ヘイ! 可愛い子ちゃん-SDITSFM5

by 赤池あすら


 1 我々は聖なる指命をおびた戦うレーサーなのだ
   ヘイ! 可愛い子ちゃん、俺の自転車でぶっとばそうぜ!

 急がなくてはならない。エクスタソーマ25を運ぶ我らが二台の自転車は轟音をあげてハイウェイをぶっとばしている。俺は速度計を読む。250キロちょうどだ。相棒のインド人は俺の右隣でペダルを踏むのに必死だけど顔面はすでに蒼白。つまりもう完全にらりぱっぱってわけ。
 「ぎゃああ!」
 相棒の叫び声が夜明けのハイウェイにこだましてやっこさんの自転車はバランスを失いすっ飛んだ。俺はびっくりたまげてハンドルを握り急ブレーキする、タイヤがアスファルトを削り白煙が巻きおこる。
 「どうした!」
 俺はインド人に駆け寄る。奴はすっかりいかれちゃってるくせに見事に体を使って受け身をとったんで擦り傷ひとつなかった。でも表情はもうやばい。完全に危ない。
 「か、神の光がおらをつつんだだ! おらゴッドブレスを顔に吹きかけられただよお!」
 「ばっか野郎! そんな物言いはやめておけ。なんてこたあねえ、クスリがきれてきておっかなびっくりしてんだよ。まあ落ちつけ」
 俺は自分のリュックをまさぐってビニールパックに指を入れる。白い粉をちょいと人差し指ですくいとる。諸君、ご存じかな。これこそ言わずと知れたエクスタソーマ25だ。えっへん、我々は聖なる指命をおびた戦うレーサーなのだ。我々は南インドのマドラスからこの自転車にまたがり猛烈にぶっとばしてパリへ行って来た。さる研究所でこの頭がんがん顔へらへらちんちんがちがちのいかしたエクスタソーマ25を受け取って、いまからマドラスへ帰るところだ。その総距離およそ一万マイル。すでに三分の二は走破した。パリに着いたときはへろへろだった俺たちも、このエクスタソーマ25の素晴らしい力によってばきばきに回復、いやそれどころかスピードは増すばかりだ。
 「急ごうぜ。生放送まであときっかり10時間だ」
 俺たちは粉粒をちょっとずつ舐めて口をむちゃむちゃやった。この味がまたいかすんだ。甘くってちょっと酢っぱくってさ。俺たちがこいつを少しくらい舐めるのは問題ないんだ。なんといっても、これがこの仕事での我々の唯一の報酬なんだからな。
 「すまねえ兄弟、さあ行くべえか」
 相棒が自転車にまたがり直し、俺たちはまたペダル漕ぎに戻った。スピードはぐんぐん上がりハイウェイ沿いの木々が遠のいていく……でも12キロ置きに立てられたある看板だけははっきりと見ることができた。

