冷たく、甘い
 本当は村でも詩人の格好をしたあいつには会ってたんだけど、その時のあいつは人間に化けてたから。
 本当に初めて顔を見たのは、イムルの宿の夢でだった。
「ロザリー。私は人間を滅ぼすことにした」
 そう静かに告げる、若き魔族の王。
 むちゃくちゃ言うなこいつ、って呆れたような気持ちとかこいつがおれの村を、って燃えるような気持ちとか、いろいろややこしい感情はあったけど、一番強かったのは。
 ―――こんなきれいな奴、初めて見た。
 そんな、ひどくやくたいもない感情だった。

「ロザリー……ロザリーなのか? ならばここは死の国なのか?」
「いいえ、いいえピサロさま。私は生きています! ユーリルさんたちが、私を生き返らせてくださいました……」
 正気に戻ったピサロと、それにすがりつき泣きじゃくるロザリーさん。死に別れたはずの恋人たちの再会。お美しいシーンのいっちょあがり。
 だけど当然といえば当然だけど、おれはかなりしらけていた。おれはピサロのしたこともロザリーさんの振る舞いも正直ばっかみてぇと思ってたし、今も思ってる。自分の住んでた村をピサロに滅ぼされた身としては勝手に感動の再会されても困る、他の仲間たちもそう思ってたると思う。マーニャの「ふざけてんじゃないわよ」って呟き、しっかり聞こえたし。
 だけどおれは、ピサロをぶっ殺してやりたいとかは、なぜか全然思わなかった。
 おれってもしかしてすごい薄情なんだろうか。こいつが父さんや母さんやシンシアの仇だって気持ち、全然わいてこない。
 なんていうか全然実感がないんだ。だってこいつがみんなを殺したとこ、実際に見たわけじゃねーんだもん。食い荒らされた死体とか残ってたら実感ぐわってきたのかもしれないけど。
 おれの中でこいつは、ピサロは、夢で二回現実で二回(そのうち一回は一方的ながら会話をしたけど)顔を見ただけの敵の大将らしいきれーなあんちゃん、というイメージしかない、みたいだ。今のところ。
 ま、恋人同士また会えたのはよかったんじゃないのー、とか内心呟けてしまうぐらいで、その熱のなさにおれ自身かなり驚いていた。
「人間たちよ、おもしろくはないがお前達に礼を言わねばならんようだな。お前達はロザリーと私の命の恩人だ。素直に感謝しよう」
 ピサロはロザリーさんとの話を終えると、おれたちの方を向いてそうくそえらそーにのたまわった。なんだよその態度のでかさ。
「人間こそ真の敵と長年思い込んでいたが、私は間違っていたのかもしれん……この心が定まるまで私はロザリーヒルに戻りロザリーと暮らすことにしようと思っている」
 おいおい変わり身早いな。女の涙でそんなに簡単に考え変えちまうのかよ。すがりつくロザリーさんを振り捨てていった最初の夢のお前はどこにいったんだ。
「しかし一つだけやる事が残っている。おそらくロザリーを死に追いやったのはエビルプリーストだろう。エビルプリーストはおそらく生きて進化の秘法を試し、世界を支配しようと思っているはずだ」
 わかってるならロザリーさん死ぬ前に対処しろよ。無能なのかお前。
「お前たちは世界を守る為に旅をしているのだろうか、自らの部下の不始末の決着は自らの手でつけねばならん。あいにくかもしれんが私も行く道は同じだ。礼に代え、しばし同行しよう」
 …………………………。
 みんな沈黙してピサロを見つめてる―――
 で、おれは考える前に体が動いていた。たたっとピサロに駆け寄り、渾身の力をこめてぱっこぉーん! と頭をぶっ叩く。
「! 貴様、なにを……」
「お前態度でかすぎ! 礼に代えもなにもこっちは同行してくれなんて頼んでねーっつの! こーいう時は今まですいませんでした同行させてくださいお願いしますって頭を下げるのが筋ってもんじゃねーのか!?」
「…………馬鹿馬鹿しい。なぜ私が人間ごときに頭を下げねばならん」
 ピサロは長い銀髪をかき上げて、すっげー機嫌悪そうな目でおれを睨んで冷たく言った。うっわこいつ超生意気ー。
「人間ごときぃ? その人間ごときに恋人助けられて部下にはめられた罠からも助け出してもらったお間抜けな魔族の王様はどこのどなたでしたっけ。ていうかお前おれらにそんなでかい口叩けるほど強いわけ?」
「貴様……私を愚弄するか」
 ぐわっ、とピサロから殺気がぶつけられる。ロザリーさんがおろおろした顔で口を挟もうとするけど、おれはロザリーさんににこっと笑って口に指を当て、ピサロに向き直ってはっと笑ってやった。
「愚弄もなにも事実じゃん。ホントのこと言われて怒るのってガキの証拠ー」
「貴様!」
 ピサロの瞳がぎらりと輝いて剣が抜かれる。でもおれは全然怖くなんてないのでふふんと笑ってやった。
「そーしてすぐ暴力に訴えようとするのは暴君の証拠ー。ロザリーさんに愛想尽かされても知らねぇぞー」
「貴様……殺されたいのか!」
「そーいうわけじゃないけどー。こーいうこと言われたくないなら態度改めろよ。そーいうくそ生意気な態度直すんだったら仲間として歓迎してやるぜ?」
 そう言うとピサロは一瞬目を見張り、すぐに苛立たしげに鼻を鳴らした。
「ふん。貴様らに歓迎してもらおうとはもとより思っておらん」
「そういうことを言うのはこの口か! このちょっと見形がよくて、化粧してるわけでもないだろうにきれいな紅色してる口が言うんだな!」
「……おい。貴様、まさかとは思うが褒めているつもりなのか?」
「お前おれに褒められたいの? うわ、意外とおれ好かれてたんだ? 一目会ったその日からラブ?」
「阿呆か、貴様は! そうだったら気色が悪いという意味で言ったのだ!」
 ………ぷっ。
 そう笑い声を漏らしたのは誰からだったか。
 あははは、くすくすくす、うふふふ、わっはっは。笑い声が周囲の空気を満たす。魔界の空気だからどんよりとはしてたけど。
 ピサロは顔を赤くして怒鳴ろうとしたけど、ロザリーさんも堪えきれないって感じに笑ってたからものすごく嫌そうに口を閉じた。まぁ上等かな、こんなところで。
 おれもにやりと笑って、つんつんとピサロを肘鉄でつついてやると、ピサロはそのきっれーな顔を思いっきりしかめて、つーんとそっぽを向いてくださった。

