「……ぼく、今年のクリスマス休暇は、寮に残るんだ」 トニーがぽつりとそんなことを言ったのは、十六歳のクリスマス休暇まであと一週間と迫った昼食時のことだった。 「寮に残る? なんで」 ジェフは驚いてそう訊ねる。トニーはどの休暇も基本的には家族と過ごす。もちろんジェフのいるアンドーナッツ博士の研究室には頻繁に遊びに来るが、家族仲のいいトニーはたまの休暇ぐらい家族に顔を見せたいといつも言っていたはずだ(そのあとに『あ、もちろんジェフが誘ってくれるならぼく飛んでいくよ!』というのが続くのだが)。 「うん……今さ、ちょっとうちの方がごたごたしてて。帰るわけにいかないんだよね」 少し顔をうつむかせて、か細い声で言うトニーにジェフはもう一度驚いた。トニーの家族には何度か会ったことがあるが、どの人もトニーのことが可愛くてならない様子の優しそうな、お互いに対する愛情にあふれた人たちだったはずだ。あの人たちが家庭内でごたごたを起こすとは、ちょっと思えない。 「深刻なのか」 低く訊ねると、ジェフは慌てたようにぶんぶんと手を振った。 「そ、そんなことないよっ!? ただクリスマス休暇には帰らない方がいいっていうだけで! 次の休暇には帰るし!」 「…………」 ジェフは訝しげな目を向ける。だったらなんでこのクリスマス休暇は駄目なのか。次の休暇には帰れることが確定している家庭内トラブルってどんなものだ? 「……じゃあ、僕の家に来ればいいじゃないか。父さんやアップルも、君が来てくれれば喜ぶと思うし」 とりあえずそう提案してみたのだが(第一恋人なのだ、ジェフ自身もトニーと一緒にクリスマスを過ごしたい気持ちは大いにある)、トニーは少し困ったような顔をして、それからはんなりと笑って首を横に振った。 「……今年はいいや。家族の団欒邪魔するの悪いし。二人にはよろしく言っておいて」 「…………」 ジェフは眉をひそめた。なんだそれは。いつも自分に誘われればめちゃくちゃ嬉しそうな顔をして「いくいくー!」と言うトニーが、あの二人にもすでに家族扱いされているトニーが言う台詞か? 正直ムカッときたし、それ以上に訝しく思った。トニーはなにか、僕に言いたくないことがあるんじゃないだろうか。 ならそれはなんだ。トニーは僕になにを隠しているんだ? 「―――じゃあ僕も寮に残る」 「え?」 トニーは大きく目を見開いた。 「なんだよ、そんな驚いた顔をしなくてもいいだろ。――寮に残るって事はガウス先輩と彬と一緒ってことだろ」 休暇に寮に残る生徒などほとんどいない。普段はガウスと、それにつきあって残る彬くらいのものだ。それを知っているはずのトニーは、おずおずとうなずく。 「その二人じゃ邪魔にされるに決まってるじゃないか。僕がいたら、そんなことはないだろ? 少なくとも僕が君の相手をしてあげられるし」 にこっと微笑んでやると、トニーはどこか愕然とした顔でまじまじとジェフを見つめ――その大きく開かれた眼から、涙をぽろぽろっとこぼれ落とした。 「お、おい!?」 昼食時、校内、それもここは食堂だ。慌てつつもハンカチを取り出して(トニーが今朝持たせてくれたやつ)涙を拭いてやる。トニーはハンカチを受け取り、目立つのもかまわずしばしほろほろと泣いた。 「……僕が寮に残るのが嫌なのか?」 そうだったらかなりショックだ、と思いながら聞くとトニーは泣きながら首を振った。 「違うんだ……ジェフ。嬉しいんだ」 「………だったら」 「嬉しくて……すごく、申し訳ないんだ」 そう言ってまたうつむいてほろほろと泣く。 さっぱりわけがわからなかった。だが周囲の生徒からあからさまに面白がるような視線は浴びせられてくる。 面倒な、と思いつつ、とりあえずじろりと周囲を睨みまわして威嚇につとめた。 自分たちも寮に残る、と夕食時ガウスたちに言うと、ガウスは子供のようにぷーっと頬を膨らませて言った。 「えー、せっかく彬と二人っきりでただれた愛欲の日々を過ごそうと思ってたのにー」 「馬鹿言ってんじゃねぇこのタコッ! ここどこだと思ってんだ寮の食堂だぞいっぺん死ね!」 バキッ、と音が立つほど全力でガウスを殴ってから(それでも席はガウスの隣から動かない)、彬はジェフたちに向き直った(周囲にはガウスのいつもの冗談と聞き流されている)。 「別にいいけどよ、お前らもちゃんと食事は作れよ。当番制だかんな」 「え? 寮に残ってる時って、二人で食事作ってるの?」 トニーが目を丸くすると、彬は顔をしかめる。 「まぁな。毎食食いに行くの、面倒くせぇし。こいつが冷凍食品じゃ栄養が偏るとか言うし。……そのくせ作る料理はゲロマズなんだぜ、ったく冗談じゃねぇよ」 「そう言いつつも食べてくれるんだよな、彬は。いやぁ、愛されてるなぁ、オレ!」 「うるせぇ勝手なこと言うな思い込みもいい加減にしろボケッ!」 またガウスを全力で殴りつつも彬の顔は赤い。バカップルだなぁ、と思いつつジェフは肩をすくめた。 「あぁ、それなら僕が全部食事作るよ。料理は得意分野だし」 トニーが言うと、二人は顔を輝かせる。 「マジか? トニー、料理作れんの?」 「うん。ジェフによく夜食とか作ってあげるし、休暇では毎日の食事も作るしね」 「そーだよなー、トニーの作る料理はホントにうまいもんなー」 「……なんでお前が知ってんだよ」 「そりゃジェフへの差し入れを横取りして食ったから……って彬クン、その顔はヤキモチ?」 「誰がだボケ思い込んでんじゃねぇよとっとと死ね変態!」 ばきぃ。 「……まぁいちゃつくのはあとでやってもらうとして。僕たちも寮に残るんで、よろしく」 ジェフが冷厳とした口調でそう言うと、彬の隣で食事をしていたウィルがいつも通りの飄々とした顔で言った。 「ああ、じゃあ僕もクリスマスまでは寮にいようかな?」 「はぁ?」 いきなりなにを言い出すのか。いつも休暇は即日旅に出てしまうほどの旅好きが。 「ここ数年クリスマスらしいクリスマスなんて過ごしたことなかったし。最近はちょっと人恋しい気分だから、クリスマスはみんなで騒いでそれから気分よく旅に出ることにするよ」 「するよって、決定事項みたいに……」 「エディ、ラルフ、ルゥ、アレク。お前らも一緒にクリスマスまで寮に残らないか?」 急に話を振られて四人は目をぱちくりさせたが、それぞれに答えた。 「そうだね。まぁ、たまにはそういうのもいいか。ラルフは?」 「俺もいいよ。まだなにも予定入ってないし」 「僕もいいよ〜。アレクもかまわないよね?」 「ちょっと、勝手に決めないでよっ。……まぁ、家に帰ってもしょうがないし、つきあってあげてもいいけどさ」 「よし、決定! クリスマスはみんなでパーティしよう!」 ウィルが笑顔でマグカップを上げると、ジェフをのぞく全員がそれに唱和するようにカップを上げた。 「……どうしてそうなるんだ……?」 ジェフはこっそり呟いたが、当然そんな声に答える人間などいないのだ。 生徒たちが家に帰る時の狂騒的なお祭り騒ぎが終わると、寮内はおそろしく静かになった。 ジェフは、生徒たちがみんな家に帰ったあとの寮が、抜け殻のように寒々しいことを初めて知った。ふだん戦場のように騒がしい寮が、住人が誰もいなくなると別の建物のように空虚に見える。 父親の研究所も人里離れた寂しい場所にあるので似たようなものかと思っていたが、誰もいない寮の寒々しさは種類が違った。広い寮の中に生きて動いているのが自分たちだけだと思うと、なんというかひどくぽっかりとした気分になる。 だがウィルと彬はそんなことを微塵も感じさせない顔で、雪の上を犬のようにじゃれあいつつ走り回っていた。雪など見飽きているだろうに、雪玉をぶつけ合いながら笑っている。彬は寒いのは嫌いだが雪で遊ぶのは好きらしい。 「おーおー、お子様は元気だねぇ」 横でガウスがそう笑った。今ジェフたちは食料の買出しをするべくウィンターズの町に向かい寮を出たところなのだ。 メンバーはジェフ・ガウス・彬・ウィル・ラルフ・エディ。トニーは料理担当ということで労役を免除され、ルゥは食べごろの冬野菜を収穫してくると農園へ、アレクは働かせるのにかかる労力の方が大きいので放っておくことに決定された。 「いつも『オレ様はまだ若ーい!』とか言ってる人の台詞とは思えませんね」 「ううう、強がっておったんじゃ実はわしはもう老人なんじゃ労わってくれぇ」 「乗っからないでください鬱陶しい」 「あはは。いつもながらジェフとガウス先輩の会話は面白いなー」 「そこにトニーが加わればまるっきり三角関係の会話が繰り広げられるんだけどな」 「人聞きの悪い上に気色悪いことを言わないでくれラルフ!」 思わず怒鳴るとラルフとエディは顔を見合わせ、くすくすと笑った。 「ジェフとガウス先輩って妙な関係だよなぁ。普段からしょっちゅうやりあってるのに仲良くて、いっつも一緒で。トニーとはまた違う仲のよさっていうか」 「そりゃそうだよ、ジェフとトニーは恋人なんだから」 「あ、それもそっか。……でもさ、トニーは二人の仲疑ったりしないのか? あんなに四六時中一緒にいるのに」 「…………」 ジェフは思わず額を押さえた。ラルフの言葉がまったく見当外れだからというのではなく、その逆だからだ。 トニーはかなり頻繁にガウスと自分の仲を疑う。というか正確には「ガウス先輩とばっかり一緒にいないでぼくのこともかまってよ!」という感じなのだが、ガウスと自分との間には立ち入れないような絆があるのではないかと半分以上本気で思っている節がある。 勘弁してくれと思うのだが、ガウスとはクラブは一緒だしいろいろ世話になってるし(迷惑もかけられているが)、でそう簡単に縁は切れない。第一こっちが離れても向こうが勝手にやってくるし。 そこのところをトニーにもわかってもらいたいんだがなぁ、とため息をつくと、がっしとガウスに肩を組まれた。 「な〜に暗い顔してるんだいマイスウィートハニー? クリスマスにそんな顔してちゃノノンノン、サンタさんに怒られちゃうゾ?」 「ちょ……放してください、ガウス先輩」 「んもーいつものことながらノリ悪いなぁ〜。トニーに嫌われるぞそんなんじゃあ」 「余計なお世話です……」 つん、と頬をつつかれてまたため息をつく。トニーがいなくてよかった、こんなとこ見られたらまた面倒なことになる。 ――と、ばすっとジェフとガウスの顔に雪玉が衝突した。いきなりの不意打ちに反応しきれず、眼鏡と左頬が冷たいもので覆われる。 なんだ!? と思って飛んできた方を見ると、彬が息を荒げながらこっちをぎっと睨んでいた。 「いちゃついてんじゃねぇ変態っ、公道でなにやってんだタコトニーに言いつけるぞボケ!」 