 『無性生殖は時間もかからず相手を探す必要もなく子供をつくれるから現在もどんな環境でもいちばん良い』

 ……エクスタソーマ25もほどよく利いて頭もほぐれてきたことだし、ちょいと諸君に説明しておこうかな。みんな、聞いてくれよ。初めはパートナー斡旋のダイレクト・メールだったんだ。俺たちゃテクノビック党って呼んでるんだけど、ま、言ってみりゃクローニングだよな。連中にとっちゃ精子でも卵子でもどっちでもお構いなしなんだ。俺にゃあよくわかんないんだけどまああれこれテクノロジーを使って生殖細胞をいわゆる二倍体にする。染色体の組が二つある、分裂直前の状態でタイムストップをかけるんだ。すると細胞は一倍体に戻ろうとして二回減数分裂して……ま、堅苦しい話は奴らにまかせておこうよ。とにかく自前でセックスしちまって、子供をつくってるんだ。オナニーで子供がつくれちゃうってわけだよな。連中によると、これだといろいろと面倒がないんだってさ。なにしろ全部自分の遺伝子だから、安心だ、なんて物言いしやがるんだ。おまけにこの無性生殖でも分裂時に充分変異がおこるから、親とは違う子供ができるんだってさ。でもねえ……俺から言わせりゃこりゃあ技術生物、テクノビックだぜ。そりゃ頭をネジ止めしてたり耳からコードが飛び出してるわけじゃないけどさ、
 「ハニーはどこへ行ったんだよお!」
 300キロの風に吹かれながらインド人の相棒が俺の台詞をかわりに叫んでくれたよ。こいつもうすでにエクスタソーマ25絶好調だぜ。そうそう、ハニーがいねえじゃねえか。ダーリンはどこへ行っちまったってんだよお。だいたい、フェラチオもしてもらえないしさ。いや俺が言いたいのはさ、連中が言う“面倒”ってやつさ。見初めたり言い寄ったりふったりふられたり。ありゃりゃ、病気移されちゃった。あいつったら癌家系だったのかよ……いやだ、この子ったら目が一個しかないわ。これだよこれ。このスリルと情緒がないじゃないかよ。人生は楽しいんだぜ。あいつらそれをわかっちゃいないんだ。これに限ったことじゃない。まあ例えば奴らからTVを取り上げてみなよ。奴ら、ものの一ヶ月で退屈に耐えきれなくなって狂い死にさね。機械がなきゃ食うこともセックスもできないできそこないどもさ。
 テクノビック党は今や世界中にメーリングリストを持っている。政治家も宗教家も、ホームレスまで奴らの味方、仲間だ。俺たちが指をくわえて眺めていたかって? 冗談言っちゃいけない。我らがカバラー党だってがんばっているんだ。いまやマドラスには兄弟たちが老若男女集まって俺たちの帰りを今か今かと待ちこがれているはずなんだ。俺のリュックに詰まった100人10時間分のエクスタソーマ25の到着をな。みんなでこいつをがつんときめて情緒たっぷりに人間の野性と愛についての研究発表会を全世界に実演放送する予定ってわけ。えっへん、我々は愛を運ぶ聖なる鳩というわけだな。その結果は……フフフ、まあ見てのお楽しみだ。え? そんなに急ぐのになんで自転車なんだ、だって? そりゃあやっぱりほら、人間たるもの、男たるもの、体ひとつで勝負しないとな。まあとにかく急ぎに急げばたぶん放送には……
 「おおおおお!」
 い、いかん! また相棒の絶叫だ! これは何か悪いことが起こるに違いない……と思った瞬間奴の自転車は急ブレーキして横倒しに止まった。やれやれ今度はいったいなんなんだ……俺も猛烈にタイヤをきしませUターン。
 「なんだよ、早く行かないと放送に間に合わないぜ」
