当たらない予想

「俺より強い勇者になれよ」
 それが、父さんの口癖だった。

「とうさん、とうさん、けいこして」
「お前は本当に修行熱心だなぁ。友達と遊んだりしなくていいのか?」
 そうからかうように訊ねる父さんに、俺はいつも勢いよく首を振って答えた。
「いい! それより、けいこ!」
「わかったわかった。よし、じゃあ型をなぞってみろ。俺が見ていてやるからな」
 そう満足げな笑顔で答えられるのがたまらなく嬉しくて、俺は父さんがいない間一生懸命に練習した型を必死になぞる。それに父さんがいちいち指導してくれるたび、体が痺れるほど感動した。
 だって俺にとって父さんは自分の父親で、自分たちを守ってくれる人で、同時に、そしてたぶんそれ以上に誰より憧れた世界一の勇者だったんだから。
 それが俺のガキの頃の一番印象の強い記憶だ。きっとそれだけ何度も繰り返された光景なんだろう。俺が勇者だと認められた五歳の時から、父さんはずっと俺を気にかけてくれていた。息子としても、勇者としても。
 それは俺の方が他の兄弟より可愛いとかそういうことじゃなくて、単純に、俺がこれから一番大変な生を送ることがわかっていたからだと思う。勇者の先輩として。
 俺という息子自体に思い入れてくれていた部分もあるだろうなと、今の俺は誇らしさとわずかな罪悪感とを感じながら思ってしまうけど。

「サイモンの息子だからって調子に乗ってんじゃねぇよ!」
「勇者だからってナマイキなんだよ!」
 何度そう言われて喧嘩を吹っかけられたかわからない。兄弟の間でだって(俺は上に三人、下に二人も兄弟がいる)お前だけ勇者だからって偉そうにするな、と喧嘩になったことは一度や二度じゃない。
 だけど俺はそのたびに、相手がどんなに年上だろうと全力でぶつかってきた。一度の勝負で勝てなくても二度三度とぶつかって打ち負かしてきた。真正面からぶつかって駄目なら策略を使ってでも。いうなれば手段を選ばず。
 だって、俺が喧嘩したって旅から帰ってきた父さんが聞いたら、むやみに喧嘩するんじゃないぞ、って叱ったあとに。
「それで、勝ったんだろうな?」
 とにやりと笑って聞いてきてくれるから、俺は絶対にどんな喧嘩にも勝ってやる、って思えたし。
 なにより俺は大好きな父さんの息子なんだから、どんな奴にだって勝たなきゃって、そのくらい強い奴じゃなきゃこいつらみんなを守れないって、そう強く思い込んでたから。
 そんな俺の言葉を聞いた時、父さんはふむ、という顔でしばらく考えてから笑って俺の頭をぽんぽんと叩いた。
「そういうことを思い続けていられれば、お前はきっと俺より強い勇者になれるぞ」
 その言葉と笑顔が泣きそうに嬉しくて、俺は絶対父さんより強い勇者になって父さんを守ってあげるんだ、と誓ったんだ。

「よくやるよなぁ、あいつ」
「あいつには当たり前なんだろ、勇者サイモンの息子だし、おまけに自分も勇者さまなんだしよ」
 そんな言葉を、ガキの頃も、成長してからも何度も聞いた。通ってた道場でも、学問所でも、弱いものいじめを止めようと飛び出した脇でも。
 俺は物心ついた時からサイモンの息子∞勇者の息子の勇者≠ニして見られることがほとんどだった。まぁ今考えればそれも当然だろうとは思う。勇者サイモンの息子ってだけでも色眼鏡で見られる要素は充分なのに、俺はその上父さんと同じ勇者なんだ。たいていの人は敬遠するし、引く。
 そういうのが嫌で嫌でしょうがなくなって、拗ねていた時期もあった。なにをしても自分自身を見てもらえてないような気がして寂しかったり、苦しかったり。
 でもそういうのは八歳の時に全部やめた。そういう気分の時に、父さんが帰ってきて(父さんは物心ついた時から人助けやら魔王征伐やらで世界中を飛び回ってて、家にいられる時は一年の半分もなかった)、拗ねている俺の頭をがしがしとかき回して言ったんだ。
「拗ねるな、オルト」
「…………」
「そりゃ父さんの息子だったり勇者だったり、そういうことで損をすることもあるかもしれんがな。得をすることだってあるだろう?」
「そういうんじゃなくってさぁ!」
 俺はかちんときて父さんの手を叩き落として怒鳴ろうとした。だけど父さんが困ったような、なのに震えるくらい優しい顔で笑ってぽんぽんと頭を叩くから、なんて言えばいいかわからなくなってうつむくと、父さんはぽんぽんと頭を叩きながら、(すごく珍しいことに)小さく、柔らかい声で言ったんだ。
「お前は、俺の息子だったり、勇者だったりするのは嫌か?」
「っ」
 俺はばっと顔を上げて、父さんが変わらず困ったような、なのに優しい顔で笑っているのを見て、もうどうしていいかわからないくらい泣きたくなって父さんに抱きついて頭を擦りつけた。
「やじゃない……やじゃない……」
「うん……そうか、そうだな」
 父さんは優しい、これがもし勇者サイモンじゃなかったら泣きそうなって形容されるんじゃないかって声でそう言って、ぽんぽんと俺の頭を叩いた。俺は泣くのを必死に堪えてくりくりと父さんに頭を擦りつけ続けた。
 その頃はガキだったから言葉にできるような形で理解したわけじゃないけれど、俺はもっとシンプルなところで『父さんが俺の気持ちをわかってくれた』と思った。だから、父さんのこの言葉があれば俺はもう一生勇者として頑張って世界中の人を救っていけるって、心の底から思ったんだ。

