海の日
 立海大付属を破り、青学が関東大会優勝を果たしてから一週間後。
「リョーマ様ぁ〜! 海行きましょ、海海!」
 夏休み初日、海の日からいつものように希望ヶ丘テニスクラブで練習をしていた隼人たちのところに押しかけて小坂田が言った言葉に、隼人と巴はてきめんに反応した。
「海!? 海ってあの、広くて深くて、しょっぱいっていう、あれか!?」
「お魚がいて、フジツボとかイソギンチャクとかいっぱいいて、地引網をえーんやこーらいって引く、あれ!?」
「……そういう言い方もどうよと思うけど。当たり前でしょ、他にどんな海があんのよ」
「行こう、行こう行こう、絶対に行こう!」
「うんうん、絶対行く、死んでも行く、なにがなんでも行く!」
「そ……そう? あんたたちがそんなに海好きだとは知らなかったわ」
 いくぶん引き気味ながら小坂田が言うと、隼人と巴はハイテンションで大きくうなずいた。
「俺たち今まで一回も海行ったことねぇんだよ、山育ちだから!」
「一度は行ってみたいってはやくんとも話してたんだよね、海!」
「海か……今年初めてだな」
 巴に誘われて練習に来た不二が考え深げに唇に指を当てながら言うと、即座に小鷹に誘われて来ていた海堂が顔をしかめる。
「俺らはテニスの練習をしに来たんだぞ。全国大会まであと一ヶ月、遊んでる暇なんぞねぇだろうが」
「ったく、かってぇなぁマムシはよぉ。そんなにキリキリしてちゃ一ヶ月もたねぇんじゃねぇの?」
 天野に誘われて練習に来ていた桃城がにやにやと言うと、海堂はぎろりと桃城を睨んだ。
「……てめぇ喧嘩売ってんのか」
「だったらどうするよ?」
「桃城先輩、海堂先輩……喧嘩はよくないですよ?」
 悲しそうな顔で天野に見上げられ、桃城と海堂は黙ってふん、とそっぽを向いた。まぁいつものことではある。
「でもでもでも、海堂先輩。水泳って全身運動ですよね? 筋肉を鍛えるのにすっごい効果あると思うんですよ!」
「う……そりゃまぁ、そうだが」
「そうっスよ、それに素潜りとかしたら肺とかまで鍛えられちゃうんスよ!? 涼しく楽しく体鍛えられるなんて最高じゃないっスか!」
「………まぁ、確かに、な………」
 目を輝かせながら詰め寄る赤月'sに気圧され後ずさった海堂の背中に、とん、とそっと小さな手が触れた。
「……小鷹。なんだ」
「あの……私、海堂先輩と海に行ってみたいって思うんですけど、海堂先輩は、嫌、ですか……?」
 どこか切なげな瞳で見つめられ、海堂は思わず言葉に詰まった。
「いや……嫌、ってんじゃねぇが………」
「それじゃ決定だね。みんないったん家に戻って水着を持ってこようか。現地集合ね、遅れたら昼ご飯おごりってことで」
「了解っス!」
「わっかりましたっ!」
 不二の微笑みながらのまとめに、赤月'sは満面の笑みでうなずき、他の面々も苦笑しつつもうなずいた。海堂は一人ぶすっとしていたが。

「うおーっ! でっけぇーっ! 広ぇーっ!」
「青いーっ! 人いっぱいーっ! 砂だらけーっ!」
「なぁなぁリョーマ、海ってすげぇな! クジラとかいねぇのかな、クジラ!」
「……こんな波打ち際にクジラがいるわけないでしょ」
「じゃあさ、リョーマくん、サメは!? サメならいるんじゃない!?」
「……お前らみたいに無謀な奴ばっかりじゃないから。サメがいるならこんなに人がいるわけないと思うけど?」
 海を前にはしゃぎまくる赤月'sに仏頂面で答えるリョーマの横で、不二がいつものスマイルにわずかに目を見開きながら言った。