 インド人ときたら俺の小言なんか素知らぬふりだ。へらへら笑って顎をしゃくる。
 「見ろよ、あれ」
 俺は相棒の視線を追った。すると……なんと見るもキュートなインド美人が朝っぱらからハイウェイに突っ立って親指を立てているではないか! にこやかに微笑んで……俺と相棒はもうすっかりらりぱっぱだったし勃起なんてパリを出てからしっぱなしだったし放送のことなんか即座に頭からすっ飛んだ……俺と相棒は慌てて自転車を漕ぎ彼女のそばまで行った。我先にと俺は大声を張り上げた。
 「ヘイ! 可愛い子ちゃん、俺の自転車でぶっとばそうぜ! 菩提樹の木陰でエクスタソーマ25をひと舐めして、俺とこの世のものとは思えぬ美を体現しないか?」
 やばい! つい興奮しちまって……俺ももう表情ゆるみっぱなし、よだれだらだら……こういう場合、もっとクールにやらなければ! せっかく見つけた女神の如きインド美人がすっかりびびっているではないか!
 「え?」
 青ざめたインド美人を見た我が相棒はすぐさま口を挟んだ。
 「いやあ、こいつ冗談が好きで困るだよ。おらたち優しい自転車乗りだで、乗ってくか? どこまででも連れてってやるからよお」
 ば、馬鹿! その“優しい”だの“どこまででも連れてって”だのって物言いはやばいぞ! 見ろ、彼女青い顔を曇らせていまにもダッシュで逃げだそうとしているではないか! こいつももう駄目だ、頼りにならん、やはりここは詩才に富む若きパリジアンであるこの俺の舌を舞わしてこの場をなんとかきりぬけなければな。
 「こいつはとんだ田舎者でしてな。ご無礼お許しください。何を隠そう、我々は聖餅を運ぶ聖なる鳥なのです。なんのことかわからんかもしれませんが、まあ言うなれば、神の愛の力を世界に向けて発信するメサイアなのです。そうです、ご存じですか! いままさに世界は死なんとしておるのですぞ! あの体中にエレクトロニックケーブルを巻きつけたテクノビック党がこともあろうにオナニー子づくりを奨励しフェラチオ全面禁止運動をあおりたてているんです! 我々愛を知る神の正当な子孫たちとしては、ここはやはりたったいまからクスリでらりぱっぱになって素っ裸で愛のインアウトを熱烈に繰り返し、我々の愛の叫びをこのハイウェイ沿いから世界中に轟かせようではありませんか」
 し、しまった! もう俺の舌は抑えが効かなくなっていたのだった! 恐るべし、エクスタソーマ25。
 「ひいいい!」
 とインド美人は絶叫してハイウェイを飛び出しインドの広大な野っ原に駆け出して行ってしまった。俺と相棒はそのへらへらゆるみきった情けない顔を見合わせた。
 「まずったべなあ、兄弟」
 大きな虚脱感に包まれたまま俺たちはひとまずエクスタソーマ25をひとなめした。
 「ま、人生は苦渋に満ちていると昔から決まっているのさ。さあ行こうぜ。なんといっても、俺たちには愛の魂が宿っているんだ。そのうちきっといいことがあるさ」
 俺はそう言って自転車を立ち漕ぎしだした。相棒も笑ってついてくる。
 「おめえは詩人だなあ」
 相棒がそう言ったんで俺たちはへらへら笑いながらまた時速300キロで自転車をぶっとばした。ちょうどゆび薔薇色の巨大な曙の女神が床から身を起こしたんで澄んだ空がさっと明るくなっていった。地平線と飛び交う緑の森に光が……俺たちはペダルを猛烈に漕ぎながらそのさまを見て、あまりの美しさに涙を300キロの暴風に吹き飛ばしたんだ。ああ、愛とはかくも巨大で無限だ。
 

