非幻想異端的日常
2002年 10月 26日 (土)
 本日よりこちらにて日記をしたためてゆくことにした。タイトルは何がどう幻想異端なのかという感じだが、まあサイト自体もそんな感じなのでいいかもしれない(よくないかも)。
 意義としては、このページで通常の日記をつけてゆくことにより、通常の日記と化してしまった交換日記を本来の形に戻すことができるというのがある。又、日記をインターネットで書く際、交換日記に使用しているcgiの1日毎にページが分かれる形態は個人的にどうも好きではないので、いまひとつ書きにくかったというのもあった。
 ちなみに日記の日付けは、それを経験した日ではなく、書いた日になる。なんとなく俺的に、いつそうしたのかよりも、いつそれを書いたのかの方が重要だと思うからだ。
 さて、いつまで続くだろうか。

2002年 10月 27日 (日)
 目が覚めたら11時すぎだった。寝床で陳舜臣の「ものがたり唐代伝奇」を読みはじめたが、まだ眠かったので、本を開いたまま、いつしか眠りに落ちた。数時間後、携帯の鳴る音に再び目が覚めた。団鬼六の事務所のS社長からだった。
 「いま、新宿でナイタイのミスシンデレラコンテストで団鬼六先生が審査員やってるんだけど、ザッピーさん取材の手伝いに来ませんか」
 ナイタイと言えばマンゾクと並ぶ風俗情報誌の大御所である。ミスシンデレラコンテストとゆうのは、毎年行なわれているイベントで、要するに都内の風俗店の人気風俗嬢たちが集まって、どの子が一番可愛いか決めるというやつだ。
 時計を見ると、午後3時。朝まで徹夜で仕事をしていたので、まだ眠かった。これから支度をしてデジカメを持って現場に駆けつけるにしろ、1時間半はかかる。状況を伝えると、それではコンテストが終わってしまうとのこと。面白そうだったが、諦めなければならなかった。
 起きて暫く仕事をしたが、また眠くなり、昨日届いたばかりの新品のソファーベッドに横になり、寝た。もう最近なんだか、どれだけ寝ても眠いという状態が続いている。かなり体調のリズムを崩しているようだ。
 夜6時頃、近くの喫茶店で仕事の企画書を書いていた悠里が帰ってきて、いつまで寝てるんだと起された。腹が減っていたので、新宿西口の江戸寿司に行く。5.jpg
 帰って、映画「地上最強のカラテ」のビデオを見ていると、またS社長から電話があって、今日のコンテストの模様をホームページにアップしたと教えてくれたので、早速PowerBookG4を立ち上げて見てみる。
 団鬼六先生が風俗嬢に蝋燭を垂らしていたり、様々なコスプレに身を包んだ風俗ギャル達が戯れている画像が掲載されている。楽しそうだ。行きたかったな。そう言えば、一昨年のナイタイ・ミスシンデレラコンテストも、直前に知り合いのM社のK社長にいきなり誘われて、行けなかったんだっけな。俺はよほどこのテのイベントには縁がないとみえる。まあいいや。
 俺は「地上最強のカラテ」の続きを見始めた。

2002年 10月 28日 (月)
 悠里がルチルクォーツのブレスレットをお守りにほしいと言うので、奥さんが縁起物の石を売っているC社のH社長に電話をした。H社長は出なかった。そのままほっておいた。数日後、H社長から電話がかかってきた。電話をかけ直してくれたのかと思ったら、仕事の依頼だった。
 「浅野さん、雑誌広告のタテ三分の一。カラーで、制作頼めますか?」
 俗に言う“エントツ”広告ってやつだ。雑誌広告からこの業界に飛び込んだ俺にとって、まさに昔とったキネヅカかもしれない。制作料はサービス価格でしめて1万円てところか。ちなみに俺が作った雑誌の広告は、いまでもSMスナイパーで見ることができる。
 「それなら俺の専門です」
 「よかった。じゃ打ち合わせしたいのでお会いしましょう」
 次の日、H社長に呼ばれ、池袋のホテル・メトロポリタンのロビーで会った。こんなところで何をやっているのか…。原稿を受け取り、説明を受け、CD-ROMの画像データをもらう。
 「制作費は1万円でいいですか?」
 「それでいいです」
 「いつも安くやっていただいてすいません」
 「そうそう。韓国人のKさんと三人で今度一緒に飲みませんか?」
 暫く雑談し、霊力で人を助けることについての極意を教えられた。帰って、PowerBookG4の前に座り、Adobe Illustrator8.0Jを開く。さあ、制作開始だ。
