実夢〜ハッサン・5
「こんなことを言っても、今のあなたにはなんのことだかわからないかもしれません。しかし……あなたはきっとわたしたちの息子。いえ、正しくは、わたしたちの息子が見ている夢なのでしょう」
 そう言って、レイドックの王妃シェーラはわずかにローグから視線を逸らせ、半ば独り言を言うように続けた。
「だから、私たちの知っているローグとは少し感じがちがうのかもしれませんね……。そして、もしそれが本当なら、この世界のどこかにあなたの本物の身体があるはずです。そう、あのハッサンという者がそうであったように……」
 ハッサンは思わず唸り声を上げた。自分の名前が、レイドックの王妃さまに呼ばれるという事実に、頭より先に体が驚きと困惑を示している。
 だが、そんなことは別に驚くことでもないのだろう。これは、夢――眠りに落ちた自分が、まどろみの中で見ている幻なのだから。どんなことが起きても不思議ではないし、どんなものが見えても別に変ではない。
 ハッサンは、現実の世界で魔王ムドーを倒した時から――というより、自分の身体と魂が合体した時から、再び夢を見るようになった。これまでは、自分が夢をまるで見ていないことにすらまるで気づかなかったのだ。なんでそれが当たり前のことであるかのように思い込んでいたのか、これまでの自分はなにを基準にして物を考えていたのか、そういうこともハッサンの意識からは少しずつ遠くなっていっている。つまり、ほとんど忘れてしまっていた。
 ローグからは『脳筋らしい見事な健忘症っぷりだな』と言われたが、普通夢で考えたことなんてのはそんなものだろう。あの時の自分は、まさに夢の世界の住人だったわけだし。
 けれど、こうして夢を見てみると不思議と自然に思い出す。夢の中で見ていたことは、考えていたことは、今も変わらず自分の中にあること。夢の世界は今も自分と繋がっていることを。
 なのに、ハッサンが見る夢は、夢の世界のものよりも、たぶん現実の世界のものであろうけれど、自分がこれまで見たこともない光景や会話が映し出される方が多い気がした。自分の見も知らぬ奴らが出てくることもあるが、それよりも今見ているように、自分の知っている人が自分の知らないことをしたり、話したりしている光景を見ることの方が多く、そのたびに自分はいつも不思議な気持ちになる。
 なんで自分がこんなものを見るのか、自分の夢はどこに行ったのか。そんなことを考えなくもないが、まどろみの中に揺蕩っている自分は、押し寄せる夢の光景にいつもあっぷあっぷとうろたえながら流されてしまう。こんな光景が本当にあったかどうか、そんなことはわからないけれど、ありえる可能性のひとつではあろう光景の圧倒的な濁流に溺れてしまうのだ。
 今みている夢だって、現実からかけ離れているわけではない。自分のことがレイドックの王妃なんて人の口から出るなんて、ちょっと前のハッサンなら考えられもしなかったろうが、今の自分の人生には確かにありうることだ。ローグは――レイドックの兵士の採用試験で自分を負かし、ファルシオンを捕まえるための旅で道連れになってからずっと一緒だったローグは、間違いなく、かつて自分がこの城で仲間となったレイドック王子、ローグィディオヌスの夢の世界の身体なのだから。
「ローグ、ごめんなさいね。このようなめでたい日に言いたくはないのですが……。魔王ムドーが滅び、本当に平和がおとずれたなら……なぜあなたは……あなたの現実の身体はもどって来ないのでしょう。そのことが、どうしても私にはひっかかるのです」
 そう言ってシェーラはじっ、とローグを見つめた。母親らしい愛情と、王妃の威厳が等分にこもった視線だ、と感じられる視線で。
 王族というのはこんなものなのだろうか、と頭のどこかがぼんやり考える。自分の母親との、ムドーを倒したあと会いに行った時心底喜び、まだ一緒には暮らせないことを悲しみ、それでも笑って送り出してくれた自分の母親との違いをぼうっとした心で感じ取る。
 けれど、いつものように、そんな試みを終える前に夢の光景は先へと進んでしまう。
「どうか、ローグ……世界のどこかにいる、あなた自身を見つけてください。今のあなたは仮の姿。本当の自分自身となって戻ることを、私たちは待っています」
 威厳に満ちた母親の声に、ローグは小さくうなずいて、ごくあっさりと、淡々とした口調で答えた。
「委細、承知仕りました」
 心がひどくざわめく。こいつのこの顔をなんとかして崩したくてたまらなくなる。こいつが苦しんでいるような、辛さに耐えているような、そんな気がしてなんとか救ってやらなくちゃという気持ちになってしまう。
 けれどもやはり、それがなぜなのか頭で考え終わるより前に、夢は眠りの合間の奈落へと消えていった。――心に感じ取った、かすかな印象だけを残したまま。

「よし、それじゃあ全員、最初の職業を確認するぞ。ハッサンは武闘家、ミレーユとチャモロは僧侶、バーバラは魔法使いで、俺は魔物マスター。全員、文句ないな?」
 ダーマ神殿、大神官の立つ壇の下で、ローグはそう確認を取った。
 ハッサンは小さく眉を寄せ、改めて周囲を見回す。見上げるほどに高い天井の中に、気圧されるほどの威厳の詰まったその空間を。
 だが、この空間に満ちる威厳、というか人を圧倒する迫力は、自分たちの背筋を自然と伸ばすほど強烈なものではあったが、不快な代物ではなかった。普段は教会や城など、きちんと静かにかしこまっていなくてはならない場所が死ぬほど苦手なハッサンですら、この神聖な場所の空気を壊したくない、という意識が自然に働くほど、自分たちの心身に、魂に、この場の存在意義を訴えかけてくるものなのだ。
 この地は、力を求める者に、力を与える聖地であると。
 この神殿に働く者たちは、全員その力を知り、その力に誇りを持ち、しずしずと、けれどこちらにも伝わってくるほどの力強い意志でもって仕事を行っている。ちょっと前まではこの場所には下の世界へと通じる穴しかなかったというのに、そんなものは自分たちにはわずかな転寝でしかなかったとでもいうように。
