胡蝶の夢〜バーバラ・2
「わあっ! 可愛いお家があるね! あそこがグランマーズさんの家?」
「ああ。公式名称は『グランマーズの館』だ」
「こうしきめいしょう……なんかそれ、カッコいいね!」
「お前は少しでもややこしい字を使われるとカッコいいと思うのか? まぁどんなものにもいいところを見いだせるというのはある意味貴重な美点には違いないが」
「もーっ、ローグはすぐそういう風に言うんだからっ」
 あたしはぷーっとむくれながらも、軽くスキップとかしつつ森の中の小道を進む。こういう風に、森の中を歩くのって初めてだから、ほんの短い距離でもあたしはけっこうわくわくしちゃってたんだ。なにせ、ここに来るまではずっとルーラで飛んでは街の中を歩く、っていうのの繰り返しだったもん。
 月鏡の塔を出て、じゃあレイドック王……ローグたちのいた世界の方の王さまにラーの鏡を渡しに行こう! って盛り上がった時に、ローグがいきなり「これまでに行った街を一回りするぞ」って言い出した時は、あたしだけじゃなくてハッサンたちもびっくりしてた。「王さまから頼まれたこと放り出してなにしようってんだよ!」と怒鳴るハッサンに、ローグはまったく動揺しないで、「少しはその九割が筋肉でできてそうな脳味噌を働かせてみたらどうだ」とか偉そうに言い返してたっけ。
「曲がりなりにも一緒に旅をする以上、バーバラの装備をきっちり整えるのは当然だろう。そのためには、あちこちの街の店やら宝物の隠し場所やらを巡って、ベストな装備はどんなものかチェックする必要があるんだよ」
「え!? だ、大丈夫だよっ、あたしこの装備でちゃんと戦えるよっ?」
「阿呆。お前がよくてもこっちが大丈夫じゃねぇんだよ。お前の今の守備力どんくらいかわかってんのか、俺たちはおろかミレーユの半分もねぇんだぞ。そんなもん放置してたら俺たちが平然としてる時にお前だけ死亡ってことにもなりかねないだろが。一緒に旅しようってんなら戦力だのなんだのは抜きに、防具は全員きっちりいいもんを揃える! これは鉄則だ、覚えとけ」
「は、はーい……」
 そんな風になんかすごくきっぱり言われちゃったので、あたしもハッサンたちも言い返せなくてローグのルーラでサンマリーノやレイドックやトルッカやアモールの街を回ることになったんだけど、あたしとしては実はけっこう嬉しかった。ここでこんなことがあったんだぜーとか教えてもらったり、行き会った人とちょっと話したりその人の言ったことについてあれこれ喋ったり、そういうのがなくても街をみんなと歩けるっていうのだけですごく楽しかったもん。
 あたしはレイドックには行ったことあるんだけど、他の街は行ったことなかったし、もちろんそこでローグたちがなにをしたかとかも知らなかったから、街を歩きながらいろいろ教えてもらったり、生まれて初めて海を見たり、カジノでちょっと遊んでみたりってすごく楽しかった。ジョセフさんとメラニィさんって人が一緒に暮らせるようになったいきさつとか聞いて感心したりしたし、ハッサンのことを息子だっていうおじさんとおばさんと会ってびっくりしたりなんかしんみりしたり(あたし、ホントにあの人たちハッサンのお父さんとお母さんじゃないかって思うんだよね、だってあんなに寂しそうだったんだもん)、トルッカの町長さんの娘さんの誘拐事件やその後のあれこれに関わることになったり、アモールでローグたちが助けたっていうジーナおばあちゃんとイリアおじいちゃんと話したり。そういういろんな人と関わるのも……今までやったことないからっていうのもあるかもしれないけど。
 ……あ、もちろん、あたしに合った装備探しもちゃんとやったけどね。ただあたしの体形に合って動きやすい防具ってあんまりなくって、結局鉄の胸当てと、あとはアモールで武器をチェーンクロスに替えたぐらいだったけど。あとは……うさみみバンドくらい?
「なんかここに来るのも、久しぶりな感じだぜ」
「おばあちゃん、元気にしてるかしら」
「ハッサンもミレーユも、なんか懐かしそうだね!」
 ちょっと嬉しそうな二人に、あたしもなんだか嬉しくなって言うと、ハッサンはちょっときょとんとして、ミレーユはくすりと笑った。
「へ? そうか? いや、そりゃミレーユが懐かしそうだってのはわかるけどよ。俺たちに会うまでずっと世話になってたんだし」
「ふふ、そうね。懐かしいかどうかと聞かれたらとても懐かしいけど……それを別にしても、ここはとても居心地がいいから。おばあちゃんの人柄のせいかもしれないけれどね。だから、ハッサンもここを懐かしがってくれたのだったら、とても嬉しいわ」
「や……そりゃ、俺も居心地が悪いたぁ言わねぇけどよ……」
「この鶏モヒカンが……たわけるのもいい加減にしておけよ? 女にそんなことを言われたんだとしたら、嫌でも死んでも『懐かしいよ』と言うのが当然だろが!」
「お前と一緒にすんなっての! 俺が言っても似合わねぇだろうがよ、そんなん」
「えー、そう? あたしけっこうハッサンが言うのもカッコいいと思うよ。面白いし」
「だぁから、バーバラ、お前はそーいう風になんでもかんでも面白がるなっつぅの!」
 ハッサンが軽くあたしを殴る真似をする。ミレーユがそれを見てくすくす笑う。あたしもえへへーと照れ笑いをして、ローグは呆れた顔をして偉そうに、でも目の色はちょっと楽しそうに肩をすくめる。
 あたしはそんな風にみんなと一緒に歩くのが、この旅が楽しくてしょうがなかったから、気がつかないうちに、そういう日々がこれからずっと続くに違いない、なんて思ってたんだ。

「おや、よく来たね、ローグ。お前さんたちが来るのはわかってたから、今日は客を取らずに待っとったよ」
 そう言ったおばあちゃんは、すごく不思議な雰囲気を持ってる人だった。ちょっと見ただけだとちっちゃなおばあちゃん、っていう風にしか見えないんだけど、おっきな水晶玉の前にちょこんと座ってる仕草とか、いかにも占い師、みたいな神秘的な感じの服とか見てるとなんていうか、魔女みたいな妖しい印象を受ける――のに、眼鏡の奥の瞳は、なんていうかすごくきれいっていうか、世の中の一番きれいなものを見てきたみたいに澄んでる、そんなすごく不思議な。
「ご無沙汰しています。お元気そうでなによりです」
「おかげさまでね。お帰り、ミレーユ」
「ただいま、おばあちゃん」
 ミレーユに優しげな声をかける、その様子を見てるとほんとにミレーユの優しいおばあちゃん、って感じがするのになー……とか思ってたあたしは、ふいに自分の方を向かれてびっくりした。
「それに、そっちのちっちゃいのは新しい仲間だね。そうかい、バーバラって名かい」
 あたしは思いっきりびっくりして、目をぱちぱちとさせてしまった。
「え? どうして? まだなにも言ってないのにあたしの名前当てたよ」
「ほっほっほっ。わしは夢占い師。そのくらい朝飯前じゃよ」
「うわー……おばあちゃんって、すごいんだねぇー……」
「ほっほっほっ、当然だろう? だてに夢占い師として看板を掲げちゃいないよ。それで旅の調子はどうだい?」
「はい、とりあえずの目的は達しました」
「ほう、ラーの鏡を手に入れたのかい。それはさぞかし大変だったろうね」
「まったくだぜ、ばあさん! あんたも夢占い師なら、ラーの鏡の見つけ方くらいパパッとわからなかったのかよ」
「ひゃーっひゃっひゃっ。お前さんのクチの悪さはまだ直っとらんようじゃな。まあ、今日のところはここでゆっくりおやすみ。話はまた明日にしよう」
「へ? 話って……なんか言いたいことでもあるのかよ、ばあさん」
「まぁ、それなりにね。お前さんたちも、聞きたい話があるからわざわざわしのところに来たんだろう?」
「へ? や、それは、ローグが『次はグランマーズの館だ』とか言うから……」
「あそっか、考えてみたらここは占い師さんのお家なんだから、武器とか防具とか手に入らないよね? なんでここに来たの? あたしはおばあちゃんに会えたから嬉しいけど」
「ほっほっほっ、可愛いことを言うてくれるじゃないか。ま、お前さんにはまだぴんとこないかもしれんがね……お前さんたちには、聞くべきこと、せねばならないことがいっぱいあるのさ。それがわかってるから、ローグもあたしのところにやってきたんだろうよ」
「……そうなの?」
「お前はどう思うんだ?」
 質問に質問で返されて、あたしはぶーっとふくれた。まだ短いつきあいだけど、こういう時のローグっていっつも話そらすっていうか、ごまかすつもりなんじゃないかなってのはなんとなくわかってたから。
「ちゃんと答えてってばっ。なんか、おばあちゃんに聞きたいことあったの?」
「……まぁな。聞いとかなくちゃならない……というか、聞いておくべきだと思うことが二、三あった」
「………ふぅん?」
 どういう意味なのかよくわかんなくて、あたしはハッサンと顔を見合わせて首を傾げてしまったんだけど、ローグはまるで気にしてない顔ですたすた家の奥へ進んでいこうとする。
「あ、おい……」
「おら、とっとと来い。人様の家に泊めてもらうんだ、その分くらいは労働で返すのが筋だろが」
「……へいへい、わかりましたよ。ったく、お前はそーいうとこはやたら律儀だよなぁ」
「あぁん? てめぇは俺が人として当たり前の礼儀をおろそかにするほど脳味噌空っぽに見えるのか、あぁ?」
「てっ、いてぇっての! 足をぐりぐり踏みにじるなって!」
「ふふ、そうね……せっかくだから、みんなで晩ごはんを作らないかしら? おばあちゃん、食事まだよね? ついでのような形でなんだけど、一緒に食べてくれるかしら?」
「ほう、ミレーユの料理かい。久しぶりだね、喜んでお相伴にあずかろうじゃないか」
