夢路〜バーバラ・1
 鏡の中に、あたしはいない。
 どっちを見ても、見えるのはきらきらと輝く鏡ばかり。誰が磨いてるのかわからないけど、水晶みたいにきれいな壁の鏡も、誰が流れを作ってるのか、壁際をゆっくりとたゆたう水鏡も、どっちも眩しいくらいきらめいて、光を反射して輝いている。
 でも、そのどちらの中にもあたしはいない。映らない。影も形も見当たらない。
 あたしの今の姿は、そのくらい頼りないものだった。自分の体を見下ろしてみても、見えるのは半分透けた、細い女の子の身体だけ。服は着てるけど、それも体もあたしの目にさえいっしょくたに透けて、向こう側が見えてしまう。
 そして他の人の目には、存在すら映らない。どれだけ叫んでも声もろくに届かない。それがあたし。名前は、バーバラ。
 あたしが知っていることはそれだけだった。あたしには、まともな記憶がない。覚えているのは、気づいたらいつの間にか街中を一人、この半透明の姿で歩いていた、その時からの記憶だけ。
 あたしは自分の生い立ちも、氏素性も、なんで自分がこんな姿になっているのかも、自分の顔すらまるで知らない。鏡に映らないあたしが、どんな顔をしているのか。
 じっと鏡を見つめる。自分の姿が映らない鏡、あたしの背後の光景しか映さない鏡を。きれいに磨かれた鏡はきらきら光ってすら見えたけど、あたしの顔も、体も、まるで映してはくれない。
 すっと手を伸ばし、こつんと指先で鏡をつつく。そこには確かに硬い感触がある。それがつまり、あたしが幽霊じゃない、って信じる根拠なんだけど。
 でも、それでも時々わからなくなることがある。この感触は、本当に本物? あたしは、本当にここにいるの?
 そんなことを聞きたくても、答えてくれる人は誰もいない。あたしが見える人は誰もいないから。あたしは他の人にとっては、夜明け前に見る夢みたいに、在ることすら定かじゃない存在だから。
 だからあたしは、いつも一人で、自分のいない鏡を見る。どこに行けばいいのかもわからないまま。なぜここにいるのかもわからないまま。あたしが存在しているのかすら、本当にはわからないまま。
 こつん、と鏡に額を当て、目を閉じる。訪れるのは暗闇。あたしどころか、どんなものも見えない空間。そこに、一人。なにもかもを呑み込む黒の中に、一人―――
「――おい」
 は、と反射的に目を開け、声のした方を向く。そこには人が立っていた。男の人が二人、女の人が一人。先頭に立っているのはまだ若い、たぶんあたしとそんなに変わらないぐらいの男の子で、きらきら輝く鎧と鉄の兜を着け、抜身の剣と竜をかたどった盾を持っていた。
 それがじっとこちらを見ている。すごく静かな、だけど落ち着いたっていうのとは少し違う、なんて言うか、哀しげな、そうじゃなかったら寂しげな目で。
 あたしがこれまで見たこともないような、すごくすごく哀しそうな目であたしを見て、淡々と言う。
「おい。大丈夫か」
 あたしはちょっとぽかんとしてその人を見つめた。その人はじっとあたしを見ている、ように見える。
 でも、これまでの経験からどうにも信じられなくて、あたしは反射的にばっと後ろを向く。そこにあるのは塔の壁だけだ。なんの変哲もない、普通の壁だけ。
 それからばっとその男の子の方を向く。その子はじっと、静かにあたしを見て返事を待っている、ように見える。あたしに、大丈夫か、と聞いてから、ずっと。
 あたしはちょっとぽかんとして、ぼうっとして、それからわぁっとお腹の底から喜びが湧いてきて、勢いよくその男の子に駆け寄り、叫んでしまった。
「えっ!? あたしが見えるの?」
「……ああ。当たり前だろが、見えない相手に人前で話しかける奴はかなりの少数派だ」
 男の子の表情が皮肉っぽい笑みに変わるのにもかまわず、あたしは男の子の剣を持った方の手を取ってぶんぶんと上下させる。本当に、抱きつきたいくらい嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「やっと見つけたわ! あたしの姿が見える人を!」
「ほう。よほど目の悪い奴らとばかりつきあってたんだな」
「っていうか、あたしのことみんな見えないみたいで話しかけても返事もなくて……。ホント、さみしかったわよ」
 しみじみと言ってから、ぐいっと男の子の首っ玉を引っ張ってあたしと一緒に鏡の前に立たせ、まくしたてる。失礼とか強引とか、そんなこと考えてる余裕なんてなかった。
 だって、あたしは人と話すなんてこと、本当に初めてだったんだから。少なくとも、意識を持ってからは、ずっとずっと一人だったんだから。