 2 なにやってんだ俺たち?
   do what you gotta do

 インド美人のせいですっかり我を忘れてしまったがこんなことではいけない。なんといっても、我々は世界中の迷える貧民を救うために走る愛の郵便屋なのだ。この自覚をもって正しくあらねばならない。生放送まであと6時間しかないではないか、一刻も早くマドラスで待つ我らがカバラー党員のもとへこの神の愛の力を届けなくては! そうしなければ、世界は滅んでしまうのだ! この人類とあらゆる生命が大事にはぐくんできた愛の伝統を守らなくては、本当に宇宙中がテクノビックどもの冷たい牙に食いつぶされてしまう。そ、それだけはいけない! まさに世界は俺たちのこの二台の自転車の両輪にかかっているのだ。俺たちは聖なるレーサーなのだ、これを自覚しなくては……そうは言ってもさすがにそろそろエクスタソーマ25の効き目も切れてきてこの確信も薄れてきた。なにやってんだ俺たち? なんで自転車なんかで一万マイルも300キロでぶっとばしてるわけ? うーむ、しかたがあるまい。ではもう少ししたらあのかしこき神の愛の粉を次の『無性生殖は時間も……』の看板の辺りで……いやでももう自転車を止めてるいとまはないな、どうしたものか……
 「兄弟!」
 相棒が自転車を寄せ暴風を割って叫んだ。まったく今度は何事だ?
 「おら腹減っただ! 飯にするべえや!」
 「なんだと? だが自転車を止めてる時間はもうないぞ!」
 そりゃあ俺も腹はぺこぺこだけどさ。
 「へへ! おらに任せときなって!」
 インド人はそう笑って時速300キロを維持しながら起用に背中のリュックを手繰り寄せ、高カロリービスケットを取り出しむしゃむしゃやりだした。
 「ふうー! うめえ!」
 それを見た俺もとたんに腹がぐるぐる鳴ってよだれだらだら。
 「俺にもよこせよ!」
 「おうよ!」
 インド人は自転車をすり寄せ俺にビスケットを手渡す。時速300キロ、愛のビスケット・ランデヴーだ。俺はそいつを口に放り込んでぼりぼり食べた。ああ、神の愛を感じるぜ。
 ビスケットのうまさに感動してると相棒が右手をハンドルから離し俺のリュックを指さしている。ま、まさか? 愛のエクスタソーマ25・ランデヴー?
 「この馬鹿! 冗談にもほどがあるぞ!」
 「へへ! まあここはおらに任せときなって!」
 相棒は俺の絶叫には耳を貸さずへらへら顔でハンドルから両手を離し俺のリュックに手をかけた。
 「や、やめろ! やめてくれ!」
 「兄弟、暴れるでねえだ! 危ねえでねえか!」
 俺は別に暴れてなんかいなかった。このインド人はひとりで勝手にわめいていたのだ。俺はこいつの馬鹿っ面をひっぱたいてやりたかったんだが動くに動けずただじっと神の愛と人生の意味について考えをめぐらすことしかできなかったんだ。それをいいことにこの我が愛すべき相棒は俺のリュックに手を突っ込み時速300キロのスピードと格闘していた。すると、
 「うぎゃあああ!」
 とインド人は突如絶叫し自転車のバランスを失い俺にぶつかってきた。ま、まずい!
 「うわああああ!」
 とたまらず俺も絶叫し俺たちは自転車ごと団子みたいになってすさまじい勢いでハイウェイに叩きつけられた。そして真っ白い粉がばらまかれ辺り一面濃い霧が立ちこめた……そして麗しきデカン高原の風に吹き飛ばされていった……マ、マジで? あ、あの神の愛の力が風と共に去りぬ? なんてこった!
 自転車も俺たちも頑丈だったから怪我ひとつなかったけど、そ、それにしても……俺たちは白い霧にごっほんごっほんむせこんだ。
 「いやあ、まいっただなあ、兄弟。どうするべ?」
 「こ、このヒョウロク!」
 俺はこの信じがたいインド人に平手打ちを食らわせてやった。インド人はすっ飛んでアスファルトに転がった。
 「なにすんだよ兄弟、愛は尽きることはないんじゃなかったのけ?」
 「うるせえ! この役立たず! 畜生!」
 俺はもう泣きたい気分だった。マドラスで待ってるみんなになんて言うんだ? 世界中の苦しんでるみんなになんて言って許してもらうんだ? 「神の愛はデカンの森にまかれました。そうです、あの地こそ新たな生命の聖地なのです!」くくく、泣けてくる……
 「すまねえ……」
 インド人はようやくことの重大さに気づいたようだった。涙を流して俺の足にしがみついた。そのさまを見ていると俺はもうこれ以上何か言う気にはなれなかった。そうだ、こいつの言うとおり宇宙に満ちる愛は無限なのだ。俺たちはこうして生きている。俺は首を上げ、辺りを見回した。美しい。このデカンの美しい大地は生きているのだ。それだけで充分じゃないか? 俺は歌った……

 ♪here is sunrise, ain't that enough?
 true as clear sky, ain't that enough?
 toytown feeling, here to remind you
 summer's in the city, do what you gotta do...