 ――この場所は、もうすでに現実には廃墟になっているというのに。
 ここは、ダーマ神殿。かつて魔王ムドーが滅ぼした、職業をつかさどる転職の神殿だった。
「おい、脳筋鶏頭ハゲ。お前は頭だけじゃなく耳と舌の回りまで悪くなったのか、文句があるならあるでさっさと言いやがれ」
 ぎろり、とこちらを睨みつけてくるローグに照れ笑いを浮かべて頭を掻く。こんな場所でも、当然ながらこいつの口の悪さは変わらない。
 自分たちが旅についていく、と主張した時は、ごくごくわずかではあるけれど、しおらしい顔も見せていたというのに。

「お前たちはどうするつもりだ」
 シェーラの前を辞して、レイドックの街を出て、馬車で全員が合流した直後にそう訊ねてきたローグに、ハッサンは思わずきょとんとした。
「どうする、って……なにがだよ」
「阿呆。これからどうするつもりだ、って聞いてるんだよ」
『はぁ?』
 仲間たちが揃ってぽかんとする中、ローグは盛大に顔をしかめて言ってくる。
「俺は王妃から直々にご下命を受けちまった以上、どうしたって命令通りに世界のどこかにいる現実の俺とやらを見つけないわけにはいかない。断ろうもんならレイドックにはとてもいられねぇだろうからな。夢の世界にいたところで、あっちにもレイドックがある以上狩り出される可能性は大だ」
「はぁ!? お前なに言ってんだよ、命令だのなんだの以前に……」
「ローグってば、自分の身体のこと探さないつもりだったの!?」
 仰天して叫ぶ自分たちに、ローグはさもうるさげに片耳を押さえてみせながら言う。
「探さなきゃならねぇ理由がどこにある? 俺がライフコッドの村を出た理由は精霊さまからお告げを受けたからで、レイドックを出たのはレイドック王から兵士として命令を受けたからだ。で、俺はその命令を果たし、魔王ムドーまで討ち果たした。とりあえずやることはやったんだ、村の平和な暮らしに戻ったとして、誰に文句を言われる筋合いがある?」
「え、あの、でも、だけどっ……」
「お前の身体を手に入れないまんまでどうすんだよ!? そのまんまだったら記憶もなにも、全然戻りゃしねぇんだぞ!?」
「なんで記憶をなにがなんでも取り戻さなきゃならねぇんだ」
「……は!?」
「その記憶を必要とする差し迫った理由があるわけでもない。記憶がなけりゃ俺のこれからの生活に支障をきたすわけでもない。いやむしろ、記憶だのなんだのを取り戻しちまったら、俺のライフコッドの村人としての人生は終わりを告げる。そんなもんを必死になって取り戻さなきゃならねぇ理由がどこにある?」
「そ、れはっ……」
 バーバラがぐっと言葉に詰まった。おそらく、夢の世界のライフコッドでローグの帰りを待っているターニアのことを思い出したのだろう。
 夢の世界でのローグは、ライフコッドの村人たちに大人気の好青年(を装っている奴)だ。妹のターニアも、村人たちも、自分たちがローグの帰る場所になることを疑ってもいないだろう。その想いが裏切られるのは、おっそろしくショックなことであろう、というのはハッサンにも想像はつく。
 それをバーバラは気遣ってしまったのだろう。本当は、いまさらこんなことを抜かすローグを誰よりぶん殴ってやりたいだろうに。だってバーバラの記憶はいまだに、欠片も取り戻せていないのだ。記憶を取り戻す手段があるのにそれを放棄しようなんて奴は、バーバラにしてみれば心底噴飯もののはずだ。
 だから、自分が代わりにローグをぶん殴ってやるつもりでハッサンはぎっとローグを睨みつけ――
 一瞬言葉に詰まってから、やれやれという想いを込めてため息をついた。
「ローグ、お前よぉ……もうちょい思ってること素直に言えよな。聞く方にはお前の言ってることしか伝わらねぇんだからよぉ」
「え?」
「……なんの話だ」
「だっからよぉ。自分でも不安なんだったら不安だって、素直に言ってくれなきゃこっちも反応に困るんだっての」
『えぇっ!?』
「は? なんでそうなる。お前は脳味噌を筋肉まみれにするのみならず、妄想まみれにする悪癖まで覚えたのか」
 仰天した叫びを上げるバーバラとチャモロをよそに、ローグは自分をぎろりと睨みつけてくる。だが、ローグのその高飛車で傲慢な反応にもいい加減慣れてきてしまっていたハッサンは、やれやれと肩をすくめて言ってやった。
「お前がこういう風につっかかるようなことを言ってくる時ってなぁ、これから先のことを不安に思ってる時だろ? もういい加減学習したっつうの」
「だからなんでそうなる。俺がお前にそんなところを見せたとでも?」
「や、そういうわけじゃねぇけどさ。なんかそんな顔してるじゃねぇか。ま、よっぽど俺たちのことを心配してるってのもあるんだろうけどな。前の時もそうだっただろ?」
「あ、ムドーを倒せってレイドック王から命令受けた時!」
「そうそう。ま、どっちにしろ、俺がお前についていくってのは変わんねぇけどな」
 じろり、とローグが鋭い視線を送ってくるが、ハッサンは気にせず言う。他の奴からこんな風に睨まれたらよっぽど嫌われてるのかと思うところだが、こいつのこんな顔をいちいち気にしていたらこいつとはろくに話もできない。
「だってよ、お前が王妃さまとどんなこと話したか詳しく知ってるわけじゃねぇけどさ、お前、結局自分の身体探しに行くんだろ? だったら相棒としてついていかなきゃだろ」
「は? 俺とお前がいつ相棒なんてものになったんだ、記憶の捏造するにも限度ってもんがあるぞ」
「別に捏造してるわけじゃねぇよ。俺が勝手に相棒だと思ってるだけだっての」
 そう言うと、ローグは顔を思いきりしかめ、「は?」と心底馬鹿にした口調で言ってきたが、ハッサンは気にしなかった。こいつが本当に嫌がってるのなら、たぶんだけど、こんなぬるい責め方はせずにとっとと暴力に訴えているはずだ。そもそもついてくるのをきっぱり拒否しない時点で、こいつにしてみればすでにこっちの意志を受け容れているも同じなのだから。