「ほらっ、鏡にもあたし映らないのよ。いやになっちゃうよね。でも、人の噂話くらいは聞けたから、この塔のこと、ラーの鏡のこと知ったんだ。ラーの鏡になら、あたし映るかもしれないって。それでここまで来たけど、この塔ややこしくて、もういやって感じよね」
「もういや、って……。お前、どうやって塔の中に入ったんだ? ここの入り口には鍵がかかってたし、鏡に化けた魔物だっていただろ」
 そう怪訝そうに聞いてくるのは、男の子の後ろに立っている男の人だった。装備は男の子と似たような感じだったけど、すっごい筋肉ムキムキで、あたしの二倍くらいあるんじゃないかってくらい背が高い。けどあたしは気にせず、大きな声で答えた。
「そんなことないよ! あたしが入ってきた時は鍵は普通に開いてたし、鏡に化けた魔物とかもいなかったもん」
「ふぅん……? 誰かが閉めたのかな……? それともなんかの仕掛けか?」
「でも、あなたたちに会えてよかったわ」
 あたしは満面の笑顔を彼らに向ける。先頭に立ってる男の子と、ムッキムキの男の人と、その後ろで微笑みながらこっちを見ているすごくきれいな金髪の女の人に。
「こんな風にあたしを見てくれる人がいるなんて、あたし考えたこともなかったのに! すっごく、すっごく嬉しいよ! ありがとうっ!」
「あら、うふふ。どういたしまして」
「や、礼を言われるほどのこたしてねーけどさ」
「まったくだ。俺たちは単にお前が見えるから話しかけただけだぞ?」
「ううん、すっごくすっごく嬉しいよ! あたしこれまでずっと一人だったんだもんっ、話しかけてくれてほんとに嬉しいっ!」
 にっこにこ笑いながらそう言うと、女の人はにこにこと微笑み返してくれて、男の人は苦笑しながら頭を掻いたけど、先頭の男の子は特に表情を変えず、どちらかというと仏頂面で肩をすくめた。
「そうか」
「うんっ!」
「……で、お前はこれからどうする気なんだ?」
「え?」
 一瞬あたしはぽかんとする。これから? これから先なんて、あたしは考えたことがなかった。なんにもすることがなく、行く場所もない中で、たまたま見つかったやることをこなすのに必死で。
 だけど、考えてみたら、目の前の人たちはあたしの姿を見ることができる。これってつまり、あたしの目的は半分以上達成された、ってことで。この人たちと、一緒にいることができるなら――
「……あなたたちは、どうするの?」
「……そうだな」
 男の子がちらり、と視線を天井の方へと投げかける。その瞬間、あたしは慌てて言っていた。
「あっ、あなたたち塔の上まで行くつもりでしょ。あたしもついていこうっと!」
「はぁ!?」
 ムキムキの男の人がすっとんきょうな声を上げる。だけどあたしはめげずにぎゅっと男の子の手を握って頭を下げた。
「ねぇねぇ、お願いっ! ついていってもいいでしょ!? 邪魔とかしないようにがんばるからっ! ねっ、お願いっ!」
 男の子は特に反応を返さなかったけど、あたしとしては必死だった。あたしを見てくれる、あたしと話をしてくれる人たち。あたしのことを知ってくれた人たち。そんな人たちとすぐ離れるなんて、絶対に嫌だ。
「……ずいぶん強引な奴だな。どうする、ローグ?」
 男の人が少し困ったように言う。ローグ。それがこの男の子の名前なんだろうか。
 あたしにじっと見つめられても、ローグはたじろぎも喜びもせずに、仏頂面のまんまじっとあたしを見返してくる。あたしも必死にその視線を見つめ返した。あたしは本気なんだって、あたしはあなたたちと一緒にいたいんだって思いっきり目で訴えた。ローグはてんでそっけないっていうか、あたしがすごくどうでもいいものみたいに無愛想な視線しか向けてこなかったけど。
 そんな風にしばらく見つめ合ってから、ローグは軽く肩をすくめて、さらっと言った。
「いいぞ。ついて来い」
 あたしは一瞬ぽかんとしてから、思わず大声を出してしまっていた。
「ええっ!? い、いいのっ!?」
「お願いっつったのはお前だろが。いまさらためらってどうするってんだ。ま、今からやーめた、っつーんならそれはそれで考えないでも」
「ううんっ! やめない、絶対やめないっ! ついていく、ついていかせてっ!」
 あたしはぶんぶん頭を振る。ローグは「よし」とかやっぱりあっさりした顔と声で言ってのける。ムキムキの男の人は「だろうな。お前ならそう答えると思ったよ」とか苦笑してるし、女の人は「こんなところに、一人置き去りにはできないわ。とにかく、連れていきましょう」とうなずいている。
 つまり、あたしと一緒にいてくれる、ってことで。これって本当のことなんだろうか、こんなにあっさり話がうまくいっちゃっていいんだろうか。あんな風に、すごくあっさり、適当な感じにうなずいてくれちゃって、本当にいいと思ってくれてるんだろうか。
