虚夢〜ハッサン・6
「あれっ? こんなところに出たぞ。こりゃいったいどこだ? この辺りも何もなさそうなところだなあ」
「ここは……上の世界のどこかよね? どこなのかしら。……とにかく、村でも町でも人のいるところを探しましょ!」
「こうして階段で二つの世界が繋がっているのは、とても不思議な感じです……。なんにせよ、見知らぬ土地を歩くのですから、体力などにはよりいっそう気をつけましょう」
「ホントだよ! あー、足が疲れた……。下の世界から上の世界まで階段で来るなんて辛いよ……!」
「いやー、階段の上にもこんな広大な世界があるなんてビックリですね! しかしこう、なんていうんでしょう、どこに何があるかどうかわからずに進むというのは、心細いものですね……」
「ま、今の時代の旅っていうのはたいていそんなもんだ。水や食料の確保だけで一仕事、ことによっちゃそのためだけに前の街まで戻らなきゃならないってことにもなりかねない。俺たちはルーラが使えるから、行き倒れの心配だけはないがな」
 階段を登り終えた自分たちは、てんでにそんなことを言いながら周囲を見回し、あるいは水袋の水を飲み、あるいはドライフルーツを噛み締めて一休みする体勢に入る。ローグもそれに文句をつけることもなく、周囲を警戒しながらも水袋を取出し口をつけた。
 まあ実際、ここまでの階段を登りきるのには体力を使ったのだ。下の大地から上の大地まで、つまり地面から空の上まで伸びている階段なのだから。正直ハッサンとしてもそういう話は聞いていたものの、地面からいきなり馬鹿でかい階段が空に向かって伸びているのを見た時は仰天した。
 ローグが言うには、『歩いた距離と移動してる距離が一致してない』んだそうで、『上の世界から落っこちた時同様、見た目と違う、一種の移動装置なんだろう』とかなんとか言っていたが、それでもやはり相当な距離を階段で登ってきたことには違いない。人間にしろ馬にしろ、普通だったら途中でへたり込んでいるところだ。
 それでも(バーバラですら)最後まで登りきれた辺り、自分たちも相当鍛えられてきたということなのだろう。そんなことを考えてハッサンはつい口元をにやけさせてしまったのだが、即座にみぞおちに鋭い拳が入って、思わずぶほおっ! と息を吐き出した。
「お……っ、まえ、なぁっ、だから不意討ちはやめろって……!」
 思わず拳の主であるローグに半ばつかみかかるようにして手を伸ばすが、ローグはあっさりそれを捌いてふんと鼻を鳴らしてみせる。
「魔物が行儀よく今から襲いますよ〜、なんぞと抜かしてくれるわきゃねぇだろが。さっきみてーな自己満足に浸りきった顔する余裕があんなら、不意討ちに完璧に対処するぐらいのことはして見せやがれ」
「ぐぬっ……あーっ、たくもうっ、わかったわかりましたよ、俺が悪うございましたー」
「疑問の余地なくその通りなことを主張するぐらいでふてくされてんじゃねぇ。これから先なにがあるかわかんねぇんだからな、しゃんとしてろ」
「ふぅん……? お前はなんか起きるって確信してんのか?」
 今のところ、一般的な認識では、魔王ムドーが倒されてこの世は平和になった、ということになっている。魔物の残党ぐらいはいるかもしれないが、それもどんどん減っていくだろう、というのが普通の人間の考えだ。
 だがローグはまたふん、と鼻を鳴らし、どうでもよさそうに言ってのける。
「参ったことに、俺は主人公≠セからな。その旅路が平穏無事なものになるわきゃねぇだろが」
 ハッサンは思わず小さく噴き出して、ばんばんとローグの背中をたたいた。
「だっはっは! そうだったそうだった、お前は主人公なんだったな! ま、俺は相棒としてしっかり働いてやるから、そこのところは安心しとけよ」
 そう言うや即座に脛に飛んでくる蹴りを防ぎつつ、にやっと笑ってやる。それにローグはふん、と忌々しげな鼻息を返して、「とりあえずあと十五分くらいしたら出発するから、全員腹の中になにか入れておけよ」などと仲間たちに向けて声をかけにいった。
 ハッサンはくっくっくっ、と笑いつつそれを見送る。……別に主人公だなんだという言葉がおかしかったから笑ったわけではない。ローグのそういう言葉はもう耳に慣れ親しむほど聞いている。
 単に、それを当たり前のように受け容れて、いくらでも力になってやる気でいるだけでなく、どれだけ殴られ蹴りを入れられても変わらずローグの隣で一緒に戦う意思が微塵も薄れない自分を改めて認識し、面白くなってしまっただけなのだ。
 なぜ自分はこうもあいつに、尽くしてやりたい、手助けしてやりたいと思っているのだろう。王子時代とはまるで違う根性悪だというのに、王子の体を持っていた時よりも強く想っているのではないかと思うほどだ。
 そんなことをちらりと考えたが、すぐにふふんと笑ってローグの方へ向かい歩み寄る。そんなことは気にするまでもない。どちらにしろ、自分がローグを助けたいと心の底から思っているのは変わらないのだから。

 自分たちは、上の世界へと続いていた階段から、海岸に沿って南へ南へと下っていった。陸の奥へ向かうとちょっとやそっとでは越えられないほど高い山々が連なっているのはすぐ見て取れたし、北はすぐに海で行き止まりになっていたからだ。神の船をこっちに持ってこれればここからでも動けるのに、とバーバラが残念そうに言っていたが、どうやらあまり大きな物を二つの世界の間で移動させることはできないようなので、仕方ない。ルーラで世界を移動しても、神の船は下の世界から動かなかったようだし。
 このルーラをすると一緒に船も動く、というのはどういう仕組みなのか、ハッサンはさっぱりわからなかったのだが、どうやらチャモロですらもはっきりわかっているわけではないらしい。ルーラを(ダーマの神殿なしで)使える人間というのはほとんどいないそうなので、研究が難しい上に、神の船を動かすなどという機会はこれが初めてなのでよくわからないそうなのだ。
 まぁ、「もしかすると、これもローグさんが勇者だという証のひとつなのかもしれませんね」と真剣な顔で言っていたあたり、チャモロとしてはわからないことは勇者に対する神さまの恩寵ということにしてよし、ということなのかもしれない。
 ともあれ、南へ、南へと向かった自分たちは、誰が作ったのかもわからない隧道を通り抜けて西へと進み、砂漠へと出た。――そして、ひとつの街を見つけたのだ。
「ここはなんという街かしら。一面砂だらけね。この街での暮らしは何かと大変でしょうね……」
「こんな砂漠の中にも人が住んでいるんですね。いやー、もう靴の中砂だらけです」
「馬鹿にさっぱりした街だねー。ほんとに砂だらけで肌荒れしそう……」
「乾ききった空気の匂いがします。日照りが続いているようですね。ただでさえとぼしい緑がくすんでる……」
「しかし、活気のない街だよな。……ふぁっくしょん!! いきなり鼻の中に砂が入っちまったぜ」
「砂漠の街というのは、基本的に環境自体が厳しいからな。当然と言えば当然だが……この街の活気のなさには、他にも理由がありそうだ」
「へ? 理由ってなんだよ」
「俺が知るか、これから調べる話だろうが。……あ、すいません、そこのご婦人。少々お話をお聞きしたいのですが、よろしいですか?」
 と、いつものようにローグが笑顔全開で街の人々――井戸の近くに座り込んでいた中年女性に聞き込みに入る。新しい街に来た時はいつもこんなものだ――が、普段と違ったのは、声をかけられた中年女は、ローグの爽やか好青年な素振りなど見えなかったかのように力のない声でこう答えたのだ。
「……あんた、旅の人だね。ここはカルカド。見ての通りなあんもない街だよ」
『…………』
