正夢〜ハッサン・7
「改めて、この島が俺たちの船なんだ、って考えると頼もしいな! この島で世界中を旅することを考えたらワクワクするぜ!」
「うんうん! この島が海の上を走っているのを見たら、みんな驚くでしょうね〜……なんていうかもう、この島の揺れは全然平気だわ。どこまででもオッケーよ!」
「思えばジャミラスも嬉しい置き土産を残していってくれたもんです。でも当分の間はこの船に乗っていると……私たちが幸せの国の回し者だと思われちゃいますね!」
「まぁカルカドでしか被害が出てないんだ、そこまで気にすることでもないだろ。それよりアモス、そろそろお前交代の時間じゃないのか?」
「あ! そうでしたー! じゃあチャモロさんと代わってきますね!」
 慌てて操縦台へと駆けていくアモスを見やりつつ、ハッサンは胸の中に思いきり息を吸い込んだ。島に咲いた花々の匂い、緑の匂い、そして潮の匂いが心地いい風に乗ってハッサンの中へと飛び込んでくる。
 この浮かぶ島――誰だかがそう呼んでいたのを聞いたとかでひょうたん島と呼ばれるようになった島に乗り、自分たち一行は海を南へと進んでいた。波を蹴立てて進む感覚は下の世界での神の船とも似ているが、こちらは大きさはそこまでではないにしろ、充分くつろげる広さを持つ島だ。今の自分たちのように、花畑に寝転がりながらのんびりおしゃべりをする、なんてのどかな時間の使い方ができるというのは正直心地よかった。
「えーと、今俺らどこに向かってるんだったか? メダル王の城に行ってからは、カルカドから南へずっと海を進んでる気がするけど」
「あー、メダル王の城ね! あたしあそこに初めて行った時はびっくりしちゃったよー! あんなちっさなお城初めて見たし!」
「あれはお城というよりお屋敷と読んだ方が正確だったでしょうね」
「お、チャモロ、お疲れ」
「お疲れさまー!」
 声をかけると、島の操縦の当番を終えてこちらにやってきていたチャモロは、少しはにかんでから姿勢を正した。
「小さなメダルを宝物と交換してもらえるメダル王の城を無事取り戻せたことは、これからの旅の力になると思いますが……初めて見た時は驚きましたね。初めて見た時は下の世界に通じる巨大な穴が開いていた場所だというのに、まるで最初からそんなことがなかったかのように、さも当然であるかのごとく城が建っていたのですから」
「ダーマ神殿の時と同じようにな。おそらくは、ムドーやジャミラスのように、力ある魔族がその存在をもって夢の世界にすら存在できないように封じていたということなんだろうが……二度あることが三度あるかどうかは知らんが、その手の中ボス魔族が存在する可能性が高い以上、可能性はそう低くはないだろうな」
「そうだねー……どっちの世界もまだまだ行ってないところはあるし。これからもきっといろんなことがあるんだろうなー」
 にこにこっと嬉しげな顔でそう言うバーバラに、ローグはぽんぽん、と軽く頭を叩いて応えた。
「当たり前だ。まだまだ世界は広いぞ? とりあえずの今の目的地に進むまでも、おそらくはいろいろな物を見ることになるだろうしな」
「ああ、そういやちっと話逸れてたけど、俺らの今の目的地ってどこなんだっけ?」
「それほどきっちりどこと決まっているわけでもないんだがな。メダル王の城に行くまでに軽くカルカド周辺の海を見て回っただけでも、この世界と下の世界の位置関係というものは見て取れただろう」
「そうですね、ダーマ神殿をはじめとした、目印となるものがいくつもありましたし……地図の正確性も把握できましたし。上の世界と下の世界は、陸地や島々といったものの形はまるで異なっていますが、地図の形に俯瞰して見た場合、ダーマ神殿やレイドック城のような、同じ存在は同じ位置にあると定められているようでしたね」
「うんうん、地底魔城とムドーの城が地図重ね合わせてみたら同じ位置にあったってわかった時は驚いちゃったなー。どう行けばそこに着けるかってのは全然違ってるのにね!」
「はい。ゲントの村が上の世界には存在していなかったというのは、正直残念でしたが……ともあれ、地図と照らし合わせてみると、これまでローグさんたちが上の世界で訪れた場所は、おおむね地図の上半分に相当する地域のようでしたね。今我々が渡っている海を越えれば、地図の南半分――未知の地域に進むことになるようでした」
「ああ。おまけに上の世界では流通している情報量が少なく、これから向かう地域について知っている人間は、少なくとも俺の調べた限りではろくにいなかった。下の世界ではある程度の情報は流れているようだったが……それでも確度の高い情報と言うにはほど遠い」
「まぁ、どっちの世界も今は魔物が溢れてるからなぁ。しょうがないんじゃねぇか」
「まぁな。とにかく、だ。俺たちのとりあえずの目的が情報収集であり、世界中の未知の地域を探索することが求められている以上、俺たちはしらみつぶしにする勢いで世界中を調査して回らなけりゃならねぇ。これから向かう地域も、基本的にはこの島を拠点としながらの探索調査をすることが必要になる。チャモロのおかげで、この島における安全は無事確保できるわけだしな」
「いえ、私は大したことをしてはいませんが……」
 チャモロは(ほんのり恥じらうように耳元を赤くしながらも)当然のような表情で言う。この島を調べて回り、結界の展開と維持が非常にやりやすくなっていることを見つけ出し、この島に魔物が入らないような結界を張り続けることを可能としたことは、チャモロにしてみればごく当たり前のことらしい。ハッサンは苦笑して、軽くチャモロの背中を叩いた。
「そう言うなって! お前のおかげで探索が楽になったんだ、ここは胸を張ってくれって」
「っ、は、はい。……コホン、それはともかく。ローグさん、我々がこれから未知の地域を探索調査することになることはわかりましたが、それはそれとして一応の目的地と呼ぶべきものはあるわけですね?」
「ああ。ここを見てくれ」
 言ってローグは袋から二つの地図――上の世界の地図と下の世界の地図を取り出し、広げた。自分たちが集まってのぞき込む中、指で二つの地図の同じ位置を指し示す。
「上の世界での調査の際、耳に挟んだことなんだが。この位置には、上下の世界を繋ぐ階段があるらしいんだ」
「え、そーなの!?」
「お前これまで全然そんなこと言わなかったじゃねぇか」
「言っただろう、確度が低いって。最初にその情報を得た時には単なる与太話かと思ったんだ。だが、実際にそういう類の代物を見つけた以上、放置しておくわけにもいかんしな。ま、階段が繋いでいる下の世界のこの場所は、未知の世界でもなんでもなく、サンマリーノからでもレイドックの船着き場からでも行ける場所で、国交もきちんと存在するホルストックという国の領土らしいんだが……最近この国では、流行り病が横行しているらしくてな」
「流行り病!?」
「それは、ゲントの僧として放っておくわけにはいきませんね」
「ああ、だが流行り病といっても病人から遠ざかっていればうつらない、という類のものでもないらしい。前触れもなにもなく突然発症するそうだ。――眠りから目覚められなくなる、という症状がな」
「え……」
「患者は眠っている間心底幸せな夢を見ているらしくてな。幸せそうな寝言を漏らすらしい。幸せの国がどうとか、そういう台詞をな」
「それは……!」
「普通に考えてカルカドのあれだろう。上の世界ではあちらこちらから人間が集まってきていたらしいからな。そして眠っていた人間の中には、そのまま死に絶える人間もいるそうだ。単に食事を摂れないという理由からでなく、唐突に、それこそ魂を奪われたかのように」
「そ、それって……」
「レイドック城の国王陛下夫妻を思い出させる症状だろう? 実際、ジャミラスの力によるものとしか考えようがないと思う。上の世界の人間と下の世界の人間の関連というか、どういう仕組みになっているのかはまだわからないところが多いがな。少なくともジャミラスを倒した今、その病を得た人間たちになんらかの変化があるのは確かだと考えていいだろう。それを確認したいという意図もあるし……それに、新たな拠点にもなるだろうしな。ルーラで転移できる場所は多いにこしたことはない。いくらなんでも、一国の主が居を構える城がルーラで転移できない場所だということはないだろうし」
 ルーラは一度行った場所になら瞬時に転移できるとはいえ、どこにでも行けるというわけではない。まず城や街のように、しっかりとその場所のイメージを思い描ける場所でなくては駄目だし、イメージを思い描ける場所ならどこでもいいというわけでもないのだ。街や城といった多くの人が集まる場所ならまず大丈夫だが、小さな村などでは転移できる場所とできない場所があるし、小さな祠とかでもできる場所はできるらしい。
 そこらへんがどうやって決まっているのかは学者さんたちの間でもまだよくわかっていないそうで(ダーマ神殿がなければルーラが使える人間というのはごく少ない――世界でも珍しいレベルだが、ルーラとほぼ同じ効果を持つキメラの翼はごく安価で生産できるのだ)、神が定めているのだという神父や僧侶たちの主張が一番多数派であるらしい。なんであれ、ルーラで転移できる場所ならば、他の場所とあっという間に行ったり来たりできる、すなわち拠点として利用でき、そこを起点としたさらなる探索が可能になるわけだ。
「なるほどな! じゃあとりあえずの目的地はそのホルストックって国なわけか」
「だがそれまでに、調査できる場所はできる限り調査しておきたい。地図で見た限りでは、この海はダーマ神殿のある大陸の南や、一度も訪れたことのない南中央の大陸とも繋がっているようだしな。レイドックのある大陸の南西部にもたどり着くことができるかもしれない。うまくすれば、探索できる場所が一気に広がるぞ」
「そうか……うおぉ、なんかすっげーわくわくすんな! なんつーか、世界が一気に近づいてきたみてぇな気がするぜ!」
「うんうんっ! こういう風に、行ける場所が広くなると、世界って広いんだなーって気がするよね! なんかもう、わくわくしすぎて胸がドキドキしちゃう!」
 揃って盛り上がるハッサンとバーバラに、ローグはふん、といつものごとくすさまじく偉そうに鼻を鳴らしてみせる。
「ま、せいぜい胸を高鳴らせてろ。これから先砂漠だの密林だの険しい自然を越えていくことになっても、その気分が壊れなければいいがな」
「むーっ、ローグってばすぐそういう風に水差すようなこと言うんだからー」
「お前だって本当はけっこうわくわくしてんだろ?」
「は? なにを言っている。けっこうなどという程度の言葉で表されてたまるか。心の底からワクワクドキドキしまくっているに決まっているだろが」
 真剣そのものという表情できっぱりそんな台詞を言い放たれて、ハッサンとバーバラは揃って噴き出す。本当にこいつは、なんというか、退屈しない。
「広い世界を自分たちの力で歩き回り探し回れるんだぞ? 胸を高鳴らせないでどうする。俺はこの先どんな険しい道のりが待ち構えていようが胸を高鳴らせ続ける自信があるぞ」
「ははっ、だからバーバラにあんなこと言ったわけか。自分はワクワクしてるのにバーバラがそんな気分なくしちゃったらつまんないから」
「もー、ローグってば本当にへそ曲がりなんだからー」
「まぁ今さらだろそんなん、こいつが素直に可愛いこと言うようになったら気色悪いぜ」
「あぁ? なに抜かしてやがるモヒカンマッチョが、俺はいついかなる時も可愛げに満ち満ちているだろが。お前と俺の感受性の波長が合わねぇだけだ」
「ものは言いようだよなぁ、ったく……って! いてーっつのだから、俺の足は爪とぎ板じゃねぇんだからぽんぽん蹴ってくんじゃねぇよ」
「爪とぎ板? お前はどれだけ自分を可愛く見積もってるんだ鶏頭モヒカンが、自分が可愛い子猫にじゃれつかれるほど可愛い代物だと思ってんのか、言語野の齟齬を放置するのもいい加減にしろ」
 そんな風にいつものごとき掛け合いをしている間にも、ひょうたん島は海をどんどん南へと進む。潮の香りに満ちた風が、島を渡って花の香りと入り混じりながら心地よさを自分たちに届けてくる。
 まだまだ見渡す限りに海は広がり、空は眩しく輝いて、これから自分たちが歩む道程を祝福してくれているようだとこっそり柄にもないことを思った。

「のどかなところね。空気もおいしいじゃない」
「この辺りは、これまでになくのんびりした雰囲気のところですね」
「この辺りは土地が広々してるな。歩きでがありそうだぜ」
「なんかさー。気のせいかこの辺って、魔物たちまで田舎くさくない?」
 世界を繋ぐ階段を降り(アークボルト北の階段同様、歩く距離としては長かったが世界を繋いでいるにしては短すぎた)、自分たちはホルストックの領土にやってきた。というか、正確には階段を下りた辺りはアークボルト北の自治区同様小さな村や町がそれぞれ自治を行っている地域らしく、ホルストックの領土へは関所を越えなければ到達できなかったのだが、関所はほとんど行き来が自由と言ってもいいくらい検査が緩く、関所を越えるにもほとんど手間も時間もかからなかったのだ。
 ともあれ、関所を越え、上の世界でひょうたん島から降りては陸地を探索するというのを繰り返してきたのと同じように、適度に警戒しながら道を歩き、自分たちはホルコッタという村にたどり着いた。ホルストックの支配下にある中では、随一の規模を誇る農村らしい。
「村の北側は急な崖なのね」
「のんびりした村ですね。馬のいななきが聞こえます」
「村の暮らしってのも楽しそうだな」
「えー、そう? あたし、もしこういうところに住んだら、退屈しちゃうかも」
「確かに確かに。いや、しかし、本当に珍しいくらいいかにも田舎、ってところですねー……あ…今私……なにか柔らかいモノを踏みました……」
 そんなどうでもいいようなことを喋りながら、村の中を歩き回る。ハッサンには、ホルコッタの村は高い崖を背にして広がる、これ以上ないというほど豊かな農村のように見えた。
 崖の中から地下水が流れ出て川と池を作っており、そこから水路が引かれて数えきれないほどの畑を潤している。何頭もの家畜が放牧され、のんびりと草を食みながら心地よさそうな鳴き声をあげている。ところどころに下肥を作るための肥溜めが設置されて、独特の匂いを振りまいているのも真っ当な農村であることの証明に思えた。
 それになにより、働いている人々がみなのんびりと、穏やかな表情をしている。たぶんこの村は問題らしい問題もなく穏やかな幸福のもとに生きてきたのだろう、と少しばかりほのぼのとした気分になった。
「いやー、この国の王子さまにはたまげたなあ。噂を聞いてわざわざ見に来たかいがありましたよ」
「王子さまがこの国の名物……? 変なの」
「わしがホルストックの城を去ってから、もうだいぶ時が経つのう。ホルス王子はお元気じゃろうか? 洗礼の儀式に旅立たれたとの噂を耳にしたんじゃが」
「洗礼の儀式……。どんなものかしらね」
「わしはもともと、ホルストック城で働く兵士であったのだ。それなのにあの王子のせいでクビに……。いや、今さらなにも言うまい」
「王子のせいでクビになった? この人になにがあったのかしら」
「風の噂では、レイドック城の王子が、王の病気を治すため魔物退治の旅に出かけたそうだな。その後のことは聞いていないが、なんと勇ましく親思いの立派な王子だろうか! それに比べて我が国のホルス王子ときたら……。あれじゃ王さまも大変だよ」
「なんだかわからないけど、この国の王子さまの評判は今一つのようですね」
「この国では、王になる人は 洗礼の儀式を受けなくてはならないの。でも、あのホルス王子にそれができるのかどうか……。みんな心配しているのよ」
「洗礼の儀式……か。どんなものかは知らないが……王子ともなると、どんな儀式であっても嫌とは言えないんだろうな」
 村を歩きながら出会った村民たちに軽く話を聞いては、そんな会話を交わす。そうやって得た情報からも、この村には特に問題らしい問題もなく、流行り病ももはや話題に出す人間もろくにいない程度の影響しか与えられず、あえて懸念を述べるならホルストック第一王子のホルスがなにやら問題を抱えているらしいという程度であることがわかった。
「いやぁ、本当に平和な村だなぁ。前に立ち寄った村がカルカドだから、心が洗われるような気がするぜ」
 地下水が流れ出る川の上に空いた大きな洞窟の中に入りながらそんなことを言うと、ローグはふん、と鼻を鳴らす。
「のんびり気ぃ抜いて、面倒な事態になっても知らねぇぞ。言っとくが、俺が旅の途中で訪れた街で、厄介事が起こらねぇっていう方が珍しいんだからな」
「へいへい、わかってるよ。お前が主人公≠セからってぇんだろ?」
「当然だろが」
 本当に当然のような顔でそう言って、ローグは肩をすくめる。そのいつもながらの傲岸不遜っぷりに、ハッサンは小さく笑って前に向き直った。どこまでも付き合うと決めている以上、こいつのいつもながらのブレのなさは実際頼もしい。
「お! この教会……なかなか大したもんだな」
「ほんと! 滝が流れ落ちる礼拝堂なんて素敵ね」
「ひんやりして、いい気持ちね」
「村の人たちはここで洗礼を受けているんでしょうね」
「自然を利用したすばらしいところですね」
 洞窟に入った先には、地下水が流れ落ちる滝と滝壺があり、そこから蒼く澄んだ水が外へと流れ出て行っていた。外で池になり、村を潤している水は、洞窟の中では透かし彫りの細工から漏れる日の光や、松明の明かりでうっすらと煌めいて、ひどく神秘的な気配を纏わせている。風変わりな建築法であるのは確かだが、光と水の共演する美の創生としてはそうそうお目にかかれない見事な代物なのもまた確かだった。
「ここにいると、心がうんとこさ清らかになっていく気がするだべよ。んだが、洗礼の洞窟の奥はこんなもんじゃねえらしいな。まっ、オラたち王族でもない者は入ることはできんけどよ」
「王子さまはここで洗礼を受けるわけではないのね」
「ホルス王子は、もうその洗礼の洞窟で洗礼を受けたのでしょうか」
「洗礼の洞窟かあ。それほどすばらしいところなら行ってみたいよね」
「すごいな、ここ……村の人々にとっては、本当に心安らぐ場所だろうな」
「いやーっ、ほんとにすばらしい教会です。ローグさん、また来ましょうね」
「……そうだな」
 ローグが小さく呟いた声が聞こえ、ハッサンは反射的にばっとそちらの方を振り向いた。とたん、鋭く周囲を睥睨するローグの視線とぶつかって「なんだ」と睨まれ、いやいやなんでもねぇよと手を振ったものの、内心では少しばかり首を傾げたい気持ちがあったのだ。
 さっきのローグの呟きは、美しいものに対する素直な讃嘆の感情、感動とすら言っていいものがあったと感じた。それなのに、ハッサンがその呟きを聞いて真っ先にそこから感じ取った感情は、疎外感――仲間外れにされた子供が、遊んでいる子供たちを見て思うような、『自分はあそこには入れない』という切ない諦めの気持ちだったのだから。