 で、とりあえずピサロの実力を見るために、一通り稽古とかしてみたんだけど。
 ぶっちゃけピサロは弱かった。なんつーか素質はともかく実戦経験が足りなさすぎって感じ。魔界の王ってことだから素ですっげー強ぇのかと思ってたけど、そんなことなくて拍子抜け。お坊ちゃんだったんだなピサロって、基本的に。
 そう言うとピサロは顔を少し赤くして、ものすごーく渋い表情になってそっぽを向いた。
 というわけで、おれたちはゴッドサイドの裂け目から繋がる異空間でピサロを鍛えることにしたわけだ。だいたい予想してた通り、ピサロも「ここの魔物たちは私が支配する者たちではないな……」とか言ってたし。
 で、戦って戦って戦って、世界樹の花関係で世話になった鶏&卵モンスターコンビとも戦うと、なんかピサロしか装備できない装備をもらった。しかも天空の装備より強力なやつ。
 まだもらえるっぽいのでせっかくだから極めてみようと、宿に泊まっては戦いに行き泊まっては戦いに行き、というのを繰り返している。
 で、その合間合間に稽古したり、メシ食ったり散歩したり、ピサロとロザリーさんがいちゃつくのをひやかしたりしてるわけだ。
「でぇぃっ!」
「ふん!」
 ピサロはおれの振り下ろした天空の剣を魔界の剣で受け流した。さくさく上達してやがんの、可愛くねぇ。ていうかなんで天空の剣の方が魔界の剣より弱いわけ? 納得いかねー。
「はあっ!」
「甘いっ!」
 遠心力を利用しておれの首を刈ろうとするピサロの攻撃を、おれは盾で止める。腕が上がったのは認めるが、その程度の鋭さの攻撃じゃまだまだおれの首は取れないぜ。
「せやっ!」
「くぅっ!」
 そしておれはその攻撃を微妙にずらしてピサロのバランスを崩し、わずかにピサロの体の軸が揺れたところを見計らって剣を突き出す。ピサロは受けきれず、剣に押され倒れた。
 はい、おれの勝ち。
「………………」
 負けた時はいつもそうだけど、ピサロは苦虫を十匹まとめて噛み潰したような顔で立ち上がった。顔がわずかに赤かったりする。プライドが天井知らずに高いこいつは、きっと今すっげー悔しいんだろうな。
 おれは面白いのでちょっとつついてやる。
「ま、前よりは上達してるけどな。修行が足りないんだよ。まだまだ鍛錬は続きそうだな?」
「………っ」
「だが、ピサロ殿は本当に上達が早い。才能もあるが、それよりも努力を怠らず日々修練に打ち込む姿勢の賜物だな。そこはユーリルも見習うといい」
「…………」
「はーい、そうしまーっす」
「でもピサロは本当に頑張ってるわねっ! あんなに弱かったのに今じゃ立派に戦力になってるし! わたしも負けてられないわ、ピサロ、次はわたしと訓練しましょう!」
 おー、アリーナ言うなー。無意識だろうけど。
 当然ピサロは顔を真っ赤にしてぎっとこっちを睨み、「うるさい!」と叫んで踵を返す。
「あらピサロ、どこ行くの?」
「お前たちと一緒にいると腹が立ってくる! 一人で鍛錬を積む!」
「一人より二人でやった方が実になるぞ、ピサロ殿」
「やかましい! お前らに指図されるいわれはない!」
「あー、いーのかなーそんなこと言ってー? お前のステキな恋人さんがそろそろやってくんじゃねぇのー?」
「………っ、お前には関係が――」
「ピサロさまーっ! みなさーん! お弁当ですよーっ!」
 ロザリーさんがバスケット片手に手を振る。その後ろにはミネアやマーニャ、ブライやトルネコの姿もあったりする(クリフトは稽古の間中そばで見てる、アリーナが怪我するの怖がるから)。
 顔をさらに赤くして苦虫を十五匹くらいまとめて噛み潰したような顔になるピサロに、おれは笑いかけてやる。
「ま、お前がどーしても一人で鍛錬したいっつーなら止めないけど、ロザリーさんの手作り弁当食べてからにしたら? もったいねぇだろ、ロザリーさんがわざわざ作ってくれたのに」
「………ふん」
 ピサロは鼻を鳴らしてそばの樹の根元に座り込んだ。あ、こいつ特等席取りやがった。
「みなさん、ご精が出ますね。はい、お弁当ですよ。みんなで作ったんです」
 にこにこ笑いながら言うロザリーさん。ピサロと一緒の日常を思う存分楽しんでる感じだ。
「あたしも手伝ってやったんだから味わって食べんのよー?」
「姉さんは気まぐれにちょっと野菜刻んだりしただけでしょ?」
「どうですか姫様、ピサロのやつを揉んでやっておられますか?」
「うん! ピサロ上達が早いからやっていて楽しいわ!」
「ははは、ピサロさんは努力家ですからなぁ」
「我々もうかうかしていられん、ということでしょう」
「……お前らはなぜそう上の立場でものを言うのだ!」
「だーって上じゃん、立場。今んとこ勝率圧倒的におれらの方が上だし〜」
「ユーリル。本当に立場が上だと思うのなら、それをひけらかすようなことを言ってはいけませんよ?」
 みんなでいつも通りに、ピサロがいなかった時と同じようににぎやかにお喋りしながらメシを食う。ロザリーさんはじめ、みんなが宿屋で作ってくれたメシはうまかった。ピサロも仏頂面したり怒鳴ったりはしたけどしっかり食ってた。
 ああ、日常だ。おれは思う。おれが幸せだって思う時間だ。
 その中にピサロが入っていることを、おれが嬉しいと思えることが、嬉しいと思った。