 その力のない返事に、自分たちは思わず顔を見合わせる。ローグに声をかけられて、ここまで覇気のない答えを返してきたのは、この女性が初めてではないだろうか。
「……風の噂に聞いたが、魔王が倒されたそうじゃのう。じゃが、たとえ平和になっても、この井戸は涸れたままじゃ」
 その隣に座っている老人も、まさに夢も希望もない、と言いたげな顔でそう呟いてため息をつく。自分たちも戸惑って顔を見合わせながら、「この街では、魔王のことより井戸の方が大問題なのね」「この女性……生活に疲れたような顔をされてますね。ふむ。この街は井戸が涸れたからこんな風になってしまったのですね」などと呟き合う。
 と、そこに一人の男が声をかけてきた。
「やや、街の外から来たんですね。西の岬に小さな島が浮かんでいるのを見かけましたか?」
「……島、ですか? いいえ、あいにくですがそのようなものは」
 ローグの答えに、男はほっとしたようにうなずいて。
「よかった! 今度こそ乗り遅れないようにしなくちゃ!」
 そう漏らすや、足早に歩み去って行ったのだ。
「……なんだか、言ってる意味がさっぱりわからない人ですね」
「いったいなんなのかしら。この人にとってはよほど大切なことらしいけど……」
「島に乗り遅れるってどういうことだ? よくわからないよなあ……」
「まるで島がどこかに行っちゃうような口ぶりだったね」
「この人はお酒を飲んではいないですよね?」
 どういう意図があっての台詞かまったくわからず、めいめい困惑顔でそんなことを言っていると、中年女がはぁ、と心底疲れたような呟きを漏らした。
「また、幸せの国に行く奴が増えたわけかい。……また、街から人が減るねぇ……」
『え?』
 思わず自分たちが視線を集中させる――や、中年女は慌てたように視線を逸らし、その場を歩み去ろうとする。そこにローグがその機先をくじくように前に立ちふさがり、自然な動きで女の動きを封じた。
「失礼、ご婦人。その幸せの国、というのはいったいどのような……?」
「あ、あたしゃ知らないよ。他の奴に聞いとくれ。あたしゃそんなもんに関わり持ちたかないんだよっ」
「ご存じのことを教えてくださるだけでいいのです。一言なりとも」
「……っ、最近この街や旅の奴らに、幸せの国に連れて行くとか言って島に集めてはどこかへ連れて行く奴らがいるんだよっ。あたしゃそれ以外のことはなんにも知らないからねっ」
「……そうですか。お引止めして申し訳ありませんでした、どうぞ帰り道お気をつけて」
 解放されるや中年女は一目散に逃げ出し、姿を消す。同様に老人も足早にその場を立ち去り、井戸の周りには自分たちだけが残された。
「幸せの国……って、なにそれ!? なんか……なんていうか、すっごく……すっごくあれじゃないっ!?」
「バーバラ、お前の言いたいことはわかるが指示代名詞を多用すると説得力はだだ減りするからな? まぁ、確かに俺も果てしなくうさんくさい話だとは思うが」
「そ、そうっ、それっ! うさんくさい! なんていうか……なんていうかすっごく……」
「言いたいことはわかったからくり返さんでいい」
「う、うー……」
「確かに……なんというか、怪しげな話ですね。どうします、ローグさん? 今日はこの街に泊まることになるでしょうし、少し調べてみるのもいいかと思いますが……」
「そうね、この街の人がどんどん減っているということだったから、放ってはおけない話だと思うわ。幸せの国というおいしい話を餌に、犯罪行為が行われている可能性は決して低くないでしょうし」
「ふむ……アモス、ハッサン。お前たちはどう思う」
「え、私ですか!? そりゃーもう、怪しい話ですからどんどん首を突っ込んでいっていいんじゃないですかね? 私たち、基本世直しのために旅をしてるみたいなとこありますし!」
「世直し……ときたか」
「え? なんか私間違ったこと言いました?」
「気にすることねぇよ、アモス。単にこいつが根性曲がってて意地悪いってだけのこったからな」
「あぁん?」
 笑いながらローグの頭を叩きつつ言ったハッサンに、即座にローグの蹴りが飛ぶ。それをかろうじて防ぎながら、ハッサンはにかっと笑った。
「お前だって首突っ込む気満々なんだろ? 意地張らねぇで、さくっと解決しちまおうぜ!」
 いつものように自分たちの目の前に現れた問題があって、困っている人がいる。それをこいつが放っておくわけがない。こいつは実際、根性は曲がってるし意地も性格も悪いが、やるべきことを見間違えたりは絶対にしない奴なのだから。
 果たしてローグは、ふん、と鼻を鳴らして肩をすくめ、傲岸不遜に呟いた。
「……ま、主人公≠ノ与えられた課題とあっちゃ、とっとと解決してやらねぇと話が進まねぇだろうがな」
 それに自分は破顔一笑し、即座にみぞおちに「てめぇに笑われる筋合いはねぇ」と膝を入れられたのだが。

「俺は旅の戦士マハメドだ。海の上をぷかぷか浮いて、望む者を幸せの国へ導くという島の噂を聞いたか? どうも胡散臭いと思わんか。幸せの国だなんて話がうますぎる! 今時子供だって騙されまい!」

「この街に来れば島に乗って幸せの国へ行ける! そう聞いてやっとの思いでたどり着いたのですが、まだ島は来ていないようですね。ああっ、待ち遠しい! 幸せの国へ行ったら、一生懸命遊んで暮らすぞー!」

「……この街には何もないでしょう? でもこの街の西の岬から幸せの国に行けるという噂なのですよ。しかし幸せの国へ行ってしまった人たちは誰一人帰ってきません。本当に幸せに暮らしていればよいのですが……」

「いつも誘ってくれて大変嬉しいが、行く気はないんじゃよ……。 ……? ん? あんたたちは……旅のお方かね? いやいやこれは失礼したね。ワシはまたいつもの幸せの国への誘いの人だと思ってな……。まったく年は取りたくないものじゃのう。ホッホッホ!」

「ウイー、ヒック。ん? なんだ? 昼間から酒を飲んじゃいけねえかい? うちのカカアがよ、家を出て幸せの国とやらに行っちまったんだ。これが飲まずにいられますかってんだっ。ヒック……」

「あのね! 夜は満月で、海をプカプカ……島がね! すごいんだ!」

「不思議な浮き島が満月の夜になると近くの海に現れるのです。その島に乗ってくる人々は、自分たちは幸せの国からやって来たと言います。なんの苦労も悩みもない幸せの国……。そんな国が本当にあるのでしょうか? 今夜も満月。またあの島がやって来るかもしれません」

「ゴホッ、ゴホッ。馬鹿なお父さん。幸せの国へ行けばきっと私の病気を治せる薬があるって……止めるのも聞かずに行ってしまったんです……。薬を持ってきっと戻るってそう言っていたのに……。ゴホッ、ゴホッ」

 街中の人に話しかけて情報を得て、状況を確認して、ということをやっているうちに、辺りはすっかり夜になっていた。濃紺の夜空に、まっ黄色の満月が眩しく輝いている中を、仲間たちで小声で話し合いながら足早に歩く。
「夜もだいぶ更けてきましたね。さすがに人影がまばらですね」
「気がついたら、もうこんな夜更け? 少し冷え込んできたわね」
「満月の夜か……。確かにお月様が真ん丸だぜ」
「月明かりで明るいわ。街の外でも楽に歩けそう」
「夜ってドキドキしますねー。あ、大丈夫ですよ。変身しませんから。……あれー? 夜だとはいえ、街の人が少なくないですか?」
「確かにな。幸せの国≠ニやらに、また何人も向かったということだろう。『満月の夜に幸せの国から島がやってくる』そうだからな」
「もー、あんなうさんくさい話にどーしてみんな騙されちゃうかなー。絶対怪しいって普通だったら思うと思うのにさ」
