非幻想異端的日常
2002年 11月 1日 (金)
 ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」などを何気なく読みはじめたら意外に面白くてはまった。この小説は確か、高校のときトンチンに「ヘッセの『車輪の下』ってスッゴク面白いよ!」とすすめられ、15年前に読んだきりなのだ。ところがそのときは読みやすいと思っただけでまったく解らなかった。今のトンチンは音楽ばかりで読書から遠ざかってしまったので、なつかしいことである。
 ちなみにヘッセは美少年趣味の女の子なんぞに人気があるらしい。そこらへんのつまらないヤオイ小説なんかを読むよりはよほど感心なことだが、俺としてはヘッセを読みながら竹宮惠子とかの絵図がふっと脳裏をよぎったりすると非常に興醒めするぞ。
 そんなこんなでまた朝までだらだらと起きていて、朝8時頃やっと寝た。昼過ぎ、悠里から「Kさんが来ておりますのですぐ来てください」との電話で無理矢理起された。まだすごく眠かったのだが、仕方なく顔を洗って腫れぼったい目で事務所に出勤した。
 Kさんは韓国人でフリーで広告代理店をやっている気の良いおじさんである。Kさんと仕事の話をして、来週一緒に中華料理で紹興酒を飲む約束をして、彼は帰っていった。
 Kさんと入れ違いで、「そしてギターは」のamigoさんがやってきた。
 網さんはパフォーマンスの次なる天地として、来年故郷のウエスト・リバー・タウンに帰ってしまうので、その挨拶回りと、俺に行けなくなった映画のチケットをくれるために、わざわざやって来てくれたのだった。彼が東京を去ってしまうと、俺はまた音楽を聞きながら酒を飲む唯一の機会を失うことになるので大きな痛手だが、こういったことは男のロマンに関することなので頑張れと言うしかない。
 網さんが帰ると、すでに午後2時。あわてて外出。
 銀行に行き、外注先、仕入先、家賃等数カ所に振込をして、ついでに現金をおろして入金に広告代理店I社におもむいた。I社は女性ふたりが経営する広告代理店で、ふたりとも俺がかつて勤めていた広告代理店の上司にあたる。
 来月うちが有限会社になることを報告すると、喜んでくれるかと思ったら「いやん、面倒臭〜い」と不満をたれながした。書類を変更しなくちゃならないんだってさ。
 墨森先生の話が出て、彼は1年前にすでにうちの会社を辞めたことを言うと、知らなかったらしくえらく驚いていた。そういえばこのふたりは去年、墨森先生を彼女達の友達のTさんと引き合わせようと画策していたことがあったのだった(墨森先生は知る由もない)。
 帰り、パークハイアットに寄って注文していた印鑑をゲットする。わが社の玉璽だ。やっぱり黒水牛はいいね。やっぱりハンコは印相体だね。
 会社が大きくなって自社ビルが建ったら、玄関にはアメリカ・バイソンのはく製を飾ろう。

2002年 11月 2日 (土)
 あれやこれやの資料作成におわれ、朝までキーボードをたたいていた。ついでに本日より静夜さんが新入社員として出社してくるので、昔アスラが1日だけうちに在籍していたときに作成した営業マニュアルをちょっと手直しなどしたりする。
 午前10時頃、ひとまずPowerBookG4を落として、自宅に戻った。これから寝てしまうと起きれなくなるのは明白なので、眠らずとりあえずゆっくりする。「静夜さん、何時頃出社してくるんだろうね」「そーいえば聞いてなかったな」などと悠里と雑談していると、携帯が鳴った。
 「静夜でーす。もう事務所の前まで来てるんですけど」
 うそ! 慌てて事務所に戻って鍵を開け、とりあえず喫茶店に行ってわが社の経営理念と今後の展望について浅く広く語りあう。その後うどん屋で悠里も交えて昼食。あとはそれぞれマイペースで仕事をして一日が終わった。
 今日は睡眠不足で眠くて、仕事でたくさんミスを犯した。電話をしていても、自分が何を言っているのかさっぱり解らない。
 俺にとって、仕事と遊びと趣味は融合したひとつの人生なので、仕事のミスはそのまま根源的な人間としての過ちに繋がり、ひいては自らの人間性を問うべき課題へと発展する。そんなこんなで自己嫌悪と自責の念にさいなまれながらも、また朝までだらだらとPowerBookG4の前に座っている俺がいた。
 こんな夜は、坂口安吾の「堕落論」でも読みながら笑っているのが相場ですかな。

2002年 11月 3日 (日)
 本コーナーを「幻想異端日記」改め「非幻想異端的日常」と改題することにした。やはり俺は嘘はつけない性格のようだ。
 それから、「幻想異端文学連盟メールマガジン」を発行することにした。これは夜長さん達やきみよしさんやあかつきさんがやっているようなものではなく、「幻想異端文学連盟」の更新をメールでお知らせするといった内容になる予定だ。「幻想異端文学連盟」は年2回のペースで行なわれる「幻想異端文学大賞」を柱とした文芸イベント的なサイトなので、1ヶ月や2ヶ月ものあいだ更新されないといったことがよくある。だからたまに更新すると、「あれ、もうテーマ決まってたんだ」とか「え、もう締きりだっけ?」とか「おや、いつのまにか作品が発表されているね」とか「うそ、もう優勝決まってたの!?」な類いのことをよく言われる。やっぱりメールマガジンは必要であろう。
 それにしても、ここひと月ばかりの「幻想異端文学連盟」の発展ぶりはめざましいものがある。先月「第6回幻想異端文学大賞」を募集開始と同時にリニューアルしたかと思ったら、「非幻想異端的日常」を書きはじめ、そしてメールマガジンの発行。この後も掲示板のリニューアルやら、新しい投稿小説コーナーの開設など、予定が目白押しである。
 長らく更新されず放置状態になっていたこれまでの状況を鑑みれば、「ザッピーはいったい何、いきなりヤル気になってやがるんだ」と、そう声を大にして問いたい方もおられるかと思う。しかし、それは大きな誤解だ。今までやる気がなくて、ここにきていきなりやる気になったという訳ではなく、これらはもともと構想にあったものだったのだが、忙しくて手がつけられなかっただけなのだ。本当はずっと前からやる気だったのである。
 「幻想異端文学連盟」だけでなく、俺が現在運営している十数個のサイトすべてにおいて、俺は現状の数倍の発展と繁栄を獲得できるだけの壮大な構想を頭に持っている。そしてまた、これから作る未だ見ぬ新たなサイトの構想もある。もちろん、それらすべてを一度に実現させることはできない。自分の出来る範囲で、ひとつひとつこなしてゆくしかない。その順番が、「幻想異端文学連盟」に回ってきたと、それだけのことなんだな。恐らく。

 本日は網さんに頂いたチケットで、銀座に映画の試写会を見に行った。
 まず会場のヤマハホールの前の中華料理「北斗」で食事。まだ早かったが、思わず紹興酒を一合ばかり飲んだ。料理は大根と貝柱のサラダ、牛ロースと大蒜の芽の牡蠣ソース炒め、大蒜とレタスの炒飯、大根餅、小龍包、酸辣湯と、だいたいいつもと似たようなラインナップである。実にうまかった。しかも銀座なのに意外と安かった。うまい中華を食べた後のお茶はまた格別であった。
 食後、ヤマハホールで映画を見る。「ジョンQ」というタイトルで、久々に見た感動ものの映画だった。「ビデオドローム」のジェームス・ウッズが出演していた。映画を見終わった後、悠里に感想を聞くと、肯定的な意見が帰ってきたのでホッとした。

