この作品には男同士の性行為を描写した部分が存在します。
なので十八歳未満の方は(十八歳以上でも高校生の方も)閲覧を禁じさせていただきます(うっかり迷い込んでしまった男と男の性行為を描写した小説が好きではないという方も非閲覧を推奨します)。





盗賊団
「死にやがれぇっ!」
 絶叫と共に突き出される剣を、フィデールは避けることができなかった。いや、むしろ、戦いが始まった時から体が痺れ、指一本すら動かすことができなかった。ヴァレリーが次々繰り出す的確な指示に、いつものようにおっかなびっくりへっぴり腰で従うことすらできなかったのだ。
 身じろぎ一つできないまま、肩口からずっぱりと斬り裂かれてフィデールはその場に倒れた。ちっ、と小さく舌打ちする音が聞こえた気がして、麻痺して動かせない体の中、今すぐ自分の心臓を突き刺してしまいたくなるような激情にただ、耐える。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいと、頭の中で大泣きに泣きながら、それでも頭のどこかが冷静に呟いていた。
 ――やっぱり僕なんかにはこの旅についてくる資格なんかなかったんだ、と。

「――どういうことかしら?」
 メリザンドにきつい目つきで睨みつけられ、フィデールは震えあがりながら小さくなった。一緒に旅をしてもう半年以上は経っているが、それでもフィデールはこの女性が恐ろしくてならなかった。魔法使いとしての実力がめきめき上がってきていて単純に自分などあっという間に消し炭にできてしまうだろうという実際的な脅威もさることながら、どんな時も目つきが攻撃的で、気に入らないことがあるとすぐに当り散らし、誰かの誤謬を見つければ口を極めて罵る、今までフィデールの人生で出会った女性の大半と同じ存在だと感じられてしまったからだ。
「あ、の……ご、ご、ごめ……」
「私は謝ってほしいわけでも言い訳を聞きたいわけでもないの。なんであなたは戦いの最中に棒立ちになってまともに動けなくなったのか、という質問に答えてほしいだけ。あなたが相手の攻撃をあっさりくらって死にかけたせいで、ヴァレリーがあなたの治療にかかりきりになって私は死にそうな思いをしたのよ。それなのに聞いて当然の質問にすら答えない、というわけ? あなた、何様?」
「あ、ち、ご、や、あ、あ」
 ぎろり、と苛烈な視線をぶつけられて、フィデールの頭はあっという間に混乱し、惑乱する。どう答えればいいのか、自分の感情をどう表せばいいのか、そもそも自分は今なにを感じ考えているのかすらもわからなくなって、威圧感に打ちひしがれ、恐怖に震え、ただ頭を空転させることしかできなくなる。いつもそうだった。いつもいつもそうだった。自分は、人と、まともに話をすることもできない、人という名を名乗ることすらおこがましい存在なのだ。
「――あなたがまともに動いて、邪魔にならないように立ち回ってくれさえすれば、カンダタを捕えることもできたでしょうね」
 氷のように冷たい声が、別の方向から向けられる。商人のアドリエンヌだった。彼女は旅を初めてしばらく後からめきめき商人としての頭角を現し、旅の間にあちらこちらの有力者と好を通じてはなんらかの『勇者の一行』としての仕事と引き換えに資金を引き出している。彼女のおかげで自分たちは金銭的に困ったことがほとんどない――が、フィデールはやはり、彼女も恐ろしくてならなかった。冷徹で、計算高く、すべての事象を損得勘定(主として金銭的な)という観点から見る彼女にとっては、自分など道端の雑草ほどの価値もないのだろうとよくわかっていたからだ。
「あなたは旅の間、役に立ったことが一度もありません。戦いの時はまともな戦力にならず、むしろ今回のようにまともに動けないことの方が多いくらいで。それ以外の時も役に立つような技術の持ち合わせもなく。私は、あなたのような存在はこの旅に必要ないと思います。反論はありますか」
「あ、あ、あ………」
 あるわけがない。そんなもの、あるわけがない。自分は、自分こそが誰より強く、自分はこの旅に必要ないんじゃないか、邪魔者でしかないんじゃないかと思い続けていたのだから。旅を始める、その時から。
 震えながらおずおずと、ヴァレリーを見やる。ヴァレリーは――旅が始まった時からずっと、美しく、強く、聡明で、勇気に溢れた、街を歩けば女性たちが鈴なりに群がってくるのを優雅にあしらい、敵と対せば勇敢この上ない態度で剣と言葉を振るう、頭の上からつま先まで余すところなく完璧な勇者は、ゆっくりとこちらを見やった。
 とたん、身体が金縛りになる。――フィデールは、メリザンドよりもアドリエンヌよりも、今日戦ったカンダタ盗賊団のような悪漢たちよりも、ヴァレリーが怖かった。なにもかもが完璧で、美しく、纏う空気さえただ人とは違うような彼の前に、自分などが存在する――それ自体が、許されない罪悪であると、心の底から感じてしまうからだ。
 ヴァレリーがその形のよい唇を、ゆっくりと動かして声を発する。聞いた女はどんな貞操堅固な女性でも蕩けてしまうのではないかと思うほど、美しく力強く音楽的で男の色気に溢れた声を。
「俺の予定している計画にはこいつも必要だ。それを途中で放り出す気はない」
「だからって!」
「わかっている。こいつと改めて話して、その伸びしろを考えに入れても旅に不要だ、と判断した場合は切り捨てるさ。――外で少し話してくる。お前たちは先に休んでいろ」
『…………』
 納得しかねる表情で自分を睨む二人に、フィデールは小さくなってうつむいた。自分は本当に駄目だ。生きている資格もないようなどうしようもないクズだ。なのに、こんなに完璧な勇者さまの旅についてくること自体が間違いだったんだ。自分には勇者さまの期待に応えることなんてできない。自分は生まれてこの方、ただの一度も、誰かの期待に応えることなんてできなかったのだから。
 ――そんな思考がぐるぐる頭の中で回り、顔を上げることもできなくなっているフィデールに、ヴァレリーは一言告げた。
「行くぞ。ついてこい」
「…………、は、い………」
 その言葉に逆らえず、フィデールはうつむいたまま立ち上がった。だって、仕方がない。自分にはこの人に逆らうことなんて、許されないのだから。
 こんな――どこもかしこもが、美しい人になんて。

「あ、の………」
「なんだ」
「あ、の、あの……こ…………」
「だから、なんだ」
「…………………」
 フィデールは、どう言えばいいのかわからなくなって口を閉じる。そんな失礼な真似をよりによってこの勇者さまにするなんて、と思いながらも、どう言ってもヴァレリーの機嫌を損ねる言い方にしかならない気がしてなにも言えなかったのだ。
 全員で宿泊していたバハラタの宿屋を出るや、ヴァレリーはフィデールを連れてロマリアまでルーラで移動した。のみならずロマリアでも有数なのではないかと思うほど大きな宿屋で一部屋取り、部屋に食事を運ばせて、フィデールと向き合った席で食事を始めたのだ。フィデールも流されるままに席に着いてしまったものの、当然ながら食事を口に運ぶなんてことはできるはずがなかった。
 だがヴァレリーはその美しい眉をわずかにひそめ、厳しい口調で言ってくる。
「食事が冷める。ここの食事にはそれなりに金と手間暇がかかっているが、無駄にする気か?」
「えっ……いえ、あの………」
「心配しなくてもここの宿代は俺の個人的な貯えからもう出してある。お前にはなにが起ころうと請求されないから安心しろ」
「あ……いえ、あの………」
「他に心配があるならさっさと言え。言えることがないなら料理を食べろ。俺は時間と食材を無駄にする気はない」
「………はい………」
 フィデールは恐怖に打ち震えながらうなずいて、恐る恐るフォークを料理に突き刺した。いかにも上流階級のために振る舞われるのだろう精緻な料理だったが、当然ながら味わう余裕などあるわけもない。むしろその見事な料理を自分などが食べていいのかと恐怖をいや増し、ナイフやフォークを持つ手を震えさせて皿を擦る耳障りな音を立てる原因となるばかりだった。
 そして当然そのたびに、フィデールは音を立ててしまった衝撃に打ちのめされ、体中を恐怖に震わせてヴァレリーを泣きそうになりながら見やるのだが、ヴァレリーはまるでそんな音など聞こえなかったかのように、フィデールの方を一顧だせず産まず弛まず食事を続けている。フィデールは胸を撫でおろしながらも、やはり自分など彼にとってはゴミ虫よりもどうでもいい存在なのだ、というごく当たり前の事実を思い知らされ、泣きそうになるのを堪えることになった。
 そう、ごく当たり前の事実だ。それはフィデール自身よくわかっている。なのになぜ、彼は――ヴァレリーは、自分をこんなところに連れてきたのだろう。