「ま、確かにうさんくさいことこの上ない話ではあるが……この、井戸もほとんど涸れている街で、未来に希望を繋いで日々精励恪勤するというのは楽なことじゃないからな。希望よりは絶望の方がより近しい生活だ。そんなところに救いの手を差し伸べられたら、よほど心の強い人間でなければ揺らぐだろうさ。幸せの国とやらいう奴らの手口は単純だが、単純なりにいいところを突いている」
「えーっ、なにローグってば、幸せの国って奴らの肩持つ気なわけ?」
 バーバラが口ブルを尖らせて不満を表すと、ローグはふん、といつもの傲岸不遜な笑みを浮かべた。
「そう思うか?」
「……いや、全然思わないけどさ」
「当然だ。こんなくだらん手口に騙される方も騙される方だが、それでも辛い現実から一時でも逃れて夢を見たいという愚民どもの想いにつけ込んでいいようにするなんぞという下衆な手口はそいつらよりもはるかに気に入らん。俺の視界内でそんなことをしくさった奴らには、しっかり誅罰を加えて身の程を思い知らせてやるのが主人公≠フ仕事というものだ」
 にやり、と悪者そのものの笑みを浮かべて言うローグに、それぞれ苦笑しつつもうなずく。ローグの言い分はやたらと悪者くさいが、やろうとしていることは自分たちとしても文句はない。
「じゃあ、街の奴らの話に出てきた通り、西の岬を目指すんだな?」
「いや、その前に、少しばかり買い物をしていく必要があるな」
「買い物ぉ? なんの? 武器防具なら昼間にもう買っただろ?」
「本気で言ってるのかこの脳筋鶏頭マッチョが。俺たちが幸せの国とやらに向かう時、どういう立場になると思うんだ」
「へ? どういう……?」
「ここは夢の世界なんだぞ? 俺たちの立場はせいぜいが手柄を立てた城の兵士、強権を発動するのは難しいし、そもそもそんなことをしたら幸せの国とやらを運営してる連中は警戒して尻尾を出さないようにするに決まってる。と、なると他の連中同様幸せの国に迎え入れられたい奴らのふりをすることになるわけだが、この手のカルト――人を集めている怪しい奴らは、まず集めた人間をできる限り無力化しようとするのが普通だ。あれこれ理由をつけて武装解除した上で、場合によっては毒かなにか飲ませられるかもしれん」
「え……ど、毒ぅ!?」
「まぁ、そんなことになっても俺たちにはキアリーを使える人材が複数人いるんで特に問題はないわけだが。それでも、万一の時のためにそれなりに備えは必要なんだよ。……具体的に言うと、パーティを二手に分ける。片方は幸せの国とやらいう奴らのところに真正面から乗り込んで、できる限り情報を集めつつ派手に動く役。もう片方は幸せの国の奴らの目の届かないところに隠れ潜みながら調査を進めて、場合によっては俺たちに武装を届けたり俺たちが囚われた時に助けに来たりする役」
「えーっ!? かくれひそむって、あたしそんなことできないよ!? 盗賊なんて職業全然熟練してないし!」
「だから買い物が必要だって言ってるだろが。要するに、馬車の中に隠れて、あれこれ偽装を施して見張りの目をごまかすわけだ。今の俺の職業はレンジャーだからな、それもメガレンジャーだ。そんじょそこらの奴には見破れん程度の偽装をする自信はある。少なくとも、今日は幸せの国の勧誘役の連中は街中にはいないようだから、偽装用の買い物をしても問題はないだろうしな」
「な、なるほどー……」
「一応俺も袋は隠して持っていく。馬車の中の奴らとはそれで連絡が取れるだろう。一応武装解除されるための見せ武器を用意した上で、袋の中に本命の武器を隠すのがまっとうな手だろうな。ただ袋を見つけられて取り上げられる可能性はある程度あるんで、馬車の中の連中には予備武器を持っていてもらう。あくまで自分の身の安全が優先だから、場合によっては手放しちまってかまわんが」
「ふぅん……ならどういう風に分ける? どっちかっていうと真正面から乗り込む方が危険そうだけどよ」
「そうだな、俺は乗り込む方が男ども全員、馬車で隠れている方がミレーユとバーバラ、という組み合わせを推す」
「え、えーっ!? あたし、そんなりんきおうへんな対応なんてできないよっ!?」
「そこらへんはミレーユに頼むことになるな。大丈夫か、ミレーユ?」
「ええ、任せて……と言い切れはしないけれど、できる限り努めさせてもらうわ」
「それに、ミレーユもバーバラも今就いているのは踊り子と遊び人という下級職の上に真正面からの戦闘は難しい職業だ。ことがあれば至近での殴り合いになるだろう潜入捜査は不向きだろう。それにミレーユもバーバラも賢者を極めている、いざことがあった時には敵が集まっているところにイオナズンを連打でもすればまず普通の相手ならパニックを起こすし、進退窮まればルーラで逃げ出せる。お前らには外から動いてもらった方がありがたいんだよ。頼めるか?」
「う、うー……わかった、頑張ってみる……」
「よし。頼むぞ」
 ローグはにっ、と笑みを浮かべると、仲間たちを見渡していつもの傲岸不遜な、けれどこちらの心を奮い立たせるおそろしく堂々とした威風を持った表情で告げる。
「向こうがどんなことを企んでいるにせよ、主人公≠ニその一味に逆らえる奴なんぞ世界のどこにもいない。熟練度上げとレベル上げもいやというほどやっている、問題なんぞどこにもない。さくっと片付けて街の問題をひとつ解決してやるぞ」
「おうっ!」
「ええ」
「うんっ!」
「もちろんです」
「わっかりましたー!」
 それぞれの声で返ってきた返事に、ローグはにやりと笑んで、自分たちを引き連れ歩き出す。その姿は、実際、『この世界の主人公=xだなんぞという偉そうな言葉が、よく似合うと言っていいほど堂々としていた。

「おおっ! あなたは実に正しい選択をなさいました! 共に幸せの国に旅立ちましょう! もう世をすねたり人を憎むこともありません。なんの不安も心配もなく、そこにあるのはただ明るい未来です! ささっ、すでに何人か街の人たちも乗り込まれて、間もなく出発です。出発してよろしければ、前方にいる船員に伝えてください」
 偉そうな風貌の男に腰を低くしてこんなことを言われながら、自分たちは西の岬の島に乗り込んだ。馬車を係の人間に預けつつ、ローグ、ハッサン、チャモロ、アモスという組み合わせで島を歩き、周囲の状況をさりげなく確認した上で船員にもう出発してよい旨を伝える。
 一見した限りでは帆もなにもない、南国風の華やかな草花や果実が育てられていること以外はごく普通の小さな島にしか見えない島を(それでもハッサンの大工としての目はあちらこちらに人の手の痕跡を見つけていたが)、舵で動かすというのはハッサンには少々無茶な気がしたのだが、船員が舵をきると島は見る間に動き出し、海上へと進んでいく。自分の目ではここまでの大仕掛けを見抜くことはできなかった。どんな仕掛けになっているのか、と思わず目をみはりつつも、案内に従って建物の中へと進んだ。
 建物の中、と言っても島の上に建築物がそびえているわけではない。どうやら島の内部、島の小高い丘のようになっている部分の土を掘って、いわば地下部分に部屋を作っているようなのだ。なぜかはわからないが、もしかすると景観を損ねたくなかったのかもしれない。ともあれ、建物の中に入った自分たちは、目の前に広がる光景に目を瞬かせた。
 そこに広がっていたのは、酒池肉林という言葉を形にしたような光景だった。広々とした街の酒場のような宴会場に並べられた机に何人もの男たちが群がり、山と積まれた料理や酒を喰らいながら、バニー姿のウェイトレスをはべらせたり、いちゃついたりということをそこらじゅうでやっている。全員目をでれでれと緩ませて、飽食と酩酊に浸っているその姿は、お堅い聖職者だったら醜悪なとあからさまに顔をしかめそうなものだった。
 だがまあ、自他ともに認める粗野な男であるハッサンとしてはそういう男どもの振る舞いも共感できなくはない。やれやれ、と肩をすくめ苦笑した。
「なかなかゴージャスな船、いや、島の旅だな……」
