clear scent
「結城君さあ、あたしとつき合わない?」
 ――その女にそういわれた時、俺の頭に浮かんだのは、どういうわけかあいつ――薬師寺香澄の顔だった。

 俺はあいつの家に向かい、やっぱり唐突だったかな、あいつ変に思うかもなぁ、などと何度も溜め息をつきながら歩いていた。
 空は俺の気分に合わせてくれたのか、晴れとも曇りともはっきりしないうっすらとした雲に包まれている。桜の季節なら花曇っていうんだろう。歩くにはちょうどいい天気だが、今の俺はそれにすら噛みつきたくなるほど苛々していた。
 梅雨だってのにぐずぐずとはっきりしないでいるんじゃない。晴れなら晴れ、雨なら雨ではっきりしろ。いっそのことバケツぶちまけたみたいに大雨降らせちまえ、その方がよっぽどすっきりする。
 でも降ったら降ったで、たぶん俺は嫌な天気だ、なんで日本には梅雨なんてもんがあるんだ、なんてぶちぶちいってただろう。つまりは俺は、ひどく気持ちが昂ぶっていて、これから行くところに、一週間も悩んで行くと決めたのにもかかわらず行きたくなくて、不安で、落ち着かなくて、周りのものを攻撃せずにはいられなかったんだ。
 しかしそれでもひどくのろのろとしたものではあったけど俺の足は着実に進み、電話した時間通りにあいつのマンションにたどりついてしまった。電話して大体の時間を予告しておいたから、ほぼ間違いなくあいつは家にいるだろう。
 あいつの部屋のすぐ前まで来たが、俺はこの期に及んで逡巡していた。やっぱりこのまま帰っちまおうか? あいつにはやっぱり行けなくなったと詫びの電話でも入れておけばいい。今ならまだ何事もなかったように、気づかないふりをして元通りの生活に戻ることができる。たぶん今あいつと会ったら、俺は――引き返せなくなっちまう気がする。今抱いている感情を、そのままあいつにぶつけちまう気がする。
 こんな感情表に出したって、それどころか持っているだけでも、誰の益にもならないどころか害にしかならないのに。
 だが、俺は結局一つ首を振って、あいつの家のチャイムを押した。害にしかならないのはよくわかってる、だけど、どんな形でもいいから決着をつけないと、俺自身がどうにかなっちまいそうな気がした。こんな風に、自分がわけがわからなくなるくらい、切羽詰った感情を抱いたのは、生まれて初めてかもしれない。
 チャイムを押すとすぐにはぁい、とかすかにあいつの声が聞こえ、ドアが開いた。そこには一ヶ月前と同じ、あいつのにこにこ笑った童顔がある。
 あいつ、つまり俺の高校時代からの友人である薬師寺香澄は、小さく嬉しげな笑い声を立てていった。
「いらっしゃい、カゲリ」
「ああ」
 俺はぶっきらぼうにうなずいた。

「ビールでいい? 他に飲むものっていったらコーヒーしかないんだ」
「ああ……いや、悪いけど今日はコーヒーにしてくれるか?」
 薬師寺香澄はちょっと驚いたように目を見開いた。
「いいけど。珍しいね、カゲリがアルコールよりコーヒーを選ぶなんて」
「人をアル中みたいにいうなよな」
 だが、実際こいつと会う時にアルコールを取らないっていうのはすごく久しぶりかもしれない。ここ一年くらい、こいつと会うっていうのはいつもミネオと三人で飲みに行く時ばっかだったからな。
 けど、俺は今日は酒を飲む気はなかった。いっそ酔っ払えたら楽なんじゃないかって気もしたが、万一そのまま人事不省に陥りでもしたら今日ここに来た意味がなくなる。
 薬師寺香澄は手際よくコーヒーをいれると、マグカップにコーヒーを注いでテーブルに着いた俺に差し出す。砂糖壷とクリームも一緒にだ。相変わらずまめなやつだな。
 俺がクリームを入れようとすると、最初の一口はブラックで味わってみて、とこいつがいうので、俺はいわれるままにマグカップをそのまま口に運ぶ。
 ……三ヶ月前と同じように、めっぽううまい。香りといい味といい、こいつはこれで店が出せるんじゃないかと思うほどだ。
 俺は普段はコーヒーはいつもクリームをいれて飲むのだが、この時はそれも忘れてブラックのままコーヒーを飲み干してしまった。それにはむろんこいつのいれたコーヒーがうまかったせいもあるが、なんとなくこいつの顔が見れなくてやたらコーヒーを飲むしかなかったせいもあると思う。
