j'aussi〜感情同調
『ジェフのバカ!!!』
 エクスクラメーションマークを十個はつけたいような勢いで怒りながら、トニーはずかずかと歩いた。行き会う人々がそのあまりの勢いに道を譲るのもほとんど意識せず、もうすぐクリスマスということで派手やかに飾りつけられたフォーサイドの街を闊歩する。
『ジェフのバカ!! 鈍感!! 人の気も知らないで!!』
 顔を真っ赤にしながらトニーは早足で歩く。苛立ちに任せて。そうでもしないと怒鳴ってしまいそうなくらい、苛々して――そして惨めで、悲しかったのだ。
『デート……すっごい、すっごい楽しみにしてたのに………』
 じわ、と浮かびそうになる涙を、トニーはぶるぶると首を振って堪えた。

 ことの始まりは二週間前だった。現在トニーの通う専門学校(調理師の)がクリスマス休暇に入ったら、家や研究室に帰る前に、街でデートしないかとジェフから誘いがあったのだ。
『もうすぐクリスマスだろ? 一緒に街を歩こうよ。ボーナス出たから、ちょっといいとこで食事してさ』
 アップルキッドの作った会社とはいえ一足先に社会人として働いていることを実感させるジェフの言葉に、トニーは(見えないのはわかっていたけれども)勢いよくうなずいた。
「うん! する、絶対する! 絶対しようね、デート!」
『……なんだかすごい勢いでうなずいてるのが見えてきそうな声だな』
「……えへへ、わかる?」
 照れつつも肯定すると、ジェフはからかいを含んだ、けれど優しい声で言う。
『そんなにデートの誘い、嬉しかった?』
「……だって、デートなんて、すごい久しぶりじゃないか」
『そうだね……』
「会うのだって一ヶ月以上ぶりだし。……ぼく、すっごく、すっごくジェフに飢えてるんだからね」
『会うのが嬉しいような怖いような。お手柔らかに』
 くすりと笑われて、トニーは思わず頬を膨らませた。
「ジェフはぼくに会いたくないワケ?」
『……会いたいに決まってるだろ。夜一人で研究してる時とか、何度も『トニーに会いたい』って思ったよ』
「ジェフ……」
 ほっとしたのと嬉しいのとででれりと顔が崩れる。ジェフはとろけそうなくらい甘い声で囁いた。
『一ヶ月ぶりなんだ、覚悟しといてくれよ? トニーがもう勘弁してって泣いて許しを請うくらい、いっぱいしてあげる』
「うわ……」
 ぼっ、と顔が一気に熱くなる。嬉しいけど、すごく嬉しいけどこういうのは死ぬほど照れる。
「……ジェフのむっつりスケベ」
『究極にいやらしい体してるトニーに言われたくないな』
「究極に……ってなんだよそれっ!」
『ここで言っていいの?』
 クス、とわずかに欲情のこもった笑い声で言われ、トニーは思わず体を熱くしながらもうーうー唸って「それはやめて」と言った。
『了解。僕もどうせなら君の目の前で言ってあげたいしね。じゃ、二週間後に』
「目の前でも言わないでよっ。……うん、二週間後に」
 そうして電話を切った時は、ただ幸せで体中が一杯だったのだけど。
 翌日、機嫌のよさを垂れ流しにするトニーに、専門学校の同級生の女性が聞いたのだ。
「トニーくん、すっごい機嫌いいねー。なにかいいことあった?」
「え、わかるぅ? 実はさぁ、二週間後恋人がこっちまで来てくれるんだよねー。で、デートしようって。今からもう楽しみで楽しみで……」
「あーなにそれ、うっらやましー。いいなーこのぉ」
「えへへへ」
 そこまでは満面の笑みを浮かべていられたトニーだったが、次の言葉に固まった。
「トニーくん最近逞しくなったっていうか、カッコよくなってきたもんねー。彼女も惚れ直しちゃうよ、憎いねこのぉ!」
 ――それは、自分が当然のようにヘテロセクシュアルであると考えているがゆえの言葉だ。
 当然だ、トニーはこちらでは自分の性癖を明かしていない。隠すことでもないが、自分のセクシュアリティなど堂々ということでもないし、無用の軋轢を避けるためもあった。
 だから、その女性の言葉はヘテロの恋人を持つ男にしてみれば褒め言葉と言っていいのだけれども。
 トニーにしてみれば、強烈なショックだった。逞しい? そう言われてみれば最近腕が太くなってきたような気がする。当然だ、毎日重い鍋を振り回しているのだから。料理人には体力が必要だと誰もが言っている。
 だけど、自分は。ジェフという男の恋人を持ち、しかも交わりの中でも普段の生活の中でもいわば女役をしている自分は。逞しいとか、カッコいいとか、そんな風に思われたいわけではないのだ。
『――ダイエットしなくちゃ』
 トニーは誓った。痩せなくちゃ。二週間後のデートまでに腕もっと細くして、ほっそりした体型取り戻さなくちゃ。
