さよならの時が近づくけれど心は迷う
「あ……は、ぁ!」
 俺はがくがくと揺さぶられながら、身も世もない喘ぎ声を上げた。学校のトイレだ声抑えなくちゃとどこかで思うんだけど、それよりも頭の中が焼き切れそうに熱い。
 バイクをかっ飛ばしている時のような、戦闘をしている時のような、脳内麻薬がどぱどぱ出ている感覚。世界のてっぺんまで駆け上がれてしまいそうな暴走するテンション。
 ――ナギに抱かれる時に、いつも味わう感覚だ。
「九龍」
「ふ……う、ふは、ぁ」
 ナギが俺を揺さぶりながら、顔を近づけてきて濃厚なキスをする。俺は荒い息の下からそれに応えた。
 舌を絡ませ、唾液を啜り、腰をぐいぐいと擦りつけあって獣のように盛りながらするキス――
 ちゅ、じゅぱ、くぢゅ、と音がする。口からするのか下半身の接合部分からするのか、もうわからなくなってきていた。ただもうとにかく、熱くて、熱くて熱くて、体が溶けそうで――
 ナギが俺を見ている。狭いトイレの中で、俺の体をトイレの壁に押しつけて、激しく腰を使って俺の中を抉りながら。
 その、どこか餓えたような瞳――その視線に感じて、俺はどうしようもなく頭の中が燃えてくる。わけがわからなくなる。なんでこんなに感じるかはわからないまま、ただひたすらにどこまでも高まるテンション。
「……………んは………!」
 ナギの精が俺の中に叩きつけられた、と感じた瞬間、俺も達していた。

 ぐったりとした俺に素早く身づくろいをさせると、ナギは俺に軽くキスをして手を引いた。
「行くぞ」
「……行くって、どこへ?」
「君の部屋だ」
 俺は思わず身を引いてしまった。
「……ナギ、どしたの? なんでいきなりそんな飢えてるわけ?」
「別に今に始まったことじゃないだろう」
 ……確かに、ナギはやってる時はいつも、飢えてたみたいに激しくしてくるけど。それがすごく気持ちいいんだけど。
「けど……普段は、こんな風に……」
「こんな風とはどんな風だ?」
 にやりと笑って俺の尻を撫でる。その絶妙なタッチに俺はぞくりとしたけれど、それでもきっとナギを睨む。
「やめろよ。今日はそんな気分じゃない」
「ほう、本気で言ってるのか? さっきまでさんざん俺の下で喘いでいたのは誰だったかな」
 にやりと笑ってナギはまた俺にキスをしてきた。俺は暴れかけたけど、それより早くナギは唇を密着させて舌を突っ込んでくる。
「……ん……!」
 体の芯が痺れるような、強烈に俺を酔わせるキス。気持ちいい、と思ったけど、必死に体をよじって突き飛ばして怒鳴った。
「ナギ! なんか俺に言いたいんならはっきり言えよ! 言っとくけど俺だって少しは考える頭くらいあんだぞ! お前がなにか言いたいことぐらいわかるんだよ!」
「―――それは困るな」
 ふ、と笑って、またキス。酸欠になるんじゃないかと思うほど俺の唇と舌を吸い、噛み、舐め回し、俺の頭がぼうっとしてきた頃ようやく解放された。
「――なにも考えるな」
 ぐい、と抱き寄せられ、耳元で囁かれた。
「――え?」
「君はなにも考えなくていい。ただ、俺に流されていればいい」
「ナ―――」
「君はその方が都合がいいんだろう?」
 にやりといつものしたり顔。だけど――なんだか、ナギは、寂しそうに俺には見えた。
「なんで、そんな顔、するんだ―――?」
「さぁ、な。――来い。君だってまだ物足りないんだろう」
 ぐい、と大きな手で引っ張られる。ごつくて毛の生えた男くさい手。
 その手は、とても、心地よかった。