 そうだ、エクスタソーマ25なんかへらへらなってよだれだらだら体ふわふわ頭らりぱっぱになるだけじゃないか。俺たちはパリを出てからというものこのクスリを身を持って試したのだからな。こんなものくそくらえさ、我々にはこの美しい愛の固まりである世界があるじゃないか……なになに? さっきばらまいた白い粉をたんまり吸い込んだんじゃないかって? うーん、ま、そうかもしれんけど、それはそれだよ。とにかく俺はいま最高にグルーヴィーな気分なんだ。それこそが重要なんだ。
 「さあ、愛の旅を続けようぜ! みんなにこの愛を伝えようぜ!」
 俺は自転車にまたがり相棒を急かした。インド人は溢れる涙をふきペダルを踏む。
 「おう! おらたちゃ愛の鳥なんだ! 飛ぶべえよ!」
 神の祝福に包まれた俺たちはへらへらふわふわよだれだらだらしながら再び自転車をぶっとばしマドラスへ急いだ……
 

 3 これはマズイ……
   げげ、オマワリさんだ!

 マドラスに着くと100人の仲間たちが歓喜に満ちて出迎えてくれた。広場じゃあもうすっかりTVクルーが準備万端整えて放送5分前、すべりこみセーフ!
 「ほんじゃあさっそくエクスタソーマ25でがつんと石になろうぜ!」
 みんな口々にまくし立てた。そんなみんなに我が愛しの相棒が優しく、天にも届く大声で語りかける。いいぞ、それいけインド人!
 「いいかみんな、あんなものは糞味噌だべ! おらの言うことを信じてくれよ。あんなものがなくたって、おらたちゃ充分愛し合っていけるんだよお。なんてったって、おらたちは生きてるでねえか!」
 みんな一瞬しーんとなった。そしてみるみる恐るべき悪魔の非情な顔へ……こ、これはマズイ……
 「ふざけんな!」
 「おまえら全部やっちまったんだな!」
 「このろくでなし! 殺してやる!」
 こ、殺す? そんな物騒な。こんなはずじゃなかった、この世は愛に満ちているはずじゃあ……
 「そこ動くな! この悪の結社カバラー党め!」
 突然そう呼ばわる拡声器の大声が響きわたった。俺もみんなも声の出所を振り向くと……げげ、オマワリさんだ! 見れば500人はいようという真っ黒な恐ろしい連中がマシンガンを並べて身構えているではないか! くそう、テクノビックどもめ、なんてことしやがる!
 「ひええええ!」
 インド人は自転車にまたがり一目散に逃げ出した。お、おい自分ばっかりずるいぞ!
 「ま、待てよ!」
 うーむ、こうなってはしかたがあるまい。俺もベダルに我が全身全霊をかけて中央突破。とたんにマシンガンの一斉射撃ガガガガガ、ひえええ。自転車はみるみるスピードを上げ俺も相棒もどうやら敬虔なオマワリさんを2、3人ひき殺しちゃったらしいけどこのさいそんなことかまってらんない。
 「どうすべえよ、兄弟」
 インド人も形相は涙に濡れて死なんばかり。ああ、愛とはむなしい。
 「知らねえよ、とにかく俺たちの愛の旅はまだまだ続くってことだよな」
 自転車は再び時速300キロを記録してぶっとんだ。カルカッタへ向かうハイウェイを風のように駆け「無性生殖は時間も……」の看板を10本くらいすぎた頃だ、エクスタソーマ25もきれちゃってもうへなへなになってた頃だ、前方におびただしい数の黒い制服が速射砲を何台も並べ通せん坊をしている様がはっきりと見えてきた……こ、こりゃもう駄目だ……俺たちはブレーキをかけて両手を万歳しながら礼儀正しく居並ぶ彼らにひとまず会釈。
 「や、やあこりゃあオマワリさん、ご苦労さんです。ずいぶん物々しいですなあ、なにかありましたか?」
 俺のこの謙虚な物言いはここでは意味をなさなかった。連中ときたらぶすっと黙りこくって……そ、そんなおっかない顔しなくってもいいじゃないかよお。
 「お、おらたちただ愛の名のもとに旅してる者だで、誓ってなんにも悪いことはしてねえだ」
 相棒がびびりまくった声で言った。そうだとも、俺たちはなんにも悪いことなんかしてないよ、ただちょっと白い粉をなめてへらへらふわふわらりぱっぱしてただけでさあ。速射砲の砲身向けられる覚えはないよなあ……
 

 4 おらたちの愛の旅はまだまだ始まったばかりだで
    ヘイ! ギリシャの可愛い子ちゃん!