 薬師寺香澄は自分の分のコーヒーをちびりちびりと飲んでいたが、俺がコーヒーを飲み干すとそれを見計らったように口を開いた。
「相談したいことって、なに?」
「………………」
 そう。俺はこいつに相談したいことがあるといって時間をもらったんだ。聞いてほしいことがある、そういって。
 それは確かにそうなんだが、俺はこいつになにを、どういえばいいのかよくわからなかった。
 だってなんていえばいいんだ? 俺自身自分がなにを考えているかよくわかってるわけじゃない、ただまともなのかどうかもわからない感情があふれそうになっているだけで。
 ただ、どんな決着がつくにしろ、できるなら俺はこいつに白黒つけてもらいたかった。こいつには迷惑なだけだとは思うが、できることならこいつに最後の止めを刺してもらいたかったんだ。
 だから、俺はのろのろと口を開いた。
「あのさ」
「うん」
「カ――おまえ、誰かにつき合ってくれって言われたこと、あるか?」
 薬師寺香澄は戸惑ったようにちょっと目をパチパチさせると、くすっと笑った。
「ないよ」
「………そうか………」
「うん。どうしたの、急にそんなこと聞くなんて?」
 俺は自分の頭をぐしゃぐしゃとかき回すと、ぼそぼそと呟くようにしていう。
「俺さ。一週間前に、つき合わないかっていわれたんだよ。同じ授業取ってる、顔見知りの女に」
「うん。それで?」
 落ち着いた表情と声音。両手でマグカップを持って静かにコーヒーをすすりながらこっちを見ているその様子は、子供っぽくはあったが、ガキっぽい好奇心も冷やかしも微塵も見当たらない。それに助かったような、俺がどんなやつとつき合おうと自分には全然関係ないってか? というような理不尽とはわかっているけれど腹立たしいような思いを抱きながら、俺は続けた。
「いっとくけど、つき合ってくれっていわれたのはこれが初めてってわけじゃないんだぜ。浪人してた時のクラスメイトにいわれたことあるし」
「そうなの。その時はどうしたの?」
「一応いいぜっていったけど、こっちから連絡するの面倒で放っておいたら二週間で連絡が来なくなった」
「あらら」
 顔が苦笑の表情を形作る。俺は少しむきになっていっていた。
「だってよ。俺の方からアプローチしたわけじゃないんだぜ? 自分からつき合いたいって思ったわけでもないやつに、そうまめになれるか? 人づき合いってのは、両方の気持ちのバランスが取れてないとうまくいかないだろ? そんなんだったらもともと長続きしなかったと思わないか?」
「それはそうかもしれないけど。だったらなんでOKしたの?」
「それは……まあ、俺も男だったってことで……」
「理由になってないよ、それ」
 ごもっとも。
 うなだれる俺に、薬師寺香澄は苦笑しながらいった。
「ぼくは女の子とつき合ったことがないからよくわからないけど。そういうのってやっぱり、せめて関係を続ける努力をしたいって思える人とじゃないとうまくいかないんじゃないかなあ。そうじゃないのにつき合うっていうのは、相手にも自分にも失礼だと思うんだけど」
「……おまえ、女とつき合ったことないんだ」
 別に俺が喜ぶことじゃないとはわかっていても、ちょっと嬉しい気分になってほくそえむ俺に、薬師寺香澄は顔を赤くして抗弁する。
「いいじゃない、別に。好きでもない人とつき合うより、大好きな人とつき合う時までそういうのをとっておく方がよっぽど建設的だよ」
「けどよ、カ………薬師寺。ある程度経験ないといざっていう時困るぜ? どこの穴に入れたらいいのかわかんなかったりとか」
「………! 生々しいこといわないでよ、もうッ!」
 顔を真っ赤にして薬師寺香澄はくいっとコーヒーを飲み干したが、ふとなにかに気がついたような、ちょっと悪戯っぽい顔をして俺の方を見た。
「カゲリ。『薬師寺』?」
「う……」
 気がついたか。
 そう、俺は三ヶ月前、こいつからカズミと名を呼んでいい許可をもらった。
 もらったはいいんだけど――なんていうか、どうしても気恥ずかしくてなかなか名前呼べないんだよな。なんていうか、構えちゃって。
