酒盛り・2〜酔っ払いがここにいます
「かんっぱ〜い!」
 もう何度目か定かでないほど行われた夜の船上宴会だったが、今日はまた格別ににぎやかだった。
 珍しいことにヤッファがキュウマを連れて、酒持参でやってきたからだ。
 小宴会というには少しばかり盛大な宴に、ナップやソノラも加わって、船の上は喧騒に満ちていた。
「おら先生飲め飲め! せっかく二人が持ってきてくれた酒だ、味あわなきゃ損損!」
「ははは……」
 レックスはぐい呑みに酒を注がれながら苦笑した。レックスはさほど酒好きというわけではない。
 飲酒歴もそれなりにあるしこの年になればたまに無性に酒が欲しくなる時もあるが、酒を飲んでもさほどうまいと感じない質なのだ。
 おまけに弱いので、あくまで付き合い程度にちびちびと飲む。少しだけ酒が回ってほろ酔い加減になったあたりが一番好きという、安上がりな酒である。
「うえ……っ、まじっ……!」
 ナップの声に慌てて声の方を向いてみると、そこには盃を置いて顔をしかめているナップとにやにや笑っているスカーレルの姿があった。
「スカーレル!」
 レックスの絶叫に、スカーレルはくすくすと笑う。
「あら、アタシはなんにもしてないわよ? ただこの子が酒の味を知りたいって言うから教えてあげただけで」
「ナップはまだ子供なんだぞ! 俺たちがちゃんと見ててあげなくてどうするんだよ!」
「だから見守ってあげてるじゃなーい」
「ただ見てるだけじゃちゃんと見てるとは言わない!」
「やめろよ、先生! まるで俺のことガキみたいにさ!」
 顔を赤くして怒鳴るナップを、カイルが肩をすくめて茶化した。
「ガキじゃねーか。誰がどう見ても」
「俺は戦いでもちゃんと戦ってるじゃないか! そりゃ、まだ一人前とは呼べないかもしんないけど、もう一から十まで面倒見てもらわなきゃなんねーようなガキじゃねーもん!」
「男が酒の一つも飲めねえでどうすんだよ。酒の味がわからねーうちはまだまだガキってこった」
 本気でないことははたから見ればすぐわかる軽いからかいの言葉だったが、それでもナップはかーっと顔を赤くして盃に酒を注ぐ。
「お、おいナップ!?」
「先生は黙っててくれよ! これは俺の男の意地の問題だっ!」
「いやそれ以前の問題として酒を飲み慣れてない子がかぱかぱ酒を飲んだらひっくり返る恐れが」
 レックスの言葉も聞かず、ナップは注いだ酒を一息に乾す。そして『まっじぃぃぃぃ〜〜!』と言いたそうに顔をしかめた。
「ああだからナップ、そんな風に酒飲んじゃ体にも悪いし気持ち悪くなるから! 絶対酒飲んじゃ駄目とは言わないけど、ちょっとだけにしておかなきゃ」
「うるさいなぁ! 俺だって酒の十杯や二十杯くらい飲めるんだよっ! 先生は自分の分の酒飲んでればいいだろっ」
「そんな、むちゃくちゃな。本格的に酒を飲むの初めてなんだろ? 無理しちゃ駄目だよ、ね、ナップ……」
 レックスが必死に訴えても、ナップは据わった目で盃に酒を注ぐのを止めようとしない。困り果てるレックスに、スカーレルは小さな微笑を送ると、ナップの手から酒瓶を取り上げた。
「なんだよっ」
「そんな飲み方したらお酒が可哀想でしょー? おいしいお酒はちゃんと味わって飲むのが真っ当な男っていうものよ」
「……そ、そうなの?」
 ただでさえ丸い目を真ん丸くして驚くナップにスカーレルは笑いかける。
「そ。こういうお酒はじっくり舐めるように飲むのがいいの。ぐいぐいじゃなくてちびちびと、ね」
「う、うん……」
 気圧された様子でちびちびと酒盃を舐めるナップ。
 どうやらスカーレルはナップの面倒を見てくれる気らしい。悪いな、と思ったが自分ではああうまくはやれないだろう。拝むようにして『頼んだ』という意思を表すとスカーレルはにっこり笑って投げキッスを送ってきた。
