全国大会・前編
「うおっ!」
 放たれた強烈なサーブに、受けた隼人はラケットごと吹き飛ばされた。
「そんなっ! 隼人くんが受けきれないなんて!」
 青学応援席からそんな声がする。あれはたぶんカツオだ。
「見たか、一撃必殺サーブ、ビッグバン!」
 対戦相手、比嘉中の田仁志がラケットを突きつけ叫ぶ。いちいちうるっせぇなこのデブ、と隼人は小さく舌打ちする。
 こいつは、こいつに限らず比嘉中の奴らはどいつもテニスプレイヤーとしては最低の奴らばかりだった。こっちの胸倉をつかむわ、暴言は吐くわ、それはまだしも六角中の監督にボールをわざとぶつけるなんてことまでやったのだ。
 こんな奴らに負ける気なんてさらさらない。こんな奴じゃなくても負けない。
 自分たちは、全国大会優勝まで負けないと決めたのだから。
 そうだろ、リョーマ――口の中だけで小さく呟いて、隼人は立ち上がった。

 全国大会。
 この日のためにこれまでずっと練習してきたと言っても過言ではない大切な日。初戦の相手は六角中を破った比嘉中。六角中に対する態度の悪さから、青学メンバーたちも全員燃えていた。
 隼人の出番は一番最初、シングルス3。相手は田仁志というテニスプレイヤーにしてはひどく太った男だった。
 最初のゲームはお互い小手調べという感が強かったが、隼人が取った。波動球を打っては来たが、田仁志の波動球はその重みも速さも河村のそれには遠く及ばない。
 そして第二ゲーム、田仁志のサービス。
 ――とてつもなく重く速いサーブが飛んできたのだ。
「赤月兄を吹っ飛ばすとは……なかなか大したモン持ってんじゃねーか」
「あの破壊力、おそらく鳳のスカッドサーブや乾の高速サーブを上回る」
「あのサーブを破らなければ、隼人に勝ちはない。だけどあそこまで強烈なサーブを破るのには彼も苦労するだろう」
「はやくん……頑張れっ……!」
「大丈夫……隼人くんは負けないよ。そうだよね、リョーマくん」
「……さぁね」
 リョーマは仏頂面で、そう答えた。

 ゲーム1−1。隼人のサーブ。
 隼人はボールを軽く弾ませて、にっと笑った。
「初戦は温存しようと思ってたけど……さすがにそううまくはいかねぇか」
「もったいぶんねぇぃ、偉そうに!」
 コートの向こうから田仁志が野次る。隼人は無視して、何度か深呼吸した。
 そして、宙に高々とボールを放り投げ――
 大きく跳んで、叩き落すように打つ!
「ふん! この程――」
 強烈なサーブを縮地法で一気に間合いを詰め、追いついて取ろうとし――
「――ばがやっ!?」
 ――手も足も出せずに終わった。
 隼人の打ったサーブは、ほとんど跳ねずに、地面を凄まじい勢いで走り抜けていったのだ。リョーマのCOOLドライブのように。
「――名付けて、隼サーブ」
 ラケットを突きつけ、隼人がにっと、不敵に笑った。

