霊夢〜ミレーユ
「いやー、私、みなさんと冒険ができてワクワクドキドキです!」
「あはは、アモスってばそれ何回目? あー、でもちょっとうらやましいな、あたし最近はちょっと旅に慣れてきちゃってそーいうのが薄くなってる気が……うーん、あたし最近お疲れ気味かもー。気をつけようっと!」
「ははは、バーバラ、お前今でも充分すぎるくらい元気だと思うぜ? それにしても……俺たち、いったい今までに何匹くらいの魔物と戦ってきたかなあ。数えていたとしてもきっともうわかんなくなってるだろうけどな」
「ムドーを倒してからもそれなりに時間が経ちましたが、その間もずっと魔物と戦ってきましたからね。魔物といえば……この辺りは魔物が多いのでしょうか? 魔物たちがこちらをうかがっている気配がありますね。気をつけて進みましょう」
「ま、ここらに住んでいる程度の魔物では不意を討とうが大軍で攻め寄せようが俺たちを倒せはしないだろうが……油断して不覚を取るなんてことは死んでもごめんだからな。適度に警戒しておくとしよう」
 にぎやかにお喋りしながら、自分たちは馬車と共に歩を進める。普通は、馬車と同程度の速さで歩くというのは、短い間ならばともかく何時間もかけてとなるとかなり足に負担がかかるものなのだが、自分たちはさして気負うことすらせずに、むしろのんびり歩いているような気持ちで何時間も馬車と並んで歩き続けていた。
 これもローグの、主人公≠ニいう力の賜物なのだろうか。そんなことを思いつつ、ミレーユは朗らかな笑顔で言う。
「天気がいいと気分もいいわね。ほら、ファルシオンも元気みたい」
「ヒヒヒーンッ!!」
 ファルシオンは、自分が首を叩くのと合わせるように元気よく嘶く。場合によっては二十人は乗れるのではないかというほど巨大な馬車を、一頭で引いているとは思えない力強さだ。その身にまとう気≠フ強さからすれば当然とも言えるかもしれないが、ミレーユはそれにもローグの力の影響があるような気がした。
 ローグ。精霊に導かれて旅立ったという、ライフコッドの村人。けれどその実は、ムドーによって肉体から分かたれたレイドック王子ローグィディオヌスの魂。
 その事実を、ミレーユは彼と会った時から知っていた。ミレーユは彼と会った時にはすでに魂と肉体を、グランマーズに繋げてもらった後だったから。まだ魂と体が馴染まず、鍛えた力を十全に揮うことはできなかったけれども、記憶はすでに取り戻していたのだ。
 けれど、同時にミレーユの中には、『彼は本当にローグィディオヌス王子だろうか』という疑念の欠片が存在していた。性格がまるで違うというのももちろんあるが、それ以上に、ミレーユの目――子供の頃から時に悩まされ時に導きの光となった、形なきもの、この世ならざるものを見る瞳には、王子とローグが同一人物のようにはとても見えなかったのだ。
 魂の光の色が違うわけではない。輝きの強さも王子と違うようには見えない。けれど、魂の光を見通す力よりもさらに深い部分で、ミレーユはローグの中に、恐ろしく深いものを感じていた。一国を背負う王族のものとすら比べ物にならないほどの。
 ミレーユは、ローグの魂の向こうを見つめる時、世界をのぞいているような気分になった。世界が彼のために存在しているかのような、いや世界そのものが彼であるかのような、人とは思えない深み、広さ。
 そんなものを背負い、背景にしながら、彼は(少々高飛車で意地っ張りで傲岸不遜ではあるけれども)ごく普通の人間のように笑い、怒る。それはミレーユにとっては、ありえざる、あるはずのない、あってはならないはずのことだった。
 そんな彼を内心恐ろしく思いながらも、ミレーユは穏やかに微笑んで彼らの仲間として振る舞ってきた。そんな感情を抱いていることが知れればハッサンも、バーバラも、チャモロですら自分を嫌悪するだろうとわかっていながら。
 けれど、ミレーユはそういう風にしか生きる術を知らないのだ。相手の魂を見通し、相手がどんな反応をするか読みながら、穏やかで優しい女を演じ相手の懐に入り込む。共にいる人間の誰にも嫌われることのないように、誰にも心に立ち入らせることのないように、人と人の間を泳ぎ渡る。ガンディーノの王の後宮から逃げ出してからずっとそうして生きてきた。そうしなければ、自分を切り売りする以外に生きる道がなかったから。
 ――けれど、たぶん、ローグは自分のそんな本性を知っている。
 彼は自分にはいつも穏やかに接し、女性に対する気遣いを忘れず、優しく労わりねぎらってくれる。だが目はいつも冷静に自分を見ていた。観察するように、あるいは監視するように。
 その視線がなによりも雄弁に真実を語るのだ。『俺はお前がなにを考えているか知っているぞ』と。『どんなにごまかそうとも、演じようとも、お前の真実を知っているぞ』と常に自分に語りかけてくる。
 それを知りながらも、ミレーユは知らないふりをしてローグの旅についていっている。そしてそれをローグは咎めようとはしない。これまでに何度か自身の旅から仲間たちを排除しようとしながらも、最終的には全員連れて、さらに数日前からはアモスという、別に仲間に加える必要など微塵もない行きずりの戦士すら仲間に加え、転職すらさせて共に旅を続けている。
 なぜ彼がそんなことをするのか。なぜ彼は自分の真実をみんなに明かさないのか。彼は一体、心の奥底でなにを考えているのか。
 わからない。不安で怖い。いつ自分の真実が明かされるか、いつローグが自分に見通すことのできない心の中の闇のために世界を壊すことになるかと考えると恐ろしい。
 けれども、ミレーユにとってはそれはいつものことだった。ガンディーノで無理やり王の後宮に入れられてからずっと、弟と引き離されてからずっと、自分は嘘と演技にまみれながら、いつそれが打ち破られるかという恐怖に、ずっと震えていたのだから。

 サンマリーノから船出した自分たちは、北西の浅瀬で人魚たちと出会い逃げられるなどという珍事と出会いながらも、北西のモンストルの町へと進んでいた。そこでアモス――魔物の毒かあるいは病によるものか、魔物に噛まれてから夜は魔物に変身して町をさ迷い歩くという男と出会うことになり、彼の病を何とかしてやろうということになった。
 それから町の人に話を聞いて、理性の種というものを煎じて飲ませればいいのではないかと考えつき、北の山へ進んで喋る草と出会いながらも、無事理性の種を手に入れてアモスに飲ませ、変身を自由にコントロールできるようにさせることができた。
 それをアモスは喜びながらも、礼のためにもと旅に同行することを申し出、それをローグは案外あっさり受け容れて、モンストルの街から東へ船出し、小さな漁村に船をつけて、東へ東へと旅をしてきた。
 このアモスという男が、年は三十と少しだというのに、明るいというよりは脳天気なのではないかとすら思わせるような天真爛漫な言動をする男で、ミレーユも彼の言動には何度も吹き出させられた。彼のおかげでパーティの雰囲気は一気に明るくなったというか、笑顔が絶えないようになったと思う。
 そんな中、ローグはこれから向かう街であるアークボルトについて、軽く仲間たちに解説していた。
「アークボルトってのは、いわゆる城塞都市ってやつでな。もともとは戦のために創られた城塞の中に街を創ったって代物なんだ。もちろん増改築はくり返しているが周囲を城壁に囲まれた都市だっていうのには変わりないからな、防衛力は世界でも有数ってレベルだろう」
「へぇー、昔にも魔王に襲われるみたいなことがあったんだねー」
「いや、その頃は魔物が大人しい頃だったからな。どちらかというと相手は人間だ。本来アークボルトが所属してた国の首都はもっと南西の港町だったんだが、戦でその首都が落とされてな。王やらなんやらはこぞって今のアークボルトになる城塞へと逃げ出した。本来北東の未開発地域やなんかから首都を護るための城塞だったんだが、必死にそこを築城して敵の攻撃に備えているうちに、攻めてきた方の国が内乱やらなんやらで滅びることになって、その城塞都市と国の名前を揃ってアークボルトと改めた。それから北や東へと開発の手を伸ばすようになって、アークボルトの国土は現在の北の山脈からこっち側すべてになった。それからトンネルを掘って、山脈以北の自治区とも道を繋いだ。そうしてアークボルトという都市は、海とも奥地とも適度に近い、この大陸の流通の中継地という役割を果たすことになったわけさ」
「ふ……ふぅん?」
「そんな『どうしようさっぱりわかんないよー』みたいな顔をするな、バーバラ。そこに二人お前より年上なのにもっとさっぱりわからない、そのくせ全然気にしてない奴らがいるから安心しろ」
「……ん? 俺らのことか?」
「はっ! すいません、ローグさんの話思ったより長くて寝ちゃってました!」
「安心しろ、誰もお前らに理解させようと思って話してないから。……で、基本が城塞都市なんで、やはり人口に対する割合として軍隊が多くなる。首都を攻め落とされたトラウマもあって、代々のアークボルト国王は軍事に力を入れるようになり、それが伝統化して今の軍事国家アークボルトが生まれたわけだ。精強な軍隊と堅牢な城塞、そのふたつでアークボルトはムドーの魔物たちからもほとんど被害を出すことなく国民を護りきった、と聞いている」
「なるほど……それならば、今の状況でも国民のみなさんは安心ですね。魔王ムドーを倒したというのに、魔物の数はあまり減っていませんから」
「そうね……今のところあまり状況は変わっていないわね。時間と共に変わってくるのかもしれないけれど……」
 どちらにせよ、ミレーユには旅を続ける以外の選択肢はない。ローグの肉体がどこに行ったのかというのも気になるし、それ以上に旅をしていれば生き別れになった弟と出会えるかもしれないという希望がある。
 なによりミレーユを突き動かすのは、ミレーユの夢≠セった。
 ミレーユは、ただ人には見えないものを見ることができる。魂の色、輝き。人の心が今なにを考えているかもある程度見通すことができる。
 そんな子供の頃から持っていた特質は、グランマーズとの出会いによって鍛えられ、磨き上げられて、ひとつの技術へと昇華した。それがグランマーズと同じ、夢占いの力だ。
 今のミレーユは限定的ではあるけれども、夢という混沌の世界を通じて未来視をしたり、真実を見通すことができた。夜の眠りの中で見る夢だけではなく、白昼夢や、ふいに一瞬訪れる昏睡の中で見る夢という形でも。
 その中でミレーユは、『旅を続けなければならない』という啓示を受けとっていた。ガンディーノで笛をもらった時、『自分はこれを持ってレイドック王子の旅に同行しなければならない』と感じた時のように。
 理由も理屈もわからない。ただ、絶対の結論としてわかるのだ。『自分はそうしなければならない』と。それは自分を突き動かし、ガンディーノからテリーがいなくなったことを知り絶望に陥ろうとも足を止めることを許さなかった。それほどにはっきりと、夢の中の啓示は全力で、『そうしなければならない』と主張するのだ。
 そんな風に心の中で物思いにふけりながらも、自分たちはどんどんと歩を進め、草原の中に建つ城塞都市、アークボルトへとたどりついた。
「うわーっ、ずいぶん大きなお城ですね!」
「なんだか、物々しい雰囲気のところですね……」
 そんなことを言いながら門をくぐり、街の中へと入る。城塞の中に街がすっぽり入っているという街アークボルトは、街の出入り口になる門を入っただけでは安宿や市場、厩舎といった最低限の施設しかない。門を護る番兵に聞いてみると、なんでも壁に囲まれているだけの街にはいつ捨ててもいいような、けれど流通のための商売には支障がないだけの施設を集めており、政治や経済における中枢、のみならず重要な施設は城塞の中にしかなく、そこに入るにはそれなりの身分証明が必要になるのだそうだ。
 幸い自分たちはレイドック王直筆、国璽による捺印がされた身分証があるので、基本的には関係者以外立ち入り禁止の場所でもなければどこでも入れる。旅人の使う馬車や馬を預かる厩舎の中でもかなりに上等なところにファルシオンと馬車を預け、自分たちは城塞へと向かった。
「あら、あそこになにかの立て札があるわ。なにか旅人相手にも伝えるようなことがあるのかしら?」