「勇者サイモンが一緒に行っていれば、オルテガが死ぬこともなかっただろうに」
 十六になって旅に出てから何度も聞いたその言葉が、俺はひどく嫌いだった。サマンオサなら勇者サイモンっていえば世界一の勇者、救世の英雄として(行方がわからなくなったあとも)国中から慕われてるのに、まるでオルテガのおまけみたいな扱いを受けているのがたまらなく腹立たしかった。
 オルテガのはっきりした記憶は俺にはないけど、一度か二度会ったことがあるらしいとは聞いている。だってのにさして印象に残ってないような奴が、なんでサイモンより上の扱いをされてるんだ。勇者サイモンだって、父さんだってオルテガのことは対等な友人として扱ってたってのに。
 俺は(魔王を倒すため、修行のためってのもあるけど)基本的には父さんの情報を得るために旅に出たようなもんなので、街を中心に活動することが多かった。だからそういう(オルテガの方がサイモンより当然のように上に扱われている)話を聞く機会も多くて、そのたびにイライラしてたんだけど、こんな情報も得た。
「勇者オルテガの息子の勇者が、成人を待って魔王征伐の旅に出るらしい」
 チャンスだ、と思った。オルテガがどんだけ大した勇者だったのかは知らない、だがもう死んだ人間に勝つことはできない。だが息子は生きている。俺と同じに。
 なら一緒に旅をすればどっちが上かはっきりさせられるだろうと思ったんだ。もとから俺は魔王っていう世界の危機が出現したってのにまだ勇者が国単位でしか扱われない現状に不満を持っていた。俺たちが一緒に旅をすることで、そこらへんを変えていけるんじゃないかと思った。もちろんオルテガの息子の心根次第じゃそんな計画はパーになっちまうけど、それならそれでオルテガの息子がどんなに心が貧しいかってことが(=サイモンの息子の方が上ってことが)世間に知れ渡るだろうし。
 それに、俺は単純に楽しみだった。オルテガの息子。父さんの親友の、サマンオサでも並び称されていた勇者の息子。どんな奴なのか。俺と比べてどんなところがどんな風に優れ劣っているのか。魔王を倒す旅の中で、競い合えるのは悪くなさそうだと思ったんだ。
 だから、俺はオルテガの息子の成人の日、ルイーダの酒場を訪れたんだが。
「……まっさか、こんなガキだとは思わなかったぜ、ったくよ」
 俺がアリアハンからレーベへ向かう街道の途中にやれやれという顔でそう呟くと、オルテガの息子の勇者――サンはその太い眉をぎゅっとしかめ、二十cm下からぎっとこちらを睨んできた。
「オルト、お前喧嘩売ってんのかよ」
「別に? ただ拍子抜けしただけだ。オルテガの息子がこんなちびっこいガキだとは思わなかったからな」
 実際、サンを最初に見た時はがっかりした。まだ身長も体重も成長途上、という感じのガキ。こんな奴じゃ競い合うもなにも俺の勝ちって一目瞭然じゃねーか、と思った。結果の分かりきった勝負に勝ったところで嬉しくもないし誰も感心しやしない。
 サンはきりきりっと眉を吊り上げ、本気の怒りをこめて俺を睨む。こいつは本当にわかりやすい。まだ一緒に旅して二週間も経ってないが、それでもこいつの怒りのツボがガキ≠ニチビ≠ニオルテガの息子≠セっていうのは言われないでもわかった。
「俺、何度も何度も言ったよな。俺はガキ扱いされるのもチビ扱いされるのもオルテガの息子扱いされるのも大嫌いだって」
「ああ言ったな。言われないでもわかったけどな、お前死ぬほどわかりやすいから」
「てめぇ……」
 サンの視線に殺気がこもる。二十cm下から腕を伸ばし、俺の胸倉をつかむ。その体勢にはかなり無理があったが、俺はあえてつかませてやった。
「ざけんじゃねぇっ! それが喧嘩売ってんじゃなくてなんだってんだ、人が嫌だって言ってることはやるなって親に教わんなかったのかよっ!」
 俺はカチン、ときた。自覚してるが、俺の怒りのツボは両親を(特に父さんを)馬鹿にされることだ。親の恩も知らねぇガキに俺の両親のことを偉そうに言われるなんて冗談じゃないと思ったし、俺はそういう怒りを抑える気は全然ない。
