第四話 愛と快楽主義者

by 夜長


  一義を終えた後、ほほを紅潮させうっすらと前髪の生えぎわを汗ばませ横たわる女。息づく白い胸。黒い髪の、延べられたなめらかな流れ。
  私はその髪をわしづかみにして荒々しく引きよせる。・・・そう、この香りだ。行為を終えて女の髪に顔を埋める時、いつもこの香りがする。日なたのような、湿った香り。
  女たちはいつも私に子供の時に飼っていた小鳥を思い出させる。
  手に取ったときに伝わってくる、激しい胸の上下運動。痛いほどの鼓動。私の中におさまってしまうような小さい生き物・・・顔をそっと近づけると、暖かい日なたに似た香りがしたものだった。私はその鳥を本当に愛しかわいがっていた・・・しかし・・・なぜだろう。ある日あまりの愛しさに胸がしめつけられ、夢中で目を閉じ、歯をくいしばり、その感覚に耐え、気がついたときには・・・その首は強く折られ、小鳥は息絶えていたのだった。
  女の髪の中は温かな匂いがする、湿った黒い森だ。強く引っ張ると白いみずみずしい粒のついた一房が抜ける。森の恵みを私は口にふくむ。『空想の森の中で、私はたった一人だ。』
  遠くで苦痛を訴える声がする。目を閉じ茂みをめちゃくちゃに掻きまわす。ああ、すべてを忘れさせる暗いざわめき、香り。私は森に迷い混乱する。
  そしてふと我に返る。いつもこうだ。女は首をしめられ、こと切れていた。あんなに愛し、すべてを交わしたのに・・・胸の中でたくさんの炭酸の気泡が生まれ、はじけてゆく。目を閉じ、しぼるように身をよじらなくては耐えられないような、たくさんの小さな痛み。
  しばらくして目を開け、いつの間にか胸の前できつく握り締めていた指をほどく。からまっている髪の束。それはもはやあの美しい流れではなく、汚らしいただのゴミだ。ベッドに横たわっている女は、もはや魂のない醜いただの死体。さっきまでの想いは、メンソールの煙草を吸ったような深く空虚なためいきがひとつ終わるころには、すっかり冷めきっていた。
  私は愛していない者とは寝ない。金や力だけで自由になるきれいなだけの男女は興冷めだ。私だけを愛し、私を想い、夜ごと私に焦がれ身もだえるような者。その体の中でフォアグラのように愛を肥大させ開腹の時を待っている者。その中で更に私の愛を勝ち得た者のみが、私の溜め息とベッドの秘密を知ることができるのだ。
  私はあらゆる喜びを知っている。男も、女も、愛することも、愛されることも。あらゆる方法の愛し方を知っている。私の目の前に立ち、潤んだ瞳で私をみつめるものをどうしたらよいのかを。そしてその終わりはいつも・・・
  白いローヴをはおり浴室に向かう。シャワーを浴び終わるころには、あの女の死体はきれいに片付いているだろう。そして私のベッドはそこでささやかれた愛の秘密も、情事の跡も何もなかったようにきれいでしわひとつない、ただの白い家具に戻っているだろう。

  仕事にとりかかると今日も頭の痛い問題が待っていた。目をつけていた美少女がまた失踪したのだ。これで何人目だろう。もちろん顧客のこともあるが、私の愛を受けるに足る子だったかもしれないと思うと、そちらの方が気持を萎えさせる。
  世界規模で考えればとるに足らない数かもしれないが、月日をかけて少しづつ、でも確実に、あらゆる場所から私の審美眼に叶うような美しい男女が消えている。しかもある一定の年令の幅の中で。私のような情報網を持つ、かなり大きな組織が動いているのは間違いない。優秀なスタッフに追跡調査は任せてあるが、なかなか出ない結果にいらいらする。こんな事では表向きの仕事に身が入らない。客はきっと少しの動揺も見抜くだろう。開演までには「優雅で残酷な女主人」の顔にならなくてはならない。

  バスローヴをはおりくつろいでいると、諜報室から電話が入る。取引についての良い話かと受話器を取ると、それは予想を超えた内容だった。一度電話を切り、備えてあるコンピューターに暗号で情報の内容を送るように言う。アルフに今日の子を待たせるように言わなくては・・・。

