「アムさん!」 俺は叫んでいた。人が来るんじゃないかとかそういうこともちらっと考えたけど、それ以上に彼を呼び止めたかった。 呼び止めてなにをしようって思ってたわけじゃない。ただ、俺は彼の顔が見たかった。話がしたかった。こっちを向いて、俺を見てほしいって思ったんだ。 俺はあの人が好きなんだ。そばにいてほしいって、いつだって会いたいって思う人なんだ。こんなにそばにいるのに、会わないなんて嘘だ。 もう二日も会ってないんだ、今すぐ会いたい。 ――つまり俺は、自分の気持ちだけでいっぱいになっていて、洋介さんがあの時言った、『一週間会わない』という言葉にどれだけの想いがこめられていたかなんてこと気づきもしなかったんだ。 「アムさん!」 俺は洋介さんのすぐうしろまで走ってきて声をかけた。わずかに息を荒げているのは興奮からだ。尻尾があったらきっと千切れんばかりに振っていたと思う。 「洋介さ――」 洋介さんは、一瞬、足を止めた。 だけど、振り返らなかった。 わずかに肩が上下して、息を吐き出すのがわかった。こちらを意識しているのが感じられた。でも洋介さんは振り返らないで、早足で俺に背を向けて歩み去った。 ――俺を無視したんだ。 ガン、と殴られたようなショックだった。洋介さんが、アムさんが俺を無視した。会いたくないって示した。顔も見たくないって。 ――俺は、もういらない? わかってる、本当はわかってる。洋介さんが俺に本当に考えてほしいって思って時間を与えたことも、自分でもちゃんと考えようとしているから時間が必要なんだってことも。ちゃんとそのことをこちらに伝えてきてくれたのに、勝手にその決まりを破るのはルール違反だ。 でも、それはわかってるけど、こんなにそばにいるのに会えないのは、会うことを選択してもらえないのは。 俺には、血の気が引くほどのショックだった。 呆然とその場にたたずむ。どうすればいいのかわからなかった。会えない。洋介さんに、好きな人に必要としてもらえない。そばにいることを許してもらえない。 じゃあ――俺に、そんな俺に、どんな価値があるっていうんだ? 『いらない』 怖い。 『お前はいらない』 どうしようもなく怖い。 『人は一人だ。俺とお前はただ偶然一緒にいるだけの人間だ、関わりあう必要もない。お前はお前で勝手に生きていけ。俺はそうする。お前もそうしろ』 怖い怖い怖い怖い怖い怖い――― 完全に固まってしまって動けなかった。どうすればいいのかわからない。ただ心臓だけがやたらと早鐘を打つ。指先が冷えていく感覚がやけにリアルだった。 なんで、なんでこんなに怖いんだろう、洋介さんとはまた会えるのに、一週間経てば、あともう五日でまた向き合えるのに―― でもその時には永遠の別れが待っている。 そんな、そんなのって―― 「―――九龍」 ふいに、暖かくて大きな手が俺の肩をつかんだ。 「どうした?」 ヒゲ面で気遣うように笑う顔に―― 「ナギ………!」 俺はすがりつくようにして抱きついた。 「それでまた朝まで? いやはや、元気なことだな」 「………………」 少し呆れられているのを感じ、俺は首をすくめた。なんというか、ひどく後ろめたい。 ナギにも、アムさんにも。ナギにはいつにも増して悪いことをしちゃったなって気がする。あれは、逃避のためのセックスだった。自分の感情から逃げるための。 八つ当たりみたいなもんだったのに―― 『別にいいさ。八つ当たってくれて。こちらとしてはそれにつけこんでやろうっていう下心もあるしな』 そうナギは笑うんだ。 『後ろめたく思うなら、それだけ俺を選んでくれる確率が増えるだろう?』 俺としても楽しんだしな、なんて軽く言って。 でも、そのあとの。 『――俺としては、君が俺を選んでくれるならなんだっていいんだ』 その言葉には、隠しようもない真剣さがにじんでいた。 「九龍――君がなにを求めるのか、自分でわかったか?」 