「ほうっ、こんな田舎にしちゃなかなか立派なお城じゃないか!」
「うん、上の方が見えないくらい大きいね!」
「お城全体が岩山の上に建っているみたいだわね」
「ここはどんなお城なんでしょうね。いえ、外観ではなく、中身のことですが」
「そうですねぇ……いやーそれにしても、急な階段だなあ」
 ホルコッタ村から西に向かい、自分たちはホルストック城へとたどり着いた。自分が想像していたよりも実際堅牢な城で、岩山と半ば同一化した造りのその城は、守るに易く攻めるに難いを絵に描いたような代物だとハッサンには思えた。
 だが門番に声をかけ、自分たちは探索の旅の途上にある者なのだが、自分たちの探し物の情報を得るため城内に入らせてくれないか、と訊ねると(どうしてもということになればレイドックの城のコネを使うが、国王陛下夫妻との繋がりが明確になっているわけでも彼らから公式に勅命を受けたわけでもないのにそちらのコネを使うのはできる限り避けたい、とローグが言ったのだ。そしてハッサンたちもそれに賛同した)、あっさり歓迎の言葉と共に中に入れてくれた。自分たちとしてはやりやすくてありがたい限りなのだが、チャモロの「平和な国なのでしょうね。私たちをすぐ城の中に通してくれるなんて」という言葉の通り、城の人間たちもホルコッタ村同様のんびりしているのだろうな、とは思った。
 城の内部は岩山を利用したその造りのせいか、どこも温かみがあって、風通しはさほどよくない代わりに空気はひんやりと涼しい。土の特性をよく理解した人間が建てたのだとハッサンには知れた。
 うろうろその中を歩いていると、行きかった兵士に、ふいに声をかけられる。
「ほお……旅の者か。見ればなかなかの腕前のようだ。どうだ? もし暇ならば、我が王と王子のためにひとつ働いてみないか?」
 突然の話に、自分たちはそれぞれ戸惑いながら顔を見合わせる――が、兵士は一人勝手にうなずいて、「まあ、詳しいことは直接王から聞くとよいだろう」などと言って去って行ってしまう。少しばかり呆れながらも、自分たちは顔を突き合わせて相談した。
「いきなりのお誘いね。どんな腕前を見込まれたのかしら……」
「まあ、お話だけでもうかがってみるのはかまわないと思いますが……」
「一瞬この兵士と戦うのかと思ってびっくりしたぜ!」
「人を見る目があるのか適当なのか……。この兵隊さんはどっちでしょう」
「暇でもないけど、今は時間があるから、話だけでも聞いてみる?」
「そうだな。まぁこの手の展開はもはやお約束みたいなもんだ。参ったことに俺は主人公≠セからな、行く先々で頼られ問題解決を押しつけられるよう因果律が定められてる」
「いんがりつ……って、よくわかんねぇけど大仰なこと言いやがるぜ」
 ハッサンは苦笑しつつも、ばんばんとローグの背中を叩いた。お前の気持ちはわかってるぜ、という表現のようなものだ。これまでに何度もやってきたことだ、ローグは今回もやる気でいることくらいわかっている。
 とたんローグに腹に膝を入れられ、腹筋に力を入れて備えていたにもかかわらず腹を抱えて呻くことになったが、ハッサンとしては今さらそんなことを気にするつもりはなかった。ローグがいつものようにやることを、いつものように隣で手助けする。それが自分の存在意義で、一番やりたいことでもあるのだから。

「……我が願いとは、他でもない息子のことなのだ。先日、我が息子ホルスがめでたく十五才となった。我が王家には十五才になると城の南にある洗礼の洞窟に赴き……そこで洗礼を受けねばならぬというしきたりがあるのだ。実はすでに何度か洞窟に行かせたのだが……いずれも供をさせた兵士たちの力が足りず失敗に終わっておる。そこで、厳しい旅の地を越えてきたそなたたちに頼みたい! 洗礼の洞窟に向かう我が息子ホルスの供をしてもらいたいのだ。どうだ? やってくれるか?」
 謁見して挨拶が済むが早いかそう頼み込んできたホルストック王ホルテンに、ローグは一瞬考えるような表情になってから、にっこり笑って優雅にうなずく。その挙措はまさしく王子さまと呼ばれるにふさわしいもので、田舎とはいえ一国の王の眼前での礼法としては、嵌りすぎるくらい嵌っていた。
「承知仕りました。我々がどれだけお役に立てるかは損じませんが、微力を尽くさせていただきます」
「うむ!! やってくれるか! よし大臣、さっそくホルスを呼んでくるのだ!」
「はっ、ただちに!」
 そういう雑用って大臣の仕事なんかな、とハッサンはこっそり思ったが、大臣と呼ばれた恰幅のいいおっさんは素直に謁見の間を急ぎ足で出て行く。それを見送りながら、ハッサンは大丈夫かねぇと内心危ぶんだ。ホルテンに謁見する前に、自分たちは城内を歩き回って情報を集めたのだが、その際にホルス王子についての悪い噂をしこたま聞く羽目になったのだ。
 曰く、勝手につまみ食いする食いしん坊。曰く、毎晩カード遊びに明け暮れる遊び好き。曰く、剣の稽古をサボる怠け者。曰く、弱虫毛虫のくせに女好き。曰く、勇ましいという誉め言葉が嘘になるような臆病者。
 一緒に遊んでくれるから好きだという子供を除き、ホルス王子の評判は押しなべて思いきり悪く、地下通路を通った先の離れにいたホルス王子と実際に会ったハッサンの印象もそれを裏付けてしまっていた。背もさして高くなく、太っているわけではないが体にろくに筋肉がついていなさそうないかにも軟弱な体をしているのに、態度だけはやたらと大きくて、自分で自分をさま付けする、王子であることをあからさまに自慢する、などといった言動も加わって、実力もないくせに自分が誰より偉いと思っている高慢なお坊ちゃんにしかハッサンには見えず、その手の人間が大嫌いなハッサンはきっちり反感を抱いてしまったのだ。
 まぁ一度話を聞いてしまった以上断るのも感じが悪いだろうし、この依頼を受ければこの国で知りたいことはすべて教えてもらえるだろうし、いいのだが。こいつにしては珍しくあっさり受けたよなぁ、いやまぁこいつの外面がやたらいいのはもともとか、などと思いつつローグを見やるが、見られたローグはあくまで涼しい顔で、旅人が珍しいのだろう、好奇心を隠しもせずあれこれ問うてくるホルテンにひとつひとつ丁寧に答えてやっている。
「そなたたち、もう旅は長いのかな? よければ旅の目的などを話してはくれぬか?」
「は。我々は呪いをかけられ分かたれた、我が体を見つけ出すことを目的に旅をしております。その途上にて、出会った世界各地の魔物を倒すことも、ある意味目的のひとつではありますが」
「ふーむ、自分を探しながら世界各地に残る魔物を倒す旅をしている、とな……? 自分の身体を探すというのがわしにはよくわからんのだが、魔物退治をしているのは感心だな」
 自分を探している、なんていうように言われると、なんだか妙にこっ恥ずかしい話に聞こえるなぁ、などとローグの後ろでひざまずきつつ考えていると、一瞬ぎろりとローグに睨みつけられ、慌てて素知らぬ顔で目を逸らす。こいつは本当に自分の悪口については敏感に察知することこの上ない。
 というか、この王さまずいぶん鷹揚というか、素直だなぁ、と目を逸らしながらハッサンはこっそり考える。旅人をあっさり謁見させたり、その旅人に好奇心丸出しで質問してきたり、国王陛下と聞いて庶民が想像するようなこうき≠セのてんが≠セのというもったいぶった感じが全然ない。まぁ、レイドックの国王陛下もけっこう適当だったし(夢の世界では若い女を侍らせたりもしていたし)、実際の王家なんてのはそんなものなのかもしれないが。
 と、バタバタと足音を立てて、大臣が謁見の間に駆け込んできた。そして荒げた息の下からいかにも慌てた声でホルテンに言い放つ。
「王! またしてもホルスさまが!」
 ホルテンはこちらもいかにも驚いた顔で立ち上がり、叫ぶ。
「まさかいないと申すか!?」
「はい。今城の者たちに探させておりますが……」
「ふーむ。あやつのことだ。きっとこの城のどこかにいると思うのだが……。そなたたちもホルスを探してくれぬか。もし見つけたらここへ連れてくるように。頼んだぞ」
「……承知いたしました」
 こちらはあくまで優雅な仕草でうなずき、ローグは立ち上がった。そして静々と退出しながら、他の人間には聞こえないような小声で、心底忌々しげに言い放つ。
「人に仕事を頼むんだったら護衛対象を控えさせるくらいしておきやがれ。それでも一国の主か、手際が悪すぎるだろがクソボケタコが」
「……お前人に聞かれるような声でそーいうこと言うなっての」
「お前にしか聞かれてねぇだろが。俺がその程度のことをわきまえてないとでも思ってんのか」
「俺なんぞ人扱いする必要もねぇってか」
「むしろなんで人扱いする必要があるのか教えてもらいたいところだな。自分をなんだと思ってんだこの鶏頭モヒカン」
「へいへい……」
 こいつさっきまであれだけ涼しい顔で親切に受け答えしといて、いつもながら内外の使い分け激しすぎるだろ……などと思いつつ階段を下りていると、今度はアモスが警備の兵士に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいの声で呟いた。
「さっきあの大臣さん、またしても! とか言ってましたよね。そんなにしょっちゅういなくなるんですかね。なんだか不安だなあ……」
「もしかして私たち、とてつもなくやっかいな仕事を引き受けてしまったのかしら……」
「しょ、しょうがないじゃない、一度引き受けちゃったんだし! 乗りかかった船よ! 王子さまを探しましょ! ……うーん、でも確かに、王子さまがいなくなっちゃうとか大変なことだよね。なのにここの人たちあんまり気にした素振りないし……ちょっと、先が思いやられるわ……」
「本人を見つけないと洞窟に連れていきようがないですね……探しましょう! 仕方のないことです。さて、まずはどこから行きましょうか」
 さすがにミレーユたちは兵士に聞こえるような声で話してはいないが、全員揃って今回の依頼に不安を感じているのはよくわかった。まぁ実際国王陛下のお声掛かりの依頼だというのに、王子が見つからないからと探すことまでやらされるというのでは、そりゃ『大丈夫かなこれ』と思うだろう。
 だが、ローグの仲間たちは全員誠実でお人好しだ。一度引き受けた依頼を放り出すような真似は断じてするまい。なので、ハッサン自身(特にホルス王子の行動に)不安を抱いてはいるものの、気分を入れ替えて兵士たちに声が届かないぐらいに離れてから、「さーてと。それじゃあ探しに行くか!」と明るく仲間たちに声をかけた。
 そんな自分をローグはじろりと見やるも、さすがに仲間たちに無駄な心労をかけようとは思わなかったようで、肩をすくめて言う。
「そうだな。手際の悪い現国王陛下にも、父王に呼び出されておきながら姿を消すどう考えても馬鹿な若様でしかない王太子殿下にも、いろいろ言いたいことしたいことはあるが、まずは舞台に引っ張り上げなけりゃなんともしようがねぇしな」
「お前本気で容赦ねぇなぁ……相手は一応一国を治める王家の方々だぜ?」
「なんで俺がたかだか一国の主風情に遠慮しなけりゃならねぇんだ。そもそもだ、お前だって明らかに面白くなさそうな顔しといてなに言ってやがる」
「いや俺はせいぜい『やれやれ……いきなり王子の捜索かよ。ありえねぇだろ普通』ぐらいのことしか思ってねぇよ。最終的には『まあいい、ってことにしとくぜ。お城の中を見学がてら、ちょっと回ってみるか』って自分納得させたしな」
「それを王家の方々が聞かれたら充分喧嘩を売られてると判断すると思うが?」
「なっ、俺はなぁ」
「心配しなくても、勝手に喧嘩を買われたところで厄介事は起こさせねぇよ。これだけこっちを舐めくさってくれた奴らだ、落とし前をつけてもらう時までせいぜい油断していてもらわねぇと面倒だしな」
「お前、そういうことこの国の人に聞こえるように言ったらマジで喧嘩になるからな?」
「喧嘩にはさせねぇって言ってるだろが。いずれツケを取り立てる時まではな」
 そんな自分たちのいつもながらの掛け合いを、仲間たちはくすくす笑いながら見つめる。期せずして仲間たちの心を和ませることができたらしい、とほっとして、ハッサンはさぁ、ホルス王子を探すぞ! と気合を入れた。

