「夷澤? どーしたんだよこんなとこで。まだ二年は授業中だろ?」 俺が驚いて言うと、夷澤はむっとした顔になった。 「アンタだって授業中でしょ」 「三年はもう自由参加なんだよ。……なに? なんか俺に言いたいこととかあった?」 笑って言ってやると、夷澤は少し顔を赤らめて「別に俺は……」とかなんとかぶつぶつ呟いてるので、俺は笑顔をすぅっと近づけてやった。 「つまりなんにも用事ないのに俺を追っかけてきてくれたわけか。うわー、九ちゃん感激v」 「なッ! 俺は別に、そんなこと言った覚えッ……」 カッと顔を赤くして往生際悪く俺から目をそらす夷澤。かーわいいっ、と俺は思わず笑ってしまった。こいつんっとに可愛いよなー。 「おッ……れはただッ! アンタが、なんか、悩んでるらしいって噂聞いたから、確かめてやろう、って思っただけでッ……」 「え……誰から聞いた、そんな話?」 「いッ、いや別に誰かが言ってたわけじゃないっすけど! なんか、風の噂に、っつーかッ……小耳に挟んだっつーかッ……」 「……ふーん」 俺は少し眉を上げて肩をすくめた。本当にその話を聞いたのか、俺を反射的に追いかけてきちゃってあとから言い訳作ってるのか、半々ってとこだろうけど。 でも、せっかくのこいつと話ができる機会を、ふいにするほど俺はうかつじゃない。屋上入り口脇のコンクリの壁に、俺はごろんと背を預けて手招きした。 「夷澤、こっち来いよ」 「………は?」 「一緒にお昼寝しようぜボーイ」 「はァッ!? アンタ脳味噌沸いてんすかッ!? この寒い中なんで屋上で昼寝なんか」 「くっついてれば暖かいって。……いーじゃん、こーいう風に普通に会えるのもあとちょっとなんだし。せっかくこーして会えたんだからいちゃいちゃしよーぜ」 「……………………」 怒るかな、と思ったけど、夷澤は顔を赤くしながらむすっとした顔をしながら俺の横にやってきて、ごろんと俺の方に寄りかかって寝転んだ。 ……うっわ可愛いなぁ〜、夷澤お前どーしてそんなに可愛いんだ。その意地っ張りなとこと素直なとこの混合比率の絶妙さったらないよな。 でもあんまり猫可愛がりすると引っかかれるから、俺は夷澤の男のプライドを刺激しないよーにぐいっと抱き寄せて顔を摺り寄せるぐらいにしておいた。夷澤の好みは基本男らしく、たまに自分を立ててもらいつつ、っていうのだからそれっぽく。 夷澤はしばらく黙って俺に抱き寄せられてたけど、しばらくしてぼそっと言った。 「九龍さん。アンタ……卒業したらどうするんすか」 「え?」 それ前に言わなかったかな、とちらりと思って、そういえば夷澤にはそういう話は全然してなかったことに気づく。夷澤とはこの学園にいる間どんなことをするかとか、どんなことをしたいかとか、そういう話しかしてこなかった。 そんなことを聞いてくるってことは、夷澤も未来ってのを考えるようになったのかな、とか思いながら答える。 「宝探し屋に戻るよ。宝を求めて西へ東へ」 「………あのオッサンと一緒に仕事したりはしないんすか」 「あのオッサンって……アムさんのこと?」 そーいう言い方はかわいそーだなー、と思いながら聞くと夷澤はぷんとそっぽを向いてしまう。うわ、かわゆ! と思いながらぽんぽんと背中を叩いた。 「アムさんと別れるにしろ付き合い続けるにしろ、俺はアムさんと一緒に仕事はしないよ。お互いのやろうとしてる仕事が全然違うもん」 「……夕薙先輩とは?」 「え……」 俺は一瞬言葉に詰まった。ナギ。ナギは体が治りさえすれば俺と一緒に行きたいと言った。 そして俺はそれを拒めない。嬉しいと思ったんだ、ナギが、この学園でできた仲間が一緒に来てくれたら。 だけど、その申し出は現在の状況では、まるっきり意味が違ってくる。 「……どうなんだろうな……」 俺は小さくため息をついて敷地内に広がる木々を見つめた。