 家に帰ってメールをチェックすると「そしてギターはamigoでした」が届いていた。
 俺のことが書いてある。先週網さんが事務所に来たとき、「大道芸というものは場所を定着させた方がよいのか、それともあちこち放浪した方がよいのか」との問いに、俺は「定着するまで放浪するべし」と答えたらしい。
 首をかしげて、別のパソコンで同じメールマガジンを読んでいた悠里に尋ねる。
 「なぁ悠里。俺こんなこと言ったか?」
 「言ってたじゃない。覚えてないの?」
 「ぜんぜん覚えてないよ」
 「やだ最悪〜。思いつきで言ってたのね」
 「そりゃ、思いついたから言ったんだろうに」
 「そおゆうことじゃなくて…」
 暫く堂々廻りの不毛な会話が続いた。
 まあそう言えば、俺の人生も今の状態に定着するまで放浪したっけなぁ…。しかしこの言葉を更に柔軟に解釈するならば、「放浪」してゆくことに「定着」するということもまたありえるのだろう。
 俺の人生も先行きはそういった方向でいきたいものだ。

2002年 11月 4日 (月)
 一日中寝ていたので何も書くことがない。
 でも毎日書くと心に決めた以上は、何か書かねばなるまい。読んだ本の感想文でも書こうか。
 池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」(新潮文庫)を読んだ。池波の食に関するエッセイ集としては「食卓の情景」に続く第2弾にあたる。「食卓の情景」の方が面白かったが、「はやし」で天麩羅を食べる描写や、鯛の刺身が大好きだと語る部分(下記に引用)の文章などはとても趣きがあり、何度も読みかえした。

 私は、鯛の刺身が大好きだ。
 鯛の腹あたりの、すこし脂の乗っているところを、あまり厚くない刺身にして、ワサビもなにもなしに、生醤油だけで食べる。
 これに、すこし濃目の煎茶へ塩をひとつまみ落としたのを吸物がわりにして、たきたての飯を食べられたら何もいうことはない。


 役所広司の声が今にも聞こえてきそうだ。まさに池波正太郎の食い物にかんする文章はおでんの鍋底でよく出汁を吸いこんだ大根の如く味があって、
 「こたえられない……」
 のである。「うまいが一番」(フジテレビ系)のビデオもいずれ全巻集めたいものだ(高いんだこれが)。

2002年 11月 5日 (火)
 今日も一日中寝ていた。正確に言うと、寝て、起きて、食って、寝て、起きて、食って、また寝て、といった一日だった。
 完全に起きたのは夜の8時頃だった。それから朝まで仕事をした。
 明日(もう今日か)は非常に忙しいので、その準備で大変だった。資料を作成し、書類を作成し、古いノートパソコンを立ち上げクライアントに見せるデータを入れる。
 仕事をしながら、あいまに三国志関連の書物を読みあさり、久々に頭のなかは三国志ファンタジーが吹き荒れた。三国志はやはり赤壁までが面白い。赤壁以降はなんというか、つまらないところがある意味面白いともいえる。それまで英雄達が築きあげてきたものが、ガラガラと崩れ去ってゆくような空しさがたまらない。それは司馬一族の台頭と、劉禅の馬鹿さ加減で一気にクライマックスをむかえるのだ。
 そんなこんなで、やることが半分も終わらないうちに気がついたら朝8時になっていた。はたして俺は今日寝れるのか?(てゆうか、もう寝よう)
 疲れてテレビをつけると、朝のワイドショーの星占いがやっていた。俺は朝の星占いでいい運勢が出たためしがないのだが、珍しく今日の俺の運勢は最高だと言っていた。
 “自分のためにお金を使うといいことがあります”だと。
 じゃあ、ひとつパーッと使ってみようかな。

2002年 11月 6日 (水)
 ホームページを作っている交際倶楽部の社長の紹介で、新たな交際倶楽部のホームページ制作の仕事がまいこんだ。
 交際倶楽部というのは、知らない方のために説明すると、刺激的な出会いを求めているお金持ちの紳士達が登録し、またお金持ちのパパと知り合いたい若い(ババァもいるが)淑女達が登録し、大人の真摯な出会いをセッティングするという、要するに昔流行った「愛●バンク」と同じようなものだ。
 こういった商売は儲かるのか、今年になってこのテの業種をうちで取り扱うのは3件目になる。それだけこういった出会いを求めている紳士淑女の方々が増えているということなのだろうか。
 本日は顔合わせと称して、銀座まで新入社員の静夜さんを引き連れ会合に行ってきた。
 お得意先のS社長の隣に、どこかで見たことある男がいると思ったら、昔俺がZ社のサラリーマンだったときによく電話でやり取りをしていた当時S社に所属のSさんだった。彼が独立していてS社長とおつき合いをしているということは聞いていたのだが、こんなところで再会するとは思わなかった。
 複数の広告の打ち合わせをまとめてやってしまおうというS社長の思惑で、会合は大人数でバタバタと進行した。とりあえずうちは顔合わせ程度に終わった。
 銀座での会合が終わり、まっすぐ鴬谷に向かった。そこで、フリーの広告営業マンであるKさんと会った。
 彼は最近、仕事をたくさん入れてくれていて、彼のお陰でわが社の財務事情はとても助かっている。おまけに彼は最近、うちに出稿しているクライアントのひとつと大喧嘩してしまい、その喧嘩したクライアントをうちにくれることになったので、更にうちの顧客が増えることになった。ついでに彼が名前を借りて営業活動していた広告代理店があって、これらのトラブルをきっかけにその代理店ともおつき合いができることになったので、更にビジネスの幅は広がりそうである。
 事務所に戻ると、墨森先生の元顧客から、また広告のおつき合いがしたいと電話があったと悠里に知らされた(ちなみに「墨森さんはいらっしゃいますか?」との電話の問合せに「墨森は今、長期出張中です」と答えた悠里は見事としか言い様がない)。今になって墨森先生の客から電話があるとは珍しい。こいつもいただきだ。
 静夜さんが新人で入社したかと思ったら、いきなり新規の注文が増え出した。
 まあ、この調子でいってみよう。

2002年 11月 7日 (木)
 めずらしく朝8時に起きた(いつもは寝る時間である)。
 早起きをした日は気持ちがよい。早起きした日の午前中は仕事がはかどるものだ。通常の1.5倍のスピードで指がキーボードをたたく。ババッと仕事を進めて、お昼頃、支度をして出掛けた。
 銀行に寄り、振り込みをする。サーバ会社、ドメイン会社、外注先、十ケ所余りを30分くらいかけて(振込カード作るろうよ)振り込み。なんか最近、振込先がやたら増えた。こないだ気がついたらクレジットの毎月の引き落とし額が十万近くまで増えていたし。ほんの数ヶ月前まで、3万くらいだったよな。
 電車のなかで「シャーロックホームズ傑作選」を読む。幼少の頃あれほど感心して読んでいたこの物語も、この年になって読むとツッコミ入れてナンボの小説になってしまっているのが悲しくも面白い。ホームズ「奥さん、あなたは今朝、ぬかるみの中を歩いてきましたね」。婦人「まあ! なんでわかったんですの!?」。ホームズ「いやいや簡単なことですよ。洋服に新しい泥がついている」。……庭に水まいてて転んでたとかだったらどうするんだよ。なんでこれほどまでにあやふやな推理がことごとく当たるんだよ。すごいなホームズ。ホームズといえば去年、月蝕歌劇団の宇井さんが演じたホームズはよかったな。
 ホームズで笑っているまに、古巣の池袋に着いた。池袋はいつ来てもなつかしい。毎週のように通ったインド料理、ラーメン屋、ビッグピー館、コーヒーのうまい喫茶店、映画館、昔ホームページを作った1円ゲーム喫茶、格闘技グッズショップ、そして六又陸橋交差点。それらを眺めながら歩いてゆくと、ぼちぼち目的地に着いた。
 新しくおつきあいすることになった代理店の方とお会いした。あれこれ仕事の話しをし、SMサイトへの情熱などを語り合った。後で聞いた話しだが、なんでも彼は澁澤龍彦の自宅にお邪魔したことがあり、シモンの人形をじかに見たりしたんだそうだ。澁澤系の皆様には涙ものであろうか。
 池袋から帰り、新宿の三菱銀行の前で悠里と落ち合う。悠里とは新宿駅前で待ち合わせをしていたのだが、急に思い立って仕事のスタッフに振り込みをするために三菱銀行に寄っていたようだ。
 まったく、振り込み振り込み振り込みだ。
 とにかくわずかな隙間にも仕事をさしこまねば気が済まない悠里の性格は立派である。その分、無理しすぎて自分を追い詰め、すぐ調子が悪くなり仕事をしなくなるという一面もあるが、まあそれはよい。その長ずる所を貴び、その短なる所を忘るとは、昔の中国の人は良く言ったものだ。孫権だったかな。
 腹が減っていたので、うどん屋で鴨ネギ蕎麦を食べた。悠里の残したツナサラダうどんを食べたら、マヨネーズたっぷりで気持ちが悪くなった。
 事務所に戻り、まだ金を貰わなきゃいけないお客さんがいっぱい残っていたので、思いつく限り電話をかけまくった。皆さん、喜んでお支払いただけるようで、まことにありがたき幸せである。
 毎日毎日金が出たり入ったり。