 丁重に逮捕された俺とインド人は飛行機でパリまで護送されてなんだか見るからに怪しい研究所まで引っ立てられた。俺たちが入れられた真っ白い部屋には物々しい機械が並んでてガラスの大きな窓からテクノビックたちが雁首そろえて眺めてて……そしてふたつの金属製の肘掛け椅子が……マ、マジで? いきなり電気椅子? 拘束着を脱がすオマワリさんに俺は慌てて言った。
 「オ、オマワリさん、冗談やめましょうよ。裁判もなしにいきなり死刑?」
 インド人はもうすっかりあきらめたのかうんともすんとも言わずに椅子に縛りつけられている。この馬鹿! 死ぬってのはおしまいってことなんだぞ! 俺たちはまだまだやり残したことだらけじゃないか!
 「ははは、死刑じゃないですよ」
 はははってあんた……こっちの身にもなってくれよ。
 「ただちょっと脳に電気を送って、そのう、頭をやわらかくしてあげるっていうか、まあ言うなればただの鎮静治療ですよ。最新式のね」
 そ、そんな、ロボトミーってやつですか? ショックショップ? むかし赤毛の英雄マックマーフィはそれで役立たずにされちゃったじゃない。じ、冗談じゃない、頭をやわらかくするんならエクスタソーマ25でもちょっとなめればすぐにへらへららりらりになっちゃうよお。そっちにしようよお。
 「た、助けてくれ!」
 俺はだいぶ暴れたけど悪魔のオマワリさんたちに捕まえられて電気椅子に縛りつけられた。それで頭に冠をのっけられて……ひえええ、神さま、死にたくないよお。
 「おいこの役立たずのインド人! どうすんだよ、殺されちまうぞ!」
 「わめくでねえだ。まあここはおらに任せとけ。おらたちの愛の旅はまだまだ始まったばかりだで」
 こ、この馬鹿、なにが「まだまだ始まったばかりだで」だ! なにを落ち着き払ってやがるんだ? どうやら完全にいっちまったらしい。任せとけもなにももう絶体絶命、植物人間、いや呼吸するだけのテクノビックにされちまうじゃねえかよお。
 「はーい静かに静かに。じゃあ電気流しまーす」
 オマワリさん、そりゃ人ふたり役立たずにするときの台詞じゃないよ、せめてサミュエル書の一節くらい読んでくれたってさあ……
 「ぎゃあああ!」
 「ひいいいい!」
 びびっとしびれてきて全身麻痺。ああ、俺の楽しい人生もこれまでか……相棒、いままでいろいろありがとうな……と隣を見ると……なんてこった! インド人はその赤黒い皮膚をばらばらとメッキみたいにはがして昔のギリシャ風のきれいなワンピースを着てるじゃないか! そのむくつけき顔の皮膚もはげ落ちてなんともキュートなギリシャ美人に……そして右手に槍、左手には磨かれた盾、マジで? あんたヒョウロクインド人のふりしたかしこきゼウスのお姫さまだったわけ? じ、冗談きついぜ!
 「うおおおお!」
 インド人、いやギリシャ美人がひとうなりしたかと思えばどっかーんとすさまじい爆発が彼女から発して俺を巻き込んだ。ああ気が遠のく……