 だってぼくは、ジェフには可愛い≠チて思われたいんだもん。
 そしてトニーはその誓いを実行した。食事の量を減らし、痩せるような運動をし。自分の知識をフル活用して、腕や足の肉を落とせるよう腕足にラップを巻いて長く風呂に入ったり痩せるマッサージをしたりと奮闘した。
 クリスマス前ということで専門学校も忙しく、体力を使う料理をいくつも作ったし睡眠時間も少なくなったけれども、それでもトニーは食事制限をきっちりと守った。肌の艶が悪くなっては駄目だからビタミン豊富な野菜も取って、栄養が偏るようなことがないよう少ない睡眠時間を削って計算して。
 それもこれも全部、ジェフに『可愛いね』って、欲を言えば『前より可愛くなったね』って言われたいから。
 誰よりも好きな人に、可愛いって、きれいだって思ってほしいから。
 だから必死にトニーは頑張った。体重を落とし、腕を足を細くした。その分専門学校での授業はきつくなったけど、そんなことはどうだっていい。
 頑張った甲斐あって、トニーはデートの日には目標体重&目標体型をクリアした。肌の艶も許容範囲内、この日のために服も買ったし、体のあちこちのお手入れもしっかりやった。
 あとはジェフを待つだけ、とトニーは喜び勇んで待ち合わせ場所に立った。待ち合わせ場所はフォーサイドメインストリート突き当りの公園噴水前。
 自分と同じように人待ち顔の男女がそこにはうじゃうじゃいたが、トニーはそんなこと少しも気にしていなかった。自分はどこにいたってジェフを見落とすなんてことありえないのだから。
 ジェフ、早く来ないかな、ぼくのこと可愛いって思ってくれるかな。そんなことを思いながらうきうきとトニーはジェフを待った。
 ――おかしいな、と思ったのは待ち合わせ時刻を一時間過ぎてからだった。いっこうにジェフは現れる気配がない。
 携帯でジェフの携帯に連絡してみた。お決まりの『電波の届かないところにいるか……』というメッセージ。
 一応ジェフたちがいるはずのアンドーナッツ研究室にも連絡してみた。誰も出ない。
 ため息をついてトニーは待ちの姿勢に入った。噴水のふちに腰掛けようとし――動きを止める。
 今のトニーの服装は白のダッフルコートにストール。寒さにはスノーウッドで慣れているが、コートがなければ凍えてしまうような寒さだ、コートを脱げるわけがない。
 だが、そうなると。どこかに腰掛けては、このおろしたてのコートが汚れてしまう。
『―――駄目だ、そんなの』
 トニーは首を振る。普段ならともかく、今日はジェフとめちゃくちゃ久しぶりのデート。顔も体も服装も、この日のために選び磨き上げてきた。それに一点でも曇りがあるのは、嫌だ。
 なので、トニーは立ったまま待つことにした。トニーは昔からさほど体力のあるほうではなく、ずっと立っているとしょっちゅう立ちくらみを起こしたりするほうだったのだが、そんなことはこの際どうでもいい、気力でなんとでもなる。
 遅くなってごめんと駆けてくるジェフに、にっこり可愛く微笑んで、会いたかったよって言って。ぎゅってしてもらって。その服可愛いねって、前より可愛くなったねってジェフに言ってもらうためなら、このくらい、なんでもない。
 そのために自分は二週間、必死に頑張ってきたんだから。
 太陽の位置がおそろしくのろのろと移動するのを、トニーは立ったまま待った。しばらく太陽が雲に隠れて冷たい風が体に吹き付けることも頻繁にあったが、それでも座ることもどこか暖かい場所に移動することもせず、ひたすらに。いつジェフが現れても、最高の笑顔を見せられるよう注意しながら。
 寒風が何度も吹きつけ、トニーの体から体温を奪う。手足がどんどん冷えていくのがわかった。立ちくらみだろうか、頭がなんだかくらくらして、倒れそうになる。
 でも、堪えなくちゃ。ジェフはまだ来てない。ジェフに可愛いって、会いたかったよって、好きだよって言ってもらうんだから、絶対絶対、言ってもらうんだから――
 そう自分に言い聞かせて震える体を叱咤しつつ太陽を見上げる――と、そのとたん景色が歪んだ。
 え? と思う間もなく世界がぐらんぐらんと揺れて横転する。夜にでもなったかのようにどんどん暗くなっていく。
 ああ、揺れてるのは世界じゃなくてぼくの方なのか――そんな思考を最後に、トニーの意識は闇に沈んでいった。

 ぽかり、と目を開けると、少し汚れた白い天井が見えた。どこだろうここは、と思う暇もなく、ひどくむすっとした声がする。
「起きたのか、トニー」
「ジェフっ!?」
 ばっと上体を跳ね起こすと、目の前にひどく苛々とした表情のジェフの顔が見えた。驚いて身を引くと、腕から伸びる管がぷらぷらと揺れる。
 ――点滴?