「――それで結局流されてしまったわけか」
「………はい………」
 翌日、ルイ先生の保健室で俺はまたカウンセリングを受けていた。
 昨日は結局限界までナギと盛って、さんざん喘がされて意識を失うようにして眠りについた。起きた時もうナギはいなくて、少し寂しいな、と思ったけどそれ以上に不安な気持ちになったりした。
 だって、ナギの昨日の顔は、なんていうか――ひどく辛そうに見えたんだ。
「君は鴉室と別れたいのか?」
「――――! 違うよ!」
 そんなわけない、そんなことあるわけないじゃないか。俺は、できることなら、アムさんと、洋介さんとずっと一緒にいたいって思ってるんだから。
「だが彼のために宝探しの仕事をやめようとまでは思わないわけだ」
「………うん」
「君は彼のことを世界中の人の中で何番くらいに愛している?」
「え」
 思わぬ質問に俺が目を見開くと、ルイ先生は静かな、そして真剣な顔で俺を見る。俺の言葉を待ってるんだとわかって、俺は答えようとする――
 だけど答えようと開いた口は、途中で凍りついた。アムさんのことは好きだ、世界で一番って言ってもいいくらいに好きだ。それに間違いはない。
 だけど――なのに、なんで口が動かないんだろう。
 固まって動かない俺を見て、ルイ先生はなぜか少し痛ましげな顔をした。それから俺の肩をぽんぽんと叩き、なだめるように言う。
「龍。私は君に、鴉室と夕薙のどちらかを選べ、と言いたいわけではないんだ」
「………え?」
「恋愛というものには人それぞれの形があってしかるべきだし、それが他人から見て歪んだ形であってもそれをお互いが至福の喜びとして甘受できるならかまわないと思う。――君の愛情の注ぎ方に問題があるとしても、それによって救われた人間も大勢いるのだからね」
「…………」
「ただ君は今困っている。苦しんでいる。つまり君の理想とする生き方と相手と理想を現実に実行するやり方、このどれかに間違った選択があるんだ」
「間違った……選択?」
 ルイ先生はうなずく。
「ああ。理想と現実と相手、この三つのバランスが崩れることで恋愛の問題は起こる。問題を解決するには、その三つのどれかを切り捨てるのが一番手っ取り早い」
「切り捨てる……」
 ルイ先生は軽く煙管をくゆらせ、ふー、と煙を吐いて俺を見た。
「龍。君の一番求めるものはなんだ?」
「俺の……求めるもの?」
「ああ。君の求めるものが決まっていて、それがなによりも重要だと思えるならば、遠慮することはない、それを貫けばいい。人になんと言われようと気にするような君ではないだろうしな」
「…………」
「だが、鴉室の、ないし夕薙の願いを君が気にするのであるならば。君は選ばなければならない。理想か、相手か、方法か、どれかを切り捨てることを」
「…………」
「それができないというのであれば――君と私で考えよう。なぜ選ぶことができないのか。問題を解決する方法はなにか。二人でちゃんと、考えよう」
 そう言ってルイ先生はす、と煙管で外を示した。
「卒業式まで一週間を切った。――みんなと話してやりなさい、龍。君が今までしてきたことが、君自身を救うだろう」
 退室を促されてるんだ、とわかって、俺はのろのろと立ち上がった。