「――はやくん、完成させたんだ!」
 巴が大きく手を打つ。乾が驚愕をあらわにしつつ訊ねた。
「巴、あれは……なんだ? あんなサーブは見たことがない。ほとんどホップせず地面を走り抜けるサーブ――越前のCOOLドライブにそっくりだが、そんなものをサーブで打つとは……」
「え、えっと。私もよくわかんないんですけど、許斐コーチと南次郎おじさん二人の必殺サーブを合わせたようなサーブっていうのを開発してたんですよ、はやくん。それがなんでも地面についても跳ねない<Tーブとかで……」
「跳ねないサーブ……? そんなものを打つことが可能なのか……?」
「……隼のように高みから一気に獲物を襲い飛び這うサーブ。まさに隼サーブの名にふさわしいね」
 不二が微笑みながら言うと、手塚が静かに応じる。
「……赤月の驚くべき素直さと身体能力あっての技だな。本来サーブを急角度で打ち込めば急角度で跳ね返るはず。だが奴は驚くべき野生の勘でボールがバウンドしない回転数を見極め、それだけの強力な回転を自然のうちにかけている。球速、重さ、共に申し分もない。……あれだけの球は考えていて打てるものではない、まさに、天然の決め球」
「うわー、そういう風に言われると納得だにゃ。要するにあいつはなんにも考えてないからあんな球が打てるんだっ、すごいすごい」
「英二、そういう言い方は……」
「……やるじゃねぇか」
「理屈はどうでもいいや、やれそうじゃねぇか赤月兄! 踏ん張れっ!」
「頑張れ、はやくん!」
「隼人くん、ファイト!」
 歓声を上げるレギュラー陣の中で、リョーマは一人無言だった。ただ、その口元がわずかに吊り上がって笑みの形を作る。
 そして、小さく呟いた。
「――まだまだこんなもんじゃないだろ、隼人」

 お互いに相手のサービスを破れず、ゲームは4−4となった。隼人のサーブ。
 隼人はこれまでと同様、数度ボールを跳ねさせる。ここからが勝負だ。ここからは体力を削りあう勝負になる。精神力の戦いになるだろう。
 ――そして、隼人は精神力で負ける気など微塵もしない。他のなにで負ける気も毛頭ないが。
 あの時、自分たちは決めたのだから。

(…………)
 隼人はベッドの上で輾転反側を繰り返していた。
 明日から全国大会――だというのに少しも眠れない。寝苦しさもあるのかもしれないとは思うが、それ以上に自分もプレッシャーを感じているのかもしれない、と思う。妙に胸が苦しくて、寝苦しい――
 今までどんな試合の前でもこんな風に眠れなくなったことはなかったのに――やはり全国大会というのは、他の大会とは桁が違うのだろうか。
(まいったな。このままじゃ寝不足になっちまうよ)
 気は焦るがそんな状態で健やかに眠れるとは思えない。うんうん唸りながら輾転反側を繰り返し――
 コンコン、と二度、ノックの音が聞こえた。
「山ザル、起きてる?」
「……なんだ、リョーマか。起きてるぜ」
 上半身を起こして答えると、がちゃりと扉を開けてリョーマが入ってきた。いつも寝る前はそうしているように、スウェットの上下を着ている。
「やっぱり、起きてたんだ?」
 ごく普通の声で聞かれたので、隼人もごく普通に返した。
「ああ。ちっと、寝つけなくってさ」
「ふーん、そうなんだ? 隼人のことだから、もう熟睡してるかと思った。思ったより、繊細なところもあるんだな」
「なんだよ。こんな時間に、喧嘩売りにきたのか?」
 んっとに久々にまともに話したと思ったらこいつは、と思いつつも実際はそう悪い気はしなかった。こいつと自分は考えてみればいつもこうだった。悪口言い合って喧嘩して勝負しあって。
 ――でも。
「別に。……寝つけないんなら、いまからちょっと庭まで出ない? 寝る前に、軽く打ちたいんだけど」
「ああ、いいな。少し身体動かせば、眠くなるかもしれないしな」
 そういうのも悪くはないと、今は思っている。
「じゃ、行くよ」
「おう」
 ベッドサイドのラケットを取り上げてリョーマに並ぶ。庭にコートがあるというのはやっぱりいい。岐阜の家でもそうだったから、生活のすぐそばにコートがない生活なんて正直考えられない。
「それにしても、どういう風の吹き回しだ? ははぁん……さてはリョーマも緊張して、寝つけなかったんだろ?」
「自分と一緒にしないでくれる? 隼人が緊張して寝つけないだろうと思って、気を遣っただけだけど?」
 コートに出ながらそう話をする。リリリリリ、と虫の鳴く声が岐阜の家よりははるかにかすかだが聞こえてきた。二人の視力なら、月明かりで充分ボールは見える。
「へえ〜、ふ〜ん」
 にやにやしながら言うと、リョーマはふっと、夏合宿以来の自然に微笑んだ笑顔で、言った。
「……ほら、始めるよ」
 一瞬呆気に取られて、それからひどく嬉しくなった。
 そうだ、自分たちは、喧嘩もできるけど。
 今はもう、こんな風に笑いながら話もできる。
 だから、隼人も笑って答えた。
「そうだな!」
 しばらく軽く打ち合う。この半年でたぶん一番多く打ち合ってきた相手だ。相手がどう打って、どう返すか、十手先まで手に取るように読める。
 体力を消耗してしまっては本末転倒だから軽いラリーを続けるだけ。厳しいショットは打たない。
 でも、それでも。
 こいつと向かい合ってると、なんて気持ちいいんだろう。
「調子、悪くはなさそうだね」
 打ち合いながら、リョーマが話しかけてきた。
「もちろん、絶好調だぜ!」
「ふーん、そう? ま、明日もその調子でね。優勝、あるのみだから」
「優勝か……」
 ふいに遠くを見つめてしまう。全国大会優勝。自分はそれをなしえるだけの、テニスプレイヤーになっているのだろうか? その重みを背負えるだけの人間になっているだろうか?
 直後、球が返ってくる。問いかけるようなそのボールに、隼人は心の底からの笑顔で応えた。
「もちろん、優勝するぜ! 俺の試合も全部勝つしな」
 ボールが何よりも雄弁に想いを語る。リョーマの気概、執念、誇りと自分がこれまで積み上げてきた努力に対する自信。そして――自分に対する信頼と期待。
 それに応えないわけにはいかない。それ以上に、こいつに負けたくない。
 そしてこいつに負けないくらいの努力をしてきたという自信は、自分にだってあるのだ。
「テニスの実力はともかく、その強気が隼人のいいところだからね。その調子でいけばいいんじゃない?」
「おい! テニスの実力はともかく、っていうのはどういうことだよ!?」
「そのままの意味だけど? そんなことより……もう遅いし、そろそろ家に入ろうか」
「お、おう」
 リョーマの打ったショットを拾って手の中に収め、隼人はリョーマと並んで歩き出した。まったく、本当に腹の立つ奴だ。
 でも、嫌いじゃない。
 そんな風に思えることが気分がよくて、隼人は小さく鼻歌を歌った。