 呼びたくないわけじゃなくて、すごく呼びたいんだけど、むしょうに照れくさくて、呼んでいいのかどうかわからなくなっちゃって、呼べないんだ。だから心の中でも薬師寺香澄とフルネームでしか呼べない。カズミと呼ぶのも恥ずかしくて、薬師寺と以前のように姓だけで呼ぶのも嫌で。
 俺はどうやら、こいつの名前をすごく特別なものとして考えているらしい。
 そういうことをなんとか伝えようと口を動かしていると、薬師寺香澄は笑った。
「心配しなくていいよ。無理に呼べなんていわないから」
「いや、そういうことじゃなくてだなあ」
「大丈夫、カゲリがぼくに含むところがあるから名前を呼ばないんだ、なんて誤解したりしないから。カゲリが呼びたくなったら呼べばいいよ」
 うー。そういう風に度量の広いところを見せつけられても、それはそれで面白くないんだが。
「それよりさ、話の続きを聞かせてよ。一週間前につき合ってっていわれて、それからどうしたの?」
「…………」
 そうだな。俺はその話をしにここに来たんだから。……気は、はっきりいってすごく進まないけど。
 俺はのろのろと口を開いた。
「……つき合ってっていわれた時、一人の顔が頭に浮かんだんだよ」
「うん」
「そいつ、前から知ってる……っていうか、ずっと友達づき合いしてきたやつでさ。いいやつだとは思ってたけど、恋愛対象になんて考えたこともないやつなんだけど。つき合ってっていわれた時に、ぱっとそいつの顔が浮かんで……頭から離れなくなったんだ」
「うん」
 いつもよりいくぶん落ち着いた表情。俺のいってる意味わかってんのかよこいつ、と内心溜め息をつきつつも俺は続ける。
「自分でもなんでいまさら、って思うんだけどな。でもそいつの、顔とか、声とか、笑った表情とか、そういうのが気がついたら俺ん中にどーんって居座ってて。いつの間にかそいつのことばっかり考えたりしてさ。なんか、もう……自分で自分がわけわかんねえくらい」
「うん……」
 あいつが目の前で、真剣な顔でうなずく。なんてことのないその仕草だけで、俺の心は波立った。
 誰かを想って胸が痛くなる。こんなのは俺にとって、間違いなく生まれて初めてのことだった。
 そんな馬鹿なこと俺の身に起こるはずがないって、ずっと思ってたのにな。
「……こういうのって、なんだと思う? やっぱり……その、恋愛感情ってやつだと、思うか?」
「うーん……」
 あいつはちょっと考えてから、柔らかく笑っていった。
「ぼくは恋かどうかはわからないけど。その人がカゲリにとって、すごく大きい存在だっていうのはわかるよ。そこまでいっちゃったら恋でも恋じゃなくても、あんまり変わらないんじゃないかな。カゲリがその人のことを好きだと思うなら、それでいいじゃない。気持ちを伝えるかどうかはカゲリ次第だけど……その人だって、好きだっていわれて嫌な気持ちは決してしないと思うよ」
「…………男でもか?」
「え?」
 あいつのきょとんとした顔に、俺は内心何度も唾を飲み込みながら言葉を叩きつけた。
「俺の頭から離れないやつが男でも、そういう風に思うか?」
 俺の怯えで内心がたがた震えながらの言葉に、あいつはちょっと微笑んでうなずく。
「男でも」
 俺はもうほとんど失神しそうなくらい緊張していた。今まで積み上げてきたこいつとの関係、全部失うことになるかもしれない。俺はこいつと二度と会えなくなるのは、絶対に嫌だ。
 だけど、こんな感情を抱え込んだままこいつとこれまで通りにつき合っていくことはできない。やろうとしたって途中で崩壊するのは目に見えてる。
 それなら。いっそ自分からぶちまけた方がまだましだ。
「…………それがおまえでも、同じことがいえるか?」
「え?」
 あいつはまた、ただ今度はさっきよりもっと困惑の度合いを強めた風にきょとんとした顔をした。大きくて丸い目をますます丸くして、猫のような癖っ毛を揺らして、子供っぽい丸顔を少し傾げて、俺に尋ねる。
「カゲリ、それって、どういう意味?」
 この言葉で、俺は完全に切れてしまった。ここまでいってまだわかんねえのか、という理不尽な怒りと、こいつに向かう強烈な衝動が俺の理性をあっさり突き崩す。
(どうにでもなっちまえ――)
 俺は思いきり身を乗り出して、薬師寺香澄の胸倉を掴んだ。
(最後に背中を押したのはおまえだからな!)