「そうだな……。ん……なんだ? 前から青い服を着た若いのが来るぞ」
「ん? あ、ほんとだ。誰か向かってくるよ」
 言われてミレーユも反射的に前を向く。――とたん、ミレーユは目を見開いた。
 城塞の方から歩いてくるのは、鮮烈なほどに青い服で身を固めた、少年と青年の中間ぐらいの顔立ちをした男だった。陽の光を反射して光る銀髪と、怜悧なほどに整った顔立ちは、たいていの人間が美しいと認めるだろうものだ。なぜか棺桶を引きずっているが、それでも彼の持つ冷たく鋭い気配は損なわれていなかった。
 剣を腰に下げ、盾を背負っている。それに加えて歩法、歩く時ほとんど体が揺れないほどしっかりした体幹からも、戦いを生業とする人間だとわかった。
 だが、ミレーユが目を見開いたのはそれが理由ではない。こんな容貌の相手と会うのはこれが初めてだ。それは間違いない――のに、ミレーユは、『会ったことのある人間だ』と感じてしまったのだ。
 どこだろう、どこで会ったのだろう。わからない、わからないのにミレーユの魂の深い部分が叫んでいる。『彼は自分と会ったことがある』『彼は自分と深い縁のある人間だ』と。
 けれどどこで会った誰なのかはわからない。記憶をどれだけ引っ掻き回しても思い出せない。なぜだろう、自分はもう、失った記憶をすべて取り戻したはずなのに――
 そんな混乱と困惑で硬直しているミレーユをよそに、男はず、ずと棺桶を引きずりながら歩いてきて、足を止めている自分たちの前までやってきた。けれど自分たちにはろくに視線を向けることもなく、すいと身をかわして自分たちの横を通り抜けていく。
 ミレーユははっと我に返り、男を避けようとしたが、慌てていたせいか足がもつれて転びそうになる。そこにばっとローグが腕を差し出して支え、抱きとめてくれた。いつものこととはいえ、当然のような顔でこんな紳士的な真似をやってのけるのだから、やはりレイドック王子の魂の形ということか、などという感想が頭をよぎる。
「ありがとう、ローグ……ごめんなさいね、手をかけさせてしまって」
「いや」
 ごくあっさりと応えたローグは、ミレーユを腕で支えながらも、じっと男を見つめている。敵意を込めているわけでも、睨んでいるというわけでもないが、鮮烈なまでに強い意志の籠った視線だ。
 男もそれに気づいたのだろう、ミレーユたちの横を通り抜ける時にす、とこちらに視線を向けた。だが、その怜悧な表情は崩れることはなく、淡々と、自分たちをわずらわしい障害物としか見ていない視線を返しながら、ローグに応えた。
「……悪いな。先を急ぐんだ」
 それだけ言って、もはやこちらに視線を向けることもなく、街の外へ向かう道を歩いていく。それをなんとなく見送って、仲間たちはこぞって男についての感想を口にした。
「なんだあいつ? 棺桶なんか引きずって、どこへ行くんだ?」
「若いけど、なんだか雰囲気に凄味がありましたね」
「うーん、そうかもしれないけど、なんていうか、愛想のない人だったわねえ」
「今の若者からとても強い気を感じました……。かなりの使い手ではないでしょうかね」
「え、アモス、わかるの?」
「いやー、はっはっは、まぁ半分は雰囲気に合わせて言っただけなんですけどねー」
「なんだー」
「でももう半分は本音ですよ。私も一応、この年まで魔物と戦ってきた男ですしね! 相手の気配を感じ取る技くらい持ってるんですよ」
「へぇー、すっごーい! アモスって意外と凄腕なんだー!」
「こら、バーバラ、たとえ本音だろうが意外とは余計だ。アモスは長年モンストルを一人で護ってきた歴戦の戦士なんだぞ?」
「おおっ、ローグさん、ありがとうございます! 私をそこまで認めてくださってたなんて、ちょっぴりびっくりです!」
「なにを言っている、俺はお前のことを仲間にしてすぐに大した奴だと認めていたぞ? お前のその恐るべきシリアス破壊能力は本当に仲間にしてよかったのかためらうレベルだからな、三十路でそんな性格を保ち続けられるお前の存在は、まさに奇跡の賜物と言うしかない」
「いやぁ、そこまで褒められると照れちゃいますよー。……あれ? もしかして私、ローグさんにすごく愛されてます!?」
「……まぁ、ある意味な」
「くくっ……お前、何気にアモスには腰引けてるとこあるよな。悪口微妙に通じてねぇし」
「やかましいわてめぇに言われたくねぇこの脳筋モヒカン。……ミレーユ、お前が言っていた立て札っていうのは、これか?」
 ローグに言われて、じっと男の立ち去った方を見つめていたミレーユは、はっと我に返って前を向く。
「ええ、そうよ。……『魔物を倒さんとする強者求む! 我と思わん者は我が元へ来たれ! アークボルト王』……か。ふうん……戦士を集めているのね」
「なんだこれは? ずいぶん勇ましいな」
「強者求む……どこかに強い魔物でもいるのでしょうかね」
「魔物を倒さんとする強者……かあ。あたしたちにぴったりじゃない?」
「おおっ! その通りですねバーバラさん! 私、なんだかワクワクしてきました!」
「そうだな……どんな仕事を押しつけようとしてるのかは知らないが、まぁ内容によっては受けてもかまわないだろうな。一国の王が依頼する仕事なんだ、普通ならそれなりに報酬も弾んでくれるだろうし。……まぁ、軍事国家アークボルトがわざわざ外部から強者を呼んでまで依頼する仕事というからには、間違いなくそれなりに厄介な仕事ではあるんだろうが」
 そんなことを話しながらも、ローグと仲間たちは城へと向かった。その後について、表情は穏やかな微笑みを浮かべているものに固定しつつ、落ち着いた足取りで歩きながらも、ミレーユはさっきすれ違った男のことをずっと考えていた。あの男と自分はどこで会ったのだろう。あの男は、いったい自分のなんなのだろう。それが気になってしょうがなく、心の中で何度も何度も、思い悩まずにはいられなかったのだ。

「――これも我が務め。お前が本当に強いかどうかを確かめなくてはならぬ。さあ勝負といこう。用意はいいか?」
「こちらは四人いるが……それでもいいのか? 一対一という形にしてもこちらはかまわないが」
 ガルシアと名乗ったアークボルトの兵士は、ローグの半ば挑発するような言葉に、面頬の奥でにやりと笑みを浮かべた。
「お前たちが四人で戦うというならばそれでかまわん。だが、数を揃えればアークボルトの兵を倒せると思うなよ? 我らは一騎当千の強者揃い、弱卒がどれだけ集まったところで意味などないということを教えてやろう!」
「なるほど……そうまで言うなら、こちらも遠慮なくやらせてもらうぞ?」
 言ってローグはすぅっ、と破邪の剣を抜く。その前に立つハッサンも炎の爪を構え、アモスも笑顔でバトルアックスを大きく振って戦いに備える。ミレーユも破邪の剣を鞘から抜いた。
 バーバラとチャモロは今回、後方で待機している。ローグが決めたことなのだが、自分たちは基本的に四人編成で戦うことになっているのだ。
 ローグが言うには、『戦術的にも全滅を防ぐためにも戦闘にはある程度の予備戦力を用意しておくことが望ましい』『平常運行時は成員の体力の維持のためある程度ローテーションを組んで戦闘人員を回していく必要があるし、ダンジョンなどの局地戦闘時は安全な場所から援護する成員を作っておくほうが踏破の成功率が上がる』『全員で戦った方がもちろん戦力的には強くなるだろうが、強力な全体攻撃などを喰らった時に全滅を回避するためには安全地帯にフォロー要員を作っておいた方がいい』ということなのだそうだ。
 ミレーユとしては、その判断に文句をつけるつもりはない。ミレーユは戦術については基本的に門外漢なのだ、王子としての教育を受けてきたであろう、現在でもパーティの司令塔であるローグに判断を任せた方がいいと考えた。
 だが、そういった理性的な判断とは別に、ミレーユの心はローグの言葉に嘘を感じ取っていた。いや、嘘ではないのかもしれないが、ローグのその言葉はたぶん本音をごまかしている。本当は別の理由があるのにもっともらしいことを言っているのだと理性より先に感性が確信していた。
 それについての不安はあるし、なにを隠しているのかと探りたい気持ちもある――が、ミレーユにはローグに反対しようという気はなかった。理性的な判断においても、ミレーユの感性においても、戦いにおいてはローグに従う方がいいと感じていたからだ。
「ミレーユ! スクルト連打! ハッサンとアモスは特技込みで、ひたすら全力でぶん殴れ!」
「了解!」
「アイアイサーです!」
「わかったわ!」
 次々下されるローグの的確な指示。それに従って体が動く。軽々と、楽々と。そう動くのが当然だと最初から決まっていたかのように。
 全力で振り下ろされるガルシアの剣をスクルトで防御力を上げたローグの盾が受け止める。すかさずそこを狙いハッサンの爪とアモスの斧が襲いかかる。ハッサンの爪が四度閃いたかと思うとアモスの斧の一撃が叩き込まれ、ガルシアがよろめいたところにさらにローグの剣が打ち込まれる。
 戦いの時のローグの言葉は、自分たちをひとつの意志の元に統一されているかのように動かした。流れを読み、相手の力量を読み、巧みに相手の隙を突き、攻撃も防御も最上の機をうかがっているかのように、自然と体が動く。
 それは、ローグがただ王子の魂を持っているからというわけではない、とミレーユは確信していた。こんなことは普通の人間にできることではない。ほんの数日前に会ったばかりのアモスまで長年共に戦った仲間のように動かすなど、普通できはしない。
 それがローグの隠している秘密の一端かもしれない、とも思っていた――だが、それをあえて探ろうとは思っていなかった。ミレーユにとっては、ローグのその秘密は、存在は知っていても知るべきではないことだったのだ。
 ローグは自分が秘密の存在を知っていることを知っている。そして、あえて泳がせているのだろう。その方が自分の目的に都合がいいから。
 そして、ミレーユも同様に、自分の目的のためにこのパーティに加わっている。自分を動かす夢≠フ導きと、弟と出会えるかもしれないという儚い希望のため。
 たとえそれが仲間と呼ぶ相手を騙すと引き換えるには軽すぎる理由だとしても、ミレーユにはそれ以外に生きる目的を、方法を知らないのだ。
「でぇぇっ!」
 仲間たちが一瞬配置を散らした瞬間を狙って、ガルシアが剣を振りかざして自分めがけ特攻してくる。だがミレーユは慌てず騒がず、落ち着いて破邪の剣を構えた。ミレーユは今のところ装備できる盾を手に入れられてはいないが、現在身にまとっている精霊の鎧は、その不利を補って余りある守備力を誇る。何度もスクルトにより防御力を向上させた今は、攻撃を直撃させられてもさして傷もつけられないはずだった。
 ――が、ミレーユのそんな判断にもかかわらず、だっとローグがミレーユとガルシアの間に入ってきた。ガルシアの攻撃を盾で止め、一瞬動きが止まった隙を狙って攻撃する。
 そこにハッサンとアモスの攻撃が追い打ちをかけ、ガルシアはがく、とその場に膝をついた。は、は、と息を荒げながら、わずかに笑みを含んだ声で言う。
「なるほど……強いな、お前は。よかろう、通るがいい」
 それに仲間たちはほっと安堵の息をついた。後ろに退がっていたバーバラとチャモロも近づいてきて、それぞれ軽く手を打ち合わせたりしながら、口々に感想を言う。
「いやあ、このガルシアって奴、けっこう強かったな!」
「なるほど。こうして城を訪れる者の強さをしらべているのですね。なんだか先が思いやられます……」
「この兵隊さん。今日は忙しくて体がもたないって言ってたね。ということは、今日はそんなに何度も戦ったってことかしら?」
「あー、疲れた……。先に進むのは、少し休んでからにしましょうか?」
 ミレーユもそこに笑顔で加わった。いつも通りの穏やかな表情で、仲間たちに話しかける。
「ふう……よかった。なんとか勝てたわね。これで王さまに会えるかしら」
『…………』
「? なぁに?」
 一瞬黙った仲間たちを怪訝に思い訊ねると、仲間たちも怪訝そうな顔で訊ねてきた。
「いや、ミレーユ……お前、どうかしたのか?」
「震えてるよ、ミレーユ……」
「え……?」
 言われて初めて、ミレーユは自分の手が小さく震えているのに気づいた。自分ではまるでそんな意識がなかったので、内心ひどく驚いて手を握りしめる。