 作りはじめると、意外と難しかった。ムズい。雑誌広告は久しぶりだったので、かなり勘が鈍っている。昔から「つくる」仕事がしたかった俺はいま、つくる仕事をして食っている。しかし、つくる部分は俺の仕事のなかで、最もやりたくない部分だった。人と話している時間の方がよっぽど楽しい。
 暫くあれこれポスト・スクリプトの世界でもがき苦しみ、なんとか完成させたが、やたら明るくて色気に満ち満ち、まるで風俗の広告みたいになってしまった。掲載するのは生活情報誌。作っているのはインド式の健全なマッサージ店の広告なのだ。このままではまずい。やりなおしだ。もう朝になっていた。
 とりあえず疲れたのでコンビニに行っておかきを買ってきた。おかきをつまみに、日本酒を飲んで、酔っぱらって寝た。
 夕方5時くらいに目が覚め、ちょっとメールチェック等をして、悠里と食事に出た。
 うどん屋に入り、ミニかつ丼セットを注文したが、品切れだった。仕方がないので、カレー餅チーズうどんを注文したが、それも品切れだった。これ以上はありえないというほど機嫌が悪くなる。仕方なく、ミニ天丼セットを注文して食べた。食べ終わる頃には、機嫌は直っていた。
 帰ってまた寝ていると、トンチンが遊びに来た。彼がうちの会社を辞めてそろそろ1年になる。一緒にチア・ガールのドキュメンタリーのテレビを見た。
 トンチンが帰った後、俺は再びPowerBookG4を起動し、広告制作の続きをはじめようとした。その前に、ちょっと読書を楽しんだ。チョコレートを口に放り込み、ブコウスキーの「パルプ」を開いた。いきなり口からチョコレートが勢いよく吹き出した。本の紙面に茶色の斑点がこびりついた。俺は本をちり紙で拭いた。そしてコーラをひとくち飲んだ。
 悠里の手首にルチルクォーツのブレスレットを巻いてやれるのはいつの日になるだろう。

2002年 10月 29日 (火)
 営業で本八幡に行った帰りに、駅前のブックオフが目に止まり、中へ入った。
 ブックオフ。そう、ここで本を買うのは、読書人として非情にも道に外れる行為だと言われている。まさに出版界を滅びへと導く愚悪の凡夫である。出版業界の知り合いが飲み会の席などでよく「ブックオフは撲滅しなければなりません」と話しているのを聞きつつ「まったくですね」などといい加減に相槌を打っていたりする手前もあるので、余計そう思わなければならないような気がしてくる。でも前を通ると、明るくてたくさん本があるからつい誘われるように入ってしまう。入ると、安いからつい買ってしまう。愚悪の凡夫とは俺のことか。
 古本に入った時は、まず100円コーナーから通常の古本コーナーへと回ってゆき、最後に漫画コーナーへと歩をすすめてゆく。漫画コーナーへと辿り着く前に両手に本がいっぱいになるときもあれば、大して面白そうな本が見つからず漫画ばかり買ってしまうときもある。今日はどちらかというと後者だった。
 ブックオフにいそいそと入店した俺は、まずプロレス関係の書物の欄の前に立った。女子プロレス関係の本が目に止まったので、手にとって読んでみる。プロレス界の裏事情を書いた類いの本ほど読んでいてのめり込むものはない。新しいところではミスター高橋の暴露本や、今年自殺した元FMWの荒井社長の「FMW倒産」など。アンドレ・ザ・ジャイアントが死ぬまで身長が伸び続けていた話や、タイガー・ジェット・シンが根は優しくて真面目な奴だったとか、猪木のいかさま試合の話しだとか、本当にもう、俺はこれほどまでに集中力があったのかと思うほどのテンションで一気に読みきってしまう。しかし手にとった女子プロレスの本は、北斗晶は毒舌を垂れ流しつつ選手を啓発したいたのだとか、キューティー鈴木は女子プロレスラーとしては美人だったが一般的には並の容姿だったから芸能人にはなれなかったのだとか、井上貴子は男性ファンが喜ぶことを知っていたから脱いだのだとか、長与千種はデビル雅実と戦うために復帰したのだとか、ほとんど読むまでもなく当たり前のことばかりが書いてあったので、そのまま元の棚に戻して次に進んだ。
 ふと、三谷幸喜の「オンリー・ミー」という本が目に入り、手にとってみる。ページを開くなりいきなり爆笑ものの文章が脳に飛び込んできた。なんだかユーモアセンスが週刊文学文芸の編集日記に近いものがある。まずはこれを買って全部読むことにした。
 他には大して面白そうな本がなかったので、いつもより早く漫画コーナーへと突入する。「よしえサン」や「気分は形而上(『うああ』と読むらしい)」など、須賀原洋行の漫画でまだ買っていない巻がいくつかあったので、それを数冊買うことにした。あとどおくまんの「熱笑!!花沢高校」で買い逃していた7巻(力と富岡の対決が載っている)があったので、それも買う。
