再会・父
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでしたっ」
「……ごちそうさまでした」
 三人揃って食べ終わりの挨拶をして、隼人と巴とリョーマは立ち上がった。
 合宿が終わって一週間。全国大会までもあと一週間。
 当然のことながら気合は入りまくっている。このあとまた壁打ちでもしたいところだ。
 リョーマを誘おうか、とちらりと思うが、すぐに首を振る。リョーマと一緒に練習するのが嫌なわけではないが(嫌だったら毎週毎週一緒に練習なんてしない)、合宿が終わってから自分とリョーマの間には奇妙な距離……というのともまた微妙に違うものがあったのだ。
 それを言葉で表現するなら『照れくささ』というのが一番近いだろう。
 あの時。あの黄金ペアとの試合の時、自分とリョーマが深いところで繋がった感覚を得た瞬間の快感。
 お互いにお互いが得がたい存在だということを確信していることをわかっている。自分でも相手をテニスプレイヤーとして(私的にどうかはおいておくとして!)とても大切な存在だというのがわかってしまっている。
 だからこそ改めて向き合い、普通に話すのが、どうにも照れくさい気がして、この一週間自分とリョーマは少しぎこちなかった。
 ――だからといって、嫌な雰囲気というわけではないのだけれど。
 とりあえず、今日は壁打ちは一人でやろう。
 そう思って居間を出かかった瞬間、ピンポーン、とチャイムが鳴った。
「……あれ? こんな時間に、お客さん?」
 不思議そうに巴が首を傾げる。南次郎が面倒くさそうにのっそりと立ち上がった。
「いったい誰だ? こんな時間に訪問販売か?」
 ぶつぶつ言いながら玄関に向かい、「はーい」と相手を確認もせずドアを開ける――と。
「久しぶり。相変わらず、生臭生活を続けているようだな」
 すぐ隣で一緒に南次郎を見ていた巴と顔を見合わせる。あの声は、まさか。
「はっ、なんだヤブ医者か。呼んでもいねぇのに、来るんじゃねぇよ」
「お前が呼ぶのを待ってたら爺さんになっちまうだろうが。まるっきり気の利かない男だからなぁ」
 たたたっと玄関へ向かう巴。隼人も慌ててそのあとを追った。そこに立っていたのはキツネ目で中肉中背の、自分の極めてよく知っている中年男――
「よお、巴、隼人。元気そうだな」
「お、親父!?」
「お父さん!」
「なにしに来たんだよ!?」
「どうしたの、急に!?」
 二人で口々に言うのに、二人の父、京四郎はいつもの底の知れないにやにや笑いを浮かべながら答えた。
「可愛い娘と息子の様子をわざわざ見に来てやったんだろ。何年ぶりかで、悪友の様子も確認しておきたかったし……なにしろ、重ねてきた悪行に天罰が下って、いつ野たれ死ぬかもわからねぇような男だからな」
「それはお前のことだろ、京四郎。インチキトレーナーで小銭を巻き上げてるんだからな」
「いやいや。南次郎の生臭っぷりにはとてもかなわねぇぜ」
 お互いにやにやしながら楽しげに言葉をぶつけ合う。この二人本当に仲いいんだな、と思わずまじまじと見つめてから、はっとして言った。
「そうだ! トレーナーって言えば、俺たちが紹介した子はどうなった?」
「あ、そうだよ! 鳥取さんの腕、もう大丈夫なの!?」
 二、三週間前、関東大会氷帝戦で巴と戦った隼人も顔見知りの相手鳥取ナヲミ。彼女が肘に故障を起こしたという話を聞き、二人は京四郎を紹介して治療を頼んだのだ。