 あたしはじっ、とローグを見つめたけど、ローグの仏頂面は変わらない。ただ軽く肩をすくめてみせるだけ。ううう、もうちょっとなんかリアクション返してくれても、と思わずしょげそうになるそっけなさだったけど、あたしはあることに気づいてはっとした。
「あっ、そうだ! 大事なことを聞き忘れてたわ! ねえ、あなたたち、どうしてあたしの姿が見えるの!?」
『…………』
 三人が目を瞬かせるのにかまわず、あたしは勢いのままにまくしたてる。
「だって、あなたたちの他にあたしの姿が見える人なんていなかったもん! あなたたち、なにか、特別なことしたり、特別なもの持ってたりするんでしょ!?」
「どうして……って、なぁ」
「確かに、特別といえば特別なのかもしれないけれど……」
「……ねえ、もしかして、あたしが見えたってことは、あなたたちもあたしと同じなんじゃない?」
 思いついた、あたし的にはもうものすごい大発見をおそるおそる口にすると、男の人も女の人もはっとした。ローグは仏頂面をこれっぽっちも崩さなかったけど。
「なのに鏡に映るってことは……ねえねえ、教えてよ! あたしの姿も、そういう風にできるんでしょ!?」
「――こういう風になりたいのか」
 無愛想な口調で、ぶっきらぼうに問いかけてくるローグに、あたしは大きくうなずいた。ぜんぜん、少しも、それこそ一瞬も迷わずに。
「うんっ! あたしも鏡に映ったり、人に見えたりするようになりたい!」
 そう力を込めて言うと、ローグはは、とため息をついた。なんていうか、むなしげっていうか、しょうもなげっていうか、一番近い言葉で言うと、なにかをあきらめたみたいに。
「……いいか? ミレーユ」
「ええ。おばあちゃんも、こういう時のためにしずくを分けてくれたんだと思うわ」
「え? ……え?」
「動くなよ」
 小さく、だけど鋭く言って、ローグは背負っていた袋の中から小さな、たぶんガラス製なんだけどすごくきらきら光っている瓶を取り出した。きゅっと音を立てて花のような房飾りのついた栓を取り外し、あたしをじっと、これまでとはまるで違う……なんていうか、ものすごい気合を込めた顔で見つめる。
 そして、さっとあたしに向け、その瓶の中身を振りかける――や。
「……えっ!」
 あたしの周りが、突然輝きだした。星の光が何百個も集まったみたいにキラキラと。その光があたしを包んで、卵が割れるのを逆回しにしたみたいに、あたしの中にすうっと吸い込まれて――
 あたしの身体に、色がついていた。数瞬ぽかんとしてから、思わず大声で叫ぶ。
「えっ! 今なにをしたの? あたしの身体、透明じゃなくなったよっ!」
「や、それはな……」
「『見えるようになれ』と念じながら夢見のしずくというものをかけただけだ。そうするとさっきまでのお前のように、普通の人間には見えない姿をした奴はだいたい見えるようになる」
「そうなのっ!? こんなことできるなら、あたしわざわざ鏡なんか探しにこなくてもよかったんだ」
「お前、そういう説明で納得すんのか……」
「でも、まあいいか。おかげであなたたちに会えたわけだし」
 にこっと笑ってからはっとして、あたしはローグたちに向け声を上げた。
「あっ! まだあたしの名前を言ってなかったね」
「……俺たちもまだ自己紹介もしてないが」
「あはは、そうだね。あたしはね、バーバラっていうの」
 あたしが満面の笑顔で言うと、ローグは一瞬だけどちょっと苦笑するような顔になってから、すぐふっ、と(これから何度も何度も見ることになる)自信に満ちたっていうか、高飛車っていうか、とにかくものすっごく偉そうな笑みを浮かべて、からかうように言葉を返した。
「自己紹介はありがたいが、その前に自分の姿を見てからにした方がよかったな」
「え?」
「そんな風に鼻の穴をおっぴろげると、でかい鼻くそがついてるのが丸見えだぞ?」
「え? え? ええっ!?」
 あたしはばっと鼻を押さえかけ、たんだけどその前にローグがしれっと言う。
「――というのは嘘なんだが」
「……え? え……えええぇぇっ!?」
「ま、そういう嘘に騙されないようにこれからは鏡をちょくちょくのぞくことだな。せっかくそんな風に顔に似合った笑顔が浮かべられるんだ、身だしなみに気をつけるのは人として最低限の義務だぞ?」
 くっく、と笑いながら、ローグはこちらを見て、にやりとやっぱりものすごく偉そうに笑って、続けた。
「改めて名乗るぞ。俺はローグ。よろしくな、バーバラ」
「………、…………!」
 あたしはもう真っ赤になってしまって、この怒りというか腹立ちというかムカつきというかをどう表したらいいか数秒悶絶し、それから「ばかーっ!」と怒鳴って平手打ちを喰らわそうとしたんだけど、ローグはあっさり受け止めて笑ってみせたので、あたしはひたすら地団駄を踏むしかなかったのだった。

