シルクの抱擁

by Qビック


 僕と清は、大学に入学してから知り合ったの悪友だ。
 僕は農学で昆虫学を学び、清は医学部の外科医志望だ。サークルがいっしょで妙に気があった。性格が似ているのだ。二人とも、思いついたら即実行に移すタイプだ。
 突然、北海道の稚内までツーリングしたのも、夜中に東京タワーに登って小便をしたのも、ちょっと、思いついたからに他ならない。
 こう言うと、いかにも猪突猛進タイプだと思われそうだが、ちゃんと、綿密な計画の元に実行されているのだ。ほ、本当だぞ。

 今日のミニ百物語も、ちょっとした思いつきからだった。
 僕たちは、演劇部の水野窓香を誘い、医学部の研究室に残って、怪談話を語り合っていた。今年の夏は暑い。恐怖夜話でも聞かせあい少しは、涼しくなろうということだ。
 
 もう、一人あたり、5つくらい話したのではないだろうか。時計は、十時を回っていた。古典的な怪談話から、モダンホラー、スプラッター、ネタがつきたのか挙げ句の果てに他愛のない都市伝説まで語り終えたところだ。
「エイズのメアリー」「ダルマ女」「首無しライダー」……
 清が口を開いた。銀縁メガネで鼻筋がとおった端正な顔立ちだ。ビーカーに入った安物のウイスキーをあおった。
「都市伝説って、くだらないけど、なぜか本当のようなリアリティーがあるよな」
「あ、これ知ってる?」
 窓香が、長い髪をかきあげながら言った。黒髪がきれいな整った顔立ちだ。彼女は、手にしたオレンジ色のカクテル越しに僕を見た。
「ある女の子が、鏡の前で、ピアスをはずそうとしたの。そしたら、穴から白い糸が出ていることに気が付いたの。女の子がその糸を何気なく引き抜いて言ったの。『あれ?だれか電気消した?』その糸は、女の子の視神経だったって言う話し」
 清が吹き出しながら言った。
「視神経が、耳たぶにあるわけないだろ」
 窓香が、ほっぺたを膨らまし、大きな瞳で清をにらみつけた。
「清の言うとおりだけど、神経が白い糸のようだってとこは、リアルだね」
 と僕がフォローする。
「きっと、実際に神経を見たことがある人が作った話だよ」
「もっと、怖い話を聞かせてよ」
 窓香が上目遣いに僕を見る。
 窓香は、美人でスタイルもいい。ねだられると逆らえない。少し酔いが回っているのか、目元に赤みがさしている。
「神経って言えば、カイコの解剖をしたことがある」
「カイコって芋虫の?」
「そうだよ。カイコの幼虫の死体をメスとピンセットでばらすんだ。まず、きれいに皮を剥がす。そうすると、皮の裏に神経繊維が張り付いているんだ。
 カイコの神経ってのは、背中に平行に2本通っている。その2本の間に梯子のように何本かの神経繊維で結ばれているんだ。その結び目ってのが玉のように丸くなっていて、脳のような役割をしている。」
「で、どこが、怖いの?」
 と、窓香がチャチャを入れたけど、僕は無視をして話を進めた。
「まあ、昆虫の身体ってのは、驚くほど精密で、複雑に出来ているってことさ。皮から神経繊維だけを丁寧に剥がしてみる。そうすると、まるで上質のシルクのように輝いて見える」
「なるほど、神経繊維もカイコの繭の糸も同じDNAから生産されるタンパクだ。そう見えても、不思議じゃないな」
 と、清がもっともらしく解説をする。
「生きている芋虫を針などで刺すと、面白いように、暴れるだろ。あれって、神経が皮膚の裏に集中して張り巡らされているからなんだろうな」と僕。
 窓香が、カクテルを喉を鳴らしながら飲み込んだ。
「人間の場合は、中枢神経が、脊椎や頭蓋骨に、守られているけれど、昆虫は、むき出しなわけだね……」と、清が言った。
「そうだね。たとえ針でつつかれた程度の傷でも、激痛に感じるのだろうね」
 僕は、ウイスキーが入ったビーカーの目盛りを爪で削るようにこすった。
「だからさー。それのどこが怖いの?」
 窓香が目をこすりながらあくびをした。
「眠くなったのかい?ごめんごめん。これからが本題なんだ」
 と僕が言った。
「おい、まさか、あれを話すつもりじゃないんだろうな」
 清の目がレンズ越しに光った。
「いいじゃないか。清。ここまで来て話さない手はないだろう。窓香も眠くなってきたことだし、この辺で、マジで怖い話を……」
 窓香の手にしたビーカーには、オレンジ色のカクテルが半分も残っていなかった。僕は、出来合いのカクテルをついでやる。
「実は……僕と清は、とんでもないものを見てしまったんだ。この大学の地下で」
「おい、おい、やめろよ。話すのは、まずいって……」
 窓香は、あきれたように目を細め流し目で僕たちを見た。
「あーあ。あなた達って本当に調子を合わせるのがうまいわね。どうせ、口から出任せだしょうけど、本当に何かたいへんなものを2人で見たみたい」
 清は、シャツの襟を正すと、
「わかったよ。窓香。誰にも言うなよ。話すから……」と言った。
「わかったわ。聞いてあげる」
 窓香は、鼻で笑った。
 清が僕に話せと言うので、僕は再び語り始めた。