 だが、ホルス王子は、どれだけ探してもまったく現れてくれなかった。
「聞いたわ。ホルス王子ったら、またいなくなったんでしょ。きっと洗礼の洞窟に連れていかれるのが嫌で、どこかに隠れたんだと思うわ」
「王子が逃げるのは、ここでは当たり前の出来事みたいですね……」
「ホルス王子? いや、この部屋には来てないぞ」
「王子の悪口で盛り上がってるようなところにいるわけないわね」
「まったく……。ホルス王子はどこにいるんだろ」
「王子のことは、みんな慣れっこになっているようですね」
「いっそ、このままずっと隠れてくれていたらいいのに。あら、私ったら何を言ってるんでしょうね。おほほほ。冗談ですよ」
「みんなボロボロ本音が出るな……」
 こっそり会話を交わしつつも、城中の人と話してできる限り情報を集める。もちろん物陰があればできる限り調べてまわり、足跡やなんかがないかも確かめる。……それでも、ホルス王子の姿はいっこうに見つからなかった。
「もーっ……ほんっとに、ホルス王子ってばどこよーっ!?」
「見つかりませんねぇ……城中探して回ったと思うんですけど」
「城の中にいるのは確かなんだよな。門番さんたちは王子を見かけてないって言ってたし」
「これだけの堅固な山城だ、正門以外から出入りするのは相当な体力がいるだろうし……王子でありながら城の人間のほぼ全員から弱虫の臆病者とみなされているような奴が、魔物のうようよいる城の外に出て行くとは考えにくい。やはり、城の中に隠れていると考えるのが妥当だろう」
「え、でもホルコッタにホルス王子とちょくちょく遊んでたっていう子供がいなかったか? ホルコッタまでぐらいなら歩いて行けるってことじゃ……」
「それが聞いた話だと、ホルストックにはホルコッタに向かう専用のキメラの翼というのがあるらしくてな。ホルコッタの村はルーラでは、当然キメラの翼でも転移できる場所じゃないんだが、この国ではどういう理屈かは知らんが、ホルコッタとホルストックを結ぶ専用近道として脈々と安価に生産されているらしい。ホルコッタとホルストックの間の人の行き来は、基本的にそれを使っているそうだぞ」
「へぇ……あ、でもでもっ、それだったらホルス王子がそれ使ってホルコッタまで行っちゃったとかいうことないっ!?」
「俺もそれは考えたんだが、聞いた限りではここ最近ホルス王子にはそのキメラの翼を与えないようにしていたらしい。逃げ出されては困るってことでな。もちろんこっそりくすねているという可能性もなくはないが、普通は重要な交通手段であるキメラの翼は厳重に管理しているだろうし、警戒されている王子が盗み出すというのは難しいんじゃないか。まぁ可能性が皆無とは言えないから、調べるところを全部調べてもホルス王子がいなかったらホルコッタに向かってみるつもりだが……ルーラで転移できない以上どうしても行き来に時間がかかるんだ、ホルコッタまで行ってみたはいいけど実はこっちに隠れてました、なんて間抜けな展開は避けたい」
「おおー、さすがローグさん、先見の明がありますねー! あ、でも私たち調べられるところは全部調べちゃったと思うんですけど、まだ調べるところとかあるんですか?」
 アモスの問いに、ローグは軽く首を振って言い聞かせるような口調で告げる。
「ミレーユがさっき言っていただろう。『私たちはお城のことを王子のようにはよく知らないから、見つけるのはちょっと大変かも』って。この城についての知識では、どうしたって俺たちは地元民には勝てない。しかもホルス王子はサボり好きな性格だ、どこが一番人に見つかりにくいかってのも熟知しているだろう。探せるところをすべて調べたといっても、漏れが出てくるのは避けられない」
「おおー、なるほど! ……あれ? じゃあ私たちがいくら探しても、絶対見つからないってことでは?」
「絶対ということはないだろうし、そもそも王子もどれだけ下準備していなくなったとしても食事やら睡眠やらのためにいつかは出てくるだろうから、見張るべきところを見張っていればいずれは出くわすだろうが、時間を無駄に使いたくはないだろう? 探すべきところを知っている人間に教えてもらえば済む話だ」
「え、それ……誰のこと?」
「厨房で話しただろが。この城の中で唯一普通にホルス王子が好きだと言った奴と」
「あ……あー! あの男の子!」
「あいつはホルスとしょっちゅう一緒に遊んでいるみたいなことを言ってたからな。俺としてはあの子にホルスが隠れているとしたら思いつく場所を聞いてみるつもりでいたわけだ」
「ああ、それでお前人にあれこれ聞くだけでそんなに熱心に探し回らなかったんだな。でもよ、あの子これまでどこにも見なかったよな?」
「だからなんだ、これまで城の中全部を見て回ったわけじゃねぇんだから別におかしかねぇだろが」
「いやだって探せるところは全部……あ」
「気づくのが遅い。……ホルス王子の部屋は後回しにしてただろう。裏をかいてという可能性も考えなかったわけじゃないが、最初に見た限りじゃ人、それも十五歳の男が隠れられるような場所はどこにもなかったからな」
「なるほどな……よっしゃ、急ごうぜ! とっとと見つけて王さまを安心させてやらねぇと!」
「は? なに言ってやがる、急ぐ必要がどこにある」
「え」
 思わずぽかんと口を開けたハッサン(とアモスとバーバラ)を、ローグはぎろりと怒気と殺意と報復意欲を煮凝りにしたような視線で睨みつけた(のは、ハッサンにだけだが)。相当本気で不機嫌であることがよくわかる威圧感に思わずハッサンも一歩退いたが(バーバラとチャモロも視線を向けられていないのに明らかにびくっと震えちょっと涙目になっている)、そんなことには当然かまいもせずローグは内心の憤激をありありと感じさせる口調で言う。
「段取りの悪さだけならまだ許容のしようもあるが。いいか、この城の連中はほぼ全員、ホルス王子がサボり魔で、臆病者で、逃げ隠れするのだけはうまいくせにまともに人生に立ち向かう気もない口ばっかりの根性なしだということをよく知っていた」
「お……おう、少なくとも会った人たちはほとんどそんなようなことを言ってたよな」
「なのに、だ。それをこれまで改善してこなかった」
「え……いや、改善しようとはしたんじゃねぇのか? 単にホルス王子がそれでも駄目なくらいのサボり魔だっただけで……」
「まったくもってどうしようもねぇ愚物なら廃嫡の手続きを取るなりなんなりするべきだろが。この国の将来の統治者なんだぞ、馬鹿がそのまま王位に就けば本気で国と民を滅ぼしかねねぇってのに、それもせずに王子は駄目だなんだと抜かしながら、死ぬ気でその性根を叩き直すこともなく放置している。――俺はな、その脳味噌のあったかさとなにもせずに文句を言ってりゃなにかをしたことになると考えてるようなボケナスぶりに、心底苛立ってるんだよ」
「そ、そうかー……」
 そうかそうかこいつがあっさり国王陛下の依頼を受けたのはそーいう風に腹立ててたからそれをやり返す機会が欲しかったからなんだなー、と納得しつつハッサンは力ない笑い声を立てた。だがそんなハッサンの勢いのない反応など気にもせずローグはくっくっくと魔王のごとき笑声を立てる。
「もちろん一番その怒りを思い知らせてやりたいのはホルス王子だがな。国民の税金で養われてる王家の王子が、なんもかんもから逃げ出して遊び三昧か。そのまんまで一生行けるなんぞと甘い考え持ってんだとしたら、大人の義務として現実を思い知らせてやらにゃあなぁ」
「おいお前その笑い方本気で怖いからやめろ」
「やかましい。さぁて、じわじわと真綿で首を締めるようにこの城の連中に現実を叩き込んでやるとするか。ホルス王子を手始めにじわじわとなぁ」
 ほとんど魔王そのものの笑みを浮かべながら先頭に立ち、こつこつと威圧的な足音を立てながら歩むローグから少し離れて、ハッサンはぽりぽり頭を掻きながらついていく。ローグの不機嫌にも魔王のような言動にも慣れているつもりでいたが、あいつが不機嫌ではなく本気で怒っている、というのははっきり言ってかなり珍しいのだということを思い出した。というか普段の不機嫌は別に怒ってないけど笑みを浮かべたくないから仏頂面をしている、という場合もかなりあるので、ローグが本気で怒ったところというのは本当に数えるほどしか見ていないかもしれない。
 バーバラとチャモロは自分と同じようにびくびくした顔をしながら自分の後ろからついてくる。可哀想になぁ、後で元気づけてやらにゃ、などと考えつつも、その後ろからいつもと変わらない穏やかな笑顔でついてくるミレーユを、ハッサンはかなり本気で尊敬した(同じようにいつもと変わらぬ能天気な笑顔でついてくるアモスについては、あんまり褒めてやる気にはなれなかったが)。

 びゅごおっ! という音を立て、ローグが破邪の剣を全力で振り下ろした。もちろんホルス王子が隠れている(と思われる)樽を直接ぶった斬るような真似はせず寸止めにしたが、剣圧だけでもその勢いはすさまじく(現在のローグはめでたくレンジャーをマスターして勇者になっていたのだ。レンジャーという職業に特別なものがあったのかマスターする職業の数が問題なのかそれともローグに主人公≠轤オいなにか特別な素質があるのかはわからないのだが)、ごくあっさりと触れもせぬままに樽をばらばらにぶち壊す。
 そしてその中に隠れていた、一度会ったいかにも坊ちゃん坊ちゃんした体つきの王子、ホルスも剣圧に押され、強風に吹かれた時のように服を引きつらせながら、ごろりんと転がって背後の樽にぶつかる。
「うわっ! なっ……ななっ、なにがっ、なんなんだっ!? お、お前たち、いきなり何てことするんだよっ!? さすがの俺でもびっくりするだろ!!」
 びっくりするだけで耐えられている、というのにハッサンは正直本気で感心したのだが、ホルスの方はそんな気持ちにはなれなかったらしく、勢い込んで飛び跳ねるように立ち上がり、ローグに詰め寄る。が、ローグは当然、にっこり優雅にかつ微塵も隙を感じさせない笑顔でホルスを威圧した。
「これは失礼しました、ホルス王太子殿下。少しばかり素振りをするつもりだったのですが、よもや王太子殿下ともあろうお方が樽の中に隠れていらっしゃるとは思いつきませんで」
「べっ、別に隠れてたわけじゃないぞ。単に昼寝してただけだ。王子ともなるといろいろ疲れることがいっぱいあるからな、休める時に休んでおかないと」
「ほう……ホルス王太子殿下におかれましては、寝台よりも樽の方が快く休める、とおっしゃられると? なるほど、なるほど。ならば可及的速やかにホルス王太子殿下の寝台を叩き売り、代わりに樽を並べるようにしておかねばなりませんな」
「なっ、なに言ってるんだ馬鹿、やめろっ!」
「………ほぅ? 馬鹿、と? 国王陛下に呼び出されていたにもかかわらず、わざわざ樽の中で寝こけていたと主張される方が、人を馬鹿だとおっしゃられるわけですか? これはこれは……」
 優雅に、慇懃に、かつとてつもなく偉そうに。ホルスを威圧しながら言うローグにホルスはぬぐぐぐと歯噛みしながら反論の言葉を探していたようだが、見つからなかったらしくぷいと顔を背けて言い放つ。
「……くそっ、見つかったからにはしかたがない。お前ら、親父に言われて俺の供をする奴らなんだろ? だから、俺を探してたんだよな。仕方ないから、先に親父のところへ行ってるからな。本当はヤだけど……」
 などと言うや、ホルスはたたたたーっとその場を駆け去っていく。そのすばしっこさは大したもので、とっさのこととはいえハッサンが追いかけることもできない(追いかけても無駄だと確信できる)ほどの速さだった。それを見送りながら、仲間たちはめいめい感想を口にする。
「……なんと、こんなところにいるとはなぁ」
「私じゃとても壺の中なんかには隠れられませんね。でもあっちこっち探し回って、さすがにちょっと疲れちゃいましたねー」
「そうですね。正直、もう探さなくていいので、ホッとしてます。それじゃ、私たちも王さまのところへ行きましょうか」
「本当だよねー。樽の中に隠れてるなんて……ちっちゃな子じゃあるまいし。さっ、戻ろ戻ろ、王さまのところに戻ろ」
 などと言いながらも、ハッサンは(たぶん他のみんなも)こっそり感心していた。ホルスは実際ダメ王子かもしれないが、よくもまぁローグに真正面から威圧されながら平気な顔をしていられたものだ。素人だからローグの覇気を感じ取れなかったのが一番の原因ではあるのだろうが、それでも普通なら気圧されるぐらいはしそうなものなのに、よくまぁあそこまで平然とした顔で。
 なのでハッサンはてきぱきと樽を元通りに嵌めていくローグを眺めながら、もはや感心したような気分でいたのだが、すぐにそんな気持ちでいたことを後悔することになる。
 ホルス王子が、ホルテン王と挨拶して謁見の間を出るや、あっという間にまた逃げ出したのだ。

「だんだん腹が立ってくるわね……ほんっとに、ホルス王子ってばどこよー!?」
「もう一息のような気はするんですけどねえ……」
「そうですねー。ぱっと振り向いたら、ちゃっかり後ろにいるような気がしません?」
「きっと見つかるわ。あきらめずに探しましょう」
「しつこく、くまなく探すしかないな……」
 そんな言葉を交わしつつも、自分たちはローグの方をできるだけ見ないようにしていた。ずもももも、と音すら感じられるほどの迫力を背負いながら、涼しい笑顔で城の人々に聞き込みをするローグを見ていると、精神耐久値ががりがり削れていくような気がしたからだ。
 ついさっきやったのと同じように、行き会った人にまた話を聞き、城の隅から隅まで探し尽くし、樽など隠れられそうなものがあれば丹念に調べて。それでもホルス王子は見つからなかった。さっきも一度やったおっそろしく手間のかかる仕事をもう一度繰り返させられている現在の状況に、鬱屈がどんどん溜まっていく。そして一番先頭に立っててきぱき情報を集め探し回り、とやっているローグは見るのも怖い。できる限り気にしないように努めつつも、ハッサンはついついため息が何度も漏れてしまった。
「人の目に触れずに王子がここから出て行くことはどう見ても不可能。絶対お城のどこかに隠れているんだと思うわ」
「すぐ近くに潜んでいるような気はするのよね……」
「なにか見落としていることはないでしょうか……」
「いつになったら王子を洗礼の洞窟に連れていけるやら……」
 そんな会話を交わしながらも自分たちは(行く場所が決まっているかのように)すたすた歩くローグの後ろについていっていたのだが、ふいにローグが足を速めた。慌てて自分たちもついていくものの、ローグはほとんど駆けるような速さで歩み進んでいくためなかなか追いつけない。城の中を抜け、地下通路に入り、通路の中を素早く南下して出口へと向かい、そこで足を止める。
「おい、どうした、ロー……」
 声を上げかけた自分に黙るよう促し、ローグはじっと地下通路の出口に視線をやった。本来なら非常用の脱出口であったらしいそこには、さっき逃げ出した少年が、ちんまりと膝を抱えて座り込んでいる。
『っ………!』
「…………」
「ああ……ヤダなあ……。またあの薄暗い洞窟に行くのか……。でも洗礼を受けないと親父の跡を継げないし……。けど、魔物に会うのも嫌だし……」
 自分たちに見つめられていることも気づかず、そんなことをぶつぶつ繰り返しているホルスに、ハッサンも正直かなり本気で苛ついた。お前いい年してそんな理由で何度も何度も逃げ出してたのか、という苛つきをなんとか抑えようとしている中、ローグが一人すっと前に出てホルスに声をかける。
「ホルス王太子殿下」
「あ……また見つかったか。人を探すのがうまい奴だな、ローグは……」
「忘れ物はもうお見つけになられましたでしょうか?」
「なんだよもう、そんなの言い訳だってわかってるんだろ?」
「さて……忘れ物がもうないということでしたら、さっそく出発いたしたいのですが、いかがでしょうか?」
「あーもう……わかった、わかったよ! 行くよ行きますよ。行けばいいんでしょ行けば! チェッ……」
 言いながらホルスはいかにも嫌そうにのろのろ立ち上がり、自分たちの一番後ろに位置取りした。逃げられないように、自然と二人がそのさらに背後に位置取りするも、いかにも嫌々という顔をしながら文句を言わずに歩き出す。
「ようやく出発できますね! ……たぶん」
「これでようやく振り出しなんですね……」
「もう、ぜっ…………ったいに逃がさないんだから!」
「もう逃げないという保証はどこにもないから、しっかり見ていような!」
 そんな言葉を交わし、できる限りの警戒をしながらも、ハッサンはそれよりローグの方が気になって仕方がなかった。ローグはさっきから背負っている迫力を少しも和らげる気配がなく、今にも爆発しそうな発破のごとき危険さを全力でハッサンの勘に訴え続けていたからだ。
 まぁこいつのことだからまずいことになるような真似はしないだろうけど、と思いつつもハッサンは気を揉まずにはいられなかった。王子さまが逃げ出すような真似は、頼むから勘弁してくれよ。