「………俺は………」 俺は口ごもった。自分のしたいことはわかる。俺が今なにをしたいか。だけどそれは願っちゃいけないことだ。 俺は宝探し屋として世界を飛び回りたい。そしてアムさんと、洋介さんと一緒にいたい。 だけどナギの手も放したくない。ずっと繋がっていたいって思う。 その二つは両立しない。第一宝探し屋をやってる以上、絶対にアムさんとは別れることになるのに。 なんで俺はこんなことを願ってしまうんだろう―― 「願望には理由がある。どんなものも。それは理想を形作る一因にして、理想から生まれいずるものだ」 ルイ先生は煙管を指の先で揺らしながら独り言のように言う。 「君はなぜ、鴉室を求める?」 「え?」 「なぜ鴉室を、夕薙を求めるんだ? 君の心のどこに彼らの存在は響いた? 君にとって彼らとはどういう存在で、どんな価値がある?」 ルイ先生は矢継ぎ早に俺が思ってもいなかったような問いを投げかける。そんな、そんなこと言われたって。 俺はただ、あの人たちが好きだなって思って。ナギは欲情して、アムさんはそばにいてほしいって思って。どうしてって言われても―― 「考えてみなさい、九龍。彼らのどちらかを選ぶのならば、後悔しないようによく考えなければならない。君の中で彼らは、どういうものとして在るのか」 どういうものとして在るのか―― その言葉は、なんだかひどく、俺の心の中に強烈に響いた。 「やあ、九龍博士」 「こんにちはッ、九ちゃん!」 「九龍くん、こんにちは」 「……至人部長……に奈々子ちゃんに月魅ちゃん? 珍しい組み合わせだな」 食事を作るのがなんだか面倒で、マミーズにやってくると、入り口近くのテーブルにこの三人がたむろっているのが見えた。まぁ奈々子ちゃんはいつも通り、仕事の合間に話してるって感じだけど。 「七瀬さんには石の本をいろいろ仕入れてもらったり世話になったからね。卒業前にお礼の食事をおごろうと思って」 「へぇ……至人部長けっこうマメじゃん」 「そうでもないよ。こういう機会でもないとそんなことを考えたりはしなかっただろうからね」 「……もうすぐ卒業ですからね……」 そうだ、卒業するんだ―― 俺は別れるんだ。この学校と。もうなんの関わりもなくなるんだ。 出会った人たちと。大好きな人たちと。その人たちと出会ったこの場所と。 ――なにを考えてるんだろう、俺は。もう出会えなくなるからって関わりがなくなるわけじゃないのに。繋がりを保ち続けることなんていくらだってできるのに―― 頭が勝手に考えるのを止めたくて、俺は笑顔で口を開いた。 「なぁ、みんな。みんなにとって俺ってどういう存在?」 『え?』 みんなきょとんとした顔になった。まぁ、唐突な話だからな。 それでもみんな、それぞれちょっと考えて答えてくれる。 「そうだね……石研の重要な部員にして、大切な石友達かな」 「私に新しい世界を見せてくれた人……ですかね」 「う〜ん、う〜ん……素敵な人、ですゥ。きゃ、言っちゃった!」 みんならしい答え。俺は笑顔で礼を言う。 「ありがと、みんな。今ちょっと、過去を振り返るキャンペーンやっててさ」 「……キャンペーンなんですか?」 「卒業だからねぇ……」 「ねッねッ、九ちゃんにとってあたしたちはどういう存在なんですかァ?」 「そうだなー、俺にとっての奈々子ちゃんっていうと……」 俺はにこにこと考えながら、思っていた。やっぱりみんなはそれぞれに俺を大切な人間と考えてくれている。俺もみんなが大切だ。大好きだ。 ――でも、それは俺が必要な答えじゃない。 もう授業は自由参加になっている。俺は普段せっかくだから授業を受けてるんだけど、なんとなく皆守の顔を見たくなって屋上に上がった。 だけど皆守は屋上にはいなかった。保健室かな、と眉をひそめる―― と、その時気配を感じて、俺は振り向き、少し驚いた。 「九龍さん!」 ――夷澤だった。 |