malformation

by 羽根蟲


                夢・・・
    ・・・現・・・
  自分・・・             精神・・・        記憶     感情・・・
        行動規範・・・ 意思            目的・・・ 脳の細分化
                            ・・・魂の在処・・・  40億の夢・・・・・・
・・・夢・・・

  僕が初めて久作に出会ったのは11歳の夏だった。 
  十蘭や乱歩、正史と読み散らかしていた時。末広の漫画や、乱歩との連作小説で名前は知っていたが、表紙に気後れしてなかなか手を出せないでいた。
  最初に読んだのは、瓶詰めの地獄 押し絵の奇蹟などの短編。計算されつくした構成にすっかり魅了されて、次から次へと読みあさった。

   そして、“ドクラマグラ”に辿り着いた。

   それから、僕は、少しだけ、こわれてしまった。
 

 予備校からの帰り道、僕は少し焦っていた。今日、NHKでカリガリ博士をやるんだ。いつもの公園を抜けて、川沿いの道に入る。川の水面に月が映えて、とても綺麗だ。 キラキラキラキラキラキラ・・・魅とれてしまう。
 
 ふと、視線を前に戻すと、道端に死体が落ちていた。まだ、若いと云うより幼い感じの女の娘だ。彼女の周りの地面は、流れ出した体液が未だ固まっていないらしく、月の光をキラキラキラと反射させている。
 
 金属バットで叩き潰され、血と脳漿で汚れてはいたが、其の顔はとても綺麗であった。四肢はそれぞれ幾何学的な様相を呈していたが、肌の色は白く、それがまだ所々開いている赤黒い傷口と絶妙のバランスをとっている。服は無惨に破かれており、そこから垣間見える未発達の乳房は耐え難い色香を漂わせていた。
 
 僕は少女の傍らに跪き、飛び出してしまった目玉を潰さないように、彼女の眼窩に押し込んだ。歯が全て砕けて陥没し、真っ暗な空洞と化してしまった口腔内には、砂利を詰め込んだ。頬の形を整え、髪で傷口を隠す。ハンカチで半乾きの血と汚れを拭き取ってあげる。
  
 そしてゆっくりと唇を重ねる。頬から、首筋に舌を這わせる。首筋から胸へ。
 少女はロンパリになった瞳で、僕の行為を静かに見ていた。唇の端が微かに引きつる。
 僕は、胸から更に下半身に舌を這わせていった。
 少女は、あり得ない方向に折れ曲がった四肢で、ゆっくりと起き上がった。キリキリと歯車の廻る音がする。唇の引きつりが大きくなった。微笑んでいるのか?
 傷だらけの白い腕が、僕の首筋に纏わりつく。ガラス玉のように生気のない眼が、僕の視界を塞いでゆく。そのまま僕にのしかかってきた。
 後ろに押し倒された形になってしまった。
 頭から血を滴らせた少女は、僕の股間に顔を埋める。ジッパーの開く音。
  「痛っ!!」
 砂利に傷つけられた股間の痛みに耐えかね、僕は手にしていた金属バットを彼女の後頭部に叩き込んだ。
 ぐちゃ
 もともと砕けていた頭蓋骨から、脳がはじけ飛ぶ。
 少女は壊れた自動人形のように、体液をまき散らしながらのたうちまわる。目玉は飛び出し、砂利は吐き出され、白い肌は血色に染まっていく。
 僕が九回目のバットを振り上げたときに、背後で人の気配がした。
 少女はもう静かになっていて、こぼれた目玉で虚空を眺めている。

 そうだ。今日はカリガリ博士をやるんだ。
 僕はバットを手にしたまま家路を急いだ。途中に転がっていた中年夫婦の死体は、汚らしかったので飛び越してきた。
 
 

   僕の少年時代は、精白の時代だ。この世の在り方に気付いてしまった者に世間は冷たい。
  細胞同士の会話に耳を傾けている僕を、先生は本気で心配していたらしい。家庭訪問の回数なら学校一だ。
  マテリアリズムに捕らわれた者から見れば、真理を説く者の声は狂人の戯言でしかない。週3回のカウンセリングも識者を馬鹿には出来やしない。そんなわけで、僕は特別学級に編入された。朝の朝礼で、自分のクラスに並ぼうとする僕を、先生は困った顔で、「あなたはこっちよ」とすみの方に連れていってくれる。