 食事を終え、優雅にお茶を楽しむヴァレリーの姿をぼんやりと目の端で眺めながら、フィデールは考える。この人は、本当に、なんて美しいのだろうと。
 華麗、美麗、勇壮、凛とした、そんな美辞麗句をどれだけ積み重ねても彼の美しさの十分の一すら表すことができまい。顔貌のみならず、その一挙手一投足が、ありとあらゆる振る舞いが、口から発される言葉が、その美しさをより完全で完璧なものへと押し上げている。
 本当に、こんな美しい人がこの世にいていいのかと思うほどの美貌だ。
 ――だから心底、フィデールは思う。こんな人のそばに、自分のような醜い生き物が存在してはいけないと、ごく当たり前の事実を。
「フィデール」
「はいっっっ!!!」
 突然声をかけられて驚き慌てふためき、勢いよく立ち上がりかけて机に足を打ち付けながらも、フィデールは気をつけというか直立不動の体勢を取って固まる。自分がなにを言われ、なにをされようとも、自分には彼に逆らう資格などないのだとよくわかっていたからだ。
 傷つけられようとも、鞭打たれようとも、首を落とされ殺されようとも。自分は生まれてこの方なにも成すことができていない人間のクズで、彼は世界の誰より強く美しい勇者なのだから。
 そう自分に言い聞かせながら、必死に中空を見据える――と、その視界にすい、とヴァレリーが入り込んできた。
「!!!」
「お前は人ときちんと話す時は、相手の目を見ろと教わらなかったのか?」
「はっはいいぃっすいませんっ、ごめんなさいっ!」
「謝る余裕があるなら、座れ。そして真正面から俺の顔を見て話をしろ」
「っ……、っ……、は、い………」
 フィデールはのろのろと席に着き、震えながら泣きそうになりながら、おそるおそる顔を上げ、ヴァレリーを見る。ヴァレリーは、冷厳とすら言えそうなほど澄んだ眼差しで自分を見つめている。その眼差しに心底震えあがったが、ヴァレリーの言葉に逆らうことなどできるはずがなく、フィデールは目から涙を流し、卒倒しそうになるほど震えながら、ヴァレリーと真正面から向き合った。
 それにヴァレリーは当たり前のように「よし」とうなずいて、自分を見つめながら問いを発する。
「なんでカンダタたちと戦った時、動けなくなった」
「っ………」
 フィデールは硬直した。聞かれるのが当たり前の問いだとわかってはいた。けれど、それでも聞かれた瞬間恐怖で身体が固まった。
 なぜなら、その問いは、自分がどれだけ弱く愚かで、ヴァレリーのそばにいるどころか存在を認識されることすら許されないほどの、どうしようもなく醜い存在であることをつまびらかにするものだったから。
「っ………すい、ません………ごめん、なさい。本当に……本当に、ごめんなさい……」
 今日、自分たちは、一度シャンパーニで取り逃がした(というより、ヴァレリーが逃がしてやったようにフィデールには思えた)カンダタ一味と戦った。若い娘たちをかどわかし、売り飛ばすという非道な商売をしているカンダタ一味を止めるため(アドリエンヌはバハラタの大香辛料商人をはじめとしたあちらこちらから報酬を引き出していたらしいが)。
 そして、自分は、戦いが始まるや硬直してまともに動けなくなった。武器を振るうどころか、身動き一つできないほどに体全体が痺れて。
 そして、戦いの中そんなことになったなら当然そうなるだろうように、敵にあっさりと斬り捨てられ、その傷を癒すためにヴァレリーを拘束する羽目になり、この上なく足を引っ張るという醜態をさらした。
 けれど、それだけではない。そんなことは序の口とすら思えるほど、自分は旅が始まってからずっと、全員の足を引っ張ってきた。
 戦いでは役に立たず。かといって他になにか取り柄があるわけでもなく。そばにいるだけでその不景気な雰囲気と醜い顔立ちで周囲の人々の苛立ちを募らせ。
 鬱陶しい。役に立たない。いるだけ無駄の。顔を見るだけで苛々する。吐き気を催すような面相の。存在する価値もない。
 ――本当に、こんな醜い自分など、最初から生まれてこなければよかったのに。
 そう最後通牒を突きつけられる時が来たのだ、と、フィデールは醜い顔立ちを怯えでさらに醜くしながら低く頭を下げた。当たり前のことなのに、それが正しいことなのに、自分は終わりがやってきたことに震えあがって泣きそうになっている。本当に、最低の醜い生き物だ。存在すること自体罪とすら思う――それなのに、自分は―――
 そこに、美しく冷厳とした、ヴァレリーのよく通る声が響いた。
「謝る余裕があるなら、とっとと真実を正直に話せ。それとも俺の問いに答えたくない、と?」
 自分の体がびくんっ、と震えるのがフィデールにはわかった。今、ヴァレリーは、なんと言った?
 真実を、正直に話せ、と。自分に? こんなに醜い、自分に? 馬鹿な、聞き違いだ、と自分に言い聞かせるが、ヴァレリーの凛とした声の響きはしっかり耳の奥に残っている。まさか、そんな、本当に、などと頭の中で思考が空転している間にも、慌てきったフィデールの口は勝手におろおろと滑るままに言葉を吐き出してしまう。
「えっ、あのでもっ、本当につまらないことですからっ。俺みたいな醜い奴なんかのことなんか本当に気にする必要なんて全然ないですしヴァレリーさんの耳を汚すような資格なんて俺にあるわけないですし本当」
「ほう。話したくない、と?」
「いっいえあのっそういうわけじゃないんですけどあのでも本当にどうでもいいことでっ、俺なんかの言葉にヴァレリーさんがかかずらうこと自体時間の無駄っていうより世界の罪悪っていうかいっいえ罪を犯してるのはヴァレリーさんじゃなくて俺の方なんですけどあのすいませんごめんなさいあのっ」
「なら、俺が言ってやろうか。お前は『殺したくない』と思ったんだろう」
「…………え?」
「若い娘を誘拐して売り飛ばすなんぞという罪を犯した人間でも、お前は殺すのが怖かった。命を奪うことそのものが怖かった。命を刈り取る責任を負うのが、怖くて怖くてたまらなかった。――そして、死んでほしくない、と心の底から思っていた。だから『敵を倒す』という義務と板挟みになって、動けなくなった。旅の間ずっとそうだったようにな。違うか?」
「…………なんで…………」
「なんでわかるのか、か? お前をまともに見ていれば誰だってわかる。お前がしじゅうそういう自縄自縛に陥ってることくらいはな」
「なんで………僕なんかを、そんな…………」
 フィデールは震えていた。これまでの恐怖とは桁が違う、短剣を差し出されれば今すぐ自分の喉を掻き切っていたのではと思えるほどの激烈な恐怖だった。
 この人は――この誰より美しい勇者さまは、自分を、一人の人間として真正面から見つめている。誤解も無視もせず、自分の心をはっきり事細かなところまで識りながら、話をしている。
 その恐怖は半分は、自分をこんな風に理解してくれている人が自分に侮蔑や非難をぶつけてきたらそれはこれまでの人生の誰からぶつけられたものよりも身に応えるだろう、というもので――そしてもう半分は、重圧感や緊張とでも呼ぶべきものだった。
 こんな美しい人が、自分などのことを、本当に見てくれている。それは罪悪感すら感じるほど強烈な精神的重圧だった。自分などがこの美しい勇者さまの人生の中に存在していること自体が、ヴァレリーを穢すことのように思えてならなかった。――そして同時に、純粋に、怖くて怖くて仕方なかったのだ。
 この美しい人に自分が見られている。つまりそれは、自分が、『ヴァレリーに見られるだけの価値のある存在にならなければならない』ことを意味する。そうでなければヴァレリーの人生に、魂に傷がついてしまう。
 自分が。自分などが。生まれてこの方誰からも、親からすらも顧みられたことのない自分などが。この美しい勇者さまの人生に存在するだけの価値のある人間になる? 無理だ、不可能だ、とてもできない。自分などに許されることじゃ、いいや純粋に能力的にできるとはとても思えない。自分のような愚鈍で惰弱で醜い人間に、そんな人間になれる自信など湧いてこようはずがない。
 そんな風に周章狼狽するフィデールを、ヴァレリーは怜悧な瞳で見つめて告げる。
「言ったはずだ。お前は俺の予定している計画に必要だ、と。お前がどう考えていようと、俺はその基本思考を変える気はない」
「っ…………」
「食事は終わったか」
「えっ! ……は、はい……」
 ほとんど食事をしている実感はなかったが、確かに食事は終わっていた。ヴァレリーもとうに食事を終えていたようで、立ち上がって卓を避け、フィデールの前に立つ。そしてその鋭い視線でフィデールを見下ろし、告げた。
「なら、服を脱げ」
「……………、えっ?」
 一瞬なにを言われたのかわからずぽかんと口を開ける。フ、クヲヌ、ゲ? 意味が、さっぱりわからない――