 わけがわからずトニーが目をぱちくりさせると、ジェフはひどく不機嫌な口調で言った。
「いつから記憶がある?」
「え、えっと、待ち合わせ場所で立ってて、それで……」
「そこで倒れて君は救急車で運ばれたんだよ」
「そうなの!?」
「特発性起立性低血圧。――早い話が寒い中ずーっと立ちっぱなしだった上に疲労が蓄積してたせいで気を失ったってことだそうだよ」
「そ、そうなの?」
「――なにか言うことはあるかい、トニー」
 じろりと睨まれ、トニーは思わず小さくなる。
「ごめんねジェフ、ぼくのせいでわざわざこんなところまで来させたりとか、迷惑かけちゃって――」
「――そうじゃないだろう!」
 ジェフが突然大声で怒鳴り、トニーはびくりと震えた。
「君は僕を馬鹿にしてるのか? いまさらそんなことで僕が怒るはずないだろう! 僕が腹が立ってしょうがないのは、君が具合が悪いっていうのにあんな寒い中でずっと立ちっぱなしで待ってたってことだよ!」
「え……」
「君だって僕が忙しい時には連絡が取れなくなったりするのは知ってるだろう!? ……そりゃ、連絡ができなかったのは悪いと思うけど、それを知ってるのにどうしてちゃんとした場所で休もうとしなかったんだ!」
「…………」
「もういくつになったと思ってるんだまったく! 少しは自分の体調とか周囲の状況とか、そういうものをちゃんと考えて――」
「なに、それ」
 トニーはぼそりと、低い声で、押し出すように言った。ジェフがきゅっと眉根を寄せる。
「なにって、トニー、君ね――」
「なんで、ぼくが、そんなに怒られなきゃいけないの?」
 トニーはのろのろとベッドから降り、きっとジェフを睨んだ。
 腹が立った――思いっきり。ジェフに会う時のために費やしてきたエネルギーが、そのまま怒りに変わったかのような勢いで腹が立った。
 ジェフが少し驚いたような顔をして、それからまた顔をしかめてトニーを押しとどめようとする。
「なにやってるんだ。君は自分の体調がわかってるのか? こっちにいくら心配をかけたら気が済む――」
「別に、お義理で心配なんてしてほしくないよ」
 ぶっきらぼうに言って、ぐいっと点滴の注射針を抜いて放り捨てる。そのまますたすたと歩き出すとニーの腕をジェフはつかんだ。
「――おい! どこへ行く気なんだ、勝手に点滴の針抜いて!」
「ジェフのいないところ」
「……はぁ!? 君はなにを――」
「ジェフにしてみればぼくは馬鹿で頭悪くて勝手なことばかりして心配かける奴なんでしょ? だったらそんな奴そばにいない方がいいじゃない」
「……トニー、君ね、ふざけたことばっかり言ってないで――」
「ふざけてて悪かったね!!」
 ぎっ、とトニーはジェフを睨みつけた。凄まじい怒りをこめて。ジェフが思わずといったように一歩退くのすらたまらなく腹立たしく、腹の底から飛び出る言葉をそのまま叩きつける。
「ジェフにとってはぼくの言ってることやしてることなんてみんなふざけたことなんだね! ぼくが今日ジェフに会うためにどんなに頑張ってきたかなんてぜんぜんどうでもいいことなんだ! ぼくが必死にダイエットして、スキンケアしてヘアケアしてネイルケアしてお洒落して、ジェフにちょっとでも可愛いって思ってもらうためにどんなに頑張っても――そんなのどうだっていいことなんでしょ!?」
「……トニー?」
 ジェフは呆然としていた。それが自分がまるで見当違いのことを言っているという主張のように思えて、トニーは拳を握り締める。
「わかってるよ、どうせぼく一人が空回ってるんでしょ? ぼくがどんな格好しようとジェフはどうだっていいんだもんね! おろしたてのコート汚したくなくてジェフと少しでも早く会いたくて、どんなに待ち合わせ時間から遅くなっても連絡取れなくっても、ぼくがずーっと公園に立ちっぱなしだったのだって、ジェフには全然興味ないことなんだよね!」
「ちょ……トニー――」
「勝手に空回って先走って迷惑かけてどうもすいませんでした! もう迷惑かけないよごめんね!」