「……正直ピサロとこのように当たり前に共に日々を過ごすことになるとは、思っていませんでした」
 珍しく夜の酒盛りにつきあったクリフトが、そう息をついて肩をすくめた。もっとも飲んでるのは果汁だけど。
 メンバーはおれ、クリフト、ライアンさん。少し離れたカウンターにマーニャとミネアが座っている。
「そーか?」
「ええ。……我々はかまいません。サントハイム城の人々は間違いなく戻ってくるとわかったのですから」
 サントハイム城の人々を返せと詰め寄ったアリーナたちに、ピサロはあっさり「それは私のしたことではない」って言ったんだ。「大方サントハイムの王族の予言の力を我々のものにされるのを防ぐため、天界の神がやったことなのだろう」って。
 それを実際にマスタードラゴンに確認に行くと、マスタードラゴンは言葉を濁しながらもピサロの推測を認めた。あの時はなんで最初に言ってくれないのってアリーナたちも相当頭にきてたっけ。
「ですが、マーニャさんたち姉妹にはご父君の研究を汚した張本人ですし――ユーリル、あなたにとっては間違いなく憎い仇でしょう。なぜあなたは、平然と、ごく当たり前のように彼と話せるのです?」
「…………」
 おれは苦笑した。それはおれ自身、なんでなのか何度も自分に問いかけてみたことではあった。
 クリフトは真剣な瞳でおれを見つめる。ライアンさんも問いかけるような視線を投げかけていた。おれは最近ようやく固まった考えを、ぽつりぽつりと話し始める。
「……たぶんさ。おれが、頭悪いからだと思うんだ」
「………は?」
 クリフトが怪訝そうな顔をする。ライアンさんが無言で先を促す。おれは続けた。
「おれさ、正直まだ――二年近くも経っててって思われるだろうけど、ほとんど実感ないんだよ。父さんや母さんやシンシアや、村のみんなが死んだっていう。死体がなかったからかな……どっかで生きてんじゃないか、みんな逃げられたんじゃないかって想いが消えないんだ」
 クリフトはじっとおれを見つめてくる。おれはちょっといたたまれないというか、照れくさい気持ちになりながら言う。
「だからおれ、村のことで誰かを恨むっていう発想があんまなかったんだよなー。理性としてじゃないぜ、感情として。魔物全部ぶっ殺してやるとか、デスピサロ八つ裂きにしてやるとか、そういう気持ち感じなかったんだ。ただ、みーんないなくなっちゃったんだーって空っぽになっただけで」
「…………」
「そんで、マーニャたちに拾われて。勇者だなんだってのは最初聞く気になれなかったけど、それならあたしたちを助けるために一緒に旅をしてよ、っつわれて。ああそれならいいなって思って――だからかもしんないな。おれ、目の前の人のことしか考えらんないんだよ。目の前の人が困ってる、じゃあなんとかしなきゃ。そうとしか頭が働かないんだ」
「…………」
「だから、ピサロがくそ偉そーに仲間に入るっつった時も、こりゃみんなと馴染ませなきゃだろ、って思った。目の前の、生きて動いて人を好きになる奴を助けてやらなきゃ、そう思ったんだ。――村のみんなには噴飯ものなんだろうな、こういうのって」
「まったくだな」
 ――上手な楽師の吹く横笛のように、深く音楽的できれいな声がその場に響いた。
「私はお前に助けられようなどとは微塵も思っておらん。さらに言うならば、お前のいた村の人間にしたことも、微塵も後悔しておらん」
「―――ピサロ」
 食事のあとロザリーさんと部屋に引き上げたあとは部屋から出てきたことなかったのに。ピサロはつかつかとこちらに歩いてきて断りもせず椅子に座った。月の光よりきれいな銀の髪がさらりと流れ、大理石みたいな質感の肌の上で踊った。
 ――ああ、こいつやっぱりきれいな顔してる。
「私が憎くはないのか、勇者」
 あくまで高慢に、魔界の王はそう告げる。
「憎いのならば遠慮せず言うがいい。部下を懲らした後いくらでもお前との戦いに付き合おう。仲間と一緒でもかまわんぞ」
「ピサロ、あなたは――」
 クリフトがきつい口調でなにか言いかけたのを制して、おれは肩をすくめた。
「だってピサロまだおれ一人にも勝てないじゃん」
「………っ貴様っ!」
「――正直、憎いのかどうかってわかんないよ。さっき言った通り、実感ないし」
「………ふん」
「ただ、いくつか聞きたいことがあるんだ。今まで機会なくて聞けなかったけど」
「なんだ」
 おれはじっとピサロを見て訊ねた。
「お前、なんで人間を滅ぼそうとしたんだ?」
 その質問は思ったよりも大きく響き、場を沈黙させた。もしかしたらおれが気づいてないだけで他のやつらはみんなおれとピサロの会話に注目してたのかもしれないけど。
 ピサロは一瞬大きく目を見開いて、それからふんと鼻を鳴らした。
「なぜそんなことを聞く」
「知りたいんだ」
「知ってどうする」
「わかりたいんだ、お前を」
「…………わかって、どうするというのだ」
 ピサロはその雪花石膏でできた石像みたいな秀麗な顔をかすかに歪めて、息をついた。ため息って言っていいぐらいの息を。
「お前にとって私は憎い仇。敵。それでいいのではないのか」
「そうなのかもしれない。けど実感ないし、おれはできるなら敵の心もわかりたいって思う。あんたは人を……エルフをっていうんだろうけど、好きになれる奴だ。大切なものがある奴だ。だったらわかるかもしれないって思うから」
「わかったところでどうする。お前は私になにをするというのだ」
「そんなのわかってから決めるよ。おれは村にいた時からずっと世界が見たかった。いろんなものを知りたかった。そして実際に世界に出ていろんなこと知って、やっぱりいろんな人の気持ちをわかりたいなって思ったから」
「………………」
 ピサロはもう一度ため息をついた。
「お前という奴は、本当に……わけがわからん」
「よく言われるよ」