「どう、したのかしら……自分でも、気づかなかったわ……」
「……やれやれ、仕方ない奴らだ。お前ら、ミレーユ自身も気づいてない心を無神経に掘り出すんじゃない」
 と、ローグがやれやれと肩をすくめながらミレーユの前に立つ。いつも通りの自信たっぷりな顔で、当然のように言ってのけた。
「お前ら、わかってるか? ミレーユは戦いの最後に、俺に割って入って攻撃を受け止められたからこんなに衝撃を受けているんだぞ?」
「え? ………ああ、そうですね、確かに戦いの最後にローグさんは、ミレーユさんを攻撃しようとしたガルシアさんの剣を受け止めていましたが……」
「でもなんで、それがミレーユが震えてることと関係あるの?」
「阿呆。そんなもんわかりきってるだろうが。ミレーユは自分の代わりに愛しい相手が傷ついてしまった! と衝撃を受けたんだよ。ミレーユは情の深い女性だからな、愛した相手が自分の代わりに傷つくなんてことにそうそう慣れるわけがない」
『……えぇ!?』
「ちょ……ローグ、ちょっとなに言ってるのー!? 愛しいとかっ……ミレーユが愛したとか、そんな、当たり前な顔でっ……」
「いえ、あの……ローグ、こういう言い方をするのは失礼だと思うけれど……違うわよ? 私はあなたに、感謝もしているし仲間だとも思っているけれど、個人的にそういう愛情を持っているというわけでは……」
「なんだ、ミレーユ、冷たい奴だな。一緒に旅をする仲間なんだ、愛のひとつやふたつ持たないで楽しく過ごせるのか? どこやらの神も汝の隣人を愛せよとうわごとのように言っているだろが」
 しれっとした顔で言われ、ミレーユは一瞬ぽかんとしてしまったが、数瞬後にようやく気づいた。
「ローグ……。あなた、冗談を言う時はもう少しわかりやすく言ってくれないかしら? いつもその調子じゃあ、誤解する女の子を何人も作ることになるわよ?」
「心配するな。俺は愛してくれる女の子にはそれなりに愛を返すことにしてるからな、誤解しっぱなしということにはならんだろう」
「え……冗談? な、なんだぁ……もーっ、ローグ、なに真剣な顔して言ってるのーっ、ホントにミレーユの言う通りだよーっ」
「別に俺は冗談を言ったつもりはないぞ? 仲間同士、それなりに愛し合った方が旅は楽しいだろう。少なくとも俺はお前たち全員をそれなりに愛しているつもりだが?」
「ほー、つまりお前は俺やアモスも愛してるってわけか? なかなか吹いてくれるじゃねーか」
「やかましいわ鶏頭マッチョ、つまらんツッコミをするな。俺に愛してほしいと思っているならそのどこにでも嘴を突っ込む癖を直したらどうだ」
 いつも通りにぎゃあぎゃあ喚く仲間たちを、少し離れたところで微笑みながら見守りつつ、ミレーユはこっそり心臓を押さえていた。いつもより鼓動が早い。ローグのあんな言葉など、冗談でしかありえないだろうに、少なくとも自分はローグに信じられても愛されてもいないだろうに、それがわかっているのにローグの言葉は自分にそれくらいの衝撃を与えたのだ。
 自分は、そんなに愛されることに飢えていたとでもいうのだろうか。自分は、少なくとも本当の自分は、他人に受け容れられることなどないと、一緒に心の底から笑いあうことなどできないと、とっくのとうにわかっていたはずなのに。

「おぬしたちの前にも、一人兵団長を打ち負かし魔物退治に向かった男がいるのである。確か、テリーと言ったか……。彼一人に任せるのは不安だと思っていたのである。おぬしたちにも彼と一緒に戦ってもらいたいのである」
 ガルシアの次にはスコットとホリディと名乗った二人の兵士を打ち負かし、謁見の間に乗り込んで。旅人の洞窟に巣食う魔物を倒せる力を持つかどうか確かめるため、ブラスト兵団長というアークボルト最強の戦士と名高い男と戦えという要請に、ローグがうなずいたのち。そばに控えていたおそらくは宰相であろう男が、そんなことを言った。
「あいつ、そんなに強い奴だったとはな……」
「やはり、あの若者は只者ではなかったのですね!」
「たった一人で魔物退治に行っちゃったわけ? かなり無謀じゃない!?」
「一人で魔物と戦うなんて危険です。ぜひ私たちもお手伝いを! ……といっても、まずはテストに受かってからのお話でしたね……」
 そんなことを小声で話し込む仲間たちの後ろで、ミレーユは呆然と呟いていた。
「テリー……?」
 覚えている。忘れるはずがない。それは今ではほとんど口に出すこともなくなってしまった、自分の実の弟の名だ。
 けれど、それが、なぜ、こんなところで。かすかな希望に賭けて弟を探しながらも、もはや会えることもないだろうと、ずっと別れ別れになったままなのだろうと半ば諦めかけていた弟の名が、なぜ、今になって、こんなところで。
 あの剣士が――自分のことをまともに見もしなかったあの冷たい目をした剣士が。まさか、そんなことはと思いながらも、ミレーユの心は勝手に納得していた。あの剣士が、テリー。だからなのか、と。だから自分はあの剣士のことがこれだけ気になったのか。だから自分はあの剣士とどこかで会った気がしてしょうがなかったのか、と。
 再会を喜ぶよりも、あまりにも突然の話過ぎて呆然とするしかないミレーユをよそに、ローグは礼儀正しい素振りでアークボルトの王陛下とブラスト兵団長と相対していた。
「……ローグというのか。よし、ローグよ、城の南西にある兵たちの訓練場へ向かうぞ。この場で剣を振り回すわけにはいかないからな。では王よ。訓練場までご足労を」
「うむ!」
 アークボルト王は力強くうなずき、ブラストの先導について歩き出す。その後に妃殿下と宰相が続く。自分たちもそれぞれ声を交わし合いながらも、それを追った。
「いよいよこの城最強の強者と勝負ですね」
「やっぱり兵団長って手強そうだよね。しっかり準備を整えて行きましょう!」
「よーし! めざすは訓練場だ! 行くぜローグ!」
「お前にわざわざ言われんでもわかってる。……どうした、ミレーユ」
 ローグがふいに足を止め、自分に話しかけてくる。
「なんだか顔色が悪いが。なにか気になることでもあったのか?」
「………っ」
「あ! ホントだ、なんかミレーユ顔色悪いよっ! 大丈夫、ちょっと休む?」
「ミレーユさん、体調に問題があるのなら遠慮せずに言ってください。とりあえず、ブラスト兵団長との戦いは私が代わり――」
「いえっ! 大丈夫よ、みんな。大したことじゃないの、平気よ。気にしないで、ね? そんな風に気にさせてしまう方が私にとっては辛いわ」
「え……で、でも……ミレーユ、本当に大丈夫?」
「大丈夫よ、気にしないで。私、これでも体力には自信があるんだから」
「まぁ、そりゃミレーユが女にしては相当体力あるのはわかってるけどよ……」
「……ここまで言うんだ、とりあえず今回はミレーユを信じよう。だがミレーユ、俺たちの目から見てあんまり無理をしているようだったら、問答無用で下がらせるからな?」
「ええ……わかったわ。ごめんなさいね、みんな。気を遣わせてしまって」
「ううん、そんなのは全然いいんだけど……」
「ミレーユの方こそあんまり気に病むなよ。体調が辛い時に休むぐらい、当たり前のことなんだしよ」
「ええ……ありがとう、みんな」
 にっこり微笑んでうなずいてみせる。……こうすれば、仲間たちは自分をそう簡単には下がらせないだろうという計算の下に。
 仲間たちは程度の差はあれ安心したような顔になって、訓練場へと歩き始める。ふ、と聞こえないように小さく息をつく――そこに、ローグの声がかかった。
「言わないのか?」
「――――」
 一瞬硬直して、それからミレーユはいつもと同じように微笑んでローグの方を振り向く。
「なんのこと?」
「別に言ったところで損をすることでもないと思うが。一応という形にせよ、俺をリーダー扱いして平気な顔をしていられるようなお人よしどもだぞ? お前が正直な気持ちや、素性や、過去を語ったところで労わりこそすれ怒るような奴などいないとわかっているだろう?」
「ごめんなさい、ローグ。私、あなたがなにを言っているのかよくわからないわ」
「…………。お前にとって、弟の存在というのはそんなに知られたくないことなのか?」
「――――!」
 ミレーユは今度こそ完全に硬直した。なぜ―――なぜ。なぜ、ローグが弟のことを。自分は弟のことを、テリーのことを、他の誰にも、それこそあのグランマーズにさえ言ったことがないというのに。
 愕然とローグの顔を見つめる。ローグはいつも通りに平然と――というより、いつもよりずっと平静で、落ち着いている穏やかな顔で見つめ返してきた。それが自分をより混乱させる。ローグにはこんなことなど大したことではないというのだろうか。自身をこの旅の主人公≠ニうそぶくローグには、自分の過去も、感情も、すべてお見通しだというのだろうか。
 馬鹿な、そんなわけはない、と自分に言い聞かせながらも、ミレーユはその可能性に恐怖した。自身の目にも見抜くことのできない、世界の深みを持つ彼は、もしかしたら本当に、自分の心も、記憶も、透けて見えているのではないか、と思えてしまう。
 ひたすらに混乱し、どうすればいいかわからなくなって呆然とローグを見つめるミレーユに、ローグはふいに、小さくふ、と息を吐いた。
「……この件については、また後で話をしよう」
「…………」
「なんなら、チャモロかバーバラに交代してもらうか?」
 淡々とした顔と声で告げられる言葉に、ミレーユは硬直した心と体を必死に動かして首を振った。自分は退けない――ここで退いては、旅をしている意味がなくなってしまう。自分は戦わなくてはならないのだ。自分を導く夢の導きと、弟のために。そして弟がもしかしたら、今ほんのすぐそばにいるのかもしれないのだ。それなのに逃げ出すわけにはいかない。
 そして、なにより、自分はローグと共に旅をすると言ったのだ。仲間と共に戦うと告げたのだ。それなのに旅の責務を投げ出すようなことをしては、自分はそれこそ仲間に合わせる顔がなくなる。
 こわばった顔で首を振るミレーユをどう思ったのか、ローグはじっとミレーユを見つめてから、「わかった」と告げて前へと向き直った。ミレーユはようやく小さく息をついて、同じように前へと向き直る。
 戦わなければ。やらなくては。なんとしてもしなければ。自分はそのためにずっと、これまでずっと、耐えて、戦い、生き続けてきたのだから。
 訓練所で、アークボルト王陛下と妃殿下、さらには宰相閣下までも付き添われながらブラスト兵団長を向きあう。ブラスト兵団長は歴戦の強者だというのは見ればわかる、だがミレーユはなんとしても戦い、勝たなくてはならないのだ。
 周囲の言葉も、ブラスト兵団長の言葉も、半ば耳に入らないまま、いつものように微笑んで周囲に合わせた言葉を放つ。そんなことには慣れていた。自分にとってそんなことは本当に、日常茶飯事で。ずっと続けてきたことで。意味もなく、意義もなく、どうして生き続けているのかもときおりわからなくなりながらも、本当に存在するのかどうかもわからない希望にすがって、ただひたすらに耐え続けてきたことで――
「ミレーユ! スクルト連打!」
「――――!!」
 ふいに、視界が開けた。
 ひたすらに自らの物思いに沈んでいたミレーユの脳裏に、一気に世界が認識される。ここはアークボルトの兵団訓練所、目の前にいるのは兵団長ブラスト、周囲にいるのはアークボルトの国王と王妃と宰相と見物の兵士、戦っている理由はアークボルト国王の魔物退治の依頼を請けるだけの力があるか確かめてもらうため、自分の前で自分を護ってくれているのは仲間たち、そして、ローグ―――
 そういったもろもろの情報が一気に自分の中で活性化する。目覚めの時のように全身に活力が吹きこまれる。自分の体に本来の自分のものより強いのではないかという力が溢れてくる。
 その力が向かうままに、ミレーユは叫んだ。
「――わかったわ!」
 そして呪文を唱える。軽くなった体が動くままに。流れるままに。そしてそれは、ローグが命令し、指揮し、向かわせる先と同じなのだ。
「でぇりゃっ!」
「はぁっ!」
 ハッサンが、アモスが次々にブラストに攻撃を仕掛ける。ブラストも巧みに盾を動かしてそれを受け止め、逆に大きく剣を振るって剣圧の刃を自分たち全員に飛ばしてくる。
