心が慰められたのも)、確かに意見の一致するところではあるのだった。

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