「おい、ローグ。はじめに言っておくぞ。自慢じゃないが、俺はホルストックの国から外へ出たことがないんだ。だからホルストック城やホルコッタ村以外の洗礼の儀式に関係ない場所は行きたくない。もしお前が寄り道しても俺は馬車にいる。絶対に表には出てやらないぞ。わかったな! じゃあ行こうか、ローグ。ホントは嫌なんだが、仕方ないもんな」
 ホルストック城を出て、門衛たちも見えなくなるまで離れるや、そんなことを言いながら馬車に乗り込んだホルスに、ローグはにっこりと微笑んだ。
 そしてどごほぉ! と音が立つほどの勢いで、ホルスに真横から蹴りを入れた。
『………あー………』
 悪い予感が的中して、思わず遠い目になってため息をついてしまう自分たちを気にもせず、ローグは思いきり吹っ飛んで地面をのたうち回る(死なないように手加減しているあたり理性は残ってるんだなとハッサンは内心ほっとした)ホルスにすたすたと歩み寄り、にっこり笑ってホルスを見下ろす。身体に傷が残らないようにしながら痛みだけを与えられたのだろうホルスは、「うおぉぉぉ……!」とかのたうち回っていたのだが、ローグに気づくやはっと顔を上げてきゃんきゃんと喚きだした。
「おいっローグ、お前いきなりなにするんだよっ! 俺を誰だと思ってるんだ、っていうか俺が別にホルストックの王子じゃなくても人をいきなり蹴ったりしちゃダメだろ!」
 ローグに笑顔で見下ろされながらもまったく気圧されることなく(威圧感に気づかず、と言うべきか)紛うことなき正論をぶちかますホルスにハッサンは内心感心したが、ローグはにっこり笑ったままでぐしゃっ、とホルスの頭を踏みつけた。「ふぎゅう」と呻くホルスに、満面の笑顔のままで言い渡す。
「今、なんと言った? 豚ネズミ」
「ぶ、ぶたね……?」
「国民の税金で養われている身であるにもかかわらず、果たすべき義務からちょろちょろ逃げ回りながら、本来なら責務を果たした報酬として与えられるべきご馳走を食い散らかす。それを豚ネズミ以外のなんと呼べと? 豚と呼ぶのもネズミと呼ぶのも豚とネズミに失礼だ、どちらも食事の代償に命を張っているんだからな。お前はその双方の醜い部分を合成させたキメラよりも見苦しい」
「なっ……お、お前なっ、俺はこの国の王子なんだぞっ、そんな相手にその、そこまで言っていいと思ってるの、か?」
 さすがに相手がどういう奴か悟り始めたのだろう、途中でホルスの言葉は勢いを減じたが、ローグはそんな台詞など気にも留めず変わらぬ笑顔で繰り返す。
「それで。今なんと言ったか、と俺は聞いたんだが? いかに豚にもネズミにも劣る低能な恩知らずであろうとも、聞かれたことに答える程度の知能は人として有しているはずだというのは俺の買い被りだったかな?」
「えっ……だ、だから、人をいきなり蹴ったりしちゃダメだろ、って」
「その前だ」
「えーと……お前たちが寄り道しても俺は馬車にいる……?」
「その後だ」
「……絶対に表には出てやらないぞ?」
 がすっ、とローグがホルスの頭を踏みつけ、ホルスが「ふぎゅっ」とまた呻く。そこにさらにストンピングのように何度も何度も踏みつけを繰り返しながら、ローグは笑顔で言い渡した。
「お前には『文脈を読む』とか『相手の気持ちを察する』とかいう能力の持ち合わせがないのか? ああなさそうだな、そうでなくては十五にもなって完全に親と国に寄生するなどという生き方に耐えられるわけがない。実務能力のみならず人を気遣うという人間社会の必須能力すら持ち合わせていないわけか、なるほどな、悪かったな豚ネズミに過度な期待をかけて」
「ぶぎゅっ、ふぎゅっ……おっ、お前にそこまで言われる筋合いないぞ! って、っていうかホントにどこの話……?」
 踏みつけられ懸命に反論しようとしながらも不思議そうにするホルスに、ローグはにっこり笑ってぐりぐりとホルスの頭を踏みしめる。
「ふぎゅっ、ぐぎゅぎゅぎゅ」
「貴様は、さっき、『ホントは嫌なんだが、仕方ないもんな』などと抜かしていたな?」
「い、言ったけど……だってホントに嫌なんだから仕方ないじゃ」
「それならなんで父王殿に『自分は儀式に行くのが嫌だから跡を継げません』と宣言しなかった」
「へっ?」
 ローグの笑みを浮かべながらの零下の一言に、ホルスはきょとんと首を傾げた。
「いやだって、そんなこと言ったらホントに跡を継ぐ気がないんだって思われちゃうじゃないか。俺は将来ホルストックの王になる人間なんだし、そんなつもりないし、親父と母上に叱られるの嫌だし……」
「つまり、やろうと思えばできる程度の苦痛を我慢するのが嫌だから、本来なら自分もやるべきだと思っていることを、後先考えずぐだぐだ先延ばしにして、ご両親以外の周りの人間のほとんどに迷惑をかけ倒し、その上で自分は嫌々やっているんだぞと主張して少しでも周りから譲歩を引き出そうとしていたわけだな?」
「べ、別にそんな譲歩を引き出そうとしたとかそういうわけじゃ……」
「じゃあどういうつもりで言ったのか、その発言理由を簡潔に述べてみろ」
「えっ……い、いやだってそりゃ、嫌だけどしょうがないなー、って正直に言ってれば、ちょっと逃げ出したりしても許してもらえるかな、って思っただけで……」
 ローグはにっこりと、はたで見ているハッサンの心胆をそれこそ凍りつかせるような絶対零度の微笑を浮かべると、腰の剣に手をかけて勢いよく抜いた。その鞘走る剣の後について、まばゆい雷光が剣閃となって空を薙ぎ払う。
「それを『譲歩を引き出そうとした』と言うんだこの脳味噌皆無の無責任王子が!」
「うぎゃーっ!!!」
 ホルスは雷閃に見事に吹き飛ばされて、ぶおーんと宙に舞う。そしてその着地地点にローグが走り込み、受け止めたかと思うや地面に叩きつける。そして「貴様の脳味噌は自らを省みるということを知らんようだな」とか「学習能力も判断能力も禽獣にも劣る、というより比べることすらおこがましい」とか「貴様には獣以下の生物にふさわしく調教が必要なようだ」とか言いながら蹴り、踏みつけ、足蹴にし、雷閃で薙ぎ払っては尻を蹴飛ばす。
 ホルスが悲鳴をぎゃんぎゃん上げて許しを請うのが聞こえてきたが、ハッサンは遠い目になりながらそれを流した。実際ハッサンもホルスに一度言って聞かせなけりゃと思っていたので、ホルスにひどいことをするなとローグに立ち向かうというのは考えただけでも気の進まない話なのだ。そんな気持ちで本気で不機嫌なローグに真正面から立ち向かう、というのはちょっと無理がある。
 だがバーバラやチャモロといったまだ幼い、というかまだ穢れを知らない仲間たちは、そう簡単に流せはしなかったようでハッサンにおずおずと問いかけてくる。
「ね、ねぇ、ハッサン……やっぱり、ローグがあんな風に怒ってるの、止めた方がいいよね?」
「は? あー………」
「いくらなんでも、あれはやり過ぎです。確かにホルス王子は人の上に立つものとしてふさわしからざる振る舞いが多かったのは事実ですが、だからといって暴力を振るっていいということには……」
「や……まぁ、気持ちはわかるけどな。やめとけ」
「なっ、なんでぇ!? だってローグあんな風にむちゃくちゃやってるし、仲間だったらそういうの止めなきゃって思うし……!」
「いや、まぁちょっと見ただけじゃそういう風に見えるだろうけどな。あいつ実は相当冷静だと思うぜ」
「え……?」
 言ってみて、それが自分の本音というか、心からそう理解していたことなのだとようやく気づく。そうだ、ローグは本気で不機嫌ではあるものの、頭はしっかり冷静なのだ。
「そうじゃなきゃあそこまで完璧に手加減して、素人の王子の体傷つけないようにしながら痛がらせるなんてできるわけねぇだろ。やってることは派手だけど、たぶん実際には後に残る傷なんてろくについてねぇんじゃねぇかな。あいつはあいつなりに、ホルスを叱りつけてやろうと思ってやってることなんだと思うぜ」
 というか、言いながら思い出した。ローグが今やっているのは上の世界のライフコッドで、ランドに対してやっていたプレイ≠ニ似たようなものなのだ。相手を痛めつけているように見えるけれども、実際には相手を相手の望む方向に導くことを第一義としている。
 いやまぁ、もちろん、いくらローグだって、一国の王子相手に本気でその手の調教とか仕込みとかそういうことはしないと思うが。信じているが。こんな初心な仲間たちの前でそんな真似はしないはずだが。……たぶん、きっと、おそらく……
「ふぎゃああぁんっ!!」
「逃げたところで無駄だというのがまだわからんのかこの低能が。そんなまともに働きもしない脳味噌はいらんなぁ、俺がとっとと切除してやった方が世のため人のためだろう。なぁ?」
「ひっ、やっ、やめっ、やめ……助けてーっ!!!」
「……ハッサン、ほんっとに、大丈夫?」
「……うん、まぁ、たぶん………」

「これが洗礼の洞窟か。やっと着いたぜ……だけど、想像していたのとちょっと雰囲気が違うな」
「ほう、どういう代物を想像してたんだ?」
「いや、ホルス王子があんなに嫌がってたからさ。もっとこう、いかにも魔物がたくさん出そうな薄気味悪い感じかと思ってたんだけど。入り口をのぞいてみた感じ、どっちかっていうと薄明るいじゃないか。洞窟の中なのになんでこんなに光が差してるんだろうな?」
「ヒカリゴケの類ということも考えられるが……どちらかというと魔法の光に近い気がするな。代々の王家の人間が洗礼の儀式を受ける場所なんだ、そりゃできる限り手を入れて快適に進めるようにするのは普通だろう」
 洞窟の前で、ローグとそんなような言葉を交わしつつ、ハッサンは背後の馬車にちらりと視線をやった。洞窟探索の準備をしている仲間たちに混じりもせず、ホルスは断固として馬車の中に閉じこもっている。
 というか、ここまで来る途中も大変だったのだ。さすがに魔物のうようよしている城の外で逃げ隠れするような真似はしなかったものの、ホルスは基本馬車に閉じこもって出ようとしない。声をかければ力ない声で答えを返してはくるものの、やる気のなさっぷりが目に見えて、否が応でもこれから先の前途多難っぷりを予感させた。
 そしてその不快感をローグが容赦なくホルスにぶつけまくる(具体的には派手な体罰)ものだからはたで見ていても疲れることこの上ないというか。たとえば洞窟にたどり着くまでには何度か野営をすることになったのだが、ホルスは馬車の中で食べたいと一見遠回し(そして実際にはあからさま)に主張し、バーバラなどが「食べる時はみんな一緒じゃないとダメ!」と言えば「じゃあもう食べない」などと拗ねる。そしてその実馬車の中に入れておいた保存食をこっそり食べている、などと面倒くさく悪知恵を働かせるのだ。
 そしてホルスがそういうことをするたびに、ローグは零下の微笑でブチ切れ(たような素振りをし)、ホルスに苛烈な体罰を与える。その体罰のえぐさははたで見ているだけでも食欲がなくなるほどだというのに、ある意味感心することにそれでもホルスはまったく懲りた様子もなく、逃げて隠れて拗ねてうじうじと鬱陶しく落ち込む。一緒にいるだけで面倒くさいことこの上なく、これから洞窟に入ることを考えただけで気分が暗くなった。
 だが、ローグは微塵も暗くなった様子もなく、にっこりと心胆を寒からしめる笑みを浮かべて馬車の扉をガッと開けた。ホルスなりに開かないように細工もしているらしいのだが、その程度でこのレベルの勇者の力は防げない。
「さて、ホルス王子、という名の醜く愚かな豚ネズミ。いよいよ試練の時間だぞ? お前のように自分で自分の身を守ることもできん奴にふさわしく、俺たちの後についてくればいいという試練の名にはふさわしくない超簡易版だがな」
「ううううー……」
「は? なんだその顔は。文句があるのか? ここまで来て試練を受けたくないと? ……それなら最初から僕にはできませんとはっきり宣言しておけこの根性なしが!」
 ドグッシャアアァ! と派手な音を立ててローグはホルスを中空高くに蹴り上げる。ホルスは「うひぃぃぃ!」と悲鳴を上げるものの、落下地点で再びローグに蹴り上げられて自分の身体をお手玉扱いされても、ぐぼぁとかふぎゅうとか普通に声が出て、地面に落とされればわりと平気な顔でぎゃんぎゃん喚く。
「おっ、おっお前もう本当にいい加減にしろよ!? 俺はホルストックの王子なんだからなっ、親父に言いつければお前絶対罰されるんだからなっ!」
「ほう、罰する、と。この期に及んで父親に言いつけることしかまともな反撃手段のないお前の無能ぶりは今さら言うまでもないが……貴様、たかだか一国の、それもさして軍事に予算を費やしているわけでもない王家の人間が、魔物と戦いながら世界を旅してまわる旅人を、どうやれば罰することができると思ってるんだ?」
「えっ……だ、だって、普通指名手配とかすれば絶対に捕まるし……」
「そうだな、まともに指名手配ができればな。だがあいにくとホルストック王家は国家間の社交に対してはさして関心を持っていないようだ。俺たちはこれまで各国の王家とそれなりに深い関係を結んだが、ホルストックについてはまともに話にすら出てこなかった。そんな王族が頑張って世界各国で指名手配しようとしても、どうしても情報の伝播は遅くなるしまともに取り合われることも少なくなる。それに俺たちは世界情勢に関係なく安楽に補給と休息ができる拠点を複数持っているからな、最悪本当に指名手配されたとしてもやりようはいくらでもある」
「う、うぐぐぐ」
「そもそもだ。ホルテン王に言いつけると言うが、そんなことをすればお前がいかに根性なしの怠け者の上臆病者で周りに迷惑をかけ倒している厚顔な身の程知らずだということも暴露することになるだろが。その程度のことも理解しないでぴいちく喚くな、豚ネズミ」
「ううううううぅー……」
「で? 他に言うことはあるのか? これ以上言い訳をするというなら、お前に首輪と鎖をつけて地面を引きずりながら連れて行くことになるが?」
「うぅぅぅー………わかったよ、行くよ……行けばいいんだろ行けば!」
「は? お前自分の立場が分かってるのか? お前は自分の王子という身分に伴う義務である、かつ自分も本当はやらなくてはならないとわかっている試練を、我慢できなくもないのに我慢したくないから何度も何度も逃げ出して、周囲に迷惑をかけ倒したあげく、ホルストックになんの義理もない旅人である俺たちを巻き込んでわざわざこんなところまで連れてこさせてるんだぞ。申し訳ありませんがご助力願えませんでしょうか、と伏して頼むのが筋だろがこのド低能が!」
「ふぎゅあぁぁんっ!」
 泣き喚くホルスをさんざんいたぶり倒してから、ローグは「さ、とっとと洞窟に入るか」とさわやかな笑顔で宣言した。自分たち仲間が相当引いていることに気づきもせず、というか気づいてはいるんだろうがまったく気にせずに笑顔で言ってのけるその姿に正直ちょっとため息をつきたくもなったが、まぁそんなのは今更でいつものことなのでわざわざ口に出すこともない。
「んじゃ、とっとと行くか! で、今回はどういう構成にするんだ?」
「今回はお前と、バーバラとアモスという組み合わせにしようと思う。バーバラは現在踊り子で、戦闘に向いているとは言い難いが、前回も前々回もサポートに回ってもらってたからな、実戦の勘を鈍らせないためにもダンジョン踏破に加わってもらいたい。もちろんバーバラがサポートに回るというならその意見を尊重するが?」
「あっ……うっうんっ、大丈夫っ! あたしもダンジョン攻略メンバーに加わりたいなって思ってたから嬉しいっ!」
「で、アモスは現在パラディンだからな、戦力として大いに働いてもらうぞ。ハッサンは……まぁ基本的に身体は阿呆ほど頑丈だから、たとえ僧侶でもそうそう死なないだろうからな。で、基本的に魔法力が低いから、戦闘外支援としては役に立たんし。前線支援役としてなら少しは役に立つだろうと考えた。慣れない役回りだからといって下手を打つなよ」
「了解でっす! できればそういう『あなただけが頼りなの』的な台詞は色っぽい女の人に言ってほしかったですけど!」
「……へいへい、わかってるよ」
 まぁ、現在ハッサンの職業が僧侶だとはいえ、最前線で戦うことができないというのは慣れない上に好ましくなくはあるが。これも将来の強さのため、パラディンになって特技を身に着けるためだ。ちょっとくらい気が進まないからといって、めげてはいられない。
「ミレーユとチャモロは袋を通して支援を頼む。お前たちなら何が起きても大丈夫だとは思うが、トラブルが起きたら速やかに連絡をくれ」
「わかったわ、ローグ。みんなも、どうか気をつけてね」
「お任せください」
「さて……では、行くか。鬼が出るか蛇が出るか、せいぜい楽しみにさせてもらうとしよう」
 そう魔王のように(いつもと同じように)笑んで、ローグは洗礼の洞窟へと足を踏み入れた。現在勇者であるからだろう、これまでは隊列ではほとんどの場合ハッサンが先頭を務めていたのだが、今回は司令塔であるローグが先頭だ。これまでの戦いとはいろいろと違うこともあるだろう、それに勇者≠ニいう職業の力を本格的な戦いで拝めるのはこれが初めてだ。自分たち全員が目指すべき職業だと言われていた勇者、その力のほどをハッサンとしてもぜひ見てみたい。
 ローグとアモスの後ろ、三番目という位置で、警戒しながらハッサンも洞窟へと足を踏み入れる。洗礼の洞窟は、いわゆる鍾乳洞と言われる類のもので、洞窟全体にどこか湿ったような気配が漂っていた。実際ぽつ、ぽつとかすかに水が滴り落ちるような音がそこかしこから聞こえてきていたし、天井から垂れ下がる水を岩にしたような鍾乳石もその気配を助長する。
「かすかに水の匂いがするね……」
「なんか、いやーな予感がします。なんだろう、この感じは……」
 小さくそんな言葉を交わしながら歩を進める――や、唐突にバーバラが声を上げた。
「あーっ! ホルスったら、さっそくやらかしてくれたわ!」
 えっ、と反射的に振り向くと、一番後ろから自分たちについてきていたはずのホルスの姿がどこにもない。まさかここまで来て、と仰天して思わずアモスと一緒に叫ぶ。
「ややっ!? 王子はどこに行ったんだ!?」
「ありゃー!? 王子がいませんよ! しまったー!」
「………………」
 叫んでから、ハッサンは背後に生まれた殺気に仲間たちと揃ってびくっと身を震わせた。おそるおそる振り返って、こっそりローグの様子を見る。
 ローグは普段とさして変わらぬ笑みを浮かべていた。すなわち、魔王のような、気の弱い人なら気絶してしまいそうな、覇気と殺気に満ちた今にも人を殺しそうな笑みを。
「……懲りもせず、また同じことを繰り返す、か。そして俺たちは同じような手にまた引っかかってしまった、と。くく、お笑いだな」
「い……いや、ローグ? 落ち着けよ? まぁ怒るのはわかるけどよ、いくらなんでも殺すとかそこまでいくとまずいぜ?」
「いつ誰がそんなことを言った? 俺は充分落ち着いている」
「そ、そうか……?」
「ただあの猪口才なクソ王子に、是非とも身の程を思い知らせ、人は自分の行為の報いを受けねばならないというこの世の道理を心魂に叩き込んでやらねばならないな、と考えているだけだ」
(うわぁ……)
 笑顔の中のあからさまな怒気に、ハッサンは思わずため息をついた。まぁ実際ブチ切れているという感じはしないので、我を忘れてホルスを殺してしまったりはしないだろうが、それならそれで偏執狂的なまでにねちこく苦痛を与えるに違いない。それを間近に見せつけられることを考え、ついついずっしり気が重くなる。
 まぁ依頼の関係上自分たちはなんとしてもホルスを連れ戻さなくちゃならないんだし、別にいいか、とハッサンは気分を切り替えた。この期に及んで逃げ出したホルス王子には正直言いたいこともあるし、ローグが必要以上にでもやる気になっててくれてよかったと考えよう。