 だが、それはスクルトによって防御力を高めていた自分たちには致命傷にはならなかった。スクルトによって高められた防御力はそれこそ肌を岩よりも固くする、普通の攻撃で致命傷を与えるのはまず不可能になるのだ。
 ミレーユは何度もスクルトを唱えて限界まで防御力を上げ、ローグが呪文や特技で相手の防御力を下げる。ローグの現在の職業であるレンジャーに就くまでに経由する職業魔物マスターには相手の能力を発揮させないようにする特技がいくつもあるのだ、相手を舐めただけで相手の攻撃を受け止める力を無効化する特技なんてものまである。
 そしてそこにハッサンとアモスが強力な特技で斬りかかる。見事な連携で攻撃する二人に、ブラストが苦戦しているのが傍から見てもわかる。
「ミレーユ、回復だ! 自分優先で、それから傷の深い順に!}
「ええ!」
 ローグの命令する言葉のままに体が軽やかに動く。さっきまでひたすらに物思いに沈んでいた自分の体とは思えないほどに。
 この力は、充実感はいったいなんなのか。自分の力が十二分に発揮されているのがわかる。そうだ、自分はローグの命令に従って戦う時、確かにこれと同じ感覚をいつも感じていた。自分が落ち込んでいたから、ひたすらに重く考え込んでいたからこんなにはっきり感じられるだけで。
 これがなんなのかはわからない――けれど、本当に、体が軽い。自分の力が十全に発揮できる喜びに、心と体が打ち震えているのがわかる。そうだ、自分は確かに、できるのならば、自分の力を、本当の力を思いきり振るい立ち向かいたいと、人から逃げて、周囲の視線をごまかして、必死にうまく立ち回っている心の半分でそう思って――
「ハァッ!」
「ぐ、ぁ……!」
 ハッサンの爆裂拳をまともに受け、ブラストはずしん、と膝をつき、剣を取り落とした。そこに即座に審判役を務める宰相の声がかかる。
「勝負あり! 勝者ローグ! である」
 その言葉にバーバラが歓声を上げ、ハッサンとアモスがにっと笑みを交わす。チャモロが安堵の息をつき、ローグがいつもと同じような『こんなのはできて当然だ』と思っているような顔で肩をすくめてみせる。
 それに向けてミレーユは、チャモロと同じように自然と安堵の息をつきながら、会心の笑みを浮かべていた。勝てたのが嬉しいと、自分の力を全力で揮って勝てたのが本当に嬉しいと、そんな子供のようなことを考えながら。

 ブラストに勝利した、ということでアークボルト王から正式に魔物退治の依頼を請けたのち、自分たちは城塞の外の街へと戻り、ファルシオンと合流してあわただしく旅を再開する準備を始めた。薬や装備の類もそうだが、もともとはこの街で一泊する予定だったので、ある程度食料や水を買い込んでおかなければならなかったのだ。
 それでもパーティの面々は、全員テリーに――あの剣士に早く追いつける方がいい、と考えているようだった。魔物退治の褒美は早い者勝ちなので、テリーが魔物を倒すにしても逆に倒されるにしても、急がなければならないというのが全員の結論だったのだ。
 ミレーユも、それに異議を唱えることはしなかった。それぞれ買い出しに出た仲間たちに少し遅れて、おそらくは足りなくなるだろう調味料を買い足すべく厩舎の外に出る――や、そこに当然のように待ち伏せていたローグと顔を合わせた。
「ミレーユ」
「……ローグ。どうしたの?」
「買い物を手伝おう。女一人で重い調味料の袋を買い込ませるわけにはいかないだろう」
 ミレーユは少し無言になってから、小さくうなずく。
「そうね。じゃあ、お願いしようかしら」
「ああ」
 ローグもうなずき返し、前に立って歩き出す。ごく自然にミレーユより街路側、なにかことが起きれば即座に庇えるような半歩先の距離を保っている。
 ローグは基本的に、二人で街を歩く時はいつもこんな風に当たり前のように紳士として振る舞っていた。やはり王子としての魂を持つ者だからだろうか。そこらへんの破落戸が束になってかかってきても撃退できるほどミレーユが強くなっても、彼は当然のように紳士として女性を護るべく振る舞うのだ。
 今はそれが、責められているような心苦しい気分にも、変わらぬ態度に安堵するような気分にもさせてくれた。
「……ローグ。話をするのでは、ないのかしら?」
「そうだな、ミレーユがいいのならば、ぜひしておきたい。……というか、ミレーユの方が先に俺に聞きたいことがあるんじゃないかと思ったんだが」
「そうね………。聞いたら答えてくれるのかしら?」
「答えられることならな」
「……そう。では、教えてくれるかしら。あなたは、なぜ――」
 緊張に声が震え、一度小さく息を呑む。それでも必死に意気を奮い起こして訊ねた。
「あなたは、なぜ、テリーの――私の弟のことを知っているの」
 自分の少し先を歩いているローグは、振り向かずに歩き続けながら、静かに言葉を返してきた。
「ミレーユ。お前には、わからないのか?」
「……どういう意味?」
「どういう意味、というか、な。俺はもしかしたら、お前は俺が知っていることも、俺がなんでそんなことを知っているのかも、すべてわかっているんじゃないかと思っていたんだが」
 その言葉に、ミレーユは大きく目を見開いた。
「な……ぜ? そんなことを?」
「そりゃ、お前の態度が思わせぶりだったからに決まってるだろう」
 あっさりと返された言葉に、かくりとミレーユの膝は滑った。
「………は?」
「最初に会った時からなんとなくこっちのことわかってるっぽいことを匂わせてくるし。一緒に旅をするようになってからも時々思わせぶりな視線を投げかけてくるし、言動にも謎が残りまくってるし。そもそもムドーの城へ向かう時のあれはなんだ? なんの脈絡もなく笛を吹いて竜召喚だぞ? あんなことを当然のようにやってのけてそのあとなんの説明もないんだ、こりゃこいつはなんか知ってるな、と思うのも当たり前だろが」
「そ……それは、そうかもしれないけれど……」
「というか、素朴な疑問なんだが、なんであのあとなんの説明もなかったんだ? 俺たちに怪しまれるんじゃないか、とは思わなかったのか?」
「それは……思いは、したけれど。でも、あれは、私にも正直なんとも説明のしようもないことだから……」
「は? どういう意味だ?」
「……私にも、なんであの時笛を吹いたらあの黄金竜がやってくるか、ということはわからないの。あの笛は……私が、昔、お世話になった人が私に、この笛はとても大切なものでしかるべき時にしかるべき場所に届けなくてはならない、私には不思議な力があるからきっとこの笛をしかるべきところへ送り届けてくれるだろう――と言って渡されたものなの。その時はどういう意味なのかはわからなかったのだけれど、それからずっと旅をして、魔王ムドーを倒すべく旅に出たあなたたちと出会って。……その時に、わかったの。あの笛は、魔王ムドーを倒すべく城に向かった時、超えられない障害が出てきた時に吹けば、竜を召喚してくれるものだ、と」
 ローグは目をぱちぱちとさせた。ローグにしては珍しいその仕草は、おそらく困惑を表すものなのだろう。
「……わかった、というのは。どういう経緯でそうわかったんだ?」
「私にも、わからない。けれど私にはわかったの。間違いなくあの笛は、そういうものだ、と」
 また目を瞬かせてから、ローグは慎重な口調で訊ねてくる。
「誤解しているところがあったらはっきり言ってほしいんだが。つまり、ミレーユ。お前にはそういう力がある、ということなのか? なんの理屈も、理由もなく、突然に物事の真実や、結論だけがわかる、そういう力がある、と?」
「……そうね。そういうことに、なるのかしら。私はそれを今では、夢の導きと呼んでいるけれど。グランマーズのおばあちゃんに教えを受けてから、それはだいたい夢占いの形で現れるようになったから」
 こんなことをグランマーズ以外の人間に話すのは初めてだ。正直、緊張も恐怖もある――だが、それでもここは話す必要があるところだろう。テリーのことを話させるためには、こちらも情報を開示しなければならないだろうから。
「……私の話せることは話したわ。それで、ローグ――あなたは私に、なぜ知っているのかという理由を教えてくれるのかしら?」
「そうだな―――」
 ローグはしばし瞑目した。なにを考えているのかはその顔からはうかがい知れないが、気配でわかる。ローグがある種苛烈な意志を持って言葉を紡ごうとしているのが。
 やがて、ローグはミレーユに向き直り、口を開いた。
「ミレーユ。お前は、この世界が誰かに創られたものだと思ったことはあるか?」
「………え?」
「この世界は誰かの夢にすぎないのでは、とは? 絶対的な力を持つ創造主の掌の中の箱庭なのでは、と思ったことはないか?」
「え……あの、どういう意味、なのかしら?」
「俺は―――ある」
 それだけ重々しい口調で告げて口を閉じる。わけがわからず続きを促す視線を向けたが、ローグは重く口を閉ざしたままだ。
 だが視線はミレーユに据えたまま離さない。苛烈な視線でミレーユを見つめながら、見ようによっては物問いたげに、あるいは焦れているように視線で語りかけてくる。
 ミレーユは困惑し、問いかけようとする――が、ローグがそれを遮るように続けた。
「俺は理解しているわけじゃない――だが、知っている。ミレーユの人生の欠片と、目的の一つであるだろう探している家族について。流れを、事実かもしれない事象の累積を、それが向かう先を俺は知っているんだ」
「――――」
「……まだ、説明する必要があるか?」
「………いいえ」
 ミレーユはゆっくりと首を振った。困惑は共感を含んだ諦観に、聞き出さなくてはという焦燥感は哀しみを含んだ同情に姿を変えていたからだ。
「ローグ――あなたは、あなたも、わからないのね? なぜ、自分は、わかる≠フか」
「……正直、ミレーユがその理由を知っているかもしれないと思っていたんだがな」
「いいえ――それは買いかぶりだわ。私も、しょせんは物語の登場人物にすぎない。作者が私を導くために囁いてくれたとしても、世界のすべてを見通すことなんて、とてもできないのよ」
 思わず深く息を吐いてうつむくと、ローグは小さく肩をすくめてから、ぽんと軽く背中を叩いてきた。
「きゃ……なに?」
「美人がそんな風にうつむくもんじゃない。ミレーユのようないい女は、しっかり前を向いて顔を上げ、そのきれいな顔を周りに見せて、ブ男の憧れとブス女の嫉妬を一身に集めるのが天に与えられた使命だぞ」
「……なんだかあんまり嬉しくない使命に聞こえるのだけど?」
「鏡を見て自分が美人だと素直に思える容姿を授かったんだ、それくらいの面倒はあってしかるべきだろう。どうせ遠くから見ているしかできない奴らには、お前も、お前の好きな相手もどうすることもできやしないんだからな」
「………それは、そう、なのかしら……?」
「……珍しく察しが悪いな、ミレーユ」
「え?」
 目を瞬かせるミレーユの前にローグは立った。真正面からミレーユの瞳をのぞきこむようにして、落ち着いた、けれど力強い声で告げる。
「ミレーユ。お前は、幸せになれる人間だ。お前の異能も、才能も、培われた性格も、すべてはお前のものなんだ。お前を幸せにするために使うべきものなんだ」
「……え……」
「なのになんでそんな風にうつむく。自分が不幸な人間であるかのように思い込む? それじゃあなんの才能も与えられていない人間が、あまりに惨めというものだぞ」
「で、でも、私は」
「お前にどんな過去があって、不幸があろうとも。今現在のお前はここで、信頼できる仲間たちと一緒に自由な旅をしているんだ。それに、生き別れになった家族、かもしれない相手が近くにいることまでわかったんだぞ? なにをそんなに可哀想ぶる必要がある」
「――――」
「それとも、俺たち仲間は、信頼には足らないとでも言うつもりか?」
 じっと真摯な瞳で見つめられ、ミレーユは半ば反射的に大きく首を振った。
「そんなわけはないわ! 私は……ただ………」
 ただ。ただ、本当は、本当に、可哀想ぶっていただけなのかもしれない。自分は許されない人間だと、幸せにはなれない人間だと思い込んで、そんな風に自分を罰することで、弟の手を離してしまった、これまで自分に優しくしてくれた人たちを信じ抜けなかった自分を、許してほしがっていただけなのかもしれない。
 本当は、ただ。そんなに単純なことで。