 素早く腕を伸ばし、胸倉を掴み宙に吊り上げる。俺の方が上背も力もはるかにある、このくらいのことはたやすい。
「ふざけんなはこっちの台詞だぜクソガキ。俺も何度も何度も言っただろうが、てめぇが親にどんだけ恩を受けてるのかわかんねぇ奴はガキ扱いされても仕方ねぇってな。てめぇがガキなのもチビなのもオルテガの息子なのも本当のこったろーが、本当のことを言ってなにが悪い!」
「っ……の、やろぉっ!」
 どすっ、と俺の腹の鎧の隙間にサンの爪先が入った。膠を固めた硬い靴が強烈な速度でみぞおちに入り、俺は一瞬呼吸を止めて咳き込みサンを落とす。
 ……っの、やろ……!
「人が話してる最中になに蹴り入れてやがるクソガキ!」
 と言いつつ俺はサンの脳天めがけ握った拳を振り下ろす。
「蹴り入れられるようなこと先にしたのはそっちだろーがこのクソ野郎!」
 などと言いつつサンは俺の拳をかわし顎めがけ掌底を繰り出してくる。
「ざけんな俺は本当のことしか言ってねーだろーが拗ねてんじゃねぇボケガキ!」
 と言いながら俺は軽く身を引いてサンの腕を引いて体勢を崩し腹にカウンター気味に膝蹴りを一発。
「っ、人には言っていいことと悪いことがあんだよっ、てか人様を吊り上げといて偉そうなこと抜かしてんじゃねぇボケタコ!」
 と怒鳴り返しながらぎりぎりで俺の蹴りを掌で防ぎ脛に蹴りを放ってくるサン。
 怒鳴り、叫び、罵りあい。平行して互いに技を尽くしつつ相手に素手攻撃をかます。ま、技を尽くしてっつっても俺は当然それなりに手加減してやりながらなわけだが。
「あ、あのー、ま、魔物が襲ってくるかもしれないんですしそのへんにしておかれた方が……」
 おそるおそるゼビことサンが声をかけた仲間のエウゼビウス(商人、男、十七歳)が声をかけてくるが、そんなものは当然無視をする。サンも頭に血が上って耳に入ってない。
「…………」
 は、とシルヴェこと俺が声をかけた仲間のシルヴナンシェ(戦士、女、二十六歳)が呆れたようなため息をつくが、それにも悪いが対応してやれる暇はない。サンは俺には当然はるか及ばないにしろ格闘術もそれなりの腕はしている、傷つかないように手加減していたら片手間にあしらうというわけにはいかないのだ。
「ざけんなクソガキ!」
「誰がクソガキだ!」
「てめぇに決まってんだろボケガキ!」
「お前なんてボケタコじゃねぇか!」
「やられてるくせに偉そうなこと言うなチビ!」
「誰がやられてんだよ脳味噌湧いてんのかウスラデカ!」
「こんの、タコガキッ!」
「ざけんな、クソボケッ!」
「……あ! お、大アリク」
 ゼビが声を上げるより早く俺は剣を抜き放っていた。くるりと体を回転させた勢いを利用し、右方向から襲いかかってきた大アリクイの首を一撃で落とす。
 サンも素早く反応していた。俺に突然つかまれていた胸倉を放されても体をぐらつかせもせず、だんっと敵めがけ右足一本の力で大きく踏み込み、敵の眼前で左足で踏み込んでその反動で大アリクイの頭を断ち割る。
 それを目の端で確認してにやりと笑いつつ、俺は素早く剣を返していた。不意を討とうというつもりか、さっきまでは俺の後背だった右方向から襲いかかってきた一角兎に、体を回転させながら踏み込んで体を一刀両断する。
 周囲の気配を探ってとりあえずこれ以上敵はいない、と確信したあと、しゃっと剣を振って血を飛ばし、軽く刀身を拭ってから鞘に収め、サンの方を向いてふふんと鼻を鳴らしてやった。
「また俺の勝ちだな」
「………っ」
 サンは顔を真っ赤にしつつ、唇を噛み剣を握り締め、悔しさに必死に耐えながら俺を睨み返す。その様子を思う存分楽しみながら、俺は軽くいじめてやった。
「俺にあんだけ偉そうなこと言っときながら、お前一度も俺に魔物倒す数勝てたことねーよな? ま、俺は別に気にしねーけど。普通は恥ずかしくて偉そうな口なんか利けねぇよなぁ?」
「…………っ!」
 サンはぎっ、と俺を殺気をこめて睨んでから、辺り数百mには届くんじゃないかってくらいの大声で怒鳴った。
「今度は絶対勝つっ!」