 言い捨ててだっと部屋の外に飛び出す。「トニー!」という叫び声と足音が聞こえてきたが、ちょうど救急車から運ばれてきたのか何台ものストレッチャーがトニーの後方を塞ぎ、その騒音に紛れてすぐ溶け消えた。
 トニーは全速力で病院を走りぬけていったからだ。病院の外へ、ジェフから遠くへと。心の中で何度も『ジェフのバカ!!』と叫びながら。

 腹立ちのままにコートもなしで寒風吹き付けるフォーサイドを闊歩していると、次第に頭が冷えてきた。
 なにを腹を立てているんだろうぼくは。ジェフが無神経なのはいつものことじゃないか。こんなことで腹を立てたってどうしようもないだろうに。
 第一ジェフと一ヵ月半ぶりに会えたっていうのに――なんで喧嘩しなきゃいけないんだろう。
「………はぁぁ……」
 トニーは深々とため息をついた。しょうがないよね、たぶんぼくの方がいっぱいジェフのこと好きなんだろうから。
 わかってはいるんだけど……悔しいなー。
 はぁ、と再度ため息をついたところにひゅるるるると冷たい風が吹き、トニーは身を震わせた。このままでは本当に風邪を引きかねない。けれど携帯も財布もコートの中、ジェフに連絡するどころか部屋に帰ることすら不可能だ。おまけに腹立ちのままに闊歩してきたから病院までの道すら覚えていない。
 仕方ない、ここは交番でも探してそこから電話をかけさせてもらうかと息を吐いた時――
「トニー!」
 叫び声と同時にがっしと左腕をつかまれた。反射的に暴れかけた右腕もつかまれ、足を振り上げられないようにか体を密着させられ、がっしとはがいじめの格好にされた耳元に囁き声が響く。
「――探した」
「――ジェフ!?」
 驚いて振り向いた肩にはいつの間にかコートがかかっていた。わざわざ持ってきてくれたのだろうか。ジェフが、この重いコートを。
 目の前にジェフの顔がある。わずかに息を荒げ、頬を紅潮させ、きっとこちらを睨みつけるその視線は激しい。
「――トニー」
「う……は、はい」
 トニーは思わず小さくなった。落ち着いて考えてみれば自分の方が悪いに決まっているのだ。ダイエットしたのも外に立ちっぱなしだったのも自分の勝手。それで倒れられて当たられてはジェフも怒るだろう。
 だから怒声を覚悟してきゅっと身を縮めていたのだが――
「……ごめん」
 そう頭を下げられて、驚いた。
「え……ジェフ?」
「……悪かった。君がどんな思いであそこに立っていたのかも知らないで、頭ごなしに怒鳴りつけて。元はと言えば僕がちゃんと連絡しなかったせいなのに。本当にごめん」
「や、そんな、別に、それはぼくが悪いんだし……」
 しどろもどろになるトニーに、ジェフはふぅ、と小さく息をついた。
「急な仕事が入って。連絡する時間もまともに取れない、っていうか時間を忘れて突貫作業しなくちゃならなくて。なんとか一段落ついたと思ったら携帯に何度も着歴はあるわメールは入ってるわ、おまけに病院からトニーが倒れたって連絡は入ってくるわでもうめちゃくちゃ焦って……」
「う……ご、ごめん」
「必死に急いできてみたら君は真っ青な顔して点滴されてるし。寒い中立ちっぱなしだったんだろうって話聞いて。つまり僕が待たせたせいで君が倒れたってことじゃないか。本当に……死ぬことはないって説明してはもらえたけど本当に心配で、めちゃくちゃ自分を責めたんだ。だから、君が目を覚ました時はそれが腹立ちの方にいっちゃって……本当にごめん」
「ジェフが謝ることないよ!」
「いや、僕が謝ることだよ。――君への気遣いを忘れて、本当にごめん」
「………ジェフ」
 謝られてトニーは思わず目にじわっと熱いものがこみ上げてくるのを感じた。嬉しいような気恥ずかしいような切ないような、たまらない感情が噴き上げてくる。
 よかった。
 そう思った。
 この人を好きになってよかった。喧嘩して、当たって、そんな自分を受け止めて仲直りしようと訴えてきてくれる、そのことがたまらなく嬉しい。
「ぼくも、ごめんね。一方的にがーって言って」
「うん。――トニー」
「なに?」
 ジェフはちょっと気恥ずかしそうに笑って、言った。
「そのコート、似合ってるよ」
「――――」