 夜、メールをチェックすると、つぶらさんから切り番小説が届いていた。早速読んでみる。
 ああ、実によいな。
 ホームページを作っている人たちはキリバンキリバンとさかんに騒いでいるようだ。10000ヒットとか5555ヒットとかカウンタの切りのいい数字を踏んだ人に記念品を贈ったり、何か企画を組んだり。
 今まで俺はまったくと言っていいほど気にしたことがなかった概念だが、しかし切り番企画というのもいいものだな。
 この度、キリバンに初めて開眼したザッピーである。
 うちもカウンタがついたことだし、ひとつ何かやってみるか。

2002年 11月 8日 (金)
 悠里とインド料理で昼食。インド料理狂いの我々は、日々の食事の大半をここで過ごす。最近はここで食事をはじめると、いつも無料でマンゴー・ラッシーがテーブルに届くようになった。嬉しいことだ。
 食後、携帯が鳴る。我が魂の友達・ホタル姉さんだった。
 ホタル姉さんは全国オナニー連合会会長、暗黒舞踏家、エロス詩人など、さまざまな肩書きを持つアンダーグラウンドのカリスマ的存在である。
 去年、彼女が監督・脚本・主演したオムニバス・アンダーグラウンド自主映画「闇のままごと/大人の淫らな童話」の1エピソードに俺が主演させてもらったのは記憶に新しいことだが、この度その第2弾を制作することになったのだそうだ。しかも今度は前作のようにロフトプラスワンのような小さな規模で上映されるだけのものではなく、内容的に更なる完成度を目指し、ある程度のコマーシャル的成功を目標とした作品になるという。どうせマーケットはVシネかAVあたりになるのだろうが、これは非常に楽しみなことだ。
 ちなみに前作で俺が演じたのは“オレンジの瞳の少年”という役で、共演はホタル姉さんの実の娘であるなっちゃんだった。彼女がひとりブランコにゆられているところへ、現れたオレンジの瞳の少年。少年はブランコで遊ぶ少女の足に火のともった蝋燭をのせ、後ろからブランコを押す。少女は立ち上がり、少年の股間に手をのばす。ズボンのチャックが開けられ、そこからなんと、まぶしく光るチンコがあらわれる。チンコはまばゆいばかりに輝き、点滅をくりかえす。そして少女はまたひとりブランコをこぎはじめる。チンコの放つ光に照らされた少年の横顔が、ブランコで遊ぶ少女を、そのオレンジの瞳でずっと見つめている……。と、なんとも言えないストーリーだった。さすがアンダーグラウンドのカリスマ・ホタル姉さん。
 「今度は一般ウケする作品をとりましょうよ」と俺。
 「当たり前じゃないの。前回はみんな恥ずかしがって、パンツも脱ぎたがらなかったし」
 「素晴らしい芸術作品を撮るんだから、パンツくらい脱がなくっちゃねえ!」
 「なに言ってるのよ。あなただって『すいません。パンツだけは…』って言ってたじゃないの」
 そう、光るチンコは作り物だった。当たり前か。
 「いやあ、芸術のためならパンツくらい脱ぎますよ!」
 「本当なのね?」
 「……多分」
 とりあえず来週あたり打ち合わせをする約束をして、電話を切った。
 インド料理を出て、昨晩は1時間しか寝ていなかったので、ユンケルを買い、飲みながら六本木に行った。ユンケルはなぜかやたら辛かった。六本木で用事をすませた後、代々木に行った。代々木が終わり、事務所に戻る途中ドトールに寄り、コーヒーを飲みながらシャーウッド・アンダーソンの「ワインズバーグ・オハイオ」を読んだ。さっぱり解らなかったので、途中でほうり投げ、事務所に戻った。事務所に戻る頃にはユンケルの効果はだいぶ切れていて、眠気は限界に近づきつつあった。こんなときに限ってややこしい仕事が飛び込んでくる。シナモン入りのコーヒーとチョコレートを食べながら、なんとかがんばって仕事をすすめた。寝不足で頭が酒に酔ったようにクラクラしてくる。
 今夜はなんとか早く寝たいものだ。

2002年 11月 9日 (土)
 カナダのRENEさんから国際電話。
 「ボン・ソワール、マダム!」と彼。
 「マダムじゃないよ。ムッシューだろ」
 当然のつっこみだ。
 「ボン・ソワール、マダム!」
 「どうしたんだよ?」
 「ボン・ソワール、マダム!」
 「だからなんなんだ?」
 「ボン・ソワール、マダム!」
 そうだ。彼の挨拶に意味を求めてはいけない。
 「ああ、ちょうど君に聞きたいことがあったんだよ」
 「なんだね?」
 ちゃんとしゃべれるじゃないか。
 「『愛人』という言葉は明治時代から『妾』の意味だったのかい?」
 「それは原語学の見地にたって検討すべきだね。まず当時の文献をいくつか調査して、愛人という言葉がいかなる意味に使われているか比較検討して……」
 「じゃなくてさ、高校のとき、君が『愛人』という言葉が最近はいかがわしい意味に使われるようになったとか言って怒っていただろう。ナントカいう文学作品を引き合いにだして。なんだっけ、あの作品は?」
 「高村光太郎の『智恵子抄』だろう。そうだ、智恵子さんは妾ではない」
 「あのときの君の発言の受け売りをして掲示板で論争をふっかけたら酷い目にあってるんだよ」
 「まあ、そもそも愛という言葉はだね、君……」
 事務所の電話が鳴った。
 「あっ、仕事の電話だ。ごめん、切るぞ」
 俺は電話を切った。仕事の電話だった。仕事の電話が終わり、PowerBookG4を起動する。某掲示板へアクセスし、入力フォームに文章を打ちはじめた。またもや俺は、人の言ったことをあたかも自分の知識のように受け売りをして書き込みをしようとしている。まあいい。黙っていれば解るわけがない。
 俺は送信ボタンを押した。

