どうきん
『………もう、もうダメだ。限界だーっ!!』
 レックスは目の前の、無邪気に眠るナップの顔を見ながら、心の中で絶叫した。
 すでに二十回以上繰り返した言葉だった。

 ナップと一緒に寝るのは初めてではない。この島にたどりついた初めての夜、抱きつかれてそのままナップが眠ってしまったことがある。
 だが、その時と今とでは状況が違う。ベッドの中に二人きりというシチュエーション、誘うようなナップの言葉。
 なにより自分とナップの気持ちが桁違いだ。自分はもはやナップを思いっきり愛してしまっていると自覚しているし、ナップもあの時よりずっと自分に心を開いて、自分を好いてくれている(これにはけっこう自信がある)。
 そう、それこそいっそのこと襲っちゃってもそんなには怒らないんじゃ? とか思ってしまうくらいに――
『なに考えてるんだ俺の馬鹿馬鹿馬鹿! それでもお前はこの子の教師か!? こんな稚けない子にそんなことを考えるなんて、第一そんな妄想の通りにことが運ぶわけないじゃないか! ナップはきっと傷ついて泣いたりしてしまう、そんなことになるくらいなら死んだ方がマシだーっ!』
 そう発作的に何度も壁に頭を打ちつけてナップに変な目で見られつつ、レックスはベッドの中、ナップの隣に入りこんだ。心臓は早鐘、頭は沸騰だ。
「……狭くないかい?」
「大丈夫」
 ナップはレックスの顔を見つめつつ嬉しそうに笑う。ああ、なんて君は純真なんだ! と可愛い可愛い可愛いと暴走する心に必死に歯止めをかけるレックス。
 そっと布団を二人の上にかけると、ナップはレックスにすりより、腕を回してぎゅっと抱きしめた。
「…………! ナ、ナップ………!?」
 ナップはどこか不安そうな瞳でレックスを見上げ、言う。
「………ダメ?」
「ダメ………じゃないけど………」
 まずいまずいまずいまずいまずいまずい。理性が……本格的に、理性が崩壊してしまう………!
 ナップの顔が目の前に見える。その短くて柔らかそうなくせのない髪、琥珀色の適度に陽に焼けた瑞々しい肌、細くて短めの子供っぽい眉、閉じたまぶたからすうっと伸びる意外に長いまつげ、小さいけれど形のよい鼻、肉の薄いピンク色の時々中から舌ののぞく唇―――
 キスしたい。
 キスしたい舌を絡めたい舐めまわしたい押し倒したい。
 馬鹿馬鹿馬鹿なにを考えてるんだナップは弱ってるんだぞそんな時に俺はそれでも先生なのか!
 そう思いつつもナップの顔から目が離せない。そして見ているといつの間にかナップの体に回した腕に力を入れ、するすると唇を近づけていく自分を発見したりする。
『ダメだ、もう限界だ!』
 そう思って視線を逸らすと寝巻きの襟元からナップの肌が、鎖骨が、見えそうで見えない乳首がちらっと目に入ってしまったりする。
 ……脱がしたい。
 服を脱がせて体中の隅々までキスを落としたい。体の中まで指を、舌を這わせたい。そして最後には体ごと一つに――
『ダメだ――――っ! それだけは、それだけはダメだ――――っ! 俺の心の中の理性よ、良識よ! 俺の煩悩を止めてくれ――――っ!』
 と叫んだところで煩悩が止まるはずがない。したい、でもダメだ、したい、でもダメだ。そんな進歩のない問答を何万回も繰り返しているうちに、ナップの呼吸はいつしか安らかな長いものに変わっていった。
 ナップが寝てしまったのなら腕の中から抜け出せばいい――確かにそうなのだが、レックスは動けなかった。ナップの顔から、体から、目が、手が離せなかったのだ。
 可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い。今まで何万回も心の中で言ってきたけど、それでもやっぱり可愛い。泣き腫らして赤らんだ目尻を舐めてあげたい。傷ついた心も体も舐めて癒してあげたい。
 てゆーか、したい!
 惚れた相手と一つ布団で寝ていて、相手が無防備な姿を晒していて、これで我慢できるわけがない!
『理性理性理性理性理性理性!』
 そう叫ぶ心の中の声はあまりに儚かった。レックスはそろそろと、ゆっくりと、だが着実にナップの唇に自分の唇を近づけ――
「せん……せぇ……」
 レックスはびくぅ! と体を震わせる。起きたか!? と顔をのぞきこむが、ナップは目を閉じたまま、息も安らかで起きている時よりかなり長い。
 寝言か、と心底ほっとして、レックスは息をついた。
「せんせぇ……」
 ほっとするとナップがどうして自分を呼んでいるのか気になってくる。もしかして俺の夢とか見てくれてるのかな、とどきどきしながら唇を見つめていると、ナップの唇がゆっくりと開かれた。なんだか、すごく幸せそうな笑みを浮かべつつ。
「せんせぇ……大好き」
「………………」
 レックスの顔から、表情が消えた。
 そのまましばらく(数分間)硬直していたが、やがてふう、と息をつき、ナップを起こさないように苦労しながらナップの腕の中から抜け出す。
 ベッドから降り、ぽんぽんとナップの体を布団の上から叩いて、床に寝っ転がった。
「……あんな顔で、あんなこと言うんだもんな……」
 あんな幸せそうな顔で、体全体で信頼してるって顔で『大好き』なんて言われたら。
 裏切ることなんて、できっこないじゃないか。
 傷つけたくない、大事にしたい。守るって俺は君と約束したものね。
 俺自身からも、ちゃんと君を守らなくちゃ。寝ている隙に妙なことしたら、絶対に君を傷つけてしまうと思うから。
 そんなことも忘れていたなんて、本当に俺って馬鹿だな、とレックスは苦笑した。

 翌朝、ナップはレックスがベッドから降りていたことにふてくされたが、自分の顔を見てすごく優しくおはよう、と挨拶してくれたので、ちょっと嬉しくなってまあいいか、と思うことにしたらしい。

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