「じゃ、決まりね。バーバラ、バーバラは料理の作り方とか、覚えている?」
「えぇ? えっと、覚えては、ない、けど……教えてくれるの?」
「もちろん。せっかくみんなで料理を作るんですもの。それに、ローグの提案で、私たち、野宿でご飯を食べる時は必ず順繰りに作る人を変えているから、今のうちにできるだけ覚えておいた方が絶対にいいと思うわ」
「え、そうなの!? じゃあ頑張るっ、ご飯まずいのやだし!」
 まだこの体を取り戻してから数日も経ってないけど、それだけでもあたしがおいしいご飯を食べられる嬉しさっていうのを理解するには充分な時間だった。ローグたちがどこに行ってもおいしいご飯を食べさせてくれたっていうのもあると思うけど、おいしいご飯ってほんとに、なんていうか、生きる喜びみたいなのをすっごく感じさせてくれるんだよね。それが一食分なくなっちゃうとか、考えただけで悲しくなっちゃう。
 それに……あたしも、やっぱり女の子だし。おいしい料理作れるようになりたいなー、とか乙女っぽく思っちゃったりもするし……
「おら、バーバラ。とっとと来い、まずは野菜の皮むきからだぞ」
「もーっ、ローグってばえらそーっ! ……あ、もしかして、ローグ、料理すごく得意……とか?」
 いつもやたら偉そうで、実際戦闘でも強いし頭もいいしそういうこともあるかも……とちょっとドキドキしながら聞くと、ローグはふん、と笑って胸を反らしてみせた。
「なにを言っている。俺も一緒に皮むきから練習するに決まってるだろが!」
「……えぇ!? もしかしてローグ、料理、下手なの!?」
「当然だ。旅に出るまで、生まれてこの方ろくに料理したことがないからな!」
「そこ威張るところじゃねぇだろうよ。まぁ、俺らが二人で旅してる間はせいぜい干し肉炙るくらいしか料理しなかったしなぁ、それで困ることもなかったんだが……」
「私が一緒に旅をするようになって、水が確保できるようだったら簡単な料理をするようになって、そうしたらローグが『一緒に旅をしてる仲間だってのに一人に家事労働を押しつけるなんてのは言語道断だ』って主張して、料理は当番制、繕いものは自分の分は各自で、っていう風に決まったの。私は別にいいのにって言ったんだけれどね」
「得意だからといって労働を押しつけていいのはそいつの他の部分の労働を代わってる奴だけだ。一緒に旅をして一緒に戦闘をしてる以上、そんな分業制度が成立するわけないだろが。……そういうわけだから、バーバラ。パーティの食事事情の一刻も早い向上のためにも、一緒に練習をするぞ!」
 びしぃ! と指を突きつけてくるローグに、あたしは思わず吹き出しちゃった。言ってることは間違ってない、っていうか正しいと思うんだけど、自分が立場が弱い時でもどーしてこんなに偉そうなんだろう、ローグって。
「はいはい、しょーがないなー、ローグは。練習させてもらう立場なのに、上から目線だとか、子供なんだからー」
「教えてもらう相手には礼を尽くすぞ、俺は。教えてもらう時には」
「え、ホント? じゃ、敬語とか使ってるの?」
「当然だ、名前を呼ぶ時もミレーユ先生ハッサン先生と呼ぶし一緒に歩く時は三歩下がって影を踏まないようにしている」
「えーっ、ハッサンも先生なのっ? 料理できるんだー」
「や、俺の場合はわりと適当だけどよ……俺にまで先生呼びすんなって言ってんだけどこいつ聞かねぇんだよ。ったく、いつもながら根性曲りっつーか」
 そんなことを喋りながらあたしたちは台所に向かい、一緒に料理を始めた。まぁ、あたしとローグ(ローグはホントに料理が下手っていうか、経験ないみたいで、すっごく真剣な顔で野菜の皮をかなり分厚く剥いてた。……あたしも似たようなもんだったけど)は教えてもらう側だったけど、それでもそういうことするのは楽しかった。
 やっぱり、みんなと一緒に旅ができるのって楽しいなって、あたしは心から思ったんだ。一人の時と違って、楽しいばっかりだって、嬉しいばっかりだって。

「ふむ……ゆうべはよく眠れたようだね」
 不思議な香りを焚き染めたベッドで目を覚ますや、あたしたちはグランマーズさんに占うのに使ってるっぽいおっきな水晶玉のある部屋へ呼び出された。あたしはほんと言うとまだちょっと眠かったんだけど、その部屋に入るや背筋を伸ばしてしまう。だって、その部屋、なんだかすごく静かっていうか、置いてある家具まで緊張してるみたいな感じだったんだもん。
「アモールの町でふたつの世界を行き来し……ラーの鏡も手に入れ……つらい旅をしてきたお前さんたちじゃ。もう真実を話してもいい頃だろう」
「は? なんだよ、ばあさん、真実って」
 ハッサンがおっきな声を出すけど、その声もあっという間に部屋の中の静けさに吸い込まれてしまう。グランマーズさんはちらりとハッサンの方を見たけど、またすぐにローグの方を向いて告げた。
「もう気づいたとは思うが、お前さんたちがいた世界は夢の世界……そして、こっちの世界が現実の世界なんじゃよ」
「………は!?」
「そう、お前さんは誰かが見ている夢の住人。だから現実の世界では、お前さんたちの姿が見えなかった、というわけじゃな。……まあ、夢占い師のわしには見えたわけじゃが。と、ここまでの話はわかったかい?」
「はい」
「はぁっ!?」
 ハッサンがまたおっきな声を出す。その声はすっごく混乱してて、わけがわからないって書いてあるみたいだった。ミレーユはそれとは正反対に、いつもの、っていうかいつもよりすっごく落ち着いた、こっちの背筋が伸びちゃうような宝石みたいに静かな瞳であたしたちを見ている。ローグはいつもみたいに平然とした顔――なんだけど、なんていうかすごく真面目っていうか、大事なことを話してるんだって嫌でもわかるような真剣な顔をしている。あたしはといえば――ただもうひたすらおっきな口を開けて、おばあちゃんの話を聞くしかできなかった。
「……ふむ。お前さんもしっかり覚悟ができているようじゃな。もし夢の住人だとしたら、いつか消えてしまうかもしれないから恐ろしいのでは? と……そう心配してなかなか言い出せなかったんだよ。……さあ、真実を話したからにはせいいっぱいの呪文をかけてあげようかね。お前さんたちがいつでも夢と現実の世界を行き交うことができるように……さあ、静かに目を閉じなさい……」
 おばあちゃんが小さく、聞いたこともない言葉で呪文を呟く。とたん、あたしたちの周りをきらきらした光が取り巻いた。夢見のしずくをかけられた時みたいに、星の光を集めたように輝く不思議な光が、すぅっとあたしたちの中に吸い込まれていく。
「……さあ、これでよし。ルーラの呪文が使えるなら、いつでも別世界へ飛べるようになったはずさ。ふう……久しぶりに大きな呪文を使って疲れたよ。さあ、行きなさい。これからさらにお前さんの世界は広がるじゃろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれよばあさん! なんだよ、夢の住人って……本気で言ってんのか!? そんなこと、そうそう信じられるわけねぇだろ!?」
「信じる信じないはあんたの自由さ。だけど、これは間違いのない事実だ。素直に受け容れた方が話が早いと思うけどね」
「じ……事実って! そんな、証拠もねぇのに……」
「あんただってわかってるはずだよ。上の世界とこの世界の微妙な相似、微妙なズレ。似ているけれどけして同じではない二つの世界。それは、上の世界がこちらの世界に生きる者たちの夢でできているからさ。あるいは理想、あるいは逃避、あるいは思い出、あるいは避けたいと思っているひとつの可能性。それが寄り集まって形を成しているのが上の世界さ」
「そ、そんなこと言われたって……だって俺は生まれた時から上の世界にいたんだぜ!? そんなに簡単にはいそうですかって」
「じゃあ、ハッサン。お前さんは自分が子供の時のことを思い出せるかい?」
「え?」
「普通の人間なら自分が子供の時のことくらい覚えてるだろう。自分の親のことも思い出せるだろう。親がいなくても誰かに育ててもらってた頃があるはずだ。いきなり今のあんたになってたわけじゃない。その頃のことを、思い出せるかい?」
「え……や、いや、あ……」
 ハッサンは慌てたように頭を掻きむしり、ぱくぱくと口を開け閉めするけど、その口からは言葉とかは全然出てこない。そこに、グランマーズさんは静かに告げた。
「今のあんたは、元のあんたの心の一部でしかない。体や魂と、薄く繋がれてはいるけどきちんとひとつになってはいない。あんたの……そう、こういう風に生まれたかった、っていう心が夢の世界で形を成したものだ」
「だからちょっと待ってくれって! そんな……夢がこんな、形になるとか、世界創ってるとか……そんなことほいほい信じられねぇよ! 常識で考えて、そんなこと……あるわけねぇだろ!?」
「そうだね、普通はありえない。夢の世界というのは、本来もっと曖昧模糊としているものだ。決まった形なんぞない、人のその時の想い次第でいくらでも変化してしまう頼りない世界。本来なら、あんたたちが生きてきたように夢の世界が決まった形を成したり、そもそも夢の住人がはっきりとした意識を持つこと自体、よろしくないことなんだよ」
「そ、そんなこと言われたって……俺ぁこれまでこのまんまでずっと生きてきたんだから、それがよくないって言われたって困るぜ! ならばあさん、聞くけどよ、なんで俺たちはそんなよろしくない≠アとになってるんだよ! なにか理由があるってのか!?」
「あるよ」
「へっ……ど、どんな?」
 おずおずと訊ねたハッサンの言葉に、おばあちゃんはふ、と小さく息をついて肩をすくめた。
「もう少し旅をすれば嫌でもわかる」