2002年 11月 10日 (日)
 新宿アルタの横の洋服の青山でスーツを新調。俺が今もっているスーツといったら、袖口や裾がかすかに擦りきれていたり、あちこちテカテカ光りまくっていたりして、とてもみっともない。そんなものばかりでもないが、そんなものが多いのだ。俺はスーツを選びだした。
 基本としては、スーツは必ず濃いめの色のものを買う。あと、3つボタンは嫌いなので買わない。ちょっと筋が入っているような感じのスーツは今まであまり着たことがなく、あこがれていたので、そういうのを選んだ。
 当初はスーツを2着ほど買うだけの予定だったが、ついでにワイシャツも……ということになって、スーツに合わせてワイシャツも3着ほど選んだ。俺は色のついているワイシャツしか着ないので、色のついているワイシャツにした。俺も悠里も洋服の色あわせのセンスはいまいちなので、コーディネートは店員さんにしてもらった。スーツ、ワイシャツ、と買ったところで、やはりネクタイだけ今までと同じものとなるとどうも気持ちが悪いので、ついでにネクタイも3本ほど選んだ。
 「あとプラス千円でネクタイかワイシャツひとつつけられますよ」と店員さんが言うので、ワイシャツをもう1着選んだ。俺は忙しくて2ヶ月に一回くらいしか洗濯に行けないので、ネクタイよりもワイシャツの方を多く持っていた方が何かと都合がいいからだ。「あと3千円プラスでもうひとつつけられますよ」と店員さん。「もういいです」と俺は断った。もういい。結局予定していた予算の倍近くになってしまった。お会計の時になって、金が足りないことに気がつき、悠里に借りた。
 他にもいろいろと買物をし、買物を終わらせ、その他の用事も済ませ、最後に中華料理でも食べようということになって、悠里と靖国通り沿いの某中華料理に入った。メニューを見て、料理を注文した。ところが、悠里が険しい顔つきになっている。「どうした?」「寒気がする」悠里は生まれつき霊媒体質なので、特定の場所や人間にまとわりついている邪気や波動の影響を受けやすい。しかも、近頃ますますその傾向が強くなってきていた。とにかくこの中華料理屋はまずいということで、注文をすべてキャンセルし、外に出た。
 靖国通りから新宿東口を通って南口の方へ歩いてゆくと、うまそうな中華料理が見つかった。そこは大丈夫そうだったので、入った。店名は忘れた。点心がすべて6百円均一だったので、大根餅、小龍包、センマイのピリ辛炒め、湯葉の揚げたものに野菜などを包んだやつ、ニラ饅頭、の5皿を注文した。まだ午後4時頃だったが、紹興酒を2合ばかり頼んだ。とてもうまかった。特にニラ饅頭は絶品だった。小龍包は味は並だったが、食べると肉汁が口の中にブチュッと飛び散るところが他店の小龍包と比べていい感じだった。紹興酒もまろやかな渋味がして、いい紹興酒なのではないかという気がした。すべて平らげ、まだ食べたりなかったので、ピータンのお粥を注文して食べた。これも非常にうまかった。さんざん飲んで食って、満足して事務所に帰った。
 帰って床にごろんと寝ころびながらテレビをつけると「ハクション大魔王」がやっていた。ゲラゲラ笑いながら、いつのまにか眠った。夜10時頃目が覚め、仕事をはじめた。今週末は忙しいので、幻想異端文学連盟の更新はできそうもなかった。

2002年 11月 11日 (月)
 昨晩は仕事がたくさんあったので、事務所の床に寝ころんで寝た。家のベッドで寝ると、起きたらまず歯をみがき、顔を洗い、支度をして事務所に出勤しなければならない。それ以前に家のベッドで寝るには、仕事をかたずけ、鞄に家から持ってきたものを入れ、暖房を止め、鍵をかけて事務所を出ていったん家に帰らなければならない。これが事務所の床で寝ると、仕事の途中ですぐ眠れるし、目が覚めたらすぐにまた仕事にとりかかれる。だから俺は忙しいときは、いつも事務所の床で寝るのが常だった。
 というわけで、今朝は事務所の床で目が覚めた。昨晩のうちに終わらせていなければならない仕事はまだ片付いていなかった。俺は仕事をはじめた。ひどく腹が減っていたので、1時間ほどで仕事をまた中断し、悠里と食事に出た。最近は食事のほぼ99%が外食である。1日1食しか食べていないとはいえ、極めて不経済である。不経済なのは解っているが、事務所にソファーがなくなってからというもの、どうもここで食事をする気がおきなかった。俺は家(事務所)で食事をする場合、テレビとソファーがないと食事がつまらないと感じるたちだった。
 昨日は酒を飲んだので、胃にやさしい蕎麦でも食べようということになった。事務所の前のパークハイアットに、前から気になっていたうまそうな蕎麦屋があった。ただこの蕎麦屋には問題があって、いつも行きつけのインド料理屋の目の前にあるため、とても入りにくかった。「あ、あのお二人さん、今日はうちで食べてくれないんだ」なんて思われてしまったらどうしよう。そんなつまらないことが妙に気になるほど、そこのインド料理屋の従業員さん達にはよくしてもらっていたのだ。
 我々はなるべく左を見ずに(インド料理屋は左にあった)蕎麦屋の前まで来ると、店の前のメニューの見本も見ずにすかさず中に入った。インド料理屋の従業員さん達に見られなかっただろうか。一抹の懸念はぬぐいきれなかったが、気をとりなおしてメニューを開いた。俺はカツ重せいろ、悠里は天麩羅蕎麦を注文した。俺は煙草を一本取り出し、口にくわえ、マッチをすった。火はつかず、マッチは真ん中で折れて床に落ちた。床に手をのばしてそれを拾うと、半分になったマッチを再びすった。今度は火がついた。煙草の先に火をつけ、半分くらい吸ったところで気持ちが悪くなったので、灰皿でもみ消し、お茶を飲んだ。マッチの警告を素直に聞いておけばよかった。
 食事がやってきたので、早速食べはじめた。とてもうまかった。カツ重も、蕎麦も、天麩羅もうまかった。豚肉は柔らかく、蕎麦はコシがあってのどごし抜群で、天麩羅は尻尾まで味わい深かった。大吟醸でも飲みたい気分だったが、2日続けて酒は飲まないと決めているので、我慢した。
 事務所に戻り、ひと眠りして、また仕事をした。夜、サンクスに行って、トンポーロー(厚い生地のなかに肉汁をたっぷり含んだ肉を柔らかく煮込んだキャベツでつつんだものを入れた細長い形の中華まんのようなもの)を買って、事務所に戻って食べた。食後ひと眠りして、また仕事をはじめた。今日も忙しくて幻想異端文学連盟の更新はできそうもなかった。

2002年 11月 12日 (火)
 世の中、何が起こっても、すべて自分の法則にあてはめてトラブルにうまく対処できるようにするというのは難しいことだ。特に俺の場合、そこに人間の“悪意”がからみつくと、思考停止状態に陥ってしまう。俺は人間には悪意というものは本質的にあたかもないかのごとく考えているきらいがある。そんな馬鹿なことはないのだが、そんな気がしているのだ。気がしているというより、ある種の意図的なものがあって、そういうバランスを保っていると言った方がいいかもしれない。つまりそういった精神状態をもつことによって、結局なんだかんだいって大方のトラブルは最善の結果をもたらすことが多いからかもしれないが、はっきりとは確信がない。それで、今日、俺は、そういった自分の性質から、もっとも最悪な八方塞がりの思考停止状態に陥るはめになった。この文章の冒頭の理論を考えると、俺は滅多にこういった状態に陥らないような印象を覚えるが、思い起こせば俺は日常生活で非常に頻繁にこういった状態に陥っているような記憶がある(つい数日前もそう言えば…)。こうなると似たような記憶が今日の出来事を柱として過去からみるみる脳漿にまとわりついてきて、自己嫌悪は増幅の一途をたどってゆく。思考停止状態に陥るということは、精神が錯乱している状態であり、言葉を失っている様であり、つまりは怒っているとも言える。怒っているときの俺はまるで幼稚園児がだだをこねているかのように非常に大人気ない状態になることがある。こうして俺は今、怒濤の自己嫌悪をかみしめながらこの文章を書いている。具体的に何が起こったのかは大して重要ではない。ここはひとつ、自分の精神状態とそれに至るまでのプロセスを根源的な俺の性格と照らし合わせながら理論的に解釈しつつそこはかとなくたたきつけるにとどめておくことで勘弁してもらおう。というわけで、今日は最悪な1日であった。

 あれ、なんか文章に吐き出してしまったらスッキリしてしまったぞ。これでいいのか?