 トニーは思わずジェフに抱きついた。人目があることなんて頭から吹っ飛んで、ただジェフに、自分の好きな人に愛情を示したかった。
「――だいすき。ジェフ」
「それはどうも」
 返事はクールだ――でもそっと頭を抱き返してくれる腕は優しくて、トニーの胸はたまらなくぎゅっとなった。

「お腹すいただろ。どこでご飯食べようか」
 歩きながら話をする。言われてトニーは自分がひどく空腹なことに気がついた。
「……そういえば、ジェフ。予約とか、してる?」
「レストランの? いいや」
「……それじゃちょっといいとこ≠ヘみんな満席になってるだろうなー……」
「そうなの?」
「そうだよ。クリスマスだもん」
 といっても今日はまだ二十三日なのだが。
「――じゃあぼくの部屋に来る? なんか作るよ、材料買っていこう」
「あー……いや、それもいいんだけど、さ」
「なに?」
 そっと見上げると、ジェフはわずかに頬を染めてトニーの耳元で囁いてくる。
「――ちょっといいホテル≠ヘ、予約してあるんだけど」
 ぼっ、と思わず顔が赤らんだ。
「……はじめっからそのつもりだったわけ? そーいうとこばっか用意周到なんだもんなー、もー」
「別にそういうわけじゃないけど。どうせなら二人でゆっくり寝られるところの方がいいだろう? シングルベッドじゃ狭いよ」
 軽く笑ってそう言ってくるジェフに、トニーも笑ってしがみついた。
「ちょ、トニー」
「早く行こうよ。それで、いっぱいいちゃいちゃしよう。喧嘩の分取り返すくらい、いーっぱい」
「……はいはい。お姫様の仰せのままに」
 ジェフはちょっと微笑んで、トニーの腕にそっと腕を絡め返した。

「……ごちそうさま」
 ふぅ、と満腹して息を吐き出すトニーに、ジェフは苦笑する。
「ご満足いただけましたか」
「うん、満足満足」
「それは重畳。ていうかここまでしたんだから満足してもらえなきゃ困るけどね」
「いいじゃない、ちょっとぐらいわがまま聞いてよ」
「聞いてるだろ」
 言いつつジェフはトニーのすぐ後ろで肩をすくめた。
 ジェフの予約したホテルの部屋で、二人は夕食を取っていた。ルームサービスのクリスマスディナーだが、トニーとしては実際大満足だったのだ。
 大きなソファに腰掛けるジェフの膝を借りながら、一緒に食事できたのだから。
 膝を借りるといってももちろんずっと膝の上に乗っていると足が痺れるので、隣に座ったり足の間に座ったりしたりもしたがどちらにしろほぼ密着状態。そんな状態でトニーはジェフにディナーを食べさせてもらったり食べさせたり(『あ〜ん』というやつだ)、口移しで料理を食べさせたりとそりゃもうここに誰かいたら悶死するであろうほどの勢いでいちゃついていたのだ。
「えへへ。ジェフー」
「こら。髪を引っ張るなよ、トニー」
 しっかり密着して顔をすりよせる。シャンパンで火照った体に体温の低いジェフの体は心地よかった。
 本当に、気持ちがいい。心地いい。だって、好きな人の体なんだから。好きな人がそばにいるって証なんだから――
 恋の幸福に酔いしれながらトニーはジェフの顔を見上げる。ジェフも黙って見返す。互いの視線が絡み合い、時間の流れが絶えた。
 目の前にジェフがいる――世界で一番愛する人が。自分の目が潤んでいるのがわかる。ジェフは一見冷静な顔でこちらを見つめているけれど、わずかに震えていることからジェフも緊張しているのだとわかった。
 緊張? 違う。興奮、だ―――
 トニーは静かに眼を閉じた。すぐに自分の唇にそっと柔らかいものが触れる。何度も味わった、ジェフの唇だ。
 ジェフはちゅ、ちゅ、と唇のみならずまぶたに、鼻に頬に耳に、たくさんキスを落としてくる。そのたびにトニーは体を震わせた。ジェフの唇だと思うと、心と体が痺れるように感じる。
 ちゅ、と再び唇にキスが降りる。ジェフの唇が自分の唇を吸う。そしてその間から、ぬめぬめした分厚いもの――舌がそっとノックするように自分の唇に触れた。
 小さく唇を開けると、即座に舌が入ってくる。
「ん……ふ……」