「お前が王子だった頃からなんとなくそんな風に思ってたしな、お前と一緒に旅するようになった数ヶ月でますますそう思うようになったし」
「お前は阿呆か。これだけ悪しざまに言われてよくそんな頓狂なことが思いつくな。酔狂にもほどがあるぞ、まさか被虐趣味に目覚めたのか、まぁ脳筋マッチョなんてものは大なり小なりMの要素を持ってるってのは確かだろうが」
「無茶なこと言うなっての。単に、お前は一緒に旅をする価値のある奴だって思うようになっただけさ」
「………は?」
 心底鬱陶しげな顔でそう言うが、ハッサンはまるで気にせず続ける。
「偉そうだし口悪ぃし性格も悪ぃけどよ。一緒に旅をする中でやんなきゃなんねぇことは率先してやってくれるし。指示もきっちり出すし、周りの人間の体調とかはちゃんと気遣うし。それに、お前言ってたろ?」
「なにをだ」
「『俺は主人公≠セ』って。偉そうにもほどがあるって台詞だけどよ、なんのかんのでムドーも倒しちまったし、実際いろんな話がタイミングよく転がってきたし。話半分に聞いとくにしても、これから先の旅にもなんやかや厄介事が舞い込んできてもおかしくなさそうだ。そんな奴の旅を、放っとくわけにもいかねぇだろ?」
 ――というより、ハッサンにしてみれば、そんな選択肢は完全に意識の外にあるものだった。
 ローグのこれからの旅に同行するというのは、自分にしてみれば既定事項だったのだ。両親には心配をかけてしまうと思うし、一度きちんと話をしに行かなければとも思うが、それでもまたローグと一緒に旅をするのはもはや当たり前のことだった。
 武闘家として名を成したいとか、大きなことを成し遂げたいなんて昔思っていたこととはまったく関係なく、『こいつの旅についていく』というのは、いちいち考えるまでもないほど自分にとっては当然の道だったのだから。
 ローグは思いきり顔をしかめ、つけつけと言ってくる。
「俺は一度も『お前の力が必要だ』なんぞと言った覚えはないんだが?」
「これから先必要になるかもしんねぇだろ。言っちゃなんだが、俺は役に立つぜ?」
「自信過剰って言葉を知ってるか。ムドーを倒す時に貢献したのは確かだが、これから先同じように役に立つ保障なんぞどこにもないぞ」
「なんだよ、ついてきちゃ駄目だってのかよ?」
 そう言うと、ローグは大きく舌打ちをして、残る三人の仲間たちへ向き直った。
「ミレーユ、バーバラ、チャモロ。お前たちはどうする気だ? 特に、チャモロ。ミレーユとバーバラは旅をする理由があるから俺と連れ立つのはある意味必然だと言えなくもないにしても、お前はムドーを倒したんだ、ゲント族としての義務はすでに果たしたと言ってもいいはずだぞ?」
「え、いえ、それは、その……」
 急に話しかけられてチャモロは少し慌てたが、すぐに真面目な顔でローグの顔を真正面から見つめ、言う。
「確かに、魔王ムドーを倒したのは大きなことには違いないでしょう。ゲントの村に戻っても、おじいさまたちはなにもおっしゃらないだろう、とは思います。ですが、私は……ローグさんの中に、確かに、伝説の勇者と呼ぶにふさわしいものを見たのです。その旅がまだ終わっていないというのに、私だけ旅をやめるわけにはいきません。ゲントの民の代表として、ローグさんの旅が終わるまで、どうかご一緒させていただきたいと思います」
「無理をする必要はないと思うがな。俺が伝説の勇者なんてものだという保証はどこにもないし、そもそも伝説の勇者がなすべきことに自分探しなんてものは含まれていないだろう?」
「いいえ。あなたは……確かに、伝説の勇者と呼ぶには、なんというか問題のある……その、言動が、多いかも、しれませんが。少なくとも、私に……世界は広いのだと、教えてくれたのはあなたです。世界は、ゲントの神と、その信徒と、それ以外などという、単純な仕組みではできていない、と」
 へぇ、とハッサンはローグの横顔を見やる。チャモロと一緒に旅をしたのは、船に乗っている間と、ムドーの城に向かう途中だけだったろうに、いつの間にそこまで仲良くなったのか。
 と、そこまで考えて、思い出した。船に乗っている間に、ローグがチャモロに子供にしちゃあいけないことをやっていたらしい、ということを。
 おいおいまさかこの話ってそういう話じゃねぇだろうな? いたいけな子供をたぶらかすようなことしちゃあいねぇだろうな? と睨みつけるも、ローグは涼しい顔でチャモロを見返して言う。
「だが、ゲントの村で暮らすのならば実質それ以外に目をやる必要はない。むしろ、閉じた世界でその外の広さを謳うことは厄介事を引き起こす可能性もあるぞ?」
「はい……それは、そう、なのですが」
 チャモロは一瞬言いよどんだが、きっと真剣な顔でローグを見つめ、心底真剣な表情で告げた。
「私は、あなたと、一緒に、旅をしたいと、思ったのです。それが私にとって、神の与えた試練であり、必要なことであり、自らの力をもっとも役立てられる道であり……その……たぶん、ですが。一番したいことでも、あると思う、ので」
「…………」
「私がこんな風に思うのは、あなたにとって、ご迷惑なこと、なのでしょうか」
 おとがいを、尖った帽子の先をわずかに震わせながら、瞳をうっすらとだが濡らしながら、たぶん決死の覚悟でそう言ってくるチャモロに、ハッサンははぁ、とこっそりため息をつく。いろいろ言いたいことはあるが、こんな子供にここまで言わせて無視するわけにはいかないだろう。
 どうすんだよ、とこっそりローグをつつくと、ローグは即座に思いきり足を踏んできたが、軽く肩をすくめながらも顔は真剣にチャモロに向き直り、真面目な口調で語りかける。
「チャモロ。俺と一緒にいても、いつもお前に報いることができるとは限らない。割に合わない、辛い思いをさせることがあるかもしれない」
「それは、そうかもしれませんが、私は」