「まったく……ミレーユ、お前がここまでたわけたことを考えているとは思わなかったぞ。神秘的な顔で思わせぶりな態度ばっかり取っていたくせに。なにもわからないならわからないと、苦しんでいるなら苦しんでいるとちゃんと言え。俺がどれだけ才気煥発な好青年だろうと別に全知全能というわけじゃないし、他の奴らだってお前がなにを考えているのかなんてさっぱりわからないんだからな」
「それは……だけど、でも、私は……」
「……ま、怖いのはわかるがな。相手が信じるに足る存在だとわかっていても、自分の本音をすべて明かすってのはそうそうできないし、すべきでもないことだ」
「え……すべきではない、と思うの?」
「そりゃそうだろう。本音なんてのはたいがいの場合根暗い感情に満ち満ちてるわけだし、そんなものを四六時中ぶちまけられたら普通は嫌な思いをするのが当然だ。相手の嫌なことをしない、人付き合いの基本だろが」
「……そうね。でも、そう……だけど、私は……」
 小さく呟いた言葉を聞いていたのだろう、ローグはにやっといつもの人の悪い笑みを浮かべた。王子時代とはまるで違う、それこそ悪の黒幕かというくらいに傲慢さに満ちた――けれど、今ではミレーユにも『ローグらしい』と当たり前のように思える笑みを。
「だけど? 本当は、自分の本音を誰かに聞いてほしかった、と?」
「……………」
 そうだ。自分はずっと、そうだった。周囲を騙して、ごまかして、だからこそずっと自分の正直な感情を打ち明けたいと思っていた。打ち明けるだけの信頼関係を、誰かと築きたいとずっと思っていたのだ。
 変わりたいと何度望んだことだろう。自分を変えたいと、もっと自分で正しいと思える生き方を探したいと何度思ったことだろう。
 それはできないことだ、と最初から決めつけていた。そうしなければ緊張と不安で心が折れそうだったから。王子時代のローグにさえ明かせなかった。ムドーを倒すためにいつも張りつめていた彼に、そんな感情を背負わせるべきではないと当たり前のように選択肢から除外していた。
 けれど今、自分の秘密を明かして、感情を見抜かれて。そんな相手に仮面をかぶったところで、意味はない。だから自然と心が緩んだ。明かしてもいいのではないかと、自然と思うことができたのだ。
「なら、すべきことはひとつだと、お前もわかっているだろう? 聞いてほしいと思える相手に、しかるべき時を選んで、相手にも心の準備をさせながら、少しずつでも本音を打ち明けることだ。相手がこっちの気持ちをわかりたいと思っていてくれる限り、それは義務で、権利だからな。あとは勇気を奮い起こす時間の余裕があればいい。お前はそれがわかっているし、行動にも起こせる。それだけの聡明さと意志の強さを持っている稀有な女だからな」
「……本当に、いつも偉そうに、好き放題言ってくれるわね……」
「まぁ、いつもそうなのは認めるが、これは間違いなく俺の本音だぞ。それに無粋を承知で言えば、こうして後に引けなくしてやった方がお前は行動しやすいんじゃないか?」
「………まったく、もう」
 当然のようにそう笑ってのけるローグに、ミレーユは苦笑して、足を進める方向に向き直った。ローグと並んで歩きながら、いつものように穏やかな声を作って言う。
「そんなに簡単に本音を明かせるとは限らないわよ? 私は、これまでずっと、他人とは仮面をかぶって接してきたのだから」
「なにを言ってる、どれだけ分厚い仮面だろうが、それもお前の一部だ。お前の中にそういう感情がなければ、相手だって馬鹿じゃない、違和感くらいは感じ取るさ。お前は他人に当たり前のように優しくできる、よく気のつく上に勇気も行動力もあるいい女だ。そういう事実があるんだから、なにも気負うことはない。明かしたい気持ちを明かしたいだけ明かせばいい。それがどれだけどす黒い感情だろうと、お前のいいところを知ってる奴らは、そのくらいの茶目っ気も魅力として受け止めるだろうさ」
「適当なことばっかり言って……」
「それに。今はお前の弟かもしれない相手との再会が目の前に迫っているんだろう? 新たな一面を見せるにはちょうどいいきっかけじゃあないか?」
「あ……」
 そう、かもしれない。弟と、再び出会えたら――あのテリーという剣士が、本当に自分の弟かどうか、ミレーユにはまだ確信が持てないのだけれど――自分は、それをきっかけにして変われるかもしれない。
 もう出会えないと思っていた大切な存在を、再び抱きしめることができたなら――
「そう……ね。そうかもしれない。ずっと……ずっと探していた相手なんだから」
「ま、俺としては今のままでも特に悪いことがあるようには思えんがな」
「ふふ、そうね。あなたは猫かぶりの名人だし。仲間に対しても、分厚い仮面をかぶっているものね」
「……なんだ、わかってるんじゃないか。俺のことがなにもわかっていない、みたいなことを言うからお前を警戒してたのは気力の無駄だったのかと思っていたんだが」
「ふふ、これくらいは女だったら当然わかるわよ。……でも、あなたもわかっているんでしょう? 仮面をかぶっていることを知った上で、あなたの仲間はあなたに手を差し伸べてくれている、って」
「……別に頼んだわけじゃないが。物好きにも、な」
「ふふ、なのに本音を明かそうとは思わないのね?」
「言っただろが、本音なんてのは明かすための時と場合ってのがある。そもそも明かす必要があるかないかで言えば、まず間違いなくない事柄なんだからな」
「……それでも仲間たちは自分を信じてくれている、っていう確信がなければ言えない台詞ね」
「…………。まぁ、好きに思っていろ」
「ふふ」
 ミレーユは小さく笑って、ローグのあとについて歩いた。
 本当は、ローグの感情については、言葉にしたほどの確信があるわけではない。ローグの後ろに見える深みにはやはり恐怖を覚えるし、本当はとんでもないことを考えているのではないか、という不安もあるのは事実だ。
 ただ、それと同様の割合で、『ローグは(誰にでもわかるような形ではないけれども)仲間に信頼を寄せている』と思えるのだ。信じたいという想いと信じて大丈夫なのか、相手に迷惑をかけてしまわないかという不安に心揺れているのではないかとすら思える。
 なんでそう思うのか、と聞かれれば、ミレーユとしては『女だったら誰でもわかるわ』としか答えようがないのだけれども。

旅人の洞窟≠ニ名付けられている洞窟の中に入る人員として選出されたのは、ローグに加え、ハッサン、チャモロ、ミレーユだった。ローグが言うには、『バーバラは基本的に呪文戦力の中で一番打たれ弱い、少なくとも今は激戦が予想される場所は避けた方がいいだろう』ということで、その反論のしようのない言葉にバーバラはしばらく落ち込んでいたのだが、いつも通りにローグの巧みな口車であっという間に元気になった。
 無理をしてはいないか、とこっそり様子をうかがっていたのだが、少なくともミレーユの見る限りではバーバラはごくあっさりと心底元気になったように思える。ローグの口がうまいのはもちろんだが、バーバラという人間の心根が基本的に前向きなのだろう。
「棺桶、重いぜ……。まあ頼まれた以上、しょうがないけどな」
「そうだねー。テリーっていう剣士はひとりでこの棺桶を引きずってるんだよね。体ちっちゃいのにけっこう力あるんだね〜」
 そんな風にほがらかに話すバーバラは、裏も表もない真っ正直な少女、というようにしか見えない。けれどミレーユは、彼女についても内心、疑いの目――と言ったら言い過ぎだが、なにか隠された秘密があるような気がしていた。
 初めて出会った時、彼女は現実世界に落ちた夢の世界の魂、としか見えなかった。それを夢見のしずくで誰にでも見える姿にはしたものの、彼女の現実世界の身体はいまだどこにあるか手がかりもつかめていない。もちろんローグの体を探す旅の中で、同様に手がかりがつかもうとしているわけではあるが、彼女とローグでは明確に違うところがある。
 それは、魂と身体を分かった元凶が明らかになっていないということだ。ローグは(そして、自分とハッサンも)魔王ムドーによって行われたとはっきりわかっている。だがバーバラはなぜそのような状態になったのかまるでわかっていない。
 魂と身体が分かたれるというのは、通常在りえざるべきことだ。世界の在るべき姿が歪まなければそのようなことにはなりえない。そして魔王ムドーを倒してもその状態が改善されないということは、まだ世界には病巣が巣食っているということなのだろう。ローグの身体が戻らないのも、魔物がまだ出現するのも、すべてはそこに由来するのだろう、とは思う。
 けれど、そういった理性的な思考とは別に、ミレーユはバーバラの存在に、奇妙な不安感を覚えていた。人の形をしているのに、人の心を持っているのに、なにかあるべきものが欠けているような不安定さをバーバラを見ていると感じるのだ。
 そんなことは、当然、とても言えはしなかったけれど。
「お、あれが旅人の洞窟ってやつなんじゃねぇか!?」
「そうですね、馬車もいくつも停まってますし、それっぽいです!」
 アークボルトを出て歩くこと数日、途中でいくつもの宿場町に泊まりながら、自分たちは目的地にたどり着いた。アークボルトでもらった地図の通り、山間をしばらく進んだ場所に大きく穿たれた巨大なトンネル。そこには、おそらくはトンネル内で作業する鉱員のものだろう簡易住居や、アークボルトの兵団の紋章が刻まれた馬車がいくつも立ち並び、その中に相当な数の人間が溜まっていることを如実に示していた。
「……よし。じゃあ、ここから先はアモスとバーバラは留守番だ」
「はーい!」
「うー……はぁい」
「おい、ふてくされてる場合じゃないだろが。俺たちが傷ついた時には基本的にバーバラ、お前にサポートしてもらうことになるんだからな、気を抜いてるんじゃないぞ」
「わ、わかってるよぉ。でもさぁ……本当に、この袋通じて魔法とかかけられるの?」
「お前、モンストルの北の山でミレーユに回復呪文かけてもらったのもう忘れたのか?」
「そ、そーじゃないけどっ! でも、なんていうかさぁ……うさんくさいんだもん……」
 顔を赤くしながらも、なんとも疑わしげな表情でバーバラはローグに渡された袋を見る。これがローグが洞窟に潜る時なども予備人員を用意しておくべきだと主張する根拠のひとつである道具だった。
 ローグは旅の最初から、『入れるものの種類ごとに九十九個まで総重量を無視していくらでも入れられる道具袋』というとんでもないものを持っていた。こんなものはローグが王子だった時代にも持っていなかったほどの、とんでもない価値を持つ代物だ。こんなものがいくつも創れたら世の中の流通はそれこそひっくり返ってしまうだろう。
 なんでそんなものを持っているのかという問いには、ローグはいつも『俺は主人公≠ネんだから仕方ないだろう』と当然のような顔で言う時がほとんどだったが、ときおり漏らした言葉によると、夢の世界に住まうひとつの魂であるところのローグの故郷、ライフコッドを守護する精霊が授けてくれたんじゃないか、ということらしい(確信はないらしいのだが)。そして、その道具袋は予備の袋があり、その袋とは中で繋がっているらしい。声や音を届けたり、道具を融通したり、のみならず袋の向こうの相手に呪文を駆けることまでできるそうなのだ。
 まぁ、呪文をかけるといっても、呪文をかける相手には袋のすぐ前まで来て動かないでいてくれないと狙いがつけられないため、実質戦闘外においての回復呪文くらいしかかけられる呪文がないのだが、それでも洞窟外で待機している、戦闘で魔法力を使わない仲間に回復してもらえるというのは、魔法力を温存するために大いに役立つ。これを初めて使ったのはモンストルの北の山でなのだが(それ以前はパーティの最大人数が四人だったので使いようがなかったらしい)、その戦術的効果の高さにはミレーユも正直感心した。
 だが、『袋を通して話をして呪文をかけられるというのはどうにもうさんくさい』というバーバラの気持ちも正直よくわかる。袋の底から声が聞こえてきた時には驚いたが、それ以上に手品かなにかじゃないかと思ってしまったし、その向こうに呪文をかけても本当にかかっているのかどうかどうにも確信が持てなかった。