   特別学級とは、確かに特別であった。精神的遺伝の標本が、教室中にゴロゴロしている。楽しかった。週の登校日を2日から4日に増やしたくらいだ。サンプルには事欠かなかったので、僕はノートに級友の観察日記を付け始めた。
   ひろしくん、ゆうこちゃん、はじめくん・・・。喜び勇んで先生に見せに行くと、平手打ちしか返ってこなかった。涙を流しながら。きっと先生も、泣くためと怒るための信号が遊離してしまっているんだろう。それから、観察日記は見つかる度に焼却炉行きになってしまった。おかげで、新しい表記文字を発明できたけど。
   観察日記が十冊を数えるようになった頃、僕は中学校に進級した。
 
 

 自分の部屋に戻り、テレビをつける。サンドノイズが、おかえりを云う。
 カリガリは終わっていた。

   ザーーーーーーーーーーーーーー

 サンドノイズがいつものように語りかけてくる。
  「ワーハッハッハッハッハッハ!!! お前は馬鹿だ!! ヒャヒャヒャヒャヒャ!!! うすのろだ!!
「いつも間に合わない!! 何かしたいか!? 何もしたくないか!? セックスだけはやりたいか!!」

 扉の隙間から、こっちを覗く眼がある。僕を産み落とした肉の塊が不快なノイズをたてる。
  「予備校にはちゃんと行ってるの? ねぇ つらいのは解るけど  もう二浪なんだから 
  「ご近所様にも恥ずかしくって ねぇ きいてるの ねぇ ねぇ ねぇ・・・」
 
 天井裏のネズミが囁く。
  「恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥、恥恥恥ちちちち....ち..ち...」
 
 机の上にのせた水槽の中で、亀がひきつった笑い声をあげている。

 僕のまわりは、目玉で溢れかえっている。部屋中の目玉が、瞬きもせずに僕を凝視していた。僕は、おもわず赤面する。俯いて畳のほころびの数を数えていた。心臓の鼓動が早くなる。振動がたかまる。肉体を留めているネジが、徐々に弛んでいく。
 ステレオのボリュームが上がった。ピョートルの“1812年”。ナポレオン大敗北のテーマ。それで少しだけ落ち着ける。
音の洪水に身を委ね、まんじりともせぬ夜を過ごす。万年床が僕の棺桶だ。
 
 壁に掛けたカレンダーの女が、憐憫の視線を投げる。寝返りを打つと、壁の汚れの視線にぶつかる。上を見れば、天井の木目が、僕を見つめている。結局、俯せになるしかない。

 爪が一枚一枚剥がれていく夢を見る。髪の毛が一房一房、地に落ちていく。一本一本歯が抜けてゆく。毎日毎日、骨が千の破片に砕け、ドロドロに溶けて体中の穴から流れ出していく。グニャグニャの僕は、はじけた脳髄だ。細胞のひとつひとつが融合と分離を繰り返す。朝、目が覚めると甲虫になっていたら、と期待する。

 月明かりの中、枕元のステンレスの花が開く。ギリギリ、ギリギリ、悲鳴を上げる。彼女の声を聞くと、鳥肌が立つ。お尻のあたりがムズムズしてくる。ズボンの中で皮膚の裂ける音がした。少女の腕が、首に巻き付く。ギリギリ、締め付ける。僕の尻からシッポが生える。ズルズル、ズルズル、音を立てて生えてくる。蜥蜴のように鱗で覆われたシッポ、きっとヌメヌメした緑色をしているだろう。
 少女の潰れた顔を、間近に眺める。真っ暗な眼窩が、僕を見つめる。血と肉体が裏返り、光輝く身体。しっとり濡れた唇が、体中を這いまわる。枕に涎のシミが広がっていく。 
 シッポの先端が、肛門に当たる。メリメリ、メリメリ、侵入してくる。自分の躰から生えたシッポに、肛門を犯されている。快感にうち震え、知らず、口から喘ぎ声が漏れた。
  「うっ うっ うっ・・・」
 陰茎の先から体液が零れる。
 そして、暗闇が訪れた。奈落の底。瞼が、深紅に燃えている。僕は身籠もる。
 