 それからぶんっと音が立つほどの勢いでこちらに背中を向け、ずかずかと街道を歩いていく。それをにやにやしながら見送って、ある程度離れてから俺はちろりとゼビを見て「ん」と顎をしゃくった。
 ゼビはあからさまにええぇぇという顔になり、なんでですかまた俺ですかオルトさんが行けばいいじゃないですか、という感じのメッセージを表情と視線とブロックサインとで訴えてきたが、俺はじろりとそれがてめーの仕事だろーが、というメッセージを視線にこめてゼビを睨む。数秒であっさりゼビは陥落し、泣きそうな顔で「サンさーん……」と声を上げてサンを追った。
 その様子を見つめながら(周囲に新たな魔物の気配が出てこないか探りつつ)俺は後を追ったが、ふとシルヴェが静かに俺の方に歩み寄り囁いてくるのに足を止めた。
「おい」
「なんだい?」
 俺としても自分から誘った仲間であるシルヴェに対してはそれなりに気を遣う。穏やかに答えると、シルヴェは小さくため息をついて言ってきた。
「いつまでこんなことを続ける気だ」
「とりあえず、ロマリアまでかな。ロマリアまでの成長具合でまた対応を変えるさ」
 は、とシルヴェはまたため息をつき、頭を振って歩を進める。ああ、こりゃ茶番につき合わされてるような気がして面白くないんだな、と思いつつも俺はさして気にせずゆっくりとサンを見つめながら歩いた。シルヴェのような自分の戦士としての力に誇りを持っている奴は、約束にも誠実だろうから抜けられる心配はしなくていいだろうし。
 サンにゼビが追いついて、言葉を尽くして慰め、それにサンが懸命に甘えるのを堪えているのをたっぷり俺は堪能する。実際、俺は相当なレベルで楽しかった。自分の掌の上で、それなりに認めている人間が思うさま踊るという快感は、ちょっと他には換えがたい。
 俺はサンと初めて会った時、がっかりした。こんなんじゃ勝負しても少しも面白くないと思った。
 だがサンを仲間にする時見た、一本筋の通った負けん気の強さに、わりと面白い奴だな、と思った。早い話、俺はちょっとばかりサンを気に入ったのだ。
 だからサン(とサンが選んだ仲間のゼビ)を仲間にするのは面白そうだと思ったのだが、今のサンが競争相手として食い足りないのも確かなこと。なので俺はサンを育ててやることに決めたのだ。
 剣や呪文の稽古に付き合うのはもちろん、状況判断能力、戦時の感覚、長期の戦略的思考まで。ひたすらに追い込んで発奮させ、上を目指させる。つまりさっきの喧嘩も魔物の気配を察知した俺が、感情が乱れていても敵に対応できるか試すためあえて吹っかけたのだ(ここらへんの魔物ならどう転んでも命の危機はない、と判断して)。ま、サンの反応を楽しむ気持ちがなかったとは言わないが。
 実際、あいつとの喧嘩は楽しかった。反応が読みやすいし脊髄反射で言い合っても問題ないし、殴りあってもそれなりに相手になれる。あいつなりに懸命に俺を打ち負かそうといろいろ考えてるのが全部透けて見えるのがまた面白かった。
 あいつをからかっておちょくって、反応を楽しんで。あいつが懸命に俺の上へ行こうと考えて頑張って俺に挑みかかってくるのを、余裕たっぷりという顔で打ち負かしてやるのが最高に気持ちいい。競争相手を育てる楽しみというのもあるもんだ、と実感していた。あいつがどんだけ強くなっても俺も絶対に負けたくないと思うから、自分の修行にもより熱が入る。
 サンには不幸なことかもしれなかったが、俺は楽しいし能力向上の効率もよくなるし世界を救うのにも役立つんだから問題ない。俺に見込まれたのが不運と思って諦めてもらうさ。
 そんなことを考えながら、俺はゼビに慰められて気合を復活させてきているサンを面白く眺めた。

 ――もちろん、この時の俺は、高を括っていたというか、サンに俺がどれだけずっぽりと填まるかなんて、これっぽっちも予想していなかったのだけど。
 予想ってのは、本当に、当てにならないもんだ。

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