 ピサロは少しずつ、内心を吐露してくれるようになった。
「人間は世界を食い殺す害虫だ、と私は考える。だから駆除せねばならない」
「なんで?」
「私からすれば人間のすることはなにもかもが愚かしすぎる。街の作り方一つとってもそうだ。我々魔族はまず地霊に伺いを立て、風霊に祈りを捧げ、周囲の精霊との調和を考えながら少しずつ石を積み上げ家々を作っていく。だが人間どもはそのようなことを少しも考えず、無遠慮に樹木の精霊が宿る木々を伐り倒し、水を汚し、地に穴を開けて毒煙を出す。このような愚かしい所業で世界を汚す愚か者どもの生存を、我々が認められると思うか」
「……精霊との調和ってそんなに大切なことなのか?」
「そのようなこともわからんのか、この戯け者」
「しょうがねーだろ。だって誰も教えてくれなかったんだから。だから知ろうと思って今聞いてるんじゃんか」
「……知ろうとするだけ並みの人間よりはまだマシか」
「なんだよそれ」
「いいか。精霊というのは世界という円環を回し平衡を保つもの。世界は広い、今はまださして人間どもも困りはせんかもしれん。だが百年、千年ののち、世界は穢れ、生物の住める場所はどんどん少なくなっていくだろう」
「げ、マジ! じゃあやべーじゃん早くなんとかしなきゃ!」
 おれがさすがに慌ててそう言うと、ピサロはくそ偉そーにふんぞり返って言う。
「今頃わかったか、愚か者。だからこそ私は人間を滅ぼそうと思ったのだ」
「なんだよそれ、偉そうに言うことか? だってそれって要するに楽で被害の多い方向へ流れたってことじゃんか」
「なんだと?」
「だってそーだろ。人間と話し合っていい方向に持っていくっていう手間を省いてさ、面倒くさいから殺しちまえって勝手に決めたんだろ? 自分たちの仲間がその途中でどれだけ死ぬかわかってたのかよ。第一人間だって世界の一部なんだ、世界を回すには必要な生き物なんじゃないのか?」
「………………」
「そーいうのをな、世間知らず、っつーんだよ。世間知らず」
 おれがからかうような口調でそう言うと、ピサロは凄まじく不機嫌な顔になってそっぽを向いてしまったので、おれは機嫌を直してもらうのにそのあと一時間ぐらいかけて話しかけ続けなければならなかった。

「ハッ!」
 ピサロの魔界の剣がおれの眉間を貫こうとしていた魔物の爪を弾く。おれは予期していたその動きに合わせて体を傾けつつ剣を振るった。
「でぇぃっ!」
 ギガントドラゴンの心臓に剣を突き立てる。ずどぉっ、と音を立ててギガントドラゴンが倒れるのを確認してから、おれはピサロにびっと親指を立てて微笑んだ。
 だけどピサロはあからさまにむっとした顔でおれを睨んで怒鳴る。
「貴様、何度言ったらわかるのだ。いつでも押せばいいというものではないのだぞ! 今の場合はどう考えても攻撃を後退してかわしてから改めて攻めに転ずるべき場面だっただろうが!」
 もうここ数日で毎度お馴染みになってしまったピサロの怒鳴り声に、おれは思わず笑いながら肩をすくめる。
「だーってあの位置にお前がいるんなら絶対に俺のこと守ってくれるって思ったもん」
「………………貴様のような甘ったれは一回死んで性根を叩き直されてこい!」
 ピサロは本気で顔を赤くして怒鳴る。おれは笑っちゃいけないとわかってはいるんだけどどうしようもなく嬉しくて、ばんばんとピサロの背中を叩いた。
「わかったわかった。お前にあんまり心配かけないように無茶はほどほどにしとくからさ」
「誰が心配をしているか!」
 みんなに生暖かい目で見守られながら、おれたちはガキみたいにじゃれあった。

「雨が来るぞ」
「え? こんなに晴れてるのに?」
「……信じないというなら好きにしろ。私は雨をしのげる場所を探す」
「あーもー嘘嘘っ、信じるって!」
 エビルプリーストの根城を探して世界を巡る旅の最中、何度もそんな会話を交わした。
「……すっげぇ雨だなぁ。ろくに前も見えやしない」
「夕立というのはたいていそんなものだ。ひと時激しく水を下し、あっという間に消えていく」
「な、な、お前さ、ガキの頃すっげー雨が降った時とか、裸足で外歩いたりしなかった?」
「……お前はそんなことをしていたのか? その頃から頭が悪かったのだな」
「んだよー、いいだろー。雨の中を裸足で地面踏みながら歩くのって、すっげー気持ちいいんだぜっ。せっかくガキやってんだからそーいうことやんなきゃもったいなくね?」
「……私は魔界の皇子だったからな。そんなことをすれば召使たちが飛んできてすぐ火の前に送られただろう」
「うっわー、お前けっこう窮屈なガキ時代送ってんだなー……」
 そんなやくたいのない会話を、何度も交わしたりもした。
「……な、鎧脱げるか?」
「は? 当たり前だろう、魔界の鎧をなんだと思っているのだ」
「じゃあさ……その鎧脱いじゃえよ! 一緒に雨の中で遊ぼうぜ!」
「………なにを言っているのだお前は。くだらん」
「くだらなくねーよー。ほらほら来いって! ちょっとだけ童心に帰ろうってば!」
「こら、放せ! 放せといって……こらっ!」
 そんな風にして二人、雨の中に駆け出して。
「あっははは、どーだ、気持ちいいだろー?」
「………馬鹿かっ」
 雨の中二人、顔を真っ赤にさせながらもじゃれあったことさえ、あったのだ。