 京四郎はにやにや笑いを崩さず、あっさりと答える。
「ああ、ナヲミちゃんのことか? もちろん、順調に回復しているぜ。もうすぐ、以前と変わらずテニスができるようになんだろう」
 思わず二人揃って息をつく。
「そっか……よかった」
「まあ、普通の医者ならともかく、俺にかかりゃあチョチョイのチョイってもんだ」
「ありがとう、親父。よろしく頼むわ」
「うん、お父さん。よろしくお願いするね」
「……で、だ。そろそろ『立ち話もなんだから中へ』って誰か言ってくれてもいいんじゃないか?」
『………あ』
 思わず声を揃える隼人と巴を見て少し笑い、南次郎が踵を返しつつ京四郎に手招きをした。
「こんな時間に人の家訪ねてきて上がりこむからには、手土産のひとつも持ってきてるんだろうなぁ?」
「ああ、忘れてた。もちろん持ってきたぜ。ほれ」
 居間に入りながら差し出したのは、白い包み紙に包まれた箱だった。
「あ! これって……」
「その通り。名物、鮎型饅頭」
「……鮎型饅頭?」
 妙な顔になる南次郎に、京四郎は涼しい顔で言う。
「ああ、うまいぜ」
「やった! 一個も〜らい!」
「あ、ずるーい! お父さん、私ももらっていい!?」
「もちろん。こりゃ巴のために買ってきたみたいなもんだからな」
「わーい!」
「おい、親父! 俺にはないのかよ!」
「お前は食うなっつっても勝手に食うだろうが。悪ガキが」
「るっせぇなー……んーっ、うめーっ!」
「それ……食べられんの?」
 居間にいたリョーマが仏頂面でそう言う。隼人は久々の鮎型饅頭に笑顔になりながら振り向いて言う。
「もちろん! すげぇうまいぜ! リョーマも食ってみろよ!」
「遠慮しとく」
「お、久しぶりだな、リョーマくん。といっても君は憶えてないだろうが……」
 リョーマが目を見開いた。
「……おじさん、俺と会ったことあるわけ?」
「ああ、君がまだこんな小さな頃にな。隼人、巴、お前たちも一度南次郎に会ったことがあるんだぞ」
「へー……全然憶えてねぇや」
「ま、無理もない、小さかったからな」
「しっかし、土産が饅頭ねぇ……」
 いかにも不満そうな顔で呟く南次郎に、京四郎は涼しい顔を崩さないまま鞄からひょいと酒瓶を取り出した。
「そう言うと思って、南次郎にはこいつも用意してあるぜ」
「おっ! それは、幻の銘酒って言われてるあの……さすがは京四郎、気が利くねぇ。よっ、憎いよ、このインチキトレーナー!」
「そう褒めるな。……肴は用意してくれるんだろうな?」
 南次郎と京四郎は顔を見合わせて、にやりと笑った。

 南次郎と京四郎の酒盛りの盛り上がりっぷりは、今や最高潮だった。
「……それでまたコイツのテニスがいやらしくてなー。小手先のテクニックに走ったトリッキーなプレイから、ついたあだ名がマジシャン=I ま、ありゃどっちかっつーと魔術師っつーよりペテン師ってところだったけどな!」
「南次郎の方こそサムライ≠ネんてあだ名負けしてただろ。人を食ったようなテニススタイルで、ずいぶんと嫌われたんじゃねぇか」
「ま、しゃーねーわな。強い奴は、妬みを買っちまうもんだ。ま、リョーマにはまだ、わかんねぇかもしんねぇけどな」
「……ハイハイ」
 なんで俺たちがつき合わされてるんだ、と隼人はリョーマとげんなりした顔を見合わせた。もちろんこちらはジュースなのだから、このハイテンションぶりについていけるわけがない。