「……はあぁ!? おいばあさん、あんたこの期に及んで隠し事かよ!」
「そういうわけじゃないけれどね。あんたたちがするべきことをしていけば、すぐに嫌でもその質問の答えは見つかる。占い師っていうのはね、夢占い師に限らず、占う相手の人生にもともと含まれている真実を教えるのはご法度なんだよ。占い師の仕事は人に道を指し示すこと。迷っている人間に導きの光を与えることだ。今回も、ローグにとっても、あんたにとっても、今教えるべきだと思ったことだけを教えたつもりだよ」
「……えぇと、つまり?」
「今知る必要のないことは教えられない、そういうことさ」
「……ばあさん、あんた、本当に隠し事とかしてねぇのか? 言ってることがすげぇ当てにならねぇぞ。そういうことを言うなら、なんで今回は俺たちにこんな話したんだよ」
「今知っておくべきだと思ったからさ。ローグ自身がだいたいの真実を理解しているのに、決戦前に仲間に説明できていないっていうのは、あんまりいいことじゃないだろう」
「はぁっ!?」
 ハッサンは仰天した顔になってローグに詰め寄る。その顔は興奮のせいか赤くって、表情も怖くって、もともとの顔貌も手伝ってすごく迫力があった。
「おい、ローグ、どういうことだよ!? まさかお前知ってたのか、夢の世界だのなんだのってこと!」
 だけど、ローグはいつも通りに大きな態度でふん、とか鼻を鳴らしてハッサンの顔を押しやってしまう。
「うるせぇな、暑苦しい顔を近づけるな。……まぁ、そういうことなんだろう、と推測はできていた」
「はぁ!? なんでっ」
「これまで旅してきた中で見聞きしてきた事実をもとに考えれば、それくらいの推論は立てられるだろう。まぁこれまでの段階じゃ、あくまで推測の段階でしかなかったが。まず夢占い師のグランマーズさんの力で姿が見えるようになるっていうのからして俺たちの存在が夢に属する代物だっていう傍証になるし、レイドックで起きたあれやこれやももちろんそのひとつだし、なによりアモールでのことを考えてみろ。ベッドで寝たら違う世界へ行っていて、また同じベッドで寝たら元の世界へ戻ってきたなんて経験をしたことから考えれば、一番くさいのはもうひとつの世界は夢の類なんじゃないか、ぐらいのことは考えられるだろが。まぁはっきりした証拠があったわけじゃないが」
「だ、だからってな……そんな、簡単に……」
「ま、本職の言葉だからってそう軽々に信じないってのはけっこうなことだ。詐欺に遭う可能性が減るしな」
「おっまえなぁ……ふざけてんのか?」
「ふざける理由がどこにある。俺は自分で実感したこともないことを信じるのは阿呆のすることだと言っているだけだ。これが真実だ≠ニ思えないのに思おうとしたところで、腰が据わっていないからすぐに心身がぶれる」
「はぁ……っつぅかな、お前自身としてはどうなんだよ。本当のことだと思えてんのか?」
「本当らしく思える、と考えてはいる」
 それってつまり、本当のことだと信じられてはいないってことなんじゃない? とあたしはちょっと思ったんだけど、ふいにローグがこっちの方を向いてきたんで口には出せなかった。ローグはちょっと眉を寄せて、少し難しい顔になって言ってくる。
「バーバラ。どうした、そんな顔をして」
「……え? そ、そんな顔って、どんな顔?」
「呆然を絵に描いたような顔だ。なにか、気になることでも?」
「え? えっと……その、なんていうか……」
「なんていうか?」
「み、みんながなに話してるか、よくわかんなくって……ねえねえ。このおばあちゃん、いったい何を言ってるの?」
 がっくぅ。ハッサンががっくりと脱力してみせた。
「お前なぁ……黙ってるからなんか考えてることでもあんのかと思ったら、わかってなかっただけかよっ! ったく、しょうがねぇ奴だなぁ……」
「も、もーっ! うるさいなぁ、いいじゃないちょっとくらいっ」
 そうだよ、ちょっとくらいいいじゃない。話してることがわからなくったって。自分でも不思議なくらい――頭の中に壁でもあるみたいに、ローグたちの言ってることが、一切合財理解できなくたって、そのくらいは人間だったら、誰にだってありえることなはずだ。
 ハッサンは腕組みして、首をひねりながら「あぶねえあぶねえ!」とか「わけわかんないぜ!」とか呟いてる。ミレーユは静かにローグの方を見て、声をかけた。
「驚いた? ローグ。私もおばあちゃんからはじめて聞いた時には驚いたけど……真実を解き明かすには前に進むしかないって気がついたの。ローグ、あなたならどうする?」
「わざわざ聞く必要のあることか?」
 ローグはそう言って肩をすくめ、グランマーズさんに改めて向き直る。
「教えてくださり、ありがとうございます。他になにか、俺たちに今教えておくべきだと思われることはありませんか。ささいなことでもかまいませんので」
「そうさねぇ……どうも最近、気になることがあるんだがね……お城の夢をよく見るんじゃよ。レイドック城のな。しかもその城では、若き逞しい王が国を治めているんじゃよ。この夢がいったいなにを意味するのか、ずっと考えておるんじゃよ。お前さん、なにか心当たりがあるんじゃないか?」
「……そうですね……」
「ああ、答えんでええ! わしは夢占い師。人から教えは受けん主義なのじゃよ」
「まったく、頑固なばあさんだぜ」
「ほっほっほっ」
「うふふ。あいかわらずだわね、おばあちゃん」
「このおばあちゃんでもわからないことあるんだね。ふ〜ん」
 あたしが感心していると、ローグは肩をすくめて言ってくる。
「全知全能の存在なんざ、概念上にしか存在しないもんさ。普通はな」
「へ? え、あの、どういう意味?」
「……さぁな。まったく、本当にどういう意味なんだか」
 ローグはなぜか、妙にやるせないっていうか、やれやれしょうがないなぁ、みたいな……えぇと、そう、自嘲。自嘲気味な顔で、ふ、と小さくため息をついて肩をすくめた。

「へえ……。ここが上の世界かあ……」
「見慣れた景色の中を歩くのは、やっぱいいもんだな!」
「この辺りは、ローグやハッサンにとっては庭みたいなものなのかしらね」
「さすがにそこまでじゃない。この辺りはレイドックからずいぶん離れてるしな、来たのも下に落ちる時の一度だけだ」
 ローグのルーラでやってきた、上の世界。それはなんだか、すごく不思議な世界だった。ううん、すごく当たり前なんだけど、妙に不思議な世界だった。
 見える景色も、見上げた空も、見えるものはなにも変わらない(今はちょっと視線を動かせば巨大な穴と、その下に下の世界が広がってるのが見えるんだけど)。普通の世界にしか見えない。なのに、なんていうか、受ける印象が不思議に違う。
 景色の……なんていうんだろ、鮮明度? 受ける輝きみたいなのがなんだか違う。ぼんやり、っていうほどじゃないけど……なんか、どこかあえかな、不思議に頼りない感じがあった。
 なんでだろ、と首を傾げてる間に、ローグたちはどんどん話を進めてる。
「パパッとルーラでレイドック城までひとっ跳びってのもありだぜ、ローグ」
「もとよりそのつもりだ――が、とりあえずは別の場所に飛ぶぞ」
「へ? なんだよ、また寄り道か?」
「当然だ。こちらにも街はいくつもあるんだからな。さて、準備はいいか?」
「あ、うん! もちろんっ」
「よし。……ルーラ」
 そうローグが小さく呟くと同時に、すぅっと景色が下へすっ飛んだ、と思うやあたしたちはすたっと全然違う景色の中に着地していた。何度も経験したけど、このルーラって本当にすごい呪文だと思う。一言呪文を唱えるだけで、行ったことのあるところならほとんどどこにでも行けちゃうんだから。
 でも、それを言うなら呪文ってみんなかなりすごいよね。一言呟くだけで火出したり、氷出したり、いろんなことができるんだから。あたしも呪文使えるけど、使えるって当たり前みたいに思ってるけど、なんで使えるのかとか、そういうことってあたし全然わかんないんだよね。
「あっ、テントがある! ……でも、そのわりには静かな町だね」
「この町――マルシェはバザーでバザー以外の時間に使う金のほぼすべてを稼ぐところだからな。バザーをやっていない時はつつましやかなものだ」
「え!? バザーなんてやってるんだー、この町!」
 あたしたちはそんなことを言いながら街を回る。バザーが終わっちゃってたのは残念だったけど、バザーのざんがい? ざんし? みたいなのを見れたのは楽しかったし、冠職人のビルテさんと会えたのも嬉しかった。素敵な冠をいっぱい見れたし……あと、ビルテさんの娘さんがローグを見る目つきがなんか違うっていうか、普通に接してる感じじゃないって女の勘にぴーんと来て、なんかすごいもの見てるみたいな気分になってドキドキしちゃったし。
 でも、マルシェでもあたし用の装備はまるで見つからなかった。ちょっとがっかりしながら、「じゃ、次はいよいよレイドック?」って聞いたんだけど、ローグはきっぱり首を振る。
「いいや。せっかくここまで来たんだからな。ライフコッドに向かわせてもらう」
「……へ? ライフコッドって、たしか……」
「俺の故郷だ」
「へぇ〜……」
「こいつ相当なシスコンだからな。なんか機会があるごとに故郷に戻って家に顔出すんだよ。ま、ターニアちゃん一人残してんだから心配なのもわかんなくはないけどさ……ってぇっ!」
 ローグの頭に手を置いて笑いながら言うハッサンの向う脛を思いっきり蹴り飛ばして、ローグはふんっとふんぞり返る。
「たわけたことを抜かすな。ターニアはしっかりした子だからな、村の人たちもいてくれるし、心配なぞはしていない」
「いってぇなぁ、ったく……ならなんでこう何度も何度も故郷に帰るんだよ」