 が、そんな現実逃避など、ヴァレリーが歯牙にかけるわけはなかった。冷厳とした、支配者然とした表情で、冷たくも美しい声で繰り返す。
「聞こえなかったのか。服を脱げ。下着も残さず素っ裸になれ。――お前が俺に逆らう意志を持っているというなら、逆らってもいいが?」
「―――…………」
 フィデールは愕然とし、混乱し、頭の中が真っ白になった。なにをすればいいのか、どう振る舞うべきなのか、それどころか自分がなにを感じなにを考えているのかも頭の中から吹っ飛んでしまう。
 ――だが、フィデールは、言われるままに立ちあがって服の釦に手をかけた。
 恐怖。それは消えていない。ヴァレリーがなぜこんなことを言うのか頭の中は大混乱しているし、ヴァレリーの視線に自分の醜い裸体がさらされるのだと思うとヴァレリーを穢す罪悪感に吐き気すら覚える。
 だが、それでも、フィデールにヴァレリーの言葉に逆らう意思など持てるはずがなかった。持ちたくもなかった。この美しい勇者は、自分などとはまるで格の違う、常に支配者であるべき人なのだから。
 いつも身にまとっている、道化師用の派手な服の釦を、ひとつ残らず外す。そのまま手足を抜くという、見苦しい脱ぎ方で服を脱ぎ棄てる。残った肌着と下着を、震える手で脱いで、素裸になる。
 そうして、恐怖と羞恥と罪悪感で顔すら上げられないままに、「脱ぎ……ました」と告げる。自分の長く旅を続けているのにまるで筋肉の付かない、やせ細っているのにあちらこちらにみっともない無駄な肉ばかりついている、見苦しいことこの上ない裸身をヴァレリーに見せることに、泣きそうになるのを必死に我慢しながら。
 ヴァレリーは、「ふん……」と呟きながら、自分の身体をじろじろと見ているようだった。申し訳なさと苦痛で涙が出そうになるのを、必死に顔に力を入れて耐える。どんなに苦しかろうと、恥ずかしかろうと、自分にヴァレリーの言葉に逆らう選択肢など存在しないのだから。
 ヴァレリーは、しばし自分の体を凝視したのち、「フィデール」と自分の名を呼んだ。音楽的にすら感じるヴァレリーの声が自分などの名を呼んだことに一瞬打ち震えながらも、「なん、でしょうか」と答えると、ヴァレリーは静かな声で告げた。
「こっちを向け」
「っ……、は、い」
 おそるおそる、顔を上げる。とたん、ヴァレリーの凛々しい瞳と目が合って硬直する。そんなみっともない自分に向け、ヴァレリーは淡々と言葉を重ねた。
「そのまま、俺を見ていろ。目を逸らすなよ」
「は、い………!!!?」
 フィデールの答える声が、ヴァレリーを見るや悲鳴のように跳ね上がったのが自分でもわかる。それも当然だ、とフィデールには思えた。――ヴァレリーは、フィデールの目の前で、服の襟に手をかけたと思うや、勢いよく、男らしく服を脱ぎ棄てていったのだ。
 上着を脱ぎ、軽やかに腕を抜いて放り捨てる。肌着を両手を組んだやり方でまくり上げるようにして脱ぎ捨て、上半身を露わにする。腰帯を解き、下穿きをするりと床に落とし、下帯ひとつの姿になる。それから、しゅる、しゅるり、と音を立てながら、下帯を解いていく。
 フィデールは絶叫しようとする喉を必死に抑えながら、ヴァレリーを見つめていた。絶対にヴァレリーの言葉に逆らうわけにはいかない、と自分を戒めていたがゆえ、身じろぎすることも声を出すことも全身全霊で押さえながら、ひたすらにヴァレリーを見つめていた。
 いや、本当は違うのかもしれない。そんな上等な理由ではないのかもしれない。実際のところは、ただひたすらに――ヴァレリーが美しかったからなのかもしれなかった。
 自身の服を一枚一枚剥いでいくヴァレリーは、美しかった。服を脱いで素裸になるという、ただそれだけの行為が、たまらなく神聖なものに思えるほど。服を脱いでいくという普通なら間抜けなものにもなりかねないだろう、動作の一つ一つが絵画のように美しく、凛々しく見えた。……そして、服の下から露わになっていくヴァレリーの裸体は、本当に――神さまそのもののように感じてしまうほど、輝いて見えたのだ。
 自分に見つめられながら、ヴァレリーは服を脱ぎ去り、素裸に――神さまのように美しい、裸の姿になった。そして、自分をゆっくりと上から下まで見つめ、言った。
「俺を見て欲情できるぐらいには、お前も男だったらしいな。俺がお前の理想だというのはわかっていたが、欲情してくれて一安心、というところか」
「………え? あっ!!!」
 思わず叫んで、前かがみのひどく不格好な姿勢になって前を隠す。フィデールの醜く、下品で、吐き気を催すような男性自身は、大きく屹立していたのだ。
 こんな汚らしいものをヴァレリーに見せてしまったという罪悪感やら羞恥やらがぐるぐる頭の中を駆け巡り、大混乱の坩堝にあったフィデールに、ヴァレリーは小さく肩をすくめて告げる。
「隠す必要もないだろう。お前と俺は、これから一緒に寝るんだからな」
「………はっ?」
「言っておくが、一緒に眠ると言っているわけじゃないぞ。共寝をする、抱く抱かれるの関係になるということだ。下品な言い方をすれば、まぐわうということになるか。――文句はないな?」
「えっ……え? え…………!!!!」
 腹の底から湧き出る混乱と恐怖による大絶叫を、フィデールは必死に両手で喉を絞めて抑えた。ヴァレリーにうるさい思いをさせるわけにはいかないというごく当たり前の感情による行為だったが、それでも、頭のてっぺんからつま先までが、とんでもない混乱と恐怖に満たされてしまっているのを打ち消すことはできなかった。
 なにを? ヴァレリーはなにを言っているのだ? 意味が分からない、理解できない、状況がさっぱりわからない。そんな、そんなことをそんな。ありえない、あってはならない。フィデールは自分にそんなことが起こるという可能性すら考えたことはなかった。それを、ヴァレリーが? 世界の誰より美しく凛々しい勇者が? 馬鹿な、そんなことあってはならない、絶対に許されない、世界の条理に対する反逆も甚だしい。そんな、そんなことが―――
「言っておくが、反論は認めんぞ。お前に旅を続けさせるために必要だからこそ、選択した手段だ。お前がどれだけ嫌がろうと、逆らうことは許さん」
「っ……、え………?」
「お前が戦いに怖気づくのは、つまるところ、自分に価値を認められないのが原因だ。お前は、自分の容姿、性格、能力、技術、およそすべてに強い劣等感を持っている。おそらくは生まれてからずっと親をはじめとした周囲の人間に、お前には価値がない、なにもできないと言われ続けてきたんだろう」
「…………」
「お前は生来のものか、他者に敵意を抱くことを不得手としている。だからその周囲の勝手な決めつけと押しつけに、抗することができなかった。自分は価値がない人間なんだ、なにもできない人間なんだと素直に受け止めて、ひたすらに嘆くしかなかった。違うか?」
「…………、他の、人が、そう言ったから、思っているわけじゃ、ありません」
「ほう?」
「僕は……僕自身、本当に……僕は、なにもできない、なんにも、価値がない、人間だって………」
 初めから、心底そう思っていたわけではなかった。
 自分にはなにかできるんじゃないか、自分にも少しはなにかできることがあるんじゃないか。そう思って、自分なりに必死に他人の手伝いをしたこともあった。自分の不器用さと要領の悪さ、そばにいるだけで不快になるような醜さで迷惑がられることしかなかったけれども。
 せめて他人に見て面白がられることくらいはできるんじゃないか、そうやって他人に喜びを与えることができたなら。そう思って、遊び人の職に就いた。どれだけ必死にやっても自分には他人を面白がらせるという能力すらないのだということを思い知らされるばかりだったけれども。
 そんなことを何度も繰り返して、フィデールは、ようやく自分は、生まれてこの方みんなに言われてきたように、なにもできない、なにも価値がない人間だと認めたのだ。認めざるを得なかった。認められないわけがなかった。
 だって、鏡に映る自分を見るたびに思うのだ。ああ、本当に、なんて醜いんだろう、と。
 顔も体も気色悪くむくみ、青黒く膨れ上がり。肌は外に出て働こうとも水棲類を思わせるぞっとするような生っ白さのままで。鍛えようとしても筋肉はつかず、だらしなくたるんでそれこそ死体のように緩んだままで。
 そして、なにより、顔。不気味に細い瞳、不格好に広がった鼻、分厚くそして色も形も気色悪さすら感じさせる唇。骨格すらも形が歪んでいるようで。見るだけで不快になるのも当然だ、と誰よりも自分が納得したのだ。
 だから、フィデールは、自分はそういう存在だと認めた。認めないことを許されないほど、自分は醜かったのだから。
 うつむきかけるフィデール――その顔を、ヴァレリーはくいっ、と持ち上げた。