 そしてそのまま引き寄せて、唇を奪った。

 キスするのが初めてだなんてわけはないけど、初めての時の十倍は緊張した。舌を入れるなんてとてもできず、震える唇を押しつけるだけの、どうしようもなくぎこちないキス。
 それでも俺は、情けないけど、どうしようもなく嬉しかった。想像していた通りの子供みたいに柔らかい唇の感触。少し震えているあいつの体。小さく開いた口から漏れる、あいつの熱い吐息。
 そういうもの全部を感じている俺の感情に名前をつけるなら、まさしく歓喜∴ネ外のなにものでもなかった。
 長いようでもあり一瞬のようでもあったそのキスは、たぶん時間にすれば数十秒がせいぜいだっただろう。震えながら俺が唇を離すと、あいつは真ん丸い目で呟いた。
「……今の、一応ぼくのファーストキスだったんだけど」
「……マジで?」
「うん」
 男にファーストキスを奪われるとは、気の毒なことしたな、とも思いはしたが、それ以上に俺はこいつのファーストキスがもらえたということにこの期に及んで感動していた。初めてこいつの唇に触れたのは俺なんだ、と心の中で繰り返してこっそりにやけたり。我ながら、露骨なやつだ。
「あのさ……カゲリ。今のって……つまり、そういうこと?」
「…………」
 俺は丸い目で見上げられ、たまらず逃げ出したくなったが堪えた。今逃げたって、どうせ同じことの繰り返しだ。
「答えてよ、カゲリ。今のって、つまり……」
「そうだよ。あーそうだよ!」
 俺は半ば自棄になって、相手を睨むようにしながら怒鳴った。さっさとぶちまけるって決めたのは俺自身だ。煮るなり焼くなり好きにしろってんだ。
「一週間前つき合ってっていわれた時におまえの顔が思い浮かんだんだよ。それからおまえのことばっかり頭に浮かんで他のことがろくに手につかねえんだよ。おまえの一挙一動を思い出せば思い出すほどひたすらぼーっとおまえのこと考えちまうんだよ。俺はホモになっちまったのかって夜も眠れずに悩んだけど結局結論出なくて自棄になって疑問ごとおまえにぶつけに来たんだよ! 罵るなり殴るなり好きにしやがれ!」
「………………」
 あいつはなんだかひどく真剣な顔をして、少し顔をうつむけてなにか考えているように見えた。俺は内心びくびくしながらその顔を見ていたが、あいつはそれに気づいているのかいないのか、すぐに顔を上げていう。
「カゲリ。カゲリはぼくのこと恋愛感情として好きかどうかわからないっていってたよね?」
「………ああ」
 なんといえばいいのかわからず、ただうなずく俺にあいつは自分も小さくうなずいていう。
「ぼくはカゲリのこと好きだよ。すごく好きだ。でも、それが恋愛感情としての好きかどうかはわからない。ぼくは、ちゃんとした恋愛って、したことないから」
「…………」
 そう好きだ好きだいわないでくれ、恥ずかしくなるから。俺はおまえのそんな言葉聞くだけで、嬉しくなっちまうんだよ。
「カゲリは恋愛ってしたことある? ただ好きっていうんじゃない好きって、感じたことある?」
「……俺だって、そんなんねえよ」
 だからこそおまえへの気持ちがなんなのか決められなくて、右往左往してたんだから。
「ただ、俺はさっき……おまえにキスして、嬉しかったから。おまえにキスしたいって思ったから、ホモ決定、って気がするけど」
「でも、ぼくもカゲリにキスされた時、嫌じゃなかったよ。心臓ドキドキしたし」
「な……」
 おい。おいおい。それじゃまるでおまえまで俺のことを好きみたいじゃないか。
 俺にどうしろっていうんだよ。そりゃ嬉しいか嬉しくないかで聞かれたらこいつが俺のこと好きかもしれないっていうのはすげえ嬉しいけど、こいつまでホモの道に引きずりこんじまっていいのか? いや、それ以前に、俺自身ホモになっちまっていいのか? こいつのことは好きだ、もしかしたら恋愛感情かもしれない。けどこいつは男だ。男に惚れたと認めちまって、本当にいいのか?
