「ふむ……」 レックスは用意されたものを見渡して、うなずいた。 「準備は完璧だ。……たぶん」 うん、と再びうなずいてから、遠い目をして宙を見上げる。 「あとは、俺が手順さえ間違えなければ完璧に終わるはずなんだけどな……」 釣ってきた魚がびちびちと跳ねた。 レックスがなんで食事当番を免除されているのか、と文句を言い出したのはカイルだった。 「俺だって数日に一回は当番回ってくんだぜ? 不公平じゃねぇか。ヤードだってやってんだ、三日以上一緒にいりゃあ客人だなんだって固ぇこということもねぇはずだろ?」 「だって先生はしょっちゅう魚とか海老とか釣ってくるじゃん。食料を調達する係と調理する係で釣り合いが取れてんじゃないの?」 カイルはうっと詰まったが、それでも必死に言い返す。 「でもよ、もう食料島の奴らに分けてもらえるって決まったわけだしよ。そろそろ先生を解放してやろうとは思わねぇか? やっぱ悪いだろ、一人だけ特別扱いっていうのはよ」 「ですが島の食料も無制限というわけではないですし、やはり自分たちで手に入れられるものは手に入れたほうがよいと思いますが?」 またうっと詰まって一瞬黙り込むが、すぐ手足を大声でムキになったように主張した。 「いいじゃねぇか、先生の手料理お前らだって食べてみてぇだろ!? 先生がどんなもん作るか興味あるだろ!? うまかったらそれはそれでいいし下手くそだったら料理下手仲間ができるだろ!?」 「本音はそれか……」 呆れたようにソノラが言った。 確かにこの中で料理が上手だと言える人間はほとんどいない。特にカイルはどんな食材でもただ焼くのみなため、なにを食っても素材の味しかしない。まずいというわけではないが、始終それではやっぱり飽きる。 料理下手仲間が欲しいというのは、けっこう切実な願望かもしれない。 レックスはしばし考えて、うんとうなずいた。 「わかった。俺も食事当番に入るよ」 「えー? いいんだよ先生、アニキの言ってること真に受けなくたって……」 「でも、確かにカイルの言ってることももっともだと思うしね。俺でよければ食事当番に入るよ。味の保証はしないけど……」 「おお先生、やってくれるか! あんたならそう言ってくれると思ってたぜ!」 カイルはがっしとレックスの両手を握り締めた。 「……とは言ったものの」 ふう、と溜め息をつくレックス。 「まともな料理なんてここ十年くらい作ってないからなぁ……」 軍学校で習ったのは当然だがサバイバル料理ばかり。毎日の食事は宿舎の人間が作ってくれた。 村にいた頃は当然料理の手伝いくらいやったが、あくまで子供の手伝いの範囲だ。最初から最後まで一人で料理を作ったことなど、数えるほどしかない。 それなのになぜ食事当番を買って出たかと言うと、カイルが可哀想だと思ったのも確かだが―― ナップが最近元気がないからだ。 最初は海賊たちの中にわりと馴染んでいるように見えたナップだが、この島での生活が長引くにつれだんだんとその顔から笑顔が失われていった。最近ではいつもアールと二人でいるか、ぽつんと一人きりで剣を振っていることが多い。 やっぱり屋敷とはあまりに違う環境につい周りを拒否してしまうのかもしれない。なんとかしたいとは思うものの、なにか言ってどうなることとも思えないし、レックスも行動を起こしあぐねていたのだ。 そこに食事当番のことを言われて、ふと思いついた。 『おいしいものを食べたら機嫌がよくなるかもしれない』 なんというか単純というか安直な発想だなぁとは思うものの、これでもレックスなりに考えたのだ。食事がおいしければナップも嬉しいと思うだろうし、隣にいる人間と話題も弾むだろう。それがきっかけで周りと普通に話をしてくれるようになるかもしれないし、もしかしたら自分を見直して少しは心を開いてくれるかも―― 甘い考えだとはわかっているが、それでもレックスとしては一縷の望みをかけていたのである。 「……でも、それも全部、俺がおいしい料理を作れることが前提なんだよな……」 できるだけの準備はした。釣ってきた魚介類、もらってきた芋・野菜類、保存食の固パン、塩水、わずかな調味料。これを使ってうまい料理が作れるか。 「とにかく、やってみるしかないか!」 よし、と気合いを入れて、レックスは調理に取り掛かった。メニューは『魚介類のスープ』と、すでに決めてある。自分にもおいしく作れる料理といったら、焼物か汁物しかない。そして焼物はすでにさんざん食べている。となれば汁物、それも素材がよければ普通はおいしいスープがいいだろうと思ったのだ。 レックスはまず魚介類をさばくことにした。ここらへんはサバイバル料理の範疇なので、よどみはない。包丁で頭を落とし、鱗を取って、腹を開く。 ――と、ここでレックスははたと考え込んだ。普段魚を焼く時にはレックスは内臓は取らない。しかし干物にする時には内臓は取る。汁物にする時はどうすればいいんだろう? レックスはううん、と考え込んだ。焼き魚の時は内臓ってけっこうおいしいんだよな。でも煮る時はどうなんだろ? そもそもなんで干物にする時は臓物を取るのかな? いつまでも考えているわけにはいかないので、とりあえずそのまま鍋にぶち込んだ。内臓が入っているほうが素材の味がよく出ておいしいだろう。