 脛を押さえてしゃがみこみ(その状態でもあたしと大して目の高さが変わらないくらいハッサンの体は大きいんだけど)つつ言うハッサンに、ローグはきっぱり、胸を張りながら宣言した。
「俺がターニアに会いたいからに決まってるだろうが」
『…………』
 その場にしばらく沈黙が下りた。……これって、絶対呆れの沈黙だよね。
「ローグってさぁ……やっぱりシスコンなんじゃないの?」
「阿呆らしいことを抜かすな。『やっぱりシスコンなんじゃ』とはなんだ。俺は相当などというレベルではない、全天一と言っても過言ではないレベルのシスコンだと自認しているんだからな」
『…………』
 やっぱりしばらく呆れの沈黙が下りたけど、ローグはまるで気にせずあたしたちを連れてルーラを唱える――や、あたしたちはまた違う場所に立っていた。
 そこは高い山の上だった。いくつもの山々が連なる山並みのてっぺんの、平らになってる部分。そのあちらこちらに畑があって、中心辺りに村っぽいものがこぢんまりと、ささやかに存在を主張している。
「ね、ライフコッドって、あれ?」
「おう。辺鄙なところだろう」
「へ、へんぴって……ローグって故郷に対してもそういう言い方するんだね……」
「そういうもどういうも、事実を言ったまでだ。俺にとってライフコッドがどこよりもいい場所だというのは、他ならぬ俺が誰よりも知ってるんだからいちいち主張しても意味はないしな」
「……ふーん……」
 あたしはつい、ちょっと鼻を鳴らしてしまった。声音だけでもローグにとっても故郷っていうのは特別なんだなー、ってわかっちゃって、なんかいいなぁとかずるいなぁとか悔しいなぁとかそんな気持ちが湧いてきてしまって。
 そんなことを話しながら、あたしたちはライフコッドの村に入っていく。ローグは故郷でも猫をかぶってて、村をあちこち回る間にも爽やか好青年な笑顔を振りまきまくってたけど、あたしは慣れてたからそんなに気にはならなかった(他の場所でもいっつもそうだったしね)。
 ただ、あちらこちらに挨拶して、どんどん村外れ――崖際へと向かっていくのにつれて、どんどんローグが緊張していくのが感じ取れて、心の中でちょっと驚いてしまう。ローグがそんな風に緊張するところなんて、あたしは初めて見たからだ。
 崖際の一軒の小さな家の前でローグは立ち止まり、無造作にその家の扉を開ける。中はライフコッドの他の家よりも山小屋っぽかったけど、どこもちゃんと手入れが行き届いてて気持ちよく生活できるように心配りがしてある感じがした。
 その中の、居間っぽい場所の椅子に座ってちくちくお裁縫をしてる女の子――きれいな蒼水色の髪をした、ちっちゃくてきゃしゃですごく護ってあげたい子、って感じの――が、はっとこちらを向いてぱぁっと顔を輝かせた。
「あっ、ローグにいちゃん、お帰りなさい!」
 ローグはその子――たぶんこの子が妹のターニアちゃんってことなんだろうけど、その子に対してぱぁっと、なんか背後に花を背負ってるんじゃないかってくらい眩しい笑みを浮かべて、嬉しげに言う。
「ただいま、ターニア! 会いたかったよ!」

「お兄ちゃん……気をつけてね。無理しちゃ駄目だよ。ハッサンさん、ミレーユさん、バーバラさん、お兄ちゃんをどうかよろしくお願いします」
 一晩泊まって、早朝。今度こそレイドックに出発しようと家を出たあたしたちに深々と頭を下げてくるターニアちゃんに、あたしは慌ててぶんぶんと手を振る。
「いいよ、そんなの、気にしなくたって! 仲間なんだからそんなの、当たり前だしっ」
「ターニアこそ、体に気をつけろよ? お前が働き者なのはわかってるけど、無理して体壊すようなことがあったら、お兄ちゃん怒っちゃうからな?」
「うん、わかってる、ありがとう……でも、お兄ちゃんの方がやっぱり心配だよ。お城の兵士さんのお仕事って、大変なんでしょう?」
「なに言ってるんだ、俺がそのくらいでくじけるわけないだろう? ターニアのためにも、兵士の仕事、めいっぱい頑張ってくるからな」
「うん……お兄ちゃん。あんまり、無理しないでね」
 じっとローグを見つめるターニアちゃんに、ローグは優しく笑ってターニアちゃんを抱き寄せ、ちゅっとおでこにキスをする。そしてゆっくり背を向けて、村の外へ向かう道を進んでいく。あたしはついつい何度か振り返っちゃったんだけど、お互いの姿が見えなくなるまでターニアちゃんは家の外に立ってあたしたちを見送っていた。
 あたしはとりあえず、黙っていた。ターニアちゃんに聞こえる場所じゃ、絶対ローグはなんにも言ってくれないと思ったし。で、姿が見えなくなっても黙っていた。口を開こうとするあたしに、ローグは口に指を人差し指を当ててみせたから。
 なので、村の外に出て、さらに少し遠ざかって、もうどんなに叫んでも村の人たちにはなんにも聞こえないだろうってところまでやってきて、ようやくローグがうなずいてみせたので、あたしは思わず大声で叫んでしまった。
「なにあれ!?」
「なにが?」
「だって、ローグ、なんなのあれ!? ターニアちゃんに、あんな、あんなの……なんていうか、本気!?」
 あたしは叫びながら手足をばたばた動かして暴れてしまったけど、それも当たり前だとあたしは思う。だって、ターニアちゃんと一緒のローグ、なんていうか……おかしかったもん。
 妹――ターニアちゃんに会いたいって言ってたけど、きっとローグはターニアちゃんのことが大好きなんだろうなって思ったけど、あれって絶対大好きとかそういうレベルじゃないと思う。だってターニアちゃんの前ではいつでもキラキラって音が聞こえてくるくらい爽やか笑顔で、言動もすごく好青年〜って感じで、それは猫かぶりってことでいいにしても(なんで妹さんにまで猫かぶりしなくちゃなんないのかはわかんないけど)、ローグってばターニアちゃんに対しては、いっつも優しい……だけじゃなくて、なんていうか……すごいべたべたしてるんだもん!
 なにかって言ったら髪触るし、ハグするしキスするし(もちろんおでことかほっぺにだけど)、頭撫でるし褒めちぎるし! 今まで見てきたローグとあんまり違いすぎるから、なんかすごく気持ち悪かった!
「本気に決まってるだろう。俺は愛するターニアを愛でることに関しては微塵の遠慮も躊躇もせん!」
「えええ……? 自分でやってて気持ち悪くないの? あたしなんかすごく気持ち悪かったんだけど……」
「あれも俺の一面だからな。好きでやってるのに気持ち悪いわけがないだろう。……というか、だな」
 ぐい、と顔を近づけてきて、間近からあたしの目をじろりと睨みつけて言う。
「ターニアについての感想をまだ聞いてないぞ、バーバラ。せっかくうちに来たんだ、我が妹と初めて会ってどう思ったかくらいは言ってもばちは当たらんだろう」
「ええ? ばちって……」
 戸惑ったけど、ローグの言うことは正しいかもしれない。仲間が家族のことをどう思ったかって、あたしがローグでも気になっちゃうと思うし。なので、あたしは腕を組んで考え考え言った。
「えっと、いい子だなぁって思うよ。優しいし、すごくよく気がつくし。突然来たのに、そういうの全然気にしないであたしたちのこといろいろもてなしてくれたし。あんないい妹がいて、ローグがちょっとうらやましいなぁって思ったかも」
「………ほう」
「え、なに? あたしなんか変なこと言った?」
「いや、なにも。………ふむ、そうか。なるほどな……」
 そんなことを呟きながら、時々ふははとかくっくっくとか笑ってるローグ。えぇ? これ喜んでるの? それとも怒ってるの? それともなんか企んでるとか? と不安になってあたしはハッサンとミレーユを見たんだけど、二人とも苦笑するだけでなにも答えてくれない。
 ううー、不安になるなぁ、と思いながらローグの顔をちらりとのぞきこんだ――ら、唐突にぐるりとローグはあたしの方を向いた。
「バーバラ」
「え、え? なに?」
「ありがとう。礼を言う」
「え……?」
「さて、それじゃとっととレイドックに行くとするか。……ルーラ」
 ローグが呪文を唱えるや、景色が全部すっ飛んで、あたしたちは大きなお城と、その周りに広がる街へと繋がる街道の前に立っていた。なんでお礼言ったのかなってちょっと気になったんだけど、いよいよ目的地なわけだしそういうことをいちいち言い立てるのも変だし、っていうことで気にしないことにしてあたしは外からレイドックを眺め回した。
「へえ。ここがローグたちの世界のレイドックなんだね……下とほとんど同じように見えるけど……」
「それなりに違うところはあるぞ。ま、そこらへんは実際に中に入ってから確かめた方がいいだろうが」
「向こうに見えるのがレイドック城ね。さあ、王さまのもとへ急ぎましょ!」
「くうう〜。とうとうラーの鏡を持って帰ってきたぜ! 王さまの喜ぶ顔が目に浮かぶよな!」
「いつもながら脳天気な奴だな」
「なんだよ、王さまが喜ぶようなことしてきたのは本当だろ?」
「喜ぶ、というかな……俺たちが探し出したものでなにをするか考えてみろっつってんだ」
「あ……」
 あたしは思わず小さく目を見開いてしまう。そうだ、ラーの鏡はもともと、世界征服を企んでる魔王ムドーを倒すために必要だから探してたものなんだ。ってことは、たぶんラーの鏡を届けたらすぐ魔王との戦いの準備をしなくちゃならなくなるかもしれない。ローグたちはもともとレイドックの城の兵士なんだし。
 ちょっとドキドキしたけど、ぷるぷるって首を振って気合を入れた。大丈夫! 絶対魔王なんかやっつけちゃうもん! そりゃ怖くないって思ったら嘘になるけど、あたし絶対頑張ってローグたちのこと手伝うんだから!