 その後洞窟を出てミレーユとチャモロに確認すると、ホルスは洞窟の外に駆け出てくるや、声をかける間もなくキメラの翼を使い転移していったらしい。つまり、ホルストックの外に出たことがないというホルスの言葉を信じるならば、ホルストックかホルコッタ、どちらかに逃げたということになるわけだ。
 もちろんそのどちらかにいると決まったわけではないし、逃げ隠れする気ならその外に出た方が比べ物にならないほど見つかりにくいのは確か、なのだが。
「あの根性なしの臆病者が、魔物のうろつく集落の外へ逃げ出すというのは考えにくい。あいつの考え方からすると、安全で人に見つかりにくい場所で、人の糾弾をひたすら避けて逃げて情に訴え嵐が過ぎるのを待つはずだ」
 というローグの主張もまことにもっともな話だったので、まずはホルストックに転移し(ホルコッタにはルーラでは転移できないので)、そこからしらみつぶしに探していこう、と相談の結果決まった。
 が、ホルストック城を隅から隅まで探しても、ホルス王子は見つからなかった。
「どこへ行ってしまったんでしょう」
「どこかその辺の隅っこにいないですか?」
「うーん。弱りました」
「やっぱ、城にはいないかなあ……」
「ホルス王子ってば、本当にもう!」
 城門の兵士に聞き込んで、ホルス王子が通らなかったことは知れたものの、脱出口を崖の真ん中に作るようなホルストック城のことだ、自分たちの知らない通り道があるという可能性はゼロではなく、ホルス王子ほどその手の通り道を知っている人間もいないだろう。ならばホルコッタとホルストックをほいほい移動できない以上、ホルストックも念入りに調べなくてはならない――というのは実際正しい話ではあるのだが。
「うーん。いませんね」
「樽を置いておけば、つい癖で入ったりしませんかね」
「いないようね……」
「いないか……」
「自分の部屋で寝てたりする図太さはありそうだけどね」
 探しても探しても王子の姿はちらとも見えない。そもそもこの探索自体が念には念を入れてのことなので、王子が城にはいない可能性はかなり高いという状況で、自分たちの精神耐久力はがりがり削られていった。前回の反省を込めて、それこそ樽の一つ一つまで念入りに調べたのでなおさらだ。そして探しに探して、地下通路に住まうホルス王子と仲のいい老爺から「あの王子のことじゃ、そう遠くへは行くまい。洞窟の中にいなければ、おそらく城の中かホルコッタの村じゃよ」という言わずもがなの情報を教えられたりしつつ、最後にホルス王子の部屋をそれこそ寝台をひっくり返す勢いで探して、ようやく結論を出すことになった。
「これは……やはり、お城以外の可能性を考えた方がいいですかね」
「そうだな。これだけ探してどこにもいないということは、まず間違いなくホルストック城にはいない。……となると、あとはホルコッタぐらいになるわけだが。全員、そこまで歩く気力は残っているか?」
『……………』
 ローグの問いに、自分たちはそれぞれ力ない表情でそっと目を逸らす。正直一日中神経を集中して広い城の中を探して回ったので、精神的な疲労はどっしり肩にのしかかっている。いざこれからダンジョンを攻略するぞ! と勇んでいた心境から引き戻されて、来た道を戻る羽目になった気力の減退も含め、正直これからまたえんえんホルコッタ村まで歩くのは勘弁してくれと言いたい気持ちが強い。
 ローグもそこらへんは察知していたらしく、珍しく小さく苦笑し、肩をすくめて言った。
「じゃあ、今日はここまでにして、いったん休もう。ホルストック城には宿泊施設がないからな、ここは上の世界のひょうたん島まで戻るか」
「え、いいのっ!? よかったぁ……あたしもう今日は疲れたよー! 頑張ってダンジョン攻略するぞー、って思ってたぶんよけい疲れたー!」
「そうですよねー、あっ、私知ってますよ! こういうのを工事間雄々しって言うんですよね!」
「え、あ、はい、そうですが……アモスさん、なんだかその、発音が少し違うような気がするのですが……?」
「え、そうですか? あれですよね、付に村蜘蛛鼻に風邪、とも言うやつですよね?」
「え、ええ、そうなんですが、発音がやはり……」
「あはは、いいじゃんもう細かいことは。さっ、ひょうたん島戻って休もう休もー!」
「うふふ、そうね、戻りましょうか」
「お、おう、そうだな。さっさと休まねぇとな」
 バーバラに相槌を打ちながらも、ハッサンは内心、あれ? と思っていた。ホルストックでは休めないから別の場所に転移して休む、これはいい。だが、また転移してくることになる以上、移動する場所はルーラで転移できる場所ならどこでも同じということになる。なのに、なぜ、ライフコッド――上の世界のローグの故郷に戻らないのだろうか。こういう時、ローグはいつもライフコッドに戻っていた気がするのだが。
 そちらの方が宿代もタダだし、なにより妹のターニアを溺愛するローグが、ターニアに自然に会いに行ける機会を逃すのも、なんというか違和感がある。そこらへんをちゃんと聞いてみようかな、とちらりと思い、ローグの様子をうかが――ったのだが、やめた。ローグがなんとなく、ちょっと疲れているように見えたからだ。
 今日は自分も疲れたし、ローグも疲れているだろう。ややこしい話をするのにふさわしい時とは言えない。ホルテン王の依頼を果たすためにも、たっぷり休んで体力気力を回復させよう。明日はまたホルス王子を探して、ホルコッタを走り回らなくてはならないのだし。
 とりあえず気分転換に、みんなの部屋の家具でも作ってやるか、とハッサンはこっそり笑った。ひょうたん島を拠点として海を奔りあちらこちらの陸地の調査を行った関係上、ひょうたん島の宿屋部分にそれぞれが使う自分の部屋≠ニ言うべきものができてきたので、ハッサンとしては普請の見直しに力を入れたくなってしまっていたのだ。

「ううう……やっぱり怖いよ、洞窟怖いよお。魔物が出るよう、お化けが出るよお。道に迷って出られなくなるよお」
 ホルコッタ村の民家。ホルス王子としょっちゅう遊んでいたらしい子供のいる家の納屋に、ホルス王子はいた。しゃがみ込んで頭を抱え込み、なにも見えない聞こえない、と全力で主張しながら情けないことこの上ない泣き言を一人でぶつぶつ呟いている。
「……王子の怖いものと、不安なことがよくわかりましたね」
「完全に怯えているようだわね」
「お化けが出るのは、私も嫌ですねえ」
「もー、みんな優しいんだからー。あたしはやっぱり情けないわねー、って思っちゃうけどなぁ……」
「そりゃ普通そうだろ。いいか、ローグ。絶対に逃がすなよ!」
「てめぇごときに指図されんでも俺が誰より承知しとるわ、俺の知力をどれだけ低く見積もってんだ鶏頭ハゲの分際で」
 小声でそんな会話を交わしたのち、ローグはつかつかとホルス王子に歩み寄り――がすっ、と頭を思いきり踏みつけた。うわぁ、と内心引いたハッサンのことなど気にも留めず、「うわひゃあああ!」と叫ぶホルス王子をぐりぐりと踏みつけつつローグは冷酷な声音で告げる。
「貴様、人がましいと呼べる領域にかろうじてお情けで入れてもらている分際でなにを身勝手なことを抜かしている。生存を許してもらっている以上、自分の義務は速やかに果たすという程度の心得もないのかこの三国一の無駄飯食らいが」
「あひゃああぁぁあ! うひぇっ、ぐぎゃああぁぁあ!」
 派手に悲鳴を上げまくるホルスに冷徹な眼差しで見下しつつぐりぐり頭を踏みつけるローグ。そんなあんまり見ていたくない光景を見せつけられることしばし、さすがにそろそろ止めようと思ってハッサンは一歩前に踏み出した――が、同時にぴくぴく震えていたホルスがふと顔を上げて、きょとんとした顔で言う。
「わわっ……! ………? な、なんだ、ローグたちか。俺を連れ戻しに来たのかい?」
 その呑気というかなんというか、今までこっちを認識してさえいなかったらしいホルスの様子に、当然ながらローグの眉間にびしびしぃっ、と皺が寄った。がすっと蹴りを入れ、蹴り上げて空中でがすがすと蹴鞠のようにホルスの身体を宙に舞わせ、地面に叩きつけるように蹴り落とす。ホルスは当然ながら「うぎゃあっ、ぐひぃっ、ふぎぇえぇっ!!」と派手に悲鳴を上げたが、ローグが入念に手加減しまくっているのだろう、地面を「うぉぉぉ……!」と呻きながらごろごろ転がるだけで済んでいた(普通人間を宙に浮くほど蹴り上げたら内臓が破裂する)。
「貴様の脳味噌には本当に、まったく、微塵も少しもこれっぽっちも学習能力というものがないらしいな。曲がりなりにも王家の人間が、果たすべきとされる試練から逃げ出しておきながら、その護衛として雇われた人間がやって来たというのによくもまぁ『俺を連れ戻しに来たのかい?』なんぞとほざけたものだ」
「あぎぎぎぎぎ」
 がすがすと踏みつけぐりぐりと踏みにじりげしげしと蹴倒しながら、罵倒し侮蔑し嘲弄し。よくこんなにいろんな蔑みの言葉が思いつくなぁなどと感心したくなるほど、いつもながらローグの人を馬鹿にする技術は抜きんでている。
 が、それだけさんざん言われ(た上に叩きのめされ)たにも関わらず、ホルスは与えられた苦痛から復活すると、おずおずとこちらを見上げて言ってのけた。
「うう……どうしても行かないとダメかい?」
「あ゛?」
「ひぃっ! うう……わ、わかったよ。行くよ、行けばいいんだろ」
 ローグに悪鬼のごとき表情を向けられ、ホルス王子はいかにも渋々という表情ながらも素直にひょこんと立ち上がる。だがハッサンとしては、むしろこの期に及んで一度なんとか逃げ出そうとしたことに驚愕してしまった。ローグにあれだけ全力でいびられ痛めつけられているというのに、よくここまで頑強に抵抗できるのだろう。初めて自分がローグにいびられた時は、正直かなりへこんでしまったというのに。
 というかそもそもあれだけ体に痛みを刻み込まれていながら、洞窟が怖いという理由だけで逃げ出すことができるという、その頑固なまでの精神力にハッサンは内心驚いていたのだ。自分だったら(いやもちろん自分は別に洞窟も魔物も怖くないが)とてもそんな気にはなれない。というか、普通に考えてたとえ気弱な一般人でもローグに与えられる痛みの方が洞窟よりは怖いんじゃないだろうか。
 それなのにここまで抵抗してのけるなんて――ホルス王子というのは、もしかしたらとんでもなく大した人間なんじゃないだろうか?
「うふふ。さあ、かくれんぼは終わりね。行きましょう」
「まずはよかった……。とはいえ、これからが大変ですね……。この弱気な王子を一緒に連れての洞窟探検ですからねぇ……」
「やだなー。あたしたち、あと何回こんな目に合わなきゃならないのかしら……」
「さあ、二回目の振り出しです。出発しましょう!」
 ほっとした顔で会話を交わす仲間たちの中で、一人そんなことを考えてなぜか妙にショックを受けてしまっているハッサンに、ふとローグが顔を向けた。ハッサンは慌てて頭を掻きながら、笑顔を作ってみせる。
「ふいー。まずは一安心だな」
 が、ローグはその言葉にすさまじく険しい表情になって、ぎぬっ、と音が出そうな視線でこちらを睨みつけてくる。
「な、なんだよ」
「……別に。単にお前の誤魔化し方のへぼさに少しばかり呆れただけだ」
「へっ」
「見栄を張るならもう少しマシなところで張れ。お前の頭じゃその区別もつかんのかもしれんがな」
「は、はぁ!? なに言って……」
 言い返そうとしたハッサンに、ローグはあっさり背を向けて、ホルスをほとんど背を蹴るように急かしながら家を出て行く。なんだよあいつ言いっぱなしにしやがって、とぶつぶつ文句を言いながらも、しかしハッサンの心はなぜかぐっと軽くなっていた。
 あれ、なんでだろう、と少しばかり首を傾げたものの、すぐに気にしないことにして仲間たちを追う。ま、気分が軽くなったんなら大したことじゃないんだろ、といつものようにあっさり気持ちを入れ替えて。
 我ながら単純だと思うが、自分はこういう性分なんだから仕方がない。