「あからさまだな。ま、元からやましいことをしてるだろうというのはわかりきってたが」
「へ? どういうことだ?」
「阿呆。幸せの国だなんぞという話に乗った頭のあったかい連中を、わざわざここまで歓待してるんだぞ? 満月の夜だけとはいえ、ここまでの派手な宴会となるとそれなりに費用もかかる。しかもそれが少なくとも数ヶ月は続いてるんだ。騙された連中にわざわざそんなことをしてやるなんぞ、費用対効果をまるっきり無視してる。つまり、騙す側の連中は、騙された奴らから金を回収するつもりなんぞまるっきりなくて、もっとやましい、人の道に外れたことに使うつもりだ、ってことになるだろが」
「あ……あー! なるほど!」
「なるほど、さすがローグさんですね。……しかし、そうなると……」
「ああ。相手はそっち側≠チて可能性が高くなる」
 そっち側。人でない側。つまりは、魔物ということだ。ローグたち頭のいい奴らは、その可能性も当然考えて、説明してくれていた。その場合でも自分たちがやることには変わりはないわけだが、荒事になる可能性がさらに高くなったのは確かだ。ハッサンは思わず拳を打ち付けた。
「へへっ……面白いことになってきたじゃねぇか。腕が鳴るぜ」
「まぁ、向こうもこっちに狙いをつけてる可能性も高くなってきたわけだがな。……ま、その分怪しまれないように、と気を使う必要性も低くなった。警戒しつつ全員で周囲の探索といくか」
「はい。……しかし、見覚えのある人たちが、あちこちにいますね」
「そうですねぇ。みんな楽しそうですが……うーむ」
 そんなことを話しつつ、ローグの言う通り全員揃ってあちらこちらの人間に話しかけつつ部屋の中を巡る。といっても、大した話が聞けたわけではなかった。
「いやはーっ! とうとう乗ることができましたよ!」
「いやーっ、ゆかいゆかい! 食べ物はうまいし、酒は飲み放題! 一生懸命に遊ぶのも、こりゃあきっと楽じゃない! わっはっは!」
「ヒック。やっとカカアに会いに行けるんだ。これが飲まずにいられますかってんだっ! ヒック」
「幸せの国じゃ年も取らんそうじゃよ。そんならもうちょっと若い時に行きたかったのう」
「魔王も倒されたっていうし、その上幸せの国で遊んで暮らせるなんて! ホントいいことって続くもんですよねっ」
「ん? お主たちは……。確かカルカドの武器屋で会ったよな。覚えているか? まあいい。ところで幸せの国のことだが、胡散臭かろうと調べに来たが……。なかなかどうして! 幸せの国の人たちはいい人ばかりだぜ。わっはっはっ。おかわりっ!」
 全員見事なほどに騙されきって酔っ払う姿に、ハッサンは苦笑してローグに囁く。
「……どうする、ローグ? 全員、いざって時にまともに動くこともできなさそうだぜ?」
「確かにな。少しばかり厄介な展開になってきた」
 ローグたち頭のいい連中が立てた作戦では、基本的に自分たちは相手にぎりぎりまで騙されたふりをして、連中の本拠地のできるだけ奥深くまで入り込むことになっていた。ただ、自分たちと一緒に連れられてきた奴らをどうするか、ということについては、不確定要素が多すぎるのでいくつかあらかじめ作戦を立てながらもその場の状況に応じて臨機応変に、ということになっていたのだ。
 そして、今この場の状況を見るに、自分たちが暴れ出せば人質に取られるだろう連中は、全員酔っ払いきってまともに足腰も立たなそう、その上数が多くチャモロのバシルーラでも全員を飛ばすのは無理ではないが難しい、さらに状況にまるで疑問を抱いている様子もなく自分たちの指示を聞いてくれそうもない、と(予測していたことではあるが)一番面倒な流れになってきてしまった。
 この場合の作戦は、この連中と男連中が一緒に行動させられるなら男連中が、違うなら女組が助け出す、ということではあるのだが(もちろん展開に応じてあれこれ手段を考えてはいた)、どちらにせよこいつらのこの様子では全員助け出すのは難しそうだ。基本、自分たちはまず幸せの国≠ニやらを(もちろん悪事を行っていた場合に限るが)叩き潰すことを優先する手はずだったので(そうでなくては別の場所で同じようなことをやりかねない)、全員自分たちの話を聞いてくれなさそうなこの状況では、人死にが出る可能性がぐんと高くなってしまう。
 どうするか、と部屋の隅で顔を突き合わせ考えていると、ローグがふん、と鼻を鳴らして告げた。
「仕方ない。気は進まんが、他に方法がない以上できるだけ確率の高いやり方でいくしかないだろう」
「……やっぱ、そうなるか」
「やむを得ませんね……」
「うーん、心配ですけど、仕方ないですかねー」
 それぞれが気が進まない顔をしながらもうなずく。実際、ローグの言う『確率の高いやり方』というのはかなり不確実な上に自分たちの危険が一気に大きくなる手だったのだ。
 自分たち四人が揃ってできるだけ派手に飲んで騒ぎ、目立って敵に目をつけさせる。四人組の上にしっかり武器防具を装備している自分たちだ、それはさして難しくはないだろう。
 その上で敵に絡んでそ知らぬふりで情報を引き出そうとしたり喋りながら敵の痛いところを衝いたりと目立つ動きをする。この辺りはローグに任せておけばうまくやってやる、と言っていた。
 その後派手に飲んだ末に無防備に眠り込み、敵の出方を見る。――つまり、自分たちを囮にして、敵に狙われやすくすることで周囲の人々の安全を確保しようというのだ。
 目立ったところで確実に向こうがこちらを狙ってくれる保証などないのであまり取りたくない手だ、とローグも作戦を告げた時に言っていたのだが、敵地に辿り着くや周囲の人々を皆殺しにされたり人質に取られたりという展開がないとは言えない以上、できる限り周囲の人々の生き延びる確率を上げるためには他に方法がない。当然その分自分たちの危険は高まるのでミレーユやバーバラは心配していたが、ローグが『どんな状況だろうと俺が雑魚に殺されると思うのか?』といつも通りの傲岸な表情で押し通した。
 その後、真面目な顔で『役に立つかどうかは確言できんが、少なくとも俺としては敵と相対する時にはやれるだけのことをやって臨みたい』と告げ、渋々ながら二人を納得させたのだが。実際、なんだかんだ言っても、こいつはおっそろしく真面目な奴なのだ、とハッサンはローグを見下ろし苦笑する。
 と、ローグがこちらをじろりと睨みつけてきた。距離が近いので見上げるような体勢になってはいるが、そのおっそろしく偉そうな表情には微塵も翳りがない。
「なにを笑ってる。俺たちはこれから命を懸けて宴会騒ぎに突っ込むなんぞという阿呆らしい真似しなきゃならねぇんだぞ、くだらねぇこと考えてる余裕があるなら遺書の台詞でも捻り出しやがれ脳筋マッチョが」
「へいへい。ま、心配はしてねぇよ。失敗してもお前がフォローしてくれるんだろ?」
 にかっと笑うと、ローグはふん、といかにも忌々しげな表情で鼻を鳴らす。
「当然だろが。お前らがなにしようが取り返しのつかない失敗なんぞ起こしようがねぇ、せいぜい好きに暴れやがれ」
「お、珍しく気前がいいじゃねぇか。――んじゃ、行くとしますか!」
 気合を入れて前に進むハッサンに、チャモロとアモスがついてくる。実際、ハッサンは少しも心配してはいなかったのだ。ローグがなんとかしようとしていることが、なんとかならなかったことは一度もないのだから。

 ふいに、がすっ、と身体を蹴られた感覚があった。
「キキッ! おいっ、起きろ!」
 さらにもう一度、脇腹に。眠りこけていたとはいえ反射的にわずかに身を動かして直撃を防いだが、相手は気づかなかったようで嗜虐的な喜びの感じ取れる声を上げた。
「いつまで寝ていやがる!」