 締めて1300円分(ほとんど漫画だ)本を買い込んで、きっちり領収証を貰い、本八幡を後にした。
 新宿に着いた頃には夜10時半になっていた。実はこの後まだ仕事の打ち合わせで人と会わなければならない。携帯で相手に電話をすると、不通であった。俺は新宿駅のドトールに入り、買ったばかりの漫画を読みはじめた。
 Waiting is the hardest part...(待つって一番辛いこと)とトム・ペティは歌っているが、俺にとって待ち時間は貴重な読書時間である。人と喫茶店で待ち合わせをしていて、相手がなかなか来なくても、苦に思ったことがない。トンチンなどはよく待ち合わせに1〜2時間、長い時で4〜5時間遅れてくるが、彼にはずいぶん読書時間を稼がせてもらったものだ。
 30分ほど読んでいると、携帯が鳴った。
 「すいません、浅野さん。今日は忙しくてちょっと行けそうもないので、明日にしませんか?」
 「了解しました」
 俺は携帯を切ると、コーヒーをすすり、ページをめくった。

2002年 10月 30日 (水)
 会社設立にむけて印鑑証明を入手するために、悠里をひきつれ地元の埼玉に帰った。
 最近は便利になったもので、市民カードというものを作れば駅前のデパートのATMのような機械で印鑑証明が発行できてしまう。便利になったはいいが、あまりにも簡単にこういった重要書類が手に入れられてしまうのも考えものである。
 川越に到着し、デパート地下1階の市民センターの機械の前に立つと、カードを挿入し、画面の指示に従ってボタンを押していった。印鑑証明は3通必要だ。
 ガタガタと音がして、機械が止まった。
 係員が出てきて、機械を開く。
 「最近この機械調子が悪くて3通以上入力するとひっかかるんですよ」
 中からローラーにからみついてクシャクシャになった印鑑証明が2通と、無事に発行された印鑑証明が1通でてきた。蓋を閉める。
 「今度は2通でやってみてください」
 再びカードを入れ、言われた通り今度は2通でやってみた。
 またガタガタと音がして、機械が止まった。
 係員がまた機械を開き、クシャクシャの印鑑証明1通と無事なの1通を引っぱりだした。
 「もう1回お願いします」
 再びカードを入れ、今度は1通でやってみる。今度はちゃんと動き、無事しかるべき所から問題なく印鑑証明が出てきた。
 係員はクシャクシャになった印鑑証明3通を無造作にポケットに入れると、無事に出てきたやつを3通、俺に渡す。
 「失敗したやつも一応、いただけませんか?」
 と係員に頼む。クシャクシャになっているとはいえ、使おうと思えば使えるのだ。
 「これはお渡しできないんですよ。使おうと思えば使えるので」
 と係員。だからそのままお前さんに預けておく訳にはいかんのではないか。
 「その分の料金お支払いしますから」
 「ちゃんと捨てときますから」
 「いいから下さい」
 「仕方ないですねぇ」
 結局、目の前でシュレッダーにかけてもらうということで話がついた。
 実に面倒臭く阿呆らしい出来事だった。そのうち今の事業ゴッコに飽きたら、ややこしい社会のシステムを離れて、世捨て人として生きてゆくことにしよう。
 川越くんだりまで来たついでに、悠里が冬物の洋服をとりにいきたいと言うので、実家に帰った。ここには現在、アスラが住んでいる。彼とは絶交したので、現在は家主と借家人の関係である。
 ノックすると、ドアが開いた。アスラは出掛けるところだったようで、コートを着ている。…悠里のコートだ。人のものを勝手に着るなよ…。呆れる我々をよそに、彼はそさくさと出掛けていった。
 冬物の洋服を袋につめ、本棚を探索する。読み返したい本がたくさんありすぎて困ったが、本日は山田風太郎の「神曲崩壊」とヘルマン・ヘッセを抜き出し、鞄に入れた。「神曲崩壊」は全体としてはつまらない本だったが、部分的に読み返したいところがたくさんあり、前から取りにきたかったのだ。ヘッセはなんとなく。
 次に母の実家に寄った。母は留守だったが、猫が糞やゲロをそこいらじゅうにまき散らしていたので、掃除をしてやる。
 帰り、ガストで食事をして新宿に戻った。

2002年 10月 31日 (木)
 西新宿のS社に原稿を届けに行った帰り、悠里と落ち合い、どこかでお茶でもして帰ろうと思ったその時の出来事である。