「まぁいいじゃねぇか、任務を果たしたのは確かなんだからよ! 王さまのところへ急ごうぜ!」
「……ったく。言っとくが、ここでも武器防具がないか一回りするからな」
「えぇ? ここでもかよ」
「当然だろが。もしいい出物があったらどうする気だ」
 とか話してるローグやハッサンを先頭に、あたしたちは上の世界のレイドックへと入っていった。

「うん? ハッサン! それにローグではないか!」
 街を巡り、城に入ってからも方々の人にあいさつ回りをしながら二階に上がって(その中でローグたちは兵士になってすぐ旅出たから、あんまり顔と名前を憶えられていないということを知った)、三階へ上る、なんかすごくゴージャスな階段の前で、ソルディという兵士長さんに話しかけると、ソルディさんは大きく目を見開いた。
「そなたたちが、これだけ時間をかけて戻ってきたということは……お、おぬしたち、まさかラーの鏡をっ!?」
「はっ。無事手に入れてございます」
 かしこまって答えるローグに、うわーカッコつけてるー、とあたしはこっそり笑っちゃったんだけど(街歩いてる時も思ったけど、ローグってほんと外面いいよね。見てて面白いし、いいんだけど)、ソルディさんは全然気づかないって顔で大きく笑ってうなずく。
「それはまことかっ! でかしたぞ、ローグ、ハッサン! ……む、そちらのご婦人方は?」
「はっ。こちらがミレーユ、こちらがバーバラ。旅先で出会い、目的を共にすることとなった仲間であります。どちらも高位の呪文使い、これからの戦いでも心強い味方となってくれるかと」
「ほほう、そうか。呪文使いとあらば女性といえどこの上ない戦力、お二人ともよろしくお頼みいたす」
「え!? えとっ」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたしますわ」
「うむ! さあ、忙しくなるぞ! さっそくレイドック王にご報告せねばっ。ついて来い!」
 言ってソルディさんは階段を上っていく。あの先が謁見の間になってるんだってミレーユが囁いてくれた。
「よし! 俺たちも上に上がろうぜ!」
「いよいよ王さまに報告だね!」
 あたしたちの言葉にローグは軽くうなずいて、階段を上っていく。なんかすごい彫刻とかついてて、ところどころに金とか使ってるぴかぴかした階段を上った先には、階段よりもっときらきらぴかぴかした部屋が広がっていた。床も眩しいくらい磨かれて、上に赤くて分厚い高そうな絨毯が敷かれてて、カーテンとかもやたらゴージャスで……
 そんで、そんなゴージャスな部屋の奥に、それよりさらにゴージャスな宝石とかいっぱいついてる上にすごくふかふかしたクッションが使われてる椅子……たぶん玉座っていうのだろう、に座った、やっぱりゴージャスな服を着て、すごいきれいな顔立ちをした、まだ若い……たぶん二十歳半ばくらい? の男の人が座っていた。
 あたしは「うわぁ……」とか言いながら思わず辺りを見回しちゃったんだけど、ローグは袋からラーの鏡を取り出すと(ローグの持ってる袋って、なんでか知らないけどすごいたくさんものが入るんだよね。しかもそんなにいっぱいものが入ってるのにすごくスムーズに出し入れができるし)堂々とその男の人……王さまだよね、この人……のところへ歩み寄り、背後に並んでる兵士の人たちや王さまの左右を固めている兵士長さんとか大臣さんっぽい人たちを気にした風もなく、さっとひざまずいた。
 ハッサンも慌てた顔であとに続き、ミレーユが優雅に同じ動作をする。あたしも慌てて同じようにひざまずいた。こんなの初めてだったからちゃんとできてるか自信なかったけど、王さまは鷹揚にうなずいて、ローグを見つめ柔らかい声で言う。
「ソルディ兵士長より今しがた報告を受けた。ついに君たちがラーの鏡を私の下に持ち返ってくれたそうだな」
「は。委細抜かりなく。どうかご査収くださいませ」
 そう言ってローグがうやうやしくラーの鏡を差し出す。それを王さまは受け取って、威厳のある仕草でうなずいた。
「うむ……。これはまさしくラーの鏡! 心より礼を言うぞ。この鏡があれば、魔王ムドーの正体を暴き、戦いの決着がつけられるはず!」
 おおっ、とあたしたちの後ろに並ぶ兵士の人たちがどよめく。それを手をあげて静めてから、王さまは続けた。
「私はそのための作戦を立てようと思う。ついてはローグ、君たちにも参加してもらいたい」
「はっ」
「今夜は二階の兵士部屋で待機してほしい。さらなる活躍を期待するぞ! ではみなも決戦に備えゆっくりと休むように。解散!」
 そう言って王さまは、きびきびと、だけど堂々とした素振りで謁見の間から出て行った。

「あ〜あ、ずいぶん待たされてるよな。もうすっかり夜だぜ」
「兵士ってのは待つのも仕事だ。特に作戦会議なんてのは予定通り始まる方が珍しい代物だろが」
 兵士部屋――兵士さん、特にローグたちみたいな特別兵さんたちの詰め所が並んでるところの一角の、軍議とかをするらしい会議室であたしたちはうだうだしていた。っていっても、周りには他の兵士の人たちもいるんでぱっと見にはそれなりにちゃんとして見えるように背筋伸ばしながらこそこそ(他の兵士さんに聞こえないように)話すしかないんだけど。
 王さまにここで待機するようにって命じられたから、早めに晩ごはん食べてからずっとここにいるんだけど、もう夜もずいぶんふけたのに王さまは全然姿を見せない。あたしも正直、王さまなにやってるんだろうなーって唇を尖らせてしまっていた。見た限りだと、そんなに人を待たせるような人には見えなかったんだけどな。
「……王さま、なにやってるんだろ。なんかあったとかじゃ、ないよね?」
「さあ。知りたけりゃ王さまのプライベートルームに直撃取材するしかないな。普通専制君主にそんなことしたら悪くすりゃ首が飛ぶが」
「う、それはヤダ……けどさぁ」
「そうそう、いつまでもこんな所でじっとしてたら身体がなまっち……」
「ローグ……」
『っわっ!』
 背後から声をかけられて、あたしとハッサンは思わず大きな声を上げてしまった。慌てて振り向くと、ソルディ兵士長さんが難しい顔をしながらこっちを見ている。
「兵士長。なにか」
「……すまんが、ちょっと上に来てくれるか。上で待っているぞ」
 そう言って素早く踵を返し、会議室を出ていく。会議室にいる他の兵士さんたちが小さくざわめいた。上って……王さまが謁見した部屋があったところだよね?
「よくわからないけど、急いだ方がよさそうね」
「今兵士長さん……困ったような顔してなかった?」
「……上で何かあったのか? 行ってみようぜ」
 ローグは小さくうなずいて、立ち上がる。足早に会議室を出て、通廊を歩く。大きな池がまん中に置いてあって、通路を分けてるこの通廊は、昼は光を跳ね返して風通しもよくてすごくきらきらきれいだなって気に入ったんだけど、夜は月の光をまとってどこかこちらを不安にさせる色に輝いてる。
 階段を上がって、謁見の間に入る――や、辺りをはばかってはいるけど、すごく真剣な、鋭い響きの声が聞こえてきて仰天してしまった。
「レ、レイドック王! いったい! どうなされたのですっ!?」
「う……ううう……」
「苦しいのですか? それともお声が出なくなったとか……。レ、レイドック王! いったい……」
「う…ううう……」
「わ、わからん。いったいどうしたというのだ」
「王さま! どうかお気を確かにっ!」
 そこは、まさに修羅場っていう感じだった。王さまが体を抱きしめるようにしながら、苦しげに呻いている。ソルディ兵士長や、謁見の間で一番王さまの近くにいた偉そうな大臣さんや、お医者さんとかが必死の形相であたりをばたばた走り回ったり、うろたえたり、王さまの様子を見たりしている。王さまの横には、すごく無造作にラーの鏡が転がされていた。
 あたしたちは驚いちゃって、口々に王さまの心配をしたんだけど、ローグはほとんど表情も変えないまま、すばやくソルディ兵士長に歩み寄って囁く。
「ソルディ兵士長。これは?」
「来てくれたか、ローグ。見ての通りなのだ」
「と、言いますと?」
「……そなたらが持ってきたのは、本当にラーの鏡なのであろうな?」
「は。それは間違いなく。安置されてあった場所が由緒あるものだということもありますが、本職の人間に鑑定してもらってもいますし」
 え、本職の人間って誰だろ? とあたしはちょっと考えちゃったんだけど、ローグたちはその間もどんどん話を進めていく。
「そうか……ならば、王のこのありさまはいったい……」
「ラーの鏡が、なにか妙なことでも?」
「うむ……なにがあったのかしかとはわからぬが、ともかく王が鏡をのぞきこんだとたんこのようなことに……。いったいレイドック王の御身になにが起こってしまったのか……」
 と、レイドック王が突然呻くのをやめた。ゆっくりとまぶたを持ち上げ、どこか夢見てるみたいな不思議な目を見せる。
「わ、わたしは……」
「ど、どうなされましたっ!? レイドック王、お気を確かに!」
 周りの家来の人たちがいっせいに集まってくるけど、レイドック王はゆっくりと首を振る。
「違う……私は……レイドック……」
 と言うや、ラーの鏡がピカーッと光り出した。少し夢見のしずくを使った時に似ているような、だけどあれよりはるかに……なんていうか、はっきりした輝きが謁見の間を埋め尽くす。
「うわっ!」
「これはどうしたことか!? 鏡があのように光って……」
「レイドック王!」
 口々に言う家来の人たちなど気にもせず、鏡の光はあたしたちの視界を全力で圧迫して――唐突に消えた。
 え、なんだったの今の、とあたしがきょろきょろする間もなく、また叫び声が響く。
「な、なんとっ!」
「レ、レイドック王が女性のお姿に……」
 ………えっ?