「うひぃぃぃ!」
「どうしたホルス、もう逃げんのか? 馬車の移動中に逃げ出そうとすること三十七回という、学習能力も目的達成意識も微塵も刻まれていない脳味噌つるつるのお前にしては珍しいな?」
「だっだってっ、首輪の鎖握られてたら逃げようがないだろーっ!」
「阿呆。その程度のことも理解していないと人に思われるほどお前の学習能力が低い、という自明の皮肉だろが、貴様の頭には知性と呼ばれるべきものの欠片すら存在してないのかこのド低能が!」
「うぎゃあぁぁ!」
「さーて、今回の罰はなににするか。お前にあまりに学習能力がないせいで罰のローテーションが短くて与える罰を考えるのも一苦労だ、まったく人に迷惑をかけることだけは天才的なクソ王子だなお前は」
「うぐぐぐぐ」
「よし、今回は簀巻きにして馬車の後ろに引きずるという古式ゆかしい刑罰を行うとするか。魔物が出た時なんかにはファルシオンに速駆けしてもらうことになるかもしれんが、まぁお前の生存能力は無駄に高いから問題ないな」
「いやだぁぁぁ! それ死ぬだろ! 死ぬからぁぁぁ!」
 ホルコッタから洗礼の洞窟に向かう間も、ホルスは逃げ出し隠れることにひたすら全力を注いだ。だがローグも(そのたびにホルス王子の思考パターンを学習していたのか)、回を重ねるごとにホルスを追尾する、あるいは逃げ出し切る前に捕まえることに要する時間が短くなっていき、もはや戦闘中に逃げ出されたとしても(ホルス王子に首輪をつけ、鎖で固定しているせいもあるのだろうが)、キメラの翼を使えるほど距離を取られる前にあっさり確保できるようになっている。
 そしてそうやって逃げ出すたびに、ローグが全力で苛烈な(もちろん手加減も全力でしているので、痛みを与えるだけで傷は残らないようなのだが)お仕置きをするまでが一つながりになってしまっているため、馬車の進みは遅く、洗礼の洞窟まであと少しというところまで来て、何度目かの野営をする羽目になった。みんな手分けしててきぱき薪を集め、火を熾し、見当をつけていた近辺に水場があるかどうか探し、と仕事をする。
 そんな中、ローグは全力を尽くして仕事を怠けようとするホルスを、尻を蹴飛ばし頭を踏みつけ鎖を引きずり、全力を尽くして少しずつでも仕事をさせていた。
「ううう、くそう、わかってるのかお前、俺は王子なんだぞっ、将来はホルストックの王になる人間なんだぞっ、それがなんで野営するからって薪集めなんかしなくちゃならないんだよーっ」
「は? 何度目だその台詞。まったくお前の脳味噌のつるつる加減には呆れ果てるな。確かに単なる護衛対象なら遠慮もしようが、貴様のせいで一度通った道をまた戻ってくる羽目になった上、これだけ旅程が遅れているのも貴様のせいだというのに、遠慮してくれなんぞいう要求が通るわけがないだろが。しかも何度言ってもそれを記憶することもできん愚鈍な奴には、体に覚えさせるしか方法がないからな。まったく手をかけさせてくれる」
「ひ、人のこと踏みつけてぐりぐり踏みにじっておいて勝手なこと言う……ぶぺぇ」
「ん? どうしたホルス能なし王子。今なんと言ったかもう一度言ってもらえるか? お前の生殺与奪権限を握っている相手にそんな阿呆なことを抜かす奴は首を落とした方が世のため人のためだと思うんだが、命は大事にするのが人の世の習いだからな、できれば聞き間違いであってほしいんだが……で、なんだって?」
「うぶぶぶ……な、なんでもないでしゅう……」
 こんな調子で仕事をさせるよりも頭を踏みにじっている方が長いくらいなので、別に黙って座らせといてもいいんじゃねぇかなと内心ハッサンは思うのだが、ローグはあくまで頑固にホルスに仕事をさせることにこだわっていた。『人様に一方的に世話されるにはそれに値するだけのことをするのが当然、こいつにそんなことができているとでも?』というのがローグの言い分で、そりゃそう言われてしまえば反論の余地はないので、仲間たちは素直にローグを遊ばせていた。
 だが、そう。ハッサンは、なんのかんの言ってるが、ありゃ単にローグが楽しんでるだけなんじゃねぇのか? と思っていた。
「どうよ、その辺。違うってんなら本当はどう思ってるのか言ってみろ」
 野営の夜番で二人きりになった時にそう水を向けてみると、ローグは驚いた顔をした。
「ハッサン、お前、そんなことを考えていたのか?」
「え? ……なんだよ、本気で違うのか?」
「いや、そういうごく当たり前のことを考える頭があるにもかかわらず、これまで俺を問い詰めてこないとは。お前どれだけ時間を無駄に使う気なんだ。人生は有限という言葉を知らないのか貴様?」
「だーっ、もうっとにことあるごとに人罵るのがうまい奴だなお前! 他の奴らは聞いてこなかったってのかよっ」
「聞いてきたぞ。チャモロとバーバラはな。『ローグ、ホルス王子いじめるの面白がってない?』とか『ローグさん、まさかとは思うのですが、ホルス王子に制裁を加えるのを楽しむために旅程を遅らせている、などということはありませんよね?』とかな。どちらにも正直に誠実に答えた」
「……へぇ。どう答えたってんだ?」
 少しばかり面白くない、という気持ちを顔に乗せながら問うと、ローグはにやり、といかにも面白がっています、という顔で答える。
「『少しばかり楽しんでいることは否定しない』」
「やっぱりそうなんじゃねぇか!」
「『だが、それが主目的というわけではない。俺なりに切実な目的があってやっていることだ』とな。二人とも納得して引き下がった。どちらも俺がホルス王子に正しい道を教えようと考えているんだろう、と思ったようだな」
「……なんだ、二人のこと騙したってのかよ?」
「人聞きの悪いことを言うな、聞かれたら正直に答えたとも。『ホルス王子を教育してやることもむろん目的のひとつではあるが、それが一番というわけではない』とな」
「ふぅん……。じゃあ一番の理由ってのはなんなんだよ」
「気になるのか?」
「は? ああ、まぁな。そりゃそういう言い方されたら気になるだろ。それに、お前がこれだけ長い時間一人を、まぁ俺以外でってことだけどよ、いたぶり続けるのって初めて見たからな。なんか本気で切実な理由があるのかもしれねぇって思うしよ」
 頭を掻きながら言ったハッサンの言葉に、ローグはふん、と鼻を鳴らした。
「脳味噌の活用方法を間違えていないか? まぁお前は基本脊髄反射で動く神経からして獣同然の男だから仕方ないのかもしれんが」
「はぁ!? なんだそりゃどういう意味だよっ」
「こういう時だけは勘がいい奴だな、って意味に決まってるだろが。少しは文章読解能力という人間らしい方向にも頭を使ってみやがれ」
「なんだとてめ…………」
 言いかけて、気づいた。つまりそれは、ローグには本当に、心の底から切実な理由がある、と言っていることになるのだ。
 ハッサンは黙り込んで、しばし貧乏ゆすりをしながら考えて、ローグに向き直り問うた。
「その切実な理由ってのはなんなんだ?」
「ほう? 気になるのか?」
「当たり前だ、相棒の話だぜ。俺にだって関わりがないわけねぇだろ」
「…………」
 ローグは一瞬ぎゅっと眉を寄せたものの、すぐにふん、と鼻を鳴らして肩をすくめ、あっさり軽い口調で告げた。
「俺は、単に……そうだな、運命だの宿命だのと呼ばれるだろう代物に逆らいたいだけだ」
「は? それってどうい」
 ハッサンが言い終わる前に、ローグは素早く立ち上がった。そして即座に音のしない走り方で素早く森の中へと駆け出す。思わずぽかんとしていると、大して時間も経たないうちにローグはホルスを首の鎖で引きずりながら戻ってきた。
「………ホルス王子、また逃げ出してたのかよ」
「何度も何度も懲りん奴だ。俺が見張りの間は鎖を手放しているから大丈夫だとでも思ったのかこのクソ低能王子、もう少しましな方向に頭を使え怠惰豚ネズミが」
「だだだだってお前これ以上一緒にいたら絶対俺のこと殺すだろー!? それに明日はもう洗礼の洞窟に入っちゃうしっ」
「黙れこの腐れ豚王子」
 がずっとホルスの腹に一撃が入る。横隔膜のあたりを押さえてのたうち回るホルスに、ローグは冷厳とした顔と声でその頭を踏みつけぐりぐり踏みにじった。
「すぐそばで眠っている奴らのことを気遣うこともできんとは、まったく人間の名に値しない無能ぶりだな。貴様がどれだけ無知無恥無能っぷりを見せびらかそうと俺にはどうでもいいが、それに振り回される周りの人間の迷惑を少しは理解しやがれこの低能無能豚ネズミ」
「………! …………!」
 声も出せずにのたうち回るホルスを手を変え品を変えいたぶっているローグを眺めやりながら、ハッサンはぽりぽりと頭を掻く。どうやら、ローグにはもう話をする気はなさそうだ。ホルスがちょうどのタイミングで逃げ出したのがローグの意図によるものなわけはないだろうが、それにしても中途半端な気分になってしまう。
 それでもローグがさっき本気だった、ということは間違いなくわかる。ローグにとっては、あれは本当に切実な心の底からの言葉だったのだ。これだけ長く相棒をやっているのだ、そのくらいのことはわかる。ローグがそんな風に心の内を垣間見せるのは、本当に珍しいことだと自分は知っているわけだし。
 つまり、どういうことかというと。
「………ふむ」
 ハッサンは頭をばりばり掻きながら、静かな声で音も立てずにホルスをいたぶっているローグの横で、一人考えた。

「さあ、洗礼の洞窟だ! ようやく本格的に探検のスタートだぜ!」
「まずは、前回クリアできなかったこのフロアの先に行けるかが勝負ですね!」
「今度こそ、一番奥まで行かなくっちゃ!」
 そんな気合の入った声を上げながら、自分たちは洗礼の洞窟の奥へと進んだ。パーティメンバーはローグに、自分とアモスとバーバラという前回と同じ四人。それに加えてホルスなのだが、その首にはがっしり首輪がはまり、そこから伸びる鎖もローグに握られたままだった。ホルスは「鬼ー!」「悪魔ー!」と泣き喚き罵り必死に逃げようとじたばたするが、ホルスの首にぴったりと嵌められたその首輪は、ちょっとやそっとではずらすこともできやしない(自分が作らされた首輪なので、仕様はよくわかっているのだ)。
「ぴぃすか喚くな、豚ネズミ。貴様がどうあがいたところでもはや逃げようもねぇんだ、少しは前向きに義務を果たそうという気になりやがれ」
「だってこのまま行ったら死ぬだろ俺がー! 人殺しー! 暗いー怖いー魔物が出るー」
「ダンジョンに来てるんだから当たり前だそんなもん。そもそも魔物に対処するために俺たち護衛がいるんだろが、お前に魔物と戦う気力も能力も根性も気合もまったくないせいで」
「うううううううー」
 悲痛な顔つきで呻くホルス王子を引きずりながら、ローグと自分たちは洞窟の奥へと進んでいく。洞窟の上から下から飛び出している湿った鍾乳石が、薄明るい魔法の光に照らされ煌めいている眺めは、一見の価値はあった――まぁ、当然ながら魔物もうじゃじゃ出てくるので、そうのんびり眺めていることもできないのだが。
 洞窟にはそこかしこに人の手が入っており、はっきり道が作られているわけではないが、歩きにくいところには階段等が備え付けられていた。これまで経験を積んできた自分たちには楽に読み取れる道筋を進みながら、湧き出る魔物たちを特技を駆使して一掃していく。
「見た目は広い場所だが、通れる道筋は少ないみたいだな」
「はぐれないようにゆっくり歩いてくださいね。私、方向音痴なんですから。……うわあーっ!!! あ、すいません。背中にぽつりと水が……」
「もうっ、びっくりさせないでよアモスってば! でも、思ったより魔物が出るのね。これじゃ、おつきの兵隊さんたちも大変だったろうなあ……あれ? 王子は!? あ…いるか……」
「お前も他人をびっくりさせる能力はアモスに劣らないようだな。まぁわかっていたことではあるが」
「……もーっ、ローグってば、もーっ! 悪かったからそーいう風に嫌味言うのやめてってばーっ!」
 魔物を倒す合間に、そんなことを話しながら奥へ奥へと進み――自分たちの進む道を塞いでいる暗い靄と出くわした。一見しただけではただの靄にしか見えないが、それが実体を伴っているのはこれまで旅の中で山ほど魔物と戦ってきた自分たちにはよくわかる。
 身構える自分たちに、靄は殷々とした響きの、だがおそらくは音ではなく心に伝わってくる声を発してきた。
「我は試練なり。汝、王家の血を引くものよ。我と戦い、我を倒せ。我は試練なり」

「汝、試練を越えたり」
 そう告げてすぅっと靄が消えていくのを確認し、ハッサンはふぅっと息をつきながら構えを解く。負ける気はしない程度の相手だったが、それなりに強かったのもまた確かだった。踊り出したかと思うやアモスが混乱させられたのには少しばかり驚かされたし。
「いやー、敵が強くて夢中だったので、どう戦ったのかよく覚えていません。まるで混乱させられたみたいですよ」
 それを自覚しているのかいないのか、満面の笑顔で言ってくるアモスに肩をすくめ、「この試練とやらは、きっと魔物とは全然違う存在なんだろうな」「ここにはいったい、いくつの試練があるのかしらね……」などと話していると、ローグがちっ、と大きく舌打ちをする音が聞こえた。
「? どうしたロー……げげっ! あいつ、また逃げやがった!」
 遅ればせながら気づいたのだが、ホルス王子は自分たちの見える範囲内には影も形もなくなっていた。バーバラとアモスもそれに気づき、「なによー! またアイツ逃げたのー!?」「うわー! またホルコッタとかでしょうか!」と慌てふためいている。
 だがローグは忌々しげではあるものの慌てた様子はなく、むしろ沈着に言ってのけた。
「あの試練とやらとの戦いはそれなりに時間がかかったからな。鎖から手を放してしまった以上、逃げ出されるのは自明と言えば自明だ」
「お前なぁ、そんなこと言ってる場合かよ!」
「こっからまたホルコッタまで戻って探し回るのとかあたしやだー!」
「俺だっていやだ。……だが、まぁたぶん洞窟の外には出ていないと思うぞ」
「へ? な、なんで?」
「あの馬鹿王子が逃げ出す気満々なのはわかりきってたんだから、対策くらいするのが当然だろが。ミレーユとチャモロに、洞窟の入り口に罠を仕掛けるように頼んでおいた」
「え……罠?」
「ああ。ロープにトラバサミ、杭に鉄針なんかを渡してな。うかつに外に出ようとすれば、足一本くらい持っていかれる程度には強烈な罠を仕掛けていい、と言っておいた。……ホルスの目の前で、な」
「えっ? で、でも、ホルス王子の前でそんなこと言ったらホルス王子警戒しちゃうんじゃ……」
「警戒させるために言ったんだよ。あの臆病者が、そんな罠がしこたま仕掛けられている場所に飛び込むだけの蛮勇を奮えると思うか?」
「あ、あー! そっか! ホルス王子脅すためにそんなこと言ったんだ! そうだよね、いくらなんだってトラバサミとかはやりすぎだよね!」
「俺的には罠の質は問題なかったんだが、ホルスがいつ逃げ出すかわからなかったからな。チャモロもミレーユも罠の玄人ってわけじゃないし、短時間の設置は難しいだろうから、それよりもホルス王子を洞窟の外に出さないよう警戒していてもらうことの方が大事だと考えて、先に話を通しておいたのさ」
「そ、そうなんだ……うん、でもそれならホルス王子が洞窟の外に出たってことはなさそうだね」
「ああ、そして洞窟の外に出られなければキメラの翼は使えない。なら洞窟内で逃げ隠れしているだけだろう。さして探すのに時間はかからないと思うぞ。まぁ、魔物に襲われればイチコロだろうから急ぐに越したことはないだろうが」
「ちょ、それって大変じゃないっ! 急いでホルス王子探さなきゃ!」
「俺たちから離れれば危険だということをわきまえもせず逃げ出したのはあいつの責任だが……まぁそうだな、これも仕事だ、とっととあの馬鹿王子を探すとするか」
 言ってローグは歩き出し、自分たちもその後に続く。だが、ハッサンは内心、少しばかり首を傾げていた。
 あのローグがいくら戦闘中だからってそう簡単にホルス王子を逃がしてしまえるもんかな(少なくとも逃げ出されるのに気づかなかったとは思えない)という疑問がひとつと、もうひとつ、ローグがなんだか、ひどく冷静というか冷徹な瞳でホルスを探しているように見えたからだ。
 冷酷というのではなく、なんというか――実験対象を見つめる学者のように。

