七夕
「……なんスか、これ?」
「あ、今日は七夕……短冊ですね!」
「ピンポーン!」
 部活から帰ってきた夕方の玄関で、菜々子は手を打ち合わせてにっこりと笑った。
「今日は商店街でお祭りがあるの。あなたたち全員の短冊をもらってきたから、みんなで行ってきたらどうかしら」
「え……」
「やだ」
 リョーマがあっさりそう言った言葉に、隼人はすかさず噛みついた。
「ぁんだと、コラ! てめぇ菜々子さんがせっかく言ってくれてんのになんだその言い草!」
「なんでお前らと一緒にお祭りなんか行かなきゃなんないの。めんどくさいからやだ」
「てめぇ……ざけんなよ、俺だっててめぇとなんか行きたくねーよ!」
「二人ともちょっと落ち着いてよ! せっかく菜々子さんが短冊くれたのに」
 今にもつかみ合いを仕掛けそうな隼人とリョーマの間に巴が割って入り、くるりとリョーマの方に向き直った。
「リョーマくん、いいから一緒に来て!」
「だから、なんで俺が」
「だって菜々子さんが私たちにって短冊くれたんだよ、ここは行かなきゃ嘘でしょう! 行かないと今度作る葛饅頭リョーマくんだけ食べさせてあげないから!」
「………………。しょうがないね。わかったよ」
 顔をしかめながらもうなずくリョーマに、巴は満足げにうなずき隼人はふんと鼻を鳴らした。
「うん、よろしい」
「最初っからそういやいいのによ」
「仕方ないね、二対一じゃ不利だから。山ザルは数に入ってないけどね」
「ぁんだと、コラ!」
「もう、喧嘩しないでよ! とにかく着替えて玄関に集合ー!」
 巴がぱんっと手を叩くと、隼人とリョーマはそれぞれふんっとそっぽを向いて部屋に向かって歩き出した。相手を見ないままがすがすとおしあいへしあいしながら(隼人とリョーマの部屋は隣なのだ)。
「もう……隼人さんもリョーマさんも、もう少し素直になってくれるといいんですけどね」
「ほんと。そうでないと私ストレスで胃に穴開いちゃいますよー」
 あはは、と笑う巴の表情と声は、台詞とは裏腹に明るかった。

「おおっ、すげぇなぁ! やっぱ都会の祭りは全然にぎやかだな!」
「田舎者丸出しで、あんまりキョロキョロしないでくれる?」
 リョーマがクールに呟くが、隼人の耳にはほとんど入っていなかった。
「おっ、すげぇ! 見てみろよ、リョーマ! あの飾り、でっけえなぁ!」
「…………」
「うわ、見て見て二人とも! すっごい人手! こんなにいっぱい人がいるお祭り初めて見た!」
 巴も思いきりハイテンションだ。スカート姿でたすたすと興奮のあまり足踏みをしている。
「おっ、夜店も出てるぜ! リョーマはたこ焼きと焼きソバ、どっちにする? 俺は両方だな! 巴はカキ氷とカルメラ焼きだろ?」
「うんっ!」
「……お前ら、テンション高すぎ。ずいぶんお祭り好きみたいだね?」
「おうよ!」
「もっちろんっ!」
 隼人と巴は揃ってうなずく。
「家にいた頃は二人で子供神輿担いだりしてたもんなー! ハッピにねじり鉢巻で街中を練り歩いたもんよ」
「お小遣いが尽きるまで夜店のはしごしたこともあったもんね!」
「あー、あったあった! あん時は参ったよなー、さすがに夕飯入んなくてさー!」
「………ふーん。ま、それだけ大はしゃぎしてればそうなって当然だろうね」
「なんだよ、悪いかよ?」
「別に。いいんじゃない? それだけ脳天気にはしゃいでると、見てる方も楽しいような気がしてくるかもしれないし。だいぶ鬱陶しいけどね」
「ぁんだと、コラ!」
「んもう、お祭りの時ぐらい喧嘩やめてよ……あれ?」
「どうした、巴?」
「いや……今、桜乃ちゃんがいたような気がして」
「竜崎さんが?」
 少し驚いて振り向いた瞬間――甲高い声が響いた。
「キャ〜ッ、リョーマ様ぁ〜っ! こんなところでお会いできるなんて奇遇ですねっ!」
「…………はぁ」
「げっ、小坂田! ……に、天野と小鷹! お前らも来てたのか」
「あはは……隼人くん、リョーマくん、巴ちゃん、こんばんは」
 頭を下げたのは天野だった。小鷹は私服姿でにっこりと手を振る。小坂田はいつも通りに、リョーマにまとわりついて喚いていた。
「那美ちゃん騎一くん、もしかして桜乃ちゃんと一緒だった?」
「え? うん。はぐれちゃったから探してたんだけど……もしかして会った?」
「会ったっていうかちらっと見かけただけだけど。不安そうな顔して神社の方に行ったよ」
 そんな話をしている二人の横で、隼人は天野と喋っていた。
「お前以外全員女じゃん! よく恥ずかしくねーなー」
「そ、そうかな? 女の子っていっても朋ちゃんと那美ちゃんと竜崎さんだし。そんなに意識してないけど……」
「お前ってある意味すげー奴だなー……」
 そして小坂田はリョーマにまとわりつきながらかしましくさえずる。