 意味がわかんなくて、ぽかんとレイドック王の方に視線を向ける。――そこにいたのは、レイドック王じゃなかった。
 女性のお姿って言ってたけど、確かにその通り。レイドック王のいたところに、きれいな女の人が立っていた。
 しかもこの人、ただの女性じゃない。見た目は三十代半ばくらいのきれいで気品がある女の人なんだけど、服装が……きらきら光る白衣のドレスの上にいくつも宝石をつけて、その上に王さまとかしか着けられないような真っ赤な分厚いマントを羽織ってて、なにより頭に王冠をかぶっていた。王さまのよりは小さかったけど、王さまぐらいじゃないと作れなさそうな、そんな大きさの、ゴージャスな。
 なんていうか……この人って、王妃さまっていうんじゃないだろうか。いやこっちのレイドックの王さまはまだ若くて王妃さまとかいないそうなんだけど……だけど、そのくらいじゃないとこの人の雰囲気とか、服装とかにそぐわない気がする。あたしこの人以外に偉い女の人って会ったことないけど、それでもこの人のまとってる雰囲気は、この人以外には出せない、そんな気がした。
 あたしはそんなことを頭のどこかで考えつつ、ぽかんとしながらレイドック王……が変わった女の人を見つめていた、んだけど、その女のひとはその柔らかく輝く瞳を閉じ、突然ふらりとよろめいた――かと思ったら、ぱたりと倒れた。とっさに、というように横にいたお医者さんが支えたんだけど、とたん横にいる人たちが騒ぎ始める。
「むっ! これはいかん。とにかくベッドに!」
「いや、しかし、どこに寝かせればよいのですか? この方が何者かもわからぬのにレイドック王のベッドを使わせていただくというのは……」
「しかし、もしこの方がレイドック王なのだとしたら臣下のベッドに寝かせるというのはあまりに不敬……」
「そのようなことを言っている場合ではありませんぞ!」
 そんな様子を見ながら、あたしはぽかんと考えていた。あの人は、どうして倒れる前、ローグを見たんだろう。なくしてしまった懐かしいものを見るみたいに、壊れてしまった大切なものを見るみたいに、あんな遠い、やるせなげな目つきで。
 それに、ローグはなんであんな目で見つめ返したんだろう。びっくりするくらい静かで、どきっとするくらい感情のない、あんな目で。

「どうか、しましたか?」
「はいっ!?」
 あたしはびくっと、勢いよく顔を上げてしまった。目の前には、野営の時はできるだけ絶やすなって言われてるぱちぱち音を立てる焚き火と(今はあたしが見張り番だから)、シェーラさんが気遣わしげにこちらを見つめている顔がある。
「あっいえそのっなんでもないんですっ! ただちょっとぼーっとしちゃっただけでっ」
「そうですか……あなたのような年若い方にはこの旅はさぞ過酷なことでしょう。巻き込んでしまって申し訳ないと思ってはいるのですが……」
「いえいえっ、いいですいいですっ、あたしほんとにこの旅、全然いやじゃないっていうかむしろ楽しいですから!」
 あたしは慌てながら、力いっぱい断言する。ちょっと力入りすぎてたかもしれないけど、言ってることは嘘をついてない。あたしはほんとにこの旅は全然嫌じゃなかった。
 そりゃもうレイドックを出発してから十日を過ぎて、その間ずっとお風呂には入れないし男の人と一緒だとトイレとかいろいろ気を遣うしごはんもほんとに干し肉と乾パンとドライフルーツがほとんどって感じだけど、我慢できないほどじゃないし。関所で殺された人とか見ちゃったけど、だからこそあたしとしては『世界を征服しようとしてるらしい』ってことしか知らないムドーって相手に対する敵愾心が湧いてきたし。一日に少なくとも一度か二度は魔物が出てくるけど、あたしが『自分には魔物と戦う力がある』って感じたのは嘘じゃなくて、敵だって思ったら頭よりも体が先に動いてくれたし。
 ローグがブーメランで一掃したところを、弱ってる奴を狙ってチェーンクロスで薙ぎ払うってくらいのことしかやってないけど、どういう敵が弱ってるか、とかどの辺の敵がローグの一掃のあとにも残りそうか、みたいなことを一瞬で判断して行動するのはけっこう難しいんだそうで、そこらへんのことを意識しないでやってるあたしは筋がいい、とか褒められちゃったし。えへへ、ちょっと嬉しかったな、あれ。ハッサンは「この脳味噌筋肉は初めて一緒に戦った時ブーメランの軌道上に飛び出してきやがったからな」とか言われてふてくされてたけど。
 いや、だからそうじゃなくて。あたしが気になってるのは。この、シェーラさんのことだった。シェーラさんと、ローグの。
 レイドックで、レイドック王がシェーラさんに変わって、倒れてしまったあと。当たり前だけど、すごい騒ぎになった。
 みんなでとりあえずシェーラさんを王さまのベッドに寝かせて、メイドさんたちにうっかり見られないよう人払いをして、交代で休みながら夜が明けるまで見守って。シェーラさんがうっすら目を開けるや、大臣さんやソルディ兵士長さんが勢いよく飛びついた。
「やや、気がつかれましたな! ご気分はいかがです? えーと、レイドック王……?」
「レイドック王! なにがどうなったのです!? どうしてそのように女性のお姿に……?」
 だけど、シェーラさん(その時は名前わかんなかったんだけど)はゆっくり、優雅な動きで首を振った。
「これが私の本当の姿。私はレイドック王ではありません。シェーラといいます」
「シェーラ……? はて、どこかで聞いたような」
「今はそのことよりレイドック王のことをっ!」
「おお、そうであったな。ではお聞き申す。あなたが王でないなら、この国の王はいったい!? それともこの国にはもともと王などいなかったと申されるおつもりか?」
 勢いよく迫られても、シェーラさんは落ち着いた表情を崩さず、やっぱり優雅に首を振る。
「そうではありません。本当のレイドック王はムドーという者のところにいます。いえ、ムドー自身がレイドックその人だと私は思います」
 あたしたちもぽかんとしちゃったんだけど、大臣さんやソルディ兵士長さんの驚きようったらこっちが驚いちゃうくらいだった。顔面蒼白になって、噛みつくように聞いてたっけ。
「そ、そんな馬鹿なっ! だいたいそんなことをなぜあなたが知っているのです?」
「どうしてかは知りません。ただ、私にはわかるのです。あるいはラーの鏡によって、現実の世界でかつて起きたことが見えたのかもしれません。この世界で大臣や兵士長にわかっていただくのは難しいでしょうが……私を信じてくれますね? トム兵士長?」
 そんなことをソルディ兵士長に向けて言うんだから、ソルディ兵士長さんももちろん驚いてたんだけど。
「トム? トムと呼びましたね。しかし私にはソルディというれっきとした名前が……。トム……? だが妙に気になる名前だ……。ど、どうしてだろう……」
 そんな風に考え込んじゃうもんだから、あたしとしてはもうぽかんとするしかなかったんだけど。
「……そこにいるのはローグですね?」
 そんな風に突然ローグの方を向いて訊ねてくるから、あたしはさらに口を大きく開けてしまった。え、なに、なんで、ローグとこの人って、知り合いなの?
 しかもローグったら、そんな風にあたしたちがびっくり仰天してることなんて、まるで斟酌しないで、「はい」なんて落ち着いた表情で答えるんだから、もうあたしとしてはどうすればいいのかわかんなくなっちゃった。え、ローグの方もこの人のこと知ってるの? この人誰なの? とかあわあわしてるあたしなんてまるっきり気にしないで、シェーラさんはなんていうか、愛しげにローグの頬を両手で包み、優しい声で言ってきたんだ。
「ずいぶんと逞しくなって……」
「……ありがとうございます」
「辛いことも、いろいろとあったのでしょうね」
「いえ。世界中の、夢も現も定かでない生を送っている人々に比べれば、なにほどのこともありません」
「……ローグ」
 シェーラさんは少し悲しそうに目尻を下げてから、もう一度優しくローグの頬を撫でて、あたしたちの方も眺め回すように見てきっぱり宣言した。
「ともかく、私とともにムドーの所に行きましょう。そうすればすべてがはっきりとするはずです! 私がなぜこの世界でレイドック王になっていたのかもわかることでしょう」
「……我々にムドー征伐を行え、と。そしてそれについてこられる、と?」
「はい」
「えぇっ!? ………」
 あたしは驚きの声を上げてから慌てて口を押さえたんだけど、ローグたちはそんなことまるで気にしてませんって顔で見つめ合い、話し合う。
「あなたは身を護る術をお持ちでない。なのに一緒に来られるというのは、危険がすぎるのでは?」
「大丈夫です。魔物たちは私に攻撃をしかけてはきません。今の私は、夢と現の狭間に在る存在だからです。夢の世界に生きる魔物たちにとっては、より上位に存在すると感じられる者。私には近寄ろうともしないでしょう」
「……あなたはそれをご存じでいらっしゃる、と?」
「ええ。なぜ知っているのかは、私にはわかりませんが」
「…………」
 ふ、とローグは小さくため息をついて、あたしたちと、ソルディ兵士長さんや大臣さんを眺め回して訊ねてきた。
「この方はこうおっしゃっておられるが、どう思われますか?」
「え、え? どうって……?」
「この方のおっしゃる通りに、俺たちだけでムドー征伐に行ってもいいと思うか? ってことだ」
「え、ええと……」
「……どちらにせよ、ムドーの元へはお前たちに行ってもらうつもりであった」
 ソルディ兵士長さんが難しい顔で口を開く。
「シェーラ殿はレイドック王が変化したお方。ことの真相がよくわからぬ我らにとっては、主君としてお仕えすべきお方であろう。その方の命となれば、従わぬわけにはいかぬだろうよ」
「世界を征服せんとする魔王ムドーと、我々わずか四人のパーティで対峙してもよい、と?」
「わずか四人とはいえ、みな歴戦の強者揃いであることは見ればわかる。しかも呪文使いがこれだけいるとなれば、先陣を切る者としては申し分ない。無理は禁物だが、先駆けをしてくれるのならば、我々としてもありがたいのだ」
「なるほど……お前らはどうだ?」
 いきなりあたしたちの方を見られて、あたしたちは(主にあたしとハッサン)はわたわたと慌てた。
「え、え? あたしはその、よくわかんないんだけど……」
「えぇと、レイドック王が女の人になって、その人が一緒についてくるからムドーを倒しにいけって……ダメだ! いったい何がどうなったのか俺にはわからないぜ!」
「阿呆。細かいことは考えなくていい、お前にそんなことを期待するほど俺は適材適所という言葉を無視する気はない」
「お、そうか! いやぁ、助かったぜ、なんかややこしいこと言えって言われてるのかと」
「……お前らに聞きたいのは、このシェーラさんという方と一緒に旅をしていいと思ってるのか? ってことだ」
「え? えーと……いいんじゃない? シェーラさん、優しそうだし……」
「魔物に襲われる危険はあるかもしんねえけど、この人一人ぐらいなら守れるしな」
「……魔王ムドーがレイドック王だというお言葉はそう簡単には信じられないけれど。この方をムドーの前に連れていくのが必要なのも、この方が夢と現の狭間に存在する方なのもわかるわ。お言葉に従うべきなのじゃないかしら」