「……しかし、なんでこんなに人が増えてるんだろうね?」
「いーじゃんいーじゃん、巴が誘ってくれたんだもんv 俺今日ヒマヒマしてたから超ラッキーっ!」
「英二! ……悪いな、不二。だけどまぁ、こういうのも普段話さない先輩後輩同士の交流ってことでまぁ……いいんじゃないか?」
「バーニ―――ングッ! 巴たちと自分たちだけ遊ぶなんて意地悪な考えはソーバ―――ッド!」
「普段とは違う空間の中で新たなデータが取れるいい機会だ。存分に活用させてもらうよ」
「……たまには息抜きも必要だろう。レギュラー陣のチームワークを強める意味でも決して無駄ではないはずだ」
「あはは……いつの間にか青学レギュラー陣全員揃っちゃってますもんねー」
「いいじゃないきーくん! せっかくの海なんだよ、親しくなりたい人いっぱい呼ばなきゃもったいないじゃない!」
「そうだぜ騎一! こんなにいい天気でしかも海なんだぜ! 全員で来た方がいいに決まってるじゃねぇか!」
「あははは……」
 迫る赤月'sに天野はただ苦笑した。青学男子レギュラー陣+ミクスド女子主要選手+小坂田&竜崎。15人もの大所帯の上目立つ人間が多いのだから統率を取る手塚部長は大変だろうなーという思いがこもった台詞だったのだが、赤月'sはそこらへん全然気づいていないらしい。
「早く泳ごうぜ、リョーマ、騎一、巴! 俺もー待ちきれねぇよ!」
「そうだね、はやくん! 急ごう急ごう!」
 言うなり巴はばっと着ていたシャツをまくり上げた。青学レギュラーズが思わずぎょっとしたが(凝視する者も目を逸らす者もいたが)、巴は遠慮会釈なくシャツを脱ぎ捨てスカートを下ろす。
「……水着、着てたんだ」
「当たり前でしょーそんなの。いっくら私だってこんなとこで着替えたりしませんよー」
 にこにこと笑う巴に男子陣の視線が集中する。163cmの巴のプロポーションは実際中一とは思えないものがあった。すらりとした伸びやかな肢体、セパレートの水着から見えるきゅっとくびれた腰とかわいらしいおへそ、そしてその上の膨らんだ――
 隼人はなぜだか無性に顔を赤くしつつ、みんなが巴を見ているのがなんだか面白くなくて巴の前に立ち塞がり手を振った。
「さー、俺らも荷物置いて着替えましょーよ! 昼飯の前にひと泳ぎしましょ!」
「……そうだな。だが、その前に準備運動だぞ。体を冷やさないように三十分ごとに海から上がるのも忘れるな」
『………はーい………』

「よっしゃ! 泳ぐか!」
 準備運動を終えた隼人は、海の前でわくわくと二、三度飛び跳ねた。興奮が止まらない。川では何度も泳いだことがあるが、海で泳ぐのはどんな感じなのか。まったく知らないからドキドキワクワクしてしょうがないのだ。
「おおおおっ、すげぇ、足の下で砂が動く! すっげぇ変な感じ!」
「うわわわっ、すごい、海ってほんとに舐めるとしょっぱい! 面白ーい!」
「あはは……隼人くんたちってほんとに海初めてなんだね。楽しそう」
「んもー、ホントにガキね巴もはやぽんも。いっくら初めてだからってはしゃぎすぎよ、田舎者なんだからホントに」
「なんだとっ!?」
 叫んで振り向いて、隼人は少しう、と言葉に詰まった。小坂田も、一緒にいた竜崎も小鷹も水着姿だったからだ。
 小坂田は大して胸があるわけでもないのにビキニを着ている。別に、色気があるとかそんなことは断じて言わないが――思ったよりずっと白い肌が露出されているのはなんとなく直視できないような気恥ずかしいものがあった。