「フッ!」
「くっ!」
 閃光のようなピサロの剣速。おれはそれを飛び退って避けた。
 ピサロは即座に間合いを詰めて突き、払い、切り返しと流れるような攻撃で攻めてくる。おれは歯を食いしばってピサロの攻撃を受け流した。
「セァッ!」
「こっ……んのっ!」
 背後に下がりながら攻撃を受け流していたおれの動きが止まった瞬間を狙ってピサロが剣を突き出す。おれはそれに合わせてカウンター狙いで同様に剣を振るう――
 一瞬後、倒れていたのはおれの方だった。
 ぎりぎりで急所は外したけど肩を突かれて激痛に唇を噛むおれに、ピサロがベホマを唱える。暖かい力が流れ込んできて、苦痛がすぅっと軽くなる。おれはふぅ、と息をついて立ち上がった。
「サンキュ」
「いや」
 ピサロはぶっきらぼうに答える。でもおれはそれはこいつが照れているせいだと知っているので気にしない。
「ピサロ殿は本当に強くなったな。もはやユーリルとの対戦成績は五分だろう」
「そうねっ。いろんな呪文も使えるようになったし、ピサロは本当に成長したと思うわ!」
「だよなー。もう総合力じゃパーティでも一、二を争ってるかも」
 おれが二人の言葉に追随すると、ピサロはそっぽを向いてしまう。この照れ屋め、と苦笑しておれはピサロにヘッドロックをかけた。
「頼りにしてんだぜー、わかってんのかこの野郎」
「放せ!」
 どんっ、と思いきり体を突かれた。おれは一瞬すっ転びかけて、ぎりぎりのところで体勢を立て直す。
 おれはちょっとむっとしてピサロを睨んだ。なにもそんなに拒否反応示さなくてもいいじゃないか。
 そしてちょっと驚いた。なんでそんなにうろたえた顔してるんだ? 真っ赤になって、なんか愕然としてる顔。思ってもみなかったことにでくわした時の顔。おれ、そんなに変なことしたか?
「…………っ」
 ピサロはそのままぐるり、とおれに背中を向けて走り出し、その日は帰ってこなかった。

 おれはふぅ、と宿の窓から夕陽を見つつため息をついた。あれから一日、ピサロはまだ帰ってこない。
 ロザリーさんを残してどこかにいくはずがないから待っているんだけど、なんの連絡もないから少し心配してる。なにやってるんだろうあいつ。
 ピサロって基本的に単純で、わかりやすい奴なんだけどな。話しててわかった。あいつはものすごくガキっぽいやつなんだ。世間を知らなくて、地に足の着いた生き方を知らなくて、理想と思想だけで突っ走っちゃうタイプ。
 それでいて実行力も着想力も、ついでに知性も知識もカリスマもあるってところがあいつの困ったところなんだけど、同時にとても可愛いところでもあるんじゃないかなって、おれは思う。ロザリーさんも、きっとあいつのそういう子供っぽいひたむきさに惚れたんじゃないかって。
 ――おれは、あいつに背中を預けて戦うの、すごく楽しかったっていうか、充実してたっていうか、気持ちよくてすごく生きてるって感じがしたんだけど、だからエビルプリーストと戦う時だってあいつと一緒に戦いたいんだけど――
 あいつは違ったんだろうか。
 そんなことをつらつらと考えていたら、窓の向こう、道の彼方からピサロが歩いてくるのが見えた。
「ピサロ!」
 思わずばっと宿から飛び出して、ピサロのところへ駆けていく。ピサロはおれと目が合うと一瞬びくんとしたけれど、すぐにいつものつーんとした表情に戻ってすたすたとこっちへ歩いてきた。
 木蓮の木の下でかちあって、軽く息を荒げながら聞く。
「丸一日もどこ行ってたんだよ。心配してたんだぜ」
「お前に心配してくれなどと頼んだ覚えはない」
 いつも通りのつれない言葉。おれはむっと口を尖らせながら言う。
「別に頼まれたから心配してるわけじゃねぇよ。仲間の心配しちゃ悪いのか」
「私はお前を仲間などと思ったことはない」
 少しその言葉には傷ついたけど、このくらいでびびってちゃこいつとはつきあえない。きっと目のところを睨みつけて半ば怒鳴るように言う。
「お前が仲間って思ってなくても、おれにとってはお前は仲間なの! 一緒に戦ったし稽古したし同じ釜の飯食って一緒に旅しただろ! だから心配するのだって気を遣うのだって当然だしおれがしたくてやってるんだ、悪いか!」
「…………っ…………」
 ピサロはそんなおれを、なんだかひどく苦しそうな目で見つめて、突然ぐいっと押した。おれは不意を衝かれてされるがままになり、木の幹に押し付けられる。木蓮の花の香りがふわりとした。
 ピサロの顔が近い。今まで見た人間っぽい生き物の中で、一番きれいだと思ったピサロの顔が、白雪の肌と月光の髪が、紫水晶よりも深い紫に輝く瞳が近づいてくる――
 と思った次の瞬間、ひどく柔らかく、冷たい感触が唇にした。
 え、と思った。なに、これ。
 唇に触れた冷たい感触。その向こうからなにかが唇の間へ入り込んでくる。溶けそうなくらい熱いそれは、固く結ばれたおれの唇の間に入り込み、唇を舐めて歯をなぞって一瞬開いた口の中へ入り込んで舌を優しく絡めとる。
 間近にピサロの顔があるにもかかわらず、おれがキスされているんだと気づいたのは舌と唇を優しく、けれどたまらなくいやらしく甘噛みされてからだった。
「……っ!」
 おれは仰天してピサロをどんっと突き飛ばす。ピサロはそれに逆らわず体を離す。
 わけがわからない、という顔でピサロを見つめるおれに、ピサロはひどく苦しげな、痛そうな顔をして、くるりとおれに背を向けた。
 おれはそれを、ただ呆然と見ているしかできなかった。