 攻撃を防いだことで一気に意識が覚醒し、素早く身を起こして状況を確認する。自分が眠り込む前まで(おそらくは飲んだ酒に薬が混ぜられていたのだろう)人で満ちていた広間は、人っ子一人いなくなっていた。残っているのは自分たち四人と――目の前で自分たちを取り囲んでいる、魔物たちだけだ。
 魔物たちは人間とは違う体なのでわかりにくいながらも、自分たちを嘲りの表情で見下ろし、甲高い声でせせら笑う。
「お待ちかねの幸せの国に着きましたぜ、お客さん。キーッキキ!」
「さあこっちだ! さっさと歩け!!」
 立ち上がった自分たちは周囲を魔物に囲まれて、島を降り、ろくに道のない森の中へと歩かされていく。武器はすでに取り上げられているが、防具までは脱がされていない。自分たちはともかく他の連中は大丈夫なのか、と思わずローグを見やると、ローグはそれこそ真剣のような鋭い気迫を纏った表情で小さくうなずく。思わずわずかに気圧されたが、こちらも小さくうなずきを返した。
 どちらにせよ、この事件を起こしたのが魔物たちだというのははっきりしたのだ。これから荒事になるのは目に見えている。それに備えよう、と気合を入れ直した。
 歩くこと一時間ほど。自分たちは黒曜石から削り出したような、真っ黒い砦とも城とも神殿ともつかない建物の前へと連れ出された。城壁の類はないが、満月の光を浴びながらも堂々たる威容を誇っている巨大な建築物だ。あちらこちらに精緻ではあるがいかにも趣味の悪い、魔物だの苦悶する人間の顔だのといった細工の施されたその建物は、地底魔城やムドーの城を思わせる。
「さあ! 我らが主、ジャミラスさまがお待ちかねだ! キキキーッ!」
 そう喚いて、魔物たちは門を開き、自分たちをその建物の中へと連れ込んだ。とたん、割れ鐘のような、何十何百という声の集まった歓声が響く。
 ――そこにいたのは、魔物たちだった。城の大広間よりも広いのではないかと思うほどの大きな広間に、所狭しと種々雑多な魔物たちがひしめきあっている。スライム、悪魔族、竜人族、それ以外にも山ほどの魔物たちが、暗闇の中蠢いている。
 いや、暗闇の中というのは正確ではない。暗くはあったが、広間の前方から赤々とした光が視界を照らしている。それが燃え盛る炎だ、と理解するのとほぼ同時に、気づいた。
 それは祭壇なのだ。壁に邪神のものらしきレリーフが刻まれ、その前は底の見えない穴になっていて、下から眩しいほどの火の粉が数えきれないほど舞い上がっている。生贄を呑み込む穴だとなんとなくわかった。
 そして広間の上階、吹き抜けの周囲を取り囲む通廊が、その穴の前で大きく広がって小広間となり、そこからさらに一段高い高台。まさにそこが祭壇なのだろう場所に、獅子の体に、鳥の頭と翼を持った、二足で立つムドーに匹敵するほど巨大な魔物が立ち――その前に、自分たちと一緒に連れてこられてきた人々が、石と化した姿で並べられている。
 反射的に飛び出しそうになる――が、その前に素早く腕をつかまれた。ローグが鋭い気迫を保ったまま自分を見つめている。まだ暴れるな、ということか、とハッサンは不承不承ながらも動きを止めた。
「キキッ? まだ残っていたのか。早く連れてゆけ。生贄の儀式はもう始まっているぞ。キキー!」
 魔物たちにそんな声をかけられながら、自分たちは広間の東側の回廊を通って祭壇へと向かわされていく。歩きながら、祭壇の上の巨大な鳥人が叫び吠えるのが聞こえた。
「見よ! この哀れなる人間どもを! 己の欲望のままに生き、幸せの国などという甘言にやすやすと踊らされる愚か者を! 聞け我が同胞たちよ! たとえムドーが倒れようとも、このジャミラスがいる限り魔族は滅びぬ! 我を崇めよ! 我を讃えよ! そして今ここに我らが黒き神々に生贄を奉らん!」
「ムドー、だと………!?」
 思わず小さく呟いてしまったハッサンに、即座にローグが蹴りを飛ばす。脛の痛みにはっとして、慌てて口をふさぐも、その間にも広間の魔物たちは歓呼の声を上げていた。
「ジャミラス! ジャミラス!」
「ジャミラスさま、我らが主!」
「ジャミラスさまがいれば魔族は救われる!」
「世界はもうすぐ魔族のものだ!」
「さあ来い! キキー!」
 熱狂的な魔物たちの叫びに思わず奥歯を噛み締めながらも、自分たちはジャミラスの前へと連れ出される。ジャミラスという名前らしい鳥人は、大きく嘴を開けて自分たちを見回した。
「ほほうっ。新しい生贄の者たちだな。この者たちには、なぜか血が騒いでならぬ」
 言いながら大きく背の翼を広げ、猛々しく笑う。
「よかろう……。この私が自らその肉を裂き、はらわたを喰らい尽くしてやろう! さあもがくがよい。愚かなる人間どもよ」
 ――とたん、広間の魔物たちですらしんとさせるほどの、冷静で冷徹な声が響いた。
「笑わせるな、雑魚が。貴様ら風情が俺たちをどうにかできると思っているのか? 本気で?」
「なに……?」
 ローグは、いつもと同じ、傲岸不遜な、とてつもなく偉そうな、まるで自分が世界を治める覇王であるかのような顔で、見下しきった視線で魔物たちを見回す。
「自分の分際もわきまえずにぴいちく喚くな中ボス風情が。俺は今、少しばかり不機嫌でな。悪いが、少しばかり過激に――」
 言いながら、胸元に手を近づけて、ぱちん、と指を鳴らす、や。
「――八つ当たりをさせてもらうぞ?」
 どがごずどごがおぉおんっ!!!
 強烈な爆発が一度に二発、広間を包み込んだ。魔物たちがあっという間に次々と吹っ飛び、あるいは塵と化しあるいは塵も残さず消えていく。ミレーユとバーバラのイオナズンだ、と自然と知れた。
 愕然とするジャミラスに、ローグはにやりと傲岸な笑みを浮かべ相対する。ジャミラスが視界を奪われた一瞬の間に、ローグは素早く袋から武器を取出し自分たちに配っている。すでに戦う準備は万全だ。
「さぁて、やるとするか。せいぜい抵抗することだな。まぁお前がなにをしようが、中ボスは中ボスらしく、あっさり楽勝で倒させてもらうという俺の予定を狂わせるのは難しいだろうが」
「ふ……ふざけたことを抜かすな、人間風情がぁっ!!」
 叫んで飛びかかってくるジャミラスをバックステップでかわしながら、ローグは叫ぶ。
「アモス! スクルト連打! チャモロはフバーハの後スクルト連打ないし回復! ハッサンは自分のできる全力でひたすらぶん殴れ!」
「はいっ!」
「わっかりましたー!」
「おうっ!」
 叫んで飛び出す自分たち。後ろからイオナズンが幾度も炸裂する爆音が響く中、自分たちはローグの声に従い動き回る。ローグも当然、見事なほどに的確な動きを見せつけた。
「スクルト!」
「フバーハ!」
 後方からの援護呪文が飛ぶのとほぼ同時に、ハッサンとジャミラスが会敵する。鳥人の魔物ならではと言うべきか、半ば空を駆けるように間合いを詰めるジャミラスの動きは、普通の人間ならばとても捉えきれないだろうほどのものだった。
「死ねぇ、人間風情がっ!」
 疾風の動きで、ジャミラスはハッサンに爪を突き立て、嘴を突き刺す。ぐふっ、と口から思わず吐息と血が同時に漏れた。さらにハッサンの頸動脈近くを斬り裂いた爪が、音が立つほどの勢いで血しぶきを飛びださせる。
「くは……ぐはっ!?」
 だがそれと同時に、ジャミラスにはハッサンの爆裂拳が入っていた。本来爆裂拳は素早く移動しつつ四方八方から四撃攻撃を入れることを想定したであろう特技だが、この特技を使い慣れたハッサンは、零距離からの連撃という技術も会得しているのだ。
 ダーマの神殿での転職で身に着けた特技は、驚くほど可塑性が高く、熟練すればいかなる状況だろうと対応して使用できるようになっている。これを発見したのはローグだが、おそらくはそもそもそういう風に使い分けることを想定して創ってあるのだろう、と言っていた。なんであれ、便利に使えるならなんでもいい!