 しかしまぁ、前回大丈夫だったというなら今回も大丈夫だろう。ローグがそんな手抜かりをするとは正直思えない。
「大丈夫よ、バーバラ。もし万一うまく繋がらなかったのなら、ローグのことだから、責任を取って私たちみんなにお詫びをしてくれるだろうし」
「え、お詫び? って、どんな」
「まぁよくあるところではプレゼントとか、かしら? おいしいご飯をおごってくれる、というのもいいかもしれないわね」
「え、ほんとにっ!?」
「おお、それは楽しみですね! バーバラさん、私たち、どんどん袋に話しかけましょう! 何度もやればうまく繋がらない時もきっとありますよ!」
「うんっ!」
「お前ら、俺の前でそういう相談をすることに疑問はないのか? ま、お前たちらしいと言えば言えるが……心配しなくてももし万一繋がらないなんてことがあれば、俺はお前たち全員に土下座して少なくとも一ヶ月は全員の下僕になってやる」
「ええっ、ちょ、なにもそこまでしてくれなんて……!」
「おいおいバーバラ、なにこんな奴の心配してんだよ? こいつがこんなことを言い出すってことは、絶対確実に大丈夫だって確信があるってことだろ?」
「ぁぅ……そっかぁ、そーだよね、ローグなんだもんね……」
「当然だ」
「ローグさん、そこでそのように胸を張られるのはどうかと思うのですが……」
 などと言葉を交わしてから、自分たちは洞窟の中へと入っていった。半地下にある洞窟らしく、半ば自然により、半ば人の手で造られた階段を、自分たちはどんどんと下りていく。隊列はこの四人でのいつもの並びと同じ、ハッサンを先頭にしてローグ、チャモロ、ミレーユと続く形だ。
「このフロアには特に魔物の気配はないみたいだな」
「そうね。でもずいぶん大きな洞窟ね……このくらい広ければ、洞窟の中でも窮屈な感じはしないわね」
「そうですね。しかし、なんとなく休憩所みたいな雰囲気のところですね。アークボルトでも話を聞きましたが、ここは普段は交通の要所なのでしょう。何人もの人間がこの場所を使っているという、人の生活の気配をそこかしこに感じます」
 そんなことを話しているうちに、ミレーユたちは何人もの人間が溜まっている場所にたどり着いた。商人風の男や人足風の男などが、何人も軽く茣蓙を敷いた土の上に座り、暗い顔つきで会話を交わしている。
 ローグはその中に混じり、笑顔でいくらか言葉を交わして戻ってくると肩をすくめた。
「どうやら魔物の出現で、この洞窟を通れなくなった商人や仕事のできなくなった人足が未練がましくあそこに溜まっているらしい。まぁこの辺は、この洞窟を通る人間が少しでも休めるようにと造られた休憩所だったようだな。チャモロの予想が当たったわけだ」
「いえ、予想というほどのことでは……しかし、魔物が出るのにこのような場所にとどまっていて大丈夫なのでしょうか。襲われる危険は……」
「今のところはない、と考えているらしい。道が崩れたところから出てきた魔物たちは基本的に縄張りからあまり離れないらしくてな、兵士たちが護りを固めているところをわざわざ押し通ろうとはしないそうだ。逆に言えば縄張りの範囲内である道の崩れた場所にはいつも魔物がいるから、工事は進めようがないわけだけどな」
「ふぅん。ま、だからこそ俺たちが王直々に依頼されたわけだからな。とっととその縄張りとやらまで行って、ご対面といこうぜ」
「この洞窟を使っている皆さんのためにも、早く問題を解決しなければなりませんね。さて……気を引き締めていきますか」
 そんな会話を交わしてさらに奥へと進む――と、さして立たないうちにさっと視界が開けた。どうやらこの洞窟は、自然の巨大な洞窟に少しばかり人の手を加えた、というものだったらしい。
 そこに見えるのは切り立ったいくつもの崖と、そこから銀の飛沫を撒き散らしながら流れ落ちるいくつもの滝。それらが地下とは思えないほど広々とした空間の中で、何層にも折り重なって輝いている。カンテラや魔法の灯りに加え、暗闇で光を放つ鉱物か、あるいは光を放つ植物があるのだろう、この中には充分な光量が保たれていた。
 奇跡的と言いたくなるような自然の建築技術によって形作られたドームの中で、堂々と晒されているその雄大な自然美は、ずっとこの洞窟を通る人々の心を慰め続けていたのだろう。自分たちも思わず感嘆の声を漏らしていた。
「おわっ、すごい景色だな!」
「地下なのにずいぶん広々とした空間があるのね」
「天井が高いなあ。場合によっちゃ、ここって観光名所になるんじゃないか?」
「そうですね、今は魔物が出るのでそうもいかないでしょうが……おや、兵隊さんがいるようですね」
 チャモロが視線を向けた先には、その言葉通り、何人ものアークボルトの兵士たちが簡易的な防壁を作りながらその向こうを睨んでいた。崖と崖の間に造られた平たい通路を通り、兵士たちへと近づいて声をかける。
「失礼。我々はアークボルト王よりこの奥の魔物を倒すべく派遣された戦士たちです。申し訳ありませんが、そこを通らせていただけないでしょうか」
 ローグの堂々とした声音に、兵士たちははっと振り向き驚きの表情になったが、すぐにそれぞれ笑顔になった。
「おや? 先ほども棺桶を引いた男が奥へと入っていきましたが……そうか! あなた方も王に認められた戦士なのですね!」
「奴ら倒しても倒しても湧いてくる! どうやら穴の奥に潜む巨大な魔物が奴らを次々と産み落としているようなのだ。しかしその魔物は兵団長でも勝てなかった強敵! 我らでは歯が立たんのだ!」
「さあ、お通りください」
 口々に激励されながら、防壁を越える梯子を貸してもらい、自分たちはそれぞれ防壁を乗り越える。ハッサンなどは梯子を借りることもせず、軽々と防壁を飛び越えてみせた。
「どうやら青い奴はすでにここを通ったようだな。よし! 俺たちもさっそく洞窟の中に入ろうぜ!」
「ええ……やはりテリーさんに先を越されたようですね。彼と協力するか早い者勝ちで魔物を倒すか……とにかく先を急ぎましょう」
 口々に言うハッサンとチャモロに、わずかに息が小さくなる――が、ミレーユは顔色を変えることもなく、大きくうなずいた。
「そうね。さあ、私たちもあとを追いましょう!」
 防壁を乗り越え隊列を組む数瞬の間の中で、ローグがちらりと視線を投げかけてくる。それに、ミレーユは数瞬視線を投げかけることで応えた。
 今は、まだ本音をぶちまける必要もなければその場合でもない。テリーが――あの剣士が本当に自分の弟なのかどうか、ミレーユにはまだまるでわからないのだから。
 崖崩れによって塞がれた道と防壁との、ちょうど中間あたり。左側にそびえる巨大な崖に、穴が開いているのが見えた。そこに明らかに魔物と思しき者がいるのが、否が応でも目に入ってきた。
 それぞれ武器を構えて前へと進む。魔物はにぃ、と今にも裂けそうに口の両端を吊り上げ、呻くように言う。
「キー、キキー……入るヤツ……コロス……」
 そう言うや、魔物は素早く自分たちに向かい駆け寄ってくる。一体は人に似た身体を持ちながら、四足で地面を這う悪魔のような魔物。もう一体は焦げ茶の毛皮で身を包んだ人身豹頭の、両手に爪を装備し軽装鎧をまとった魔物だ。
「ホラーウォーカーと格闘パンサーだ。どちらも特殊攻撃が強力だからな、長引くと面倒だ、速攻をかけるぞ!」
「おうっ!」
「はいっ!」
「ええ!」
 ローグの放つ言葉に従い、自分たちは陣形を組んだ。いつもそうであるように、体が軽くなって、自然にローグの言葉通りに体が動く。
 こんな力をなぜローグが持っているのか。ローグ本人はこの力に関しては特に言及していなかった。だが、ミレーユは、少なくとも今は追及するつもりはない。
 実際に役立っているから、というのも理由のひとつだが、それ以上に、向き合った時にローグが見せた瞳の光に確かな逡巡を見たからだ。彼は、本当に悩み、迷っている――おそらくは、自分たち仲間に、自分のことを話すべきなのか。話すのが正しいのか。話すことで、なにもかもが――人間関係が、という話ではなく、自分の目に見える世界の理が歪んでしまうのではないかと恐れているのだ。

「キッ…キキ……あの男…強い……キッ!」
 地に伏した魔物が、うわごとのように呻く言葉を聞いて、自分たちは口早に言葉を交わす。
「あの男……? アイツのことか」
「おそらくテリーに倒されたのね」
「傷口を見ると一撃で倒されてますね。確かに強い……」
「……もう今にも絶命しそうなところだったようだな。さっきの一言が今際の言葉というやつだったらしい」
 ローグの言葉通り、言葉を吐いた魔物は、瞳を大きく開いたまま力なく頭を落としていた。瞳孔が明らかに開いているので、否が応でも死んでいるとわかる。
「本当に死んでしまったようだな。最後の力を振り絞って襲いかかってきたりしないかと思ったんだが」
「そこまでの力は残っていなかったのでしょう。さあ……先を急ぎましょうか」
 チャモロの言葉に従い、自分たちも隊列を組み直して前へと進む。その間に、ミレーユの口からは思わず息が漏れてしまっていた。
「テリー……」
 その声が自分でもひどく切なげに聞こえ、ミレーユは小さく拳を握りしめた。なにを衝撃を受けているのだろう、自分は。まだあの剣士が自分の弟かどうかすらまだ確定してはいないというのに。
 けれど、テリーが――生き別れになった自分の弟が、ごく当たり前のように魔物に手をかけているのだと思った時に、ミレーユを襲ったのは確かに衝撃と呼ぶべきものだった。魔物を殺すのが悪いことだ、などと思っているわけではない。人を襲う魔物を人が殺すのは自然の摂理。行為の善し悪しを問うこと自体筋違いだ。
 ただ、ミレーユは、たとえ敵であろうとも、弟が命を当たり前のように刈り取ることに、つい痛ましさを覚えてしまったのだ。ミレーユの中で弟の姿は、元気でいたずらっ子ではあるけれども、素直でよく笑う、生き物が大好きな男の子だった時点で止まっている。大人しい魔物ならたやすく馴らして家まで連れ返ってくるような子供が、剣を振るい命を刈り取るようになったその過程を思うと、どうしても胸の痛みを抑えられなかった。
 今では毎日軽く十を超える魔物の命を屠っている自分が言えたことではないだろう、と承知はしているのだが。弟にとっても、自分は愚王の後宮に無理やり連れ去られた無力な少女のままで止まっているだろうに。
 歩を進め、洞窟を下へ下へと降りていく。最初に入った辺りでは、それなりの大きさを持つ地底湖の上の足場を通ることになった以外はごく普通の洞窟の体を成していたのだが、先に進むにつれ、花粉か虫か、ぼんやりとした燐光をいくつも吐き出す植物で壁や床が満たされた、緑豊かな洞窟という珍しい姿を見せるようになった。その神秘的な光景は一見の価値はあっただろうが、なんの判断基準もない中でいくつもの岐路に分かれた道を進んでいる真っ最中である自分たちにとっては、道を惑わせる罠ともなる。
「けっこう入り組んでいるよな、この辺り。気を抜けば迷っちまいそうだぜ」
「まさしく迷路ですねえ。ローグさんは大丈夫ですか?」
「ああ、心配はいらん。俺は山奥出身だからな、この程度の分岐ならどうということはない」
「そういうものなのかしら……とにかく、無駄に体力を減らさないようみんな気をつけましょうね」
 途中に当然のように転がっている人骨に、チャモロが幾度も足を止めて祈りを捧げる。自分たちもそのたびにそれぞれ祈りを捧げつつ、できる限り冷静に周囲とその骨とを観察していた。
「また人の骨か……。けっこう古そうだからアイツじゃないな」
「そうね……彼はどこまで進んでいるのかしら」
「さっきの魔物がまだ生きていたことからすると、そう大きく離れているわけでもないと思うがな」
 そんなことを話しつつ、次々湧き出る魔物たちを薙ぎ払いつつ、先へ先へと進む。そのほとんどはハッサンの岩石落としで苦もなく撃退できたが、やはり効果の薄い魔物もおり、そういう魔物が群れをなして出てきた時にはどうしても手傷を負わざるをえない――が、袋を通してバーバラに呼びかけて、洞窟の外から回復魔法をかけてもらっていたので、魔法力はほとんど減りもしなかった。
 いくつも浮遊する燐光に加え、普通のカンテラと魔法のカンテラ、両方を使って光源を確保しているおかげで、壁や蔦で視界はさえぎられていたけれども、幸い視野が闇に包まれるというようなことはなかった。