「ねぇ……ハッサン」
 魔物との戦いが終わって(あたしが塔の中をうろついてた時はそんなの全然出なかったのに、ローグたちと一緒に歩いているといろんな魔物がぱかぱか出てくるのだ)、みんなが少し休憩しながら(あたしは魔物との戦いになった時はすぐ離れてるんだけど。ローグがそうしろって言うから)水を飲んだり干し肉を噛んだりしてる時、あたしはこっそりハッサンに話しかけた。これまでのやり取りで、ローグと一番親しく口を利きあってるのはハッサンだってわかってたし、ハッサンがすごく気さくで親切な人だっていうのもわかってからだ(ミレーユもそうだけど、いろいろ話しかけてきてくれるし、気遣ってもくれる)。
「ん? なんだよ、バーバラ」
「あたしってさ……ローグに、嫌われてるのかな?」
「はぁ? なんで?」
「だってさ……初対面で、いきなり、あんなこと」
「ああ……」
 ハッサンは納得したようにうなずいたけど、すぐに不思議そうに首を傾げてみせた。
「なんで、そんだけで嫌われてるってことになるんだ?」
「え……えー? だって、初対面であんな、鼻くそついてるとかいう嘘言うんだよ? 女の子相手に」
「ああ、まぁなぁ。俺も女の子相手に言う台詞じゃねぇだろ、とは思うんだけどよ」
 あたしの言葉にうなずきながらも、ハッサンは首を傾げ、眉を寄せて考えるような顔をする。
「俺としちゃ、ローグはお前さんのこと、かなり気に入ったんじゃねぇかって思うんだけどな」
「……は!?」
「いやだってよ、俺なんかひどかったんだぜぇ? せっかくフレンドリーに話しかけたってのによ、『スープで顔洗って出直してこいボケ』だぜぇ? 一緒にファルシオン……あの時はまだ暴れ馬だったけど、そいつを探しに行こうって提案してるだけなのに、『脳味噌腐れてんのか』だの『暑苦しいマッチョモヒカン』だの。他にも脳味噌ゾンビ男だの無駄筋肉ハゲだの、そりゃもー初対面の相手にむっちゃくちゃ言うったらなかったもんな。まぁ、なんとか頼み込んでついてったけどよ」
「う、うわー……そ、そりゃひどいね……なんでそこまで言われて一緒に行こうって思ったの?」
「へ? んー、まぁ一度決めたことだし、腹立つ奴だとは思ったけど信用できねぇ奴とは思わなかったし……ま、言ってみりゃなんとなくかな」
「なんとなく、なんだ」
「ああ。で、これもなんとなくだけど、ローグはお前さんのこと、かなり気に入ってると思うんだよな」
「え……えー? なんで?」
「だからなんとなくだって。けど、少なくとも嫌ってはいねぇよ、絶対。基本あいつ女には優しいけどよ、嫌ってる相手へのあいつの態度っつったら、絶対零度とかいうレベルじゃねぇからな。女だろうがなんだろうが関係なしに。普通の人間だったら絶対耐えられねぇってくらいだかんな」
「う、うー……そうなのかなぁ」
「俺はそう思うぜ。ま、疑問に思うんだったら直接聞いてみたらどうだ?」
「え、えぇっ?」
 それは、確かに、そうだとは思う、んだけど。
「なにを話してるんだ?」
「わひぇいっ!?」
 唐突に後ろからかけられた声に、あたしは反射的に飛び上がって、それからおそるおそる後ろを向いた。そこにはやっぱり予想通り、ローグが意地悪そ〜な笑みを浮かべながら立っている。
「えと、あの、大したことじゃないんだけどっ」
「バーバラが、お前に嫌われてるんじゃないかって心配してんだよ。お前、相手は女の子なんだからもーちょいわかりやすく優しくしてやれよなー」
「ちょ、ちょっ……ハッサンってばっ!」
 あたしが叫ぶのなんててんで無視して、ローグはくくっと喉の奥で笑い、あたしの方に近寄ってくる。あたしは思わず後ずさりかけたけど、ローグは気にした風もなくあたしの間近に立って笑顔であたしを見下ろした。
「俺にどう思われているかがそんなに気になるのか?」
「え、と、別に、そういうわけじゃ、ない、けど」
「隠すことはない。俺に気を惹かれるのはお前に限らず、老若男女誰だろうとしごくよくあることだからな」
「は……はぁ!?」
「いつものことだが、俺の風采と美貌と男らしさには我ながら罪悪感さえ覚えるな。また一人うら若き乙女を虜にしてしまったか。まったく罪深いことこの上ない」
「ちょ……な、なに言ってんの!? じ、自意識過剰すぎっ」
「まったくだ。こんなことを素面で真面目に言う男がいたら俺はそいつを即グーで殴るな。いや酒が入ってたとしても一発や二発殴りたい。今でさえ言った俺自身口が痒くてしょうがないってのに」
「え……は?」
「冗談だ、ってことだ。俺としてはどんな風に突っ込まれるか待ってたんだが、グーじゃなく言葉だけでとは、もしかしてバーバラ、お前相当大人しい女の子なのか?」