 

   中学、高校の記憶は余り持っていない。考察の場を内に求め、対外的な関係を絶ち続けていた。その行為に適した場所を提供してくれた白衣の方々には、今も感謝の念を持っている。今思えば、あの頃が、一番充実していたのかもしれない。
  森羅万象の法則を見いだしたのも、ちょうどあの頃であった。惜しむらくは、それを、自分の細胞にしか教示出来なかったことだ。
  
   自閉症の構造は、原子炉に似ている。そこで極限まで圧縮された意思は、人類を滅ぼし得る力を持つであろう。
   故に、僕は、洗脳とクスリという外的な力で、無理矢理犯され続けた。強姦された僕の意思は、一番近しい肉親に、無惨に汚辱された。ズタズタにされた脳髄は、もう、犬語すら理解らなくなっていた。
 
   大きな手のひらが、目の前を覆う。何も見せないように。夢の中では、不吉な予想が、全て実現する。現実を変える方法を、僕は無くしてしまった。そして、世界を救う不具者の出現を待ちわびる。

      僕は意志が弱いのではなく、意思がないのです。他人に理解されないことが唯一の誇りです。
 
 

 僕の胎児は、窓の外からやって来る。だから、窓に鍵は掛けない。彼は、何にでも変身できる。

   (今日、帰り道で、可愛い娘を見つけたよ。)
   「こんな感じ?」
   (もう少し幼かったけど、それでも悪くないよ。)

   「今日は、何をする? 好きにしていいよ」

   (金糸雀が死んだんだ。)
   「逃げ出したのかもしれないねぇ」
   (死体は猫のオモチャだね。)
   「鳥は、逃げるモノだからねぇ」

(ねぇ、君は何時見ても美しいね。君は死ぬことは出来るのかい?)
   「形而下におけるmalformationを具現した君の妄想に、終末はないよ」
   (だから、君は常に不具者なのだね。
    さぁ、もっとこっちに来ておくれ。もっと楽しもうよ。)

 少女の腹を割き、内蔵を貪る。空っぽになった腹腔内に頭を埋める。羊水の中、静かに、漂う。
 
 

   小町の壮衰絵巻を見たのは、二度目の受験に失敗した−−−試験官が低能すぎた−−−頃だった。
    
   それは、想像を絶する凄惨さをもって、僕の精神を揺さぶり起こした。彼の精神遺伝を追体験させるのに、十分凄艶な美しさを有していた。
    
   そう、僕は全てを思い出した。不吉な予想が不意に現実になる。空を見上げれば、真黒な太陽のペニスが見える。世界の焦点が、ピタリと合わさる。夢魔に犯された耳目から、真実の姿が流れ込んでくる。

     そして、僕は、不具者になった。

   奇形の真実の美しさに気付く者は少ない。
   たとえば怪物は、抑も、美と正常の対称として、はじめから存在悪という居場所を用意されていた。それに対して、奇形とは、美と正常の枠の中からはみ出したもの、出来損ないとの烙印を押し付けられている。

   本来、美と正常の枠内に収まるべき対象を、低能な認識の尺度によってのみ除外する。その存在自体を闇に葬る。哀れみを感じる。世界の真実は、人間の閉じられた認識野に収まりきるものではない。以前与えられた屈辱が、身を焦がす。
正当な尺度をもって奇形を再考察しさえすれば、そこにしか存在し得ない美と正常を見いだせるではないか。その為の何かが必要だ。醜さと美しさを兼ね備えたものが。壮衰絵巻は駄目だ。目的が違いすぎる。愚者ですら理解しやすいテキストを用意しなければ。

    そこから始めていこう。世界を救うために。
 
 

ドロドロした漆黒のコールタールが、頭蓋骨を埋め尽くしている。耳や鼻から溢れ出し、机を伝い床に拡がる。吐き気を催す匂いが、鼻孔を満たす。耳障りな騒音が鳴り止まない。太陽が死にゆくまで、拷問は続く。液体リンゴが唯一の助命薬だ。