 ――と、空気の匂いが変わった。気配という意味だけでなく、空気そのものにすえた匂いが染みついているのを感じる。おそらくは魔物の生活臭だろう、ミレーユたちはそれぞれ眉を寄せた。
「うおっ、なんかいやーな雰囲気が漂ってきたぞ!」
「空気が淀んでて居心地悪いところね……。魔物の巣穴……まさにそんな感じね」
「目的の場所へ近づいているのでしょうね。どこからか生暖かくて生臭い空気が流れてくるのを感じます。……それにしても、あの青い剣士さんはどこまで行ったのでしょうね」
「さて、な。どこやらで迷っているのかもしれんが、判断基準がないんだからとりあえずはいちいち気にしていても始まらんだろう」
 自然と小声になりながらそんな言葉を交わしていると、ふいに視界に奇妙なものが入ってきた。
 それは巨大な卵だった。ハッサンが両手を広げたよりも大きな不気味な色合いの柄の入った卵が、道端にぽんと置かれている。
「これは……」
「卵……だよな? なんでこんなところに、こんなでかい卵が」
「いい加減少しは人の話を覚えられるようになりやがれ。洞窟に入る時に兵士が言ってただろが、『穴の奥に潜む巨大な魔物が』魔物を『次々と産み落としている』ってな。普通に考えて、これがその魔物の卵ってやつなんだろ」
「へぇ、なるほどなぁ……しっかし、ずいぶんでかい卵だよな。普通の卵だったらずいぶん食べでがあるだろうによ」
「魔物の卵でも食える種類はあるが……これは卵としては使えんだろうな」
「そうね、今にも生まれてきそうな気配を漂わせているもの。少しでも刺激を与えたら中から魔物が出てくるんじゃないかしら?」
「ふぅん。どうする? この先で相当でかい魔物と戦うことになるんだし、ほっぽっといて先に行くか?」
「それも悪くはないが……普通に考えるなら、この卵を産んだ魔物は自分の思う通りに卵から産まれた魔物を操ることができるはずだ。そうでなけりゃ魔物が何匹もわざわざ同じように洞窟の外に出て人を襲うとは思えんからな。もしかしたら生まれそうな卵に信号を発して呼び寄せることもできるかもしれん。強い魔物と戦っている時に挟み撃ちにされてもつまらん、後顧の憂いを断つために、通り道にある卵はできるだけ壊しておこう」
「あいよ。んじゃ、一発――」
 ハッサンが身構えるのとほぼ同時に、卵にびしびしっと亀裂が入り、中から蛇のような魔物が飛び出してきた。首の周囲の襟巻じみた被膜を大きく広げ、「キシャアァッ!!」と鳴き声を上げる――が、ハッサンが素早く投げた岩の一撃で、ごくあっさりと頭を砕かれ倒れ伏す。
「ほい、一丁上がりっと。しっかし何度も言うけど、本当に便利だな、この岩石落としって特技。正直このままじゃ腕が鈍らないか心配になっちまうぜ」
「この程度の強さの敵なら普通に戦っても苦戦はしないだろうが、今はやめとけ。強い魔物との戦いが予想されるって時に体力や魔法力はできるだけ温存するのが当然だろが」
「へいへい、わかってますって」
「……でも、こんな大きな卵を産む魔物って……いったい、どれくらいの大きさなのかしらね。この洞窟はかなり大きいとは思うけど、あまり大きすぎても通路を通れないでしょうし」
 などと会話しつつ、自分たちはさらに歩を先に進めた。その先にもまだ卵はあったが、全員で苦もなく処理して先を急ぐ。
 ――と、地面が轟いたか、と思うほどのすさまじい鳴き声が聞こえた。耳が痺れるほどの轟音だったが、間違いなく生き物の鳴く声だ。自分たちははっとして足を速める。これほどの大音量、距離はそう遠くないはずだ。そこに目的の魔物が――あの青い剣士が、テリーが、弟かもしれない相手が、いるのだ。
 通路を抜けて、巨大な空洞に出る。声の主を探して視線を巡らせる――必要もなく、探していた相手は見つかった。空洞の中央に、大の大人十人分の高さはあるだろう巨躯の、人間の鍛冶屋ではとても造れないだろうほどの巨大な斧を持った二足歩行する竜が、青い剣士の前で唸り声を上げていたからだ。
「フン……こいつはなかなか強そうな相手だな」
「私の…タマゴ……かわいい……コドモ……潰したな……コロシたな……」
 青い剣士は剣と盾を構え、まだ育ちきってはいないだろう体で、憎悪の声を上げる巨大な竜と平然とした顔で向き合っている。ミレーユは一瞬我を忘れて声を上げかけたが、その刹那にはっとして、言葉と声をつくろった。
「青い剣士がもう魔物の前に!」
「アイツだ! ほうっておけないよな。一緒に戦うか、ローグ!」
 ハッサンの声にうなずきながらも、ローグはちらり、とこちらに視線を向ける。その視線に乗った問いかけを理解しながらも、ミレーユは小さく首を振る。言うわけにはいかない――少なくとも、今は。
 そういう状況ではない、というのもある。が、それ以上に――平然と竜と向き合うテリーの気配に、なにかを感じたのだ。
 闇。影。暗黒。そういった言葉で表されるだろう気配の像。テリーの中に、あの少年の中に、なにかが、ある。
 そんな自分たちの声を聞き取ったのだろう、テリーがふい、とこちらに視線を向けた。巨大な竜と向き合っているというのに、それを気にする様子もなく。
「フン……お前たちも王に棺桶をもらってきたのか」
「おう! だからここは一緒に……」
「だが遅かったな! こいつは俺の獲物だ」
「なっ……!」
 状況を理解しているとは思えない言葉に、自分たちは思わず騒然とした。テリーに駆け寄りながら、口々に言う。
「なに言ってんだ、お前あんなデカブツと一人でやり合う気か!?」
「いくらなんでも無茶です、ここは協力して敵を」
「群れるしか能のない雑魚と一緒にするな。一人だろうがなんだろうが、俺はこの程度の奴に後れを取る気はない」
「……ほう。吠えるな。だが俺たちもアークボルト王から依頼を請けた身だ、俺の獲物だと言われてはいそうですかと引っ込むと思うか? まだお前とその魔物との戦いも始まっていない段階で遅かったもくそもないだろうが」
 いつものように傲然とした口調でローグが言う――と、テリーの瞳がぎら、と輝いた。
 ミレーユは思わず息を呑む。その光は。その輝きは。ローグとは別の意味で人ではない――人を捨てようとしている者の色だ。
「……あくまで手出しをするというなら、お前たちから先に斬り捨てる」
「はぁ!?」
「あなたは、なにを……!」
「邪魔だ、と言っているんだ。俺は最強を目指す者、こいつはその贄だ。そのための戦いを邪魔するというのなら、お前たちは俺の敵だ。俺の敵は、どんな相手だろうと、殺す」
「お前、本気で言ってんのか……!?」
「そんなことが、許されると……!」
「ほう……お前は、俺たちを敵に回す、と? 一人で俺たちを斬り捨てられる、なんぞと思っているわけか?」
 ローグはむしろ楽しげに笑んで、一歩前に踏み出す。彼にとっては実際、旅の障害のひとつでしかないのだろう。アークボルトの兵士たちと同じように、いくらでも斬り捨てられる、一山いくらの――
「………っ!!」
「………。ミレーユ」
 たまらず、ミレーユはローグの服の裾をつかんでいた。まともにローグの顔を見れず、ただうつむいてひたすらに首を振る。
 なにを子供のような、と思いながらも、それでもそうするしかできなかった。ローグの顔も、テリーの顔も、怖くて見ることができなかった。ただ、お願いだからやめて、と。お願いだから、どうかお願いだからやめて、と子供のようにねだるしかできなかった。
「……手出しをしないというのならこちらから斬りかかるつもりはない。引っ込んでいろ!」
 言ってテリーは竜に向き直り、一歩を踏み出す。自分たちが話している間、ひたすらに唸って様子をうかがっていた竜が、大きく斧を構えた。
「許せない…許さない……お前も……潰す……コロス……」
「フン! そいつは面白い。お前たち、手出しは無用だ! いいな!! いくぞ!」
 そうして戦いが始まった。
 大きく咆哮を上げる見上げるほどの巨竜に、テリーは軽々と斬りかかっていく。足を、腹を疾風のような速さで斬りつけ、相手の攻撃は軽やかにかわし、逆に生まれた隙に的確に追い打ちをかけていく。それは確かに、ミレーユの目から見ても、達人と称するにふさわしい技術だった。
 呪文を唱えて爆発や雷撃を放ち、巨竜の頭を打ち据え攻撃と動きを封じ、一方的に攻撃を加え続け。ついにテリーは剣を大きく振りかぶり、叫んだ。
「とどめだ!」
 言うやテリーは巨竜へと駆け、振りかぶった剣を軽々と回転させて巨竜の身体を斬り上げる。その華麗と言ってもいい剣閃の軌跡は、巨竜の身体を大きく断ち割り、剣気は竜の形となってそのまま上へと駆け抜けた。
 おそらくは竜に属するものの生命力を断つ力を持つ剣技だったのだろう、巨竜は大きく呻くとその場にくずおれた。大きく断末魔の悲鳴を上げながら虚空へと手を伸ばす。
「ぐ…ぐはあっ! カラダが…私の…カラダが……!!」
 そう叫んだ巨竜の体は、紫の玉と化して空を舞い、吸い込まれるように棺桶に落ちてきた。魔物の死体を魔法によって操作するそういった技術は、魔法を使える者の間では決して珍しくはない。けれど、その中にすら、ミレーユは暗い気配を感じていた。
 テリーはもはやこちらを見ようとすらせず、小さく鼻を鳴らす。
「フン……こいつも大したことはなかったな……。さて……と、それじゃ城に戻るとするか」
 それだけ独り言を言うように言うと、くるりと踵を返して棺桶を引きずり去っていく。その様子を沈黙の中見送り、ハッサンとチャモロはふぅ、と息を吐いた。
「いっちまった……」
「お見事でした……と言うほかありませんね」
 半ばは反射的にその言葉に合わせるように、半ばは自然に口から漏れるように、ミレーユもぽつりと漏らす。
「テリー……本当に、強いのね……」
「俺としてはまともに戦ってもいない相手の強さをどうこう言う気にはなれんがな」
 ローグはいつものように傲岸不遜な言葉を当然のように吐いてのける――その日常的な空気に、ミレーユは思わず安堵の息をついてしまった。ハッサンも気が緩んだのだろう、いつものように笑顔になって、ローグを肘でつつく。
「おー、言うじゃねぇか。まぁお前のこったから、あいつが強いだのなんだのとかは絶対言いやしねぇだろうなとは思ったけどよ」
「当然だ。まぁそれなりに見応えのある剣舞ではあったがな、あれがどれだけ実際の強さに反映されているかは怪しいぞ。実際普通の戦いならありえない動きをしてただろが」
「へ、そんなんあったっけ?」
「普通の戦いでああも攻撃を封じて一方的に攻撃できるか? こっちが攻撃する時は普通向こうも動くもんだろが。さっきの戦いはそこらへんにずれがあった。あの竜に、あの剣士を攻撃したくない理由があったんじゃないかと勘繰りたくなるほどにな」
「――――」
「いや、それはいくらなんでも考えすぎ――って、おい、ミレーユ! どうしたんだ、大丈夫かよ! 顔が真っ青だぞ!」
「……え」
 言われてようやく、表情を取り繕う余裕もなくなっていることを自覚した。チャモロが慌てて駆け寄ってきて、脈や体温を測ったり体の状態を確認したり、と癒しの民ゲントらしくまめまめしく働く。
「……熱はなし。ですが、脈拍がひどく早くなっていますね。体温も下がっているようですし……なにか、ひどく衝撃を受けるようなことがあったのですか?」
「―――それ、は」
「そういえば、ミレーユ。俺があの剣士に本格的に喧嘩を売ろうとした時に、ひしと取りすがって止めていたな」
「っ」
「ああ、そういやそうだった。おいローグ、お前が人間相手にまでマジ喧嘩しようとすっからミレーユが怯えちまったんじゃねぇか? 女を怖がらせるようなことすんなよな、ったく」
「………え」
「お前に言われたくはない……が、まぁ確かにそうだな。悪かったミレーユ、大丈夫か? 今度からはああいう奴はお前には見えないところで叩きのめすことにするから心配するな」
「……いえ……できれば、私の見ていないところでもしないようにしてほしいのだけど……」
 半ばはいつものように取り繕おうとして、半ばは呆然としたまま素直な反応として出た言葉に、ローグは肩をすくめて「心がけよう」と言い、ハッサンは「お前それ絶対素直に聞く気ねぇだろ」とローグを小突いて蹴り返されている。その様子を呆然と見ていたミレーユに、チャモロはほっとした顔で微笑んだ。