「だから、そういう時は、頼むから俺に文句を言ってくれ。気に入らないことがあるなら口に出してくれ。俺がやっちゃならないことをやろうとしてると思ったら、喧嘩を吹っかけて止めてくれ。俺はそう鈍感な方じゃないつもりだが、お前の思ってることをなんでもかんでも即座に理解できるほど鋭敏でもない」
「え………?」
 ぽかんとするチャモロに、ローグはあくまで真剣に言ってのけた。
「それでもいいなら、俺と一緒に来てくれるか?」
「……っ、はい! はいっ……」
 泣きそうな顔で何度もうなずくチャモロに、よかったね、とでもいうようにバーバラとミレーユが優しく肩を叩く。ハッサンもにやりと笑って軽く背中を叩いたが、チャモロには予想外に強烈な衝撃になったらしく、少しばかりたたらを踏ませてしまった。
「っと、悪ぃ悪ぃ! 手加減したつもりだったんだけどよ」
「お前の普通と他の人間の普通が違うこともまだ理解してねぇのか、いつまで脳味噌が鶏並みなんだこの脳筋モヒカン」
「ははっ、まぁいいじゃねぇか、この際細かいことはよ。これからみんなで一緒に旅に出るんだ、いちいち気ぃ遣いあってちゃうまくいかねぇだろ」
「親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らねぇのかよ。気を遣う以前の日常的な礼儀の問題だろが」
「お? そういうこと言うってことは、お前はこれから先も俺らと一緒にいるってことで、いいんだよな?」
 そうでなければ日常的な礼儀がうんぬん、なんてことは言い出さないはずだ、というハッサンの言葉に、ローグはちっと忌々しげに舌打ちをした。ハッサンに鋭い視線を向けもしたが、気にせずにっかりと笑顔を返してやると、は、と深い深いため息をついて、自分たちに向き合い、言ったのだ。
「みんな。すまんが、俺と一緒に、世界に旅立ってくれるか」
 その顔は珍しく、ひどく神妙なものだった。ローグが自分たちに気を遣っていること、ローグに気を遣わずにそれぞれの道を決めてほしいと思っていること――そして、ローグ自身には、自分たちについてきてほしいという気持ちがある、ということがなんとなく読み取れるその表情に、ハッサンはまたにっかりと笑って親指を立てたのだ。
「おうよ!」
「ええ、もちろん」
「あったりまえだよっ!」
「はいっ! 私は、どこまでもあなたについていかせていただきます!」
 そんなそれぞれの言葉に、ローグはふっ、と、どこか苦笑気味に笑ったのだ。

 が、一度旅立つとなったら、ローグはそんなしおらしげな表情など忘れたかのように実際的だった。街を最初からひとつずつ巡って自分たちにそれぞれ挨拶を済まさせ、武器防具をチェックして、保存食や水を大量に用意して馬車に積み込み――と、完璧に準備をした上で自分たちに言ったのだ。
「最後の準備だ。ダーマ神殿に行って、転職するぞ!」
『はぁ……?』
 最初にそんなことを言われた時には、ハッサンは思わずバーバラと声を揃えてきょとんとしてしまった。
 ダーマ神殿――転職をつかさどるという、魔王ムドーに滅ぼされた神殿。確かにレイドックやあちらこちらで話を聞いて、ダーマ神殿が夢の世界で復活したのではないか、という話は聞いたし、ぜひとも確かめに行きたいとも思っていたが。ハッサンにしてみれば、それはそれこそ未知の世界へと飛び込む行為、つまり冒険そのもののような気がしていたのだ。それをまるで、ダーマ神殿の存在のみならず場所や仕組みもわかりきっているかのように、転職≠ネどという未知の代物を当然のようにやってのけよう、と言うのに少しばかりびっくりしてしまった。
 ……まぁ、いつものローグらしいっちゃあそうかもな、などと思いつつ苦笑しながら訊ねる。
「なんだよ、ダーマ神殿で転職って、もうダーマ神殿の情報やらなにやらまで集めてきたのかよ?」
「ふん、当然だろが。これまであっちこっちの街をいくつ巡ったと思ってるんだ、目と耳を働かせてりゃあ最低限の情報くらいは集まるんだよ。……夢の世界にあるダーマ神殿では、もうすでにその役目を再開し始めてるらしい。ダーマ神殿の理に則っている者なら誰でも、さまざまな職業に転職することで力を手に入れさせてくれるそうだ」
「力? って、具体的には?」
 きょとんと訊ねるバーバラに、ローグはにやりと笑い、「そこから先はダーマ神殿でのお楽しみにしておいた方が面白いだろう」などと言ってのけたので、その時は気を持たせやがって、と軽く小突いたりもしたものだが(そしてなにしやがると即座にみぞおちを殴り返された)、いざダーマ神殿に赴いた時、ローグのその気持ちがなんとなくわかってしまった。
 ローグのルーラで夢の世界に降り立つや出くわしたその神殿は、全員思わずはっとするほど壮麗なものだった。石材建築は専門ではないハッサンですら圧倒されるほど見事な細工と、黄金的な比率で配置される柱、屋根、壁。その中に行き交う人々の姿すら、まるでそのまま神の世界から生まれ落ちたかのように神殿の――神域の気配に似つかわしく見える。ゲントの神が創ったという船に勝るとも劣らないほどの、見事な神殿がそこにはあった。
「おおっ、すごいな! ここがダーマの神殿なのか!?」
「ここが……ダーマ神殿……?」
「これは、おどろきましたね……」
「やっぱり上の世界でダーマ神殿がよみがえっていたのね!」
 歓声を上げる自分たちの声に、ローグはふふんと偉そうな笑みを浮かべながらふんぞり返ってみせる。
「大したもんだろう。ほんの少し前まで穴ぼこが空いていた土地とは思えんぐらいにな」
「なんと! この地がほんの少し前まで穴の空いていた土地だったと?」
「ああ、下の……現実世界に続く馬鹿でかい穴が、な。チャモロ、お前もトルッカに行く時に見ただろう」
「なるほど……あのような穴が、この地にも。……それでは、もしや、他の穴も、なんらかの力で……」
「おらおらっ、そんな話はあとにして、とりあえず中に入ろうぜ! っつぅかな、ローグ、お前が建てたわけでもねぇだろうになんでお前が偉そうなんだよっ」