「ね、ね、リョーマ様、一緒に笹に短冊吊るしに行きましょ? ここの笹毎年すごく大っきいんですよー」
「って朋ちゃん、竜崎さんはどうするんだよ」
「んもー、探すに決まってるでしょ? 神社の方に行ったって言うなら向かう方向同じじゃない。ね、リョーマ様、一緒に行きましょうよぉ」
「…………」
「リョーマくん……どうする? 俺はみんなで一緒に行きたいなって思うんだけど」
「……別にいいけど」
「うっし、じゃーみんなで行くか。はぐれないよーに気ぃつけろよ」
「ちょっとはやぽん、なんであんたが仕切るのよ!」
「うっせーな、いーだろ細かいこといちいち……つーかはやぽん言うな!」
 わいわい騒ぎながら歩を進める。すさまじい人ごみのせいで遅々としていたが。
「んーっ、りんご飴うめーっ! こーいうお祭りの味ってやっぱたまんねーなー」
「チョコバナナもおいひぃ〜。やっぱ熱々だよね!」
「……お前ら、食いすぎ」
「うっせーな、いいだろ別にっ」
「まぁまぁ。でもこういうお祭りの雰囲気の中だとつい食べちゃうよね」
「うんうん。こういう雰囲気の中だときーくんの作るみたいなのよりチープな夜店の味の方が合うもん」
「あはは……そりゃ、お祭りだしね」
「リョーマ様っ、はい、あ〜ん! カキ氷ですよっ」
「いらない」
「……あ! 桜乃ちゃん! おーい!」
 巴が口の中の食べ物を一気に飲み込んで手を振った。他のメンバーも桜乃がいるのかと慌てて周囲を見渡し、鳥居の前で桜乃が一人ぽつんとたたずんでいるのを発見する。
「いた! んもうっ、桜乃ー! あんたは方向音痴なんだから一人で勝手にどっか行くんじゃないって言ったでしょー!」
「朋ちゃん、みんな!」
 桜乃は顔を輝かせてこちらに向けて走り出した。人ごみの中を必死に通り抜けてこちらに近づいてくる――
 だがその動きは隼人の目にはひどく危なっかしく見えた。手にジュースを持ち、安定しない足でふらふらと歩いている。
 あれじゃこけちまうんじゃないか、と思わず一歩前に出る――が遅かった。
「きゃっ!」
 ばしゃっ。予想見事に的中。桜乃はなにもない場所でつまづいてジュースを目の前にいた人にかけた。
 しかも。
「……なにすんじゃコラ、ああ゛!?」
「喧嘩売っとんのか、こんガキぃ」
 かけたのは某不良系週刊少年漫画雑誌によく出てきそうな、頭の上に『!?』の文字を貼り付け、神経痛なんじゃないかってくらい顔面に血管を浮き立たせた――要するにヤンキーだったのだ。
「ご、ごめんなさい、わざとじゃないんですっ」
「あぁ? わざやなかったらええっちゅうんか、ごめんで済んだら警察いらんわボケぇ」
「おかげで服が濡れちまったじゃねぇかよ。責任取れや責任ー」
 ヤンキーたちは桜乃を脅すように取り囲んで迫り始める。あからさまにいびって楽しんでいるという顔だ。
 隼人はかぁっと頭に血が上り、思わず一歩前に出て叫んでいた。
『おいっ!』
「わざとじゃねぇっつってんだろ!? そんな女の子に絡んで恥ずかしくねぇのかよっ」
「失礼ですけどっ、ジュースかけられたくらいで責任だなんだっていうの、おかしいって思わないんですか!?」
「桜乃ちゃんから離れなさい、この変態!」
「って巴っ! なんでお前まで一緒に前に出てんだよっ!」
 隼人が思わず叫ぶと、巴はきょとんとした顔で首を傾げる。
「え、だって戦力は多いほうがいいでしょ?」
「あのなー、そーいう問題じゃ……ってリョーマ! なんでてめぇは前に出てねぇんだ!」
「なんで俺が」
「リョーマくん付き合い悪い! こういう時は『お前の背中は俺に任せな』『ふっ……俺の命、預けたぜ』とか笑みを交し合うのが男の友情なんじゃないの!?」
「……巴、それもちょっと極端なんじゃない?」
「あ、でもちょっと憧れちゃうよね、そういうシチュエーションって。リョーマくんはそういうの嫌い?」
「………嫌いっていうか………」
「そーいう問題じゃねーだろ天野っ! 今問題なのはこいつが男のくせに竜崎さんをほっぽっとくような外道な真似をするのを許しておくかってことで……」
「……馬鹿じゃないの」
「ぁんだと、コラ!?」
『てめぇら、舐めとんかいッ!?』
 怒鳴られて一同はっとした。今は内輪で揉めている場合ではない。
「と、とにかくっ! 竜崎さんを返せ!」
「あ゛ぁ? 返してほしいなら頼み方があんだろぉ〜?」
「態度でけぇんだよ、コラ。泣かすぞ? 泣かしちゃうぞ、コラ」
 不良たちがばっと自分たちを取り囲む。隼人は思わず唇を噛んだ。自分だけならどうとでもなっただろうが、ここには巴や桜乃や小鷹がいる。喧嘩するわけにはいかないが、かといってこんな奴らに頭を下げるのもごめんだし――
 どうする!?