2002年 11月 13日 (水)
 今朝も事務所の床で目が覚めた。ジャンパーを着たまま、鞄に細長いクッションをまるめたものをのせて枕がわりにし、事務所の床で寝ていたのだ。寝心地は悪くはなかったが、ちょっと寒かった。とにかく俺は起きて、PowerBookG4を起動しメールをチェックした。百通以上のメールをひとつひとつ開いてゆく。オンライン書店BK1で注文した本が出荷されたというお知らせメールを除いて、ほとんどがスパムメールの類いだった。
 昼すぎインド料理のランチバイキングを食べに行く。いつものようにテーブルの上には野菜とナンと、4種類のカレーが並んでいた。大きな皿にサフランライスと3種類のカレーとナンを盛り、ガツガツ食べる。なんで3種類かと言うと、ひとつは極度に辛いからだ。俺はインド料理が好きな割に辛い食べ物は嫌いだった。3種類のカレーのうちいつも特にうまいカレーは1種類だけなのだが、今日は3種類のうち2種類がとてもうまいカレーだった。それはチキンカレーと、白い色をしたまろやかな野菜カレーだった。余分に美味しかったカレーというのは後者の方である。白い色をしたまろやかな野菜カレーは、いままでこの店で出たことがなかったのだ。食べていると、ウエイトレスが、サービスでアイス・マサラ・ティーを持ってきてくれた。いつもありがたき幸せ。
 皿の上のものをすべて食べおわると、チキンカレーだけおかわりをした。チキンカレーは最初とってきたときはただのチキンカレーだったのだが、おかわりをしたときにはいつのまにかホウレン草入りチキンカレーに入れ替わっていた。味は少し違ったが、美味しさに特別変わりはなかった。悠里が「なぜポパイはホウレン草を食べると強くなるのか」と疑問を投げかけた。俺はホウレン草会社の陰謀と、アメリカの子供達への教化といった論旨で悠里に私見を交えて説明した。話をしているうちに、またポパイが見たくなった。近頃御無沙汰だが、もう再放送はしないのだろうか。
 インド料理と言えば、サフランライスのなかにときどき入っている緑色の植物の種のようなものが気になっている。これは口に入れて噛みしめるとなんとも言えない香が口中に広がりとても美味しい。サフランライスを皿によそうとき、俺はこの種を探してなるべく多く皿に入れるようにする。いつもは1粒か2粒入ればいい方なのだが、今日は3粒も入っていた。この種はいったい何なのか。
 食事が終わり会計のとき質問してみる。「あの、サフランライスにときどき入っている種みたいなものは何ですか?」レジのインド人の女性はちょっと考えて「カルダモン」だと答えた。カルダモン。そしてヒンドゥー語でキッチンに向かって叫んで、シェフに食材を持ってこさせてくれた。「これですか」「違います」それは似ても似つかない茶色い胡椒の実みたいなやつだった。シェフはキッチンにひっこんで、また違うものを持ってくる。「じゃ、これですか」「それも違います」再びキッチンにひっこみ、また違うものを持って出てくる。「ではこれですか」「それです」まさしくそれだった。緑色の種である。「これはなんて言うのですか?」「カルダモンです」これがそうか。じゃ前のふたつは何だったんだ。「あげますよ」とインド人の女性は言って、そのひとつかみのカルダモンをくれた。鼻を近付けると、花の香りをさわやかにしたようないい匂いがする。コーヒーメーカーに入れてコーヒーを作ったらいい香りのコーヒーができるんじゃないだろうかと思った。
 外であれこれ用事をすませ事務所に戻ると、BK1から本が届いていた。4册くらい入っている。注文していた本はこの他にまだあと2册ほどあった。最近俺はBK1で毎月1万円以上本を買っていた。開けてしまうと仕事にならないので、我慢して仕事をはじめた。外ではつまらない飛行機の音がいくつも鳴り響いていた。

2002年 11月 14日 (木)
 仕事のあいまにひと休みをして本を読む。

 夢枕貘の「本朝無双格闘家列伝」を読んだ。これは古事記や日本書紀などの古の書物から、格闘家たちの激闘のドラマにスポットをあて、著者の格闘技への情熱をからめてふくらませた格闘技妄想歴史絵巻である。
 人が闘いのドラマについてものを語っているとき、それはひとえに「わかっている奴」と「わかっていない奴」に分別ゴミされる。
 この本の場合はどうも「わかっていない奴」行きのようだ。なんだか読んでいて面白くないのだ。
 ひとりで勝手に走りすぎというか、あなたひとりで喜んでいなさい、とでも言いたくなるというか、プロレスを見に行って、近くの席で勝手なプロレス論をベチャグチャしゃべりまくってて煩いだけの格闘技オタクの声に似ている。
 というわけで俺にはどうにも楽しめない本だった。

 つまらない本を読んだり、面白い本を読んだり、いろいろ読んだりしながら、今日も1日仕事をした。急いでやらなければいけない仕事がたくさんあった。
 どの仕事を優先しなければならないのか、かなり微妙な状態が続いている。そしてこれから暫くそういった状態が続きそうだ。

 インターネットでなにげなく心理テストをやったら、俺の性格は「とてもドライです」と出た。
 そうか。ドライな人間だったのか、俺は。

2002年 11月 15日 (金)
 先日BK1で購入した数冊の書物は、そのことごとくが外れだった。可笑しいったらない。今回はインターネットの書評の類いをいろいろと調査し、一般的に極めて評価の高いと思われる本ばかりを買ってみたのだが、そのことごとくが目も当てられないような悪文と薄っぺらな精神の賜物であった。誰もが評価する名著というのは、結局のところ無難なものでしかないのだな。

 「バトル・ロワイヤル インサイダー」という本を読んだ。これはかの「バトル・ロワイヤル」の小説と映画ををあらゆる角度からアンソロジーした、バトル・ロワイヤル攻略本といったものである。映画のスタッフ・インタビューや、原作の未発表準備稿などいろいろもりだくさんな内容でそれなりに充実した内容だと思うが、どうしてもフに落ちない点がひとつある。
 プロレスはどうしたんだ?
 「バトル・ロワイヤル」という言葉はそもそもプロレス用語であり、原作の前口上もプロレス会場で女子プロレスを観戦しながらのモノローグという形で書かれている。物語の随所にも、作者のプロレスへの愛を感じる部分もあった。この小説の作者は相当なプロレスファンだと踏んでいたのだが。
 これだけ分厚く、もう考えられる限りの角度から「バトル・ロワイヤル」という作品を掘り下げたほどの本なのに、「バトル・ロワイヤル」とプロレスとの相互関係について言及してある部分がひとつもない。
 この名著を掘り下げてゆくにあたって、プロレスは欠かすことのできないファクターではないかと思っていたのだが、俺の思い過ごしだったらしい。