 血まみれになりながらもにやりと笑ってやるハッサンに、ジャミラスは「おのれぇっ!」と叫んで打ちかかる。だがその出鼻をくじくように、破邪の剣を構えたローグが斬りかかった。
 予想していなかった方向からの一撃に慌ててジャミラスは爪で受ける――が、それはローグの思う壺だった。至近距離でジャミラスと相対しているローグの目がぎらりと輝いた、と思うや空中で生まれた火球がジャミラスめがけなだれ落ち、火柱となってジャミラスを包み込む。
「ぐはぁっ!」
「チャモロ、スクルトへ移行! アモス、ハッサン、行動変えずだ!」
「はいっ!」
「了解です!」
「おうよ!」
「っ……、貴様らぁっ!! 殺してやるぞ、人間風情がぁっ!!」
 ジャミラスが炎を振り払ってローグに襲いかかる。その目にも止まらぬ速さの攻撃をローグは受け損ね、体に爪が突き刺さる――が、それよりも前にチャモロとアモスが呪文を唱えていた。
「スクルト!」
「スクルト!」
「……なっ……!?」
 確かにローグの体に爪が突き刺さったのに、さして血も出ないかすり傷しか負わせられなかったことにジャミラスは愕然とした様子だったが、ローグはふん、といつもの偉そうな笑みを浮かべて告げる。
「曲がりなりにも魔族どもを取りまとめようとする奴が、スクルトの有効性に気づいていなかったのか? スクルトは重ね掛けすれば同程度のレベルの奴ならほとんど傷もつかないほどに守備力を高められる。対抗策としてルカニやルカナン等の呪文を使える人材を用意しておくのは当然の鉄則だ。俺たちを侮り、当然の用心すらもしていなかったお前に、勝てる道理は微塵もない」
「……っ、舐めるな人間風情がぁっ!! 全員一人残らず焼き尽くしてくれるっ!」
 言ってジャミラスは息を吸い込むが、再び吐き出すよりも早くローグが号令を発した。
「アモス、チャモロ、回復に回れ! ハッサンは行動継続!」
「はいっ!」
「お任せください!」
「おうよっ!」
 ジャミラスの口から、ぶごぅっ! とばかりに猛烈な勢いの火炎が噴き出る。それは一息で自分たち全員を包み込むが、チャモロのかけたフバーハの光の衣の輝きがその勢いを半減し、自分たちにさして傷を負わせないまま消え去った。
 そしてその火炎を目くらましにしてローグに放たれた攻撃も、スクルトによる防護壁が力を減じ、かすり傷を負わせる程度で終わる。そしてアモスとチャモロが即座に回復呪文を飛ばし、次々と傷を癒していく。
 武器と呪文、爪と火炎が次々飛び交い、お互い傷を負わせ合う。だが自分たちは傷を負うたびに即座に傷を癒していく一方で、ジャミラスの体には見る間に傷が積み重ねていった。
「でりゃあぁっ!」
 炎の爪を装備したハッサンの爆裂拳がジャミラスに突き刺さる。一瞬のうちに四度敵に攻撃を放つこの爆裂拳という特技は、バイキルトは最初の一撃にしか効果がないという特性を持つため入った時のダメージは正拳突きより低いのだが、外す可能性がそれなりにある正拳突きと比べれば、最終的なダメージ効率はこちらの方がいい、らしい。どちらにせよハッサンは半ば本能で攻撃に爆裂拳を選び、苛烈な打撃をジャミラスに与える。
「な、なぜだ……。人間などにこの私が……」
 ジャミラスが大きく体を揺らし、そう呻く。命が失われようとしているのだ、とすぐにわかった。
 と、その目がぎらりと輝き、自分たちを改めて見まわしてどこかすがるような声を上げる。魔族の主とうそぶいた堂々とした姿が、見る影もない。もはや誰かのしもべ、奴隷と言った方が似つかわしい姿だ。
「はっ! もしやお前たちはムドーを倒したという……。そ、そうなのであろう? そうでなければ……。でなければ、こ、この私が……。うっ………。…………さまっ! ぐふっ!」
 とたん、ジャミラスの体が一瞬石化したかのように灰白色と化したのち燃え上った。そしてそれを浄化するかのように、白い鳥にも似た眩い光がそれを取り巻き、あっという間に彼方へと四散していく。
 そして、その後には、ジャミラスの体は塵ひとつ残さず消え去っていた。
「………ふーっ!」
 思わず息を吐き、緊張を解く――のとほぼ同時に、背後から素っ頓狂な声がかかった。
「な、なんだ? どうしたんだ?」
「そ、そうであった! うかつであった! 我々はやはり騙されて……」
「あ、ありがとうございました! おかげで助かりました!」
「お………おう?」
 振り返って見てみると、さっきまで石と化していたはずの騙された人々が、血と肉を取り戻してにぎやかに騒いでいる。ジャミラスを倒したことで石化の呪いから解放されたのか、と思わず安堵の息をついた。
 と、人々の中のいかにも荒くれという風貌の男が、両手を突いて泣き声を上げた。
「カ、カカアよー! 俺は助かったけどよおー、お前はとっくに……。うくく……」
「ま、待って! 見てください!」
 若い男が示した指の先へと視線を移す――や、思わずハッサンはぽかんと口を開いた。さっきまで炎が燃え盛っていた、邪神のレリーフの下の深い穴から、青白い光がいくつもいくつも、流星のように飛んでいく。
 その輝きは眩しいものもあれば鈍いものもあったけれども、見ていてなんというか、人の体温が感じられるのはどれも同じだ。人の魂だ、という言葉が、自然と頭に浮かんでくる。
 いくつもの輝きが飛び去ったのち、穴の下から、今度ははっきりと(透き通った、明らかに霊体だとわかる代物ではあったけれども)人の姿をした影が、くるくる回りながら飛び上がり――自分たちの前で、ぴたりと止まった。白い鬚に豪奢な王冠と衣、子供のような矮躯と、まるでおとぎ話に出てくる妖精の国の王さまのような姿をしたその人影は、自分たちの目の前の中空で、子供のような甲高い声で堂々と告げる。
「わしはメダル王じゃ。封印を解いてくれて、心から礼を言うぞ! 小さなメダルを持ってくれば、さまざまな褒美を取らせよう。待っているぞ!」
 一方的なその託宣の後、メダル王とやらの影は回転しながら上へと飛んでいく。しばしぽかんとその後を見つめているハッサンたちの後ろで、人々は口々に喚いて騒ぐ。
「い、今のは……もしかしたら生贄になった人たちが帰って行ったのではっ!?」
「おお、そうじゃ! そうに違いないぞっ!」
「も、戻りましょう!」
「行くぜ、みんな!」
 言うやどたどたと走り去っていく人々を眺めやりつつ、自分たちはふぅ、と息をついた。立て続けにいろいろなことがあったが、まぁとりあえずは自分たちのできることはみんな終わった。
「やーれやれ、っと……幸せの国。やっぱりこんなオチだったな。さて、それじゃいったんカルカドに戻るか。ここに来た連中も、浮き島で俺たちが来るのを待ってるはずだぜ」
「そうですね……しかし、今回の事件は、改めて人間の愚かさを教えてくれましたね。私もそれに負けぬよう、まだまだ精進せねば」
「うーん、さすがチャモロさん、真面目一徹ですね。でもこういう風に、悪い奴に勝った時ぐらいは、『わっはっは! 正義は常に勝つのです!』くらいのことを言っても罰は当たらないですよ?」
 真剣な顔で言うアモスに、チャモロもハッサンも思わずぶっと吹き出す。じっと駆け去っていった人々を見ていたローグも、小さく口元を緩めた。
「ま、確かにな。勝って兜の緒を締めるのは人として当然の心得だが、勝利を素直に喜ばないのもそれはそれで非効率的だ」
「ははっ、まぁ、人死には誰も出なかったみたいだし、素直に喜んじまっても誰も怒らねぇよな。……しかしまあ、すごいところだぜ……これまでにも何人もの人間が生贄に捧げられてきたんだろうな」
「黙っていても生贄が自分から喜んで来てくれる。ここは魔物にとっての幸せの国だったんですね」
「確かに。……ジャミラスを倒したら、部下の魔物たちはみんな逃げてしまったようです。戦いの最中は気にしている余裕はありませんでしたが、ミレーユさんとバーバラさんは大丈夫でしょうか?」
「問題ない。あいつらはきっちり仕事をこなしてくれた。イオナズンは使用者の位置が特定できるような呪文じゃないからな、きちんと物陰に隠れて連打すれば、あっという間に数発決まって普通の魔物なら一方的に殲滅できる」
「まぁ、イオナズン数発に耐えられるような奴なんて、それこそムドーとかジャミラスみたいな奴らだけだろうしな……お!」
「おーいっ、みんなーっ!」
「四人とも、よかった……無事みたいね」
「バーバラ、ミレーユ! 無事でよかったぜ!」