「っ………!」
 身長がほとんど変わらないので、真正面からヴァレリーと見つめ合う格好になる。それに恐怖し、硬直し、混乱し――そして一瞬、確かにフィデールは、陶然とした。
 このたまらなく美しい勇者を見つめられることに。これほど間近で見つめ合えることに。その瞳に、自分が、映ることに。
「……ふん。要するに、お前の劣等感の根本は、そこにあるというわけだ。お前が、唯美主義を容貌にまで広げるような、容色至上主義者であるというところに」
「っ………」
「なら、問題はないな。――俺の相手を務めろ、フィデール」
「っ…………!!!」
「お前は俺を、この世の誰より美しいと思っているんだろう? その相手に、一夜の相手に選ばれること。それがお前にとってはなによりの自信の源になるはずだ。この俺に、世界の誰より美しいとお前が考える俺に、愛でる対象として選ばれることが、な」
「……………………」
 フィデールは、もはや呆然として、ヴァレリーを見つめた。ヴァレリーに選ばれる。愛でる対象として。それは確かに――夢のような話だった。
 男同士だのなんだのというのは問題にもならなかった。これほど美しい相手に、一夜でも、一時でも、愛でられる。そんなことはありえないととうの昔に放り捨ててしまった子供の夢だ。けれど、それが実現するとしたら。この圧倒的な強者に、命ぜられて、求められて、相手を務めることができたら。それは本当に、世界のなによりも幸せな夢で――
 ―――でも。
「………っ、でき、ませ、ん」
「ほう?」
「ヴァレリー、さんは。俺を、好きな、わけでは、ないですよね? なのに、そんな、旅の仲間を確保するためだけに、そんなことをする、なんて。そんなのは、だめです。あなたが……あなたの体も、心も魂も、穢れて、しまう………」
 涙ぐみながら、震える声でそう言うと、ヴァレリーは一瞬目を瞬かせた。それから、ふっと小さく笑って、ぐいっとフィデールを引き寄せ――
「!!?」
 フィデールは思わず硬直する。ヴァレリーが、自分を抱き寄せ、口付けしたのだ。それも、唇と唇で。
 触れるだけの、優しい口付け。けれど――あのヴァレリーの、この上なく形のよい凛々しい唇が、自分の唇に触れていること――そしてその唇の柔らかく優しい感触に、フィデールは酔いしれた。自分の体と触れ合うヴァレリーの逞しい体。そして股間に触れるヴァレリーの男性自身の感触に、今にも達してしまいそうになるほど昂ぶった。
 数瞬の後ヴァレリーは唇を離し、自分を間近から見つめ、静かな、優しげとすら言っていいような口調で語りかけてくる。
「フィデール。お前は、俺が、好きでもないような奴を寝床に誘うとでも思っているのか?」
「………え………」
「お前は自分は醜いなんの価値もない奴だと思っているようだけどな。俺にはそうは思えない。お前は、びっくりするほど優しい人間だ。それが、相手に通じていないとしても」
「え………」
「お前はいつも周りの人間を気遣っている。周りに傷ついていたり、不快な思いをしている人間がいたらなんとかせずにはいられない。まぁ、それはお前がそういう人間に傷つけられたくないから、という気持ちもあるんだろうが、苦しがっている人間をなんとかしてあげたいと思う、優しい気持ちも間違いなく含まれているんだ」
「…………」
「それに、お前は他者の命を奪うことに強い拒否反応を示すだろう。もちろん生きてる限り他の命を奪わなきゃ生きていくことはできないし、お前のその気持ちを欺瞞、偽善と言うこともできる。それに拒否反応を示す一番の理由は他者の命を奪う責任を負いたくないということなのだろうとも思う。だけど、拒否反応の根本は、お前が他者の命を心底重んじているからだ。殺したくないという優しい気持ちを誰より強く心に抱いているからだ。まぁ、それが建設的な方向に繋がっていないのも確かだけどな」
「………なん、で」
「言ったはずだ、お前をまともに見ていれば誰だってわかる、と。……お前の卑屈さもその根本は、親や周りの人間をがっかりさせるのが哀しい、周りの人間に喜んでもらいたいという、心遣いからくるものだ」
「…………」
「お前は確かに客観的に見て無能の部類に入るだろう。お前を見ていると、苛立つ人間が多いことも確かだ。だが、お前は……お前の優しさは、とても、きれいだと俺は思う」
「……………!」
「お前は、きれいだよ。俺が初めて共に夜を過ごす相手に、お前を選びたいと思うぐらいにはな」
「………ぁ………」
 馬鹿な、そんな、ありえない、自分にそんな資格はない、許されない。そんな言葉が一瞬頭の中を通り抜ける。
 けれど、ヴァレリーの瞳は、びっくりするほど優しかった。まるで本当に、愛する人間を見ているかのように。
 もちろん、自分がヴァレリーの唯一の人間になれると思っているわけではない、そんな風に思い上がれるわけがない。けれど、彼が。誰より美しい世界最高の勇者である彼が。そんな風に、優しい目で自分を見てくれる――
 それだけでよかった。他にはなにもいらなかった。きっとこの一夜だけのことだろうし、また彼がこんな風に優しい目で見てくれることもまずないだろう。これは彼が自分を励ますためにやってくれていることなのだろうから。でも、それでも、彼が、自分に、情けを―――
 ぶわ、とフィデールの両眼から涙が噴き出した。ぼたぼたとみっともなく、見苦しく瞳から涙をこぼした。それを、ヴァレリーが優しく笑って、格好良く親指で拭ってくれる。
「仕方のない奴だ。そんなに俺の初めての相手に選ばれたのが嬉しいのか?」
「うれっ……しい、とか、そんな、ぐらいじゃ、なくて………」
 許された気がした。
 ここにいてもいいと。世界の中に存在してもいいと言われた気がした。こんなすごい人に言われたのならば、どんな人だってそれに異を唱えることはできない。
 それに、なにより、ヴァレリーよりも自分にとって重い存在である人間なんて、自分がどれだけ長く生きようとも絶対に現れないだろうから。
 そんなことをしゃくりあげながら必死に伝えると、ヴァレリーはまたふっと笑って、自分の唇に唇を落としてくれた。フィデールは今度は目を閉じ、それを受け容れる。
 天から送られた口付けを、神に施される慈愛を、圧倒的な幸福感に打ち震えながら。
 ――そんな恍惚で満たされた時間は、唐突に口の中に分け入ってきたぬるっ、としたものによって終わった。
「! ! ! ! ! !!?」
 ぬっ、ぬるぬちゅぬちゃっくにゅくちゅくにむにぬっちゅっちゅっちゅっちゅばっじゅっれっろれっちゅっぬっじゅうっ。
 ぬるっとしたものは、フィデールの口の中を縦横無尽に舐めまわし、舌に絡みつき、吸いつく。のみならず唇に触れたものが強弱を付けながら、角度を変えながらフィデールの唇を吸い、より深く、より奥まで繋がっていこうとする。
 ぞぞぞぞぞぞっ、と背筋に走る圧倒的な快感にフィデールの頭は混乱し、惑乱し――自分は今ヴァレリーに深い口付けをされているのだ、と理解するのに一分以上かかった。
 数分かけてフィデールの体中を震わせるほどの快感を与えたのちヴァレリーの唇は離れた。自分の唇との間に、唾液でできた糸が引かれる。そのいやらしさに頭の一部がかぁっと熱くなりながらも、呆然と(腰砕けになる体をヴァレリーに支えられながら)フィデールはヴァレリーを見つめた。
「ヴァ、レリーさ、ん………、なん、で………」
「まさか冗談だとでも思ったのか? 俺の相手を務めろと言ったはずだ」
 にやり、と間近で笑うヴァレリーの顔に、ぞくぞくっと思わず背筋が震える。ヴァレリーの表情は今まで見たことがないほど猛々しく、悪辣さすら感じるほど野性的で――股間が痺れるほど、いやらしく見えた。
「じょ……うだん、と、いうか。あの……本当に、僕で………?」
「くどい。俺も余裕はないんだ、とっとと寝台に行くぞ。なにせこれが初めてなんだからな」
「は………い、えっ? は? はじ、めてっ!!?」
「なんだお前、やっぱり耳に届いてなかったんだな? 俺は正真正銘、これが初めてだ。それとも俺がそんなに節操なしの遊び人に見えたか?」
「そそそそそんなことはありませんけどっ、ヴァレリーさんだったら、当たり前みたいにきれいな人とさらっと初体験を済ませてらっしゃるんじゃないかってっ」
「まぁこの顔だ、昔から誘われることは多かったが、どいつもこいつも俺の趣味ではなかったからな、角の立たないよう断ってきた。俺はこういうことはなによりもお互いの愛情が必要不可欠であると信じる貞潔な人間なんだ。無理やり犯そうとしてくる連中もそれなりにいたが、当然そんな奴らは全員生まれてきたことを後悔するくらいの目には遭わせてやったしな」
「そう、なんですか……ご無事で、よか、じゃじゃじゃなくてっ、あのっ、ぼっ、僕なんかでいいんですかっ? だって僕」