 竜崎はかわいらしくフリルなどがついたワンピースの水着。素直に女の子っぽくて可愛い、とか思えてしまうものがあり、これはこれでなんだか気恥ずかしい。
 小鷹は競泳用の水着。色気がないといえば果てしなくないが、体の線がしっかり見えるその水着は、なんとなく見てはいけないものを見ているような気がしてこれもまた気恥ずかしかった。
「……水着、着てんだ」
「なに言ってんのよ、当たり前じゃない」
「泳ぎに来てるんだし。ねえ、桜乃ちゃん」
「う、うん……」
 恥ずかしそうにうつむく桜乃、いつも通りにふんぞり返る小坂田、涼やかに笑う小鷹、そしてその隣で目を輝かせている巴。四人ともいつも通りなのに、なんだか直視できなかった。
「ちょっと、はやぽん。あんた、なんか言うことないの」
「へ? い、言うこと、って?」
「まったくもう、これだからアンタって人は……。私たちみたいなカワイイ女の子が水着姿なんだから褒めたりとかできないの? まったく……。そんな基本的な礼儀も知らないなんて」
「そ、そんなこと言ったって……」
 褒める? 水着を? なんだ、なんでそんなことしなくちゃなんねぇんだ。感想なんて、なんか見てたら恥ずかしいってくらいで……いちいち褒めるなんてそんなこっぱずかしいことできるか!
「まぁ、せっかくだから褒めてあげたら? みんな頑張っておしゃれしてて可愛いじゃない」
「ほーら、きーくんはちゃんとわかってるわっ!」
 騎一ぃ〜、てめぇはどういう神経してんだっ! どーして平然と女の水着姿見て褒め言葉が出てくんだよ!
 俺も言わなきゃ駄目なのか? 言った方がいいのか? と自問しつつ必死に小坂田を見る――とその時にはもう小坂田と竜崎はリョーマのそばへ行っていた。
「ねっねっリョーマ様っ、私のこの水着どうですかぁ?」
「………別に」
「いや〜んリョーマ様超クール〜! でもそんなとこがまた素敵っ!」
「あっあのっ、リョーマくんっ……」
「なに」
「……なんでも、ない………」
 ……なんだかムカムカとしてきた。なんで俺がこんな気苦労しなきゃなんねぇんだ!
 隼人は苛立ちのままにリョーマと小坂田たちの間に割り込み、笑顔でリョーマにヘッドロックを決めた。
「おいリョーマ! 俺と競争しようぜ、どっちが速いか!」
「……別にいいけど、ひっつくのやめてくれない。暑苦しいから」
「そーよはやぽん、リョーマ様にひっつかないでよ!」
「うっせ男同士の関係に女が口出すんじゃねーよ。騎一! 俺らと競争しようぜ!」
「うん、いいよ。勝てるかどうか自信はないけど」
「お、面白ぇことやってんじゃねぇか。俺も混ぜろよ。マムシ、どうだ勝負してみるか?」
「……面白ぇ」
「バーニ―――ング! 俺抜きで競争なんてナンセーンスッ!」
「俺も俺もっ。大石もやろうぜっ」
「俺もか? そうだな……やろうか」
「わー、いいないいな。私も混ぜてくださいっ!」
「へ……巴! お前もやんのか!?」
 仰天して声を上げた隼人に、巴はぶーっと頬を膨らませた。
「いいじゃない、はやくんばっか競争なんてずるいよ。私だって泳ぎには自信あるんだから。海で泳ぐのは初めてだけど」
「女が男と競争して勝てるわけねぇだろ」
 何の気なしに言ったその一言に、女子陣からいっせいに白い視線がぶつけられた。
「はやくん……サイテー」
「隼人くん……それってひどくない?」
「なんって度量の狭い男かしら。まさに男のクズね」
「赤月くん………」
「な、な、なんだよ……」
 自分はそんなにひどいことを言ったか? 当たり前のことではないか。
「あーあー、赤月兄、ひっでーなー」