「お前はまだわかっていないようだな。俺は基本的にいついかなる時も偉そうだということが」
「それこそんな偉そうな顔で言う台詞かよ!」
 などと軽くじゃれ合い、笑い合いながらも、自分たちの視線はダーマ神殿から外れなかった。転職の神殿、ダーマ。職業に就くことで人に新しい力を与えてくれる神殿。それがどういうものなのか、全員興味津々だったのだ。
「……さあてと。中はいったいどんなふうになってるんだ?」
「いろんな人がいろんな役割を受け持っているようね」
「話を聞けそうな人にはどんどんお話ききましょ」
「下に続く階段もあるのですね。迷わないようにしないと」
 そんな風に囁き交わしながら、ダーマ神殿の中へと向かう自分たちを出迎えたのは、ゲントの民にも似た雰囲気を持った人々だった。神殿の門を護る衛兵、神殿の入り口で佇む案内人、要所要所で待っている係員であろう人々――その一人一人が、不思議な威厳と神秘的な雰囲気を纏っている。
「ダーマの神殿にようこそおいでくださいました」
「ここはダーマ神殿。いにしえより人の生きる道をつかさどる神聖な場所です」
「どうしたことでしょうか……。私たちは、今まで深い眠りについていたような……。何者かが、この神殿の存在を封じこめていたような……。しかし! たとえ地上の神殿を滅ぼそうとも、私たちの心までを滅ぼすことはできなかったようです。――人はみな人生の旅人。ゆくもよしもどるもよし。あなたはきっと、新しい能力にめざめてゆくことでしょう」
 そんな人々と言葉を交わすごとに、自分たちにも自然とダーマ神殿というのがどういうものか、というものがつかめてきた。
 人を転職させる――新たな生きる道を指し示すことで新たな力を手に入れさせるという古来より伝わる伝説の神殿。神の名とも、神がいた地の名とも知れぬ、ダーマの名を奉じて人に転職の力を授けるその神殿は、この世界の誕生にすら関わっていると言われるほど古くから存在しているという。
 新たなる人生を歩むことでそれに伴った新しい力を芽生えさせるという驚くべきその力は、ことによると勇者すら生み出しうる――それを魔王は警戒し、封印したのではないか……。
「自分に都合の悪いものはすべて封印してしまうらしいわね」
「学者さんの話ってのはどうにも長くていけないぜ。ま、この神殿が封印された理由はよくわかったけどな」
「それでこの神殿の場所は大きな穴ボコになっていたんだものねー」
「そうだな。実際、俺たちが初めてこの場所に来た時にダーマ神殿があったら、一気に強力な力を手に入れられたのは間違いないだろうしな。まぁ、なくてもあっさり倒されたわけだからある意味お笑い草だが」
 自分たちがそんなことを話している中でも、チャモロは一人真面目に考え込んでいた。 
「勇者が生まれるのを阻むため……。とすると、私たちにとって勇者こそ最終的に目指すべき職業だと言えるのですね」
 真剣な面持ちでうつむき加減にそんなことを呟くチャモロに、ローグはにやりと笑ったかと思うと、唐突にその脇の下に手を入れる。チャモロは当然ながら、「うひゃぁっ!」と頓狂な叫び声を上げて飛び上がった。
「な、なっ、な、ローグさん、なにをっ……わ、私がなにか失礼なことを申しましたか!?」
「いや、全然。単に面白いことを考え込んでるみたいだったんでな、ちょっかいをかけてみた」
「面白い、こと……ですか?」
「ああ、ゲント族の言う伝説の勇者というのは、ダーマ神殿にしてみれば転職をくり返す中で当たり前に生まれてくるものだったらしいぞ。もしかしたら案外、チャモロ、お前自身が伝説の勇者だった、というオチなんじゃないか?」
 すました顔でそう言ってのけるローグに、チャモロはカッと顔を赤くして、胸を反らせて言い返す。
「たとえ私が勇者という職業についていたとしても、私の伝説の勇者はローグさんただ一人です!」
「……それはまた、熱烈な口説き文句を聞かせてくれるな」
「は……はっ!? く、口説き文句、ってなぜそうなるのですか! 私はただ、あなたのように強烈な人としての輝きを持っている方はまずいらっしゃらない、と」
「うんうん、お前の言いたいことは分かったからもうその辺にしておけ。さすがの俺も照れくささを堪えきれんからな」
「ですからっ!」
 などとチャモロをからかいながらも、ローグは適切に情報を集めていた。神殿を一回りする頃には、力を与えてくれる職業というのがどんなものか一覧表を作っているほどの周到さを発揮していたのだ。
「とりあえず今就ける職業が、戦士、武闘家、魔法使い、僧侶、踊り子、盗賊、魔物マスター、商人、遊び人、か……。どんな上級職に就くかを睨みながら職に就く必要がありそうだな」
「バトルマスターに魔法戦士、パラディン賢者レンジャースーパースター、それから勇者、か……本当に勇者なんて職に就けちまうんだなぁ」
「……ですが、勇者に転職するための条件はいまだはっきりしていません。『色々な職業を極めた者だけに道が開かれる』そうですから、とりあえずはそれぞれ他の職業を極めることを目指すべきかと」
「そうね……それぞれに向いた職業に就く必要があるのじゃないかしら。それぞれ得意なことも、できることも違うものね」
「え? 得意なことと同じことができる職業に就かないといけないの?」
 きょとんとするバーバラに、ミレーユやローグは苦笑してみせつつ説明する。
「そういうわけではないけれど……。私たちはこれから冒険に出るわけでしょう? 当たり前だけれど、命懸けの冒険の中ではほんのわずかな力の差が死を招くこともあるわ。旅に余裕ができてからはともかく、とりあえずはそれぞれに向いた力を身に着けた方が生き延びられる確率が上がると思うの」
「えーっ! そ、そんなに大変な話だったのーっ! ど、どうしよう、あたし全然深く考えてなかった……!」
「お前はその方がいい。お前の深く考えない、勢い任せの、出たとこ勝負の、先々の展望無視のところはある意味強みだ」