 煩悶する俺に、薬師寺香澄はちょっと顔を赤らめていう。
「もう一度……もっと、ちゃんとしたら、わかるかな?」
「…………!」
 おいおいおいおい。いいのか? おまえ。そんなこといっちまって。
 内心俺はうろたえまくっていたが、薬師寺香澄はゆっくりとテーブルを回ってこっちにやってきた。ひどく厳粛な顔でこっちを見つめ、俺のそばに立ってすっと俺の顔に手を伸ばす。
「嫌だったら、逃げてよ」
 逃げれるわけがない。
 少しかすれたその声を聞いたとたん、俺の理性は再び吹っ飛んでいた。
 ゆっくりと背伸びして俺の顔に唇を寄せてくる薬師寺香澄を、思いきり抱き寄せてキスをする。
 今度は舌を使うだけの余裕があった。いや、余裕というよりは、緊張より欲情の方に針が振れたというべきか。
 そう、俺は間違いなくこいつに、薬師寺香澄に欲情していた。『こいつが欲しい』という感情に突き動かされて、空気を求めるように開いた唇に舌を差し込み、奥に引っ込んだこいつの舌をつついて撫で回し、歯列をなぞって口中を隅から隅まで蹂躙する。
「ン……あ、ふ」
 口の端から息を漏らしながら、力が抜けてきたのか涙目になって俺にもたれかかるカズミ。俺の腕の中で時々小さく震えるこいつは、かすかにしろ性感を感じているように思えた。
 その事実にまたも理性の糸をぶち切って、俺はカズミをゆっくりと床に押し倒した。右手で頭を支えてキスを続けながら、左手で下半身を探る。
「んッ……は、カゲリ……待って……」
 涙目になりながらのそんな訴えなんて、俺は聞いちゃいなかった。はあはあと息を荒げながら、左手だけでカズミのズボンのホックを外しズボンをずり下ろす。
「触るだけ、触るだけだから」
 そんな説得力のない台詞を吐きながら、ズボンを下ろしパンツに手をかける。カズミは震えながらいやいやをするように首を振ったが、俺はかまわずパンツをずり下ろした。
「………………」
 初めて見るカズミのそこは、予想通り毛が薄くて、小便する以外にほとんど使ってないことを表すような桃色をしていた。
 そういう男の部分を見たら萎えるんじゃないかと思ったが、そんな心配は無用だった。むしろ自分と同じものがついているというのにどうしようもなく興奮し、がっついた獣のようにそこに手を伸ばす。
 俺は童貞じゃないが、初体験の時よりずっとドキドキした。こいつと、カズミと、めちゃくちゃセックスがしたい。
 けど、男同士ってどうやるんだ? その手の話には興味も関心も持ったことがないから全然知らねえぞ。
 だがそれでも欲望だけは異常なくらい高まっていて、もうどうしようもなくて俺は涙目になっているカズミの手をつかんで自分の股間に導いた。
「俺のも、触ってくれ……」
「………」
 カズミは涙目になって震えていたけど、言われるままに俺のズボンのホックを外して下ろそうとする。それがたまらなく愛しくて、俺はカズミの顔にキスの雨を降らせた。

「カズミ……カズミ、はあっ……カズミ……」
「ン……ふっ、ンあ……カ、ゲリ、あっ、んっ」
 何度もキスを繰り返しながら互いに互いのペニスをしごきあう。子供みたいなセックスだったが、俺たちはそれでもどうしようもなく昂ぶっていた。
 お互いのペニスから先走りが漏れてくちゅくちゅと音を立てる。そのいやらしい音がまたたまらなく興奮を誘う。
 そんなふうにめちゃくちゃ興奮しているのに、俺たちはどちらもなかなかイかなかった。緊張と、他人のペニスをしごくなんて初めての経験だから手の動きがぎこちないせいなんだろう。
 興奮して、たまらなく感じているのにイけないというのはけっこう苦しい。俺はたまらずに、はあはあと息をつきながら衝動のままに自分のペニスとカズミのペニスを重ねた。
「ハ……ッ、カゲリ……?」
「一緒に、握ってくれ」
 潤んだ瞳で俺を見上げながら、カズミは言われるままに自分のペニスと俺のペニスを一度に握った。俺もその手と合わせるようにして二人のペニスを一度に握る。
「一緒に、しごこう」