 ジェフの舌は自分の歯の裏、唇の裏、軟口蓋硬口蓋を器用になぞる。そのたびにトニーはじゅんっと自分の体の芯が潤むのを感じる。
 ジェフにも気持ちよくなってもらいたくて、トニーも必死に舌を突き出し絡め合わせるが、ジェフに比べればどうしてもその動きは拙い。どうして経験値は同じなはずなのにこうもテクニックが違うんだろう、などと思っているとジェフの歯が軽くトニーの舌を噛んだ。
「んっ!」
 びりっ、と下半身に電流が走る。じゅわっと体の芯から潤んだものがにじみ出る。たまらずに唇を離して、はぁはぁと荒く息をついた。
 ジェフは余裕の表情で言ってくる。
「キスだけでイきそうになっちゃった?」
「バカ」
 睨むと笑って、ちゅ、ちゅ、とまたキスが落とされる。頬に、耳に、唇に。それが回数を重ねるごとに少しずつ下に降りてくるのを感じ、トニーはぎゅっとジェフの髪をつかんだ。
「ここじゃやだよ。ちゃんと……ベッドで……」
「ああそうか」
 ちっ、と小さく舌打ちされて苦笑する。相変わらずジェフにはここらへんのデリカシーがあまりない。
 ひょい、と軽々体を抱え上げられて小さく悲鳴を上げたトニーの髪に軽くキスをして、ジェフはふわりと優しくダブルベッドにトニーを下ろした。トニーは思わず頬を緩ませる。こういう優しいところも、好きなのだ。
 ジェフはベッドの上で上体を起こしたトニーに向け、そっと体を重ねる。トニーも大きく腕を伸ばしてジェフを迎え入れた。お互い軽く笑いあいながら、何度もキスを繰り返しながら、少しずつ互いの服を脱がせていく。
 こういうもどかしい時間が、実は一番ドキドキする。本番に向けて少しずつ高まっていくボルテージ。少しずつ高ぶっていく体と心の快感。いざ本番という時になるとドキドキとかそんなこと考えている余裕がないのだ。
 おもちゃ箱を開ける寸前のようにワクワクドキドキしながら、ジェフのベルトに手をかける。ジェフはしっかり着込んだシャツのボタンを、ひとつひとつ外しているところ。
 しゅるり、とベルトを抜いてホックを外し、ぐいっとズボンの裾を引っ張る。ジェフも協力して動いてくれて、ジェフは下着だけの姿になった。
 ごくり、と思わず唾を飲む。ジェフの下着の前は大きく膨らんでいて、もうなんというかやる気十分、という感じだったのだ。
 ジェフはそんなトニーにちょっと笑ってまたキスを落とし、トニーのシャツを脱がせた。
「物欲しそうな目で見ちゃって。期待してる?」
「なっ……」
「心配しなくてもたっぷりしてあげるよ。明日から休みなんだから」
「ジェフ、あのねぇ、そういうことを――むぐ」
 文句を言いかけた唇はキスで塞がれた。ちゅ、ちゅ、と軽く唇を吸い、舐め、むずむずしたところに軽く噛む、そんなテクニックを披露しながら手はズボンを脱がせている。ホントにどうしてこんなに器用なんだろう、そう思いつつもトニーはジェフの手と唇に心地よく翻弄された。
 裸にされる。
 ジェフが下着を下ろし、裸になる。
 もう何回も数えきれないぐらい繰り返した行為なのに、心臓が跳ねる。自分が完全に無防備にされ、相手も完全に無防備になるこの瞬間の恐怖にも似た昂ぶり。こんな瞬間を共有できるのは、したいと思うのは、世界中でジェフだけだ。
 たまらない思いでジェフを見ると、ジェフはちょっと恥ずかしそうに笑って、またキスをした。
 ちゅ。ちゅ。何度も唇に落とされるキス。舌を絡め合わせながらジェフの手はトニーの髪を、耳を、肌をからかうように優しく撫でていく。
「ん……はぁ……」
 トニーもジェフのキスに応えながらジェフの体を触る。ジェフの手が胸を、脇腹を、太腿を尻を撫でるたびに、体がどんどん熱くなっていくのを感じながら。
 もっと、いっぱい触って。ぼくのからだに。
 いっぱい触らせて。ジェフのからだに。
「んぅっ……」
 ジェフの唇が少しずつ下におりてきて、トニーの乳首を挟んだ。口に含みながら吸い、舐め、軽く歯を立て――いわゆる乳首を転がすという行為を何度も繰り返す。
「んく、はふぅ……」
 そしてするりと手を腰に回し――ジェフの股間を、トニーの股間に擦りつけた。
「んあっ!」
