親父はにやにや笑いながらすぱー、と煙草の煙を吐く。 「なにやってんだよ学園内は基本的に禁煙だぞ! っていうかどうして親父がこんなとこにいるんだよ!?」 「うっせぇなぁ細かいことぐだぐだ言ってんじゃねぇよ」 騒ぎ立てる俺にぴ、と親父はまだ半分も吸っていない煙草をぴっと指先だけで放り捨てる。 「迎えに来てやったぜ、クソガキ」 「―――え?」 俺は呆然として親父を見つめた。 なんだって? 迎えに、来たって? 「仕事だ。てめぇもちったぁ成長しただろうから猫の手ぐらいならなれんだろ。三日待ってやる。その間に面倒ごとを片付けな」 「親―――」 「じゃ、俺は近くのホテルにいるぜ。久々に日本人の若いねーちゃんでもナンパするとすっか」 わははは、と豪快な笑い声を上げて、親父はあっさり背を向ける。――俺になんかほとんど目もくれずに。 「おや………」 親父。 そう叫びたかった。怒鳴りたかった。俺の方を少しでもいい、向いてほしかった。 だけど、親父は俺の方など見もせず、気にも留めず、さっさと姿を消してしまっていた。 「…………………………」 「し、師匠……」 「隊長ッ……」 「我ガ王……ドウナサッタノデスカ!?」 「え……」 俺は声をかけられてようやくそばに仲間たちがいたことを思い出した。はっとして気合を入れて笑って言う。 ――気合を入れないと笑えなかったんだ。今まで俺は、いつも当たり前に心の底から笑うことができていたのに。 今はただ、必死に作り笑いを浮かべるしかできなかったんだ。――行かなくちゃ、という思いでいっぱいで。 「―――なるほど」 ルイ先生は軽く肩をすくめた。 「つまり君は、父親がなんの前触れもなしに唐突に、『仕事だから来い』と言っただけで、現在のおかれている状況も悩みもすべてとっちらかして、『行かなければ』と思ってしまったわけだな?」 「うん……」 俺はのろのろとうなずいた。いつもの瑞麗先生の保健室。だけど今日は少し、暗いような気がする。 天気のせいだろうか。それとも――俺が目の前が見えないほど暗くなってるから、そう思うんだろうか。 「それはどういう感情だ。急き立てられるような? 怖いものがやってくるような? それとも、喜びに満ちていたのかな?」 「……わかんない。ただ、俺はそうしなくちゃって思ったんだ。そうするのが当たり前みたいに。今の状況放り出しても、行くのが当たり前みたいに」 「ふむ」 ルイ先生は背もたれに大きく背を預けてギィと鳴らした。俺は正直いたたまれない思いで座ってうつむいている。 俺はおかしいんじゃないだろうか。昨日まで、親父が来るまで必死にナギを選ぶかアムさんを選ぶか悩んでたのに。 親父が来たとたん、それを全部放り捨てて『行かなくちゃ』って気持ちでいっぱいになるなんて――本当に人として、変じゃないかと思う。 ルイ先生は煙管を口に咥え、ふーっと煙を吐いた。それから俺の方を見つめる。 「九龍。この前の問いの、答えは出たか」 「え……?」 「過去に誰かに置き去りにされて寂寥感を味わったことはないか。その時周囲に夕薙に似た人間はいなかったか」 「…………なんで、そんなこと」 聞くんだろう。 ルイ先生は軽く肩をすくめて、俺と視線を合わせる。 「セックス依存症にはいろいろな原因がある」 「……はぁ!?」 なんなんだ唐突に。 「基本的にはなんらかのストレスや落ち込みなど心理的な問題を抱えている状態で、それをセックスによって救われるという経験をする。その時の快感を求め、ストレスからの脱出のため、自分を取り戻すため、生きている充実感を得るため、存在価値の証明のためにセックスをするのだ」 「……俺が、セックス依存症だって言いたいの? 俺、別にセックスしなきゃ生きていけないってわけじゃ」 「それはわかっている。――だが、君はセックスを、愛し合うために行っているわけではない」 「え――」 「半分は存在価値の証明のため。もう半分は相手を繋ぎ止めるためだ。君はどこかで自分がとても価値のない存在だと考えている。だから誰にでも親切にするし、辛い人がいればその人が立ち直らせようと努力するし、追ってきてほしい者にはどこまでも追っていく。そうすれば自分に少しでも価値があるように感じられ、相手がそばにいてくれるかもしれないと思うからだ」 「ちが……」 俺は首を振ろうとする。