たぶん。 火を熾して、綺麗な場所から汲んできた海水を入れ、魚介類を全部ぶち込んだ鍋を火にかけた。じっくり煮込めばだしが出ておいしいスープができそうな気がする。海水はそのままで調味料になるとどこかで聞いた覚えがあるし。 煮ている間に野菜を切る。芋の皮を剥き、一口大に切り、人参やらキャベツやらもそれぞれ切って鍋に入れる。 あとは固パンを軽く焼けば完成だ。 なんだけっこう簡単だったじゃないか、とほっと息をつき、固パンを載せた網を火にかけた。 スープはよい加減で煮えてきているようだ。どれ、ちょっと味見、とおたまですくって小皿に移し一口すする。 「――――――!」 レックスはげほげほとむせた。 しょっぱい。死ぬほど。 「な、なんで? 塩入れてないのに……」 しかし元が海水である。塩水なのである。それを時間をかけてたっぷり煮詰めればしょっぱくなるのは自明のことだ。 「と、とにかくなんとかしなくちゃ……」 水を入れようと辺りを探すが、水がない。こんな事態は予想もしていなかったので水は必要ないだろうと思ってしまったのだ。 水を汲んでくればよさそうなものであるが、レックスは怖くてそれができなかった。目を離したら鍋が焦げてしまうのでは!? ひっくり返ってしまうのでは!? とか考えてしまい鍋のそばから動けなかったのだ。 とにかく、こうなったら他の香辛料で誤魔化すしかない。レックスは覚悟を決めて、他の香辛料を投入した…… ……大失敗だった。 しょっぱさが薄らがずに他の香辛料の味が加わって、もうなんだかわけがわからない味に変化した。おまけに魚介類の臭みやえぐみが全部水の中に溶け出していているので、とにかく強烈な味で舌がおかしくなりそうだ。 おまけに。 「………ん? あ―――っ!」 固パンが見事に全部焦げていた。スープの味付けに夢中になって固パンのことをすっかり忘れていたのだ。 どうしよう。ていうかどうしようもない。 そんなことを考えている時に、「あー腹減ったぁ」などと言いつつ他のみんなが竈の周りにやってきた……。 「…………駄目だろ、こりゃ」 「うううう…………」 レックスはなにも言えずうなだれた。このできばえでなにか言えるはずがない。 なにせいっそ見事なまでにダメダメな料理っぷりなのだから。 ただカイル一家は全員まずい料理には慣れているらしく、苦笑しただけで済ませてくれたのがありがたくも申し訳なかった。 「センセ、魚煮る時は内臓取らなきゃ。味がえぐくなるわよ」 「そうなのっ!?」 「先生、魚水から煮立てたでしょ? 駄目なんだよ、それしたら魚の味が全部水の方に抜けちゃうから」 「知らなかった……!」 レックスは知らないことばかり言われて驚きながら、内心びくびくしていた。ナップの顔が見られない。 おいしい料理を食べさせてあげようとしてこれでは、あまりに情けなさすぎる。ナップにはなにも言ってないから自分の一人相撲なんだけど、だから余計に一人勝手に恥ずかしくなってしまうというか……。 ナップは相変わらずムスッとした顔で少し遅れてやってくると、定位置に座った。それからずっと無言を通している。やっぱりよけい機嫌悪くさせちゃったんだろうか!? と怖くてしょうがない。 「……ごちそうさま」 そう言うとナップはぷいと普段よりも早く席を立った。うわああ、やっぱ腹立ててるんだぁ、と溜め息をつきつつ食事当番の責務としてナップの食器を片付けようとする。 その食器は、空だった。 「…………!」 驚いた。 レックスはしばし呆然と食器を見ていたが、すぐに自分の食器を地面に置いて走り出す。 「おい、先生?」 「ごめん、あとで片付けるから!」 レックスはナップを追った。別にどうということはないのかもしれない、ただ単にお腹が空いていただけなのかもしれない。そんなことわざわざ言ったって帰って機嫌損ねちゃうかもしれない。 でも、なにか言いたかった。このままほったらかしにしておくなんてしたくなかった。 なにか、なにか、なにかなにかなにか――― 「ナップ!」 はあはあと息を荒げながらかけた声に、ナップは相変わらずムスッとした顔で振り向いた。 「……なんだよ」 「あの……あの、さ……」 空転する思考。心臓の動悸ばかり激しくて、まともにものを考えられない。 結局、無難なことしか言えなかった。 「食べてくれて、ありがとう」 「……別に。他に食うもんなかったから食っただけだよ」 さっと顔を赤らめつつも、ぶっきらぼうに言葉を返す。 「でも、まずかっただろ、あれ」 「………うん……でも………」 「? でも?」 ナップは赤らんだ顔でうつむいて、小さな声で言った。 「……食えないほどじゃないよ」 ほわ。 レックスはなんだかとてもナップがいい子だなぁ、と感じてしまい、口に出して言ってしまった。 「君はいい子だね」 ナップは顔を赤らめたままレックスを睨むと、大声で怒鳴る。 「適当なこと言ってんなよ、バカ!」 そしてそのまま駆け去ってしまったが、レックスはなんとなく顔がにやけるのを抑えられなかった。 心を通じ合わせたナップに、あの時はレックスに我侭な子だと思われたくなくて必死で食べたのだということを告白され、非常に申し訳なく思いつつも感動したレックスが料理の特訓をするようになったのは、数日後の話。 |