「ソーバーッド!」
「失言だね、隼人」
「女の子たちに謝った方がいいぞ、赤月」
 先輩たちに口々に言われ、うううと小さくなって謝ろうとした時――
「まだまだだね」
 嘲笑うようにリョーマがいつもの台詞を吐き、いつものように頭に血が上った。
「ぁんだと、コラ!? 俺は別に間違ったことは言ってねぇぞ、偉そうにぐじゃぐじゃ言うんじゃねぇリョーマっ!」
『なんですってぇっ!』
 女子陣がいっせいにいきり立ち、しまったと思った時にはもう遅かった。
「勝負よはやくん! 負けたらこのあっつい砂の中に生き埋めの計だから!」
「それ+顔に落書きの計も追加でしょ?」
「甘いわね二人とも、その横に『この者ノゾキした最低男なり』って立て札も立てなきゃ!」
「……負けないもん!」
 きっとこちらを睨む女子陣に、隼人はなんでこーなるんだよーっと頭を抱えたくなった。これもリョーマのせいだっ、とリョーマを睨むと、リョーマは平然とした顔で言ってくる。
「まだまだだね」
「うるせぇっ!」

「……隼人くん、大丈夫ー?」
「大丈夫じゃねぇよー……」
 砂から落書きされた首だけ出して呻く隼人に、天野は苦笑した。
「まぁ、これでわかったでしょ? 女の子に逆らったっていいことないって」
「ちくしょー……俺だって別に逆らう気なんかなかったよ……」
 巴と喧嘩したらいつだって自分が悪いことになってしまうのだから。
 沖のブイまで競争した結果、一位は巴だった。彼女の並々ならぬ身体能力を示した結果になったわけだが、それ以上にこれは先輩たちが巴を勝たせようと画策した結果じゃないかと隼人は思う。
 みんなして俺が前に行くの邪魔するんだもんなー、と隼人はうなだれた。負けた隼人に女子陣は容赦なく、生き埋め&落書き&立て札はなかったので紙に書いて頭の上に石と一緒に載せる、という刑罰を執行したのだ。
 ちくしょーあいつらー。……まぁリョーマには勝てたからそれはまだマシだけどよ………。
 そのあとにこにこしながら近寄る巴から必死に泳いで逃げたのだが、他のレギュラー陣が全員敵に回ってこちらを追ってくるのでは、とても逃げきれるわけがない。こんちくしょーっ、とまたため息をついた。
「もうそろそろ昼ご飯にしようって。ちゃんと謝るなら許してくれるってよ?」
「もーさんざん謝ったじゃねーかーっ!」
「ちゃんと℃モったら、でしょ? 女の子のそこらへんの言い分は隼人くんだってわかってるはずじゃない」
「うううう……」
 わかってはいるが巴とほぼ物心ついた時から付き合っていても納得できない女子の理不尽さに、隼人はがっくりとうなだれた。
「情けないカッコ」
「ぁんだと、コラ!?」
 現れるなりそう言ったリョーマにがうっと噛みつく隼人。
「別にいつまでもそこにいたいって言うんなら止めないけど、どうせならさっさと謝った方がいいんじゃない。謝らないとそこから出してもらえないのは確かだろうし。お前海まで来て顔だけ焼いて帰りたいわけ?」
「わ、わかってんよんなことっ! 偉そうに言うなっ!」
 ふんっ、とそっぽを向くと、天野が苦笑した。
「もう、リョーマくん素直に言えば? 隼人くんがいつまでもそこにいたら、一緒に遊べなくてつまらないんでしょ?」
「へ?」
 ぽかんと目と口を開く隼人。リョーマはぎっと天野を睨んだ。
「勝手なこと言わないでくれる」
「あ、ごめん。でも、そうでしょ?」
「……好きに言ってれば」
 吐き捨ててすたすたとリョーマは立ち去る。天野は笑って、隼人の体を掘り出し始めた。