 「ほら、しっかりしなさい」
 俺はほっぺたを叩かれて起きあがった。電気椅子は跡形もなく吹っ飛んで……いや研究室自体が大爆発でぼろぼろになってた。オマワリさんたちもどっかにいっちゃったみたい。素っ裸の俺が目の前に見たのはいとも美しいギリシャ美人の立ち姿。右手に握った長い槍を振り回して遊んでたりしてる。いやあ、たまげた。
 「ふう。まったく人間に機械なんて使わせると、ろくなことしないわ」
 「あ、あんたあの有名なパラスアテネさんで?」
 おっかなびっくり俺が尋ねるとお姫さまはうなづいた。なるほどねえ、あんたいままで俺にその思慮深き英知で愛を教えながらここまで導いてくれたってわけだな。
 「そうよ。ちょっと親父さんに頼まれてあんたを連れに来たのよ」
 つ、連れにってどこへ? まさかあのオリンポス山に連れてってゼウスさまに献上するわけ? ひええ、あいつ好色だって聞いてたけどバイセク? 俺は人類を代表する聖なる貢ぎ物? やられちゃうの?
 「なに言ってんのよ、違うわよ馬鹿。ま、ひとまずきめようよ」
 とお姫さまは槍を一振り、空中から白い粉が飛び出して舞い降りた。盾の上に降らせるとお姫さまは座って槍の先でとんとんきざみだした。そして高い鼻を当ててずうっとひと吸い。お、お姫さま、神さまがそんなことしていいわけ?
 「堅いこと言うんじゃないわよ。ほら、あんたもどう?」
 「へ、へえ! いただきやす!」
 俺はほんとのところはよだれだらだらだったんですぐさま鼻でずずっと吸い込んだ。するととたんにがつんときて体ふわふわちんちんびんびん頭らりぱっぱ。さすが神さまのおクスリ、こいつはとびきりの上物だぜ。まあエクスタソーマ25なんて目じゃないね。いやあこりゃあ……すげえや……
 「へへへ、はああ、ふうう!」
 俺はもう完全にいってしまった。ああ、宇宙万歳!
 「これでよし、と。ま、あんたに用ってのは他でもないわ。ちょっと未来に来て欲しいのよ。あんたたち下界の奴らってのはまったくろくでもないわ、ここでの時間で今から46億年後にはもうみんな生きる意味がわかんなくなっちゃってんのよ。このままいけばそうなるってことがわかるかしら?」
 うーん、そういうことね。そりゃあテクノビックどもがマシンガンを身構えてる世の中だから、このままじゃそんな未来にはもうみんな死んじゃってるのかもねえ。生きるなんてなんてことないのにさ。
 「そうなのよ。それで親父さんがもう怒っちゃってねえ、神々もたいへんなのよ。ポセイダオンのおっさんはまあ楽しそうなんだけど、親父さんはつまんないわけね。それでこのあいだ会議してさ、親父さん、もう終わりにしようなんて言い出したのよ」
 「お、終わりって? ぶっつぶすってこと? 皆殺し?」
 お、恐ろしい……
 「そうなのよ。そりゃやばいってあたしは反論してさ、とにかく昔の生きのいい下界野郎を何人か連れてくるからそいつらにがんばってもらおうってさ」
 ええ? じゃあ俺はまさに聖なるボクサーってわけ?
 「そうよ、あんたなら世界を救う英雄になれるわ。どう? このおクスリ吸い邦題、それにもしかするとことと次第によっちゃあ、あたしと深いお友達になれるかもね」
 お姫さまは俺にそう言って魅惑のウインク。か、可愛いじゃんお姫さま。うーん、ふ、深いオトモダチって……俺のまるだしの勃起を目の前にそんなフシダラな……い、いけないお姫さま! えっへん、俺はいまや世界を相手に時空を超えて戦う愛のメサイアなのです! 我々の聖なる関係においてはそんなイヤラシイことは……う、うーん、ヘイ! ギリシャの可愛い子ちゃん! 朝のまだきに曙の女神が起き出すまで俺と聖なる有性生殖しないか? い、いやそのつまり!
 「と、とにかく俺はどこまででもあんたについてくぜ!」
 「そう、良かった。ほんじゃあさっそく行こうか」
 お姫さまはサンダル履いて槍をひと振り、すると二台の自転車が空中から飛び出てきた。こいつにまたがり俺たちは遠い46億年後の未来へ向けて愛の旅を続けた……

 《おわり》


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