 ジェフの熱が伝わってくる。自分の熱も伝わるのがわかる。お互いの熱が、昂ぶりが伝わりあって、溶けてひとつになっていく。
 しゅ、しゅ、とジェフの手が重なり合った自分とジェフの昂ぶりを同時に扱く。ジェフの手がそんなところに触れているのだと思うと、いつものことなのに恥ずかしくて死にそうになった。
「ジェフ……ねぇ、ジェフ……」
「なに」
 ジェフの答えもわずかに荒い。
「もう、いいからぁ……」
「なにが?」
 言いながら手は休めない。しゅ、しゅ、と扱くたびトニーの体にはひどく切ない電流が走るのをわかってるくせに。
「だから、もう、ちゃんと……後ろも……」
「なんの後ろ?」
 ジェフはにやにやしながら言ってくる。言わせるつもりかこの、と睨むが、たぶんまったく迫力はなかっただろう、目が潤んでいるのが自分でもわかる。
 ジェフはにやにや笑いを崩さないまま重なり合った男の徴を扱く。このままでは達してしまいそうで、トニーは恥ずかしさを堪えて叫んだ。
「だから! お尻の……穴も! 触ってよっ!」
「はいはい」
 くすりと笑って、ジェフは扱く手を休め、トニーの後孔にちょんと触れた。
「はい、触ったよ」
「…………………」
 トニーは数瞬絶句して、それからきっとジェフを睨んだ。だがジェフは涼しい顔で上からトニーを観察している。トニーが屈するのを、待っている。
「もっと……ちゃんと……!」
「ちゃんとってどんな風に?」
「だから……っ、ローションつけて……」
「つけて?」
 ジェフはトニーの目の前で手にローションをたっぷりと取る。どこに用意してたんだそのローション、というトニーの内心の呟きなどお構いなしだ。
「お尻の、穴を……広げ……うーっ!」
 恥ずかしさに耐えきれなくなってトニーはジェフを涙目で睨んだ。ジェフは苦笑して手を上げ、ちゅっとこめかみにキスを落とす。
「ごめん。久しぶりだから、ついいじめたくなっちゃって」
「久しぶりだからってそれどういう理屈!? せっかくの仲直りのあとのエッチなのにさ!」
「ごめんってば。機嫌直して?」
 ちゅ、ちゅ、と唇に二度キス。そしてジェフの長い舌がトニーの口の中に入ってきてあちこちを撫でるに至って、トニーには機嫌を損ねている暇がなくなってきた。
 ローションでぬるぬるになった手が自分たちの昂ぶりを扱く。ぬちゅぬちゅぬちょぬちょ、というなんともいえない感触は、背筋にぞくぞくぞくぅっ! と閃光を散らすほどの威力があった。
「ね……っ、も、出ちゃうからっ……」
「出していいよ」
 悔しいことにまるで余裕の表情でジェフは答える。ローションと互いの出した粘液で互いの股間はぬるぬるのぬとぬとだ。
「や……ジェフに挿れられて、出したい、のぉっ……!」
「……あんまり可愛いこと言わないでよ。余裕がなくなる」
 余裕なんてこっちは最初っから全然ないのに、と恨みがましい目で睨むと、ジェフは少し照れくさそうに笑った。トニーもつられて顔を赤らめて笑う。
「前からがいい? 後ろからがいい?」
「……キス、しながらが、いい……」
「……ほんとに君はもう……体勢苦しいよ?」
「いいよ。ジェフがしてくれてるなら、苦しいのも、いい……」
「……あーもうほんっとに君は……!」
 まるで悔しがっているような口調で言いながらジェフはトニーの下半身を持ち上げひっくり返す。そしてトニーの後孔にぢゅ、と口をつけた。
「や! ジェフ、ってば、汚いよっ!」
「ちゃんとシャワーに入っただろ? 汚くないじゃないか」
「そういう問題じゃ、なくてぇっ……!」
「僕がしたいんだから、いいの」
 そのまましばらくちゅ、ぢゅ、と口付けられ、舌まで入れられ舐め回されて、ようやくローションでぬるぬるの指が入ってきた。
「んは……!」
 指の一、二本ならトニーはもう楽に飲み込める。中を弄られ、かき回される感覚というのは前を触られるのとは違う、辛さと紙一重の快感があった。
「ずいぶん楽に入るじゃないか。もしかして一人でしてた?」
「……ばかぁっ……」