「言ったはずだ。俺は、お前の優しさはとてもきれいだと思う、と。……それにな、言ってしまうと、俺は人間の顔の美醜というものがあまりぴんとこないんだ」
「えっ?」
「俺の顔を見ても、現代の一般的な美的感覚によれば相当に美しい顔立ちなんだろう、とは思うが俺個人としてどうこうは思わない。どんな美形だと謳われた美姫も貴公子も、それは同じだ。むしろ……俺の好みとしては、お前のような顔立ちの方が可愛いと感じられる」
 唇の両端を吊り上げて、する、とフィデールの首筋を触るヴァレリー。それだけでまた痺れるような快感を覚えつつも、フィデールは頭をまた大混乱に陥らせていた――が、同時に、圧倒的な幸福感に打ちのめされてもいた。嘘かもしれない、冗談だと考えるのが当たり前だろう、それでも、ヴァレリーが、自分の顔を、可愛い、と言ってくれた――
 もう、どうなってもよかった。最初から逆らう選択肢などなかった。どれだけひどくされてもかまわない、ヴァレリーに、自分の体に跡を刻み込んでほしかった。
「ヴァレ、リー、さん……」
「なんだ?」
「俺、当たり前ですけど、本当に、全然経験なくて……ちゃんとできない、と思いますけど……それでもよければ……どうか、好きにして、ください………」
 涙ぐみながら言った言葉に、ヴァレリーはくすり、と背筋が震えるほど凄みのある笑顔で言葉を返す。
「お前が可愛がられたいなら悪いとは思うが、先に俺を可愛がってくれないか。俺は、常日頃から童貞よりも先に処女を捨てたいと思っていたんだ」
「…………、え?」

「あ、の………ほ、ほ、ほ……本当に、ぼ、僕が………」
「嫌なのか?」
 自分の目の前で、優雅に寝台に横たわりながら、ヴァレリーはくすりと笑う。普段なら男の力強さと凛々しさを感じさせただろうその笑顔は、絞った照明の下、自分に押し倒された格好で見せられると、凄絶なまでの男の色香を感じさせた。自分とは比べることすらおこがましいほどの、支配する者の色香だ。
「い、い、嫌、じゃ、ないです、けど。その、ぼ、僕、やり方が、よく………」
「ほう、初めてなわけか」
「そ、そりゃ、当然……こんな、顔ですし」
「俺にとってはたまらなく可愛い顔だが……それでも、それは、嬉しいな。お前の初めてを俺に捧げてくれるのか、と思うと」
 くくっ、と唇の両端を吊り上げながら喉の奥で笑ってみせる姿も、フィデールには眩いほどに格好良く、男らしく映った。この世のどんな貴人であろうともかしずかずにはいられないだろう、覇気に満ちて。正直、彼が誰かに組み敷かれるところを想像することはできなかった。しかも、その相手がこんな、醜く情けない男では。
 だが、ヴァレリーはにやりと笑ってフィデールを抱き寄せてみせる。
「わ……わっ!」
「なんだ? 俺がお前の童貞を捧げる相手では、不満か?」
「いっいえそういうわけじゃ全然ないんですけどっ! あの……なんていうか、その……ヴァレリーさんは、本当に、すごく、ものすごく格好いいから……女役、っていうか……そ、その、い、入れられる方をやるっていうのが、なんていうか、その……」
「似合わない、か?」
「にっ似合わないっていうわけじゃ、ないんですけどっ! その……男役、っていうか……支配する方をやる方がその、似つかわしく感じる、って、いうか……」
 ヴァレリーの逞しい胸板に抱きとめられながらそんなことをぼそぼそと喋る。正直、自分のだらしない体でこの人の上に乗るという今の状況でも、申し訳なさに土下座したいほどだったのだ。
 けれど同時に、喉の奥ではごくり、と唾を呑み込んでいた。この誰より美しく男らしい体を、自分が好きなように支配できるというのは、怖気づくどころか体全体が逃げ出したいという感情に支配されている今でさえも、脳味噌が焦げ付きそうになるほど興奮する事実だったのだ。
「そう言うわりには、ここはもう臨戦態勢に入っているようだな」
「あっ………!」
 ひょい、と股間のものを握られ、フィデールは情けない声を漏らした。突然のことだということも、興奮しきっているせいもあったが、ヴァレリーの力強いのに繊細な指先が、まるで自分のものを包み込むように巧みに動いて、自分に背筋が痺れるほどの快感を与えてくれたせいもあっただろう。
「――正直、ほっとした。俺の裸を目の前にして縮こまられたら、正直傷ついただろうからな。もちろん技術や雰囲気で昂ぶらせるやり方は考えていたが、俺の体に興奮してくれない相手が初めての相手というのは、正直、哀しかっただろうし」
「……ヴァレリー、さん………?」
 ふいに声を落とし、小さく呟くように言葉を連ね始めたヴァレリーに、フィデールはうろたえ混乱する――が、ヴァレリーはフィデールの身体を抱きかかえ動きを封じて語り続ける。その力強さと耳に響く心地よく、そしてどこか寂しげな声の響きに、フィデールの脳はかぁっと惑乱した。
「俺はな。自分で言うのもなんだが、昔からどんなことでも人よりよくできた。オルテガの息子として仕込まれた武術や呪文のみならず、交渉、社交、人心掌握といった対人技術、戦術、経済、外交といった政治能力、学問をはじめとする知識関係、家事のような手先の技術についてまで、なんでもな。おまけに顔はこの通りおそろしく整っていたし、言動や振る舞いは教育された通りに堂々としている。どんな相手からも、さすがオルテガの息子だ、いやこれは父親以上だ、と褒めちぎるのみならずほとんどは自分より上の存在だと認識された。王族や貴族のように体面上上の立場に立つ人間も、地位以外に俺に勝てることはなにもない、と目が認めていた。もちろん悪感情を抱かれることも多々あったが、それでも下から見上げ、嫉妬する立場の連中ばかりだったわけだ」
「はい………」
「だが、俺は、物心ついた時から、ずっと誰かに支配されたいと思っていた」
「え………」
「なんでもよくできるせいなのかは自分でもよくわからん。ただ、支配してくれとばかりに身体を投げ出してくる連中には、微塵も興奮できなかった。指一本触れることなく相手を絶頂に導いたこともあるが、それでも俺は微塵も喜びも昂ぶりも感じなかった。俺にできると知っていることを、ただ当たり前にやっただけだ、とな。だが――寝床で、一人自分を慰める時、誰かに支配され思うがままに弄ばれることを想像すると、脳が痺れるほど興奮できた」
「…………」
「被虐趣味というわけでもない。まぁ遊びとしてならば相当興奮するが。自分より目上の人間にかしずきたいわけでもない。俺は、俺という人間を誰かのものにしてもらいたかった。誰かの掌の中で愛でられることを考えながら自分を慰めた時、他のなにを考えた時より強い快感を覚えた。……そんなわけだから、俺は性欲の対象は基本的に男になったのさ。男を支配する女がいないとは言わないが、普通の女は男に愛される立場に立つことを喜ぶものだしな」
「………はい」
「だが、誰でもいいというわけじゃもちろんなかった。俺も子供の頃は眩いばかりの美少年で、男に妙な目で見られたことも一度や二度じゃないが、その時は不快感しか感じなかったしな。そもそも俺の価値観として、愛していない男と寝るなんぞというのは受け容れられない。だから俺は、それなりに以前から、誰か愛することのできる男を探していたんだ。その根本にあるのが性欲というのが、我ながらどうかと思うがな」
「え、あ、いえ、男ってそういうところ、誰でもあると思いますし……」
「そう言ってくれると救われるな。……俺は下衆は大嫌いだ。自分より目下の人間に優越感を抱き、なにをしてもいいと思っている男など見るだけでも虫唾が走る。そして好みとして、傲慢な人間は好かん。たとえ目下の人間を労わりよく報いる奴であろうとも、偉そうな人間というのにはそれだけで反感を抱く。俺よりも圧倒的な強者であり人格者である男がいたら俺もなにもかもをそいつの前に投げ出していたかもしれんが、客観的に考えてそんな奴はまずいないし、そもそもそんな奴が俺のような根性悪を相手にするとは思えん」
「ヴァ、ヴァレリーさんは根性悪なんかじゃ」
「お前に言われるのは嬉しいがな。俺は相当な根性悪だぞ。偉そうに威張っている人間を叩き落とし、反吐の中でのたうち回らせることに心底喜びを覚えてしまうような奴だしな」
「そ……そうなん、ですか?」
「ああ。……だから、俺が心に抱く理想の相手――支配してほしい相手というのは、いつも気弱な男だった。気弱で、周りからは情けないと思われ侮られるような類の。けれど俺も人として愛せる相手には普通の人間が求めるように、尊敬できる人間でいてほしかった。だから俺の理想の相手はいつも優しすぎるくらい優しい相手だった。誰よりも優しいから、周りの人間を気遣うから、気弱になって侮られてしまうような。そんな周りの無理解に傷つきながらも、誰を傷つけることもなく頑張って立っている相手を、俺の心と体で慰め、癒してやりたいと思った。もちろん、人として、俺が好ましいと思えるような――可愛いと思えるような外見の男ならなおいい」