  送られてきた内容を読むと、体の中が熱くなり異常な興奮に襲われた。
  某国変態大統領のアンチナチュルが、砂漠の中にシェルターを作ったことなんかはとっくに知っている。私財を投じていようが、国庫から掠め取った公財で作っていようが、そんなことは政府の恩恵などほとんど受けない温暖な小さな私有の島に住んでいる私にとって興味はなかった。政府なんてどこの国のものでもやっていることは諜報室に日々入ってくる。戦争をしないでいてくれさえいればいい存在だ。
  しかしそこで行われている事が問題だ。そこでは四人の要職にある男により、殺戮と、蛮行がなされているというのだ。しかもその犠牲者の何割かこそは、私が目をつけていたにもかかわらず失踪してしまった美しい子供達だったのだ。
  隠しきれない性向が私にも伝わっているやつらのことだ、きっと嫌がる子供達を傷つけひどいことをしているのだろう。
  ああ、私が品定めをしてから売った子たちならともかく、この手に取ることさえできなかった、可能性を秘めた、それだけの美しい子たちがさらわれ、集められていたなんて・・・。
  すぐに、シェルターとそれにまつわる情報を集めるように指示する。
  しばらくは悔しさのあまり我にも無く室内をうろうろとしたり、頭を抱えたりしていたが、こんな事をしていても仕方がない。自分のスタッフを信じようと思い直し、アルフに連絡を取る。


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  この子とはずいぶん長く過ごしてしまった。切れないはさみを生き物のように蛇行させ、じらすようにゆっくりと時間をかけて服を切っていったり、頬を赤らめていやいやをするのを、わざと恥ずかしい言葉を言わせたり。激しく愛撫している途中で喜びが高まってくると、わざと背を向けてワインを飲んだり。叩いたり、優しくしたり。そのたびに、結局その子は潤んだ、熱のこもった長いまつげにふちどられた瞳をそっと伏せて、私の前にすべてを投げだそうとする。そうされるほどに、私は我を忘れてその子にさほど苦痛を与えないほどの悪戯を仕掛けてしまう。
  それは日が変わっても、窓辺でも、浴室でも、開け放たれたベランダでも、終わることがないように繰り返された。今までの子ももちろん素晴らしかったが、この子は特にその時の私の気分にぴったりだった。しなやかな体と神秘的なアーモンドのような形の瞳を持った、インドの混血の少女サアナ。サアナ、サアナ、不思議な響きのその名前を私は何度呼んだだろう。私の寝室にうつむきながら入ってきたかわいい娘。瞳で誘い、うっとりと全身を預けてきたところにくちづけをして・・・。
  今、幸せそうなほほえみを口元にたたえ冷たくなっている彼女は、私にみいだされるまで信じ難いような貧しい暮しをしていたという。私が与えた豪華な暮しに最後まで戸惑い、私に心からの愛と忠誠を誓っていたという。アルフから呼び出され私のもとに来るまで、そそうのないように無邪気に何度も手鏡をのぞいていたという。彼女は知っていたのだろうか、私が抱いたものの運命を。

  私は愛に倦んだことがない。毎日の快楽と殺人の中で、私は日々変わってゆく。愛なんて甘ったるいまやかしも、日々握り潰し生まれてゆくなら、いつもこうして新鮮で私の胸を刺激する。きっと愛を信じないものは、そこに美しいものを期待しすぎているのだ。退屈な永続性とか、変わらないでいてほしいのに腐りすえてゆくその質に怯えているのだ。愛はそんなものではない、激しく、ある一時だけ本当に胸を打つ美しい感情。私にとって愛は情事と、その終わりのために不可欠なもの。愛しているものを殺したときのほんの少しの、でも深い後悔が最高のフィナーレだ。そして瞬きをするような瞬間にそれは終わる。
  一つとして同じ形の愛はなかった。そして、一つとしてこの手で葬れなかった愛もなかった

『さようなら、サアナ』




 

  情報を集めるようにと指示したときから一日と半分。公演の中休みはあと一日。サアナとの愛が終わり身ぎれいにし、揺りイスにゆられている時にその知らせはあった。シェルターのほぼ完璧な設計図。各階の機能。そして軍が突入間近かだという情報。更には日本人のスタッフの中のハッキングマニアが偶然にも遊びで日本中の情報を覗いていたときに、見逃せないメールを見つけたという。そこには今回の事とあまりにも一致する事が書かれていたらしい。「こんな事を個人宛とはいえ、普通のメールで送るなんて狂気のさたですよ。きっといつか消されますね。」それが彼の弁。
  クーデターまであと三日だという。スタッフさえ潜り込ませれば、後は進行していることは手に取るように伝わってくる。しかし私が鑑定するはずだった宝石達を横から奪い、しかも醜いものにするような仕打をしていることを考えると・・・

  「キリエムです。」
  「はい、キリエム様、ベアリュです。何かございましたでしょうか。」
  「すべてのコンピューターには、必ず侵入経路がある。あなたたちはいつもそういっているわね。」
  「はい。」
  「先程シェルターの情報を受け取りました。そこのコンピューターに侵入してちょうだい。」
  「・・・期限はございますでしょうか。」
  「三日後、軍の突入があります。その時に合わせて。」
  「三日後・・・でございますね・・・」
  「ええ、そして、そうね、軍に神の奇跡を見せてあげて。」
  「とおっしゃいますと?」
  「その時々に指示しますが、例えば、軍が侵入しようとすると、自然に入り口のハッチが開くとか・・・」
  「情報を解析し侵入してしまえば、たいていのご指示には従えると思います。」
  「では三日後。」