「……言いつけるって……」 つまりあれか、これはまたやきもちを焼かれてるわけか、とジェフは脱力する。 ガウスと彬ができあがってからというもの、初めて会った時からなにかと突っかかってきた彬がさらにやきもちまで焼くようになって(それは見当違いだと断固として主張しているにもかかわらず!)、ジェフはしょっちゅうその八つ当たりを受けていた。彬が妬くのをわかっていてくっついてくるのだからこの人は質が悪い、とジェフはガウスを睨んだ。 ガウスはにやにやと笑いながら両腕を広げる。 「な〜んだ、彬クンもやってほしかったのかぁ。それならそう言えばいいのに、さぁオレの胸に飛び込んでおいで」 「………っ、誰が飛び込むかアホかてめぇいっぺん死ね!」 そう叫んでずかずかと歩き出す彬を、ガウスはわはははと笑って追った。 「こぅら待て待てぇ〜、捕まえちゃうぞぅ子猫ちゃ〜ん?」 「なにキショイこと言ってんだ変態いっぺんどころかじゅっぺんぐらい死ねスカポンタン!」 走り去るガウスと彬を見て、ジェフは深い深いため息をついたのだが、ラルフとエディと彬がいなくなったのでこちらに戻ってきたウィルは笑っている。 「あの二人も仲いいよねー。ジェフとはまた違う感じの仲のよさだけど」 「ほんとほんと、ほとんど兄弟みたいだよなー」 「よっぽど気が合うんだな。最初同じ部屋になった時はどうなることかと思ったけど、ルームメイトってやっぱり仲良くなるもんだなって思うよ」 「………………そうだね」 知らないっていうのは本当に幸せなことだなぁ、と思いつつジェフは眼鏡を直した。 ウィンターズの街はやはりクリスマス一色だった。緑と赤のクリスマスカラー、原色のクリスマス商品、エンドレスで鳴り響く『ジングル・ベル』。そらぞらしいほどの華やかさに包まれた人ごみであふれる街にいると、普段自分が生活している場所がどれだけ異質か改めて気づかされる。 男だけ、しかも生徒と教師の二種類の人間しかいないスノーウッド寄宿舎。そこは世界の果て。寄る辺ない子供たちの集う箱庭―― そんなことをガウスがふざけた顔の中にも静かな諦観をもって(まだ彬が来る前のことだが)言っていたことがあったが、それは真実の一側面をついている。スノーウッドに住む生徒たちは、学校から開放されない限りそこから出ることはできない。 牢獄というのは言いすぎだが、箱庭というのは少しいい表現だな、とその時のジェフは思った。――今は、少し違った感想を持っているけれど。 「クリスマスケーキ買わなくていいかな。九人もいるんだからすぐ食べ終えちゃうでしょ」 エディがメモを見ながら買い物籠に品物を放り込みつつ言った言葉に、ジェフは肩をすくめた。 「必要ないだろ、トニーが作ってくれるよ。ほら、ここらへんケーキの材料だろ? ブッシュ・ド・ノエル」 「あ、ホントだ……さすがジェフ、毎年トニーにケーキ作ってもらって慣れてるんだね〜」 にこにこと言われて、ジェフは内心少し恥ずかしかったが表面上は冷静に首を振った。 「毎年ってほどじゃないよ。……一緒にクリスマスを過ごすのはこれで二度目だし」 「へぇ、一緒にパーティするんじゃないの?」 目をぱちくりさせて言ってきたウィルに、ジェフは肩をすくめてみせる。 「トニーは基本的に家族とクリスマスするよ、普通に。去年は父さんとその同居人がいない予定だったからウチに来ただけで。なんでもトニーの家ではクリスマス毎年親族中が集まってパーティするんだって。親兄弟叔父叔母いとこはとこにその嫁夫、場合によっては恋人まで呼ぶから三十人以上になるらしい」 「へーっ! そりゃまたすごいな。トニーんち親戚仲がいいんだ」 「みたいだね。移民からこっち助け合って生きてきた家系だから伝統的にそうなるらしいよ」 「ふーん」 ウィルは面白そうな顔をした。エディはてきぱきと買い物をしている。ラルフは荷物持ちの役目を担っていた。ガウスは「久しぶりの娑婆だぜ!」とか言ってスーパーの中を駆け回り、彬はそんなガウスをなにやってんだと追いかけている。 ガウス先輩と彬がいない今がチャンスかな、と思い、ジェフは三人に聞いてみた。 「ウィル、エディ、ラルフ。どうして君たちはわざわざ寮に残ったんだい? クリスマスが終われば帰るとはいえ。君たちは家も近くなんだから家族とクリスマスを過ごせばいいじゃないか?」 「ひでぇな、ジェフ。俺たちがそんなに邪魔か?」 ラルフが苦笑しながら言う。そんなつもりではなかったジェフは少し驚きながら首を振った。 「そういうわけじゃないけど……クリスマスは家族と一緒に過ごすのが普通だし、僕とトニーとガウス先輩と彬の中に入っていくのは気ぶっせいじゃないか、普通? ルームメイト同士のペアなんだし」 「うーん、僕はあんまりそういうことは考えてなかったなー」 エディが首を傾げる。 「たださ、僕って家族の中でも目立たなくて、いてもいなくてもどっちでもいい感じだから。正直帰っても帰らなくてもどっちでもいいんだよね。だからそんな時にウィルに誘われたから、僕としてはちょっと嬉しかったんだ」 「…………」 ジェフは一瞬言葉を失った。エディの家族の話なんて初めて聞いたが、それは――かなり寂しいんじゃないだろうか。 さらっと言っているけれど、家族なのにいてもいなくてもどっちでもいいなんていうのはちょっと、ひどい。――家族と和解した今のジェフだからそんなことが言えるのかもしれないが。 「僕はほとんどいつもクリスマスは旅の空の下だし。今年はちょっと人恋しかったからみんなを誘った、それだけだよ」 もうエディの家庭環境については聞いているのか、ウィルはアンチョビーを買い物籠に放り込みながら平然とした顔で軽く言った。一瞬冷えた雰囲気を取り戻そうとしているのかもしれない。ジェフはそれに乗ることにした。 「……人恋しいならそれこそ家に帰ればいいじゃないか。彼女も待ってるんだろう?」 ウィルは仲間内で唯一の彼女持ちだ。そう言ってやると、ウィルは少しばつの悪そうな顔をする。 「サリサは……ちょっと、僕、喧嘩しちゃってさ」 『喧嘩ぁ?』 思わず全員声を揃えた。ウィルと彼女――サリサは仲がいい。喧嘩しているところなど見たことがない。それは多くはサリサの性格が大人で、ウィルのガキっぽいところを受け止めてくれていることによるのだが、そんな彼女がどうして? 「理由は」 「別に……大したことじゃないよ。ただ……あいつの誕生日忘れて旅に出ちゃっただけで」 「うわ。そりゃまずいだろウィルー」 ラルフが大げさな身振りで顔に手を当てた。ラルフは一年ほど前から女遊びに目覚め始め、今ではこの中で(ガウスと比べてどうだかは知らないが)一番女性経験が豊富だ。 「え……まずい、かな?」 「まずいまずい。女の子っていうのは基本的にアニバーサリー大事にするもんなんだぜ?」 「け、けどさ、サリサの誕生日って言ったって僕基本的にはなんにもしないんだぜ、覚えてたって? 忘れてたのも今回が初めてじゃないし。なのにあんなに怒ること……」 「いやー、だからこそ堪えてた怒りが爆発しちゃったんじゃないのか? 実際ウィルの行動って彼氏としてどうかと思うしさ。休暇のたびに旅でろくに会えない、その上に誕生日も忘れるっつうのは怒ってしかるべきだと思うよ、俺は」 「僕たちはジェフとトニーみたいにべたべたいちゃつくカップルじゃないんだよっ。ほとんど生まれた時からの付き合いだし……」 「僕たちを引き合いに出さないでくれ。……つまり彼女と喧嘩したから人恋しいわけか」 ジェフの言葉を聞いているのかいないのか、ぶつぶつ言いながらウィルは買い物籠に乱暴に赤ピーマンを放り込む。ラルフの言葉を素直に聞き入れるのは面白くないが、無視もできないのだろう。 やれやれ、と肩をすくめ、ジェフはラルフに向き直った。 「ラルフは? なんで寮に残ることにしたんだい?」 ラルフはジェフの問いに、(なぜか)ちょっと照れくさそうに笑う。 「俺はただ、クリスマスを友達と騒いで過ごすのも悪くないかなって思っただけだよ。そりゃ普段は家族でパーティするけど、この年にもなれば家族以外と遊ぶのだって普通だろ?」 「それなら女の子の友達と一緒に遊べばいいじゃないか。いっぱいいるんだろ?」 「……ジェフ……あのさ。やっぱり俺、邪魔?」 苦笑の形に顔を変えたラルフにそう言われ、ジェフは小さく目を見開いた。 「別にそんなこと言ってないじゃないか」 「そういう風に聞こえたけど」 「………そう?」 首を傾げるジェフに、ラルフは苦笑を深めた。 「ジェフってやっぱりずれてるよなぁ。頭いいようで根本的なとこが。そういうところが、俺は………」 「……君は?」 「いや、なんでもない。……でも実際、いくら親しい女友達がいるからってあくまで親しいレベルだしな。クリスマスを一緒に過ごそうなんて誘える子はいないよ。それに、俺はジェフや、みんなと一緒にクリスマス過ごせるの、楽しみにしてたんだけどな」 「………………」 ジェフは少し眉をひそめ、「そう」とだけ言った。ウィルは肩をすくめ、エディは苦笑し、ラルフは「そう、って……」と困ったような笑みを小さく浮かべる。 いつも一緒にいるのになんでわざわざクリスマスまで。ジェフはそう思っていた。 だがそういうジェフの論理とは全然別の論理で自分の友達たちは行動しているのだ、ということを、ジェフは久しぶりに再認識した。 自分の友達にもそれぞれ確固たる人格があり、人生があり、それぞれの理由でもって精一杯に生をやり過ごしているのだということを、久しぶりに。 『いっただっきまーす!』 食堂のテーブルにどん、と置かれた山盛りのパスタに、飢えた少年たちは歓声を上げて食いついた。 ほかほかと湯気を上げるパスタがなん皿も次々並べられていく。ペペロンチーノ、ボンゴレロッソ、ビアンコ、カルボナーラにジェフの好きな揚げナスとひき肉のスパゲティ。 いつもトニーがそうするように、出来上がった皿からどんどん並べてどんどん食べるという方法を取ったので、トニーは当然ながら最後まで食事ができない。 それを気遣いつつもジェフはトングで揚げナスとひき肉のスパゲティをしっかり確保して食べていた。パスタは作りたてがいちばんうまいのだ、食べ時を逃してなるものか。 「うまっ! うまいよ、トニー!」 「ほんとほんと、こんなおいしいパスタ食べたの久しぶりだよー」 そう歓声を上げるウィルとルゥに、トニーは「そう? ありがとう」と照れたように微笑みながら最後の皿と自分の取り皿を持ってきた。カニのオーロラソーススパゲティ。一皿につき二人前くらいの量があるから、全部で十二人前。それでも食べ盛りの少年九人の腹を満たすには少し足りないくらいだろう。 