「え………え、あ、の、それ、は………」
 馬鹿な。そんなわけが。ありえない。あるわけがない。そんな風に必死に自分に言い聞かせるフィデールと、腕を緩めて視線を合わせ、にこり、と柔らかな笑顔を浮かべ。
「お前と出会った時、思ったよ。俺の理想が歩いている、ってな」
「え、え、あ」
「愛している、フィデール。――ずっと前から、好きだった」
 そう言ってヴァレリーは、フィデールの唇を情熱的なまでの勢いで奪った。
 ぢゅっちゅちゅっぢゅちゅっれっにゅっむちゅっむぢゅっぢゅっちゅちゅっちゅっちゅ。舌が唇を、口内を舐め、吸う。お互いの唾液が混じり合うほど、深く強く舌と唇が交わる。フィデールはまるで反応できずにひたすらにそれを受け容れ、翻弄されながら快感に震え――それでも、惑乱する脳の中で必死に決意を固め、自分の舌を伸ばして、ヴァレリーのそれを舐めた。
 一瞬舌の動きが止まり、その前よりさらに勢いを増して自分の舌と唇と口内に絡みつく。その巧みな動きを真似ることなどまるでできなかったし、翻弄されっぱなしの状況を変えることもできていない。だが、それでも懸命に舌を伸ばし、ヴァレリーの唇と深く交わった。なにも与えることなどできないだろうけれども、この美しい人に、せめて自分もあなたに与えたいと思っているのだと、それだけでも全力で伝えたかったのだ。
 しばしの絡み合いののち、ヴァレリーはゆっくりと唇を離した。唾液がつぅっと自分の唇との間に橋を作る。フィデールはすでに気息奄々という状態だったが、ヴァレリーもわずかに息が上がっていた。――息が上がるほどに、自分との口付けに夢中になってくれたのだ。
「あ、の………ヴァレリー、さん」
「……なんだ?」
「ぼ、く………、本当に、初めてで、どうすればいいかとか、全然わからないんですけど……一生懸命、頑張りますから……やり方、ちょっとずつ、教えて……」
 その声は途中で途切れさせられた。ヴァレリーが再び勢いよく口付けをしてきたからだ。必死に応えるが、ヴァレリーはすぐに唇を離し、ぞくぞくするほどの男の色香に溢れた顔で言った。
「お前の、好きにしてくれ」
「………、はい」
 フィデールは本当にさっぱりやり方がわからない。どうすれば始まりでどうすれば終わりなのかもわからない。それでも、フィデールはヴァレリーのその言葉に、ヴァレリーの心からの欲望を感じた。なにもかもを自分の手で、自分の好きなように刻み込んでほしいという。
 それに応えたい。そして、自分の欲望を、この人に刻みたい。自分の中にそんな、男としての強烈な欲望が存在するなど、考えたこともなかったのに。
 フィデールは体をずらし、ヴァレリーの胸へと唇を移動させた。逞しい胸板の先に小さな尖りのある、男らしく力強い胸。その先端の乳首に、唇を寄せ、口の中に含み、ねぶった。
 ちゅ、ぢゅ。じゅっ。ちゅ、ちゅ、ぢゅ。そんな不格好な音の中に、ヴァレリーのかすかな喘ぎ声が混じる。
「ん……ぅ、は。ふ……っ、ふぅ……」
 自分の愛撫で、ヴァレリーが声を上げている。本当に気持ちいいのかはわからない。冷静に考えて演技だと考えるのが当然だとも思う。けれども、その喘ぎ声から溢れる、誰よりも男らしいのに愛されることで薫る色香は、フィデールの脳味噌をたやすく火山のように燃え上らせた。
 乳首を吸いながら、その強靭なのになめらかな肌に手を這わせる。腕を、脇を撫で、尻と寝台の間に手を潜り込ませる。両の手でヴァレリーの尻を包み、優しく、強く揉みしだく。――それだけで、ヴァレリーの喘ぎ声は高まった。
「んっ……、はぁっ。ふ……うぅっ」
「っ………、ヴァレリー、さんっ……!」
 両の乳首を何度も吸い上げたのち、フィデールは唇をさらに下へと移動させる。尻を揉みながら腹を吸い、形のよいへそを舐め、さらにその下の、雄々しく茂った茂みと、堂々と勃ち上がったヴァレリーの男性自身と向き合う。
「っ………」
 フィデールは、思わずごくりと唾を呑み込む。男性と交わることなどフィデールはこれまで想像したこともなかった。だが、女性と交わることも想像したことがなかった。こんなに醜い自分が、そんなことを想像すること自体世界への冒涜のような気がしていた。
 それが今、こうして誰より美しい男の男たる徴を目の前にして、身体が燃え上るほどに興奮している。
「ヴァレリーさん……っ!」
 猛り狂う欲望のまま、フィデールはヴァレリーのものを口に含んだ。大きく固く力強いそれを、しゃぶり、吸い、舐め上げ、口と喉でまるごと包み込んで味わう。手はその間も絶えず動かして尻を揉み、太腿を撫で、大きく形のよい睾丸を撫でさすり、時には陰茎までもしごいてヴァレリーの男の徴を愛撫する。
「ぁっ……ふ、ぅ、ぁっ。く……ぁ、あぁっ……う、ぁ、あっ………」
 ヴァレリーの口から絶えず喘ぎ声が漏れる。それを聞くたびに脳が熱くなって目の奥がちかちかと点灯する。もしかして、気持ちよくなってくれているのだろうか。自分の愛撫で、ヴァレリーが快感を得てくれているのだろうか。そう錯覚するだけで、フィデールは圧倒的なまでの幸福感に満たされ、自身の男根の先端を濡らしてしまう。
 丹念に丹念に。全身全霊を込めて。心地よくなってくれるよう、快感を得てくれるよう愛撫する。それだけで本当に、達してしまいそうになるほどの恍惚が脳髄まで浸してくれるのだ。
 が、ふいにヴァレリーが、喘ぎ声の合間に懇願するような声を上げた。
「フィ、デールっ……ちょっと、待って、くれっ……」
「んっ、ふぇっ!? あ、あの、僕なにか間違ったこと」
「そうじゃない。その……気持ちよすぎて、正直、すぐ、出てしまいそうでっ……」
「………へっ!? あ、あの、すいません、あの、でも僕は全然出してくれてかまわないんですけど本当に」
「お前がよくても俺が嫌だっ……その、初めての時はっ……相手と、一緒にイきたいと、ずっと思ってたからっ……」
 荒い息をつきながら、顔を赤くしながら、こちらを必死さすら感じさせる表情で見つめつつ告げられた言葉に、思わずごくりと喉が鳴る。ヴァレリーがこんな風に、自分の手で感じてくれていることに、脳が焼けつきそうになる。
 ヴァレリーは、そんなフィデールをぐっと引き寄せたかと思うと、体勢を逆転させる。フィデールの股間に顔をうずめる格好になりながら、フィデールを見上げるようにして言った。
「……俺にも、お前を、味わわせてくれ」
「………、はいっ………」
 今にも達してしまいそうなのに言える台詞ではなかったかもしれないが、フィデールは逆らわずに、上体を起こした格好で股を少し開く。そちらの方がやりやすかろうと思ってやったことだが、『ヴァレリーが自分のものを咥える』という、それこそ脳味噌の沸騰しそうな光景を見逃したくない、という感情も確かに存在した。
 自分と同じようにこの人が、自分に欲望を抱いてくれている。それを受け止めることを自分は許されている。だからヴァレリーのしたいことはなんでもしてほしかったし、受け止めたかったのだ。自分がどんなみっともない姿を晒そうと、自分はもともと誰よりみっともない人間なのだからそんなことはどうでもいい、と。
 そんなフィデールの決意は、ヴァレリーが股倉に顔をうずめるや吹っ飛んだ。
「………っ………!!!」
 思わず、息が止まる。快感、というより空を吹っ飛んでいるような気分だった。こちらを見上げながらヴァレリーが自分のものを口に含み、舐め、吸い、喉と口で扱き上げる。先端の割れ目を舌でつつく。滲み出てくるいやらしい液体を舐め、吸う。睾丸を口に含み、口の中で弄びながら陰茎を扱く。陰茎の先端をしゃぶり、ちゅっちゅと吸い上げながら、根元の部分を指先で上下させる。
 巧みな、などという段階ではなかった。一動作一動作がフィデールの快感をこれ以上ないほどに掻き立てる。それでいて達することのないように、触れ方で、仕草で、視線で、表情で、フィデールの昂ぶりを自由自在に操って翻弄する。今にも達してしまいそうなほど股間は昂ぶっているのに、あともうひと押しというところで調子をずらされ、達しようにも達せない。たまらずにヴァレリーの頭を押さえると、ヴァレリーはにやり、と紅潮した顔でいつものような上位者の笑みを浮かべてみせた。
「っ、っ、っっっ!!!」
 じゅずぞじゅぽっじゅっじゅぷっじゅぽっ。ヴァレリーがフィデールのものを思いきり吸い上げる。フィデールの一物からなにもかもが吸い込まれるような、強烈な快感が迸って体が動かなくなる。それのにどこをどうやっているのか、白濁が迸りはせずに、フィデールのそれは昂ぶったまま快感に打ち震える。正直、体中の神経が焦げ付いてしまいそうだった。
