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 ぼくはいつも、というわけじゃないけれど教習所の帰りにはたいていコンビニに寄ることにしている。いつもコンビニというわけじゃなくて、日によってパン屋さんだったりケーキ屋さんだったりいろいろだけど。
 大学が始まる前に免許を取るために一日になんコマも教習を入れているから、当然一日の終わりには体にけっこう疲労が溜まっている、それを癒すため――というか疲れた自分をねぎらうために、ちょっとだけ高い食べ物を一品買うのだ。
 今日はコンビニの、フォションかハーゲンダッツか、その辺りのアイスでも買おうかな、とコンビニに入り、レジの前を通って。その時初めてそれに気づいた。
バレンタインはセブンイレブンで≠ニ書かれたポップと、いろんな種類の可愛らしいチョコレートの山。
 それを見て僕ははっと、そういえばもうすぐバレンタインじゃないか、と気がついたのだ。
 ―――どうしよう。翳に、なにかあげるべきだろうか。

 ぼくと翳が付き合い始めたのは西暦2000年六月のこと。それから今までももちろんいろいろなことがあった。
 その最たるものは翳に僕の生い立ちをちゃんと話せたことだろう。最初は悪意によってもたらされた情報だったけど、それからいろいろなことがあった結果翳とぼくはより深く繋がりあうことができた、とぼくは思っている。
 だけどその関係のごたごたで去年のバレンタインは笑って迎えるような状況じゃなくて、というよりまだ会うこともできなかったから、ぼくたち二人にとってみると今年が初めてのバレンタインになるわけだ。
 どうしようかな。翳、チョコレートほしいとかって思うかな?
 翳は別に甘いもの嫌いじゃなかったと思うけど、別に好きでもなかったよね。だからチョコレートをすごくほしいとかは思わないと思う。翳の性格じゃそういうイベントごととか馬鹿馬鹿しいっていいそうだし、もらったチョコレート積み上げて友達に見栄を張るとかいうこともしそうにないし。男同士でバレンタインなんてっていう気もしないではないし。
 でも、翳は少なくともぼくと一緒にいると、子供みたいなことでへそを曲げることがある。ぼくが女の人をじっと見ていたとか、後ろから声をかけても気づかなかったとかで。
 それはたぶん僕に愛されてることを知っているからいえるわがままみたいなもので、そういうとこもちょっと可愛いなぁとは思うんだけど、でもやっぱりむやみに翳を怒らせたいとは思わない。初めてのバレンタインになにもしないというのはそのきっかけになる可能性はある。
 それに、やっぱりぼくもせっかくのバレンタインなんだから翳になにかしてあげたいなと思うんだ。この一年翳はやっぱり母さんの次以下にせざるをえなかったし、母さんが亡くなったあと桜井さんたちがいないんならどうして俺のとこにこないんだと(ぼくとしては実家に帰っているという翳のひさびさの家族団らんを邪魔したくなかったというだけなんだけど)そのことでもへそを曲げさせちゃったりもしたし。
 ちょっとくらい、久々にいちゃいちゃしたりもしたいしね。母さんのことは最後を看取ってあげられたし京介や深春にもいろいろ慰められたしでひどく落ち込んだというわけじゃなかったけど、やっぱり亡くなったすぐあとに遊ぶ気にはなれなかったから、久しぶりに楽しいことをいっぱいしよう。
 そう決めて、ぼくは翳に電話をかける。翳は幸いアパートにいた。
「十四日に、久しぶりに一緒にご飯食べない?」
 バレンタインに、といわないのは一応あんまり構えさせないようにしたつもり。
『おおッ、マジかよ? 嘘や冗談じゃないだろうなぁ?』
「こんなことで嘘ついてどうするのさ。ぼくと一緒のご飯はいや?」
『なっ、んなわけないだろ! いっとくけど俺はお前がそう言うのすげえ楽しみにしてたんだからなッ』
「そうなんだ。待たせちゃってごめんね」
『い、いや……』
「どこか行きたい店とかある? 割り勘になっちゃうけど」
『いや、あのさ……お前の手料理じゃ駄目か』
「ぼくの手料理でいいの?」
『お前の作ったメシが食いたい』
 真剣な口調でそういわれ、ぼくは少しどきどきしてしまった。だって、恋人にこういうこと言われちゃったらやっぱりときめいちゃうよ。僕の作ったご飯が一番ってことかな、とか考えちゃって。
「……いつも通り、材料費折半、手伝いつきだよ?」
『そのくらいはさせてもらうさ。……なぁ………』
「なに?」
『いやッ、なんでもない。十四日な、楽しみにしてるから!』
 そういって翳は電話を切った。珍しいな、翳が勝手に電話を切っちゃうなんて。
 でも楽しみだ、十四日。今まで十四日っていうのは義理チョコをもらうだけの日だったけど、今年はちょっと特別だな。
 今からメニュー、考えておかなくちゃ。