 悪文ばかりを読んでいると、日記を書く気力も薄くなる。

2002年 11月 16日 (土)
 朝起きて、本を読みながら歯をみがく。この頃歯をみがいていると、歯ブラシを上下左右に動かす右手に筋肉痛のような痛みが走るようになった。俺はどうも長時間歯をみがきすぎらしい。ソファーに座り、ゆっくり本を読みながら右手を動かしていると、10分くらいはすぐにたってしまう。でも俺は歯みがきの時間を短縮する気にはならなかった。というより歯をみがいていると、いつのまにかひとりでにそれだけの時間がたってしまい、途中で止めようと思っても気分が納得してくれないのだった。あるいは1日に1回しか歯をみがいていないかわりに、念入りにみがいておこうという潜在意識の強迫なのかもしれない。虫歯になるのは嫌だった。歯医者に美人の歯科医さんがたくさんいて、可愛いらしい指で俺の口のなかをいじってくれるのだとしても、なるべく歯医者に行く機会は少ない方がよかった。
 舌を這わせて歯垢がすべてそげ落ちたのを確認すると、やっと俺は口を濯いで、顔を洗い髪をととのえ、買ったばかりの新しいスーツに着替えた。
 事務所に出勤して、コーヒーを煎れ、PowerBookG4を起動し仕事をする。仕事をしながらコーヒーを飲む。コーヒーが三分の一くらい減ったところで、残りのコーヒーを流しに捨てた。身体がコーヒーはもういらないと言っている声が聞こえたからだ。俺は湯飲みを水で洗って爽健美茶を注いだ。チョコレートを食べ、爽健美茶を飲みながら、仕事の続きをする。10時頃、銀行に用事があったので出かけた。
 バスに乗って銀行に行った。ATMの前に立ちはだかり、カードを差し込む。タッチパネルで「お引き出し」を選択し、暗証番号を入力し、お引き出し金額三百万円と打ち込んだ。三百万円。今まで引き出したこともなければ見たこともない金額だ。
 エラーが出た。もう一度やってみる。またエラーが出た。目の前に貼られている文字を読む。紙幣のお引き出しは百枚までで、それ以上引き出す場合は、数回に分けて引き出してくださいと書いてあった。その通りにやってみた。まず百万円。音がして、現金取り出し口の蓋が空く。見たこともないような分厚い札束が顔を出す。百万円でさえこれなのだから、先が思い遣られる。
 俺は百万円を取り出し、封筒に入れた。封筒の隅っこがちょっと破れた。落ち着こう。
 もう一度同じ作業をくりかえす。通帳を入れ、カードを入れ、タッチパネルを操作し、札束が移動するぱらぱらという音がして、現金取り出し口の蓋が空き、百万円が顔を出した。俺はそれを封筒に入れる。今度はちゃんと落ち着いてできた。封筒もやぶれなかった。同様の作業をくりかえし、俺は三百万円を手に入れた。会社の資本金がこれでそろったわけだ。
 鞄をいつもよりも強く握りしめ、銀行から誰かにつけられていないかたまに後ろを振り返りながら、気をつけて事務所に戻る。事務所に戻り、百万円づつ入った三つの封筒から札束を取り出し、数を数えた。間違いなくひとつの封筒に百万円づつ、計三百万円入っていた。
 俺はテーブルに置かれた三つの封筒から札束を全部とりだすと、ひとつにまとめてみた。三百万円は思ったより分厚かった。会社を経営していると毎月百万単位で金が出たり入ったりしているから、今にしてみると三百万円というのは大した金額だという意識があまりない。しかし金が動くのは通帳の数字や請求書の上でのことであって、実際に現金で三百万円というのを一度に目にするのは初めてのことだった。
 昼過ぎ、税理士の先生がやってきて、一緒に信用金庫に行く。三百万円を預け、法人登記にむけていろいろと書類を書いて事務所に戻った。どこからともなく単調できれいな音楽が流れていた。

 有限会社イース設立まであと5日。

2002年 11月 17日 (日)
 朝、事務所に出社した俺は、ドアにサンダルをはさんで開け放しにし、窓を開けた。新鮮な空気が事務所を通りぬけた。事務所の窓を開けたのは久しぶりだ。煙草を1本だけ吸ってから、ドアと窓を閉めた。
 こうして事務所の空気を毎日いれかえるのは大事なことだが、ずいぶん長いこと怠っていた。これからは毎日欠かさずにすることにしよう。
 そう考えてみると、俺は普通やってしかるべき当たり前のことを数多く忘れていることに気がついた。例えば金儲けにしても、1円でも売上をのばすことにはそれなりに頭を使っているつもりだったが、1円でも出費を押さえることには気をくばっていなかったような気がする。これはその都度無駄遣いをしていたということではなく、自然に毎月銀行口座やクレジットカードから引き落とされる金額のなかに、なくても特別困らないようなものや、工夫をすればもっと安く済むようなものがいつのまにかあったということだ。
 そんなことを考えて、今日の午前中はそういった無駄なものを減らす業務を中心に仕事をかたずけてゆくことにした。まず、ほとんど使ってもいないのに毎月金を払っているものや、ほとんど役にたってもいないのに毎月請求書を受けとり、口座から引き落とされている金がいくつかあったので、それらをひとつひとつピックアップし、削除していった。それらはすべて、インターネットのオンラインか電話一本でできることばかりだった。そうやってあれこれと、それほど複雑でもない手続きをこなしているうちに、またたくまに来月からの純利益が数万円アップした。しかし同時に、今日俺が考えたことと同じことをすべてのクライアントが思いつき実行に移した場合、それでうちの売上がいくら下がるかと考えると、少々複雑な気分がした。こうして不況の闇というのは広がってゆくのかもしれない。
 金に心が動かされる自分を見つける度に気分が悪くなる。俺は金に興味のない人間のはずなのに、どうして金のために腹が立ったり悲しい思いをしたり慌てたりするのだろう。金は大事なものではないが、生きてゆく上での何らかの大きな尺度を担っているのは確かなようだった。尺度。つまり人間が尺取り虫だと仮定すると、金はその歩幅のようなものだ。普通に前に進んでいる間は意識しなくてすむが、ちょっとつまずいたり歩調が狂ったりするとすぐに心に痼りとなって表面化する。それは千円や百円ばかりの金でも同様に起こることだった。
 やはりいずれは隠遁生活であろうか。しかし人に雇われてもがいていた時期を思い出すと贅沢な悩みだとも言える。でも人生、うまいものを食うことは別として、本を読んでものを書くこと以外に本質的にやりたいことなんてあっただろうか?
 午後4時頃、出掛けた。
 近くのAMPMで牛乳を買ってストローで飲みながら甲州街道を歩く。新宿駅南口周辺で現金を下ろし、食事をすませた。お腹が痛くなったのでドトールでコーヒーを飲みながら少し休み、お腹の痛みがおさまるとドトールを出て、ヨドバシカメラへ行った。そこで俺はプリンタのインクとホームぺージ制作用の素材集を購入し、事務所へ戻った。仕事を始める前に、先週録画しておいたWWEプロレスのビデオを見た。それを見終わると、仕事をしながら、ずいぶんとたまっていたインターネットで集めた小説をプリンタで印刷し始めた。もうすぐ満月だった。