桜が花開くまであともう少しというところだろう。 「俺はさ……よくわかんないんだ。どっちを選べばいいのか。そもそも、俺が選ぶってことが正しいのかどうか」 「……アンタ以外に誰が選べるっつーんすか」 「俺のことなんだから俺が選ぶしかないんだろうってのはわかってるけどさ。……考えれば考えるほど、なんか……」 「なんか……なんすか」 「……………―――――」 俺は途中で言葉を切った。なんだか言葉をそのまま続けたらすごく嫌なことを言いそうだったからだ。 ――俺には二人とも、もったいない人なんじゃないかって思う、なんてことを。 「……どーにかして二人一緒にうまいことつきあっていけないもんかなー」 ごろり、と屋上に寝転がる。夷澤が呆れたような声を出した。 「アンタ結局それか? 卒業してもまだフラフラする気なんすか」 「フラフラっつーか……」 「それなら、もう一年留年してこの学校にいればいいじゃないすか」 「……え?」 「俺と一緒に卒業しませんか、九龍さん。俺ならアンタがどこ行こうとついていってあげますよ」 夷澤が俺の顔をのぞきこんで言う。見た感じだと、真剣な顔で。冗談ごとじゃない顔で。 俺はしばらくじっとその顔を見返し――ちょっと笑った。 「夷澤、俺を落としたいんなら本気の本気でなきゃーダメだぜ」 「…………なんだ。わかってたんすか。冗談だって」 夷澤も笑う。俺は笑ったまま軽く夷澤をつついた。 「そりゃわかるよ。お前が本気なら絶対命令調になるはずだもん。してくれますよね? って当然のよーに言うの」 「そりゃそーか。……ま、俺も来期生徒会長になることが決まったし、九龍さんもぶっちゃけもー用なしっすけどね」 「うっわなっまいきーこいつー」 「生意気でけっこーっすよ」 軽くつつき合いながら、お互い笑う。 ―――そう、本気の本気じゃない。夷澤はたぶん、俺と一緒に過ごしたこの一ヶ月で、少しずつ諦めを積み重ねていったんだ。 だから、あの夜みたいに、暴走するほど俺のことをほしい、とは思ってない。 だけど。その言葉の中には。確かにひとかけらの、容赦ないほどの本気があった。 ―――ざわり、と、俺の体の底に熱がざわついた。 「夷澤?」 「―――なんすか?」 「こっち向いて」 「な―――」 俺はぐい、と夷澤の頭を引き寄せてキスをした。舌をめちゃめちゃ絡めまくった、そりゃもー初心者は腰砕け間違いなしってくらいの強烈なやつを。 それを瞳をおっぴろげて受け、宙に持ち上げられた腕がへたへたと下に下りるのを見てから、俺はちゅっ、と軽く唇を吸って離し笑いかけた。 「これは夷澤が俺のこと好きだった分、な」 そして呆然としている夷澤を置いて立ち上がり屋上を出て行く。 しばらくすたすた歩いてから、はぁぁぁぁ……とどっぷり気分を落ち込ませてしゃがみこんだ。 「……なにやってんだろ。俺……」 「――どうだ、九龍? 考えてみて、なにかわかったか?」 瑞麗先生の静かな問いに、俺は迷いながらも答えた。 「……一応」 「ほう。ならば聞こう。お前にとって鴉室は、夕薙は、どういう存在として在る?」 「……………………」 俺は言うべきかどうか、また少し迷った。正直、出てきた結論っていうのがまたすっげー人でなしなものだったからだ。 でも、言わないわけにもいかない。俺はぽそぽそと声を出した。 「……アムさんが、好きな人、で」 「で?」 「……ナギが、好みの、人」 「………………」 ルイ先生は少し黙った。そりゃそーだよなー、一日考えて出た結論がそれかよって自分で呆れるもん。 でも、瑞麗先生は怒りも眉をひそめもせず、落ち着いた声で言った。 「夕薙のどこが好みなのだ?」 「え……あの、顔も、体も、性格も……」 「お前の好みはああいう男なのか? ああいう男を相手に選んできた?」 