「好きなだけ食べていいけど、おかわりはなしだよ。パーティのためにお腹すかせておいてね」 そうにこっと笑うトニーに、全員こくこくとうなずきつつパスタを食らう。いつものことながらトニーの料理はおいしい。揚げナスの食欲をそそる香ばしさと食感、ひき肉の甘みと旨みがよく絡んだスパゲティはいくらでも食べられると言ってよかった。 「メシ食い終わったら外で雪合戦しようぜ」 彬がはぐはぐパスタを食べながら目を輝かせて言う。口の周りに跳ねたソースをガウスが指で取って舐め、彬に速攻殴られた。 「賛成! ちょっと体動かそうよ。寮の中にこもってたって寒いだけだしさ」 「えー、なんで僕がそんなことしなきゃならないのさ。疲れるからやだ」 「アレク、ちゃんと体動かさないと太るよ?」 「う……わかった、一緒にやる」 いつものごとく文句を言うアレクを、ルゥがこれまたいつものごとく巧みに誘導する。いつも通りのハイスクールにしては子供っぽすぎるかもしれないやり取りを、友人たちはいつも通りスルーした。 「トニーは?」 「えっと、そうだね。パーティの料理がちょっと遅れちゃってもいいなら」 「全然かまわないよー。なんなら僕たちも手伝うし」 「……そう? それじゃ一緒にやるね」 「よっしゃトニー、俺と組もうぜ。あのホンダラ野郎どもに目にもの見せてやる」 「……ホンダラ野郎どもって誰のことだい?」 「そんなに俺のことが気になる? いやぁ彬の愛はいつもながら激しいよなぁ!」 「いい加減黙れタコ殺すぞてめぇキショイこと言ってんじゃねぇよ変態!」 組み分けはジェフ・ガウス・ルゥ・アレク、トニー・彬・ウィル・エディ・ラルフとなった。 ジェフは戦力が明らかに不均衡だと主張したのだが、トニーがにこにこと「ジェフ一人で二人分くらいの働きはするじゃない」と言い、ガウスが「わははは、オレ様は一人で十人分くらいの働きしちゃうぞ」などと自信たっぷりにトンチキなことを抜かして、いつの間にかジェフの主張は流されるような空気になってしまったのだ。 スノーウッド寮は冬周囲に腐るほど雪があるので、雪合戦もそれなりにルールが浸透している。まずは両チームに雪玉を作る時間が与えられる――これは人数に反比例するのがお約束だ。 なので少し先にジェフたちは雪玉を作り始める。その間トニーたちはスノーマンを作って体を温めていた。 しばし無言で雪玉を作っていたのだが、ふとジェフはルゥとアレクにもウィルたちにした質問をぶつけてみることにした。雪玉を作りながらの話題としてはまぁ普通だろう。 それに、クリスマスを一緒に過ごす友達たちがなにを思ってここに残ったのか知ろうとするのも、たぶんそう悪いことじゃない。 「アレクとルゥは、なんでクリスマス家族と一緒に過ごさないんだい?」 問うと、アレクはじろりとジェフを睨んだ。 「ちょっとジェフ……君って本当TPOってものがわかってないよね」 「は?」 「は? じゃないよっ。……っとに無神経っていうかなんていうか……」 「なにが?」 「なにがって君ねぇ!」 「いーよ、アレク」 ガウスが口を挟む。なんでガウス先輩が? と疑問符を浮かべるジェフに、ガウスは笑った。 「大したことじゃない。オレ、孤児だろ? だからその前で家族の話するのは悪いってアレクは気を遣ってくれただけ」 「………あぁ」 ジェフは肩をすくめる。 「気にしましたか」 「いや、別に?」 「そうですか」 また肩をすくめる。実際ジェフの中でガウスが孤児だという事実はさほど大きなものではなかった。この人はこの人なりの方法で孤独を埋めているのに、孤児だという自分ではどうしようもない自己の構成要素をうるさく騒ぎ立てるのはかえって失礼だと思ったのだ。 「そうですかって、ジェフちょっと!」 「だからいーんだって、アレク。……実際オレはお前にけっこう救われてるよ。オレの気持ちとか全然斟酌しない、お前の無神経さにさ」 にっと笑うガウスに、ジェフはただ「それはどうも」と言ってまた肩をすくめた。……ガウスの気持ちをまったく考えないわけではないが、このゴキブリのようにタフでしつこい人の相手は相手の気持ちなどいちいち考えていてはできないのだ。 「あ〜んガウス先輩ってばやっぱり優しい〜v」 「別にそういうわけじゃないけどな。……それより、オレも聞きたいな。なんでお前らはわざわざ寮に残ったんだ? オレとしては嬉しいけどね、人数多い方が楽しいし」 どんなに人数がいても一人なくせに。ジェフは内心そう思って肩をすくめた。 ガウスは対人関係においては常に毛布のように柔らかく、けれど丈夫な膜を張っている。どこにいてもどんな時も何人の友達に囲まれていようとも。それを破れるのは、ジェフの知っている限りでは彬だけだ。 だからジェフはガウスと彬はなんのかんのいいつついいカップルだと思っている。 「え〜? 僕はァ、ガウス先輩と一緒にクリスマス過ごせたら楽しいなァ、って思ってェ〜……」 「ホントに?」 からかうような笑みを浮かべて顔をのぞきこまれ、アレクは顔を赤らめて言葉に詰まった。 「……ガウス先輩ってやっぱりカッコいい……」 「そりゃどうも。光栄のいったりきたり」 に、と笑うガウスに、アレクはまだ顔を少し赤らめながらもぽつぽつと話し出した。 「……なんていうか……最近、家族と一緒にいるの嫌で」 「……君は家族仲がいいんだと思ってたけどな」 実際アレクが家族にどれだけ甘やかされてきたかということは、なんのかんの言いつつ付き合いの長いジェフは知っているのだから。 「仲はいいよ、今でも。……たださ、なんか……最近、なんかさ。ちょっと、一緒にいたくないんだよね」 「なんで?」 「なんて言うんだろ……うちの家族はみんな僕に優しくて、甘くって。僕がなにか言う前からほしいもの買ってくれたりするんだけど。……別にそれが不満っていうんじゃないけど……なんか……なんかさ。面白くないんだよね」 顔をしかめてアレクは言う。ジェフは少し驚く。アレクがそういう不満を持つとは思っていなかったからだ。 「……アレクも成長してるんだな」 「なにそれ。それじゃまるで僕が前は子供だったみたいじゃん」 睨まれてジェフは肩をすくめる。視線を動かすとトニーたちが雪玉を作り始めているのが遠くに見えた。 「当たり前だろう、誰だって最初は子供だよ。そのうちに子供扱いされるのが嫌になったり親に反発したりして大人になっていくんだろう?」 「……ちょっといい話っぽいこと言ってるけど要するに僕がちょっと前まで子供だったって言ってんじゃないの?」 「ばれたか」 ぺろりと舌を出すと、雪玉をぶつけられた。味方にぶつけてどうするというのだ。 「まぁいいじゃんか、アレク。子供だってのは別に悪いことじゃないぜ、少なくともこの年では。これからナイスな大人になれる可能性があるってことだからなー」 「あぁんっ、ガウス先輩はすっごく素敵な大人ですぅ〜!」 ガウスに言われるとすぐにめろめろ状態になるアレクに肩をすくめて(実際恋情なのだか単なる憧れなのだかわからない)、ジェフはルゥに向き直った。 「ルゥは? なんでこっちに?」 「うーん、まぁアレクが家に帰りたくなさそうだったからねー。クリスマスぐらいまでならこっちにいてもいいかなって」 ジェフは少し目を見開いた。幼馴染だからってそこまで付き合うのか、ルゥ。 「……家族とクリスマスを過ごしたいとは思わないの?」 「家族と過ごすクリスマスも楽しいだろうけど、みんなと一緒に過ごすのも楽しいと思うし。アレクを一人放っておいたらかえってパパやママに怒られちゃうしね。それに実際、今僕、みんなと一緒で楽しいから」 にこにこと柔らかい雰囲気でそう言うルゥ。実際にはアレクだけでなく、仲間内みんなのことが心配だったというのもあるのだろう。ルゥはそういうやつだ。 「そう」と小さく笑みを浮かべて、ジェフはガウスの方に向き直った。 「ガウス先輩。先輩は彬の家族と一緒に過ごすことを考えたことはないんですか?」 「え?」 ガウスはそう聞かれてきょとんとした顔になった。アレクが「はぁ、なに言ってんのジェフ?」と困惑したような声を上げるが、ジェフはとりあわずじっとガウスを見つめ続ける。 真剣に聞いているんだ、とわかったのか、ガウスは少し首を傾げて考え、それから笑った。 「さすがに家族団欒の中で堂々といちゃつく勇気はないなー」 「……彬の家族、嫌いなんですか?」 「いや……嫌いもなにも、よく知らないんだよな。顔を合わせたのは去年の学園祭の一度きりだしさ」 ガウスは肩をすくめ、彬の方に目をやった。彬はトニーたちとお喋りをしながらせっせと雪玉を作っている。 その視線には、なにか遠い、切ないような憧れが感じられた。 「ただ、彬が家族とすごく仲がいい、っていうのはわかる。お互いのことが大好きなんだってな。……そんなとこにオレが一人入っていったって浮くだろ」 それに、とにやりと笑って耳打ちしてくる。 「家族と同じ屋根の下で喘ぎ声上げるなんて死んでも嫌だ、って彬が言うからさ」 「………………」 「―――それと、オレ様は家族ってもんがよくわからんからな。きっと彬のこと、傷つけちまうだろ」 「………………」 ジェフは少し黙って、考えて、ガウスにだけ聞こえるぐらいの声で言った。 「ガウス先輩、先輩は家族ってものが怖いんじゃないですか」 ガウスは目をぱちくりさせて、困ったように笑い、「そうかもな」とだけ答えた。 「よっしゃー、雪玉製作時間終わりっ!」 「勝負だてめぇら、絶対泣かしてやるぜっ!」 そう向こうの陣地から声が上がり、ジェフはふ、と息を吐きながら立ち上がった。 「……ごめんな、雪乃。年内は帰れねぇと思うんだ」 パーティまであとわずかという頃、寮のロビーからそんな声が聞こえた。これは――日本語? 一瞬考えてから彬が電話をかけてるんだ、と理解したジェフは、その声のあまりの優しさに驚いた。なにを話しているのかはわからないが、彬がこんな声を出せるのか、と思うほど優しく柔らかい声音だ。当然そんな声今まで一度だって聞いたことはない。 ジェフは少し考えて、ゆっくりとロビーに近づいていくことにした。別に気配を殺してもいないから、普通に周囲に注意を払っていれば気づくはずだ。 「うん……そうなんだ。前にも言った、先輩がさ……ほんっとに、どーしようもないくらい寂しがりやで……うん、そりゃ俺がしなきゃなんないってことないだろうけど……」 すたすたとロビーに入っていっても、彬はこちらには気づかなかった。少し驚きながらも、ロビーのソファに座って声をかけずに電話に向かい語りかける彬を見つめる。 「たださ……あいつ、一人なんだよ。