 こーいうことを、にっこりと、優しい笑顔で言ってのける――そんなローグにあたしはまたもぷっつんと切れて、「ばかーっ! 意地悪ーっ!」と言って今度はグーで殴りかかったんだけど、ローグはまたもあっさり受け止めてしまう。
「お、少しは元気が出てきたらしいな。やっぱりお前にはそういう顔の方が似合ってるぞ?」
「なにそれっ、あたしには怒ってる顔がお似合いってこと!?」
「元気な表情の方がいい、ってことだ。最初見た時のお前の元気のない顔の似合わなさっぷりったらなかったからな」
「な……え」
「ああそれからな、俺は元気な女の子を嫌うほど、悪趣味でも唐変木でもないぞ」
 にっと笑ってそれだけ言って、ローグはミレーユの方に顔を向けてしまう。
「さて、ミレーユ、そろそろ行くか。たぶんだが、この塔の反対側には、さっきと同じように鏡に映らなくなったら割れてしまう水晶玉かなにかがあると思う」
「お、自信ありげだな。なんか手がかりでも見つけたのか?」
「口をはさむ前に少しは頭を働かせろ鶏ハゲ。最初にこの塔を見た時に気づかなかったのか、土台の上に築かれた二つの塔から二つずつ妙な光線が出ている先に部屋が宙吊りになっているんだぞ? 普通に考えて四方の仕掛けを解くなりなんなりすればその部屋が下りてくる道理だろが。まぁ同じ仕掛けかどうかは知らんが、普通なら鏡に絡めた仕掛けになってるだろうし、手持ちの材料で解けない仕掛けでもないだろうよ」
「あー、なるほどなー。っつかお前本っ当に俺にだけはいちいち悪口言うのな……」
「相手にふさわしい口の利き方をしているだけだ、それが嫌なら少しは悪賢くなってみろモヒカンマッチョ」
「ふふ、二人とも、少しはしゃぎすぎよ。ここは魔物の出てくる塔の中で、守らなきゃならない女の子もいるんだから。ねぇ、バーバラ?」
「えっ! い、いいよそんな、あたし別にわざわざ守ってもらうような女の子じゃないし……」
「いや、普通に守らなきゃなんねぇ子だろう。なあ、ローグ?」
「そうだな。戦う術を持たない女の子なんだから、問答無用で保護対象だ」
 二人揃って真剣にうなずかれ、あたしは気圧されて「そう……かなぁ」と言いながらも言い返せなかった。あたしが戦い方をまるで知らない、っていうか姿が見えるようになっても自分が戦う方法を知っているかどうかも思い出せない、そんな女の子なのは確かだったからだ。
 三人がまた武器を構え、隊列を組みはじめる後ろで、あたしはこっそり塔に備えつけられた鏡をのぞきこむ。オレンジがかった赤い髪の毛を上の方で束ねた、少し陽に焼けた肌の女の子。瞳は紫で、勝気そうな吊り目で、唇も心なしか吊り上っていて、両耳には銀色のイヤリングがつけてある。
 これがあたしの顔。の、はずなんだけど、ぜんぜん実感がわかない。自分の顔が見られたら、昔の記憶を思い出すきっかけになるんじゃないかって期待もしたんだけど、ぜんぜん思い出せなくて、あたしの記憶は真っ白のまんま。もしかしたらまた前とおんなじように消えちゃうんじゃないかって、頼りない感じしかしない。
 なのに、ローグは、あたしのこの顔を見て『元気な顔の方が似合ってる』って思ったのか。……へんなの。あたし、そんなに言われるほど、元気だった覚えなんてないのに。
 それなのに、ローグは、元気な女の子は嫌いじゃない、ってあたしの方を見て、言って、笑って。
 なんだかものすごく恥ずかしくなってきて、あたしはかーっと顔を赤くしながらぶんぶん手を振った。なに考えてんのあたし、変、ぜったい変! あんなことフツーの顔して言えるんだから、ローグって絶対女ったらしで、他のいろんな子におんなじようなこと言って回ってるに決まってるし、あたしのことだってからかってるに決まってるんだから!
「おい、バーバラ。なにしてる、行くぞ」
「わっ、わかってる、ってばっ」
 まだ熱い顔をぶんぶん振って隊列の最後尾につくと、ローグは「よし」と笑って先を進み始める。
 ――そして、魔物が出るや「離れろ、バーバラ!」と叫んで剣を振り上げて斬り込んでいくんだ。そして戦いが終わると、傷ついた仲間に手当てをしつつ、「バーバラ、怪我はないか」って真剣な顔で聞いてくる。あたしが大丈夫だって言うと、「ならいいが、少しでも怪我をしたらすぐに言えよ」とか言って、そのついでに「女の子に怪我をさせでもしたら俺が死刑になるからな」とかなんとかちょっとあたしをからかって、また先頭に立って進み始めるんだ。
 ……ほんとに、なんていうか……へんな、奴。
 あたしはそんなことを考えながら、みんなのあとをついて歩いた。