 仲間と合流して、しばし互いの無事を喜び合う。予定通りではないものの、被害をゼロに抑えられた上にほぼ完勝だったのだ、自然と場の空気も上向きになる。
「ミレーユ、バーバラ、お疲れ。きっちり仕事をこなしてくれて助かった」
「えへへっ、どーいたしましてっ! でもローグたちの方こそお疲れさまじゃない? またムドーみたいな大物と戦うことになったんだからさ」
「なにを言ってる、あんな引き立て役の中ボス風情だぞ? きっちり熟練度上げをこなした上で対ボス用のパーティを組んだ以上、さして傷も負わずに勝って当然だろが」
「もーっ、ローグってばほんとに偉そーなんだからぁ……でも、みんなホントにそんなに傷つかないで勝ったみたいでよかった! ムドーとの戦いの時なんか大変だったもんねぇ」
「だよなぁ。でも今回の戦いで職業の力ってのをまたひとつ実感できたぜ! 呪文も特技も雑魚戦でも便利だけど、大物との戦いの時だとそれこそ世界が変わるってくらいに楽になるんだな! 本当、ダーマ神殿さまさまだぜ」
「そうですね。特に呪文による支援の幅広さは格段に違いますし。万一のことがあっても即座に完全蘇生呪文を唱えられるというのは心丈夫ですしね」
「あはは……だけど、生贄になっていた人たちの魂が解放されてよかったわね! それにしても最後に飛び出してきたメダル王さまってどこにいるんだろう……。小さなメダルは持ってるけど、お城の場所がわかんないよね」
「そうだな……」
 答えながら、ハッサンはちらりと考えていた。普通なら、生贄に捧げられた人々は命を失う。たとえ生贄を捧げていた元凶を倒したところで、失われた命は戻ってはこない。
 だが、ここは夢の世界だ。目に映る世界の全てが心によって創られたという代物だ。そこに生きる人々すらも心だけでしかできていないのか、と言われるとハッサンとしては違和感を覚えるのだが、現実の世界ならば失われていた命が夢の世界であるがゆえに救われたのは間違いない。だからこそ街の人々も、さっきなんの前振りもなく飛び出してきたメダル王という王さまも、この世界で命を取り戻すことができるのだろう。
 ――夢の世界では本当に命が失われることはないのかとか、心が消え去るという事態がこの世界にはないのかというような、現状に対するきちんとした考証ができているわけではないが、ハッサンはなんとなくそう思ったのだ。夢の(心の)世界だから想いが通じたのだろう、夢の世界ならなにがあっても不思議じゃないよな、といったぼんやりとした理解でしかないけれども。
 と、ローグがちらりとこちらの方を見た。思わずきょとんと見返すと、素早くかつさりげなく視線を逸らして、他の仲間たちに向き直って声を上げる。
「メダル王の居場所については俺に少し心当たりがある」
「え、それホント!? すっごーい、どこでそんなのわかったの!?」
「わかった、というか、当てずっぽうの推測でしかない。だから外れても怒るなよ。……しかし、当然と言えば当然だが……ムドーを倒した後にもまだまだこの手の中ボスがいるというのがはっきりわかったというのは、なかなか感慨深いものがあるな」
『…………』
 ローグの言葉に、全員が沈黙した。そう、確かにそうだ。自分たちは魔王ムドーを倒して、世界は平和になったのだと、旅の中でいくつも反証を得ながらも少なくとも建前上はそう考えていた。だが今回の一件で、それは違うのだと、ムドー以外にもまだまだ魔族の主となる者はいるのだとはっきりわかってしまった。
「そうだな……世界の他の場所でも、こういうことが起こってるのかもしれねぇんだな」
「魔王を名乗る奴がまた出てくるかもしれないんだね……」
「ジャミラス……あいつ、誰かの名を呼びながら死んでいったわ。ジャミラスを倒してもまだ次の相手がいる……ということなのでしょうね」
「そうですね。しかも、どうやらその誰か≠ニいうのはジャミラスよりも格上の存在のようでした。もしかすると、ジャミラスはおろか、ムドーよりもはるかに強い力を持って世界を支配しようと企んでいるのかもしれません」
「うーん……世界はまだまだ広いんですねぇ。悪者もまだまだうじゃうじゃいるんでしょうね。こんなことで世界の広さを知りたくはなかったですけど」
「ま、心配するほどのことじゃない。目の前に現れたら、全力できっちり後腐れのないように抹殺してやるだけだしな」
 ローグがあっさりと告げた言葉に、自分たちは思わず目を瞬かせる。バーバラが眉を寄せて、少し頬を膨らませ文句を言った。
「えー、なんでそんなに自信満々……いや、ローグが自信満々なのはいつものことだけどさ。でも、ムドーの時は本当にひとつ間違えたら全滅しかねないくらいだったじゃない。そーいうこと、ちゃんと考えて言ってるの?」
「当然だ。いいか? どれだけ強い奴がいようとな、そいつよりも強くなって、ミスをせずに、なにかとんでもない不運に憑りつかれたりせずに戦えば勝てるなんぞというのは当たり前のことだろが」
「え、いや、そりゃそうだけどさ、それがいつもいつもできるとは……」
「で、だ。世界はまだまだ広いんだぞ? 夢の世界も現実世界も、まだまだ巡り尽くしたとは言えない」
「う、うん、それが?」
 問われてローグは、いつもの傲岸不遜な笑みを浮かべ、きっぱり当然のように言い切った。
「ということは、熟練度上げもレベル上げもまだまだいくらでもできるってことだろが!」
「え、えー………」
「俺たちはまだまだ強くなれる。それこそ世界と戦っても勝てるくらいにな。そして俺がいる以上、ミスや不運で負けるということはありえない」
「………ローグが主人公≠セから?」
「その通り」
 微塵の躊躇もなく言い切るローグに、バーバラははーっ、とため息をつくも、すぐにくすっと笑いを漏らす。ハッサンも、(おそらくは似たような表情をしている他のみんなも)同じような心境だった(だろう)。やれやれこいつは、と思うものの、その恐ろしいほどの自信に乗せられるのが楽しい自分がいる。
 そう、世界はまだまだ広いのだ。旅はまだまだ続くのだ。むちゃくちゃな奴ではあるけれども、ローグと一緒にいるのは、実際楽しいし、退屈しない。
「ったく、いつもながら偉そうな奴だな。ま、心配すんなよ、もしお前が失敗したとしても、全員逃げられるようにするための時間稼ぎくらいは任せられてやるからよ」
「なにを抜かしてやがるこの脳筋鶏モヒカンが。貴様なんぞに尻拭いをされるほど俺がおちぶれるなんてことがあれば、その時はとっくに世界が終わってるに決まってるだろが」
「世界って……ったく、お前はっとに、どこまで自分を高く見積もってんだか」
「当然の事実を言ったまでだ」
「いやいやいや、それが当然の事実だったらローグが神さま同然なんてことになっちゃうじゃん!」
「なにを言っている、神なんぞと同類項にされてたまるか。俺は主人公≠セぞ?」
「うーん、ローグさんって本当に態度が天井知らずに大きいですね! そこもモテる秘訣なんでしょうか? 真似する気全然起きませんけど!」
「いやー、それが普通じゃねぇか? ローグの真似しようなんて奴がいたら、そいつは本気で世界征服みてぇな悪事企んでるんじゃねぇかって疑っちまうぜ、俺は」
「あ、アモスさん、ハッサンさん、その言いようはあまりに……それは確かに、ローグさんの言動には勇者としてふさわしらかぬものがあるのは確かですが……」
「……ほう? チャモロ、なかなか可愛いことを言ってくれるな?」
「っっっ! ろっ、ローグさんっ、ちょ、待ってくださいっ、そんな顔して近づくのは……ひゃあぁぁ!」
「おいおい、チャモロあんまりいじめんなよー? 可哀想じゃねぇかこんなウブな奴いじめたら」
「心配するな、お前とアモスにはしっかり痛みにしてこの数十倍の刑罰を与えてやると確定してるから」
「え! 私もいじめられちゃうんですか!?」
「うふふ。もう、ローグったら」
 そんな風にじゃれ合いながら、自分たちはジャミラスの城を出た。それも自分たちにとっては、いつもの一幕、よくある光景に他ならなかったのだ。

「……あれ?」
 ハッサンは思わず目を瞬かせた。珍しいことに、ローグが一人木陰に佇んで星を見上げている。
 あの後、自分たちはカルカドからここまで自分たちを運んできた浮かぶ島へと移動し、すでにそこで待っていた生贄にされかけた人々に出迎えられた。昔は船長をやっていたという老人が舵を取り、島を一路カルカドへと向かわせる中、自分たちは幸せの国に連れてこられた人間の中の、かつては宿屋をやっていたという男に寝床を用意してもらったのだ。