「ロザリーさんがいないの!」
 そうアリーナが夕食の席に走りこんできて、おれたちは騒然となった。
「ピサロのやつぅ……まさか自分一人でエビルプリーストのところへ戦いに行ったんじゃないでしょうね!?」
「むぅぅ……確かにピサロは腕を上げてはおったが……一人で戦うなどなんと無謀な」
「そういう問題じゃないわよ、ブライ! わたしピサロを仲間だと思ってたのに……!」
「……あやつがなにを考えているかはさておくとして、ともかく今は心当たりを探してみねば。何人かはロザリーヒルに向かって……」
 みんなが話しているのを聞きながら、おれはぼんやりと考えていた。きっとあいつは、おれにキスしたから逃げ出したんだ。おれから。
 だけど、なんであいつはおれにキスしたんだろう。ロザリーさんがいるのに。好きな女がいるのに。おれにだって好きな女はいるんだぞ。なんであんなことしたんだよあの野郎。
 しかも、したあとなんにも言わないでどっか行っちまいやがって。
 そう考えたらだんだん腹が立ってきた。あいつはどうせおれのことなんかどうでもいいと思ってるんだ。おれのこと大切じゃないんだ。おれは、あいつのこと――
 いつの間にか、すっげー大切に思ってたのに。
 おれはそっと立ち上がった。仲間たちがおれの方を見る。
「……急いで、探そう。あいつの横っ面ぶん殴ってやんないと」
 そうにやりと笑んで言うと、みんなもつられたように笑った。

 どこを探せばいいんだろう。
 ロザリーヒルだろうか。デスパレスだろうか。裏をかいてエンドールとか?
 この一ヶ月で世界の大半は回ってきたんだ、候補が多すぎる。まともに探したって見つかるわけない。
 考えろ。あいつだったらどこへ行く? あいつが、おれにキスして、逃げ出したあと、どこへ向かう?
 しばし必死に考えて、あ、と思った。
 おれがあいつなら絶対に行かない場所。罪と死の思い出に満ちた場所。
 だけど、あいつはきっと、そこで自分がしたことを見つめてる。そんな気がした。
 解放されてから一度も戻りたいなんて思わなかったけど、あいつはきっとそこにいる――
 おれはルーラを唱えた。

 おれの故郷、山奥の村は相変わらず惨憺たる有様だった。家々は火をかけられて魔物の強力で叩き割られ、さらに風雨にさらされてほとんど残骸しか残ってない。きれいな花畑だった場所は瘴気を吹き上げる沼地と化していて、畑も泉も野原でさえ、もはや見る影もない。
 もう見ることもないだろうと思ってたんだけどな。あんまり違いすぎて全然実感わかないけど、ここが元はおれの世界の全てだったと思うと、やっぱりなんとなく物悲しい。
 父さん、母さん、剣や呪文の師匠、その他おじさんおばさん、それにシンシア。あの人たちがここで死んだなんて、どうしても考えられない。あんなに強かった人たちなんだもん、どっかで生きてるんじゃないかって思っちゃう。
 でも、死んだんだろうな。
 おれはどんどん暗くなる考えを打ち切って、歩を進めた。
 果たして、ピサロはいた。花畑の中央、シンシアの羽帽子が落ちていた辺りに。きっと天を射落とさんばかりに睨みつけ。
「――ピサロ」
 おれが言うと、ピサロはびくんと震えた。ゆっくりと、信じられないものを見るかのような表情で振り返る。
「……なぜ、ここにいるとわかった」
「お前ならここに来るだろうと思って」
 自分を責めるのに一番都合のいい場所で、一人で苦しんでるだろうと思って。
 そう言うと、ピサロはひどく苦い顔で唇を噛んだ。
 きれいな唇が汚れるぜ、やめろよ――そう言ってやるべきなんだろうか、などと迷っていると、ピサロはきっとおれを睨んでまくし立てるように言った。
「お前になにがわかるというのだ」
「なにって……」
「私は魔界の王となるべく育てられ、実際に玉座を継いだ。人を殺し、村を焼き、愚者をそそのかして国を傾けた。それだけのことを実際にしてきた。そしてそれを悔いてもいない。人間どもなど何百人殺そうが私は微塵も悲しみはしない!」
「…………」
「憎まれようと恨まれようとそんなことで私のすることは変わりはしない。私はただロザリーの命を救われた借りを返しているだけだ。私の計画を散々邪魔し、苦しめた勇者ユーリル! 私はお前が憎い。憎くてたまらない!」
「…………」
「いいことを教えてやろうか、勇者よ。この村を襲った時、偽勇者を殺したのは私だ」
「………………!」
「何人もの人間をこの手で斬り殺した。あの偽勇者も殺した、あっさりとな。この場所で一刀の下に。その時はひどく爽やかな気分だったぞ。私の邪魔をする勇者を、私の手で斬り殺せた、とな!」
「………………」
「私が憎いだろう、勇者。憎むがいい、恨むがいい、私はそのようなもの恐れはしない! さぁ、憎いと言え! 言ってみろ!」
「………………」
 おれは、すっと手を、背の天空の剣にかけた。ピサロがぎゅっと拳を握り締める。
 ばっと剣を抜きピサロの喉下に突きつける。ピサロはぎっと俺を睨みつけたまま傲慢に笑った。
「憎いよ、ピサロ。村の人たちを、シンシアを、かつておれの全てだった存在を、殺したお前がすごく憎い」
「…………」
「シンシアたちの味わった苦しみ、何十倍にして返してやりたいって思う。罪を償わせてやりたいって思う」
 ――心から、そう思うのに。
 おれは、天空の剣を取り落とした。
「!?」
「――ピサロ」
 おれはそう名前を呼んで、ピサロを抱きしめた。本当は頭をぎゅっとしてやりたかったんだけど、背が足りなかったから胸の辺りを。
「………なに、を………」
「だけど、お前が苦しんでるのを放っておくの、いやなんだ」
 ああおれ本当に馬鹿かも。こんなところで、シンシアが殺されたところで、殺したやつを抱きしめてやっているなんて。
 だけど、嫌なんだ。こいつが苦しんでるの見てられないんだ。助けてやりたいって体が心が魂が叫ぶんだよ。
 だって、こいつは生きてるんだから。生きて、ここにいるんだから。
 それになにより――おれの、大切な奴なんだから。
「馬鹿者……っ!」
 ピサロがぐい、とおれを引き寄せて――
 キスをした。
 さっきと同じ、冷たいのに熱い、死ぬほどに甘いキスだった。
 この野郎、と思ったけど、そのキスは、たまらなく気持ちがよかった。
 だからというわけじゃない。ただ、こいつが。この一ヶ月ずっと隣で戦ってきたこいつが。
 たまらなく苦しそうで、辛そうで、助けてくれ助けてくれって体全体で叫んでるから。
 おれにやれるものがあるなら、やりたいなって、単純に思っちゃったんだ。