「にに、逃げたんじゃないぞ! 戦うのはお供のお前たちの仕事だからな。俺が怪我でもしたら困るだろうから、離れていてやったんだ。さあ! それじゃ先へ行こうか、ローグ!」
 同じ階の隅っこに逃げて頭を抱えて座り込んでいたホルス王子は、そう言って胸と虚勢を張った――が、そんな言葉がローグに通用するはずがない。にっこり笑顔で「その理屈ならお前が離れている間に怪我をされても困るということになるだろが少しはまともに頭を働かせろこの無知無恥無能のドカス王子が!」などと言いながらホルスを踏みつけ踏みにじる。
 ホルス王子は「ふぎえぇ」と悲痛な悲鳴を上げたが、実際ホルス王子にまた逃げ出されても困るので、まぁ少しくらいいたぶってもいいだろう、と見ないふりをして、ハッサンはバーバラたちと「まったく、口の減らない王子さまだな……(二重の意味で)」「ホント。逃げ足だけは速いですね……」「まあ、外に行かれちゃうよりマシって考えるしかないわね……」などと言い合って時間を潰した。
 しばらくののち、ローグがむせび泣くホルス王子を引きずって「さぁ、行くか!」と笑顔で言ったのをしおに、隊列を組み直して先へと進む。やれやれと言いたくなるような気分で歩きながら、ハッサンは一応訊ねてみた。
「ホルス王子をそんな風に引きずったまんまで大丈夫なのか? お前も動きにくいし、ホルス王子だって危ないだろ、お前先頭なんだから」
「そこじゃなくて俺をこんな風に引きずりながら歩くとか失礼だってことを気にしろよぉぉっ!」
「少なくともこの洞窟でこれまでに出てきた魔物は、お前とアモスの特技で一蹴できたしな。危険についてはあまり気にしていない。もちろんさっきの試練とやらのように、一蹴できない敵も出てくるんだろうが、その時はこの豚ネズミもさっきのように無駄にすばしっこく逃げ出すだろうしな」
「へっ……」
 ホルス王子が急に、きょとんとした顔になってローグを見上げる。『思ってもいないことを言われた』と大書してあるようなその顔に、ローグは小さく眉を寄せた。
「なんだ、その顔は」
「え、いや、だって……お前、これまでずっと逃げたらめちゃくちゃ怒ってたのに、急に『逃げてもいい』って思ってるみたいなこと言うから……」
 数瞬間をおいて、ローグはは、と息を吐く。
「別にそういうわけじゃない。『権利を放り出すほどのことじゃない』程度の恐怖で、他人に迷惑をかけ倒して逃げて拗ねて隠れて誰かがなんとかしてくれるのをひたすら待っているというお前のやり口には今も心底呆れるし苛立っている」
「ううぅ……も、もーちょっと言い方ってもんがあるだろ……俺はホルストックの王子なのに……」
「だから権利を主張するなら先に義務を履行しろと言ってるんだ。……だが、それとこれとは別の話だ、と俺は考える」
「え……」
「少なくともお前が王子に生まれついたのはお前の選択の結果ってわけじゃない。他の人間がそう生まれついたのと同じように、たまたまそういう風に生まれたってだけのことだ」
「あ……」
「当然、生まれに伴う特権を享受してきた以上、生まれに伴う義務ってのは生じる。そんなもの背負いこみたくはない、ってんなら生まれに伴う特権を、生まれてからこれまで享受し続けてきた分利子をつけて返すのが当たり前の人の道ってやつだ。それができない奴に、『別に選んでこんな血筋に生まれてきたわけじゃない』なんぞという口を叩く権利はない」
「う……」
「だが……それでも。王家に生まれついた人間全員が、高貴な人間であるのが当然だ、とも俺は思わない」
「っ………」
「高貴な人間として扱われ、高貴な人間としての義務を教え込まれ。それを受け容れ、心の底から高貴な人間になって、義務を果たし権利を正しく振るうことのできる人間。そういう奴はもちろん称賛されるべきだ。だが、この世に生きる人のすべてがそんな風に生きることができる、というのは無理があると俺は思うし、だから当然王族全員が、つまりたかだか王家に生まれついたという程度の特権しか持っていない人間全員が、高貴に生きることができるとも思わない」
「…………」
「正しい正しくないで言えば、義務を果たさず権利を貪る人間というのは異論の余地なく間違っている。そんな人間は機会があれば権利を奪われ首を落とされかねないし、そんなことをされても文句が言えない。人間に与えられた権利というのは、基本的に他の人間から少しずつ奪うことで生まれたものだからだ。だから特権を得ながら義務を果たしていない人間は、他の人間から憎まれ恨まれる。自分たちの権利を一方的に奪っている相手なんだからな、当然だ」
「いぃっ……」
「それでも、それがどれほど正しいことであっても。万人が正しくあることはできないし、万人が高貴であることはできない。どんな風に生まれついても、どれほど高貴な教育を受けても。自分がどれだけ道に背いているとわかっていても、人間の多くは間違うし、逃げるし、過ちを認められないし、他人に義務を押しつけ権利だけを奪い取ろうとする。正しくある力≠ニいうものを、その程度しか持ち合わせていないんだ。――それを認められないほど、俺は世間知らずじゃない」
「………………」
 ローグの長広舌を聞きながら、ホルス王子はうつむく。なにやら考えているように見えたが、なにを考えているかはハッサンにもわからない。話の内容からしても、ハッサンとしてはここまで長々話すようなことかなこれ、と思えてしまうようなことだったのだ。だが、ホルス王子には――
「もちろんそういう輩は機会があれば首を落とされるだろうし、そうされても誰にも文句が言えんがな。王家なんぞに生まれついた人間は特に。高貴なる者として扱われる対象は、当然ながら他人の見る目も厳しい。そして正しくない理屈を振りかざしたところで、誰も聞いても助けてもくれん。それが当然の理屈だ」
「うん……そう、だよな」
 鼻を鳴らして付け加えたローグの言葉を、ホルスはなにやら考え深げにうなずきながら聞いた。彼にとっては本当に、心に強く響いた言葉なのだと、否が応でもわかってしまうくらいに。
「んー……ローグの言ってることってつまり……どーいうこと? いまいちよくわかんないんだけど……」
「心配しなくてもバーバラ、お前には微塵も関わる必要のない話だ。お前はいつでもお前なりに正しく在ることができる稀有な才能の持ち主だからな」
「え、そ、そう? えへへ、なんか照れちゃうかも」
「アモスやハッサンもな。そして当然チャモロやミレーユも。それぞれがそれぞれなりの正しい道を責任を持って選び取ることができる力を持っている。実際の話、俺の仲間たちは全員、万人に称賛されるほどの正しい性質を備えていると思うぞ」
「え、ちょ、もーっ、ローグってばなに急に! きゅ、急にそんなこと言われても困るってば……」
「いやー、そこまではっきり言われると照れちゃいますね! でもローグさん、申し訳ないんですが、私は女性以外に口説かれてよろめくわけにはさすがに……」
「口説いてないから安心しろ。というか俺がこれだけの人数で洞窟の中を歩いてる最中に口説き始めるほど状況や空気の読めん男だと思ってるのかお前は」
「………むーっ!」
「おい、バーバラ痛いぞ。……だから地味に本気で痛いから鋼の鞭で肌の出ているところを突っつくのはやめろと」
「ほらほら、お前らじゃれ合ってねぇで先に進もうぜ、まだ先は長そうなんだしよ」
 仲裁しながらも、ハッサンは内心ローグのさっきの話の内容を考えていた。ローグの、自分たち――ローグの仲間たちはそんなことを気にする必要などないと言うさっきの口ぶりは、なんというか、『自分自身はホルスと同程度の正しく在る力しか持ち合わせていない』というように聞こえたのだ。
 もちろん単なる思い込みなのだろうが、なんというか、ひどく気になる言い方だったというか……
 などとついつい沈思しそうになる頭を小突きながら、ハッサンは仲間たちと前に進んだ。あまり考えてばかりいると、ろくな結論にならなさそうな気がしたのだ。

「ふん! なかなかやるじゃないか。俺をここまで連れてこられた奴はお前らが初めてだよ。わかった! もう逃げないぞ。さあ、行こうかローグ」
 二度目の試練――魔物の姿をした敵との戦いの間にまたも逃げ出したホルスは、自分たちが無事見つけた後にふんぞり返って胸を張りそんなことを言った。当然ながらそれを聞いたローグの眉間にはびしびしっと皺が寄り、ホルスを踏みつけ蹴り上げ顔を踏みにじり、「何様だ貴様はそもそもがお前の試練だろがなにを上から目線で抜かしてやがるこの無能脳なしクソ王子が!」と足を持ってぶんぶん振り回す。ホルスは当然「ぎゃひぃぃ!」と悲鳴を上げた――が、その声の中に、喜びに似た感情をハッサンは感じ取った。
「……ほらほら、お前らじゃれ合うのもいい加減にしとけよ。あの試練が塞いでいた道の向こうに何が待っているのか……今はそっちの方が重要な話だろ? さあさあ、さっそく確かめに行こうぜ!」
 ぱんぱんと手を叩きながら言うと、ローグはふんと鼻を鳴らしながらも素直にホルス王子を下ろし、肩をすくめる。
「ま、お前のような脳筋鶏頭マッチョに言われるのは業腹だが、確かにその通りだ。さくさくこの洞窟を踏破して、依頼を終えるとするか」
「そうね! ここから先は、ホルス王子も行ったことがないんだわね。こうなったらとことん行ってみましょ!」
「わっかりました! さくっと先に参りましょう! いやー、それにしてもホルス王子、今回の隠れっぷりも見事でしたねー」
「ふんっ、当然だ」
「そこで胸を張れる話だと思ってるのかこの無知無恥無能のクズ王子!」
「ふぎゃあぁぁっ!」
「だからお前ら、じゃれ合うのもそのへんにしとけって」
 などとできる限りいつもの調子で突っ込む。……つまり、実際にはハッサンの内心はいつも通りとは少し言えない調子だった。
 別になにが気に入らないというわけでもないのだが、妙に心の中がざわざわしている。ホルスとローグのじゃれ合っているところを見ていると、そしてホルスがさっきから(もちろんそれなりに注意深くホルスのことを見ていないと気づかない程度ではあるのだが)ローグにいたぶられて嬉しそうな反応を返すたびに、心臓のあたりがひどくうずうずするのだ。
 つまり、これは、なんというか、こんなこと認めるのは恥ずかしいが意固地に認めないのも男らしくないと思うので思いきって言ってしまうが、嫉妬≠ニいうやつなのだろう。ホルスに対する。
 しかも言ってしまえば、『ローグにこいつばっかりかまわれててムカつく』とか、『ローグにそんな風にかまわれるのは俺だけだったのに』とか、さらに言うなら『ローグのいたぶりからローグの心遣いを読み取るとかそんなことができるのは俺だけだと思ってたのに』そういうレベルの恥ずかしい嫉妬だ。うああぁぁ、と叫びたくなるのを堪えながら、ハッサンはこっそり頭を抱える。
 子供か俺は。しかもローグに俺以外かまってほしくないとか、ローグのことを俺以外にわかってほしくないとか、いつから俺はそんな情けない男になったんだ? そもそもローグのあの暴力的かつ高飛車な攻撃を、ないと物足りないとか自分に向けてほしいとか思うなんて、本気で自分で自分が信じられない。
 そりゃまぁ自分はローグを相棒だと思っているし、あいつの複雑怪奇な考え方を少しでも理解できるのは自分とあと一人二人ぐらいだろうと考えているが、だからってそんな子供のような――
 そう考えかけて、いや、と小さく首を振る。そうじゃない。たぶん、自分が嫉妬しているのはそういうところじゃない。
 たぶん自分は、自分なりにローグの役に立てているのが嬉しかったのだ。ローグに殴られ蹴られ踏みにじられ、と暴力的な反応を返されるのは仲間内では自分ぐらいだったから、それだけ気を許してもらえている――いや違う、それだけ気を使わないで接してもらえているのだと、自分の前ではそれなりに気を緩めてくれているのだと、さらに自分はそんな行為の中からそれなりにローグの心を読み取ることもできていたから、一番気を使わないところでローグと心を通わせられているのだと、そういう意味では役に立てているのだと思えて嬉しかった。
 ただ、それがホルスに対しても行われているところを見て。しかもホルスが、それを喜びと共に受け容れているのを見て。自分だけじゃないのだと、ローグにはそんな相手などいくらでも作れるのだと思い知らされて悔しかった。
 情けねぇ、と首を振る。そんな身勝手な気持ちをあいつに押しつけてたのか、俺は。
 しっかりしなけりゃな、とばちばちと自分の頬を叩き気合いを入れる。自分がローグのなにもかもを知っているとは言わない。なにもかもをわかっているとも思えない。
 だがそれでも、かつてローグは自分のことを、相棒だと認めていると言ってくれたのだ。あのやたら七面倒くさい考え方をする素直じゃないことこの上ない奴が、あいつなりの言葉で。
 なら自分もそれに応えないわけにはいかない。あいつの隣に立てるだけの男でいなくちゃあんまり申し訳ない。なにより、男としてあいつに後れを取るなんてのは、自分の自尊心が許さない。そんな気持ちで一緒に旅をするなんてできるわけがない。
 だから、ハッサンは気合を入れ直して、にかっと笑顔になって仲間たちに告げた。
「ほらお前ら、いつまでも遊んでる場合じゃねぇだろ? あの試練が塞いでいた道の向こうに何が待っているのか……さあ、さっそく確かめに行こうぜ!」
 親指を立ててそう言い放つと、バーバラとアモスは「うんっ!」「了解でっす!」と返してくれたのだが、ローグは心底気味の悪そうな顔になって、「お前そういう仕草と台詞の組み合わせは、客観的に自分がどう見られているか確認してからやれ」などと言ってきやがったので、ちょっぴりムカつきの解消も込めて久々に軽く乱闘した。

「ハッサン、バーバラ! スクルトいったん止め、向こうのルカナンが効いたら再開!」
「おうっ!」
「わかったっ!」
 三番目の試練となる敵――馬のような魔物の姿に似た相手と斬り結びながらローグが叫ぶ。何度もルカナンを唱えて守備力を下げてくるこの敵にハッサンとバーバラはひたすらスクルトを唱え続けざるをえず内心焦れていたのだが、飛んできたローグの指示に自然と腹の底に力が入った。
「ほぉちゃー!」
 アモスが気の抜ける喊声を上げながら突撃する。だがその攻撃は気が抜けるどころではなかった。バーバラのバイキルトによって攻撃力を強化された拳を、一瞬で四度、四方八方から放ったのだ。武闘家の特技爆裂拳は、他の武闘家の特技同様素手でも武器を使っているのと同様の威力を叩き出すことができる。一撃一撃の威力は低くなっているとはいえ、全て入った時の破壊力は正拳突き並みだ。
 まともに喰らって奇妙な悲鳴を上げながら吹き飛んだ敵に、ローグが即座に追撃をかけ斬りつける。ずばぁっ、と大きく体を斬り裂かれた敵は、ぎっ、とローグを睨みつけて突撃の体勢に入った――
 と思うより早く、ローグが叫んだ。
「ハッサン!」
「…………!」
 なんの指示を言われたわけでもない。ただ、名前を呼ばれただけ。
 それでもハッサンはローグの求めていることがすぐにわかった。瞬時に呼吸を整え、全身に力を巡らせ、雄叫びを上げながら敵に向かい突撃し、拳を全力で叩きつける。
 ――その一撃で、敵は動きを止めた。魔物の形をしていたものがすぅっと黒い靄へと形を変え、心に直接言葉を届けてくる。
「汝、試練を越えたり」
 そう告げて靄が散り散りに消えていくのを確認し、自分たちは息をついてから、大きく歓声を上げた。
「よっしゃ! 試練その3もクリアだぜ!」
「へへん、どんなもんよ!」
「あー、死ぬかと思いましたー……ゼイゼイ……あ、いや、大丈夫です、大丈夫です一応」
 ローグはその中で一人素早く周囲を見回し、軽く眉を上げる。
「ほう、驚いたな。いたのか」
「ふふん、もう逃げないって言っただろ」
 ハッサンも内心また逃げ出すかもなー、と思っていたホルス王子は、戦いの後もその場に残っていた。巻き添えを食わない程度に距離を取りながらも、戦いが終わるやローグのそばにちょこちょこと戻ってきて胸を張る。
「本来なら逃げ出した時点で同行者に大迷惑をかけていることは明白だろが。一度ならず二度までも、どころか三度までもわざわざダンジョンに来てから逃げ出しておいて胸を張ってるんじゃないボケが」
「うぐぅ……」
「……ま、それでも一応まっとうな人間ならできて当然レベルのことではあるが、蟻の一歩程度でも進歩したということは認めてやる。よくやった」
「………うん」
 軽く頭を叩かれて、ホルスはほんのり頬を赤く染める。恥ずかしいのかぶすっとした顔をしているものの、嬉しがっているのは見ていてわかった。
 ハッサンはぽりぽりと頭を掻いて、少し迷ってから声をかける。
「えーとだなお前ら、とりあえず先に進もうぜ。目の前にこれまでと同じような扉があるんだしよ」
「お、おうっ」
「そうだな、さっさと行くとするか」
 ローグはあっさりうなずいて、すたすた歩を進める。その後にちょこちょことホルスがついていき、これまでにも二度通り抜けてきた紋章の刻まれた扉の前に立つ。即座にこれまでと同じ、重々しい声が響いてきた。
「汝、ホルストックの血を引く者よ。汝の名を告げるのだ」
「しつこい奴だな。ホルスだと言ってるだろっ」
「汝、ホルストックの血を引く者なり」
 ホルスの言葉に、がちゃり、と音を立てて扉が開く。これまでとまったく同じ展開に、仲間たちはてんでに声を上げた。
「開いた!」
「ホルス王子も堂々としてきて、扉に文句まで言ってましたね!」
「どうせまた次の試練が待ってるんでしょ! こうなったらとことんいくわよ!」
「よし、それじゃ進むか。この先どれほど試練があるかは知らんが、いちいち護衛対象に逃げ出されんですむだけこれまでよりはマシだろ」
「と、当然だなっ」
「だからそこで威張れると思ってんのかこのボケ王子が!」
「ふぎゃあっ!」
 じゃれ合うローグとホルス王子の後に苦笑しながらついて歩く――や、ざあぁぁ、と水が流れ落ちる音が聞こえてきた。
「おおっ、ここは……」
「滝の音、か」
「誰かいるよ!」
「あそこにいる人……神父さまに見えますが、実は試練でしょうか……」
 進んだ先にあったのは、巨大な地底湖だった。そこに自分たちの進んでいる道がそのまま張り出した形で陸地が伸び、いくつもの鍾乳石が飛び出している。
 鍾乳石に護られ、あるいは遮られるような位置に清らかな微笑みを湛えた女性の像が道の両脇に二つ。最奥には大きな大量の水を流れ落としており、水はそこから両脇に流れ落ちていた。
 そこに光が差し込み、水を眩しく煌めかせている中、陸地の最奥、滝の前には水の中に降りる階段がある。そしてその前には石を張った、おそらくは儀式に使うための床飾りが並び、祭壇じみた松明台が二つその脇を飾っている。
 そしてその松明台の奥で、一人の神父らしき男がこちらを向き、満面の笑みを浮かべて話しかけてきた。
「おお、汝ホルストックの血を引く者よ。洗礼の泉へよくぞ参られた!」
「来たくなかったけどな」
 この人が洗礼とやらを与えてくれる人なのか、まさかここに常駐してるってわけじゃないよな、と訝しむハッサンをよそに、ホルスは仏頂面で言ってのける。じろり、とローグが睨むのにひっと怯えるなどというやり取りをよそに、神父らしき相手は高らかに告げる。
「さあ洗礼を。滝の水に打たれその身を清められよ!」
「ええー、滝の中に入るのか? やらなきゃダメなのか?」
「ダメ」
「うう……わかったよ。せっかくここまで来たんだ。やってやろうじゃないか」
 神父がうながすまま、ホルスは奥の湖に入る階段の前に立つ。すうはあ、としばし呼吸を整えてから、ちらっとだけローグの方を見た。
 ローグがどんな表情をしたのかはハッサンからは見えなかった。だがホルス王子はなぜかカッと頬を赤らめ、湖に向けて勢いよく突撃する。
「くそ。えーい、つっこめー!」
 滝にめがけ突っ込んだホルスは、滝に打たれながらもやかましく喚いた。
「ひゃー、冷たいっ! 死ぬー、死んでしまうー! おおお、おい! ももも、もういいだろ?」
「うむ、よかろう。こちらへ参られよ」
「ひい、ひい……」
 震えながら泉から上がったホルスに、神父らしき人は満足げにうなずいた。
「うむ! 汝は見事に洗礼を受けられた! 今こそこの洗礼の証を汝に与えよう!」
「あ、ありがとう……、……へっ、へっくしっ!」
 渡されたなにやら紋章らしきもののついた小さな盾を受け取りながらも、ホルスは派手なくしゃみを連発する。
「さあ! では、汝の城へ戻るがよい!」
「言われなくても帰るよ。おい、ローグ! 寒くて動けないから、お前たちが引っ張っていってくれ!」
 言った通り、ホルスは濡れねずみのままもはや動こうともしない。でんとそっくりかえるほど胸を張り、鼻を鳴らしてすらいる。 
「これ……だけ?」
「どうやら終わったようだな……」
「うう…ブルブル……。見ているだけで風邪をひきそうでしたよ!」
「よし! それじゃ王子を連れて、お城に帰ろうぜ!」
「それにしても、本当に洗礼の儀式はこれで終わりなの? さんざん苦労してここまで連れてきた割に、ちょっと拍子抜けね……」
「いやー、話しかけてバトルになったらどうしようってドキドキしますね!」
 後ろでこそこそそんなことを話している自分たちをよそに、ローグはにこやかに神父らしき人と挨拶し、ホルスに笑顔でうなずいて手を引き、こちらの方を振り向いた。どんな反応を求められているかはわからないが、気にしないことにしてハッサンは親指を立てる。
「なにはともあれ、目的は果たしたってわけだ。帰ろうぜ、ローグ!」
「なんだかなー。ほんとにあれだけなの? なんか、拍子抜けっていうか、がっかりっていうか……」
「いやー、王家のやることは私たち庶民にはよくわかりませんですねー」
 そんなことを喋りながらも、自分たちはローグとホルスのあとについて部屋を出る。
「もう試練がいないから、気持ちは楽チンだな。疲れた疲れた。風呂入って寝たいぜ」
「ホルス王子をさっさとお城に送り届けてせいせいしたいわね!」
「あの洗礼の儀式。ホルス王子、寒そうでしたねえ。ぷぷっ! あ……またまたぷぷっ! 王子の歩いたあとは靴の形に床が濡れてますね!」
「……」
「バーバラ。リレミトを」
「あ、うん。じゃあいくよー、せーの、リレミトっ!」
 バーバラの唱えた呪文と同時に視界が一瞬歪み、自分たちは洞窟の外へと転移していた。馬車の前でファルシオンと一緒に周囲を警戒していたミレーユとチャモロが、笑顔になって声をかけてくる。
「みなさん、お疲れさまでした。つつがなく目的は達せられましたか?」
「大丈夫だった、みんな? 怪我をしていたら言ってね?」
 そんな二人にうなずきを返し、ローグはホルスに向き直り――ホルスが天高くまで吹っ飛ぶほどの強烈な蹴りを入れた。
「ぶぐぅぅぅぅぅ!」
「貴様には本当にまったく欠片も学習能力というものが存在しないのかこのクソボケ王子が。お前のしたことは俺たちについてきて護られながら洞窟を踏破し、最後にちょっと滝に打たれて濡れただけだろが。たったそれだけのことしかやっていない分際で偉そうな口を叩けるとでも思ってるのかこの天井知らずの思い上がり小僧が!」
「ふげげげげげげ!」
 蹴り上げ、踏みにじり、踏みつけ、蹴りを入れ。そんなことを何度も繰り返し、ホルス王子を叩きのめす。あー、これで何度目かわからんけど、結局最後までこのノリは変わんねーんだなー、などと遠い目になっているハッサンたちをよそに、ローグはぴくぴくと震えるホルス王子の頭をぐぎゅっと踏みつけてふんと鼻を鳴らした。
「まぁ、一応、通常人ならばできて当然レベルのことではあるが、お前なりに遅ればせながらも少しばかりは自分のやるべきことができた、ということは認めてやる。少しは進歩したな――よくやった」
「………う………」
 言われてホルスは、踏みつけられながらふいっと顔を背ける。当然だ、とかなんとか口の中でぼそぼそ呟いた気がしたが、ハッサンにもよくは聞こえなかった。
 ただ、それでもハッサンにわかるのは、ホルス王子がローグに褒められて、心底嬉しがっているというのはわかる。そっぽを向いたホルスの耳は、火がついたように真っ赤になっていたのだから。