「あったわっ! これがラーの鏡よね!」
 あたしは仕掛けが解除され、塔の中央部分に落ちてきた部屋に入るや、声を弾ませて言った。そこには大きくて装飾も磨かれ具合もきれいな鏡が、いかにも宝物! って感じに据えられてあったからだ。
 あたしはみんなの後ろからたたっと鏡の前に出て、じっと見つめる。そこにはあたしの姿が映っていた。他の鏡とおんなじように、赤毛で紫の瞳の、知らない顔の女の子。
「すごーい! 思った以上にきれいだわ」
 そんなことを言いながらも、あたしは『どうしよう、どうすればいいんだろう』とぐるぐる考えていた。あたしはこれから、どうすればいいんだろう?
 ラーの鏡を見るっていう最初の目的は果たせてしまった。というか、あたしはもう鏡にも、他の人の目にも映るようになってるんだから、あたしが意識を取り戻してからずっとのしかかっていた誰にも見えないっていう状態は解除されちゃってる。だから、つまり。
 あたしはこれからどうすればいいか、っていう目的みたいなものが、なんにもない。
 眩しいくらいに輝く鏡を見つめながら、ぐるぐる悩んで、考える。どうしよう。なにかをする当てもない現在の状態で、あたしはどこへ行って、なにをすればいいんだろう。
 ――本当は、全然当てがないってわけじゃ、ない、けど。
 鏡に映っている、あたしの後ろからじっとこちらを見ている人たちを見つめる。ローグ、ハッサン、ミレーユの三人を。
 塔の中を歩きながらつれづれに聞いた話だと、彼らはラーの鏡を見つけて、上の世界のレイドック城に持っていき、そこの王さまに渡して魔王ムドーってやつを倒すつもりらしい。魔王ムドーっていうのは、こっち――下の世界にもいる、世界征服を企んでいる魔物たちの王なんだとか。
 なんていうか、とにかくあたしを見てほしい、この世にあたし一人しかいないみたいな状態をなんとかしたい、って気持ちだけでここまで来たあたしには、話が大きすぎてよくわかんないんだけど。そもそも上の世界ってなに? って話なんだけど。
 そんなあたしにも、ローグたちは根気よくいろいろ説明してくれた。自分たちはレイドック城の兵士として、ラーの鏡を探すための旅をしてきて、その途中で大地に大穴が開いているところを見つけ、その下には自分たちの住んでいる世界と同じように大地が広がっているのを発見したこと。以前ローグが一度落ちたことがあるというそこは、幻の大地とローグたちの住んでいる世界では呼ばれていたこと。
 そこに飛び込んだら、姿がさっきまでのあたしみたいに半透明になっちゃって誰にも見えなかったこと。そこを救ってくれたのがミレーユと、グランマーズっていう夢占い師のおばあちゃんだってこと。ミレーユも目的があって、一緒に旅をすることになったこと。定期船で海を渡り、レイドック城からアモールという街に向かって、そこの北の洞窟で月鏡の塔――この塔に入るための鍵を手に入れ、そこのラーの鏡があるはずと考えてやってきたこと。
 どれも突拍子がなさすぎて、普通なら信じられない話だけど、ずっと半透明の姿のまま過ごしてきたあたしにはすっと頭に馴染んだ。そういうこともあるんだろうなって思ったし、これまでそんな風にすごい旅をしてきたみんなに尊敬の気持ちも湧いた。
