one day dream
 きれいだ、と思った。
 自分よりはるかにほっそりとして、でもしっかり筋肉のついた伸びやかな肢体。合宿で一緒に風呂に入った時に、何度も見た体。
 それがひどくあやしく、美しく隼人には思えた。男の、筋骨逞しいとは言わないまでもアスリートの華奢とは程遠い体で、女性の豊満さも柔らかさも感じられない、可愛げなんてかけらもない体なのに。
『………隼人』
 自分の体の下でうごめく白い肌が、自分の耳元で囁かれるかすれた声が。
 ひどくきれいで、色っぽく、欲情をかきたてるものに隼人には思えたのだ。

「………っわーっ!」
 体中から冷や汗を流しながら、大声で喚きつつ飛び起きる。
 なんだ、なんだなんなんだ今の夢。なんか、なんか明らかにおかしくなかったか!?
 だって、だってだって夢の中で自分は。なんか妙なことを。なんかドキドキするようなことを。巴や親父には恥ずかしくて言えないようなことを。
 やってしまってなかっただろうか。――リョーマに。
 ぶるぶるぶると首を振る。いやそれはあれだ、錯覚だ、幻覚だ。偶然見えただけの幻像だ。だって夢っていつだって理不尽じゃん。夢が願望だとかそんなんただの迷信だし。意味ない幻だし。
 と必死に首を振って否定しつつ、パンツの中にひやりとした感触を覚えて隼人はおそるおそる中を見てみた。
 そして絶望した。
「……なんでよりによってリョーマで出すんだ俺の体………」
 別に溜めてるわけでもないのに。

 その日はいつもより寝坊してしまったので、パンツを一人で洗うわけにはいかない。仕方なく箪笥の中にこっそり突っ込んで着替え、何食わぬ顔を装って部屋を出た。
 出ながら思う。なんで、あんな夢、見ちまったんだ。
 だっておかしいだろ、あんなの。なんでリョーマが。ありえねぇだろマジ。だって、リョーマっつーことをおいといても男同士だぞ、俺ら!?
 なのになんで、どうしてあんな恥ずかしい夢を見てしまったのか。あんな、一応テニスではライバルと認めているもののいっつもエラソーでムカつくことばっか言って腹立つことに言うだけの実力もあってその才能と努力と負けん気は自分も認めざるを得ないような、って褒めてどーすんだ俺ぇっ!
 俺はあんなことしたいなんて思ってない、全然思ってない。思うわけねぇ! 今考えただけでも、キモいし! キショいし! 想像しただけで勘弁してくれって感じだし!
 ――でも、あの夢の中のリョーマはたまらなくきれい
 じゃねーだろ俺ぇぇぇぇっ!!!
 ぶるんぶるん首を振り、なんでなんだーなんであんな夢見たんだーと頭からぷすんぷすん煙が出そうになるほど考えて、隼人はあ、と思いついた。
 そういえば。昨日、あの時、あんなことがあった瞬間。ちょっと妙な感じがした。

 普段、隼人とリョーマは待ち合わせしているというわけでもないのだが、毎日一緒に登校して一緒に帰る。
 いつ頃からかはよく覚えていないのだが、たぶん一年の全国大会の前後から。お互いにお互いを得難いテニスプレイヤーとしてパートナーとして、認め始めた頃ではないかと思う(というか食事の時間も寝る時間も部活の時間もだいたい同じなのだからどうしたって体内時計は似てくるし、それまでのように意識的に避けるのをやめたら自然登下校も同じ時間になるというだけなのだが)。
 同じ家に住んでいる巴は(巴は寄り道やら帰りに誰かと会う約束をするやらということが非常に多いので)一緒に帰ったり帰らなかったりだ。隼人としては夜道巴を一人帰らせるというのは気に入らないのだが、巴は「痴漢が出たら私の踵落としお見舞いするから!」と無意味に力強く胸を叩いて元気に一人で下校している。
 ともかく、昨日は隼人とリョーマは二人っきりで家路をたどっていたわけだ。
「お前グリップテープの巻き方ずれてんじゃないの? ただでさえいまいちなボールコントロールがますます悪くなったような気がすんだけど」
「んっだと、お前だってストリングスの張替えさぼってんじゃねぇだろうな、ただでさえパワーがねぇのにボールこれ以上飛ばせなくなったら試合にならねぇぞ!」
 こんないつも通りの会話をかわしながら。お互い毎日生活の過半数をテニスが占めるテニス馬鹿だ、他の話題がないわけではないがいつだって最後にはテニスの話になってしまう。
 そして、話の終わりはたいてい喧嘩になるのだ。
「心配しなくてもお前ほど忘れっぽくないから。それと自分にはパワーと体力しか取り得がないこと宣伝するみたいに周りの人間にパワーがないとか言うのやめてくれない。一緒にいて恥ずかしいから」
「ぁんだと、コラ!? てめぇみてぇにちょっと技術力が高いの鼻にかけていちいち偉そうなこと抜かす奴に言われたかねぇよ!」
「『ちょっと』じゃないからね、俺のは。お前のはどうか知らないけど――あ」
「ん?」
 言い合っていたリョーマがこちらを見てわずかに口を開けたので隼人もリョーマを見返した。リョーマはつい、と指を隼人の胸元に伸ばす。
 なんだ、と思いつつ突然手を伸ばされて、そしてリョーマの伸びた腕に、そのシャツの裾からのぞく腕の白さに不意打ちを食らったようになって、動けないでいる隼人にリョーマはつ、と目的のものを摘み上げてみせた。
「なんだよ、それ」
「葉っぱ。ついてたの気がつかなかったの? 粗忽だね、相変わらず」
「うっせぇ、このヤロ」
 即座に頭の中は『こいつムカつく』の一辺倒になって、頭をぐしゃぐしゃにしてやろうと手を伸ばす。逃げるリョーマを追いかけながら、ひとしきりじゃれあった。
 その時、リョーマのシャツがひるがえって。裾からわずかに、びっくりするくらい白い腹がのぞいて。
 それを見た時、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気分になって、慌てて目を逸らした。心臓がどきんと、わずかに高鳴ったような気がしてしまって。
 もちろんリョーマに蹴りを入れられ、即座にその妙な感覚は記憶の彼方へ紛れてしまったのだが。