「………フィデール」
「は、いっ………」
 自分たちが縦に二つ重ねられても余裕があるような広い寝台、今にも倒れてしまいそうなフィデールの向かい側で、ヴァレリーはくるり、と身体を返し自分に尻を向けてみせた。四つん這いになり、くいっ、と尻を持ち上げ、のみならず両の尻たぶをつかみ、ぐいっと割り開いてみせる。
「ここを、触ってくれ」
「えっ……」
 フィデールは一瞬きょとんとし、それから言われたことを理解して愕然として、驚きのあまり思わず硬直する。そこは、どこからどう見ても、食べたものを出すところのはずだった。乱暴に触れば傷つくしなにかを入れようとすればめちゃくちゃ痛い。そんな場所を、触れ、というのか。
 ――だが結局、しばし固まったのち、フィデールは「はい……」とうなずいて身体をそちらへ向けた。ヴァレリーの言葉に逆らうつもりなどもとよりない。ヴァレリーがこんな風に、興奮して自身をびくっ、びくっと震わせながら言うことをかなえてあげたい。それに――ヴァレリーの引き締まった尻の中央に座すそれは、浅黒く色づきながらひくひくと震え、時にぱくぱくと誘うように口を開け、ぬらりとした輝きすらまとっているようで、おそろしくいやらしく見えたのだ。
 どう触ればいいのかわからないままに、まず指で触れる。とたん、ヴァレリーは「んっ……」とわずかに顔を歪めて身を震わせた。痛いのか、とうろたえ、当たり前だと自分を叱りつけ、どうすれば痛くないように触れるのかと頭をぐるぐるさせたのち――フィデールは顔をヴァレリーの尻の間にうずめた。
「っぁ!」
「っ、すいませんっ、僕、なにか」
「いやっ……違う。ただっ……うれ、しくて。それから気持ちよくて……っ」
「………じゃあ、もっとやって……いいんでしょうか?」
「ああっ……頼むっ」
「はいっ……」
 ヴァレリーの言葉に、目と胸中を潤ませながらフィデールは再び顔をヴァレリーの尻にうずめる。引き締まった尻に鼻を挟まれ、ヴァレリーの汗の濃い匂いを思う存分嗅ぎながら、唇をヴァレリーの尻の穴に触れさせ、舌で舐めまわす。
 便の通る場所なのに、という思考が脳裏をよぎらなかったわけではない。だがそれよりもヴァレリーの言葉に従いたかったし、ヴァレリーの体から出るものを汚いとは感じられなかった。その上、舐めるごとに、しゃぶるごとに、味わうごとに、ヴァレリーが切なげな喘ぎ声を上げてくれるのだ。フィデールは歓喜と共に、ヴァレリーの尻と尻穴を舐めまわし、吸い、穴の中に舌を突っ込んで舐めしゃぶった。
 ヴァレリーの汗と、体内のもっとも恥ずかしいだろう場所のもろもろの汁の入り混じった味は、どこか饐えたような、ひどく生臭い味わいで――それが、たまらなく興奮する。誰より美しいヴァレリーの、誰も知らない、汚い場所を、自分は今味わっているのだということが、フィデールを骨の髄まで痺れさせた。
「ぁ……はぁっ、く……ぅ、う、ぁあっ」
 じゅっじゅるっじゅちょっ、れっれちょっぬっぬっねちょっぬじょっずじゅじゅじゅっ。卑猥な水音と、ヴァレリーの喘ぎ声が混じり合う。声そのものは普段の凛々しげな声と同じなのに、こんな風に切なげに濡れた声音を響かせられるなんて。それが菊門をしゃぶる水音と混ざると、こんなにいやらしく感じられるなんて。そんな激情のままに、フィデールはひたすらにヴァレリーの孔を舐めしゃぶった。
「ふぅっ………、フィデールっ……、ちょっと、待ってくれ」
「っ、は、はいっ」
 慌てて口を離したフィデールの前で、ヴァレリーは寝台の下の脱ぎ捨てた服から、小さな小瓶を取り出した。透明感のある軟膏のように見える瓶の中身を大きく指に取り、そっとヴァレリーの尻穴に塗りつけ、中に指を差し込んで孔の中に含ませる。ぽかんとするフィデールに、ヴァレリーは擦れた声で言った。
「お前も……こういう風に……」
「わ、わかり、ました……」
 なぜそんなことをするのか理解できないながらも言われるままに、フィデールは軟膏を指に取り、ヴァレリーの尻穴に塗りつける。自身の唾液と体液でぬらぬらとした孔の中へ、おそるおそる指を侵入させる。
 とたん、思わずぞくり、とした。ヴァレリーの中は、ひどく温かく、ぬらぬらと濡れながらもきゅうきゅうとフィデールの指を締めつけてくる。軟膏を中へ塗りつけるたびに、自分の指がヴァレリーの全身に抱きしめられているようで、身体がぞくぞくと震えた。
 ――何度かたっぷりと軟膏を塗りつけたのち、ヴァレリーが、ほんの少しだけ震える声で告げる。
「もう、いい。大丈夫だ」
「え、は、はいっ」
 なにが大丈夫なのかわからないままに答えて、ヴァレリーの前に正座する。反射的に身に沁みついた行動を取ってしまったのだが、素っ裸でそんな間抜けな姿勢を取るフィデールを、ヴァレリーは馬鹿にせずに、に、とわずかに頬を赤らめながら笑った。
 それから、フィデールと真正面から向き直る。背を寝台に預け、股を開く。両手で曲げた両足をつかみ、ヴァレリーの男性自身も、菊門も、すべてをフィデールに露わにするよう身体を開いてみせる。
 そして、尻孔を指で指し示して、言った。
「ここに……お前の、魔羅を、挿れてくれ」
「え……えぇっ!?」
 フィデールは一瞬愕然とする。自分のものを、ヴァレリーのそこに? 普通に考えて痛くはないのか? そもそもそんなことをしていったいなんの意味が? ただヴァレリーが痛いだけだろうに、ヴァレリーの便と自分のものが混じり合うだけだろうに――
 だが、それでも、一瞬が過ぎ去ったのち、フィデールはごくりと唾を呑み込んで、うなずいた。
「………はい」
 ヴァレリーの瞳が、一瞬嬉しげに輝く。間違っていなかったのだ、とほっとする。ヴァレリーの求めることならば、ヴァレリーに自分がなにか与えられることがあるならば、自分はどんなことだってしてあげたい。
 ヴァレリーの尻穴は、軟膏をつけたせいもあってか、つるつると滑ってなかなか自身を入れることができなかった。そのたびにヴァレリーは切なげに呻く。最後には、ヴァレリーが足を手でつかんで広げている体勢のまま、フィデールのものをつかんでそこに導く。
 ――入ったとたん、フィデールは「ぁっ………!」とみっともない呻き声を上げた。
 これは――これは、なんだ。口で愛撫されるのとも違う、全体を包み込まれ揉み上げられて締め上げられているような感覚。指で味わったヴァレリーの体内の感覚が、フィデール自身で味わうとこんな、こんなに強烈なものだとは。痛みさえ感じるほどの強烈な締めつけ、そしてぐっしょりと濡れた体内の膜ひとつひとつに愛撫される感覚。体中の神経が痺れ、震え、呻く。今自分はヴァレリーの中にいるのだ、と。
 ヴァレリーは、普通なら痛みに呻くところだろうに、わずかに顔を歪めながらも、むしろ陶然としてフィデールを受け容れた。「はぁ……」と息をつき、身を震わせ、体中にじっとりと汗をかいて、目の前で向き合うことになったフィデールの顔を、恍惚すら感じる表情で見つめる。
「フィデール……」
「は、い………」
「俺に、もう一度、口付けを」
 ヴァレリーの尻穴や男性自身をあれだけ舐めしゃぶった後なのに、と申し訳なさを感じたが、フィデールは素直にその言葉に従った。ヴァレリーの求めることならばどんなことでもしたかったし、それ以上に、ヴァレリーと深く繋がり、間近に見つめ合っている今、フィデールもヴァレリーと口付けがしたいと体全体で求めていたのだ。
 ヴァレリーの手がフィデールの頭を抱き寄せる。唇と唇が触れる。汚い場所を舐めまわした舌と唇が、ヴァレリーの美しいそれと深く交わり、混ざり合う。フィデールの腰を捕えるように絡んだヴァレリーの足が、小さく震えてさらにフィデールの腰を引き寄せた。
 腰の奥が、体中の神経が切なさに悶え、フィデールはたまらずに、半ば反射的な動きで腰をぐっと奥へ進める。とたん、濡れて締めつけるヴァレリーの体内とフィデールのものが擦れ、全身に痺れるような快感が奔った。
 驚いて思わず動きを止める――だが、ヴァレリーは大きく顔を歪め、「あぁ……」と切なげな呻き声を漏らした。その芸術品のような美しさを感じさせる表情と声に、快感を覚えた者の色香を感じ、フィデールの全身をぞくぞくぞくぅっ、と震えるほどの喜びが満たす。
「頼む……っ、フィデール。もっと、俺を………」
「はいっ………!」
 フィデールは、言われるままに腰を動かす。時には奥へ力を込めて、時には入り口で小刻みに。そのたびにヴァレリーは「あぁ……もっと……っ」「あっぁっぁっあっ、あぁっ……!」と呻き、喘ぐ。
『今、自分はこの人を支配している』
 そんならちもない想いが脳裏を走る。自分は言われるままに、ヴァレリーの言葉に従って動いているにすぎないのに。ヴァレリーが快感を得られたのなら、それはすべてヴァレリーのおかげなのに。