「この大学の医学部は、脳神経外科の分野では、世界的に有名で、数々のすばらしい研究を発表していることは、しってるね。まあ、偉大な研究の裏には、犠牲が付き物だってことも、あながち嘘じゃない。
 研究室の地下には、特別室がある。特許が絡んでいたりして、ほんの一部の偉い先生方しか入れない部屋だ。その中では、当然のことながら、脳神経外科の国際的にも重要な実験や研究がなされているはずだ。
 その中に入ったんだ……。
 まあ、僕たちは、入りたくなったらなんとしてでも入る主義だから、綿密な計画を元に鍵を入手しんだ。
 なんせ、人間の生体実験が行われているって噂があったからね」
「で、人体実験が行われていたわけね……くだらない……」と窓香が言った。

「そうだよ。でも、ただの人体実験じゃなかった。とても、信じられないような実験だった。
 その特別室の中は、ビーカーやフラスコ、人体模型、電子顕微鏡、巨大な実験機械など、普通の実験室のようにみえた。
 でも、特別室の中にもまた、扉があった。
『許可無くドアを開けるべからず』
 当然、ドアには鍵がかかっていた。僕たちは、中が見たくてたまらなくなった。
 僕たちは、何とか鍵を開けて、扉を開いた。

 中は、真っ暗だった。

 暗闇の中から、うめくような声が聞こえたような気がした。

 僕は、ドアの付近を慌ただしく手で電灯のスイッチを探った。
 たくさんのスイッチが手に触れた。
 僕は、手当たりしだいに押した。蛍光灯や換気扇が一斉に作動し始めた。
 『ひゅううううう……』
 声にならない声……悲鳴になり損なった吐息……
 僕は、その部屋にあった……いたと言った方がよいか……女を見た。
 全身が硬直した。清も口を大きく開けたまま突っ立っていた。
 
 実物大の女の頭をした”こけし”がそこにあった。

 頭部は、人間の女だ。胴体は、こけしのように円筒形だ。手足は、無い。
 美しい女の顔は、ひきつっていた。
 痛い……痛がっているのだ……。光を……風を……。

 よく見ると、胴体は、絹のような輝きを放っている。
『神経繊維だ……』
 清が、かすれた声で言った。
 女の胴体の表面は、むき出しの神経繊維で覆われていた。
『この子の神経繊維を身体から抜き出して、この胴体の表面に這わせてあるんだ』
 清の顔は汗まみれで、あごから滴がしたたり落ちた。
『い、いったい何のために……』
 僕は、清に言った。
『研究のためさ……神経のな。胴体の中には、たぶん、内臓が隠されているはずだ……』

『い、いったい、この子は!』
 僕が叫ぶと、女は、痙攣し、口から泡を吹いた。
『しっ!静かに!この娘の神経は、むき出しだ。光や風や、人の声からも、痛みを感じるんだ』
 と清が言った。
『そ、そんなバカな……』 
『試しに、扇子であおいで見ろよ。』
 僕が愛用の扇子を広げ、女に風を送る。
 女は、全身の皮を剥がれるような表情を見せ、口を大きく開き、なにか叫んでいるようだ。
 声帯が切除されているのかほとんど声が出ない。
『実験動物か……』
『痛感の実験だろうけど、こんなことをしていては、懐中電灯の光を当てただけで、卒倒するぞ』
『この娘は、だれなんだ!』
『去年のミス・キャンパス……名前は……確か……』
 女は、目を見開き、頭を縦に激しく降っていた。涙を流しながら。

『やばいものみちゃったな』

 僕たちは、いそいで、ドアを閉め、その場を去った。
 まあ、あとから考えたんだけど、あれは、サディスト教授の趣味だったんじゃないかな?でなきゃ、美人を実験台にする意味がないからね。

 って、とこなんだけど……怖くなかった?」

 僕の話が終わると、窓香は、半開きの目で言った。
「くだらなすぎるわ。都市伝説にしても、ひねりがきいてないじゃない。また、お得意の思いつきでしょう」

「ははは……ばれちゃった……思いつきだよ」

 僕と清は、顔を見合わせ苦笑した。

 窓香の手から空のビーカーが床に落ちて砕け散った。
 窓香の身体が床に崩れ落ちる。

 僕と清は、思いついたら即実行に移すタイプだ。
 だけど、綿密な計画は、怠らない。


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