 月の出とともに、地獄から解放され、次の地獄に送り出される。子供部屋に戻りたい。

 いつもの公園を抜けて、川沿いの道に入る。川の水面に月が映えて、とても綺麗だ。 キラキラキラキラキラキラ・・・魅とれてしまう。

 ふと、視線を前に戻すと、少女が一人歩いてくる。犬の散歩であろう、犬は見えないが。まだ、若いと云うより幼い感じの女の娘だ。佇む僕の脇を、彼女は、凝視する眼を恐れることなく、軽く会釈しながら通り抜ける。結った髪から垣間見える白い項。汗で濡れているのか、キラキラしている。未成熟な肢体が、心地よい芳香が、僕の五感を刺激する。思わず手を伸ばした。
 しかし、少女は、もう行ってしまっていた。
 耳鳴りが止んだ。僕は、笑いながら、家路についた。

 今夜も彼の訪問を待つ。だから、窓に鍵は掛けない。部屋中の目玉が居眠りをしている。またとない好機。

 「やぁ また来たよ」
 (今日、帰り道で、可愛い娘を見つけたよ。)
 「こんな感じ?」
 (もう少し大人びてたけど、それでも悪くないよ。)

 僕は、少女の傍らに寝そべる。優しく、優しく、その栗色の髪を撫でた。それだけは、変わること無い硝子の瞳が、僕を見つめている。薄い唇に舌を這わせる。少女の上に体を重ねた。

 (この間の続きをしようか?)
 「どこまで描いたんだっけ?」
 (第三相の肪脹相が途中だったよ。)
 「腐りかけの所だね」

 机の引き出しの鍵を開けると、中から、和紙の束と、水彩用具を取り出した。
 床に横たわった少女の体が、みるみる変化していく。いと美しき少女は、今や、死体と化していた。裸の皮膚のそちこちに、醜く青白い死斑が浮かび上がる。手足は硬直し、口から、真っ赤な蛞蝓のように舌がこぼれる。皮膚の色が、赤黒く変色していく。すえた匂いがあたりに充満している。麗しき姿の面影もない。内臓が腐りだし、腹の肉が無惨に崩れ出す。中からは、白い腸が身を晒している。

 (そのへんで良いよ。)

 僕は、描きかけの絵を見ながら、声をかけた。そして、腐乱した死体を食い入るように見つめながら、絵筆を動かし始めた。和紙の上に、赤黒い塊が描き出されてゆく。緻密に、正確に、髪の毛一筋誤らぬよう写し取ってゆく。
 僕は、少女であったモノに、完成を告げ、次の相に移らせる。
 “血塗相”。いよいよ死体がズルズルに崩れ出す。骨が砕け、筋が破れ、腐った膿と血が流れ出す。床に汚物のシミが拡がる。
 不意に、少女の面影が脳裏をかすめる。途端に、目前の絵が薄っぺらく見えてしまう。ただの死体の写生画。頭の中で、羽虫が飛び交う。あたりに哄笑が響き渡る。
 少女は、いつの間にか、元の姿に戻っていた。彼女は淋しげに微笑んでいた。
 ステンレスの花びらが、乾いた音を響かせながら、地に落ちる。部屋中の目玉が、一斉に僕を見つめる。
 僕は、涙を流していた。和紙の上に、シミを作ってゆく。少女は、僕の頭を優しく抱え込み、鈴の音のような声で、耳元に囁いた。

  「さよならだね
   君は思い出してしまったんだよ」

 身体の震えが止まらない。心臓の鼓動が早くなる。涙は、止まることを知らずに、溢れ出してくる。
 本来の姿に戻った少女は、開け放たれた窓を飛び立つ折りに、一度だけ振り向き、そして、静かな、静かな、微笑みを残してくれた。
 取り残された僕は、俯せに横たわり、まんじりもせぬ夜を過ごした。
 

 予備校を早退した帰り道、川縁の道で彼女を待つ。月が中天にさしかかる頃、少女は、昨日と変わらぬ姿で歩いてきた。
 佇む僕の脇を、彼女は、凝視する僕を恐れることなく、軽く会釈しながら通り抜ける。結った髪から垣間見える白い項。汗で濡れているのか、キラキラしている。未成熟な肢体が、心地よい芳香が、僕の五感を刺激する。僕は、彼女の後ろ姿に声をかける。怪訝そうな顔で振り返る。

  「す、す、す、すいません。あ、あ、あ、の ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼくの
   お、お、お、お、およめさんに なって、て、く、くれませんか?」