 ……安心して任せろ、という意味なんだろうな、と解釈してやや顔を赤らめながらレックスは座った。けしかけてしまった手前冷や冷やしながら見守っていたカイルもほっと息をつく。
 視線が合うと、カイルはにっと笑って盃に酒を注いだ。
「おら先生飲め飲め! 夜は長ぇぞ!」
「……はいはい」
 仕方ないから付き合うか、と苦笑しつつレックスは注がれた酒を舐めた。この酒は口当たりもいいし、あんまり強くない感じだから、飲みながらナップに気をつけているのもそう難しくないだろう。

 ……三十分後。
 ナップはタチの悪い酔っ払いと化していた。
「……っだいたいよぉ、俺ぁおべんきょーなんざ大っ嫌いだっつってんのによぉ、オヤジもばあやもいちいちるっせえったらねーんだっつの! べんきょーがそんなにだいじかー、っつーんだよっ。働いてるおっさんたちちゃんとべんきょーしたこと覚えてんのかー、ちくしょう、バーカバーカ」
「はいはい、そーね」
「んっだその目はぁ! 俺のデコがそんなに広いってかぁ!?」
「んなこと言ってない言ってない」
 この子がここまで絡み酒だったとはねぇ、とスカーレルは内心溜め息をついた。この子には今後酒を飲ませないほうがよさそうだ。
 ――そして、レックスは……
「カイルぅぅぅぅv えへへへぇ」
「おっ、おいっ、先生っ! そ、そんなにくっつくなって……!」
「だって、くっつきたいんだもんー。もしかして……カイル、俺嫌いなの? うっく、ふぇぇ……」
「いや嫌いじゃない嫌いじゃない! むしろ好きだって!」
「ほんとぉ? 俺もカイル好きー。えへへぇv ……キュウマぁv」
「うわっ! レ、レ、レックス殿っ! おやめください、そんな、はしたない……!」
 これまた絶好調で酔っ払いだった。
 ナップとはまた違うタイプの絡み酒。幼児退行を起こし陽気になって、そこらじゅうの人間に抱きつきまくり、すりすりと体を摺り寄せまくるのだ。
 普段は酔いすぎないよう注意しているのだが。口当たりがいいので油断して空けすぎたらしい。持ってきた酒は口当たりの割りに度数が高い酒だったのだ。
「しっかし……なんというか、あとに遺恨を残さなきゃいいけどね……」
 すでに抱きつかれたものたちの間では複雑な心情が行きかっているようだ。レックスはここにいる全員に(純粋か不純かの違いはあれど)強く慕われているのだ。その当人に好き好き言われて抱きつかれては、酔っ払いの言うこととはいえ動揺せずにはいられまい。
 こういう酔い方するんじゃ学生時代はさぞかし修羅場が多かったろう、と嘆息しているとふいにぐいっと体重がかかった。
「ス・カ・ー・レ・ルぅ! えへへぇっ」
 後ろからのしっとのしかかられてスカーレルは一瞬息が詰まった。レックスは後ろから全力でぐいぐいスカーレルの体を締め付けながら、体を擦りつける。
「スカーレルぅ、俺スカーレルのこと好きだよぉv スカーレルはぁ?」
「……アタシも好きよ。でも、できることならそういう台詞はしらふの時に言ってほしかったわね」
「俺酔ってないよぉ?」
「はいはい、そうね」
 などと適当にあしらっていると、沈没しかけていたナップがふいにがばっと顔を上げて怒鳴った。
「なんだよそれっ! じゃあ先生は俺よりもこいつの方が好きだってのかぁ、俺の家庭教師のくせにぃ!」
「そういう問題じゃ……」
 溜め息をついたスカーレルたちをよそに、レックスはうるるんと瞳を潤ませる。
「んなこと、ないよっ? 俺は、ナップが、いちばん好きだよっ?」
「嘘つきゃーがれ、アンタは……うっく、ホントは、うっく、俺なんかより、他の、頼れる奴の方が、ぐすっ、いいんだろっ」
 今度は泣き始めた。こりゃ鎮めるのが大変だわ、とスカーレルが溜め息をついた時、レックスが相変わらずうるうるした瞳で立ち上がった。