 それでも、足と腕を絡ませながら、しっかりと抱き合いながら、唇を何度も何度も交わらせながら、他のどこより深く繋がった腰を打ちつけることが、他のなにより強烈な快感を得られることを理解して。幾度も幾度も、深く浅く、腰を打ちつけ愛撫して。――そのたびに、ヴァレリーは顔を歪め、「もっと、もっと……っ」と喘いでくれる。
 今自分はこの人に、深い快感を与えているのだと。この人の体中を、自分が与える快感が満たしているのだと。そう体と心が、否応なしに確信できてしまう。――この人の求めた他者の支配≠、今自分は間違いなく与えられているのだと。
「あっ、ぁっ、ぁっぁっあぁーっ………!」
「ヴァレリーさんっ……ヴァレリーさん、ヴァレリーさん、ヴァレリーさんっ………!」
 上体を起こした格好で腰を、男根を幾度も打ちつける。そのたびにヴァレリーは快感に喘ぎながら、大股を開いて自分で自分のものを勢いよく扱く。自分だけの与える快感だけでは足りないのが悔しくて、苦しい体勢の中から手でヴァレリーのものを扱くと、「ぁぁーっ………!」とヴァレリーは嬌声を上げた。
 ずんっ、ずんっ、ずんずんっずんっ。ちゃっちゃっずちゃっぐちゅっちょっちゃっちゅっ。れっれちょっぬちゅっぬちっぬっぬっずちょっ。お互いの体液が、体温が、いやらしい粘着音が交わり、混ざり合う。お互い喉が涸れるまで嬌声を漏らし、快感に震えた叫び声を上げる。
 締めつけ、動かし、絡み合わせ、奥へと打ち込み。体液を交換し、腰を打ちつけ、扱いて、舐めまわし、しゃぶって、しゃぶられ。――目の奥に、眩い光がちかちかっと点灯した。
「あ……っ、ヴァレリーさんっ、ヴァレリーさんっ、ぁっ、あっあっあぁっ、僕、もうっ」
「フィデールっ………、もっと、もっと奥を突いてくれっ、俺もっ、一緒にっ………!」
 そんな言葉を交わしたのは、現のことだったのかも定かでないほどの快感の渦の中、フィデールはヴァレリーの体内に精液を吐き出し、ヴァレリーもほぼ同時にその逞しい男根から白濁を噴き出させた。
「ぁーっ……ぁーっ……ぁっ、あっ、あぁーっ………」
「ふぅっ……はっ………ぁ、ぁ、ふ、ぅーっ………」
 お互いの呼吸が少しずつ緩やかになっていく中、ヴァレリーはまだ繋がった体勢のまま、フィデールの頭を抱き寄せる。――フィデールはそれに逆らわず抱き寄せられ、また深い口付けを交わした。
 舌を絡め合わせお互いの唾液を啜り飲んでいるうちに、フィデールの男根はまた勃ち上がってくる。だが今したばかりなのにまたすぐもう一回なんていくらなんでも、と必死に自分を抑えるも、ヴァレリーはにぃっ、と色気に溢れた笑みを浮かべてみせた。
「また、固くなってきたな」
「は、いっ……すみませんっ……」
「謝ることはない。俺にそれほど欲情してくれたのだと思うと、心底嬉しくなるくらいだ。……俺も、一度くらいじゃまるで足りないしな」
 言ってこれ見よがしに自身のものを扱いてみせるヴァレリーに、フィデールは思わず唾を呑み込む。ヴァレリーのものも、先ほどと同じように硬度を増し、すでに臨戦態勢と言わんばかりに勃起していたのだ。
「あ、の……それ、じゃあ……」
「まあ、待て。夜は長い」
 ヴァレリーは楽しげに言って、ずるるっ、と体内からフィデールのものを抜き取る。寂しさすら感じてフィデールは「あぁっ……」と切なげな呻きを上げてしまったが、ヴァレリーは自分のものを見せつけるように股を開き、扱いてみせた。
「今度は、俺のものをお前に挿れさせてくれないか?」
「えっ………」
「その後は、またお前が俺に挿れて。……俺は、お前の体中を、余すところなく味わいたいんだ。お前に支配されたいという欲望は揺るがないにしても、いろんなやり方で愛を交わしたいというのは、そんなに間違った考えでもないだろう?」
 さっきまでとはまた違う、男としての欲情に濡れた瞳でそう笑うヴァレリーに、フィデールは小さくうなずいて口付けた。
「俺は、ヴァレリーさんのものです………ヴァレリーさんの、好きなように、してください」
「嬉しいことを言ってくれるな。だが……俺ももう、お前のものだというのは、わかっていてくれるか?」
 一瞬さっきまでの支配される者の目になって問うヴァレリーに、フィデールは小さくうなずく。――少なくとも今この一時は、ヴァレリーは自分に支配されることを心底喜ぶ奴隷なのだと、フィデールは知っていたのだ。
 ヴァレリーは嬉しげに瞳をきらめかせたのち、男の顔になって自分を押し倒す。――こんな醜い自分の体でよければ、いくらでも与えたかった。ヴァレリーの満足がいくよう、心も体も使ってほしかった。
 そして、少なくとも今この一時は、フィデールにもヴァレリーを貪らせてほしかった。――夜が明けるまでは、まだ長いのだから。

 その翌朝。自分が目覚めた時には、もうヴァレリーはいなくなっており、自分はみんなで取ったバハラタの宿の自室のベッドに横たわっていた。まるで昨晩のことが夢だったかのように。
 一瞬本気でその可能性を疑ったが、すぐに昨晩あったことは現実だと確認できた。自分の体にはその痕が残されていたし、身体の疲労感や痛みも昨日あったことは現実だと訴えてきていたからだ。
 ヴァレリーは、その朝以降、昨晩のことが夢だったかのようないつもと変わらない態度を取り続けていた。だがフィデールにとっては、それも気にならなかった。自分などがあんな、この世界一美しい人を自分のものにできるという体験を、一晩以上味わおうなどあまりにおこがましいことだと思えたからだ。
 ただ、あの体験のおかげで、フィデールが少し変わったのも確かだった。具体的に言うと、敵を心底悼みながらも、倒すことに躊躇しなくなった。自分などが命を奪っていいのかという問いかけは変わらずに頭の中にあったが、一度でもヴァレリーの、あの美しい人と夜を過ごした人間が、そう簡単に死ぬのはあってはならないことだと――ヴァレリーを傷つけるのはあってはならないことだと、思えるようになったからだ。
 そのしばらく後、自分たちはダーマに向かった。メリザンドに悟りの書を得させ、賢者に転職させるためだ。幸いそれは問題なく進み、ガルナの塔で悟りの書を得たのち自分たちはダーマへ戻った。転職のために大神官に会った際、フィデールは自分から前に進み出て告げた。
「僕も、賢者になることはできないんでしょうか」
 遊び人はみな、レベル20になりさえすれば賢者に転職することができる。それがゆえに遊び人はルイーダの酒場に登録が認められているのだ。大賢は大愚に似たり、という言葉通りに、愚かさを突き詰め続ければ真理を悟ることもできる、という事実の証明なのだという。
 ただ、遊び人という職業をレベル20まで突き詰めることができる人間はほとんどいない。だからこそ遊び人という職業を選ぶ人間はほとんどいないのだ。
 だが、大神官は、自分を眺め回したのち、うなずいた。自分は賢者になるだけの力を持っている、と。
 そのままメリザンド同様に賢者に転職し、周囲に祝福の言葉を懸けられる中で、フィデールは苦笑する。賢者になったというだけで、周囲の目が明らかに変わったのがわかったからだ。
 けれど、それを責めるつもりはない。自分にだってそういうところはあるのだ。見かけで、外側で、他者を判断し、分類することで安心してしまう。自分についてですら、同様に。
 そのままでいたくないと思ったから、自分は賢者になってみようと思ったのだから。
 賢者へ転職したのち、自分たちはポルトガへ飛んだ。ポルトガ王から魔船を拝領し、海へ漕ぎ出すためだ。
 ポルトガで宿を取ったのち、フィデールは同室のヴァレリーに向き直り、問うた。
「ヴァレリーさん。……今夜、俺と、一緒に寝てくれませんか」
 勇気を振り絞って、告げた問い。一夜だけなのが当たり前だと誰より深く理解しつつも、どうしてもあの夜のことが忘れられず、ヴァレリーのあの姿が脳裏に焼きついて離れず、必死に自分なりにヴァレリーに向き合えるよう自信をつけようとして、どれだけやってもまるで足りないのだと再認識させられた末に、それでも諦められずに発した問い。みっともないこと見苦しいこと甚だしいと承知しながらも、ヴァレリーと向き合えるならそんなことはどうでもいいのだと、心底思い知らされて言った問い。
 それに、ヴァレリーはにっと、あの一夜以外には見たことのない、心底嬉しげな笑顔になって、フィデールを抱き寄せ言う。
「ずっと、お前がそう言ってくれるのを待っていた」
 その言葉に、フィデールは歓喜に満たされながら、ヴァレリーを抱きしめて口付けたのだ。

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