 彼女は、ひきつった笑いを浮かべると、脱兎の如く走り出した。
 僕は、慌てて、逃げる彼女を追いかけた。後ろ髪を掴み、力任せに引き倒す。彼女は驚愕の表情を浮かべた。自分の身に降りかかったことに理解できないようだった。

 「こ、こ、こわがら、な、ないで。 えを、かく、だけだ、から。」

 馬乗りになった僕は、彼女の両肩を押さえつけながら、精一杯の笑みを浮かべた。彼女の高い声が辺りに響く。
 両肩を、強く揺さぶり、彼女の後頭部を地面に何度も叩きつける。
  
 「しーーー!」

 下腹部を、全体重をかけて蹴りおろす。蛙を踏みつぶしたような感触が、僕を昂らせる。少女はやっとおとなしくなった。
僕は、少女から降りると、気を失っている少女の唇に、軽く口を重ねた。それから、彼女の身体を繕い始めた。まずは、花のように麗しき姿をとってもらわなくてはいけない。顔の汚れをハンカチで綺麗に拭う。手足の形を整え、衣服の乱れを正す。
 そうして、僕は満足の笑みを浮かべ、用意しておいたカンバスを取り出した。少女の傍らに座り込み、肢体を克明に描いていく。

 月の光の下、少女の身体は、まるで、それ自体が輝いているように見える。薄い桜色に染まったふっくらした頬。桜貝のような唇。服から露出した手足は、透き通るように白く、月のように艶めかしい。
 僕は、彼女の産毛の一本一本に至るまで正確に写しとっていった。

 「てめぇ なにしてんだぁっ」

 突然後ろで怒鳴り声があがった。振り向くと、中年の男が、立ちはだかっていた。その後ろには、この男の妻であろう、婦人が怯えた表情で立っている。男は僕に駆け寄ると、いきなり頬を殴り飛ばした。口の中に血の味が拡がる。男の右手が、僕の腕を捻りあげる。女は、少女の介抱をしているようだ。

 「ウチの娘に、てめぇ、ぶっ殺してやる!!」

 猛り狂った男の足が、僕の腹にぶちこまれる。蹲った僕を、何度も何度も殴りつけてくる。い、痛い。体中に激痛がはしる。痛みを感じるたびに、心に怒りがこみ上げてくる。

 (何で、こんな目に遭うんだ。 僕が何をしたんだ お前達の為だろう)

 僕は、大声をあげて泣きはじめた。男は、我に返ったように殴るのを止め、「警察につきだしてやる」とか云いながら、僕の腕をとった。僕は、従順に男に従い、自分の鞄を拾うふりをして、素早く中の薬瓶を取り出した。蓋を開けざまに、男の顔に向かって中身をぶっかける。もろに顔に被った男は、甲高い悲鳴を上げた。そのまま顔を掻きむしりながら、のたうちまわる。気が付いた少女と、女は、身動きも出来ずに、悶え苦しむ男を見ていた。一分も経たないうちに、男の顔から、青白い炎があがる。黄燐の自然発火だ。はっと、女は、少女の手を取り、走り出そうとしていた。僕は、手にした金属バットで、女の後頭部を殴りつけた。 
  「ぼこっ」
 布に包まれた岩でも叩いたような感覚が、両腕に伝わる。倒れた女に続けざまにバットを振るいあげる。少女は、腰でも抜かしたのか、這い蹲っている。少女を後目に、まだ、悶えている男の元に戻る。そして、女と同じように、バットで、頭蓋骨をぐちゃくちゃにしてあげた。
 少女は、その間に、必死の様相で逃げようとしていたようだ。女の死体から少し離れたところを、這いずっている。
 そんな、可愛げな姿に、僕は微笑み、ゆっくりと少女に近づいていった。手には、血がこびりついたバットを握っている。
 せっかく描いたカンバスは、不浄の血で使い物にならなくなってしまっていた。
 仕方がない。自分の網膜にでも焼き付けて、家に帰ってから清書しよう。
 (もう、時間はかけれないな。)
 当初の計画では、腐って醜く崩れ去ってゆく少女の肢体を描くつもりだったのに、もうそれは出来なくなってしまった。
 出来るだけ早く、残像の残っているうちに記録しなければ。