2002年 11月 18日 (月)
 休日だというのに事務所の電話が鳴り、FAXが届いた。企画書だった。携帯が鳴る。「その企画書、どうですか?」どうでしょうね。「技術的な問題を検証してみます」と言って電話を切った。
 腹が減ったので、悠里とめしを食いに出る。うちの事務所からパークハイアットを隔てた十二社通りにまだいったことのないラーメン屋があったので、そこに入った。地下1階。ちょっと地味な店内で、早くも悠里がいぶかしげな顔をしている。あたかもニューヨークで何気なく入ったバーが黒人だらけのゲイバーだったかのごときヤバさが漂う。俺はそれに気がつかないふりをしてとりあえず座った。ふたりとも普通のラーメンを頼んだ。ラーメンが出てきて、しまったと思った。これは博多とんこつラーメンではないか。俺は博多風とんこつラーメンが嫌いなのだ。そこいらにある東京風のとんこつラーメンと比べて異様に臭く、いやまだ臭いはいいとして、麺がやたら細くてまっすぐで、具は俺の嫌いなきくらげとシナチク、極めつけは紅ショウガだ。悠里はひと口食べてギブアップしていた。俺はというと、食ってみると、これが意外にまずくない。うまいとは言わないが、俺がいままで飲んだただ臭くてしょっぱいだけのスープに比べると味があり、麺は相変わらず味気ないが、きくらげとシナチクを避けて食べるぶんには問題なく食べれる。結局悠里のぶんとあわせて2杯、汁までたいらげた。博多風とんこつラーメンをスープまで全部飲めたのは初めてだった。しかも2杯。希少な体験である。
 事務所に戻り、食休みにテレビを見て、悠里とオセロをして遊びはじめたが、悠里の頭でくるっくー、くるっくーと鳩が鳴きはじめたので止めた。仕方なく俺はつげ義春の漫画を読みはじめた。つげ義春の「ねじ式」は俺が生まれた年に描かれたものだが、いづれ幻想異端文学大賞のテーマでとりあげたい名作である。ちなみに以前、つげ義春の漫画を映画化した作品をみたことがあるが、制作した人間を死刑にすべきではないかと思えるほどの駄作であった。それはオムニバス構成で、あいまにつげ義春の漫画を漫画雑誌の編集者たちが「うおお!これはアートだ!」と絶賛したりするシーンが挿入される。あの映画を制作した馬鹿どもは、つげ義春の漫画を「アートだ!」と叫ぶことの実も蓋もなさげを解らんのだろうか? それはあたかも鯨を食べて「うまい魚だ!」と叫ぶがごとき体たらくであり、ひりだしたうんこをして「素晴らしい臭いですね」と誉められるがごとき居心地の悪さである。つげ義春の漫画をアートなどという当たり障りのない俗な言葉にあてはめ貶める権利は誰にもないのだ。そこにかくたる必然性があったのだとすれば、俺はそれを批判するだけの必然性をここに有するものである。
 ちなみに悠里に「ねじ式」を読ませてみたら「ガロの未来について」という議題で討論がはじまった。うむ。がんばってなんとか復活してほしいものですな。なんせあの雑誌がなかったら、われわれは夜長さんと永遠に知りあうことはなかったのだからして。
 いつのまにか寝た。

2002年 11月 19日 (火)
 信用金庫に行って書類を貰い、すぐさま郵便局におもむいて、それを書留でしかるべきところへ郵送した。ついでにコンビニで買物をして事務所に戻る。戻ってからいろいろ買わなければならないものを思い出したのでまたコンビニに行き買物をした。最近金がないのでポケットにいくら金が残っているかいちいち気にしながらものを買う癖がついた。このごろ金のことばかり書いてるぞ俺は。とりあえず有限会社イース設立まであと2日だ。
 昨晩の博多ラーメン2杯がかなりきいていて、ぜんぜん腹が減らなかった。しかし暫く仕事をしていると、5時頃くらいに腹が減ってきた。昨晩のトラウマで麺類は見るのも嫌だったので、久しぶりに「てんや」で天丼を食うことにした。
 悠里とバスに乗って西口のてんやに行った。てんやに行くのにわざわざバスに乗るというのがすごいが、やはり丼もののチェーン店ではてんやが一番うまいのだ。うまいだけでなく、いろいろなものが食べられるところが良い。吉野屋などはほとんど牛肉のみに食材が限られているが、てんやは天麩羅という共通項だけで野菜や魚や肉など実にいろいろなものが食べられる。しかも季節毎に特別メニューが飛び出るので飽きることがない。ウナギや生姜の天麩羅が入った「夏天丼」もよかったが、現在展開中の「秋天丼」もホタテや椎茸の天麩羅が入っていてうまい。一番好きだったのは今はなき「薬膳天丼」で、朝鮮人参の天麩羅などが食えたのは後にも先にもあれだけだろう。また復活してほしいメニューのひとつである。とりあえず今日は「牡蠣天丼」とごぼうサラダを食べた。
 食後、山手線に乗って大塚と池袋に営業に行く。
 大塚でまたブクオフに入ってしまった俺は、漫画を7册、本を2册買った。嬉しかったのは鄭問(チェン・ウェン)の「東周英雄伝」1・2巻を買えたことだ。鄭問は中国のそれはそれは超人的なまでに絵が上手な漫画家である。絵がうまいだけでなく、とっても面白くて勉強になるのだ。今宵はこいつを餌にして、仕事を飛ばすのである。1時間仕事をしたら1話読むとかして、仕事の密度は薄くなるが、はりは出る。
 日記かかさずつけるのって大変だな。

2002年 11月 20日 (水)
 用事があって千葉に行った帰り、電車のなかで突然ケンタッキーフライドチキンが食べたくなり、新宿駅に降りるなりケンタッキーフライドチキンに飛び込みチキン6ピースとコールスローとビスケットをゲット。家に帰って悠里とゾンビのようにむさぼり食った。
 誰にでも、ときどき無性にケンタッキーフライドチキンを食べたくなるときがあるものだ。コカコーラや日清のチキンラーメンなどもそうだが、他のものでは決して代用がきかない味をもっているというのは最強であろう。この味がある限り、ケンタッキーフライドチキンは永遠につぶれることはないのである。
 そんな話をチキンの骨をしゃぶりながら悠里としゃべっていた午後だった。
 食後ひと眠りして事務所に行くと、ゴザンスで注文した本が届いていた。
 夜、営業から帰ってきた静夜さんが本を買ってきてくれた。俺の11月15日の日記を読んで可哀想だと思い、せめてもの慰めにとお勧めの本をプレゼントしてくれたのである。
 悠里もあの日の日記は可哀想だと言っていたな。別にそんなこともないのに。駄目な本を知ることも意味あることだ。
 プレゼントの本は谷崎潤一郎の「人魚の嘆き・魔術師」だった。
 俺はずいぶん長いこと谷崎潤一郎の本を読むことをやめていた。高校の頃は一番好きな作家だったのだが、大人になるにつれ粗が見えてきて、もう何を読んでも稚拙に思えるようになってしまった。それ以来、数年に一度は久しぶりに谷崎でもとチャレンジしてみるのだが、やはりつまらなくてここ15年ばかり最後まで読み通せたためしが一度もない。谷崎から心が離れるに至って、おのずと俺の好みはそのライバルである芥川へとスライドしていった。
 夜、仕事で上野に行く道すがら電車の中で読んでみた。これが面白かった。この手の谷崎の幻想怪奇小説系は失敗作の「乱菊物語」だけだと思っていたが、こげな調和のとれた良質な作品があったものだ。今さらながら谷崎の小説を最後まで読み通すことがよもやあるとは思ってもみなかったので意外であった。
 そういえば似たような経験を思い出した。俺は三島も嫌いで、そのあまりの文体の幼稚さ内容の浅はかさに何を読んでも1ページで耐えられなくなり投げてしまうので、生まれてそれまで三島の小説を2ページ以上読んだことがなかった。ところに、綾姫に「『仲間』という小説を読んでみなさい」と言われ読んでみたところ、これがなかなか出来の良いシュールな作風で、面白くて最後まで読んでしまった(まあ短かったけどな)。世の中には俺が見逃している面白い本がいろいろとあるものだよ。
 みんなも死ぬほど面白い本を知っていたらザッピー浅野に紹介しよう。→piza@po.jah.ne.jp
 なるべくなら現物を郵送するように。→新宿区西新宿3-6-5-707
 谷崎などをむさぼり読みつつ上野に行った帰り、コンビニに寄って漫画雑誌を1册、漫画の単行本を2册買って事務所に戻った。なんだか最近、えらい勢いでドカドカ書物が増えている。このままでは事務所が書物で埋まるかもしれない。水没ではなく本没である。なんか原稿が没になってみたいで嫌な表現だな。
 コンビニで漫画と一緒に買った肉まん・ピザまん・チーズまんを食べながら「極悪がんぼ」(イブニング連載中)を読んだ。
 あ、蛍光灯買うの忘れてた。