「そうか」
 ふ、とまた小さく息をついて(なぜか、またすごく感情のない目をして)、ローグはうなずいた。
「委細承知いたしました、シェーラさま。我ら四人、あなたをムドーの前に連れて行くべく全力を尽くしましょう」
「……ええ、ありがとう。さあ、行きましょう」
 そんな風にして、あたしたちとシェーラさんの旅は始まったのだった。
 ――んだけど、シェーラさんは、なんていうか、本当に不思議な人だった。どういう風に説明すればいいのかわかんないんだけど、えーと、無理に一言で言うなら、ここにいるのにここにいない感じ、っていうか。
 外を歩いていると、聞かされてた通りぽろぽろ魔物が襲ってきて、あたしたちはそいつらを倒すのにそれなりに必死にならなきゃならないのに、シェーラさんは、別に逃げ出してるわけでもないのに、戦いに巻き込まれない。存在感がすごく薄くなるっていうか、どこにいるのかわからなくなるっていうか。
 そんで戦いが終わるとまたいつの間にか姿を現してるんだけど、そういう風にして一緒に旅をしても、なんだか全然そこにいる気がしないっていうか。だってシェーラさんの服って、それこそまるで女王さまみたいにゴージャスな宝石とかつけてるちょっと激しく動いたら破れちゃいそうな高価っぽいので、こんなので旅とかできるのかなって思ったんだけど、全然平気っていうか、一緒に歩いてても全然汚れた感じがしない。あたしたちは(ミレーユがいろいろ工夫してできるだけ身ぎれいにしようとしてくれてるのに)どんどん薄汚れた感じになってくのに、シェーラさんは初めて会った時と印象がぜんぜん変わらないっていうか。
 それだけじゃなく、っていうかあたしが一番気になってるのは、ローグとシェーラさんの関係だった。なんか、この二人……前に会ってるんじゃないかって気がしてしょうがないんだけど。
 ローグの方は見知らない人相手みたいな硬い礼儀正しい態度崩さないんだけど、時々シェーラさんのことを知ってますよ〜みたいなことを言うし、シェーラさんの方はもうあからさまにローグとなんか関わりあるっぽい態度だし。あたしとしては気になって気になってしょうがなかった。
 聞いていいのかな、ダメなのかな、ってあたしは何度もぐるぐる悩んで、結局聞きそびれてたんだけど、今は他のみんな寝てるし、ローグはどっか行ってるし(どこに行くのかは教えてくれなかったし)、聞いてもいいかも。うん、聞いちゃおう! と気合を入れて、あたしは顔を上げた。
「あのっ!」
「なんでしょう」
「あの、シェーラさんって、ローグと知り合いだったんですか?」
「……なぜ、そんなことを?」
「え、だって、二人とも前に知り合ってたっぽいこと言ってるし……」
「いえ、そういうことではなく。レイドックを出てからずっと訊ねられなかったので、あなたは気にしていないのかと思っていたので」
「……へ?」
「ハッサン殿と、ミレーユ殿は、早々に訊ねてこられたので。少し、驚きました」
「え、えぇー……」
 なんだー、ハッサンもミレーユもあっさり聞いちゃってたんだー……それならそうで教えてくれてもいいのに……あたしは気にしてないって思ってたのかな?
 それはともかく、あたしの問いに、シェーラさんは静かに顔をあたしに向けて、言った。
「確かに、私はローグを知っています」
「え、あの、どこで……?」
「ローグがこの世界に生まれた時から。ただ……そのローグは、おそらく、あのローグではないのでしょう」
「え……?」
「いいえ、正確に言えば、あのローグでもあるのでしょうが……私の知っているローグは彼の一部であり、彼は私のローグの一部であるということなのだと思います。私にも、はっきりわかっているわけではないのですが」
「? ? ?」
 正直わけがわからなかった――けど、さらに問い質すのはなんだか気が引けた。シェーラさんが、なんていうか、すごく、悲しそうっていうか、寂しそうに見えて――
 と思うや、がさりとあたしの後ろの木の枝が揺れて、あたしは文字通り飛び上がった。
「だ、誰っ!」
「誰だと聞かれたら、ローグだ、としか言いようがないんだが。こういう誰何の声に答えるのは、どうにも間が抜けてる気がするな」
「え……なんだぁ、ローグかぁ」
 がさがさと木の枝を揺らしながら現れたローグに、あたしはほーっと息をついた。もー、人をあんまりびっくりさせないでほしいよね。
「ま、慎重なのはいいことだが、外にいる時にこういう風に表れるのは十中八九魔物だからな。で、魔物にさっきみたいに怯えた声で誰何すると、かさにかかって攻めてくる、ということは覚えとけよ」
「むーっ、そりゃあたし、さっきはちょっとびっくりしちゃったけどさぁ、なにもそんなに意地悪言わなくても……用事、済んだの? なんか、けっこう長くかかってたけど」
「ああ。用事のついでに尾根の頂上まで登って、これから先の道を少し調べてきた」
「えぇ? 夜なのに?」
「今日は月が明るいからな。山育ちの俺にしてみれば、これだけ明かりがあればだいたいの道はわかる――で、うまい具合に俺たちの目標も見えたぞ」
「え?」
 あたしはきょとんとしたんだけど、ローグはそんなことまるで気にせず偉そうに笑ってみせる。
「ムドーの住み家――地底魔城が見えた。尾根を下れば、そこから先はずっと毒の沼地だからな。明日は一気に、魔城まで向かうぞ」
「………!」
 あたしがごくりと唾を呑んで震えるのに(だってあたしとしてはまだ十日と少ししか旅してないのにいきなり旅の最終目的にたどり着いちゃうんだもん)、ローグはぽんぽんとあたしの頭を叩いて笑った。
「ま、そう固くなるな。別に、これで旅が終わるわけじゃないんだしな」
「え、そうなの? なんで?」
 きょとんとするあたしに、ローグは「これまで聞いた話を思い出してみりゃ、わかるぞ」と肩をすくめてみせただけだった。

「えぇいっ!」
 あたしが全力で叩きつけたチェーンクロスに、最期のストーンビーストが砕け散る。ほうっ、と示し合わせたわけでもないのに全員からため息が漏れた。
 魔王の城っていうことだから、ものすごく強い魔物とかがごろごろ出てくるのかなって思ったんだけど、意外に出てくるのはあんまり大したことない奴がほとんどだった。フェアリードラゴンがマヌーサを使ってくるのはちょっと鬱陶しかったけど、みんな全員で攻撃していったらあっさり倒れたし。
 でも、奥に進んで、洞窟から開けた場所(奥っていうか開けた通路を下っていった先にすごく気持ち悪い……まがまがしいって言うらしい扉がおっきなかがり火に照らされてるところ)にやってきたら出てきたストーンビーストははっきり言って別格だった。石でできてる魔物だから当然なのかもしれないけど、とにかく硬くて、嫌になるほど守備力が高くて、その上体を鋼鉄に変えるアストロンって呪文まで使ってくる。さらにベギラマなんて強烈な呪文とか使ってくるもんだから、もう困るったらない。特にあたしは(装備に呪文に対する耐性がない、かららしいけど)二発喰らったら本当に死ぬんじゃないかってくらいダメージを受けるので、出てきたら即行ルカニかけて殴りまくる、って早々に方針が決まったんだ。
「みんな、大丈夫? こまめに回復をね」
「大丈夫だよー、このくらいならまだまだ平気だから!」
 笑って手を振るあたしを、ローグがぎろりと睨みつける。え、え、なに? とびくつくあたしにつかつかと歩み寄って、小さく「ホイミ」と唱えた。回復呪文の優しい光が周囲を満たして、あたしの身体から傷の痛みがすぅっと消える。
「……大丈夫だって言ったのに」
「阿呆なことを抜かすな。お前はストーンビーストのベギラマを二発喰らったら死にかねないんだぞ、できる限り傷を負ってない状態にしておく必要があるんだよ」
「でも……魔法力もったいなくない?」
「ムドーと戦うのに必要な魔法力は充分余裕を見た上で残してある。まぁ、次からは買い込んでおいた袋の中の薬草を使うがな」
 言ってローグは「よし、隊列を組むぞ」と手を上げる。それにみんなうなずいて、ハッサン→ローグ→ミレーユ→あたし→シェーラさん、の順番に並んだ。
 魔物ってけっこう律儀っていうか、ほとんどが真正面から襲ってくるから、耐久力のある人を前に出した方がいいんだって。戦い始めたらそんなちゃんと並んでなんていられないけど、基本的な隊列ができてるとなんかみんなそれをどっか頭に入れて戦うから、散開する時もけっこうこんな感じに並んだりするんだよね。
 タイルの並べてある廊下をえんえんと進む。と、シェーラさんが声を上げた。
「待ってください。相手は仮の姿とはいえ魔王。この先、どんな罠が待ちかまえているかもしれません。もしもの時のため、ラーの鏡はあなたたちが持っていてください」
 そう言って差し出した鏡を、ローグはじっと見つめてから、肩をすくめて受け取る。
「では、ありがたく」
「……ええ。さあ、行きましょう」
 また隊列を組んで一緒に進む。渡り廊下を渡ると、大きな扉が二つ並んでいるのが見えた。近寄ってハッサンが押してみる――んだけど、ぜんぜん開く気配もない。
「んーっ、んーっ! ……駄目だ、全然開かないぜ。思いきり固い鍵つけてやがる」
「と、なると、だ……残りは、あそこだな」
「う……やっぱり、そうだよね」
 あたしはちょっと恨めしげに階段を下った左側にぽっかり開いている入り口を見る。その入り口は、ここからでも真っ暗なのがよくわかって、正直あんまり入りたくない――んだけど、そうも言ってられないよね。
「よし! さくっと突入するとすっか!」
「待ちやがれこの脳味噌筋肉。ちったぁここが真っ暗な理由を考えてみやがれ」
「へ? 真っ暗な理由……?」
 ハッサンを止めてから、ローグはランタン(実はずっとつけてたんだ。この地底魔城はどこも明かりがついてたからいらないんじゃないかなって思ったんだけど、明かりがいきなり消える罠でもあったらどうするって言ってずっとつけてたの。そういうところ用心深いんだなって初めて知った)をその入り口にかざし、舌打ちした。
「やっぱりだ。ランタンをかざしても少しも明るくならねぇ。こりゃ、罠が仕掛けてあるな」
「へ? 罠って……?」
「落とし穴なりロープなり棒なりで転ばせた後に凶器を落とすなり、どんなんでも仕掛けられるだろう。これだけ真っ暗じゃこっちが反応するのはほぼ不可能なんだからな」
「えぇ!? じゃ、じゃあどうするのっ? この先進めないの?」
「いや。進む方法はあるはずだ。そうでなきゃ、自分の住み家で自由に行き来ができないってことになるし、まぁ魔物には反応しない罠だったとしても……」
「しても?」
「向こうはこっちに来てほしいんだから、クリア不可能な罠をしかけたりはしないだろ」
「……え? ど、どういうこと?」
「……ま、俺の勝手な想像だからな、本当にそうなのかどうかはわからんが」
 そう肩をすくめ、ローグは周囲を探り出した。それでスイッチとかを見つけて、扉を開けて、天井のシャッターを開けて、ぼんやりした明かりだけで細い道を進んで落っこちそうになりながら、襲ってくる魔物と戦いながら、少しずつ罠を解除していくんだけど、あたしはその間中、ついついローグの言ってたことが気になってしまった。
 魔王って、あたしたちに来てほしいって思ってるのかな?