「本当にリョーマくんってば素直じゃないなぁ。隼人くんが埋められちゃってからずっとつまらなさそうにしてたんだよ?」
「……は? 嘘だろ? 冗談言うんじゃねぇよ騎一、あのふてぶてしい野郎がどーして……」
「そんなの、リョーマくんと隼人くんが一番仲いい友達だからでしょ?」
「……なんでそーなるんだよーっ!」
 隼人の絶叫に、天野はいつもの笑顔で応えた。

 浜茶屋ののびた、けれどとびきりうまい熱々のラーメンを食い、また泳いで。休憩していると、浜辺でなにやら騒いでいるのが見えた。
「お……? なんだありゃ。……ビーチバレー大会?」
「飛び入り歓迎って書いてあるね」
 その場にいた全員、思わずその幟を注視する。
「ビーチバレーかー……いっぺんやってみてぇなぁ」
「それなら出場したらどうだ赤月兄。なんなら俺がペアを組んでやってもいいぜ」
「え……」
「え? これってペアでやるんスか?」
「おうよ。ビーチバレーっつーのは二人一組、テニスのダブルスと一緒だな。やることも似たようなもんだ」
「うわ、面白そう! 私も誰かと一緒に組んで出場したいなぁ……」
 その言葉に周囲の空気がざわっと変わったが、巴はちーとも気づかず小鷹に近寄り笑いかけた。
「ねぇねぇ那美ちゃん! 一緒にビーチバレー大会出ない?」
「え……? でも、私でいいの?」
「那美ちゃんで≠「いんじゃなくて那美ちゃんが≠「いの! 一緒にやろ?」
「……そこまで言うんだったら受けないわけにはいかないね。わかった、頑張るよ」
 周囲でがっくりと膝をつくレギュラー陣に怪訝な目を向けつつも、隼人は桃城の方を向いた。
「桃城先輩、一緒にやってくれます?」
「おうっ、いいぜ!」
「……あの、隼人くん。リョーマくんと一緒にやるんじゃないの?」
「はぁ? なんでだよ」
「だって……」
「あんなチビと一緒じゃこっちが死ぬほど不利じゃねぇか。俺優勝狙ってるんだからな」
「……言ってくれるね」
 隣にいたリョーマにぎろりと睨まれ、隼人はふっふーんと笑ってやった。
「ホントのことだろー? お前俺より頭一個分近く低いじゃねーか」
「……にゃろう」
 ぎっとこちらを睨むリョーマ――その脇に、すすすっと天野が立った。
「……天野?」
「一緒に出場しよう、リョーマくん」
 がっし、と肩をつかんだ天野の瞳は燃えている。
「隼人くんや桃城先輩なんかこてんぱんにしちゃおう! 一緒に勝とうよ!」
「お、おいおい、なんで騎一がそんなに燃えてんだよ?」
 困惑して問うと、ぎっといかにも怒っていますよという感じの視線で睨まれた。
「悪かったね、チビで」
「え……」
「チビだって勝てるってこと、見せてやるんだから! 絶対負けないからね!」
「……面白いじゃん。いいよ、一緒にやろう、天野」
「うん、リョーマくん。絶対勝とうね!」
 呆然とする隼人を尻目に、リョーマと天野は肩を怒らせながら去っていく。
「……そーいや騎一もリョーマと背大して変わらないっけ……」
「あー、珍しいなあいつがあんなふーにへそ曲げんの。……まー俺はどんな相手だろうとただ勝つだけだけどな!」
「そ、そうっスね! 勝つだけっスよ!」
 力強く同意しつつも、天野の機嫌をどう直すか、少し途方に暮れていたりもしたのだが。

「チームレッドピーチvsチームニンブル、試合開始ー!」
 ビーチボールを渡されて、隼人はじっと向こうのコートを見た。
 天野とリョーマのチーム、ニンブルは一回戦はシードだった。自分たちは一回戦を楽勝で勝ち抜いてきている。
 悪いが、勝たせてもらうぜ!