どこにいても、何人友達がいても、いっつもあいつ、一人なんだ。今んとこ、あいつに一人じゃないって思わせてやれるの、俺だけみたい……だから、さ」 ジェフにはさっぱりわからない言葉を重ねる彬の顔は、優しかった。電話の向こうの相手がそんなに大切なのか、話題がそういう話題なのか。驚くくらい優しげな、愛しげな表情で彬は電話の向こうに語りかける。 「うん……うん、わかってる。ちゃんとプレゼント送ったから。年が明けたら一回帰るよ。うん、絶対。大丈夫だって、兄ちゃんがお前との約束破ったことあったか? ……うん、うん。じゃあな、いい子にしてるんだぞ。親父と母さんによろしく言っといて。うん。じゃあ、またな」 かちゃん、とそっと電話を置いて、ふぅ、と彬は息をつく――そしてようやくジェフに気がついた。 「ジェ――なっ!?」 「やぁ、彬」 彬は顔を真っ赤にしてぎっとジェフを睨みつける。 「お前っ……どっから聞いてやがった!?」 「どこからもなにも。僕は日本語がわからないんだから君がなにを話してたかなんてわからないんだけど?」 「あ……そ、そっか」 あからさまにほっとした顔になる彬に、ジェフは肩をすくめた。 「ずいぶん優しそうな声で話してたけど。話してたの、妹さん?」 「………っ! てめぇにゃ関係ねぇだろっ!」 怒鳴って足音も荒く去っていこうとする――ジェフは慌てて立ち上がり、肩をつかんで止めた。 「ちょっと待ってくれよ、彬」 「なんだよ!?」 ぎろりと睨まれたがその程度のことで及び腰になるほどジェフはやわではない。彼には他の人がいない今、聞いておきたいことがあるのだ。 「聞きたいこと……というか、半分くらいは相談になるのかもしれないけど……があるんだよ。トニーと、ガウス先輩のことで」 「……は? トニーのこと?」 彬は足を止め、ジェフの方を振り向いた。その顔はやや困惑気だったが、少し心配そうでもあった。なんのかんの言いつつお人よしなのだ、彬は。 「トニーがどうかしたのかよ」 「いや、実はね……」 ガウス先輩のことについては聞かないのか、と思いながらもジェフは説明する。 「……家の方がごたごた……? なんだよそれ」 「僕にも話してくれないから、君に聞いてるんだろ。なにか相談されてないかと思って」 そう言うとなぜか彬はひどくむっとした顔をした。 「お前になんにも言わねぇのに俺に言うわけねぇだろ」 「……そんなのわからないじゃないか。以前君とガウス先輩が仲違いした時も、トニーは君の相談に乗ってたし」 「……バッカじゃねぇの!? トニーと俺とじゃ性格も立場も全然違ぇだろ!? ったく、トニーの奴はなんでこんなどニブ野郎がいいんだ」 「どニブ……ってあのね、彬」 「……少なくとも、俺はなにも聞いてねぇよ。トニーって……人の話はいくらでも聞くけど、自分が辛い時っていっつも中に抱え込むし。……そーいう奴だろ、あいつって」 吐き捨てるように言う彬に、ジェフは口をつぐんだ。確かに、トニーはそういう奴だ。辛い片思いを六年以上も続け、その間ずっと想いを胸に秘めてきたのだから。 「あいつが話聞いてもらいたいって思うの、お前だろ。いちいち周りに聞くより真正面から聞いてみりゃいいじゃねぇか。ったく、どいつもこいつも遠回りなことばっかしやがって」 「……ガウス先輩も遠回りするわけ?」 「っ、あいつのことなんか誰も言ってねぇだろーっ!」 怒鳴って踵を返しずかずかと歩いていこうとする彬の肩を、ジェフは素早くつかんだ。 「なんだよっ!」 「あと一つだけ。……彬は、ガウス先輩をクリスマス――に限らなくてもいいけど、自分の家に連れて行こうと思ったことはないのか?」 「……はぁ? なんでそんなことお前に話さなきゃ……」 「頼むよ。聞きたいんだ。他のいろんな人にも聞いたんだけど……」 「なにをだよ」 「クリスマス家族と一緒に過ごさない理由を、だよ。……トニーがなにを考えているか理解する助けになるかと思って」 そういうことを考え出したのはガウスに質問してからだったのだが、そんなことは当然口にしない。 それに、知りたい、と思ったのも本当なのだ。トニーのために、そして今同じように世界から隔離されている友人たちのために。なぜ、帰る場所があるというのに、この小さな世界の中で聖誕祭を迎えようとするのか―― 彬はうぐ、と少し言葉に詰まって、少し顔を赤くして考えて、それから仏頂面でぼそりと言った。 「……俺は……あいつに、俺の家族と仲良くなってほしいわけじゃねぇんだよ」 「………そうなの?」 「ああ………」 彬はジェフから目を逸らし、窓の外を見た。また雪が降り出している。ホワイトクリスマスだが、ここでは少しもありがたみはない。 「……俺……さ。あいつに一緒にいてくれって言われて、一緒にいるって決めて。……だから今も、寮に残ってるわけだけど。……たぶんそれって、俺じゃなきゃ意味ないことなんだと思う。なんでかは、わかんねぇけど」 「…………」 「あいつはすげぇ寂しがりやだけど、誰がそばにいても嬉しいってわけじゃない。むしろ……どっちかっつぅと、一番底んとこではすっげー一人ぼっちっつーか……一人でいるのが当たり前な奴なんだ」 「…………」 「だから……俺の家連れてっても、あいつすっげー困ると思う。どうしていいかわかんなくて。でも俺の家族だからちゃんとしなきゃって思って。……俺だってまだ家族になんかなれてねぇのに、いきなり俺ん家連れてったって仲良くできるわけねぇだろ。……もしかしたら一生、あいつは俺以外と一緒にいられないかもって思うぐらいなのに」 「……君は、それでいいの?」 ジェフがわずかに声を震わせながら問うと、それに気づいているのかいないのか彬はどこか諦めたように笑った。 「しょうがねぇよ、あいつそういう奴だし。そういう奴って知ってて一緒にいるっつったの俺だし。気長につきあうしかねぇだろ」 「……愛されて育った子供って、みんなそうなのかな」 「………はぁ? ……おいてめぇ俺がガキだっつぃてぇのかよ!?」 ぎっとこちらを睨む彬に、ジェフはきゅっと唇を引き締めて首を振る。柄にもないが、思わず涙が出てしまいそうなくらいうっかり感動していたのだ。 彬が、ガウスの痛みに、そっと優しく包帯を巻いていることに。 「違うよ、そうじゃなくて……トニーもそうだったから」 「……え?」 「トニーも僕の苦しいところに、一生懸命優しくしてくれたから。だから……僕は……」 ジェフは途中ではっとして口を閉じた。うっかり感動して本音を漏らしそうになったが、こういうことをトニー以外に言うなんて恥ずかしいことができるか。 「……とにかく……ガウス先輩も喜んでるよ、間違いなく。君みたいな奴がそばにいてくれて」 「………な、なな、なに言ってやがんだよバカっ! 俺は別に一生あいつのそばにいるなんて一言も言ってねぇぞっ!」 「いや、そんなことは僕も言ってないけど?」 「……っ! うるせぇボケそんなこと言ってる暇があったらトニーの手伝いしろバカヤロウっ!」 顔を真っ赤にして怒鳴ると、彬はスリッパを蹴立ててロビーを出て行った。スノーウッド寮の古びた廊下がぎしぎしと音を立てる。 ジェフは少し苦笑して、肩をすくめた。彬が思った以上にガウスを愛しているのはわかったが――トニーがなぜ自分の家に来ることを拒んだのかは、やっぱり全然わからない。 『おお〜………!』 食堂に並んだ皿の数々に、一同は思わず感嘆の声を上げた。 実際料理は量も見栄えもたいしたものだった。グレービーソースつきの丸ごとローストチキンが二つも並び、カニとほうれん草やらエビとアスパラガスやらキッシュが何皿も、他にもサンドイッチやらポタージュスープやらポットパイやらオムレツやらリゾットやらトマトカップサラダやら、山ほどの料理がおいしそうな匂いをあげているのだ。 おまけにそれぞれ生地の色が微妙に違うブッシュ・ド・ノエルが三つ。半端じゃない気合の入りようだ、とジェフは思わず唾を飲み込んだ。 「すっげぇ……! これ全部トニーが作ったのか!?」 「全部僕一人で作ったわけじゃないよ。エディもウィルもラルフもルゥも、ちゃんと手伝ってくれたもの」 手伝わなかった料理下手たちは思わず小さくなったが、ガウスだけは一人悪びれず一人一人の前にグラスを置いた。 「なにしゅんとしてんだよ、料理人への一番の感謝方法は料理をおいしく食べることなんだぜ〜? そんでおいしかったと満面の笑みで言ってあげればノープロブレム!」 「それはそうかもしれませんけど、手伝わなかった僕らが言う台詞じゃ……」 「おい! それって……酒か!?」 とくとくとシャンパングラスの中に注がれる黄金色の液体に、彬が声を上げる。他の面々も面食らった顔をしていた。当然のことながら寮内での飲酒は厳禁だ。それ以前にまだガウス以外は飲酒可能年齢に達していないし。 「シャンパンだぜ? ジュースみたいなもんだって。寮長権限で今日は無礼講! さー乾杯だ乾杯だ!」 満面の笑みで自分のグラスを高々と上げるガウスに、他の面々は戸惑いつつも明るい顔で追随した。やはり皆それぞれにアルコールに対する関心はあるようだ。ジェフははぁ、とため息をついた。 『かんぱーい!』 「……乾杯」 それぞれ隣にいた人間と(ジェフは当然トニーと)グラスを打ち合わせ、それぞれのやり方で酒を喉に入れる。ジェフは軽くすする程度にしておいたが、ふわぁっと立ち上る芳香と甘み、そして腹の底が熱くなるような感覚に驚いた。 「おいしい……!」 トニーが驚いたような声を上げる。 「うんうん、ホントだ、うまいよこれ! 酒って初めて飲んだけど!」 「俺が選んだ酒だぜ? うまくないわけないだろ」 「お前もごくたまには気の利いたことすんだな」 「ちょっと彬っ、ガウス先輩に失礼なこと言ったら許さないよ!?」 「……それより、料理をいただきませんか。早く食べないと冷めますよ」 ジェフが冷たい声音で言うと(トニーの料理を冷めさせるなんて冗談じゃない、なんてことは言わない)、みんな顔を輝かせてうなずいた。 「そうだな。いただきます!」 「いっただっきまーす!」 昼食から八時間近く経ち、運動もした、全員腹は空ききっている。少年たちは飢えたハイエナのように、料理に踊りかかった。 「うまっ! うまいよトニー! サイコー!」 「ホント、作るの手伝ってた時からおいしそうだとは思ってたけど予想以上。プロみたいだね?」 「トニーすげぇじゃん! お前料理の天才だな!」 口々に褒める友人たちに、トニーは照れくさそうな顔をする。 「みんな、褒めすぎだよ」 「そんなことないよ、本当においしいよ?」 「うん、まぁすごいって言っていいんじゃないの。