 巴のやつつまみつくるとか言ってうまいこと逃げやがってっ、と舌打ちしたい気分になりながら見つめる視線の先で、二人は顔を赤くしながらハイテンションで何度も杯を乾し、騒ぎながら笑いながら語りまくる。
「いやあ、それにしても懐かしいなぁ!」
「まったくだ」
「あれ、どうなったかな? 俺たちが行った合宿所の池にあった……」
「ああ、小便小僧か? 小便小僧爆破事件の」
「そうそう。京四郎があいつの水の出口を塞いだら、バラバラに吹っ飛んじまったんだよな!」
「人聞きの悪い……。塞いだのは南次郎だろ。俺は瞬間接着剤やらテーピングのテープやらを持ってきただけで」
「そうだっけか? いやあでも時効だよな、時効!」
「そうそう、時効時効」
「ああ、時効と言えばあのスキー教室の時の……」
「女湯侵入未遂事件! いやあ、あれは惜しかったなぁ」
「あれは南次郎が焦りすぎだった。もうちょっとでうまくいったのに」
「あの時の京四郎はすごかったよな! 事前にどこからか宿の図面を手に入れてきて、秒刻みの綿密な行動計画を作ってよ」
「そういえば、そうだったな。でもまぁ……」
「時効だよな〜」
「時効ですねぇ」
 隼人は思わずくらくらくる頭を押さえた。そりゃむちゃくちゃな親父だと思ってはいたが、青学時代にここまで阿呆だったとは。
「あ、アッタマ痛ぇ……。青学でなにをやってたんだよ親父たちは。みっともねぇなぁ」
「バッカじゃないの?」
「バカとはなんだ! こんな素敵なお父様に向かって。ちゃんと俺を見習って、俺みたいな立派な大人になるんだぜ?」
「あまり見習わない方がいいかもしれないが……遺伝というものもあるからな」
「…………」
 リョーマは顔をしかめて口を閉じた。二人の親父たちはそんなことなど気にも留めず喋りまくっている。
「そうそう、それからよ……」
「やれやれ……これ以上つきあってると、耳が腐りそうだぜ。行こうぜ、リョーマ」
「…………」
「……ん? リョーマ?」
 無言でうつむいているリョーマに、奇妙な気分になって聞くと、リョーマはどこか虚ろな声で言った。
「遺伝か……」
「えっ?」
「血を引いている以上、いつかは、親父みたいになるのかな?」
 こいつんなこと気にしてたのか、とちょっと驚きつつも、隼人は少し考える振りをしてから言った。
「うーん、そうだな……。まあ、ああはならねぇだろ」
「そう思う?」
「ま、俺もああなるつもりもねぇし」
「つもりじゃなくても、なっちゃうんじゃない?」
 いつも通りのぶっきらぼうな声、だがその表情は真剣だ。けっこう本気で悩んでいるらしい。
 からかってやろうかな、とも思ったが、やめた。全国大会前だし、落ち込まれても困るし。それに、リョーマが本気で悩んでるみたいだから。
 なので、軽い口調で言った。
「生き物っていうのは基本的にはよくなってくモンらしいぜ」
「どういうこと?」
「詳しいことはわかんねぇけど、世代が進むたびに悪いところが改善されてくらしい。サルが人間になって、人間がサルになることはないのと一緒でよ。だから、俺たちも、よほどのことがない限りあれよりはマシになれるだろ」
「ふ〜ん……。たまにはいいことを言うんだね」
「たまにはってどういうことだよ!?」
 んっとにこいつは人がたまに気遣ってやりゃ!