「う……なんか、全然褒められてる気がしないんだけど……」
「俺としてはそれなりに褒めてるつもりだぞ。まぁどちらにせよ、それぞれに向いた能力を身に着けていかないとこれから先の戦いが厳しくなることは明白なんだ、少なくとも最初は自分に向いた職業に着いてほしいんだが?」
「う、うー……わかったよぉ、自分に向いた職業に就くんだね? むぅ……あたしに向いた職業ってなんだろう……」
「それはなかなかに難問だが、この場合は戦闘中にお前がどんな役割を担っているか、で考えればいいと思うぞ。最初はお前が戦闘でやっていることをさらに強化できる職業に就くのがいいんじゃないか?」
「むぅ……そうなるとー……うーん」
 そんな風にそれぞれ悩んで、決めたのがハッサンが武闘家で、ミレーユとチャモロが僧侶、バーバラは魔法使いで、ローグは魔物マスター、という職業だったのだ。だから、それぞれ自分で決めたことなのだから、文句なんてものはないのだが。
「や、文句はねぇんだけどさ。スーパースターになる職業なしでいいのか? 普段のお前だったら、きっちり全部の職業極めないと気が済まねぇ、とか言いそうだと思ったんだけどよ」
「ふん……わかりきったことをいちいち言うな。将来的には当然すべての職業を極めるに決まってるだろうが」
『……え゛?』
 思わず絶句して問い返すが、ローグはいつものように、こんなこと当たり前だとばかりにふんぞり返ってみせる。
「なにを驚く。当たり前のことだろが、極めれば極めるだけ力が手に入るんだぞ? だったら全員極めんでどうする。転職先にそれぞれの意思を尊重するのはもちろんだが、最終的には全員すべての職業を極めてすべての特技を習得させるに決まってるだろが!」
「ええぇぇ……職業に熟練するには、自分の強さに見合った魔物をいっぱい倒さなくちゃならないんだろ? それを全部の職業でやるって……そんなの、本当にできるのか?」
「『できるのか?』じゃねぇ。やるんだよ」
「ええぇぇぇ……」
「おいハッサン。お前、もう忘れたか?」
「……なにをだよ?」
「俺が一度なにかをやる、と言って、やり遂げなかったことがあるか?」
 そんなことを言いながら、ごくごく当たり前のことを言っているような、それでいて果てしなく偉そうな、傲岸不遜この上ない笑みを浮かべたローグに、ハッサンと他の仲間たちは、やれやれ、と苦笑しながら肩をすくめた。まったく偉そうなことこの上ない野郎ではあるが、実際こいつは『やる』と言ったことはなんとしてもやり遂げる奴なのだから、始末に悪い。
 ――まぁ、それが面白いところでもあるのだが、と思いつつハッサンは偉そうに鼻を鳴らして階段を上っていくローグに続き、歩き出した。

 そうして、ハッサンたちは、ダーマ神殿の力で職業≠ニいう新しい力を得て、新たな旅へと出発した、のだが――
「ふむ……これは、一人口笛要員を作った方がいいだろうな……一度全員僧侶に転職してホイミとニフラムを覚えたとはいえ、口笛があるとないとでは効率が違いすぎる……魔法使いに転職して全員メラミ、というのもひとつの手ではあるが、基本前線要員は攻撃呪文を使うよりもやらせたい攻撃があるからな、まずは現在の職業を伸ばしていくべきだろう……」
「……おい、ローグ……それってつまり、まだこれからえんえん戦いまくるってことか……?」
 荒い息をつきながら、涼しい顔で考え深げに顎に手をやるローグに訊ねると、ローグはごくごくあっさりとうなずいてみせる。
「当たり前だろが。幸いまだ余裕はあるんだぞ、まだまだ熟練度を上げまくらずにどうする」
「余裕って……余裕ってなぁっ、毎日毎日何十回も戦いまくっといて余裕もくそもねぇだろーっ!」
 絶叫するハッサンに、ローグは『なにを言ってるんだこいつは?』とでも言いたげに眉を寄せた。
「なんでそれが余裕がないことになる? 全員まったく問題なく、というかほとんどまともに傷も負わずに生き延びられてるだろが」
「だ、っからなぁ〜……命懸けの戦いを毎日毎日、野営しながら何十度も繰り返すってのは明らかにおかしいだろ!?」
 ハッサンは心の底からの想いを込めて腹の底から叫ぶ。自分と同様息が荒い自分の後ろの仲間たちからも、それに同意するような重い視線が送られてきていた。
 新たな旅と言えば聞こえはいいが、出発後のローグの行動はとんでもなく奇妙なものだった。上の世界の地底魔城に飛び、すさまじい勢いで魔物を倒し始めたのだ。
 なんでそんなことをするかと問えば、『せっかくの熟練度を上げられる機会なんだぞ、全力で上げられるだけ上げるのが筋というものだろうが!』と主張して、まったく悪びれる気配がない。まぁ本格的に旅立つ前に修業するというのは悪いことではないし、と言う通りに戦ってみたはいいが、ローグのやらせる戦いというのは正直とんでもなく常識から外れていた。
 地底魔城近くの地上にベースキャンプを構え、地底魔城近辺の毒の沼地から外れたところを歩いて歩いて歩きまくる。そして魔物が出てくるや、ニフラムを使える連中全員でニフラムを唱えて唱えて唱えまくる。そして魔物が残り一体になったら倒す。それを日に何度も何度も、それこそ何十回も繰り返す。それをここ数日ずっと続けているのだから、いい加減ブチ切れたくなるのも当然だ。
 と、ハッサンは思いの丈をぶちまけたのだが、ローグは平然とした顔でごくあっさりとそれを受け止めた。
「おかしかろうがおかしくなかろうが、これが一番着実な方法なんだから仕方ないだろが」
「ちゃ、着実ってな……」
「っていうかさーっ、もういい加減旅に出発しようよーっ! あたしもうえんえん歩き回って魔物倒すだけの生活飽きたーっ!」
「………は?」
 喚いたバーバラに、ローグはゆっくりと顔を向ける――や、バーバラはひきっと固まった。ローグの表情はごく落ち着いたものだ――が、感じられる意志、気配、気迫、そういったものの混じり合った圧倒的な迫力に思わずビビってしまったのだろう。正直ハッサンもひえぇと思った。