「――往来の真ん中で、ずいぶん楽しそうなことやってんじゃねぇか。アーン?」
 そうふいに聞こえた声に、隼人たちは目をぱちくりさせ、不良たちは顔面蒼白になった。
 この声。どこかで聞いたことはあるような気がするのだが、どこでだったか――
「あ、ああああ、跡部さんっ!」
『跡部!?』
 思わず巴と声を揃えてしまった。跡部って、まさか。
「……なんだ、お前らか。妙なところで会うもんだな」
 口元に笑みを貼り付けながら現れたのは、以前一度ストリートテニスでダブルスで対戦、ただしずっと座ったままだった超俺様野郎の氷帝テニス部キャプテン――
「サル山の大将」
「跡部だろ跡部っ!」
 反射的に突っ込みを入れたが、そんなことは無視して跡部と不良たちの話は続いていた。
「俺様の目の前であんまり見苦しい真似してるんじゃねぇよ」
「す、すんません跡部さん! どうか、頭にはご内密に……」
「フン、こんなことわざわざ言う必要もねぇだろう。――行け」
『すんませんでしたぁっ!』
 叫んで蜘蛛の子を散らすように不良たちは逃げ去っていく――それを少し呆然と見つめてから、我に返って隼人たちは頭を下げた。
「あ、あの……」
「……ありがと、よ」
「ありがとうございますっ」
 跡部は俺様な表情を崩さずふん、と鼻を鳴らした。
「馬鹿どもが目障りだったんで蹴散らしてみただけのことだ。次も助けてもらおうだなんて甘っちょろい考えでいるんじゃねーぞ」
『だ、誰がっ!』
「あんな連中、俺だけでどうにでもなってたぜ!」
「あんな連中、私だけでちょちょいのちょい、だったわよ!」
 声を揃える隼人と巴に、跡部はまた鼻を鳴らす。
「……フン、威勢だけはいいみたいだな」
「……えーと。よくわかんないんだけど」
 天野がそろそろと手を上げて、首を傾げる。
「隼人くんたちと氷帝の跡部さんって、仲良しなの?」
『はぁっ!?』
「んなわけねーだろーっ!」
「なんでそーなるの!?」
「え、え、違う? だってすごく気が合ってるみたいだったから……」
「……くっ、はははは! 仲良し、か。そうだな、そういうことにしておいてやるよ。……確かお前、天野とか言ったな、青学の?」
「え……はい、そうですけど?」
「覚えておいてやる。他の一年坊主どもの名前と一緒にな」
 跡部はく、と笑むと、くるりと隼人たちに背を向けた。
「じゃあな。関東大会での戦いを、楽しみにしてるぜ」
「こっちだって!」
「絶対に負けないんだから!」
「その言葉、忘れるなよ」
 軽く手を上げて、跡部は去っていく。その後姿を見ながら、隼人はちっと舌打ちした。
「ちっ、よりによってあいつに借りを作っちまうとはな……」
「なに言ってんのよ、助かったじゃない。素直に感謝すれば?」
「そーいう問題じゃねーんだよ! 男の意地の問題だ!」
「でも、確かに態度は大きかったかもしれないけど、そんなに悪い人じゃなさそうだったじゃない」
「え……そう、かな?」
「なに考え込んでんだ巴! 考えることねーよ、あいつは俺様で偉そうな敵! それだけで充分じゃねーか! なぁリョーマ!」
「……さぁね」
 その気のない、というよりは苛立ったかのような答えに、隼人は眉をひそめた。
「……なんだよリョーマ。なに怒ってんだ?」
「別に。ほら、短冊吊るしに行くんでしょ? するならさっさとするよ」
「あーん、お待ちになってリョーマ様ぁ〜!」
「……なんだあいつ?」
 すたすたと早足で去っていくリョーマに、怪訝な思いを抱いてそうひとりごちる――と、天野がひょいと答えてきた。
「やきもち焼いてるんじゃないかなぁ?」
「……は? やきもち? リョーマが? 誰に」
「跡部さんに。隼人くんと巴ちゃんが跡部さんと気が合ってる感じだったから」
「………んなわけねーだろ」
 そのあまりに的外れな答えに、隼人は脱力して歩き出した。巴ももう先に歩き出している。自分も笹に、『テニスで世界一になれますように! あと全国大会優勝!』と書いた短冊を吊るさなくてはならないのだから。

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