けれど瑞麗先生は容赦がない。 「違わない。君は根本的なところで他人を信用できていない。他人がいつかどこかへ言ってしまうのではないかと怯えている。だから繋ぎ止められるならばなにをしてでも繋ぎとめておこうと思うんだ」 「や……」 俺は聞きたくなくて耳を押さえた。でも瑞麗先生はそんなものあっさり無視できるほどよく通る声で言う。 「もう一度問う。君は、過去に、誰かに置き去りにされて寂寥感を味わったことはなかったか?」 嫌だ、聞きたくない。 「その時周囲に夕薙に似た人間はいなかったか?」 聞きたくないってば! 「―――それは―――」 ルイ先生が次の言葉を言った瞬間、俺は胃からこみ上げてくる酸っぱいものに口を押さえた。胃酸が喉を嫌になるほど焼く。 ルイ先生がさっとバケツを差し出してくれたので俺はその中に吐いた。たまんなく気持ち悪かった。 思い出したくないんだ。考えたくない。ルイ先生の言った言葉なんて忘れたい。 だけど、ルイ先生が最後に言った。 ―――それは、お前を置いていった人は、お前の父親ではないか?――― その言葉は、俺の脳に焼き付いて、離れそうになかった。 「やー坊ちゃま、ご用ってなにかなー? おやおや、生徒会メンバー全員お揃い?」 「……坊ちゃまはやめろと言ったはずだ」 「だってあもちんやめろっつったのお前じゃん」 「普通に名前で呼べと言っているのだ!」 そんな風に軽く言い合いしながら、俺は席に着いた。阿門邸の晩餐の席、副会長を除いた生徒会メンバーズも全員揃っている。 「咲ちゃん、ミッチー、夷澤、元気だったかー? なーんか久しぶりって気ぃすんなー」 「うふふ、九龍くん、相変わらず元気ね」 「龍さん、お久しぶりというには日があまり経っていませんよ」 「…………どーも」 夷澤だけなんだか反応が悪い。ちょっと奇妙に思って、それから思い出した。ヤベェおとといべろちゅーしたばっかだった。 ともかくも晩餐会は始まった。どれも味は絶品といっていい。 「さっすが厳十郎さん、いい腕してますねー」 「ありがとうございます。お口に合ったなら何よりです」 サービスもこれ以上ないくらい見事。実際いい仕事してるよなー。 そろそろデザートに差し掛かった時、帝等が口を開いた。 「――葉佩九龍」 「んー? なにー?」 「お前は卒業後、父親と共に仕事をすると聞いたのだが、本当か」 「―――――」 その言葉に、俺は表情筋も体も、全てを凍りつかせて固まった。 「……本当のようだな」 「……なんで……そんなこと、言うの?」 「真里野から聞いた。――お前が卒業後どうするかは我々の知ったことではない。好きにすればいい。だが、もしお前が、仮に、我々に助けを求める必要があると思うのであれば――」 「あーッ、うざってぇな! んなことグダグダいったってしょーがないでしょーがッ」 夷澤ががっと立ち上がり、俺を睨む。俺はまだ硬直したまま夷澤を見返した。 「あんた、親父さんと一緒に行きたくないんじゃないすか」 「―――え?」 夷澤は俺を睨みながら、早口で、強い感情をこめて言う。 「あんたの様子がおかしかったって聞いたんすよ。――親父さんと会ったあと。逃げ出したそうな顔してたって、聞きましたよ」 「―――――」 「九龍くん――あたしたちはあなたが苦しんでることがあったら助けてあげたいのよ。あなたはあたしたちを助けてくれたでしょう?」 違う。違う違う。 「龍さん。あなたは我々の張り巡らせた壁を突き破って救ってくれた。今度は我々が一歩を踏み出してみても悪くはないでしょう?」 違う、違う、違う違う違う! 「九龍さん――俺は」 やめろよ――そんな目で見るな――― 「あんたが、心配なんすよ。――もう、お別れなんだから」 「―――――」 お別れ。 それを聞いたとたん、俺は夷澤のところへと飛び――夷澤にキスをした。思いきり深く。 レろれろくちゅじゅぷくちゅちゅぴちゅぷ――― しばし呆然とした空気が流れ、しばしの後俺の腹に強烈なボディブローが放たれた。俺はごふっと息を吐く。 「なにすんですかッ! あんた、まともに俺の話聞いてんのかッ!?」 「―――――」 俺はたまらなく、ひどく怖い気持ちで夷澤のその顔を見つめ―― 後ろを向いて駆け出した。 |