「バーバラ。お前、なにを言っている?」
「な……な、な、なに、って………?」
「俺たちは今、いくらでも自由に時間を使える状況にいるんだぞ? だというのに、なぜ限界まで戦わないという選択肢が出てくる? 旅の中で、どんな危険が現れるか、いつその時の実力では倒せない敵が現れるかわからない状況下で、なぜ修業を怠けることができるんだ?」
「そ、そう、だけどぉっ……そうかもしれないけどぉぉっ……!」
「っ……あの、ローグさん。修業に励むのも大事なことには違いありませんが……なぜ、魔物を一体だけ残してそれ以外をニフラムで消す、ということをされるのです? 普通に戦って、なにか問題があるのでしょうか?」
 泣きそうになるバーバラを見かねてか、口を出すチャモロにローグは向き直り、少し考えるように目を伏せてから説明しだす。
「ふん……いいか、チャモロ。熟練度というのは、俺たちの強さに見合った魔物を倒さなければ上がらない。それはわかっているな?」
「はい……それは」
「だが、今の俺たちは魔物を倒せば倒すだけ強くなっていっている状態だ。それはわかっているか?」
『え?』
 チャモロのみならず、ハッサンもバーバラも声を揃えてしまった。一人ミレーユは落ち着いた表情で小さくうなずいたが、残りの三人はきょとんとした表情でお互いを見交わす。ローグはふんと鼻を鳴らして、説明を続けた。
「ま、ミレーユ以外は気づいていないだろうとは思っていたが。……おいハッサン。お前、俺と一緒に戦っていて気づかなかったのか? 旅をしていて、魔物と戦っている中で突然能力が劇的に上昇することがある、と」
「えぇ? ……言われてみりゃ、そんなことがあったような、気も………」
「あったんだよ。ある筋ではそれを『レベルが上がる』――強さの指標となるものが上昇した、という言い方をするが、同じ筋の情報からすると、熟練度を上昇させることができる魔物というのは生息地域によってだいたい決まっていて、レベルによって厳格に数字で分けられるらしい。で、レベルは強い魔物を、多く倒せば倒すほど高く上がる、というのが絶対的な法則らしいんだ」
「あの、その筋とは、いったいどの筋なのでしょうか……?」
「主にダーマ関係だな。で、だ。多く魔物を倒せばレベルが上がるということは、すなわち、一体ずつ魔物を倒していけばレベルは最低限しか上がらない。つまり、同じところで長い間熟練度を上げられる、ということになるだろが」
「え? えーっと……うーん……ん?」
「確かに、そうなりますが……しかし、そこまでして無理に熟練度を上げなくてもいいのでは」
「あ゛?」
 ちろり、とローグに見つめられて、チャモロは硬直する。ローグの視線には別に敵意のような攻撃的な感情は含まれていなかったが、やはり圧倒的な気迫が込められていて、なまなかな覚悟ではとても見返すことができないのだ。
「本当に、そう思うのか、チャモロ? 上げれば上げるほど強くなり、生存確率が上がり、多彩な能力が得られる熟練度を、特に意識せず適当に上げていればいい、と?」
「いえ申し訳ありません私が浅はかでしたどうかご容赦くださいっ!」
 ほとんど土下座せんばかりの勢いで頭を下げられて、ローグはあっさり視線をチャモロから外す。
「わかったならいい。……とにかく、だ。幸い俺たちの行ける場所の中で熟練度を上げる限界のレベルまでは、まだいくらか余裕がある。全力で熟練度を上げて、少しでも多く特技を習得するぞ!」
『……はーい……』
 思わず暗い気持ちになりながらも、ハッサンたちはうなずいた。実際問題、ああまでローグが気合を入れて熟練度を上げているとなると、ハッサンたちとしてもどうにも口出しができないのだ。そりゃあ命懸けというくらいの気迫を込めれば逆らうことはできるだろうが、そんなことそうそうできることじゃない上に何度もやるなんて絶対ごめんだ。ローグのあの顔を見て、自覚してしまった。
 まぁ、実際俺らが今旅してるのはローグのためって言ってもさほど過言じゃないわけだし、ローグの好きなように旅をさせてやっても別に悪くないよな、とハッサンは自分を慰めたのだった。

「……おっでれぇたなぁ……」
 サンマリーノの沖合を進む神の船の上で、舳先に立って進む船の先を眺めつつ、ハッサンはぼんやりと呟いた。
 長い長い熟練度上げを終え、ようやくサンマリーノから出航した神の船は、まともな船乗りは船長ただ一人しか乗っていないというのに、しごく穏やかに海を渡っている。さすが神の船と言うべき快適な船旅だったが、それよりもハッサンはびっくりしたことがあったのだ。
「なにがだ」
「うおっ!? 聞いてたのかよ」
 突然後ろから声をかけられ、思わず飛び上がりかけるが、それがローグの子絵だということに気づき落ち着きを取り戻す。実際、今ちょうどローグと話したいと思っていたところだったのだ。
「いやぁ、なんつぅかよぉ。お前の言ってたことって、けっこう本当だったんだなと思ってよ」
「は? なんのことだ」
「いや、お前、前言ってたじゃねぇか。熟練度をしっかり上げとかねぇと大変だ、ってよ」
「……まぁ、そうとも取れることは言ったな」
「それ、マジで実感したぜ。最初は半信半疑だったけどよ、熟練度上げて職業極めてくと、こんなに強くなれんだなぁ。これまでだったら苦戦するような相手でも、あっという間に倒せちまうんだもんな」
 本当に、ハッサンとしては驚愕の事実だったのだ。熟練度を上げている途中ではひたすらニフラム&直接攻撃だったから気づかなかったが、職業の熟練度を上げて特技を覚えるということが、ここまで戦いを楽にするとは思わなかった。
 現在ハッサンはバトルマスターをもうすぐ極めるというところまでいっているのだが、職業に就くことによって起きる能力の変化は能力比率的には下級職ではとんとんか、むしろマイナス面の方が大きかったりすることが多かったのだが、上級職では圧倒的に上昇する能力の方が多い。それだけでも大いに役立つというのに、職業の熟練度を上げることで覚えられる特技というもの、これがとんでもなく役に立つのだ。