 雑踏のなかに、大きなカメラをかかえた外人の一群を見つけた。どうやら何かの撮影をしているらしい。
 新宿に住んでいると場所柄、さまざまな撮影風景に出くわす。
 そんな時、俺は必ずそこに誰か有名人や有名な監督の姿がないか探すという習性がある。野次馬根性というやつだ。そんな滅多にビッグネームに出会える訳もないのだが、世の中ひょっとしたらということがあるものだ。以前フィラデルフィアに住んでいた時も、フィラデルフィア美術館の前を車で通った時、人が大勢集まって撮影をしているのを見て、即効で車を停車し見にいったら、シルベスタ・スタローンが「ロッキー5」の撮影をしていたという経験があった。
 しかも今回は外人。ひょっとしたらハリウッドが映画の撮影で日本ロケに来ていて、ひょんなことでハリウッドスターの姿とハリウッドの監督の姿を目にすることができるかもしれない。
 あり得ない話ではない。
 そこには黒い大きな車が止まっていて、その中にいる俳優をカメラが撮影していた。車のドアが開き、中から出てきたのは、ビル・マーレーだった。かの「ゴーストバスターズ」の主演コメディアンである。そう、本当にハリウッドのスターだったのだ。こういうこともあるものだ。
 ビル・マーレーと言えば、コメディー・マニアの俺としては、アメリカのお笑いテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」以来のファンである。
 ビル・マーレーだ! うおお、ビル・マーレーだ!!! すげえ!!!!!
 と喜んだ。
 「誰?」
 「ボブ・マーレーだってさ」
 通りすがりの男2人が話している。ビル・マーレーだってば。ドレッドヘアじゃないだろうが。
 近くに日本人スタッフがいたので、話しかけてみた。
 「すいません。これ、監督は誰ですか?」
 「ソフィア・コッポラです」
 と日本人スタッフのお兄さん。ソフィア・コッポラ。かのフランシス・フォード・コッポラの娘である。そういえばカメラの近くにいる女性、見たことあるな。あれがそうなんだろう。
 よく見ると、日本人のエキストラがぞろぞろと、周りで待機していた。
 もう一度、日本人スタッフの愛想の良いお兄さんに話しかける。
 「すいません、僕もエキストラに加わっていいですか?」
 お兄さん、困った顔で首を横に振った。愚問であったか。
 撮影は、ビル・マーレーが車から出て、新宿の雑踏を2ブロックほど歩いてゆくシーンを、くり返し撮っていた。車から出て、歩いてゆく。戻ってまた車の中に入る。また車から出て、歩いてゆく。そういった過程が何度となくくり返されていた。俺はそれをずっと見ていた。
 ビル・マーレーは仏頂面でギャグをやるコメディアンである。撮影の間中、彼はずっと仏頂面をしていた。決して機嫌が悪いわけではない。それが彼の芸風なのだ。その証拠に、車に戻ってゆく途上、目をキョロキョロさせながら周囲の野次馬にアイコンタクトを送っていたり、ポケットからいきなりハーモニカを取り出したかと思うと、意味もなくそれを鳴らしながら歩いていた。ハーモニカとは。なんてお茶目なんだ。ビル・マーレー。
 撮影が終わったら握手してもらおう。サインも貰おう。今は撮影中だから迷惑になってしまう。撮影が終わるまで我慢だ。
 辛抱強く撮影を観察しながら待っていると、いきなり携帯が鳴った。仕事の電話だ。事務所に戻らねばならない。
 俺は心の中で「シット!」と叫ぶと、その場を後にした。
 事務所に戻ると、早速「ビル・マーレー」と「ソフィア・コッポラ」で検索してみる。すぐに判明した。
 映画のタイトルは「Lost in Translation」。検索した記事によると“落ち目のTVスターが若い女性と一緒に日本でCM撮影へ…”てな内容で、来夏公開予定らしい。billmurray.jpg
 ああ、一度でいいから名前を叫んでおけばよかった。こっちを見てもらいたかった。手を振りたかった。リアクションを見たかった。きっとあの仏頂面で眉毛をピクリと動かす程度のことはしてくれただろう。
 悠里と久しぶりのお茶のひとときは潰れたが、まあ、いい経験だった。
 そういえば、日本人エキストラの女の子を一生懸命口説いていたアメリカ人のスタッフがいたが、うまくやれただろうか。まあ、あの顔では無理だっただろう。


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