 よく考えてみればかなり間抜けで恥ずかしい台詞なんだが、この時は深く考える余裕なんてなかった。心臓をドキドキと破裂しそうに高鳴らせながら、二人で一緒にぴったりくっついたペニスを一度にしごく。
「は……ッ、カズミ……ふ、くッ」
「カゲリ……あ、はぁっ」
 ペニスの先端から漏れる先走りが互いの手を濡らす。お互いの体の中で一番熱い部分がぴったりとくっつきあい、擦れあう。俺はたまらずに小刻みに腰を動かして自分のペニスをカズミのそれに擦りつけた。
 先走りが混じり合い、互いの熱が互いに伝わる、そんな時間はやがて終わりを告げた。
「んッ……カズミ……!」
「カゲ……リ……! ハァ……」
 お互いの手でお互いのペニスを激しくしごきあって、俺たちはほぼ同時に絶頂を迎えたのだった。

「………悪かった」
「なんで謝るのさ?」
 互いの精液をティッシュで拭いて身づくろいをしたあと、俺はなんとも気まずくてそんなことを言ってしまった。
 カズミは顔を真っ赤にして泣きそうになってたのが嘘のように、平然とした顔でこっちを見る。
「だって……嫌じゃなかったか?」
「なんで? 全然嫌じゃないよ。そりゃ、ちょっと……ううん、かなり恥ずかしかったけどさ」
 にこっと笑ってあっさりという。
「ぼくがカゲリのこと好きで、カゲリもぼくのこと好きなんだなあっていうのがちゃんとわかったから、なんだか嬉しかった。僕の知り合いの中でこういうことができるのって、カゲリだけかもしれないな」
「……それじゃ、まるで俺につき合ってくれっていってるように聞こえるぜ」
 期待しちまうじゃねえかちくしょう、ますますもってホモの道まっしぐらだ。
 だが、カズミはちょっと小首を傾げて、驚いたようにいった。
「え、カゲリはぼくにつき合ってくれっていう気ないの?」
「………………」
 俺はちょっと絶句した。それってどういうことだよ、おい。
「おい、カズミ……おまえ、まさか俺とつき合う気だとかいうんじゃ……」
 俺がそういうと、カズミはきゅっと唇を引き結んで俺を睨むように見た。
「カゲリ……もしかして、あんなことしといて、責任取らずに逃げ出すつもり?」
 俺はぎょっとして、慌てて手を左右に振った。
「いや、そういうことじゃなくて! 俺はおまえをホモにしちまうのが嫌なだけで……」
「いいじゃない、そんなの。カゲリだってホモ……ゲイっていった方がいいのかな、とにかくそれなんでしょ?」
「う……ま、まあ……」
 カズミ以外の男と絡むなんて考えただけでぞっとするから、ホモっていうのとは違うと思いたいんだが。
 そういうと、カズミはにこっと笑った。
「なら、ぼくもゲイがいい。茨道でも、カゲリと一緒の方がいいよ」
「………………」
 こ、この野郎……カワイイこといいやがって。ちくしょう、やっぱりこいつめちゃめちゃカワイイ。抱きしめてやりてえ。
 思わず手をわきわきさせる俺に、カズミはくすっと笑ってその手をつついた。
「それに、カゲリもぼくを名前で呼んでくれるようになったことだし。あの途中からだよね、カズミって呼び出したの?」
「う……」
 俺は思わず口ごもった。改めていわれるとけっこう恥ずかしいものがあるなあ。俺としては意識してたつもりはないんだが、あの時から名前を呼び出すっていうのは普通に考えたら所有欲が露骨でかなり恥ずかしい。
 カズミが俺を上目遣いで見上げて、歌うようにいった。
「でも、カゲリとこういうことになるなんてさっきまでは思ってもみなかったのにな。なんだか変な感じ。ぼくの身にもこういうことが起きるってこと自体、思ってもみなかったことだもの。カゲリは?」
「俺は……」
 それはもちろん一週間前におまえの顔が思い浮かんでからだけど。
 もしかしたら、気づかなかっただけで、俺はおまえのことがずっと前から好きだったかもしれない。
 もしかしたら初めて会った時、嬉しそうに笑われて名前を呼ばれた時から。
 だけどそんなことは、絶対にいえない。
 そんなの、ちょっと恥ずかしすぎるからな。
 だから俺は、
「秘密だ」
 といって、笑ってごまかした。

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