「え?」 そう言われて俺はちょっと考え込んだ。それから首を振る。 「ううん。俺は好みで相手を選んだことってない」 「ほう。ではどういう基準で?」 「……誘われて……」 ――ぐら、と一瞬頭の中がぐらついた。 慌てて頭を振る。なにやってるんだ俺、別におかしな質問じゃないだろ? 「……したら相手が気持ちよくなってくれる、って思ったら」 「ほう。相手が微塵も好みでなくても?」 「ていうか……俺、基本的に好みってないんだよ。ナギは会って話してるうちになんか好み、って思ったけど。相手のことがある程度好きで、俺で気持ちよくなってくれるって思うんなら男でも女でも――」 「では、なぜ鴉室とは恋人になって他の人間とはならなかった?」 「………それは―――」 なんでだろう? なんでだろう、なんで俺はアムさんが、洋介さんが好きって思うようになったんだろう。わからない、わからない、なんで? ルイ先生は静かに俺の方を見つめている。俺は頭をぐるぐる回らせる。―――なんで? 「………――アム、さん、は………」 なにか言わなきゃ、と必死にぐるぐるする頭を動かして、言葉を搾り出す。 「―――仲間なのに、俺に、好きのこもった、キス、してくれたから………」 「………ふむ」 俺がなんとか口にした言葉に、瑞麗先生はふー、と煙管の煙を吐いて俺に向き直った。 「九龍。君はつまり、相手のことがある程度好きならば誰とでもセックスをするのだな?」 「う………うん………」 俺が渋々うなずくと、ルイ先生はなぜか小さくうなずいて、言う。 「九龍。お前は過去に、誰かに置き去りにされて寂寥感を味わったことはないか」 「―――え?」 「そしてその時、周囲に。夕薙に似た人間は、いなかったか?」 瑞麗先生の目がこちらを見ている。静かな、怖いくらい落ち着いた瞳で。 俺は答えなくちゃと口を開くんだけど、どうしても言葉が出てこない。 なんで? なんでだろう? なんでなにも言えないんだろう? 言わなくちゃ、言わなくちゃいけないのに、早く早く早く早く――― ルイ先生の瞳は、じっと俺を見つめている。 「師匠ッ!」 「隊長!」 「我ガ王!」 保健室から出てふらふらと歩いているところに声をかけられて、俺は笑顔になった。 「なんだ、マリやんに砲介にジェフティ? 三人揃ってどーしたんだよ?」 「隊長をお探ししていたでありマスッ!」 「もうすぐ卒業だ、真剣勝負も終わったことだし。久方ぶりに稽古などしてはどうかと思ってな」 「へぇ……そーだな。久々に体動かすか。ここんとこ訓練サボってたし」 「……こういう、授業が終わったあと当たり前のように隊長と訓練する機会も、残りわずかなのでありマスナッ……」 少し砲介が身を震わせる。可愛いなぁ、と思って俺は後ろから砲介に抱きついた。 「! わ、た、隊長ッ!?」 「ほうすけぇー……お前ってほんっとーにかっわいーなぁ!」 「た、隊長ッ! 自分などのようなものニッ……」 「師匠! やめぬかこのようなところで!」 「我ガ王ヨ……何故アナタハ僕ニッ……」 騒がしくて、楽しい生活。一緒にいて楽しい相手。 それは砲介たちも一緒で、むしろこっちの方が強いんじゃないかって思うくらいなのに――どうして、こいつらを恋人にしたいとは思わないんだろう。 そんなことを考えながら廃屋街に向かっていく途中――俺は硬直した。 「師匠? どうした?」 「隊長ッ!? いかがなされたのですカッ!?」 「我ガ王……?」 俺は完全に硬直したまま、にやにや笑いを浮かべてこちらに近づいてくる人影を見ていた。その人影は、ざっと俺を守って前に立ちはだかるマリやんたちなんか気にもせず、俺に向かい手を上げる。 「よう、我が愛しのクソガキ」 俺はその時になってようやく言葉を発することができた。 「―――親父ッ!!?」 |