「ホントだよぉっ! 俺、ナップ、大好きだもんっ!」
「嘘だ、嘘つき、ひっ、ぶえぇぇん」
「ホントだもんっ! 証拠見せるもん!」
 言うや、レックスはナップに抱きついて押し倒し――唇にキスをかました。
『…………!』
 凍りつく周囲にかまわずレックスはキスを続ける。それもちゅ、じゅ、じゅぷ、じゅぱと思いっきり音を立てながら舌を絡めあうディープキスである。
 そのテクニックと熱意は経験豊富なスカーレルさえ寒心してしまうほどのもので、さすがセンセ、伊達に学生時代から男殺しだったわけじゃないわね、と妙な感銘を受けてしまった。
「…………っはあ」
「………っうふう………」
 えんえん数分間キスを続け、完全に蕩けきっているナップの唇から口を離して、レックスはナップの顔に自分の顔を擦りつけた。
「俺ねぇ……ナップが好き……大好きぃ……」
 ナップも呆けたような表情と口調で漏らす。
「俺も……先生のこと……大好きだよぉ……」
 そう言うと、二人はそのまますーっと眠りに落ちてしまった。
『…………』
 他の者たちはしばらく無言で見つめあったあと、やはり無言で後片付けを始めた。
 あんなものを見たあとで陽気に酒盛りができるような強者は、ここにはいなかったのだ。

 レックスはベッドの中で目を開けると上体を起こし、んーっと伸びをした。なんだかすごくよく寝たという気がする。
 起き上がると自分が普段着ている服のまま寝てしまったことに気づく。昨日どうやって寝たっけ? と考えて――思い出せないことに気がついた。
 確か昨日は酒盛りが始まって、ナップまで酒を飲んで――そこから先の記憶がない。自分はある程度酔っ払うと記憶がきれいになくなる癖があるのだが、今回もまたそれが出てしまったらしい。
 しまったなぁ、教え子の前で飲みすぎたか、醜態晒してなきゃいいけど、と思いつつ外に出る。みんなすでに竈の周りで食卓を囲んでいた。
「みんな、おはよう」
 声をかけるとあからさまにその場の雰囲気がひきつった。
「……よう、先生。二日酔いとか、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。俺、二日酔いってしない質らしくて」
「そ、そっか、そりゃよかった、あははは」
『あははは……』
 全員虚ろな笑い声を上げる。
 なにかあったのかな、と不審に思いながらもさっきから下を向いて微動だにしない教え子に話しかける。
「おはよう、ナップ」
「…………!」
 ナップはばっと顔を上げてきっとレックスを睨んだが、すぐにその顔がかーっと真っ赤っ赤に染まった。そしてばっと立ち上がり、レックスから目を逸らして走り去ってしまう。
「お、俺、用があるから!」
 呆気に取られていたレックスは、はっと一番ありえる可能性に思い当たった。
 昨日俺は記憶をなくすほど酔っ払っていた。理性が飛んでいてもおかしくない。
 つまり……理性を吹っ飛ばして、とんでもないことをしてしまったのでは!?
「な、なあ、みんな……昨日俺、途中から記憶がないんだけど……なにか、しちゃったり、したのかな?」
『…………』
(なんで黙るんだよぉぉーっ!)
 レックスの内心の絶叫に応えてか、スカーレルがぽんとレックスの肩を叩いた。
「センセ……」
「な、なに?」
「男として、責任だけはちゃんと取ってあげるのよ」
「…………!」
 レックスはばっと立ち上がって走り出す。
「ナップ! ナップーっ! 出てきてくれぇぇぇっ!」

 その後、レックスはナップに平謝りに謝り、早まってプロポーズをしかけるなんて一幕を演じたりもしたあげく、何とか機嫌を回復してもらったとか、もらわないとか。

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