高校生が作ったとは思えないね」 「さすがトニーだな。これも俺たちへの愛ってやつか?」 ジェフはむっつりと黙り込みながら料理を口に運んでいた。別に怒ることではないのはわかっているが、なんとなく面白くない。トニーが作る料理がどんなにうまいか一番知っているのは自分だというのに。 と、トニーがどこか怯えたような顔でこちらを見上げているのに気づいた。自分の不機嫌を察知したのか、とジェフは慌てて笑顔を作る。 「おいしいよ、トニー」 「……そう? よかった」 トニーは嬉しげに微笑んだが、その笑顔にはやや、翳りがあった。 「っはー……食った食った……」 「もー入んないー……」 しこたま料理を腹に詰め込んで、全員どんよりとしながら食堂の机に突っ伏した。下にカーペットが敷いてあればすぐさま寝転がりたいところだ。暖炉があるとなおいい。あいにくこの寮にそんな場所は談話室くらいしかなかったが。 トニーは一人てきぱきと食い散らかされた皿を片付けている。そのマメさはもはや超人的だ。全員明日の朝でいいと言ったのに、トニーは微笑みながら「でも、早く洗っちゃわないとお皿に汚れがこびりついちゃうし」と言って片づけを始めて、全員に呆れ交じりに感嘆されている。 でも妙だな、とジェフは思った。確かにトニーは非常にマメではあるが、クリスマスの夜には片づけするよりもまず自分やアップルや父と会話することの方を選んでいたのに(クリスマスを一緒に過ごしたのはまだ去年だけだが)。みんなと一緒だから気を遣っているのだろうか? 「ねぇみんな、ケーキ食べる? 食べるんならお茶淹れるけど」 トニーの言葉に、全員げんなりした顔で首を横に振る。 「無理。もう入んない」 「ちょっと休憩しないとさすがにきついよ……」 その言葉にトニーはちょっと表情を翳らせて、「そう」と言った。なんなんだ。なんなんだろうトニーのこの雰囲気。なにかあるのだろうがそのなにかがなにかわからない。 ジェフが顔をしかめていると、浴びるようにシャンパンを飲んで(全員それなりに飲んでいたが一人だけ消費量が並外れていた)沈没していたガウスが、おもむろにがばぁっと起き上がった。 「ゲームしよう!」 「……は?」 「は? じゃないだろ、やっぱパーティにはゲームがつきものだ。ゲームして優勝した奴にはオレ様サンタからの特別プレゼントをあげよう」 「プレゼント……」 そこまで聞いてはっとした。そうだ今日はクリスマス。クリスマスといえばプレゼントじゃないか! トニーの悩みにばかり神経がいっててすっかり忘れてた、トニーに渡すプレゼント! 実際みんなで騒いでばっかりで全然そんな雰囲気じゃなかったし! 表面上は冷静な無表情で、だが内心ではかなり慌てているジェフをよそに、他の面々は盛り上がっている。 「そっかー、プレゼントかー! すっかり忘れてた。せめてプレゼント交換ぐらいすればよかったな」 「そうだねー、なんかパーティの買出しですっかり買い物した気になっちゃってたけど。……まぁ、あんまり高いのは買えなかっただろうけどね」 「別にいいじゃん、学生の買えるぐらいのプレゼントなんてもう別にほしくないし。プレゼントほしいっていうほどガキでもないでしょ?」 「でもやっぱりクリスマスにプレゼントがないと落ち着かないかなって気はするよ。画竜点睛を欠くっていうか。ゲームでプレゼントもらえるっていうならやってみるのもいいんじゃない?」 「うんうんみんな期待通りの反応でお兄さんは嬉しいぞ。心配するな彬、彬へのプレゼントは朝起きる前に枕元に置いておいてやるゼ」 「頼んでねぇよ!」 どうしよう……どうしよう!? トニーになにかプレゼント……! そう必死に頭を回転させるジェフをよそに、その場の雰囲気はゲームをやる方向に向かっていった。 談話室に移動し、全員でテーブルを囲む。遊びにはそつのないガウスは、もちろんトランプを用意していた。 しかしなにせ大人数なので、行えるゲームが限られる。寮で大人数で遊ぶ時たいてい行われる、キャンセレーション・ハーツにルールは自然に決まった。 キャンセレーション・ハーツというのは二組トランプを使って行うトリックテイキングゲームで、親の出したスートの中で強い札を出してカードを取るゲームなのだが、勝敗はどれだけ多くのカードを取ったかではなくマイナス点のつくカードをどれだけ取らなかったかで決まる。 具体的に言うとハートのカードすべてとスペードのクイーンだ。同じカードが二枚出たらその二枚はキャンセルされるという追加されたルールのもと、いかにマイナスカードを押し付けあうかで勝敗が決まる、他のトリックテイキングゲームと同じ駆け引きと計算のゲームである。 ジェフは冷静にゲームを進めながら(この手のゲームは得意分野だ)、必死に考えていた。トニーになにかプレゼントできるものはないのか? 今進めている研究の中で明日の朝までに発明品を完成させられそうなものはない。買い物に行くには時間が遅すぎる。手持ちのものであげればトニーが喜んでくれそうなものなどない。 去年のクリスマスもそうだった。どんなプレゼントをあげるか悩んで悩んで、結局決まらなくて気持ち≠ェプレゼントということになってしまい。 今年こそはトニーに形に残るプレゼントをあげたいと思っていたのに。どうして自分はこううかつなのだろう。 なにかないかなにかなにか――― 「あーっもうっ! ジェフ強すぎー!」 アレクがそう言ってカードを投げ出し、ジェフは我に返った。ほとんど脳の感覚野だけでゲームを進めているうちに、ゲームは何周回もしていたらしい。 スコアを書いた紙にはどの回もジェフが一位と記されていた。まぁ当然だな、とジェフは肩をすくめる。 ガウスはがんがん強気で押してくるわりにすさまじく勝負弱いし、トニーや彬は駆け引きには向かない。アレクは考える時間が長いわりに最終的には面倒になって適当にやってしまうことが多く、ウィルやエディ、ルゥも似たり寄ったりで計算ができない。 唯一敵と言えるのはラルフぐらいのものだが、彼はジェフがいるとどうにも普段通りの調子が出ないらしく、ジェフは今まで一度もラルフに負けたことがなかった。 「しれっとした顔してえげつない手使っちゃってさ。こーいう男絶対性格悪いよ。トニー、相手考え直した方がいいんじゃない?」 「あはは……」 「君が口を出すことじゃないだろ」 ジェフはむっとして言った。トニーが笑ってごまかしているのも気に入らない。普段なら「そんなの嫌だよ、だってぼくジェフが好きだもん!」ぐらいのことは言うのに。 「えー、だってさー、僕だったらジェフが恋人なんて絶対やだって思うもん。やっぱり恋人はガウス先輩みたいに優しい人じゃないとv」 「そりゃどうも」 ガウスは苦笑している。そりゃ、隣の彬がすさまじく不機嫌な顔になってるんだからそうするしかあるまい。 そこにカードをシャッフルしながらウィルが笑った。 「ていうかさー、ガウス先輩ガウス先輩っていっつも言ってるけど、それ以前にアレクの女の子の好みってどんなんなわけ? それとも本気でガウス先輩恋人にしたいとか?」 「……はぁ!? ちょっとウィル、なに恥ずかしいこと聞いてるわけ!?」 「いいじゃん、健全な十六歳男子の会話としては普通だろ。……で、どんな子が好みなんだ?」 ジェフは顔をしかめた。面倒な話題になってきた。 アレクは珍しくちょっと顔を赤らめつつ、仏頂面で言った。 「そういうウィルはどうなのさー。ウィルが答えたら言ってあげてもいいけど」 「僕の好み? そりゃサリ……」 とまで言って、ウィルははっとしたように口をつぐみ、咳払いして、少しぶっきらぼうに言う。 「……待っててくれる子」 「……はぁ?」 「だから、待っててくれる子。僕、旅好きだろ? 旅ばっかしてるだろ? そんな僕を、家でずっと、ずーっと待っててくれる子がいい」 「……それって、いわゆる都合がいい女ってこと?」 エディが首を傾げて聞くと、ウィルは顔を真っ赤にして怒鳴った。 「そんなんじゃないよ! 僕は自立した、いちいち面倒見なくても生きていけるような子が好きなの!」 「えー、とってつけたような言い草」 「あのなぁっ……」 「一緒に旅についてきてくれる子、じゃないんだねー」 ルゥがのほほんと言うと、ウィルは顔を赤くしながらもうなずいた。 「僕はさ、旅に誰かと行くのって好きじゃないんだよね。そりゃ誰かと一緒の旅行も楽しいけど、僕が旅に求めてるのはそういうんじゃ得られないものなんだ」 「へぇ、じゃあなにを求めてるわけ? そういえばウィルがなんで旅をしてるかなんて聞いたことなかったな」 ラルフが笑うと、ウィルはカードを配る手を止めて少し考え込んだ。 「うーん……なんで、って言われると困るんだけど。なんていうんだろうな……うーん……」 「特に理由ないわけ?」 「いや、そうじゃなくて。……そうだな、一番わかりやすい言葉で言えば、世界と対話しに行くんだと思う」 「世界と対話ぁ?」 呆れたような声を上げるアレクに対し、ウィルは真剣な面持ちでうなずいた。 「うん。世界ってさ、広いだろ? 満天の星の下で周囲に木とか山とかしかないとこで一人でいるとさ、世界の広さとか、自分のちっぽけさとか、そーいうのすごく感じてさ。世界に自分が一人きりになるような感じがあるんだよねー」 『…………』 みんな黙ってウィルの話を聞く。ジェフも少し驚きながらウィルの話を聞いていた。いつも磊落として見えるウィルに、そんな孤独を感じられる感性があるなんて。 「あの、世界でただ一人って感じを味わってる時……僕は、すごく、生きてるって感じるんだ。その時が一番楽しいとかいうんじゃないよ、なんていうか……自分の、命とか、生とか、そういうものを実感するんだよね。自分が一人で、ちっぽけだってことを感じた時に」 『…………』 「そういう感覚を味わうと、しばらくの間世界が本当にきれいに見えるんだ。世界は美しくなんかないっていう人もいるけど、僕は世界って本当にきれいだと思う。この広い世界の中にどれだけの奇跡がつまっているか、それを実感した時って本当に体中、ううん魂が震えるんだよ。……そういうのはたった一人で世界と向き合わないとわからないし、感じ取れないことなんだと思う。だから僕はいつも一人で旅に出るんだ」 そう真剣な顔で語ってから、ウィルは少し顔を赤くして決まり悪そうに苦笑した。 「……ごめん。なんか語っちゃったね」 その笑顔で一気に雰囲気が柔らかくなった。彬が「まったくだぜ、お前はスナフキンかよ」と笑い、「スナフキンって誰?」と聞かれて説明に窮している。 「……で、なんで待っててくれる子がいいの?」 