 最初に戦った時、ハッサンがさっき覚えたところだから、となんの気なしに岩石落とし≠フ特技を使ってみたら(この特技を使うというのも不思議な感覚なのだが、習得した特技はまるで呼吸するようにたやすく使うことができるのだ。なんでできるのか、とかそういうことはまるでわからないが、できる≠ニいうことだけははっきりわかって、原理もなにもまるでわからなくても使おうと思えば反射的に使える、という)、空中からいくつも飛び出てきた岩を軽々と放り投げた結果(どう考えても奇妙な話だと思うができてしまうのだ。そして投げた後の岩はいつの間にか消えている、という)、何匹も海から寄ってきた魔物たちを、一瞬で全滅させることができたのだ。
 それのみならず、他の特技も便利だったり普通に殴りかかるのとは桁違いに強力な一撃を放てたりするし、ミレーユたちの習得した呪文(ミレーユたちは揃って賢者に転職した)もこれまでに使ってきたものとは桁違いに強力なものばかり。本当に、熟練度を上げていなかったらそういう特典がみんな存在しなかったと思うと、ローグの言う通り熟練度上げにいそしんでおいてよかった! と思うのだ。おかげでこの先どんな敵が出てきても負ける気がしない。
「けっこう大変だったけどよ、そのおかげで旅が滞るなんてこともなさそうだし、この先が楽しみになってきたぜ。ま、久しぶりの旅だからテンション上がってるってのもあるけどよ」
「……まぁ、確かにな」
「だよな? やっぱ楽しみだよな? へへっ、なんつぅかよ、これまでとは違った旅ができるって思うと、いてもたってもいられなくなっちまうよな!」
 ローグの身体を探すために、世界中を巡る旅。
 自分たちはこの広い世界の、どこにでも行ける、どこまででも行ける。それこそ世界の果てまで、世界の隅から隅まで、これまで見たことのなかったもの、行ったことのなかった場所、そういうものにいくらでも出会えるのだ。
 これまでは魔王ムドーを倒すためという大切な目的のために懸命に戦い続けてきた。少なくともそういう気持ちがいつもどこかにあった。
 けれど、これからの自分たちの旅は、本当に果てしなく自由なのだ。至急果たさねばならない目的のない、思うように世界を駆けまわっていい旅。そう思うとどんどん気分が盛り上がってきて、ひゃっほーぅっ! と海の彼方に向け叫んだ。
「ふん……なにを叫んでいる」
「いやだってよ、これから先世界を好きなように回っていいって思ったら叫びたくなっちまうだろ!」
「そんなこたぁ当然だ。声が小さいと言ってるんだ。主人公≠スる俺の本格的な出航だぞ? このくらいの声で叫ぶのが筋だろうが!」
 言うやローグはすっと一瞬息を吸い込み、ぅひゃっほぉぉおおーいぃっ!!! とハッサンの数倍はでかいんじゃないかという声で叫んだ。一瞬ぽかんとあっけにとられるものの、すぐに破顔してばしばしとローグの背中を叩く。
「そうだよなぁっ、そんくらいのでかい声出してもいいよなぁ!」
「当然だ」
「ははっ、ったくお前はよう、なんのかんの言いつつも旅に出るのすんげえ楽しみにしてたんじゃねぇか!」
「楽しみにしていないと誰が言った? 世界を自分の意志で自由に旅して回るんだぞ、テンション上がらない方がおかしいだろが」
「だよなぁ!」
 大笑いしながらばしばしと背中を叩いていると、即座にみぞおちに膝を入れられる。腹に筋肉を入れて防ぐと、がすっと延髄に肘を入れてくる。
 いつものじゃれ合いだが、そんなことをしながらも互いに顔は笑っている。それだけどちらも普段よりテンションが上がっているということだろう、などと思いつつ軽く拳を交えて、ふと思い出した。
「ああ、そういやよう、俺この前お前の夢見たぜ」
「……俺の? どんな?」
「いや、まぁ体を取り戻したころからちょくちょくお前の夢は見てたんだけどな。この前のはシェーラさまも出てきたからけっこう印象に残っててよ。シェーラさまがお前に、お前の身体を探せ、って言ってるとこの夢なんだけどよ」
「それで?」
「シェーラさまは、まぁ普通のっつーか、王妃さまっぽい感じに喋ってるんだけどよ、お前の顔がなーんか、つまんなそうっつーか、つくろってはいるけど辛そうな感じでよ。見ててはらはらしたぜ」
「だから?」
「ん? いや、だからっつーわけでもねぇけどよ。前に言ったこととおんなじで、思ってることはどんどん言ってくれよ、ってことかね。お前取り繕うのうまいから、黙ってたらなに考えてるかわかんねぇんだからよ。他の奴らには言えねぇことでも、俺だったら頑丈だからぶつけどころにはもってこいだぜ」
 そう言って笑うと、ローグはじっ、と、淡々とした――夢で見たような、感情が感じられないけれどどこか辛そうに見えてしまう顔で数瞬ハッサンを見返してから、ふんと鼻を鳴らして軽く蹴りを入れてきた。
「人の面倒を見る前にてめぇの頭の蝿をどうにかしやがれ」
「ってぇ! ったく、お前はっとに素直じゃねぇ奴だなぁ」
「当たり前だ。――礼は、言っておく」
 え、と振り向くより早く、ローグは足早にその場を立ち去りかけていた。別に耳が赤くなったりなんてこともなく、当然のことを言っただけ、というようなふてぶてしい表情で――けれど、普段よりもほんの少し早足で。
 ハッサンは一瞬ぽかんとしてから、すぐに満面の笑みを浮かべて「おうっ!」と叫ぶように応えた。高まった勢いのまま、全力で帆柱を天辺まで上り詰める。
 船の一番高いところで果てしなく続く海を眺めながら、いい気分で思った。魔物でも魔王でも来るなら来い、どんな奴でも相手になってやる――などと、威勢のいいことを。
 ――その言葉が、この先現実になるとも知らずに。

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