「どうやらもう大丈夫なようですね。顔色も戻ってきていますし、ミレーユさん笑っておられますし」
「え……」
 顔に手をやって、初めて自分が笑っていることに気づく。当たり前のように、それが自然なことのように。仲間のやり取りを見て、自分が微笑んでいたと。演技をしよう、仮面をつけようと考えるより前に、笑うことができたのだと。
 その事実と、胸の中に湧き起こる安堵の感情に、なぜかひどく切ない気持ちになりながら、ミレーユは微笑んだ。いつもと同じ笑顔の装いを、演じようと思う必要もなく身に着けて。

「やれやれ……棺桶がなくなったことだけは助かったな」
「そうですね……ですが、雷鳴の剣……。あのテリーとかいう若者に持っていかれてしまいましたね……」
「うー、その話もう思い出したくなーい! 早く新しい場所に行きたいよー。でも、旅人の洞窟の開通まではまだしばらくかかりそうだったわよね……」
「そうですねぇ。それにしてもあんな若い剣士一人に先を越されるなんて……。同じ青い者としてはちょっとショックですね……」
「もーっ、アモスってば人が思い出したくないって言ってるそばから話戻さないでよー!」
「っつーか青い者ってところで同列扱いっつーのはさすがに無理があるだろー」
「外見で同列扱いなんてわかりやすくてけっこうなことだろが。今度あいつに会った時は同じ青い者同士、爽やかに挨拶でもしてみたらどうだ?」
「おおっ、さすがローグさん、いいアイデアです!」
「お前絶対嫌味で言ってるだろ」
「まさか。単にあのテリーという奴に少しでも嫌がらせをしてやろうと思っているだけだ」
「……だからそういうこと当然のように言うなよな、お前……」
「俺は身内は全力で護るが、俺を敵に回した奴や気に入らない相手は全力で貶め蹴倒し泥の中で這いつくばらせるのが信条だからな」
「そーいうことを爽やか笑顔で言うとか、本当いい性格だよねローグって……」
「まあ、とりあえず、いったんアークボルト城に戻りましょう。きちんとアークボルトの王さまに仕事の報告をしなくてはね」
 ルーラでアークボルト城の近辺まで戻ってきたのち、自分たちはそんな会話をしながらアークボルトの門をくぐった。ローグがときおりこちらに視線を向けているのには気づいていたが、ミレーユとしては、今の心情をそのまま仲間たちにぶちまけるわけにはいかなかったのだ。良くも悪くもそれなりに年を経てしまった自分には、自分の心をそれなりに整理する時間が必要だった。
 それに――ミレーユは、まだ、彼が自分の弟だとは信じられなかった。信じたくなかった。そして信じたいと思っていた。
 彼の存在が気になった。会って話をしたかった。会って彼の真実を知るのが怖かった。
 取り乱していた感情は落ち着いたとはいえ、心はどうしても千々に乱れる。彼にまた会えるかもしれないというこの状況下で、不安と期待に揺れてしまう。
 その想いをそのままむき出しにすることなど、できはしなかった。ずっと、ずっと探していた弟なのだ――本当に会えるとしても、実は別人だったとしても、落胆や絶望の感情が怖くて素直に会いたいと言うのは難しかった。
 ローグもそんな自分の感情を理解していたようで、自分たちは特に言葉を交わさずに、視線だけである程度の意志疎通をしながら、アークボルト城へと向かっていたのだ。
 ――と、その途上で、ミレーユは目を見開いた。
 道の向こうから、テリーが歩いてくる。あの青い剣士が、あの暗い気配を漂わせる剣士が、道を堂々と横切ってやってくる。
 と、向こうも自分たちを目に止めたらしく、表情がわずかに笑んだ。それは暗い感情――悪意によるものだと嫌でもわかったけれども。
 目をみはる仲間たちにかまわず、ローグはすたすたと歩を先に進める。自分たちもはっとして、慌てて後を追った。
 ローグは考えのうかがい知れない表情で黙っていたが、テリーはローグの横を通り過ぎる時、小さく告げる。
「残念だったな。この城の宝、雷鳴の剣はこの俺がいただいた」
「ほう。最強を目指すなんぞと言っていたが、お前は一国の国宝程度の剣で満足するのか。小さい男だな」
 ローグはいつも通りの傲岸不遜な表情を崩さない――が、テリーはにやりと笑った。
「フン……言っただろうが、俺にとってはどれもみんな贄だ。世界最強という道を進むためのな。お前も立候補する気か? さして糧にならない程度の腕しか持っていそうにないが」
「お前も世界最強を目指すわりにはお粗末な眼力しか持っていないようだが。よほど運がよかったか、強い味方に護られてきたか。どちらにしろなかなか甘やかされた人生を送ってきたようだな?」
「………なんだと?」
 テリーの目がぎらり、と光る。その目にあるのは殺意だ。ミレーユにははっきり読み取れた。自分の邪魔なものを、不快なものを感情のままに斬り捨てることをよしとする、人であることをやめたものの感情。
 ミレーユはさっと自分の顔から血の気が引くのを感じた。弟が。自分の弟が。そんな。自分のせいで。私のせいで。手を離してしまったから。もう手遅れなの? 私には、この子を救えないの? もう、自分は、テリーを、この子を、再び抱きしめることも、愛してあげることも――
 ――でも、それでも、自分は、あがかないわけには、いかない。
 思わず足が前に出た。テリーとローグの間に割って入ろうとする。
 どうにもできなくても。そうなると運命が決まっていても。それでも自分は自分にできることをしなくてはと思った。これまで何度も運命に呑み込まれる人を見送ってきた。見捨ててきた。仕方ないことなのだと、自分にはできないと目を逸らしてきた。
 けれど、今は。弟なのだ、かつて誰より愛した存在なのだ。そして、仲間なのだ。
 自分を大切だと言ってくれた相手なのだ、一緒に時を過ごした相手なのだ、共に生き抜いた存在なのだ。それが失われるのを受け容れることは、できない。無駄たと思い知らされようとも、それでも自分はあがく。何度傷つけられても、絶対に。
 そして、グランマーズはそれでいいと言ってくれた。運命を変えようとすることは、傲慢でも不遜でもないと。人としてあるべき姿なのだと。運命を受け容れることと、自分にできることをすることは矛盾していないと。人ならば、人として正しく生きようとするならば、当たり前のことなのだと。
 ローグは自分にはできる、と言ってくれたのだ。自分は幸せになれると言ってくれたのだ。仲間たちは自分を信じてくれているのだ。
 自分は、それに応えたい。自分にできるありったけで。決死の想いを込めて一歩を踏み出し――
 その瞬間、ミレーユは幻視に囚われた。

 ――氷の迷宮だ。周囲全てが凍りついた蒼白の世界の中で、朽ち果てた剣を前に自分たちとテリーが向かい合っている。

 ――そこは城だった。漆黒の気配をまといながら、圧倒的な覇気と闘気をもってこちらを睥睨する巨体の男の前で、テリーが剣を構える。

 ――ダーマの神殿の、ルイーダの酒場のようだった。ルイーダがあだっぽい仕草で肩をすくめてみせる前で、テリーがローグにくってかかっている。

 ――その建物は、スライムに満ちていた。そこらじゅうをスライムが走り回っている中で、テリーが目を輝かせながらこちらを振り向く。

 ――どこまでも続く洞窟の中、怒涛のように襲ってくる魔物。その中で自分たちは必死に戦い、テリーも―――

「ミレーユ。……心配するな、別に喧嘩を売る気はない。言っただろう、どんな奴だろうとできるだけ叩きのめさないように心掛ける、と」
 そっと頭を叩かれて、無限と思えるほどの像の嵐からミレーユは目覚めた。はっと顔を上げて、自分がローグに取りすがるように腕をつかんでいることに気づく。
「あ……の、私」
「……フン。女に命を救われたな」
「そうだな。お前が」
「フン……叩き斬られたいならそう言え。俺は女の前だろうと容赦はしないぞ」
「話の流れを読めないのかお前は。ミレーユとの約束があるからな、お前が剣を抜くと言うなら俺は逃げ回るぞ。その上で公権力を動かしてお前を悪人に仕立て上げる。お前の最終目的がどこにあるかは知らんが、まだ世界を巡ると言うなら指名手配されでもしたら面倒なことになるんじゃないのか?」
「……フン。口だけは本当によく回る……まあいい、その女に免じてここは見逃してやる。せいぜいその女に感謝するんだな、はっはっはっ。じゃあな!」
 殺伐とした言葉を交わし、テリーは自分たちの横を通り過ぎてアークボルトの外へと去っていった。ミレーユが思わずすとん、と腰を下ろすと、仲間たちが血相を変えて駆け寄ってくる。
「わっ、ミ、ミレーユ大丈夫!? もーっ、ローグがあいつに喧嘩売るようなことばっか言うからー!」
「俺としてはできる限り和やかに話をしようとしたつもりなんだが……まぁそうだな、ミレーユ悪かった、大丈夫か?」
「なんなら宿屋までおぶってってやろうか? 一緒に旅しててちっと忘れてたとこあったけど、やっぱりミレーユは気の優しい女だよなぁ……悪かったな、ちゃんと気遣えなくて」
「ハッサンさん、それは男としてダメですよー。男だったら女の人はどんな時もいたわってあげないと! ちなみにおんぶは私がしてさしあげたいです!」
「……アモスさん、なにやらよこしまなことを考えてはいませんか? と、それよりミレーユさん、お気を確かに。この指は何本に見えますか? まったくローグさん、子供ではないのですから、ああいった人にまで傲岸不遜な態度を取るのは慎んでいただかなければ」
「お前にそう言われると堪えるな。すまなかった、できるだけ改めよう。だが少々釈然としないので、真面目で可愛い奴という思いを込めてお前をちょっとばかり可愛がってやるとするか」
「なっ、ロッロッロッローグさんっ、こんなところでなにをする気なのですかーっ!」
 いつものように騒がしく、けれど親しみをたっぷり込もった仲間たちの会話に、ミレーユはぷっと吹き出した。くすくすくすと自然に笑いが漏れる。仲間たちはほっとしたような顔になったが、それでも心配げに「大丈夫か?」「痛いところはありませんか?」などと訊ねてくるので、ミレーユは笑いながら首を振る。
「ふふっ……ええ、大丈夫よ。本当に大丈夫。私は大丈夫よ」
 今も不安はある。弟を救えないかもしれないという恐怖はある。けれど、ミレーユはもう知ることができた。今の自分の道の先に、弟の道は交わっていると。
 必ずしも救えるとは限らない、けれど、自分のあがいた先に望む未来が繋がっていると、夢の導きが教えてくれたから。自分はこの道を、素直にまっすぐ進むことができる。
 また元のように連れ立って道を歩きながら、ミレーユはこっそりとローグに声をかけた。
「ローグ。私は、まだ仲間たちにはテリーのことを話さないことにしたわ」
「………そうか」
「誤解しないで。私はあの青い剣士がテリーじゃないと思っているわけじゃないわ。仲間たちを信頼できないと思っているわけでもない。ただ、それが私の望む未来に繋がっていると思うからよ」
「……弟とこれからいさかいを起こすことになる可能性もあるのにか? 周知しておいた方が楽だと思うが」
「あら、あなたじゃないのだから、みんな人間相手にわざわざいさかいを起こすようなことはしないでしょう? 今回よーくわかったことじゃない」
 自分がすましてそう言うと、ローグは一瞬虚を衝かれた、という顔をしてから小さく肩をすくめる。それが彼なりの『一本取られた』という感情の表現であることをなんとなく悟ったミレーユは、またくすくすと笑う。
「あ、ミレーユ、また笑ってる! なに話してるの?」
「うふふ、別に大したことじゃないわ。ローグは親切ね、って言っていただけよ」
「えぇ……? そ、そう?」
「ええ。私はそう思うわ」
 もし彼が、彼なりに未来を変えようとしているのだとしても。彼は決して、自分たちを傷つけるような形でそれを行うことはないだろう。自分たちを気遣い、自分のできる限りの力で護ろうとしてくれているのだろう。
 それを知ったミレーユは、心からそう言ってにっこり微笑む。バーバラは難しい顔で首を傾げたが、ローグは「そう褒めるな」とだけ言って、肩をすくめる。それはたぶん、彼なりの、照れくささのこもった『どういたしまして』なのだろうとわかってしまうミレーユは、またくすくすと笑った。

戻る   次へ
DRAGON QUEST VI topへ