微笑みながらエディに聞かれて、ウィルはあぁ、と笑った。 「当たり前って言えば当たり前なんだけど。そういうこと感じたあとって、すっげー寂しくなるんだよねー。世界に自分ただ一人しかいないような気分になるんだから当然なんだけど」 「うん」 「そういう時にさ、好きな子の写真取り出してみたりして。ああこの子は今安全な場所で生きていてくれるんだ、家で待っていてくれるんだって思うと、すっげー気持ちがほわってする。……だからさ、僕は、普段は僕のことなんか放っておいてくれて全然かまわないから、たまにしか思い出さなくてもいいから、家で僕を待っててくれて、帰ったら黙って話を聞いてくれる、そういう子が好きだなぁ」 「……それって、まんまサリサちゃんじゃん」 ラルフがからかうような笑みを浮かべてそう言うと、ウィルは顔を真っ赤にして怒鳴った。 「誰もそんなこと言ってないだろ!?」 「言ってなくても丸分かりだよー」 「早くサリサちゃんと仲直りしたら? 実際ウィルには過ぎた彼女だよサリサちゃんは」 「……っそれよりっ、元はといえばアレクの好みの子の話だろ!? ほらアレク、白状しろよ!」 水を向けられたアレクは、少し目を瞬かせて、顔を赤くして仏頂面で言った。 「………きれいな子」 「……はぁ?」 「だから、きれいな子。僕よりすっごいすっごいきれいなの。目が潰れちゃうくらい」 「……顔が? 性格が?」 「どっちも。僕の度肝を抜くくらい、常識ぶっ壊しちゃうくらいきれいな子じゃなきゃやだ」 「やだ、って……」 「ストレートというか贅沢というか……」 「……だって、そのくらいの子じゃなきゃ、僕は恋なんてできないよ」 急に顔を暗くしてぼそっと言うアレクに、全員言葉に詰まった。家族との関係のせいかそれ以外の想いのせいか。アレクが本当に真剣にそう思っているということは、なんとなくわかったのだ。 「……僕たちばっかり聞くのは不公平だよな。みんなも言えよ、好みのタイプ」 ウィルが唇の端を吊り上げてそう笑う。もはやカードを繰る手は全員完全に止まってしまっていた。やっぱりこうなったか、とジェフはため息をつく。 「俺清楚で可愛くて胸でかい子。そんで俺よりちっちゃい子な」 真っ先に手を上げていったのは彬だった。言うや即座にガウスがすがりつく。 「んまぁっ、ひどいっ! 彬クンたら、あたしというものがありながらそんな女が好きだったのね!?」 「うっせぇタコ黙ってろボケ死ね!」 そして当然彬は即座にガウスを殴る。……やっぱり基本がヘテロセクシュアルなせいか、そういうことを口に出すのはためらいがないんだな、とジェフは肩をすくめた。 「わっかりやすい好みだなー」 「彬はあれでしょ、結婚したら亭主関白になりたいとか思ってるタイプでしょ?」 「うっせーな、いいだろ。俺は自己主張しない、こっちがリードしなきゃいけないような清らかで貞淑な女の子が好きなの!」 「で、胸のでかい夜はエッチな子、って?」 「……エッチとは誰も言ってねぇだろーっ!」 彬は顔を真っ赤にして怒鳴るがそれが本音なのは誰の目にも明らかだ。 「そーいうてめぇはどーなんだよっ! どーいう女が好みなんだ言ってみろっ!」 からかってきたガウスに彬は噛み付く。ジェフは内心おいおいおいと思ったのだが(だって恋人に言う台詞じゃないだろう)、ガウスはくすっと笑って言った。 「意地っ張りで、素直な子」 「………はぁ?」 「気が強くって手が早くって。いつもはつんけんしててこっちのことバカだのアホだの言うんだけど、本当はすっげーオレのことが好きで好きでしょうがない子。で、そういうとこがわかりやすい子がいいな。意地張って自分からはめったに好きだなんて言わないけど、ちょっとつつくと真っ赤になったり泣いちゃったりしながら俺に抱きついてくる子がいい」 ジェフは思わず額に手を当てた。それまるっきり彬じゃないか。 「ふーん、ガウス先輩って意地っ張りな子が好みだったんですねー」 「ガウス先輩っ、僕意地っ張りだとも素直だとも言われたことあります!」 みんなは全然気がつかない。当たり前か男同士でくっつくなんて可能性考える方が珍しい。彬本人は最初は気づかないようでむっとした顔をしていたが、やがて耳元で囁かれてようやく気づいたらしく顔を真っ赤にしてガウスの足を踏んだ。 「エディは?」 「僕? 僕は……そうだな、自分と似てる子がいいな」 エディは細い目を柔和に緩め、カードを手の中で弄びながら言った。 「自分と似てる子? 似た者同士で恋愛したいわけ?」 「うん」 「自分と自分で恋愛したって発展性ないよー」 「うん、僕、発展性のない恋愛がしたいんだよね」 エディは目を細めながらさらっと言い切る。 「……そりゃまた。なんで?」 「うーんとね。僕さ、目立たないじゃない?」 「え……いや、そんなことは……」 「いいよ、自分でわかってるから。家が大家族でいてもいなくてもどっちでもいい存在だったせいもあるんだろうけど、僕って本当に目立たないって知ってるから」 「……うん」 「でね。目立たない人に注目されないっていうのは、それなりに割を食うポジションだったりするんだ。どんなに精一杯人のフォローしても誰にも褒めてもらえない、努力が当然のように思われるっていうのはね」 「………エディ」 「別にそれが嫌だって言ってるんじゃないよ。そういう人生を送ってる僕、今ではけっこう気に入ってる。そう思えるようになったのスノーウッドに入ってみんなに会ってからだけどね。……でもさ、それでもまだ、時々、すっごくすっごくす――――っごくそういうのが嫌になるっていうか、全部投げ出して逃げちゃいたい、みんな僕がいなくなって困って後悔すればいい、とか思っちゃうんだよねー」 全員ぎょっとした。にこにこ笑顔の裏で、そんなことを考えていたのか、エディは。 「だからさ、僕と同じように、目立たなくて人のフォローにいそしむ、そういう自分が好きなんだけどたまに逃げ出したくなる子と思いきり傷の舐めあいできたら幸せだろうなーと思うんだよねー。大丈夫僕が君のことを認めているよ君はみんなに、そして僕にとって必要な人だよって言いまくってあげて僕も言いまくってもらうの。発展性がなくて救われない、そーいう閉じた関係に浸ってみたいな、恋愛する時ぐらい」 『………………』 「あの……エディ、ごめんな………」 「なんで? 謝ることないよ、僕はそれでいいって決めてるんだから。……ただ、時々、感謝されないことにすごくむなしくなるだけ」 「う……これからはできるだけ口に出して感謝するようにします……」 「そうしてね」 にこにこ笑うエディに、ジェフはエディってどこまで計算してやってるんだろうと訝った。 「……ラルフは?」 「俺? そーだなぁ……」 ラルフは手元のカードをシャッフルしながら少し考えていたが、やがてぽつりと言った。 「……許して、くれる子、かな」 「……浮気を?」 さらりと言ったエディに、ラルフはぶっと吹き出す。 「んなわけないだろっ。……いや、ある意味当たってるかもだけど……けどやっぱり違う!」 「どういうことだよ?」 「さっさと説明してよー」 ブーイングを浴びて、ラルフは少し自嘲気味な笑みを浮かべ、肩をすくめて言った。 「……俺さ、すっごい好きな子がいたんだよね。昔」 『…………』 全員沈黙した。初耳だ。 「別になにをしたっていうわけじゃないんだけど、その子のことが気になって気になって。いつも冷静っていうか、クールな無表情なんだけど、たまーにちらっと笑顔見せてくれることがあって、それを見たくてつきまとっちゃったりしてさ」 「……はぁ……」 「今の遊び人ぶりからは想像できないような純情っぷりだね……」 「でもその子にはすっごいお似合いの恋人がいてさ。俺の入る隙間なんて最初っからなかったんだ。その子が一番いい笑顔になってくれるのは、その恋人といた時だったんだよな」 「あらら……」 「それでラルフは身を引いちゃったわけ?」 「うん、まぁ。ていうか身を引くもなにもそういうことはなにもなかったんだけどな。今思うとその好意って、けっこう思い込みとか入ってたよなーって思うし」 「まぁ、思春期の恋愛なんてたいてい思い込みだよ」 「そうかもな。……でもさ、俺はその時本当に本当にその子のことが好きだったんだよ。勘違いかもしれなくても。毎日その子のこと考えて、その子が笑ってくれるにはどうしたらいいかって本気で悩んで、ちょっとしたことで舞い上がって落ち込んで。……俺そういう気持ちは、消してしまいたくないなって思ったんだ」 「………うん」 「だから……俺は、許してくれる子がいい。そういう想いを、過去を、持ち続けることを受け容れて許してそれでもそばにいてくれる子がいいな。……そういう優しくて、俺を見てくれる女の子を、今度は俺のめいっぱいで優しくして幸せにしたい」 「なーに語っちゃってんのラルフ! はっずかしーなーもー」 どん、と突き飛ばされ、ラルフは苦笑しながらこてんとカーペットの上に寝転がった。「まぁな、恥ずかしいよな……」とかぶつぶつ言っていたから、一応自覚はあるらしい。 「じゃ、次、ルゥ」 ひょい、とラルフにバトンを渡される仕草をされ、ルゥは微笑んだ。いつものことながらのほのぼのとした微笑を浮かべつつのんびりと言う。 「そうだねー……わがままな子がいいな」 『はぁ?』 全員声をあげる。どういう好みだ、それ。 「明るくてわがままで周囲を振り回す、元気な子に思いきり振り回されたいなぁ。それで甘やかして面倒見て周囲との通訳も全部僕がやるんだ。もうでろでろに甘やかして僕がいなきゃ駄目な子にしたい。でも僕がいなきゃ駄目なんです、なんて死んでも言えなくて、時々ぶっきらぼうに親切にしてきて、でもその目の奥では捨てないであなたがいなきゃ駄目なの、って全力で叫んでる子がいい」 「はぁ? なにそれ。ルゥの好みってわっかんない」 『…………』 アレクをのぞく全員顔を見合わせた。確かにアレクの言う通りわけのわからない好みではあるが、それ以前に。 「……あのさー、ルゥ」 「それって……アレクじゃん?」 「はぁっ!? なに言ってんのみんな!?」 「え?」 アレクは目を吊り上げて怒鳴り、ルゥは目をぱちくりさせてきょとんとし、それから苦笑した。 「うーん、そう言われてみれば僕の好みの原点ってアレクなのかもしれないけど」 「はあぁっ!!? ちょっとルゥやめてよ気持ち悪いな!!」 「でもアレクと結婚するのは嫌だなぁ。僕子供ほしいし」 「僕だってルゥなんかと結婚するのは死んでもごめんだっつーの!」 ぎゃあぎゃあ喚くアレクに、やれやれとジェフは肩をすくめた。これもある意味割れ鍋に綴じ蓋だろうか。 ――と。ジェフは、隣にいるトニーが顔を青くしてうつむいているのに気づいた。 表情も呼吸も普通、乱れたところはない。だが、なんだか苦しそうに見えた。今にも倒れるんじゃないかと思うぐらい。 ジェフは慌ててトニーに話しかけようと口を開いたが―― 「じゃ、次はジェフの番! ジェフの女の子の好みって?」 それより早くこうウィルが言った瞬間トニーが勢いよく立ち上がった。 全員が注視する中、トニーはどこか虚ろな表情でにこりと笑い、頭を下げた。 「……ごめん。ちょっと」 そして談話室の外へと走り出す。 ジェフは慌ててそのあとに続いた。 「トニー! 待って!」 トニーは寮の外、雪のどっさり積もった杉林にまで走ってきて、足を止めた。肩が大きく上下している。 ジェフも少し息を荒げつつ走ってきて、トニーの少し前で止まり、ゆっくりと近づいた。トニーは反応しない。雪を踏む音で気づいているだろうに。 ジェフは、トニーのすぐ後ろに立って、そっとコートをかけた。 「……体が冷えるよ」 トニーは答えない。ただ、少し経ってから小さく「ごめんね」と呟いた。 「いや」 ジェフは(トニーには見えないだろうが)首を振ってトニーの後ろに立つ。そしてトニーが口を開くのを待った。 トニーがなにに傷ついているかはわからないが、話ならいくらだって聞いてやる。問題を抱えてるなら解決に協力しよう。苦しんでいるなら原因をなくしたい。 当然だ、だって自分はトニーの恋人なのだから。 そう決意をこめてトニーの小さな背中を見つめていると、その背中が小さく揺れて、トニーがもう一度「ごめんね」と呟く。 「いいから。そんなこと」 「……ごめんねぇっ………!」 う、とトニーの肩が大きく震えた。泣いてるんだ、と気づきジェフは仰天したが、恋人が泣いているのにぼーっと突っ立っているだけなんて真似はしない。ぐいっとトニーを引っ張って、腕の中に収めた。 トニーはう、う、としゃくりあげながらジェフの胸元にしがみつき泣きじゃくる。ジェフはぎゅっとトニーを抱きしめて落ち着くのを待った。 数分経って、トニーの泣き声が静かになってきた。ひっく、ひっく、とたまにしゃくりあげながら、ジェフの胸元に顔を埋めている。 「……落ち着いた?」 「………うん。ごめんね、泣いたりして」 そう言ってトニーは顔を上げ微笑んだが、その笑顔にはまだ翳りがあった。 「……トニー。君はなにを悩んでるんだい?」 「………………」 とたん口をつぐんでうつむくトニーに、ジェフは静かに語りかける。 「君から話すのを待とうと思ってたけど。トニー、君は今苦しんでるだろ? 僕はその原因をなんとかしたい。だから、話してみてくれないかな」 「………………」 「……トニー。僕は、君の恋人だろ?」 「…………うん」 「僕のことを恋人が苦しんでるのを見過ごせるほど薄情な男だと思ってるのかい? ……少なくとも僕は、君が苦しんでたら苦しいよ」 「………っ………」 トニーはばっと顔を上げた。涙に濡れた顔を。苦しみに大きく歪んだ顔を。 ジェフはきゅっと痛む胸を無視して、微笑んだ。少しでもトニーの苦しみを救える役に立てるんなら、自分の胸なんかいくら痛んだっていい。 トニーは悲痛な、悲愴とすら言ってよさそうな顔でジェフを見上げ、震える声で言った。 「……いつまで、そう言ってもらえる?」 「え?」 きょとんとしたジェフに、トニーはうっと顔を歪めた。こぼれそうに大きな瞳から、大粒の涙をぽろぽろこぼす。 「ごめん、ぼくすごく失礼なこと言ってるよね。わかってる、わかってるんだけど……不安で………!」 「ちょ、ちょっと待ってトニー、もしかして君は僕が君を捨てるんじゃないかって不安になってるのか?」 だとしたら心外だ二人っきりの時は頑張って愛情を表現してるつもりなのに、と眉をひそめるとトニーはぶんぶんと首を振った。 「そうじゃないよ……そうじゃなくて、そうじゃないけど……!」 「……トニー……ゆっくりでいいから、話してみてくれるかい?」 その言葉にトニーはう、う、としゃくりあげる喉を必死に押さえながら、話し始めた。 「……ジェフ……ぼくは、ゲイなんだ」 「……知ってるけど?」 「ジェフと出会う前も男しか好きになってこなかったし、もしジェフと会わなくても男しか好きになれなかったと思う。ジェフと違って」 「……トニー?」 トニーは今にも泣きそうなのを必死に堪えながら話している――それはわかるが、トニーはなにを言いたいのだ? 「だから、女の子を好きになる気持ちって全然わからないんだ。みんなが好みの女の子の話してる時に改めて思った。ぼくはおかしいんだ。異端者なんだよ」 「トニー、そういう言い方は――」 「本当にそうなんだよ。……親戚からも排斥されるくらい」 「―――え?」 ジェフは目を見張った。トニーは泣きながら唇だけで微笑んで続ける。 「二週間前、言われたんだ。従姉妹に。『今年のクリスマスは家に帰ってこないで』って」 「な―――」 「ぼくね、家の方では昔有名だったんだ。ゲイ少年として。男の子を好きになって、その子をほとんどストーカーじゃないかってぐらいの勢いで追い掛け回してたから」 「…………」 「今ではもう忘れてる人の方が多いけど。でもまだ何人かは覚えてて、ぼくを見るたびに蔑むように言う。『変態少年』『近寄るな』『ゲイがうつる』――って」 「なっ………!」 思わず頭に血が上った。トニーに――僕のトニーに、なんてことを………! トニーは言葉を続ける。 「それで家族にはずいぶん迷惑をかけちゃってるんだ。本当に申し訳ないと思ってた。――でも、ぼくはこういう自分を否定する気はなかったんだ。そういうことを言う人たちは性根が曲がってて、相手するだけ無駄な人たちなんだって」 「その通りじゃないか」 でも今度僕はトニーの家についていってそんなことを言った奴らを血祭りに上げるけど、と物騒なことを考えつつジェフが言うと、トニーは笑った。寂しげに。 「本当に、そう思ってたんだよ。――二週間前、従姉妹に『今年のクリスマスは家に帰ってこないで』っていう電話をもらうまでは」 「………それは、その従姉妹って人が―――」 「そうかな。ぼくにはそうは思えなかった。……ぼくね、その子とけっこう仲がよかったんだよ。年も近かったし、スノーウッドに来る前はしょっちゅう一緒に遊んでた、親戚同士で家も近かったから。家に帰った時も、必ず会いに行ってた。そのたびに楽しくお喋りしたよ。――でも、その子が言うんだよ。電話の向こうで、泣きながら。『お願いだからクリスマス、家に帰ってこないで。パーティに参加しないで』って」 「―――――」 「その子、恋人ができてね。今年初めてうちのパーティに呼ぶそうなんだ。結婚についても真面目に考えてるくらいの仲だそうでね、絶対に自分の親戚に対して悪印象を抱いてほしくないんだって……だから、ぼくがいると、困るんだって」 「そんな―――」 「その人はゲイが嫌いなのってぼくは聞いたよ。その子はそんなこと話したこともないって言った。話題に上らせたくないって。じゃあその人がゲイって性癖を受け容れてくれる可能性だってあるじゃないってぼくは言った。するとその子は言ったんだ、泣きながら。『そんな可能性考えたくもない。お願いだから帰ってこないで。私たちの生活に入ってこないで』――って。彼女にとってはぼくの性癖は話題に上らせる、ううん考えるのすら嫌なほど、汚らわしいものだったってことなんだ」 「………………」 ジェフは無言で拳を握り締めた。その女にペンシルロケット20を手加減なしでぶちかましてやりたい。ネスとポーラとプーのPKを全力でぶつけてやりたい。 でも、そんなことをしてもトニーの傷は癒えないのだ。 ぽたぽた涙をこぼしながらトニーは続ける。 「そ、れで、ぼく、思ったんだ。友達って、大切な親戚って思ってた人がぼくのことをこんな風に思ってるってことは、他のぼくにとって大切な人も、ぼくを気持ち悪いって、汚らわしいって思うんじゃないのって」 「―――! まさか、トニー……」 「違う、ジェフを疑ったんじゃない。ジェフがぼくを大切に思ってくれてるのは体全体で信じてる。――けど、ジェフのパパは?」 「――え?」 「アンドーナッツ博士は、ぼくとジェフがそういう仲だって知っても、素直に祝福してくれる?」 「そりゃ―――」 「ジェフが、もう、一生結婚できなくっても? 孫の顔が見れなくなっても?」 「―――――」 ジェフは、一瞬絶句した。 トニーは必死に涙を拭いながら、しゃくりあげながら続ける。 「改めて実感したんだ。ぼく、ぼくは異端なんだって。おかしいんだって。まっとうな世間からは後ろ指を指されるんだって。ぼくは、ぼくはそんなのどうだっていい。後ろ指さされたってどうだって、自分に嘘をつくよりは。でも、でも、ジェフは? もともとゲイじゃないのに、ぼくが後ろ指さされる道に引きずり込んじゃった、ジェフは?」 「………トニー」 「ジェフのせいじゃないのに、ジェフは全然悪くないのに、ジェフが後ろ指さされちゃったりしたら。ううん、ジェフはそんなことは気にしないだろうけど、もしお父さんに拒否されたら? ジェフがお父さんに軽蔑されることになったらどうしよう。仲違いしちゃったらどうしよう。そう考えたらっ、なんかっ、どんどん怖くなってきてっ、とても顔合わせられないって思ってっ……」 「トニー」 「ジェフは本当なら女の子と幸せな結婚をするんだったんだろうに、ぼくがそういう幸せ全部奪っちゃったんだって思えちゃって、それがわかってるのにジェフを離したくないぼくが、世界で一番汚い奴みたいに、思えてきちゃってっ……!」 「トニー!」 ジェフはぐい、とトニーを引き寄せ――キスをした。 髪に。額に。こめかみに。鼻に。頬に。喉に。そしてもちろん、唇に。いつも通り、死ぬほどいっぱい。 「……んっ……」 しばし舌を絡め唇を吸って、離した時にはトニーはもうほんわりとなっていた。潤んだ瞳で自分を見上げるトニーに、ジェフは真剣な表情で言う。 「トニー。君は、君がどれだけ僕を救ってくれてるのか、自分でわかってないね」 「え……」 呆然とした顔になるトニーに、ジェフは言って聞かせる。心の底からの真実を。 「トニー。君も知ってると思うけど、僕はスノーウッドに入ってきた時一人だった。それからもずっと一人だった」 「………うん」 「――君がいなければ、今もずっと一人だったと思う」 「え……?」 トニーが目を見開く。ジェフは真剣に続ける。必死だった。心の中にあふれるトニーへの想いを表すのに。 「トニー、僕は君に出会うまで、誰かに気にかけてもらうことがなかった。