 だから、っていうわけじゃないけど。あたしは、彼らと一緒にいることができたらな、と一緒に塔の中を歩きながら思っていた。
 みんなと一緒に旅をすることができたなら。ハッサンが語ってくれたみたいに、力を合わせて強い魔物を倒して、やったねと手を打ち合わせることができたら。ミレーユが聞かせてくれたみたいに、星空を仰ぎ見ながら、みんなと笑って温かいスープをすすることができたら。……ローグがからかい混じりに言ってたみたいに、足にマメを作りながら、照りつける日差しに汗を流しながらでも、みんなと一緒に目的地へ向けて歩いていくことができたなら。そんな風に。
 だって、あたしにとって、みんなは生まれて初めて話した人たちなんだから。生まれて初めてあたしのことを見つけて、話しかけて、笑いあってくれた人たちなんだから。
 ……ローグは、意地悪だし、なに考えてるかとか、全然わからないけど。でも、あたしのことをいちいち気遣ってくれて、話しかけてくれて。……守って、くれて。
 そんな人たちと離れたいなんて、思えるわけない。――けど。
「さて……と。ラーの鏡も見たことだし、あたしはこれで」
 あたしは笑顔でくるっと振り向いて、ローグたちの横を通り抜けていく。ハッサンが「おい……」となにか言いかけたけど、聞こえないふりで通りすぎた。
 だってあたしは、邪魔になっちゃうから。みんなは本当に、魔王を倒そうと考えてる、すごいパーティなんだから。
 あたしには戦う力がない。っていうか、戦う力があったのかどうか、姿が見えるようになっても全然思い出せない。この塔の中で、あたしはみんなが魔物と斬り合い、呪文をぶつけ合うのを、遠くから見ているしかできなかった。怖がるとか、逃げ出すとかみたいに、みんなの戦いの邪魔はしなかったと思うけど、なんにも役に立つことができなかった。
 それが、すごく、悔しいし……わがままだけど、寂しかったし……なにより、これからずっとみんなの邪魔っていうか、足手まといっていうか、そういうのやりながら一緒に行くっていうのなんて、すっごくすっごく申し訳なさすぎるって思ったんだ。
 だから、あたしはここでお別れ。みんなと一緒に行くことはできない。嫌だけど、寂しいけど、ここでさよならするしかない。
 ぐっと奥歯を噛みしめて、泣きそうなのを我慢して、部屋の外へと向かおうとする――と。
「……バーバラ」
「え」
 反射的に振り向いてしまった。それはローグの声だった。だけど、これまでずっとあたしをからかってきたローグだとは思えないくらい、静かな響きの声だった。
 寂しげ。哀しげ。優しげ。切なげ。やるせなさ、みたいな感じも入ってたと思う。悔しいような、悲しいような、どうしようもない気持ちを抑えて抑えて、つい堪えきれずぽろっと漏れちゃった、みたいな、すごく、たまんない感じの――
 振り返ると、ローグが見えた。ハッサンとミレーユの前から、くるりと振り向いて、こちらを見ている、初めて会ってすぐの時みたいな、静かすぎて無愛想っていうか、無表情な感じのローグ。
 それが、ラーの鏡を背にして、あたしを見つめている。ローグが、ローグを瞳に移したあたしが、ラーの鏡に映っている――
 ――とたん、光が見えた。