 そう思いつつサーブを打った。ふゎん、とボールは飛んでニンブルのコートに向かう。
 天野があっさりそれを拾った。やっぱり騎一の足とタフさはすげぇな、と隼人は思う。
 だが、バレーボールでは背の高さというのは圧倒的な武器なのだ。
 軽く天野が上げたのに合わせてアタックを打ってきたリョーマ――だがそれはネットをぎりぎり越えるかどうかの低い弾道だ。あっさりと桃城がブロックした。
 それをさらにリョーマが拾い、ボールがあっちと向こうを行ったり来たりする。だが隼人と桃城には余裕があった。こちらが本気を出せばいつでも叩き潰せる。向こうは必死に玉を拾っているが、こちらは大して苦労もせず向こうに返せるのだから――
 天野がトスを上げた。リョーマが飛ぶ。隼人がブロックしようと飛んだ。当然リョーマがどこに打とうと楽勝で防げる軌道だ。
 ――が。リョーマの手首が一瞬、複雑に動いた。
 テニスのスナップのような不思議な動き。そこからボールが自分の意思であるかのように離れる。
 ――そのボールは、ネットぎりぎりをひょいと越えて――隼人の跳躍の軌道のすぐ前を、するするる、と逃げるように零れ落ちた。
「―――!」
 隼人は思わず目を見開く。これは――ドロップショット!?
「0−1!」
 審判が声を上げる。愕然とする隼人に、リョーマと駆け寄ってきた天野が揃ってにやりと笑った。
『まだまだだね』
 そう言ってハイタッチをする二人。
 ――なんだか、無性にムカついた。
「こんちくしょう……舐めんじゃねぇぞ」
 負けてたまるか。あれだけ大口叩いといて負けるなんてカッコ悪すぎだ。
「桃先輩! 絶対勝ちましょうね!」
「お? おうよ、負けるか!」
 近くまで寄ってきた桃城にそう叫び、隼人はリョーマと天野を睨んだ。

 それから先は一進一退の攻防が続いた。運動量ははるかにリョーマと天野の方が多かったが、二人ともそう簡単に尽きるほどスタミナは少なくない。
 こちらが強烈なスパイクを放てば、向こうは変化球を打ってくる。向こうがドロップショットを打てば、こちらはアタックを左右に打ち分ける。ギャラリーの感嘆の声が聞こえた。
 ――だが、隼人は不満だった。
『こんなんじゃない、俺たちの戦いは』
 コートはもっと広く、サーブはもっと早く。
『もっと、もっと、もっとたまんないくらい』
 ショットは強く、激しく、お互い巡らせる戦略は国防レベルだってくらいに。
『俺たちの戦う場所は――あそこだ!』
 頭の中に浮かぶ、寺の裏手の土のコート―――
「試合終了ー! 引き分けー!」
『へ!?』
 思わず全員が審判の方を振り向く。審判は肩をすくめた。
「試合時間終わっちゃったから。両方とも点数同じだから、引き分けね」
『………なんっじゃ、そりゃぁ!』
 隼人たちは声を揃えて叫んだ。

 さすがに疲れたのか、砂浜の上に寝転がっている天野に、覚悟を決めて隼人は近づいた。
「騎一……」
「……隼人くん。どうしたの?」
 笑顔を向けてくる天野に申し訳なさが募り、隼人はぺこりっと頭を下げた。
「ごめん! 悪かった、チビとか偉そうなこと言って!」
「…………」
「あと、試合でも舐めてたりして悪かった。条件がどうとかじゃなくて勝負する以上相手と本気でやるのは当たり前だったのにな、マジ悪ぃ!」
「…………」
「やっぱ……まだ怒ってるか?」
 おそるおそる顔を上げると、真面目な顔を作っていた天野はぷっと吹き出した。