「わかったようなわかんないような理屈だったけど……気は楽になったかな」
「………………」
 そう言ってちょっと笑ったリョーマに、隼人も思わずふっと笑った。リョーマと自分の距離は、少しずつではあるが、近づいていってるなと思う。
 ――別に、だからどうってわけじゃないけど。
「そいじゃ、行くとすっか」
「……そうだね」
「おい、なんだよお前たち! つきあい悪りぃなあ〜!」
「そうだぜぇ〜。まだまだ夜はこれから、話もこれから……ヒック」
「つきあいきれねぇって!」
「勝手にやってれば?」
「まったく……おい、京四郎、息子の教育がなってねぇぞ!」
「それを言うなら、南次郎の方こそ」
 本当に一晩中やってそうだよな……と隼人は思わず息をついた。仲がいいのか、悪いのか。
 自分とリョーマもあんな風に見られてるのかな、とふと思い、なに考えてんだ俺はっ、と思いきりぶるぶると首を振って自分の部屋へと向かった。

 ―――だから、当然、隼人は知らない。
「……ったく、ガキだな、あいつら」
「俺たちもあんなもんだっただろうが」
「まぁな」
「――隼人と巴のこと、よろしく頼む。あいつらが俺の二の舞にならないように、見てやっていてくれ」
「たりめーだろーが。当然のこと言ってんじゃねぇよ」
「………そうか」
「………俺も、あんなのは二度とごめんだからな」
「…………悪かったな。結局最初の約束果たせないで、勝ち逃げになっちまった」
「うるせぇ。それこそ時効だろ」
「………ああ」
「二度目の約束の方は果たせるんだ。……まぁ、お前にしちゃ上出来だぜ」
「この野郎」
「……あいつら見てると面白ぇな。俺とお前がやってたことをまんまやってたり、まるっきり別のことやってたり」
「まぁ子供ってのはそういうもんだ」
「……あいつら、全国制覇すんだろーな」
「するさ。……俺らのガキだぜ」
「だな」
「ああ……」
 二人がそう、静かに杯を酌み交わしていたことを。

 日曜。いつも通りの練習を終えて、家に戻ってきて巴と一緒に少し居間でごろごろしていると、京四郎がやってきた。
「よお、これから散歩に行くぞ。お前らも付き合え」
「うん、いいよ。近所のおいしいあんみつ屋さん教えてあげる」
「そうだな……帰りに寄るか」
「えー、なんで俺が散歩につきあわなきゃなんねぇんだよ?」
「いーから、とっとと来いって!」
 ぐいっと耳をつままれて隼人は思わず声を上げる。
「あいちちちち……。耳をつまむなよ! わぁーったよ、つきあえばいいんだろ?」
「なんだ、その口の利き方は?」
「いちちちち……!! つきあいます、つきあわせていただきます!!」
「おう、こっちも連れてきたぜ」
 そこに現れたのは南次郎とリョーマだった。いつものごとく仏頂面のリョーマを、南次郎がぐいぐい引っ張っている。
「じゃあ、そろそろ行くか、京四郎」
「なんで俺まで……」
「これって大人のエゴってヤツなんじゃ……」
 ぶつぶつ言うリョーマと隼人に、京四郎と南次郎は笑った。
「いーんだよ、ガキなんてテメーのオモチャで。なぁ?」
「ちげぇねぇ」
「……ま、娘はまた別だけどな」
「なんだよそれ!」
 巴が不機嫌にならないようしっかり予防線を張る京四郎に、思わず怒鳴る隼人だった。

「なんだよ、すっかり変わっちまったな、我が母校はよ」
「コートも立派になったもんだ。俺らの頃は土だったもんな」
 連れてこられたのは青学、テニス部コートだった。
「にしても早えぇもんだな。俺らのガキがここに通うようになってんだからよ」
「まったくだ。中学の三年間も早かったが、25過ぎた辺りから時計の針が加速しやがったぜ」
「……で、目的はなんだよ? 思い出話を聞かせにここまで来たわけじゃねぇよな?」
「まぁ、待て。コートにつけばわかる」
「はぁ? ………あ」
 コートには女性が一人立っている。――竜崎だ。
「遅いじゃないか、南次郎、京四郎! アタシを待たせるなんて二十年早いんだよ」
「おっ、懐かしいフレーズだぜ」
「相変わらず達者だな……(ババァ)」