 少女の前に回り込む。少女は、虚ろな瞳で僕を見上げている。目の当たりにした惨劇に精神が保たなかったようだ。
 呆けた少女の顔は、涙の跡で汚れてはいたが、以前に増して、幽玄な魅力を醸し出していた。
 僕は、少女をそっと抱き起こすと、優しく抱きしめた。華奢な肩が、小刻みに震えている。抱きしめた両手に力を込める。まるで、雛のように儚げな少女。
 やはり、この娘しかいない。
 僕は静かに身体を離すと、少女の白く、美妙な首に両手をかけ、力を込めた。少女は苦悶の表情で、必死に僕の手を引き剥がそうとする。
 僕の腕に十数本の赤い筋をつけながら、少女は絶命した。
 少女の死体を静かに横たえて、僕は、少し思案した。
 (壊れてゆく肉体もそれなりに使えるか)
 それから、徐に少女の着ていた服を破き始めた。白い肌を少し露出させ、手足の位置を整える。少し気に入らない。関節に力を込めたり、近くの石を使って骨を折ったりで、カタチを調整する。
 自分の作業に満足すると、傍らに座り込み、じっと見つめる。息を殺し、瞬きもせず、脳裏に焼き付ける。
 そして、金属バットを手にし、少女の顔面に叩きつける。玲瓏たる音を立てて、歯が弾け飛ぶ。頬骨が砕けた。
 その少女の顔を、じっくりと記憶する。憑かれたように見つめる。
 次に、少女の胸にバットを振り下ろす。肋骨の折れる感触。剃刀で、白い肌に、赤い彫刻を施していく。開いた傷口から、血が染み出る。手を休め、また、じっと観察する。身体の隅々まで、記憶のカンバスに描き込んでゆく。

 造形と記憶を繰り返すこと、八回に及ぶ。もう既に少女の肢体は、見るも無惨な物体と化していた。
 頭蓋骨は陥没し、辺りに脳漿をまき散らしている。眼球は飛び出し、僅かに視神経で繋がっている程度。歯は全て砕かれ真っ暗な口腔から、舌が飛び出している。体中を走る幾筋もの切り跡。流出した体液は、月明かりを反射し、輝いている。
 先程までの、楚々とした少女の面影は、全く失われてしまっている。生前のこの娘を見知った者でも、この塊を、少女と呼ぶのは冒涜に近いと感じるであろう。一人ほくそ笑む。

そして、最後の一撃を加えるべく、バットを振り上げた時、背後で人の気配がした。
(まずい。記憶が壊されてしまう。)
僕は、姿を見られるのを嫌い、バットを手にしたまま走り出した。途中に転がっていた中年夫婦の死体は、汚らしかったので飛び越してきた。

 走る僕の頭を、真っ黒な蝙蝠が包み込む。脳髄が、ぐるぐる回り出す。全身の感覚が、溶けだしてゆく。耳の中で、昆虫の羽音が、大きくなっていく。口から緑色の煙が出ているような気がする。髪の毛も、べっとりと濡れてしまったようだ。
 少女の笑い声が、後ろから追いかけてくる。腹の中の生き物が暴れ出す。梅毒のように顔が崩れだしていく。耳がもげる、鼻がこぼれおちる。胎児の腕が、腹を突き破る。一面鱗に覆われている腕。その鱗の一枚一枚にある目玉が、一斉に僕を凝視する。心臓が金属音をたてて騒ぎ出す。関節のネジが弛み出す。もう、走っているのか、立っているのかすら理解らなくなっている。男から受けた致命傷が、僕の時間を食い潰す。
  ぼく、しんじゃったのかなぁ
 世界は暗転する。       

気がつくと、僕は、通い慣れた予備校の校門に立っていた。
 月がやけに明るく、僕を照らし出している。
  (今日、NHKでカリガリ博士をやるんだ。)
 僕は急いで家路についた。

(了)


 

         引用文献
 夢野久作  「ドクラマグラ」「押し絵の奇跡」
 丸尾末広  「夢のQーSAKU」「薔薇色の怪物」「パラノイア・スター」
 荒俣 宏  「本朝幻想文學縁起」
 江戸川乱歩 「一寸法師」
 高橋洋介  「夢幻紳士」「腸詰工場の少女」


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