 おれの唇にキスをしたピサロの舌は、少しずつ下の方へと降りてきた。顎、頬、耳、喉を順番に舐っておれの服の前を開く。どきん、と心臓が跳ねた。
 え、なんでだよ、とおれは慌てる。おれ好きな女いるのに。大切なやつがいるのに。これはピサロのためにやらせてることなのに。
 ピサロの舌が触れると、体が震える。
 ピサロの手が魔法みたいに軽やかにおれを裸にしていく。なんだよこいつ脱がすのうまいでやんの。その上その途中で指が体に触れるたび、冷たいのに熱い感触にぞくりと体が跳ねた。
 ピサロがすっと体重をかけてきておれの体を横たえる。体重をかけられているのに重くない。ピサロが支えているからだと知って、優しくされているんだとなぜか胸がつきりとした。
 ピサロの指が、舌がすぅっ、すぅっとおれの体を細妙な触れ方で這い回る。そのたびにおれの体は情けなくびくびくと震えた。
「んぁっ!」
 おれの胸の先っぽをいじられた時にそんな声が出て、おれは慌てて口を押さえた。なんだ、なんだなんなんだ今の声! おれの声じゃない、おれは絶対あんな声出したりしない!
 ピサロはそんなおれを、切なさと苦しさと嬉しさを等分に混ぜ込んだような顔をして見つめながら、優しくおれの体を弄った。そしてまたキス。今まで食べたどんな菓子よりも甘いキスに頭の芯がくらくらする。いい香りがするな、そんなことを思った。
 ピサロの手が降りてくる。あっという間にベルトが外されてズボンが下ろされ、おれの、その、あそこを、握られてしまった。その瞬間じぃん、とライデインを跳ね返された時よりも痺れる電流がおれの背筋を走った。
「ひゃっ!」
「……色気のない声だ」
 ピサロが鼻で笑うように言ったので、おれはむっとして言い返す。
「悪かったな。嫌ならすんなよ」
「馬鹿が」
 そう言って、ピサロは今まで見たことがないくらい優しく笑った。
「嫌ではない」
 ……なんだろう、この気持ち。心の底から湧きあがってくる気持ち。
 心が体が潤っていくような気持ち。細胞が一個一個生まれ変わっていくような気持ち。――幸福感、というのが一番近い気がするけど、それよりもっと、あったかい………。
 ピサロの顔がおれの下半身へと降りていく。わ、それって、あれだよな、行為の名前は知ってるけど、やられたこともないではないけど、それはやっぱまずいだろ。
「なにがまずい?」
「だって、汚いじゃん」
「お前のここは、きれいだぞ」
「なっ……あっ!」
 馬鹿なことを言いながらピサロはおれのそこを一舐めした。ぞくぞくぅっ、と体の芯を溶かすような熱い電流が体を走る。
「や、やめ、やめ……」
「黙っていろ」
 そう言われて反射的に口を押さえるおれに、ピサロは苦笑した。
「声は立てていいんだぞ?」
「あっひゃぁんっ」
 やだやだやだやだ、なんだよやだよこんな声! こんな、そんな、喘ぎ声みたいな、やらしい、女みたいの、やだ……!
 恥ずかしさのあまり目に涙が浮いているのを見つめて、ピサロはまた苦笑した。なだめるようにキスを落としながら、ぬるぬるになったおれのアレを扱く。
「あっ、ひっ、あぁんっ」
 なんだよ、これ、おかしい。おかしいよ。おれ、こういうの初めてじゃないのに。なんでこんなにへんになっちゃってるんだよ。
 ピサロの手が、舌がたまらなく熱い。ピサロも熱くなってるんだろうかと思うと首の後ろ辺りがかぁっとした。体のあちこちを優しくいじって、そして――
 おれの、その――ケツの穴に触れたので、おれは仰天した。
「なっ! なにすんだよっ!」
「……準備だ」
「準備って、なんの!?」
「……繋がるための」
「繋がるって……」
 叫びかけて、はっとした。それって、やっぱり、そういうことだよな。
 おれと、ピサロが、繋がる?
 ちょっと考えて、かぁっと頭に血が上って、おれは暴れだした。
「! こら!」
「やっ……や! 無理! そんなの無理!」
 無理ったら無理ったら無理! だって、えー、おれとピサロが、えー!? ダメダメ無理無理そんなの無理、想像しただけで死ぬ、死んじまうって! 絶対無理!
 泣きそうになりながら暴れるおれ。ピサロは必死にそれを押さえつける。お互いめちゃくちゃに力は強い、しばし互角の攻防が繰り広げられた。
 ピサロは泣きそうな顔で暴れるおれを、たまらなく感情をもてあました顔で見て、叫んだ。
「ユーリル!」
 ―――え。
「ユーリル! ……っ頼む………!」
 今………こいつ。
「名前で……」
「……なに?」
「初めて、おれのこと、名前で……」
「……そうだったか?」
 本気で首を傾げるピサロに、たまらなくなっておれはむしゃぶりついた。愛じゃないかもしれない、恋でもきっとないだろう。だけど、こいつが喜んでくれるのは。おれのことでたまらなく苦しんでいるシンシアの仇がおれで気持ちよくなってくれるのは。
 たまらなく、魂の底から、嬉しい。
 体を熱くさせながらピサロに擦り寄ると、ピサロはちゅ、ちゅ、とおれの顔にキスを落としながらおれのうしろをいじる。濡れた感触がおれの奥を満たした。ピサロの熱い指先が、おれの奥に分け入り、広げていく。
 体が、なんだろう、たまらない。熱いんだが寒いんだかわからないぐらいぐるぐるする。宙を飛んでいるのよりまだ高みに吹き飛ばされているような不思議な感覚。
 そして、これまで感じたことがないほど熱いものが、入ってきた。
「あ……っ、ふ………!」
 駄目だ。どうしよう、たまらないこの感じ。二つの体が重なり合ってどこまでも高みへ上る、この感覚。されるのは初めてだったけど、そんなんじゃなくて、そんなの全然関係なくて、ああもうわけがわからない、どうしようもなく心も体も昂ぶっている。
「ユーリル……」
「……ピサ……ロっ……!」
 おれの中でピサロが動く。体の内側をこじ開けられて熱い楔が打ち込まれる。ずっ、ずっと。それはたまらなく、体が裏返るんじゃないかと思うほどの衝撃ではあったけれども、たまらなく気持ちがよかった。
 おれはピサロに挿れられながら何度も達して、ピサロが達した瞬間また達した。
 ピサロがおれで熱くなってくれたことが、たまらなく嬉しかった。