  きっと権力にしがみつくような小心者たちだ。コンピューターの守りは万全だろう。ベアリュたちは、果たして何重のロックを解除しなければならないのだろう。真の優秀な技術者のよいところは、余計なことは何も言わずに涼しい顔で結果を出すところだ。
  三日後、軍の人間たちは、自分たちを歓迎するような数々の奇跡にさぞ驚くだろう。私のちょっとした悪戯で、アンチナチュルたちの破滅は確実になるわけだ。一瞬でお膳立てをするだけしたら、軍の人間がコンピュータールームにたどり着く前に情報を壊せば、そう、だれも私たちの仕業だなんて気づかないだろう。

  今回のショーは一流の劇場で行なわれたものだった。幕が下りた後の割れるような拍手。叫ばれる賛辞。背筋を熱いものが昇り、落ちてゆく。興奮に体がふわふわとする。いつものように助手に抱き抱えられ舞台を下りる。ああ早くだれか、この高揚した気持ちを・・・
  控え室に着く間に、助手のアルフレッドの盛り上がった腕の筋肉は、興奮した私に引っかかれ、噛み裂かれて血まみれになっていた。しかし彼は、多くの助手の中で唯一、私を抱き上げる名誉を与えられたからなのか、傷つけられた興奮にか、うっとりと頬を上気させている。
  扉を開けると、控え室には花の香りでむせ返らんばかりだ。ソファーにそっと降ろされる。今日の相手を指名し滞在している部屋に連れてくるように言うと、とりあえず気持ちをおさめるために奉仕させる。この男は確かに美しく有能だが何か欠けているものがある気がして、抱くまでには至っていない。そのおかげで死ななくて済んでいるのだが、本人はそれをどう思っているのだろうか。もう何度も繰り返された奉仕に生来の勘もあって、私をその指と、口で歓ばせるのはとてもうまい。この美貌だ、一歩外に出れば女たちがほおっておかないだろうに、そのやり方にはいつもあふれるような愛情と優しさと必要なだけの荒々しさがあり、荒れた性生活を送っていないのがよく分かりいつも私を満足させる。
  何度目かの痙攣が少し落ち着くと飲み物を持ってこさせ、アルフを下がらせる。いいショーができた後は歓びも深い。鏡を見ると、残酷に切り揃えられた前髪の幾筋かは汗によられ、紐のようになっていた。もうすでに、この公演の間に味わおうと思っている男女はこの国に呼んである。アルフが今日の子を用意するのに、さほど時間はかからないだろう。
  飾られてある花のひとつを抜いて口元に寄せる。美しい物はやはりいい。私の好みを知っている客たちは、決して陳腐な花は贈ってこない。高価なだけでも、派手なだけでもない美しい花花。
  生国日本の花は、可憐で、一見つまらなく見える形の中に色彩の不思議が詰め込まれていて、まるで珍しい蝶のように私をいたく感動させたものだった。

  私は世界中の美しい物を知らなくては気が済まない。絵画、音楽、宝石、そして・・・
  裏で、いつの間にか世界を飛び回る表の職業を隠れ蓑に「あらゆる」芸術品の密売をしている私。もちろん、オブジェのように美しい男女の人身売買も。今の贅沢な生活を保つためには莫大な収入がいるのは確か。でもこんな仕事に手を染めているのは、世界中の美しい物をこの手に取りたいから。もちろん気に入った物は手元に置くけれども、大抵は目で、手で抱きしめた後は満足してしまって何の未練もなく商品にしてしまう。その割り切りが利益を生み、今では密売の情報収集のために設置した諜報室が、ただでさえ裏情報が入りやすい世界の上、財源と優秀なスタッフにも恵まれちょっとした国家の諜報機関並になっている。
  踊り子として世界を飛び回っていたスパイ「マタハリ」。エンターテイメントを追及し、ショーの合間にはダンスも披露する私。踊りと舞台をなりわいとする者は、その陶酔とスリルを現実世界に持込み、普通には生きられない魔性を心の中に育ててしまうのだろうか。
  ホテルに戻り、贈られてきたシャンパンを持ってこさせ、ゆっくりと浴槽の中でくつろぐ。よいシャンパンだったのでふざけながら飲む。半分は口にふくみ、半分は持ち上げた顎の先を伝わり、喉元、そして胸まで・・・。温まった体のうえを、冷たい液体が流れてゆくのは心地よい。腕を伸べそこにも流してみる。湯に流れた分は体のすべてで味わうのだ。浴槽にはクレオパトラも愛したという、香草のマートルが浮かべてある。そのうえにシャンパンが流れ、葉が浮きつ沈みつするのも面白い。目を閉じてうっとりと香りに酔う。

つづく


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