 ホルストックに戻ってきたホルスは、胸を張って自分が無事洗礼を終えてきたことを城の人々と父王ホルテンに報告し、その全員に大きな驚きと喜びを与えた。ホルテン王の命で城を挙げての宴が開かれ、集会場の役目を果たす城の二階の広場に料理がずらりと並び、いくつも花火が打ち上げられる中で、城の人々がこぞってホルス王子に祝福をする。
 自分たちも宴に招待され、料理をご馳走してもらうことになった。何人もの人間に頭を下げて礼を言われるも、やはり宴の主役はホルス王子。人々はホルス王子の周りに集まってその勇気を褒めたたえている。
 苦笑するような気持ちもないではないが、ハッサンとしてもホルス王子のことを心配していた人々が安心できたのは嬉しい。勧められるままに大いにご馳走を食らい、酒杯を打ちつけ合って何倍もの杯を乾した。
 仲間たちもそれぞれに宴を楽しんでいる。バーバラは侍女らしい人々と楽しげにお喋りし、チャモロは吟遊詩人に試練の様子をあれこれと聞き出されている(チャモロも自分たちからの話と袋の向こうから聞いた音でしか状況はわからなかったのだが、ハッサンたちがまともに説明できなかったので真面目なチャモロに向かったのだろう)。ミレーユはホルスと親しくしていた老人と優しげな顔で話をし、アモスは自分と同様兵士たちと競って酒杯を空にしている。
 ローグは、ホルテン王や王妃殿下をはじめ、大臣から下働きの女まで様々な階級の人間と笑顔で話をしていた――のだが、ホルス王子に呼び出されて少し話をしたのち、ふいと姿を消してしまった。なんだあいつどこに行ったんだ、と周囲をきょろきょろ見回すも、ローグがうまい具合に気配を消していたせいだろう、誰も気に留めた様子もない。
 仕方ねぇな、と同席していた連中に断りを入れて、席を立ってローグを探し始めた。どこにいるかは知らないが、宴の最中に一人姿を消す、というのは周りにとってもあいつ自身にとっても、あんまりいい影響を与える気がしない。
 幸い、さして探しもしないうちにローグは見つかった。城の中庭の溜め池の前に腰を下ろし、なにやらじっと池を見つめていたのだ。ハッサンは肩をすくめ、ずかずかとそのそばまで近づいて背中を叩いた。
「なーに一人でしょぼくれてんだよお前は。めでたい宴の真っ最中によ」
 ローグはちろりとこちらに目を向け、ふんと鼻を鳴らして腕を回転させ顔面に拳を入れてくる。腹だとばかり思っていたのでうっかりまともに受けてしまい、ハッサンは思わず顔を押さえた。
「いちちっ……お前な、声をかけただけでいきなり殴ってくるんじゃねぇよ、妙な小技使いやがって」
「旅の武闘家だなんぞと主張していた奴が言える台詞か。その上バトルマスターをマスターまでしたくせに、格闘の素人にあっさり殴られてるんじゃねぇ鶏頭ハゲが」
「ぬぐっ……あーはいはい悪うございました。ったく、なに不機嫌になってんだよ。せっかく一仕事終えて、城のみんなに喜んでもらえたってのによ」
「ふん。人の後について護られながら洞窟の奥で滝に打たれた程度で一人前扱いするような頭の温かい連中に喜ばれたところで、この国の先行きが不安になる気持ちしか湧かん。まぁそういうおめでたい頭でこれまで生きてこれた以上、この国には――おそらくは世界にもよっぽど慈悲深い神々が祝福を与えてるんだろう、俺たちが問題を解決してやれば少なくともしばらくはつつがなく生きてはいけるだろうがな」
「っとに、上から目線でしかもの言わねぇ奴だな。たまには少しくらい素直におめでとうと喜ぶ気持ちを表してみろよ」
 と言いながらも、ハッサンは内心首を傾げていた。世界にも神々が祝福を与えているのだろう、というのはどういう意味なのだろう。それはもちろん世界を神々が護ってくれているというのはそうなのだろうが、ローグの言葉からはなんというか、それが気に入らないというか、そこまでは言わないにしろ屈託のようなものが、それも相当根深そうなものが感じられたのだが――
 あ、と思いつき、ハッサンはぽんと手を打った。
「もしかして、お前の言ってた『運命に逆らいたい』ってのは、そっから来てるのか?」
「―――まったく、こういう時だけは無駄に勘のいい奴だな。それも神々の祝福なのかどうかは知らんが」
「なんだよ、嫌なのかよ」
「……別に。ただ、どう受け取るべきか迷っているだけだ。神々だかなんだかが、俺のやることが気に入らないせいでお前にそんな勘の良さを授けたのか、と勘繰る気持ちもないではないんでな」
「はぁ? なんだそりゃ。わけがわかんねぇぞ」
「別にわかる必要もない」
「……結局のとこ、お前は具体的になにがしたいんだよ。はっきり聞かせてもらわなけりゃ、俺としてもどうにも腹が据わらねぇんだが?」
「そうだろうな。だが、俺としては説明してやる気はない――少なくとも、まだな。俺はこの旅を途中で放り出すつもりは、もうないんだ」
「はぁ……」
 やっぱりどういう意味なのかよくわからない。神々とかが嫌いだということなのだろうか。あるいは、運命や宿命というようなものが。ローグが数日前に言った『運命だの宿命だのと呼ばれるだろう代物に逆らいたい』という言葉には、心の底からの切実な思いがあった、と確かに思うのだけれど。
 まだ説明する気はない、というのはいつか説明するということなのだろうか。この旅を放り出す気はもうない、というのはかつてはあった、ということなのだろうが――というところまで考えて、はっと気がついた。
 ローグがかつて、旅を放り出そうとしたこと。それを、すでに二度自分は見聞きしている。
 一度目は上の世界のムドーを倒した後。二度目は下の世界のムドーを倒した後。どちらもレイドック王の命に対する不信感をあらわにし、そんな命令を聞く必要があるのか、お前たちは本当にそれでいいのか、と自分たち仲間に問いかけてきた。
 いや、正確には旅を放り出そうとしたというのとは違う。自分たち仲間に、本当にこのまま旅をする気なのか、と問うてきたのだ。この先の旅に、なにか辛く苦しいことがあるとはっきりわかっているかのように。それに自分たちを巻き込みたくない、と思っているかのように。
 いや、それを言うなら、初めて会った時からローグはそうだった。一緒に暴れ馬を捕まえよう、一緒に旅をしよう、と持ちかけてきた自分を、くそみそに罵倒し拒絶し旅から追い出そうとしてきた。自分がしつこく頼み、拒否されても絶対についていくというほどの気持ちをはっきり示したから、渋々仕方なく自分を受け容れ、旅の連れにしてくれた。そして、それからも何度も折に触れ、自分たち仲間を旅から追い出そうとした。
 一緒にいられると迷惑であるかのように。一緒にいられると決心が鈍るかのように。自分たちを好きになってしまうと、やろうとしていることができなくなってしまうかのように。
 そんな半ば妄想のような考えが湧いてきて、ハッサンは戸惑いながらローグを見る。ローグはこちらを見ようともせず、ひたすらに溜め池の向こうに、明かりのない黒々とした空間に視線を向けていた。その背中には拒絶にも似た想いがくっきり浮かんでいて、自分のこんな考えをぶつけたところで答えてくれそうにないのはなんとなくわかってしまう。
 どうすればいいのか、どうすればローグの気持ちがわかるのか、としばしうんうん考えて、はっと気づく。考えてみれば、ローグがどんな気持ちでも、自分のやることは変わらないではないか。
 軽くなった心のまま笑顔を浮かべて、ハッサンはローグに告げた。
「なぁ、ローグ」
「なんだ、鶏頭脳筋ハゲ」
「ハゲじゃねぇっつってんだろ。……あのな、ローグ。お前が運命に逆らうっていうんならな、その時は俺も一緒だぜ」
 ぴくり、とローグの肩がわずかに震えるのが見えた。ちろりとこちらを見て、忌々しげに言葉を返すその顔は大きくしかめられている。
「なにをわけのわからんことを抜かしてやがる」
「運命だか宿命だかに逆らいたいっつってたのはお前だろ? それに俺も付き合うって言っただけじゃねぇか。もうお前は旅を途中で放り出すつもりも、俺たちを旅から追い出すつもりもねぇっつったしよ」
 ローグの眉根にびしびしっと深い皺が刻まれた。怒ってるのか苛ついているのか、それとも恥ずかしいだけなのか。ともかくハッサンはローグのそんな顔を気にもせず、あくまで笑顔を浮かべてローグと対峙する。
「貴様なんぞに付き合われても迷惑なだけだ。肉壁がいくらいようがまるで意味がねぇ話だってことくらい理解しやがれ」
「ま、そうかもしれねぇけどよ。それならそれで、俺にもなにかできることがあるだろうと思うしな」
「……貴様に一枚かませてやる理由がどこにある。これは俺が自分で見つけ、自分で決めたライフワークみたいなものだ。それに仲間が首を突っ込んでこられても、俺としては邪魔でしかねぇ。当たり前の話だろが」
「いや、けどさ……」
「そもそもだ、貴様は自分をどれだけ高く見積もってるんだ。俺の人生に好き好んで首を突っ込んで、なんの意味があると思ってる。俺にとってもお前にとっても、徒労でしかないだろがそんなもんは。そんなクソ面倒くさいことをやるだけの価値が、俺とお前の間のどこにある」
「そりゃ……」
 言いかけて、ハッサンは頭をぼりぼりと掻いた。なんというか、うまく言葉にならない。ハッサンの中では『自分はローグの相棒だから』の一言で済ませられる話なのだが、それでローグが納得してくれるとは思わない。なんというか、その言葉だけでは、ローグに逃げ場所を与えてしまうような気がするのだ。
「……そうだな。お前を言い負かせられるように、今度までにしっかり考えておくぜ」
「阿呆か。本気で抜かしているのか、貴様? お前の頭で、俺を言い負かせられるような言葉が思いつくと、本気で?」
「ああ、そりゃ当然だろ。だって本当のことだからな」
「……は?」
「俺が本気で本当に『価値がある』って思ってんだから、あとはそれが伝えられるような言葉になればいいだけだろ? 当たり前で、当然のことを、人にちゃんと伝わるように言やぁいいだけだ。どんなに頭の出来が違ったって言い負かせられるのが当然だ。だろ?」
「…………」
「さって、俺はもっかい宴会場に行ってこようかね。まだ腹には充分余裕があるしな。お前は? どうする?」
「……お前に見つけられた以上、一人でいると余計な心配をされそうな気がするからな。やむをえん、一緒に行くしかなさそうだ」
「なーんだよ、一緒に行きてぇなら素直にそう言えよ? お前だってホルスが偉そうなこと言ったら叱ってただろ?」
「誰が行きたいと言った。それ以上に不本意な状況から逃れるためやむを得ず仕方なくそうするっつってんだよ文脈ってもんを理解しやがれ。そもそも俺がホルスに言ったのは自分の分際をわきまえない発言をするなってことだ、俺は元からごく当たり前に偉いんだからこの程度分相応な発言だろが」
 などと言葉を交わしながらも、ハッサンの心は少しばかりうきうきした気分だった。ローグがどんなつもりでいるのかは知らないが、自分はローグのやろうとしていることを知り(具体的にどういうことをしようとしているのかはさっぱりわからないのだが)、どうするべきかという腹も改めて据わった。それに、もう少し時間が経ち、考えを薦められれば自分がローグを言い負かせるかもしれないことがわかったのだ。これまでさんざんにやっつけられてきた身としては、やはり少しばかり嬉しい。
 そんな気分だったので、ハッサンは気づかなかった。ローグが自分の背中をじっと見つめていることにも、ひどく苦しげな顔で、ぎゅっと拳を握り締めていることにも。

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