「……体は、大丈夫か」
「……ああ」
 おれたちはほとんど喋らずに、地面に寝転んでいた。
 これは、一時の過ちにするべきことだって、どっちもわかっていた。ピサロはロザリーさんを大切にしているし、おれにだって惚れた女がいる。その人たちをないがしろにすることは絶対にできない。
 だけど、今の行為を後悔はしていなかった。ピサロのあの瞬間のたまらなく真剣な思い。おれと出会って初めて心の底から感じた罪悪感と、おれを好きだと思って求める気持ち。それがおれにはよくわかってしまったからだ。
 ピサロはもういつものつんとした顔に戻っていたけれど、おれの髪を梳く手はたまらなく優しかった。
「月がきれいだなー……」
 空を見上げながらなんとなくそんなことを言うと、ピサロはため息をついた。
「お前という奴は、本当に……」
「なんだよ」
「……まったく、なぜこのような奴に自分の全てを受け容れてもらえたなどと思えたのか」
「…………」
 そのピサロなりの、ひどく不器用だけれど精一杯の愛の言葉をおれは受け取った。
 おれはお前のこと好きだよ、と言ってやりたかったけど、それを言ってはいけないと思った。なので、おれは、ピサロに抱きついて少し頭を擦り付け、こう言った。
「ピサロ。帰ろうぜ」
 ピサロはちょっと笑って、答えた。
「そうだな」

 エビルプリーストを倒したあと、おれたちとピサロは別れた。天空城に入る気はない、ってことだった。
 おれは、なんて言おうか迷ったけど、結局ぎゅっと手を握って、それから笑った。
「じゃあな。またな」
 ピサロはふん、と鼻を鳴らした。
「もう会うことはないだろう――ユーリル」
 おれは思わず笑った。こいつって、ほんっとーに、不器用だよなぁ。

 故郷の村があったところに帰ってきた。ここからもう一度始めようと思ったんだ。
 シンシアの幻が見えた。おれはそれをそっと抱きしめて言う。
 ごめんな、シンシア。おれ、お前の仇、討てたけど討たなかったよ。
 シンシアの幻は答える。
 いいのよ、ユーリル。私たちはあなたが幸せでいてくれさえすれば、それでいいの。
 おれは、みんなにおれの幸せより先に自分の幸せを求めてほしかったんだけどな。生きていて、ほしかったよ。そういう風に自分たちのすべてと思われることが、たまらなく息苦しかったんだ。
 ごめんなさい、ユーリル。けれどしょうがないのよ。私たちはあなたがなにより大切だったのだもの。世界を救うべく生まれて、事実世界を救ってくれたあなたが。
 おれはちょっと笑って、手を放し。それから遠くから聞こえる仲間たちの声の方へ駆け出した。
 おれに世界を救う気を起こさせてくれた、大切な仲間の下に。
 空を見る。空は青くて高い。おれがこの牢獄から解放された時の空のように。
 あのおそろしくきれいで、馬鹿な男と、夢で出会った朝の空と同じように。
 一人の世間知らずの魔界の王子の短慮から始まったこの戦いは、ここで幕を閉じる。おれは惚れた女と一緒に結婚して、子供を作って、それなりに生きていくことだろう。
 だけど、おれは、忘れない。戦いを引き起こして、良くも悪くもおれを解放した魔界の王子も、そいつの苦しみも。
 おれに触れた時、あいつがたまらなく熱くなってくれたってことも。

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