 なぜ竜崎がここにいるのだろう、と首をひねる隼人に、竜崎は笑顔で言った。
「じゃあ、そろそろ始めようか。親子ペア対決ってヤツをね」
「親子ペア……」
「対決ぅ? なんだ、そりゃあ!?」
 声を上げる隼人とリョーマ、きょとんとする巴。竜崎は驚いたように目を見開いた。
「おや? お前さんたち、なにも聞かされずここまで来たのかい?」
「その方が面白いだろ?」
「やれやれ、何年経っても、男ってのはほんと、ガキだねぇ」
 そう笑って肩をすくめ、竜崎は隼人たちの方に向き直って言った。
「こいつらが昔から約束してたんだ。お互いの子供が青学に入ったら、親子ペアで対決するってね」
 隼人は目をぱちくりさせた。親父たちがそんな約束してたなんて。なんだからしくない気がする。
「まさか、本当に実現させるとはね。おかげで審判させられることになってしまったよ」
「約束は絶対に守れって教えたのは先生ですよ」
「どんなに約束した日が遠くなっても、約束は守るぜ」
 二人揃って笑う親父たち。約束ねぇ、と思いながらも、あることに気づいて隼人は声を上げた。
「ちょっと待てよ。親父俺と巴、どっちとペア組むんだよ?」
「そうだな。ジャンケンででも決めるか?」
「うーん……私、竜崎先生と一緒に審判するよ」
「えぇ?」
 驚く隼人に、巴は笑う。
「リョーマくんの一番のライバルははやくんでしょ? はやくんとリョーマくんが戦った方が、きっといいテニスができると思う」
「なっ……」
「……ライバルっていうほど強くないと思うけど」
「ぁんだと、コラ!?」
「……まぁ、隼人の方がいいんじゃない。赤月だと親父が変な視線出しそうだし」
「あ、それは言えてるかも」
「……おい、南次郎。お前うちの巴に妙なことしてるんじゃないだろうなぁ?」
「するかボケッ。……ま、中一にしてはあっちこっち育ってはいるが」
「南次郎……そんなに殺されたいか?」
「じょーだんだっつの」
「ほらほら、あんたらいつまでもじゃれあってるんじゃないよ親子で。さ、コートに入りな!」

 試合は6-4で越前親子ペアが勝利した。隼人も必死にやったのだが、やはり南次郎の強さというのは桁がひとつ違っている。
 くっそーリョーマにまた負けたっ、と荒い息をつきながら思いきり顔をしかめる隼人の横で、京四郎は涼しい顔で笑っている。
「ああ、いい汗かいたな」
「今日の試合もなかなか楽しかったぜ」
「アタシもいい思い出ができたよ」
 南次郎と竜崎も笑顔で、京四郎と一緒に楽しげに肩を叩きあっている。
 ――そうか、この二人にとっては、今のテニスは思い出なのか、と隼人はようやく理解した。勝つか負けるかという意地とプライドのぶつかり合いは、もうこの二人にとっては遠い過去の話なのだ。
 それは、なんだか寂しい。
 だがそんなこと親父たちに言えるわけがないので、隼人はからかうような笑みを浮かべて言ってみせた。
「親父、明日は筋肉痛じゃねぇか? あんなに動き回っちゃ」
「親父たち、頑張りすぎ」
「お父さん、おじさん、大丈夫?」
「なに言うか、俺たちはまだ若い!」
「そうだぜ。俺たちの孫がここに入った時には孫とのペアで試合してやるよ」
 二人の父親はそう笑いあいながら竜崎を見る。
「そんときゃあ先生、また審判を……」
「おいおい、お前さんたち、またとんでもない約束すんじゃないよ!!」
 本気でとんでもないな、と隼人はちょっと笑った。大体親父たちの孫ということは自分たちの子どもではないか。どう考えたって自分たちが子供と一緒にペアを組む方が妥当なはずだ。
 ――今は子供を持つことなんて、とてもとても考えられないけれど。

「世話になったな」
「おう、世話してやったぜ」
 月曜日、早朝。朝錬を休ませてもらって、隼人と巴は京四郎の見送りに来ていた。南次郎も一緒だ。
「ウチの方にも、いつでも遊びに来いよ。こっちで食べていけなくなったら、雑用係として雇ってやってもいいしな」