「だからって……」
 だからって、なんでリョーマが夢に出てくるのか。男で、ライバルで、ムカつく居候先の子供であるリョーマが。
 第一あのくらいの『あれ、なんか妙だな』という感じは以前からあったではないか。合宿で一緒に風呂に入った時に腕の焼けた部分と白い部分のくっきりした違いにびくんとしたり。リョーマの後ろを歩いていてそのうなじの形にどきりとしたり。喧嘩していて力で無理やり押し倒した時にぞくりとしてしまったことだってある。
 なのにどうして、今日に限ってあんな夢を見てしまったのか。本気で自分が信じられない。あんな、リョーマのことを、心底きれいだと思ってしまうような夢を――
「あークソッ、消えろ消えろ! 妄想だ妄想」
「朝から大声出さないでくれる?」
 ふいに聞こえた冷たい声に、隼人はびくんと震えておそるおそる後ろを振り向いた。そこには予想通りリョーマが立っている。
「下に下りるんなら下りたら? そんなところでぐずぐずされてると邪魔なんだけど」
「う、うっせーなっ、今行くとこだったんだよ!」
 クソムカつく、と隼人は拳を握り締めた。本当になんでこんな奴を。そりゃ顔や体はちょっとくらいきれいかもって違ぇだろ俺っ!
 もやもやを無理やり苛立ちに昇華し、隼人はリョーマを睨んだ。リョーマはなぜか、こちらを見たくないというように微妙に視線を逸らしている。
 不審に思ったもののそれよりもこの苛立ちをなんとかしなければ。隼人はずかずかとリョーマに近づき、がすっと頭を小突く。軽く取っ組み合いでもしてすっきりするつもりだった。そうでもしなければこの心中のもやもやしたものは収まりそうにない。
 だがリョーマはカッと顔は赤くするもののこちらを見ようとはしない。唇を噛み締め、あくまで微妙に目を逸らしたままそれでも口だけは素早く動く。
「面倒くさいことさせないでくれる。俺、今かなり機嫌悪いんだけど」
「面倒くさいだぁ? なんだよそれ」
「顔とか近づけてくるなって言ってるんだよ。鬱陶しいから」
「ぁんだと、コラ!?」
 怒鳴って思わず胸倉をつかむと、リョーマもようやくこちらの方を向き胸倉をつかんできた。そしてなぜかまだ赤い顔でこちらをぎっと睨んでくる。
「朝っぱらからやる気?」
「先に挑発したのはてめぇだろ」
「先に手出してきたのはお前じゃん」
「んっだと、てめぇだってやる気充分だったくせによ!」
「んなわけないだろ。……顔も見たくなかったのに」
「……なんだって?」
「うるさい」
 がすっと頭突きをかましてきた。頭がくらりとするがその程度どうということはない、げしっと足に蹴りを入れてやった。そこから先はいつも通りに、小突きあいがどんどんエスカレートして最後には殴りあいになった。お互い相手の体を傷つけないように注意しながら、びしばしがつんと腕を振るいあう。
 最後の方は本気になってきかけてしまったが、さすがにその辺りで南次郎からのストップが入った。やかましいとっとと飯食って学校行きやがれ、と怒鳴る南次郎に、渋々離れて階下へ向かう。
「……ホントに、なんでこんな奴」
 その時ふとぽそりと、囁くように呟かれた言葉に隼人は振り向いた。またなにかムカつくことをいわれたのかと思ったのだ。
「なんだよ」
「……別に」
「なんか言ってただろ。俺がなんなんだよ」
「関係ないでしょ。それより早く飯食わないと遅刻するんじゃないの」
「っと、そうだった!」
 こんな奴相手にしてる場合じゃないぜ、と隼人は階下に下りていく。少しでも殴り合いをしたせいで気が晴れたのか、夢のことはもう頭の中から抜け落ちていた。
 リョーマもそのあとに続いて下りていく。だがその途中で、ふいに足を止め、遠ざかっていく隼人の背中を見ながら、そっと、隼人が手をつかんだせいで皺になっている服の胸元の部分に手で触れた。
 まるで愛おしいものを撫でるような手つきでそっと、ぎゅっとそこをつかみ、うつむいてから、すっと顔を上げる。その表情は泣きそうに歪んでいたが、それは一瞬のことで、すぐ普段の冷静な顔に戻って下りていく。
「ホントに、なんで、あんな奴に」
 死んでも言わない。言うもんか。
 そうひとりごちて、リョーマは隼人を追って食堂に入っていった。

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