話しかけてもらうことすらろくになかった。自分では気づいていなかったけど――寂しかったんだ、本当に。死にそうなぐらい」 「………ジェフ」 「寂しいことに気づくのが怖くて必死に強がって。周り全部拒否して、壁を作って。平気な振りしてたけど本当に本当に苦しくて寂しかった。そんな中で、君が毎日、突き放しても突き放しても話しかけてきてくれたことが――僕をどんなに救ってくれたか、わかるかい?」 「………ジェフ………」 「君は僕を救ってくれた、守ってくれた。一人じゃないって生まれて初めて思わせてくれた。そりゃ僕はゲイじゃないと思うし、君が僕を好きだと気づいた時に戸惑ったのも事実だ。だけど。君の優しさが、暖かい気持ちが。君の僕に向けてくれる愛が――僕を、どんなに救って――幸せにしてくれたか、わかるかい?」 「………ジェ………」 「トニー。僕は君を愛してる」 ジェフはきっぱり言い放った。 「君がいいんだ。君じゃなきゃ駄目なんだ。君は男で、僕はゲイじゃない、それがなんだい? 君がゲイだから僕を好きになってくれたのなら、僕は君がゲイだったことを神に感謝したいよ」 「………………」 「君がいなければ僕はここに立ってない。君が必要なんだ。ゲイで、男の君がだ。君が女の子でも好きになったろうとは思うけど、いまさら男じゃない君なんて想像できないよ」 「………ジェフ………」 「世界が後ろ指をさそうが、敵に回ろうが。僕は君と一緒にいる。一生、ずーっとだ。君が世界の誰より好きだからだ。父さんが僕を拒否しようがだ。こういうのは選ぶものじゃないってわかってるけど、父さんと君となら僕は君を取る。君だけだ。君しかいらない。君を幸せにできるなら、父さんと縁が切れようが世界と戦うことになろうが僕はどうだっていい。――君が嫌だって言っても、もう別れたいって言っても、離さない。離すもんか」 「………ジェフぅっ………!」 トニーはジェフに泣きながらしがみついた。ジェフもがっしと抱き返し、髪に、額にこめかみに何度もキスを落とす。 「ごめんね、ジェフ、ごめんね、ごめんねーっ!」 「謝る必要なんてないだろ? 僕は今すごく幸せなんだからさ」 「ジェフ、ジェフジェフジェフ、大好き………!」 「ああ。僕もだ、トニー」 「………ジェフ………」 「………トニー………」 お互い相手を見つめあう。もうお互い言葉はいらないとわかっていた。相手の瞳を見つめ、唇と唇がゆっくりと近づき――― 「ぶえーっくしょーいっ!!」 『!!!』 ジェフとトニーはばっと声のした方を振り向いた。少し離れた藪の辺りから、「バカ!」「逃げろ!」「まずいよやばいよ」と声が聞こえる。 「待て!」 ジェフは叫ぶと同時に、逃げ道と思われる場所にポケット内のペンシルロケットを一発打ち込んだ。とたんぴたりと声が止まる。 「……出てきてくれるかい、君たち?」 静かにそう言うと、しばしざわめきがあってから、藪の中から我らが愛する友人たちが出てきた。予想通りガウス、ぶすっとしている彬、照れ笑いしているウィルにエディにルゥに―― 「……全員のぞいてたわけか……」 「言っとくけどなっ、無事まとまったの見たら退散しようと思ってたんだからな! それをこのバカがもうちょっとーとか言って結局くしゃみなんかしやがって……」 「でも、のぞきはのぞき。だろう?」 「う……」 「ちなみにどこから?」 「え、えーと。『僕は、君の恋人だろ?』からかな」 ほとんど全部か。ジェフはこめかみに青筋を立てた。 「あ、あ、心配しないでいいよ!? キスどこにしてるのかとかまでは遠くてよくわかんなかったし!」 「そうそう、聞こえたのはジェフのくそ恥ずかしい惚気と口説きぐらい――って、あ」 ジェフは笑顔でちゃっとペンシルロケットを取り出した。 「全員極刑!」 『ひえぇぇぇぇぇっ!!』 トニーの寝顔を見ながら、ジェフはそっと息をついた。 もうすぐ朝だ、トニーも目を覚ますだろう。今のうちに寝ておこう。 あのあと、追いかけっこがいつの間にかトニーも交えた鬼ごっこに発展し。むろん全員捕まえて(トニー以外には)罰を与えたものの、ジェフはそう悪い気分ではなかった。友人たちが自分とトニーを心配してくれたのはよくわかっていたからだ。 そのあとみんなで談話室に戻って酒盛りをした。ガウスはいつのまにか大量の酒類を購入していたのだ。最初はみんなちょびちょび飲んでいたものの、最後には全員大いに酔っ払って騒ぎまくることになった。 ウィルは酔っ払いながら、サリサの名前を連呼していた。夜中ふと気がついた時に、携帯電話でサリサらしき人と優しげな表情で話しているのが見えたから、たぶん今日家に戻ってサリサに改めて謝りに行くはずだ。 エディは笑顔で溜め込んだ愚痴を大放出していた。ウィルがすいませんでしたと泣いて謝るぐらい。でも実際そういう生き方が気に入っているのも本当らしい。家族にも愚痴ってみたらと言うと、それもいいかもねと笑っていた。 彬は笑い上戸のあと泣き上戸になって、そのあと絡み上戸になった。どの時もガウスが相手をしてやっていて、最後には幸せそうな顔でガウスに抱きついて眠り込んでしまい、ガウスに心底愛しげな顔で頭を撫でられたりしていた。 ラルフは酒には強いらしく、それほど乱れはしなかったがその分周囲のフォロー役に苦労していた。こういう時は正気を残している人間の負けだ。「俺も真面目に恋愛したいなぁ。そういう子見つけよっかなぁ」と愚痴ってはいたけれども。 ルゥはにこにこしながら飲んで、やっぱりにこにこしながら酔っていた。のでどこまでが正気でどこからが違うのかわからない。ただ、最後にはしっかりアレクを抱えて立ち上がった辺り、実際タフではある。 アレクは最初から最後まで笑いっぱなしだった。実際酒が入るとああもテンションが高くなるとは思っていなかったのだが。酒を飲むような付き合いをする頃になったら苦労するな、と思った。 ガウスはいつも通りに騒いでは沈没し騒いでは沈没しを繰り返していた。だがあれはどこまで酒に酔っているのか怪しいものだと思っている。素でもガウスはそれくらいやるからだ。最後には彬を抱えてしっかり部屋に戻っていたし。ちなみにゲームがぽしゃったからと全員に分けてくれたプレゼントは死ぬほどセンスのないTシャツだった。 トニーは……酒に酔うと色っぽくなる質らしい、ということを初めて知った。とろんとした目でぽうっと見上げられた時は、なんで自分たちは寮にいるんだと心底口惜しく思ったものだ。 自分はといえば、それなりに酔いはしたものの、それほど酒を過ごしもせず、それなりに正気を保ったまま宴の終焉を迎えた。そして当然後始末をやらされることになった。 まぁたまにはこういうのもいいだろう、と思って真面目にやった。少し失敗はしたけれど。 酔い潰れた者を生き残りで協力して部屋に運び、ベッドに入ったのが三時近かっただろうか。実際よく騒いだものだ。 もちろんケーキも全員残さず食べた。とってもおいしかった。 そしてジェフはトニーをベッドに寝かせたあと、プレゼントを用意することにした。トニーと話しているうちになんとなく思いついたのだ。まぁ、やっぱり気持ち≠ニそう変わらないプレゼントではあるけれども。 作るのは簡単だったが、どんな包装にするか決めるのに時間がかかった。包装紙なんてどこにあるかジェフは知らない――あるかどうかすら知らない。紙をケチって安っぽい箱になってしまうのも勘弁だ。 結局前にトニーがジェフに送ってくれたオルゴールにプレゼントを入れておくことにした。少しは格好がつくだろう。リボンをかけてカードもつけて枕元に置いておいたから、たぶん気づいてくれると思う。たぶん。 確実を期するなら直接渡した方がいいのだろうが、それじゃクリスマスのプレゼントじゃなくなってしまうし。それに、このプレゼントを直接渡すのは、ちょっと気恥ずかしかったのだ。 よく寝ているトニーの寝顔をもう一度見る。一緒の部屋で九年以上暮らしているのだから、寝顔はもう飽きるほど見ている。 でも、それでもジェフは、幸せな気持ちになった。傷ついたトニーがこんなに安らかな顔で(だらしないとも言えそうな顔ではあるが)眠ってくれるのは、やはりそれなりに自分のそばにいるせいもあるのだろうと思ったからだ。 「……おやすみ、トニー」 ちゅ、とトニーのまぶたにキスをする―― そのとたん、トニーの目はぱっちりと開いた。 「……あ、ごめん。起こしちゃった?」 とりあえず冷静な素振りでそう言ってはみたが内心は慌てまくっていた。なにもこんな時に起きなくても………! 「……今、何時?」 トニーは大きな目をきょるん、とうごめかしてそう言ってきた。ジェフは時計を見て、「六時四十五分」と告げる。 「なんだ……まだみんな寝てるね。もうちょっと寝てもいい?」 「ああ。ゆっくりお休み、トニー」 ジェフは笑顔でそうトニーの頭を撫でる。とにかく今は眠りについてほしい気持ちでいっぱいだった。 ――と、トニーの瞳が大きく見開かれた。 ジェフがは、とする間もなく、ばっと飛び起きて枕元のオルゴールに飛びつく。ああ、とジェフは沸きあがる猛烈な羞恥に顔を押さえた。 トニーは震える手でカードを取り、読む。それにはこう書かれてあった――『メリークリスマス。僕の心がいつも君と共に在る、その約束の証を送ります。P.S.自分で稼げるようになったらちゃんと宝石のついたやつを贈るよ』と。 トニーはゆっくりと、のろのろと、まるで恐れてでもいるかのようにオルゴールを開ける。中にあるのは――ナットと針金で作った、指輪もどきだった。ちょうどトニーの左薬指にぴったりはまるぐらいの。 トニーはそれを手に取り、じっとジェフを見て、「はめさせて」と言った。ジェフはああくそ猛烈に恥ずかしい、せめてあと一週間早く気づいてればもっとまともな指輪が贈れたのに、と思いつつもトニーに従ってトニーの指――左薬指に、そのどうしようもなく貧乏臭い指輪をはめた。 トニーはおそるおそるその指輪と指を見つめると、そっとその指輪にキスをし、ジェフにゆっくり近づいて――キスをした。唇と唇を、そっと触れ合わせるだけの軽いキスだったけれども。 唇が震えて、声が出る。 「………ジェフ………ぼくも、誓うよ」 「………なにを?」 「ぼくの心も、いつも君のそばに在る、って。一生、ずーっと、一緒だって」 「………うん」 ジェフはそっとうなずいて、涙で潤んでいるトニーの瞳にそっと口付けた。それから髪に、額に、こめかみに、鼻に、頬に、喉に、そしてもちろん、唇に。 ずっと一緒だ。 スノーウッド寮、自分たちの部屋。自分たちにとっては紛れもなく世界の中心で、二人はそう、誓い合った。 |