 図星だった。一人でする時はいつも後ろも弄っていたのだ。後ろがきつくなり過ぎないようにするためと、ジェフにそこを触ってもらった時のことを考えながらそこを弄ると、前だけを弄るより気持ちよくなれたから――
「……うわ、本当なんだ……なんか恥ずかしいな……」
「ぼくはその何倍も恥ずかしいよっ!」
「ごめん。可愛いよ、トニー。……キスしていい?」
 あそこにキスした口でかぁ、などと考えている余裕はなかった。苦しい体勢で後ろを弄られながらキスされるという誘惑に、トニーはあっさりと負けて腕を伸ばす。
 ぐい、と体を曲げてちゅ、とキスをされた。――体がぞくり、と震えた。
 ジェフの唇は少しずつ体の下方向へと降り、最後にはトニーの昂ぶりを口に含んだ。たまらずトニーは悲鳴を上げる。
「や! ジェフ、やだってば!」
「なんで。僕はしたい」
「だから、出ちゃうからっ! ジェフに挿れられて、一緒にっ……!」
「……ああもうくそ、君は僕の神経を焼き切れさせるつもりか!?」
 また舌打ちして、ジェフはトニーの腰をぐいっと持ち上げる。
「挿れるよ。いい?」
 その端的な問いに、トニーは何度も首を縦に振って答えた。
「はやく、きて……!」
 言うやぐいっ、とジェフの熱い楔がトニーの体に打ち込まれた。
「んはっ……!」
 とたん、体中がスパークしたような衝撃があり、トニーの雄芯から熱いものがどろりとこぼれ出た。そんなまさか、と顔を赤らめるトニーに、ジェフは人の悪い笑みを浮かべて言う。
「後ろに挿れられるだけで出ちゃったんだ。本当に、いやらしい体してるね」
「や……そんなの、ジェフにだけ、だもんっ……!」
「……ほんっとに君は……くそ、可愛いな」
 え、と目を瞬かせる暇もなく、ジェフが腰を動かし始めた。息が詰まるような衝撃と、体の奥が痺れるような快感、それが同時に襲い来る。
「あ、や、ん、は、ふ、は」
 堪えきれず何度も喘ぎ声が漏れる。ジェフもは、は、と息を荒げるのを体中で感じ取った。
「ジェフ、ね、ジェフ、キス、キスしてぇっ……」
 たまらなくなって腕を伸ばすと、これでもかといわんばかりの激しいキスが降ってくる。舌を絡め、吸い、互いの体がねちょねちょのぐちょぐちょになって、境界がわからなくなる――
「あ、あ、ジェフ、ジェフ、あ、あーっ!」
「トニーっ……!」
 ぐちょぐちょの手で扱かれ、ぐちゅぐちゅの後孔を突かれて、トニーが二度目の絶頂を迎えた頃に、ジェフも達した。

「……そんなこと気にしてたの?」
 何度目かの情交が終わり、ベッドでまたいちゃついている時。話題が喧嘩の原因になって、腕が太くなっちゃったからジェフに可愛いと思ってもらいたくて頑張ってダイエットしたんだ、と言ったトニーにジェフは呆れたように口を開けた。
「そんなことって……ぼくには重要なことだもん! ジェフに可愛いって思ってもらいたいって思っちゃいけないわけ!?」
「そうじゃなくてさ」
 きっとジェフを睨むトニーに、ジェフはちゅ、と宥めるようなキスを落として言った。
「僕はそんなことでトニーを可愛くないなんて思ったりしないよ?」
「――え?」
「だって僕はトニー以外の人間を可愛いと思ったことなんてないんだよ? いまさらちょっと太ったり筋肉ついたくらいで可愛くないなんて思うはずないじゃないか」
 呆然とするトニーに、ジェフはちゅ、とまたキスをして言った。
「だから、無理なダイエットとかしないでちゃんと食べて体力つけること。料理人は体力が命なんだろう? わかった?」
「はい……」
 答えてから、トニーはたまらなくなってでれでれと笑み崩れた。
「えへ。えへ。えへへへへ」
「なに。不気味に笑って」
「不気味って、ひどいなぁー」
 駄目だ、どうしても顔が笑う。
「あのね、ジェフ」
「なんだい?」
「ぼく、幸せだよ。だいすき」
 でれでれに笑み崩れながらそう言ったトニーに、ジェフは苦笑して。
「j'aussi」
「え、なんて?」
「愛してるよって言っただけ」
 そう言ってキスを唇に落としたのだった。

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