「へっ。誰が好き好んであんな山奥に行くかよ! 京四郎こそインチキ医療がバレて仕事をなくしたら、寺で面倒見てやるよ」
 京四郎と南次郎はまた軽口を叩きあっている。んっとに仲がいいんだか悪いんだか、と隼人は苦笑した。
「あ、それから……隼人、巴」
「ん? なんだよ、親父」
「なに、お父さん?」
「二人とも南次郎やリョーマくんともうまくやっているようで、安心したぜ」
「どうだろう……リョーマとは、うまくやってんのかな? しょっちゅう言い合いしてるし」
「まあ、ライバルというのは、そういうものだ」
「でも今はやくんと一番仲がいいのはリョーマくんだと思うよ。合宿でもなんか二人でオーラ出してたりしたし」
「ほう……」
「あ、なに言ってんだよ巴!」
 まるで見透かすように涼しい顔で笑まれながら見つめられ、隼人はカッと顔を赤くした。この親父は本当に南次郎以上に質が悪いと思う。
「とにかく、今の環境はテニスをする者にとって最高の環境だ。リョーマ君を初めとして、青学には多くのライバルが存在するだろう。そして、あのババァ……もとい、竜崎先生は大変優れた指導者だ」
「ま、確かにな。この俺を指導したっていう一点だけでも、優れた指導者だと言えるわな」
 偉そうに言う南次郎。京四郎は涼しい顔で続ける。
「そして、この南次郎も、人間としては欠陥の多いクズ男だが……テニスプレイヤーとしては超一流と言っていい人間だ。学ぶべき点も、多いだろう。そうでない部分の方がより多いのは、困りものだがな」
「ほっとけ」
 京四郎がじっと、静かな瞳でこちらを見つめる。隼人は居心地悪げに身じろぎした。いつものことながら親父にこういう顔で見つめられると、落ち着かない。
「隼人、巴。青学で、思う存分テニスの腕を磨いてこい」
「……うん。私、頑張るよ」
「そんなこと……言われなくたってやってるって」
「そうか……そうだよな」
 そう言ってふ、と笑うと、京四郎は鞄を持ち上げた。
「それじゃ、帰るぜ。これからも頑張れよ」
 そしてちらりと南次郎の方を向き。
「じゃあな、南次郎」
「ああ」
 お互いにやりと笑いあい、そして京四郎は改札をくぐっていった。
 その後姿をなんとなく見送りながら、巴がぽそっと呟くのを聞く。
「……お父さん、行っちゃったね」
「まったく、せわしねぇ親父だぜ」
 そう軽口を叩くと、巴がむぅっと頬を膨らませる。
「しょうがないじゃない、お父さんは忙しいんだから。患者さんが待ってるのにこっちに二泊もしてくれただけでも感謝しなきゃ」
「へーいへいっ」
 別に泊まってもらって嬉しいわけでもないが。いつものことながら巴は少しファザコン気味だ。
 ふと、気づいた。南次郎がじっと、南次郎にしては極めて珍しい――というか初めて見るんじゃないかというくらい静かな瞳で京四郎の消えた改札を見ている。
 呆気に取られて巴と二人南次郎を見つめると、南次郎はくるりとこちらを向き、にやりと笑って自分たちの頭をぐしゃぐしゃにした。
「わ、おじさん、なにすんだよ!?」
「いーからとっとと学校行きやがれ。お前らは学校あるんだろ? 俺は帰って二度寝すっからよ」
「ずっりぃ……」
「てめぇらは中学生だろーが。青春してこい」
 そう言うと南次郎はまた頭をぐしゃぐしゃとかき回し、鼻歌を歌いながら去っていく。もー、なんなんだよあのおじさんはっ、と思いながら巴の方を見ると、巴は首を傾げていた。
「おじさん、寂しかったのかな?」
「はぁ?」
「だからさ、お父さんと久しぶりに会えたけど、またすぐ別れ別れになっちゃって、寂しかったのかな、って」
「……そうなのか?」
 あの二人がそんなことを思い合うとは正直思えないのだが。
 だが、巴は笑顔で隼人に向き直り言った。
「はやくんとリョーマくんみたい。おっきくなったら二人ともああいう風になるのかな?」
「なっ………」
 一瞬言葉を失って。
「なるわけねぇだろおぉぉ!」
 隼人は絶叫を駅に響かせたのだった。

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