 イタリアワインをワイングラスに注ぐ。翳と二人、グラスの足をもって軽く上げた。
「なにに乾杯する?」
「……ここはやっぱり、俺とお前の出会いに、だろ」
「うわ。キザだなぁ」
「なんだよッ。いいだろそのくらいッ」
 顔を赤くして怒る翳に、ぼくは笑う。
「ごめんごめん。じゃあぼくと翳が出会えて、今日こうして一緒にいられることに」
「おう、乾杯ッ」
 グラスを軽く打ち合わせる。今日のメニューはリゾット・スカンピ、サルティンボッカ、ウドとスナップエンドウのマリネ。イタリアンでまとめてみた。
「久しぶりだな香澄の料理。このリゾットすげえうまいぜ」
「ありがとう。エビがおいしいんだよ、新鮮なの手に入ったから」
「鮮度なんて食う前にわかるのかよ?」
「色と、感触と、匂いでね。エビの臭気が強いのとかはやめた方がいいんだよ」
 そんな他愛もないことを喋りながらご飯を食べる。どれも簡単な料理だけど、その分ミスなく作れたと思う。食べてみても実際味は悪くなかった。
 恋人と久しぶりの一緒の食事。ぼくの作った料理を食べて、他のなによりもおいしいといってくれるひとが目の前にいる。
 それはやっぱり、心がぽっと暖かくなるような、幸福な気分をぼくに与える事実だった。
 食事が終る頃になって、ぼくは準備しておいたプレゼントを渡すために立ち上がりかけ、翳に止められた。
「あのさ。………これ」
 差し出されたのは、服らしき包みと、小さな紙袋だった。それも、翳の趣味とは思えないリボンつきの。
「これって……?」
「まあ、その、なんつうか……バレンタインの、プレゼントだよ」
「えぇ?」
 ぼくはかなり驚いてそのプレゼントを見た。これがプレゼントというのはわかる。でもなんで翳が、バレンタインに?
 そんな疑問が現れてしまっていたのか、翳はしゅんとした表情になっていってきた。
「迷惑……だったか」
「そんなこと、ないけど……どうして?」
「俺たち、つきあってるんだろ……バレンタインにプレゼントしたっていいだろうが」
 それは、確かにそうなんだけど。でも、ぼくは翳がプレゼントしてくれるなんて思ってもみなかったから。
「バレンタインは、日本では女の子が男にチョコレートをあげるイベントだよ?」
「外国では違うだろ……いや、んなことどうだっていいんだ」
 翳が頭を振ってぼくを見据える。まっすぐな、力強い眼差しで。
「俺はお前にプレゼントをやりたかったんだ、バレンタインっていうのきっかけにして。俺は……お前に、なにもしてやれなかったから」
「え……」
「この一年、お袋さんが亡くなった時も、俺はろくに力になってやれなくて……そりゃ、俺が頼れるほど甲斐性のある奴じゃないってのが一番の原因なんだろうけど。ほとんど名ばかりの恋人で、俺は、ずっと悔しかったんだ。だから、せめて、なにかお前が嬉しがるようなことしてやりたいなって……こんなことしか、思いつかなかったけど」
「翳………」
 翳は落ち込んだ顔をしてうつむいている。そんなの気にすることないのに、翳がいてくれることが、たまに会えた時抱きしめてくれる翳の腕が、翳の与えてくれるときめきがぼくをどんなに幸せな気持ちにしてくれたかしれないのに――
 ぼくはそっと、プレゼントを取り上げた。
「開けてもいい?」
「………ああ」
 まずは服の方から開けた。中に入っているのはラベンダー色の薄手のセーター。着こなしはなかなか難しそうだったけど、デザインはきれいだ。
「ありがとう。大切に着るね」
「ああ………」
 そして紙袋の方を開け、ぼくは驚いた。中に入っていたのはチョコレートだった。手作りらしく、不器用なラッピングがしてある。
「翳………これ?」
「わかってるよ悪かったよどうせ下手くそだよ!」
「翳が作ったんだよね……?」
「いつもお前にはメシ食わせてもらってるし、ただ金で買ったプレゼントだけじゃ……その、気持ちが伝わらないかなって。なんか自分の手で作ったもんお前にやりたいなって……馬鹿な考えだっていうのはわかってるけどさ……」
 ぼくはゆっくりと椅子から立ち上がり、テーブルを回って翳の前に立った。
 そして、思いきり力をこめてハグして、キスをする。
「………!」
 翳は一瞬固まったけれど。すぐぼくの背中に腕を回してキスに応えてくれた。お互いの舌をつつきあい、吸いあい、たっぷりと舐め回しあって、頭がくらくらしてきたころどちらからともなく唇を離した。
 ぼくはたぶん潤んでいるだろう瞳で翳を見つめる。
「翳……大好き」
 間近にある顔に向けて、熱をこめて囁く。
「翳がそういう風にぼくを大切に思ってくれることも、ぼくがそれに応えられるただ一人の人間だってこともすごく嬉しい」
「香澄……」
「大好きだ……」
 もう一度抱きつくと、翳もぎゅっとぼくを抱き返してきた。ぼくは翳に笑顔を見せていう。
「翳、ぼくもプレゼント買ってきたんだよ。あとで持ってくるね」
「……あとなんだよな?」
「うん。あと」
 ぼくたちは顔を見合わせてくすっと共犯者の笑みを浮かべあった。お互いの気持ちはひとつ。それがわかることがなんだかすごく嬉しい。
 ぼくたちはお互い支えあいながら、ぼくの寝室に入っていった。

 そのあとぼくたちはいろんな方法でたっぷりいちゃいちゃして、次の日寝過ごすことになったけど、でも、たまには幸せのために日常業務を犠牲にするのも悪くないよねってことで意見が一致したのだった。

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