 それぞれ湯を使わせてもらったり、温かい食事を摂らせてもらったりして疲れを癒し、もう他の面々は全員眠りについているだろう。ハッサンはもちろん疲れてはいたものの、今すぐ休みたいと思うほど体力を削られてはいなかったので(実際、さして傷も負わずに勝てたのだから)、日課の稽古を終えてから休もうと思って島の上へと出てきたのだが。
 なぜか、ハッサンが足を向けた島の木陰に、ローグが一人立って星を見上げているのだ。てっきりローグももう休んだかと思っていたのだが。
 話しかけるかどうか少し迷ったが、結局踵を返す。なんというか、木陰に佇んで静かな眼差しで星空を見上げているローグは、絵になっていたというか、自分には思いもつかないようなことを考えていそうだったというか、とにかく邪魔しちゃあ悪いなと思わせるものがあったのだ。ハッサンは自分が単純でがさつな人間だという自覚はあるが、他人の繊細な部分に土足で踏み入ってもいいと思うほど無神経ではない。
 と、そこに声がかかった。
「なにを逃げ出してやがる。ことあるごとに猪突猛進したがるくせに、似合わない気使ってんじゃねぇ」
「………気づいてたのかよ」
 ハッサンは困ったような顔をして向き直り、ローグのそばへと歩み寄った。……こちらに声をかけてきたとはいえ、ローグの声はひどく静かで、表情も穏やかだけれどもどこか硬いまま変わらず、纏う空気は気圧されるような静謐さを保っていたので、自分がローグの邪魔をしてしまっているような気分が拭い去れなかったのだ。
 声をかけておきながらこちらに視線も向けないまま星空を見上げているローグに、ハッサンはぽりぽりと頭を掻いて訊ねる(聞いちゃ悪いような気もしたのだが、他に話すことが思いつかなかったので)。
「お前、こんなところでなにしてんだよ。疲れてねぇのか? 早めに休んだ方がいいと思うぜ?」
「その言葉はそっくりお前に返す」
「ぬぐっ……いや、そりゃまぁ、そうだけどな。俺はもともとそんなに疲れてねぇからな。けど、お前は……」
「……俺は?」
 あくまで星空を見据えたまま言うローグに、またぽりぽりと頭を掻いて、ハッサンは言う。
「お前、なんか妙なこと考えてそうだったからさ。いや、なんかさっきお前見てなんとなく思っただけだけど。なんつーかよ……自分が駄目だなぁ、みてぇに考えちゃう感じ、っつーか。えーと……」
「自己嫌悪か?」
「お、そうそう、それ。そんな雰囲気だった気がしてさ。まぁ、本当なんとなくなんだけどよ」
「………お前は………」
「ん?」
 小さく呟いた言葉が聞き取れず、ハッサンが思わず身を乗り出すと、ローグは急にふいっと視線をハッサンへと向けた。その視線の圧力というか、世界で一番自分が偉いんだと当然のように思い込んでるかのような傲岸不遜さは、普段のローグとまったく変わらない代物だ。さっきの、どこか儚ささえ感じさせた雰囲気はどこへやら、というその物腰に、ハッサンは少しほっとする。
「貴様、俺が自己嫌悪に浸って時間を無駄にするほど自尊心が高いとでも思ってるのか? 俺はいついかなる時も至って謙虚な人間だろが。自分の失敗を自分で責めることはあるかもしれんがな」
「いや、俺にゃその違いはわかんねぇけどよ……っつーか、お前がケンキョってどーいう冗談だ」
「謙虚だろが。自分のできることできないことを慎重に見極めて、できる限りできるとわかってることだけをやるよう心掛けているからな俺は」
「へーへー、そうですか……」
「……ただ、今回は、できるかどうかわからないことをやらざるを得なかったからな。正直、忸怩たる思いがないとはいえない」
「へっ?」
 思わず素っ頓狂な声を出すハッサンに、ローグは重々しい声と表情で告げる。
「俺は今回、できる限り一緒に連れて行かれた人間に被害が出ないように作戦を立てていた。できる限りの手を打って、攻防を想定して、現場に臨んだつもりだ」
「あ、ああ……まぁ、確かにな」
「だが、結局、確実性の低い手段を取らざるを得なくなった」
「あー……けどまぁ、しょうがねぇんじゃねぇか? 実際他にやりようもなかったんだしよ」
「それにしたって、あんな不確実な手だけで終わるなんぞありえない話だ。俺としては敵の目を惹きつけるだけでなく、あれこれと手を尽くして他の奴らに手を出せないような状況を創り上げるつもりだった。だってのに、果たせなかった。あっさり酒に盛られた毒に引っかかって眠り込む、なんていう醜態をさらす羽目になった。逆らえなかったんだ。この物語の流れに」
「へ……?」
 最後の辺り、なんと言っていたのか聞き取れず、思わず怪訝な顔をするハッサンに、ふん、とローグは偉そうに鼻を鳴らして続ける。
「今回は元凶を倒せば全員元に戻る、なんぞというぬるい仕様だったから被害は出ずにすんだものの、本来なら一緒に連れて行かれた人間が全員死んでいてもまるでおかしくなかった。そういうことを考えてな、俺としたことがなんとしたことだ、と次に活かすべく作戦やあの状況で選ぶべき手段の再検討を行っていたわけだ」
「………ふーん………」
 ハッサンはちょっと考えてから手を伸ばし、わしゃわしゃわしゃ、とローグの頭を掻きまわす。当然即座に脛を蹴り飛ばされ、腹に膝が入り、さらに首の後ろめがけ肘打ちまで叩き込まれるが、どれも微妙に急所をずらし、かなり痛い、という程度の被害に押さえ込む。まぁ痛いは痛いので、顔を歪めつつローグに突っ込みを入れた。
「ってぇなぁ、なにすんだよいきなり」
「貴様が言えた話か。むしろこの程度の反撃しかしない俺の広大無辺の慈悲に感謝するのが当然だろが」
「まぁ、それもそうだな。本当ならもっと本気で殺すくらいの攻撃飛んでくるかと思ってたし」
「…………」
 わずかに目を見開くローグに、ははっと笑って頭を掻く。
「ま、なんにせよだ。お前がどんな難しいこと考えてんのか知らねぇけどよ、あんま一人で考え込むなよ。俺もいるし、ミレーユもバーバラもチャモロも、アモスだっているんだ。お前は一人じゃないだろ? 苦しい時や辛い時ぐらい、俺たちを頼れよな。俺たちもお前にかなり頼らせてもらってんだからよ」
「………、というより、俺がいなければまともに旅もできないの間違いじゃないのか。旅の基本方針から細かい作戦立案まで、まともに頭を働かせるところはほとんど俺がやってる気がするが」
「ははっ、まぁなぁ。お前がそういうのうまいから、ついつい頼っちまうんだよな。でもまぁ、そういうとこでも俺たちに頼ってくれたら俺らも俺らなりに頑張るし、お前の力になるぜ。この旅はお前の旅ってとこもでかいけど、やっぱり俺ら全員で進めてる旅なんだしよ」
 言ってハッサンは、またローグの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「だからまぁ、あんまり無理すんなよ。俺たちはお前の仲間なんだからよ」
「……、……………、お前は……………」
「ん?」
 反撃が来ないことに驚いてローグの顔をのぞき込もうとしたが、その時ちょうど、雲が月を隠した。周囲がさっと薄闇に染まり、視界が一瞬暗転する。
 その一瞬の暗闇が晴れた時には、ローグはハッサンの数歩先ですたすたと島内部へ続く道を歩き出していた。いつもの傲岸不遜な口調で、偉そうに言葉が飛んでくる。
「なにをぼうっとしている。休むべき時に休むのは人間として果たすべき当然の義務だぞ。お前がどれだけ脳筋だろうと、全力を振り絞った戦いではそれなりに疲労が溜まるんだ、稽古もいいが明日以降に疲れを残しでもしたら地獄を見せるからな」
「お、おう……」
「―――――、礼は、言っておく」
「へっ?」
 それだけ言うとすたすたと歩み去ってしまったローグの後ろ姿をしばらく眺め、ハッサンはしばし首をひねった。なんだあいつ? 礼って、なんだ突然? なんの礼だよ? また妙なこと企んでんじゃねぇだろうな?
 だがすぐに表情を緩め、まぁいいや、と笑って稽古を始める。悪くない気分だった。ローグがなにを考えてるのかはさっぱりわからなかったが、ローグがたぶん悪い気分ではないのは、ハッサンにもわかったからだ。

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