「いる!! この先からすごい殺気を感じるぜ!」
「とうとう魔王とご対面のようね」
 階段を下りるや、ハッサンとミレーユが武器を握りしめながら言うのに、あたしもうなずいて言う。
「ものすごい邪悪な力を感じるわ……。でも、あたしだって負けないもん!」
 気合を込めて言った言葉に、ローグも茶化しもせずにうなずいてくれた。
「当然だ。たかだか魔王程度の、それもまがいものに負ける道理がない」
「ははっ、ったく、てめぇはいつもながら吹くよなぁ」
「事実を言っているまでだ。それともお前は負ける気で戦うとでも?」
「いーや、んなわけねーだろ。俺も負ける気は全然しねぇしな!」
 そうにやりと笑みを交わし合って、正面の階段を上っていく。水をたたえた堀に囲まれた、階段型ピラミッドみたいな線を描く段々。それを一歩一歩。
 かなり長い階段を四度くりかえし上るや、広々とした空間に出た。そこにいたのは――ゴージャスな赤の絨毯の上に、四方にかがり火を置いた床の奥に、まがまがしい装飾をほどこされた、ちょっと神殿みたいな柱が彫りぬかれてる壁の前に立っていたのは、巨大な魔物だった。
 体長は五m以上あるんじゃないだろうか。なんか全体的に四角い体に、角ばった頭と腕を伸ばし、その先から鋭い爪と角を伸ばしている。頭には亀裂みたいなものが開いていて、その奥には真っ赤な、ひどく不吉な色の瞳らしきものが見えた。
 そいつはじ、とこちらを見て、くぐもった笑い声を漏らす。
「ほほう……。愚か者たちが、まだ懲りずにこのわしを倒しにきたようだな」
「そうなるな。まぁ、お前ごときに愚か者呼ばわりされる覚えはないが」
 言いながらしゃりん、と鋼の剣をローグは抜いた(ランタンはとうにシェーラさんに預けてたから)。他のみんなも、もちろんあたしも武器を構える。
「ほう、無鉄砲にもこのわしに挑んでおきながら愚かではないと?」
「勝算は高いと踏んだからな。……というか、お前のような愚か者に偉そうな口を叩かれる覚えはないと言っているんだ。自分が道化だとも知らず踊りまわる戯け者が」
 え? とあたしはローグをちらっと見てしまったんだけど(なにを言ってるかわからなくて)、ムドーは大声で笑った。
「なにをわけのわからぬことを……。我が名はムドー。やがて世界を支配する者なり」
 言いながらムドーはずい、とその四角い体から申し訳程度に生えた足をずいっ、と前に進める。あたしたちは揃って身構えた。
「そのわしに従えぬなら我が栄光を見ずして今ここで死ぬがよいっ!」
 ダッ! とムドーが床を蹴ってこちらに向け飛び込んでくる――より早く、ローグは叫んでいた。
「バーバラ! 俺と合わせてルカニ! ミレーユは守備力低い奴からスカラ! ハッサンはひたすら全力でぶん殴れ!」
『了解!』
 あたしたちは声を揃えて答え、散開した。ローグの声は、いつもそうだけど、こういう風に作戦を下す時は特に通りがいい。ローグの言う通りに自然に身体が動くし、その通りに動くと普段より体や心のキレがよく感じられるんだ。
「スカラ!」
『ルカニ!』
「うおおぉぉっ!」
 呪文の援護を受けて、ハッサンとムドーが正面からぶつかり合う。体の大きさが違いすぎるから大丈夫かと思ったんだけど、ハッサンは驚くくらい高く飛び上がって、ムドーの顔に飛び膝蹴りを決めた。すぐにムドーの爪は確かにハッサンの体を捉えて、ハッサンが後方に吹っ飛ぶくらいの勢いで斬り裂かれたんだけど、ハッサンは見事に着地して、ぺっと血を吐いただけですぐまた走り出す。
「ミレーユ! スカラ継続! バーバラは俺と一緒に攻撃に回れ!」
「ええ!」
「うんっ!」
 あたしたちは揃ってローグの声に従った。わかる、すごく周りがわかる。ムドーの動きも、ハッサンの傷が大したことないことも、どこにどうチェーンクロスを叩き込めば一番ダメージが大きいかも。ローグの声に従って、ローグがイメージする通りに体が動く!
「ちいっ……! メラミ!」
「あ……っ、きゃあぁぁっ!」
 何度か攻撃を叩き込んだあと、ムドーが呪文を唱えた。突然生まれた大火球は、反射的に避けようとしたあたしをものすごい速さで追ってきて、あたしを包み込んだ。激痛。髪が、喉が、肌が肉が焼ける痛みが、あたしをのたうち回らせる。
「ミレーユ!」
「ええ! べホイミ―――!」
 だけどその痛みはミレーユにかざされた掌から光がほとばしるや、すうっと波が引くように消えていった。ばっとあたしが立ち上がると、ローグは鋼の剣でムドーを斬り裂くやムドーの攻撃範囲から脱出しつつ、あたしを見もしないで、でもあたしに向けられたんだってはっきりわかる声で言った。
「バーバラ! いけるか!?」
「うん……っ、まっかせといてよ!」
 本気の言葉だった。辛いとか苦しいとかは思わなかった。それよりもローグの期待に応えたいって気持ちが強かった。
 ローグの声に従って戦うのが、こんなに心地いいなんて思わなかった。自然に力が湧いてくる。そしてそれが、的確にムドーを追いつめている。
「ぐぅ……っ、があぁぁっ!」
 ムドーが大きく腕を振り回すけど、攻撃が直撃したハッサンは、少し後ずさりしただけで倒れもせず、「はぁっ!」と気合の声を上げて跳び膝蹴りをかました。「ぐがぁっ!」とムドーが悲鳴を上げたところに、あたしがすかさず、チェーンクロスを振り下ろす――
 や、ムドーは、ふらっと足をふらつかせ、必死に体勢を立て直そうとするけれど果たせず、がっ、とその場に足をついた。
『………!』
 やったのか、とあたしたちが一瞬足を止める。その隙を縫うように、ムドーはかすれた声で言う。
「ば、ばかな……。このわしが負けるとは……。しかし、わしは倒されぬ! この次こそお前たちを地獄に送ってやるわっ! ではまた会おうぞっ! わっはっはっはっ!」
 そう言ってのけるや、ムドーの姿はすぅっと消えかける。そうだ! ムドーは何度倒しても消えてしまってまた復活するんだっけ! とあたしは慌てた――んだけど、そこにたたっと階段の下から女の人が――シェーラさんが駆け寄ってきて、叫ぶ。
「今よっ! さあ、ローグ、ラーの鏡をっ!」
「――もちろん」
 呟くように言って、ローグは背中に背負うように持っていた(マントのせいでうまく隠れている)ラーの鏡をばっと前側に持った。そしてムドーの姿を映し出す。ムドーは「わっはっはっはっ! なんじゃ、その鏡は?」と笑う――んだけど、すぐに「……うん?」とぽかんとしたような声を上げる。
 それはそうだよ。ラーの鏡が、ムドーの姿を捉えるや、眩しいくらいに輝きだしたんだもの。のみならず、カッ! と音がした気がするくらいの勢いで、光線が鏡から放たれたし。
 その光線はムドーを突き抜けてどこまでも続くんじゃないかってくらいの勢いで飛び出続ける。それは眩しくて、眩しくて、一瞬目の前が見えなくなるくらいに眩しく、輝いて――
 それが消えて、あたしがおそるおそる目を開くと、そこには、ムドーのいた場所には、一人のゴージャスな、それもシェーラさんぐらいにゴージャスな衣服を身にまとった、壮年の男の人が立っていた。

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