 ――ごめんね。あたし、行けないよ。

 ――これからまた旅が始まるんだよね!

 ――すごいすごい! 島が動いてるよ!

 ――うわぁ……すごい。海って、ほんとに、きれいだね。

 ――あたしたち、飛んでる! 飛んでるよ! うわぁ……!

 ――そんなの、あたし、覚えてない……。

 ――あたし……ローグに、なにか、できること、ある?

 ――う、うんっ! がんばるっ!

 ――こんなことするやつ……絶対、許せない……!

 ――ローグ。ローグは………

 ――――あたしのこと、覚えててくれる?――――

「と思ったけど、あたしこれからどうしたらいいのかしら?」
「は?」
 振り向いて言うと、ハッサンがぽかんとしたような声を出す。あたしは気にせず、みんなの方を見ながら少しうんうんと考え込んだ。
「う〜ん……。見たところ、あなたたち悪い人じゃなさそうよね。そうね、しばらくはあなたたちについて行くことにするわ。いいでしょ?」
「はぁ!?」
 にこっと笑って言うと、ハッサンが仰天したような声を出し、あたしとローグを見比べた。
「ついて行く、ったってなぁ……。魔物としじゅう戦ってるような旅だぜ? 女の子を連れてくわけにゃあ……」
「あ、あたし魔物との戦い方なら少しは知ってるよっ! ほらほら、茨の鞭。鞭の扱いにかけたら、あたしちょっとしたもんなんだから」
 スカートの中から鞭を取り出してみせると、ハッサンはぶほっと噴いた。きょとんとするあたしから微妙に顔を逸らしつつ、頬を赤くしながらぶつぶつと言う。
「む、鞭ったってなぁ、女の子の細腕じゃそんな、魔物とガチンコなんぞ……」
「あ、それだけじゃないよ。呪文もちょっと使えるんだっ。えっとね、メラと、ラリホーと、マヌーサと、ルカニ! 魔法力もけっこうあるから、メラだけなら三十発以上撃てるよ!」
「は……?」
「まぁ、すごいわね。たぶんバーバラの魔法力って、今の私よりあるんじゃないかしら?」
「はぁ!?」
「ねっねっ、すごいでしょっ。だからお願い、連れてって! あたし、役に立つよう頑張るからっ」
 あたしはにっこーっと満面の笑顔になって、ローグたちの方を見つめる。ハッサンがやれやれ、と肩をすくめ、ローグの方を見つめる。
「ずいぶん強引な奴だな……。まっ、俺も人のことは言えないけどな。どうする、ローグ。この娘を連れてゆくかい?」
 ローグはじっとあたしの方を、さっきみたいなすごく静かな表情で見つめてたんだけど、ハッサンに言われてやれやれとか言いたそうに肩をすくめてみせた。
「ここまで言われてすげなく断るほど、俺は男を捨ててるように見えるのか?」
「え、えっと、つまり?」
「改めてこれからもよろしく、ってことだ。バーバラ」
 あたしの方を見てにっと笑って言ってくれたので、あたしは嬉しくて嬉しくて、ぱぁーっと頭の中にお陽さまが昇ったみたいな気持ちになって、超満面の笑顔で応える。
「そうこなくっちゃ! 今日からはあたしも仲間よ。よろしくねっ」
「ああ、よろしく」
 たたっと駆け寄って、手を握ってぶんぶん振る。ハッサンの手も、ミレーユの手も。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「やったあ……! あたし、もう一人じゃないんだね!」
 にっこにこと言うと、ローグは一瞬、すごく静かな瞳であたしを見つめてから、にやりと笑って言ってみせた。
「そういうことだな。覚悟しろよ、これからは一人になりたい時でもそうそうなれねぇぞ? 一緒に旅なんぞしてたらプライバシーなんぞあってなきがごとしだからな」
「え! そうなのっ、じゃあトイレとか行く時も!?」
「……さすがにトイレは一人だけどな」
「そうなんだ、よかったぁ……」
「うふふ……可愛い仲間が増えて、よかったわね、ローグ」
「み、ミレーユ、あたしそんなに可愛くないよっ」
「そんなことないわ、とっても可愛いわよ。これからよろしくね、バーバラ」
「うん、よろしくっ!」
「やれやれ……ったく、また面倒しょい込みやがって、お前は」
「ほう? バーバラ、ハッサンがこんなことを言ってるぞ」
「あーっ、なにそれ、ハッサンの意地悪! そんなにマッチョなのに男らしくないよっ」
「あーはいはい、わかった、悪かったって」
 ハッサンは苦笑してあたしの頭をぽんぽんと軽く叩いて、それからくるりとラーの鏡の方に向き直る。
「……まぁ、ちょっとナマイキそうだが、まあ仲間も増えたことだし……ローグ! いよいよラーの鏡とご対面だな!! よっしゃ! 気を引き締めていくぜ!」
 その言葉に、あたしも慌ててミレーユの後ろに回り、隊列を組んでラーの鏡に向き直る。ローグたちと一緒に行くって言ったんだから、あたしはもちろんローグたちと一緒に上の世界へ行って、上のレイドック城の王さまにラーの鏡を渡して、魔王ムドーを戦うつもりだった。だからここは気合を入れなくっちゃ。
 ……さっきの光がなんだったのかは、まだよくわからないけど。
 あたしたちがラーの鏡に映った、と思ったらばーっと心の中に流れ込んできたいろんな気持ちや、感じや、たまらなく眩しいいろいろなもの。それを浴びたら、あたしには魔物と戦う力があるんだって、ローグたちの役に立てる力があるんだって、当たり前のように思い出す……っていうか、当然のことみたいに知っていた=B
 あたしの記憶はまださっぱり戻らないし、この先どうなるかも保証があるわけじゃない。けど、あたしはなんだかそれが当たり前のことみたいに安心していた。
 もう大丈夫。あたしは一人じゃない。この先どんなことがあっても、あたしたちは一緒だって思えたから。
 ラーの鏡をローグが取り上げて、あたしたちの方へと振り返る。あたしの興味シンシンな視線を受けて、ちょっとにやっと笑うのに、あたしはにっかーっと満面の笑顔でVサインを出していた。
 ――これからはもう、あたしは、一人じゃない。そんな確信があたしの心に柱を通して、元気が溢れてたまらなかった。

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