 絶対に勝つ。負けない。あいつと一緒に決めたんだから。
 そして、なにより自分が――ものすごく勝ちたいと思っているのだから!
「はぁっ!」
 隼人は隼サーブをびしばしと決め、第9ゲームを取った。ゲームカウント5−4。田仁志のサーブだ。
 田仁志は当然のようにビッグバンを打つ。隼人は打たれたコースを読んでフォアを振りかぶった。
 確かに、こいつは強い。相当な修練を積んだんだろう。
 だけど俺は――もっと強い!
「はあぁぁっ!」
 体中のバネを使った全力ショット――ストロング・ショット。
 その弾丸のようなリターンがそれであるとギャラリーが気づいたのは、ショットが田仁志のコートに突き刺さるのを見たあとだった。
『――おおぉぉっ!!』
 観衆がどよめく。最も衝撃を受けているのは田仁志に見えた。
「ばがや……俺のビッグバンが……!?」
「……悪ぃけどな。あーいう真正面からのパワーショットってのは、俺にとっちゃ一番返しやすい球なんだよ」
 びっとラケットを田仁志につきつけ、偉そうに宣言する。
「俺もそういうパワーショットを得意技にしてるんでね!」
「……この……っ!」
 ――結果。ゲームカウント6−4で、青学隼人の勝利となった。

「よっしゃ赤月兄、よくやった!」
「やったね、はやくん!」
「よく頑張ったね、隼人」
 口々に浴びせられるねぎらいの声に笑顔で応えながら、隼人はちらりと別の方向を見て、ぐいっと親指を立てた。
 その相手は――リョーマは、一瞬意表を衝かれたような顔をして、それから少し赤い仏頂面で親指を立て返してきたのだった。
 青学の初戦は、5−0で青学の全勝で幕を閉じた。

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