「九サマ!」
 校内をふらふらしている時に声をかけられて、俺はは、と声のした方を見た。そこにはリカとタイゾー、それにかまちーがいる。
「お! みんなどしたん? なんか珍しい組み合わせじゃん」
 なんだか久しぶりに仲間に会った気がして、俺は思わず満面の笑顔で三人のところに駆け寄る。
「うふッ、部室で一人でお茶会をしていたら、二人が通りかかったのでお誘いしましたの。これから取手クンが音楽室で卒業式に弾く曲の練習をするのにお付き合いするところですのよ」
「鉄人も一緒にどうでしゅか?」
「へぇ……いいな。かまちー、俺も付き合っていい?」
「もちろん! はっちゃんが聞いてくれるなら練習にも身が入りそうだよ」
「うわ、うれしーこと言ってくれるじゃんかまちー」
 俺は思わずぴょんと飛び上がってかまちーにしがみつく。
「わ! はっちゃん、ちょっと……!」
「わは、悪い悪い。だってかまちーがあんまり可愛いこと言うもんだから癒されちゃってさー」
「アラ、九サマ。リカや肥後クンは可愛くないとでもおっしゃるのかしらァ?」
「もー、拗ねない拗ねない。リカもタイゾーも俺の可愛い仲間だぜっ」
 二人の頭をそっと撫でてやると、リカはにっこりと微笑みタイゾーは照れくさそうにする。なんかすごく心地よかった。俺のいるべき場所に帰ってきた、みたいな。
 音楽室に着くと、かまちーはさっそくグランドピアノの蓋を開け、鍵盤に指を滑らせた。最初は指慣らしから始まり、次第に流れるように壮大な交響曲を奏ではじめる。
「……日本の卒業式って、みんな『蛍の光』なのかと思ってた」
 音楽の切れ間に俺が昔親父から聞いた覚えのある話を口に出すと、かまちーはにこりと微笑んだ。
「『蛍の光』も演奏するけどね。生徒会長さんに卒業式にふさわしいものであればどんな曲を演奏してもかまわないって言ってもらったから、今の僕に弾ける最高の曲を弾きたくて。――はっちゃんは約束を守って僕たちと一緒に卒業してくれるんだもの、僕も君にできるだけのことをしてあげたいんだ。僕にできるのは君にありったけの心をこめて曲を弾くことだけだもの」
「……かまちー……ありがとな」
 俺は心がほっこり暖かくなるような気持ちになって微笑んだ。なんていうか、こういう風に暖かい気持ちを注がれるっていうのは、本当に気持ちがいい。俺もありったけの気持ちで返したくなる。
「でも……もうすぐ卒業ですのね………」
「そうでしゅね……」
 みんな宙をじっと見つめた。どこかしみじみとした瞳で。
「リカはこの学校に来て、いいことも悪いこともいっぱいありましたけど……九サマと出会えたことは、一生忘れないと思いますわ。九サマはリカに、生きることを教えてくれたんですもの」
「そうだね。僕も、はっちゃんに出会わなければ、ずっとあの墓の暗闇に囚われたままだったろう――こうしてピアノを弾くことなんかとてもできなかったろうな」
「鉄人がいなければボクも、ずっと大切なことを忘れたままだったでしゅ……」
 みんなはそんな風にしみじみと言って、それから俺の方を向いた。
「はっちゃん……卒業まで本当にあと少しだけど、でも、僕は君に会えて本当によかったよ。心からそう思うんだ。君という親友ができて、本当によかった、と―――」
「鉄人、鉄人がこの学校に来てくれて……みんな救われたのでしゅ」
「九サマ、リカは九サマと会えて、ひとりぼっちじゃなくなりましたの。九サマは本当に、リカや、みんなの、特別な人ですのよ?」
 その言葉に、俺はこの三人のことがめちゃくちゃ愛しくなって、微笑んで言っていた。
「みんな……ありがと。みんなが嬉しいと、俺もすげー嬉しいよ」
 笑顔でそう言うと、みんな照れくさそうに微笑んでくれた。……うん、やっぱりこういう風に、仲間って感じられる相手っていいよな。
 そう考えた瞬間ふと、ナギとアムさんのことが頭に兆したが、誰かと一緒にいる時に暗い顔を見せたくなくて即行頭から追い出した。

 俺は三人と別れて校内を歩きながら、校舎や生徒たちを眺めていた。
 そうだ、もう俺はこの学校とも別れなくちゃならないんだ。俺が初めて通った普通の学校。毎日同じ場所で寝て起きて同じみんなと話して笑いあった場所。仲間たちや友達たちと出会えた場所―――
 名残を惜しんだって、悪くない。俺は今までそんなこと、したことなかったけれど。あちこちを飛び回って、名残を感じるほどひとつの場所に留まったことがなかったから――
 顔見知りの奴らが声をかけてくるのに軽い挨拶を返しながら天香校内を歩く。あと一週間でここをこうやって歩くことももうなくなるのか――
 ――と思った次の瞬間俺は走り出した。人の間をすり抜けて、階段を駆け下り、下へ下へ。
 いくら三階っていっても俺の足なら駆け下りるのに三十秒もかからない。鍛え上げた脚力で俺は一気に一階まで降り、駆け出した。
 ―――洋介さん!
 俺の人並みはずれていい視力は、周囲から隠れるようにして裏口を抜けていくアムさんの姿を、しっかりと捉えていたのだ。

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