「もう、隼人くんったら。もう気にしてないよ、別に。俺も大人気なくて悪かったなって思うし」
「そうか!? いやー、ほっとしたぜー……」
「こっちこそごめんね、勝手にむかっ腹立てて」
「いや、そんなことねーよ。今回は俺がどこまでも悪い」
「気にしなくていいって。……リョーマくんには謝ったの?」
「へ!?」
 仰天する隼人に、天野は笑った。
「最初にチビって言ったのはリョーマくんにでしょ? だったらリョーマくんにも謝らなきゃ」
「え、えー……だってよー……」
「ほら、ぐだぐだ言わない。俺に悪いと思うなら謝ってくる、決定! 行ってらっしゃーい」
 ひらひらと手を振る天野に逆らえず、うーうー呻きながらリョーマを探す。桃城も天野と話したそうにしていたので、自分がいては邪魔だろうし。
 リョーマは砂浜に腰掛けて試合を見ていた。うー言いたくねぇ行きたくねぇ、とは思うもののいつまでもぐだぐだしているのは男らしくない。
 だっと近寄り、頭を下げた。
「リョーマチビっつって悪かった殴るなりなんなり好きにしてくれ!」
「………は?」
 きょとんとした声にかまわず九十度頭を下げたまま動かずにいる。なにかもっと言うべきなのか、とかいう言葉が頭の中でぐるぐる回っていたがそれ以上に言い訳したくないという気持ちのほうが強かった。
 そしてたっぷり数十秒後、ぶっきらぼうな声がした。
「……馬鹿じゃないの」
「ぁんだと、コラ!?」
 顔を上げてぎっと睨むと、リョーマはいつも通りの仏頂面で言う。
「別に気にしてないし。お前があんなこと言うのいつものことでしょ」
「う……まぁ、そりゃ、そうだけどよ」
「それよりあれだけ馬鹿にしといて引き分けたってことの方を恥ずかしがるべきだと思うけどね」
「う、うっせぇなだから今悪いっつってんだろ!?」
「悪いって言えばなんでも丸く収まるとでも思ってるの?」
「悪いとすら言わねぇお前に言われたかねぇよっ!」
 怒鳴りあって、いつも通りにふんっとお互いそっぽを向く。そのままで数分間意地を張り、謝りに来たのに喧嘩してどうすんだ、という結論にたどり着いた。
『……なぁ……』
「! なんだよリョーマっ!」
「そっちこそ、なに」
 お互い声を揃えてしまったことになんだか焦った。だが改めてさぁどうぞ話してとお膳立てされた状況で話すのはなんだか気恥ずかしい。
 お互い相手が話し出す気配を窺う息詰まる雰囲気が数秒続き――
 わぁっと上がった歓声に、びくりと震えた。
「チームテニスプリンセスまたも勝ー利! 女子中学生チーム破竹の三連勝だーっ!」
 審判が解説風に叫ぶ。向こうは盛り上がっているようだった。巴と小鷹のペアは勝ち進んでいるらしい。
 どちらからともなくぷっと吹き出した。なにを固くなってるんだろう自分は、こいつ相手に。
「リョーマ、もう一回競争しねぇか? 沖のブイまで」
「いいよ。負けて吠え面かかないでよね」
「ざけんな。また勝って申し訳ありませんでした隼人さまって泣かしてやる」
「上等」
 にっとお互い笑いあって、海に向けて歩き出す。
 なんだか妙に、こいつの隣にいるのに馴染んだ気分だった。

 ビーチバレー大会では巴と小鷹のペアが優勝し、商品をもらっていた。
 隼人は勝った理由の三分の一くらいはあの二人の水着姿に男がふらふらとなったからじゃねぇか、とかちらりと思ったのだが当然口に出しはしなかった。賢明にも。

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