2002年 11月 21日 (木)
 今日誰かにこんなことを言われた。
 「『サドマニア』をずっと更新してないで、『幻想異端文学連盟』ばかりに力を入れてますね」
 それは確かに事実だが、本当ではない。ものごとには順番というものがあるのだよ。順番。力はすべてに等しく入っているのだ。ただ身体はひとつしかないわけで、ひとつひとつ順番にやっつけてゆくしかないのであって、ほったらかしにしているわけではなく、結果的にほったらかしになってしまっているだけなのである。
 言い訳がましくなるからやめておこう(もう遅いか)。とにかく最近忙しい。
 なんで忙しいかと言うと、仕事がこのところあまりはかどらなかったからだ。
 ところが、今日は仕事がずいぶんはかどった。数字でいうならば、この1週間ばかり2日に1くらいのペースだったものが、今宵1晩で3くらい進んだのだ。結果的に一段落ついた。
 今夜はもう仕事はやめて、諸子百家の文言にでも酔いしれよう。
 モーニングは明日買いにいこう。

2002年 11月 22日 (金)
 誕生日をぬけると、そこは34歳だった。
 34歳? さんじゅうよんさい???
 人に「34歳だね」と言われる度に、張り裂けそうになるこの方寸の痛みはなんとしたことだ。せっかく忘れていたと思ったら、人と話す度にことごとく思い出させられた1日だった。この俺が34歳などという年齢に達するとは、世も末である。
 この世には34歳になっていい人間となってはいけない人間とがいるはずだ。そして俺は間違いなく後者に違いない。オレンジ色の瞳の少年は34歳などになってはいけないのだ。それはさておき、34歳で思い出すのは高校のときに毎日聞いていたラジオで、武田鉄矢が「人生真ん中あたり」とか言っていたのが34歳だったな。34歳で人生真ん中あたりだとすると、武田鉄矢は68歳で死ぬのだろうか。俺は68歳じゃまだ死にたくないなあー。占い師によると俺は84歳で死ぬそうだから、俺の人生真ん中あたりはするってえと42歳くらいということになるのかな。うん。まだまだだな。つまり武田鉄矢で言う34歳が、俺の42歳にあたるということだ。だから俺は戸籍上は34歳だが、武田鉄矢相対性理論にもとづいて計算した場合、俺はまだ26歳ということになるのだな。よし、これでよし。
 というわけで、11月21日は俺の誕生日だった。ついでに有限会社イース設立記念日でもある。誕生日と会社設立を同じ日にしたのは、お祝が一緒にやれて楽だからである。
 朝、事務所の呼び鈴が鳴り「電報で〜す!」と声が聞こえた。ドアを開け、サインをし、電報を受けとる。
 む?
 渡されたのは、俺の認識にもとづいた“電報”という言葉から想像される対象物を著しく逸脱したものだった。
 これは、ドラえもんの人形ではないか。
 頭にタケコプターをのせ、両手で大きなドラ焼きをもっている。
 説明書がついていた。『タケコプターをひっこぬくと、メッセージが入っています』
 なるほど。最近は電報とひとくちに言ってもいろいろなものがあるのだな。
 俺はタケコプターをつかんで、ひっぱってみた。ポン、と音がしてタケコプターがひっこ抜け、紙を巻いたものが飛び出てきた。読んでみる。母からのメッセージであった。俺の誕生日と会社設立を祝う短い言葉がしるされていた。味なことやるドラえもん、じゃなかった、お母さん。
 俺はドラえもんの頭の穴に紙をもどすと、タケコプターをもとどおりにとり付け、事務所に飾った。
 お礼に母に電話をするが、お勤めの最中(牢獄ではない)らしく出なかった。そしたら夕方になって母の方から電話がかかってきた。ヘラヘラ笑うばかりの母に、ふかぶかとお礼を言う。母はこういうことをやらかすと、いつもヘラヘラ笑いっぱなしになるのだ。
 これを読んでいる君も、いつか目にするかもしれない。
 有限会社イースの狭いドアをくぐったとき、窓際の狛犬の置き物と金色のウンコの貯金箱の間でひっそり座って、美味しそうにドラ焼きをかかえて微笑むドラえもんの姿を…。
 それは暖かいあの日の母の笑顔なのだった。なんだそりゃ。

2002年 11月 23日 (土)
 朝目が覚めたら、まだ眠かった。
 いきなり消極的な記述からはじまった今日という一日である。で眠かったのだが、昼過ぎに税理士さんが来るのでまた寝る訳にもいかない。顔を洗いスーツに着替え、出勤した。既に先生は来ていた。一緒に役場に行き、書類に判子を押し、すぐに別れた。会社は設立したものの、まだいろいろと面倒臭い手続きがあるのだった。
 帰り悠里に電話をし、昔よく行っていた新宿東口のインド料理「印度屋」で待ち合わせをすることにした。先に印度屋に着いた俺は、インド料理を食べながら彼女を待った。インド料理を食べていると、悠里から「道に迷った」と電話がある。そこらへんをウロウロしているように言って電話を切った。
 それにしても印度屋のインド料理はまずかった。昔は毎日のように通っていたこの店だが、ここまで味が落ちているとはしらなんだ。サラダはしおれ、チキンは味なく、ナンはカチカチ、カレーは臭いときている。しかも店内は暗くてなんだか寒々しい。食べ終わって会計をすませた後、レジの横のフェンネルを見るとこげたように黒ずんでいて、ためしに食べてみると案の定古かった。レジの店員さんが「スタンプ押しましょうか」と言ってきたが、2度と来る気もないので「いいです」と断る。インド料理を出て下のゲームセンターのゴミ箱にスタンプカードと割引券を捨ててそこを後にした。
 道に迷っていた悠里と西口のパチンコ屋の前で合流し、パークタワーまで戻った。悠里の昼食がまだだったのでマクドナルドに寄り、彼女が食べているあいだコーヒーを飲んで事務所に帰った。あとはくそして、寝不足だったのでちょっと仮眠をとり、仕事をしているうちに夜になった。
 久しぶりに近所のスーパーに行った。仕事のあいまに食べるチョコレートとおかきを買うつもりだったが、いろいろな食物を見ているうちに腹が減ってきたので、野菜コロッケ、鮭フライ、フカヒレの煮凝り、みたらし団子を買い、事務所に戻って米を炊いた。米が炊けるまで仕事をし、食事をした。
 野菜コロッケと鮭フライはうまかったが、フカヒレの煮凝りは期待外れでまずかった。みたらし団子も酷くまずかった。こんなまずい団子は生まれて初めてだ。作った奴は死んでよし。
 食休みに、ビデオでジョン・カーペンターの「マウス・オブ・マッドネス」を見る。字幕なしで見たのでよくストーリーは解らなかったが、それなりに見応えはあったな。
 それにしても眠い。

2002年 11月 24日 (日)
 近ごろ幻想異端文学連盟のトップにアクセス解析を設置してみた。これはサーバを借りているPANDORAのオプションとしてついてるもので、非常に高機能でみやすく有り難い。Cannabis4さんに感謝。
 これを見ていると、結構いろいろなところからいろんな人がやってきてくれているのだということが解る。一番多いのはどこかのトランス系の文芸サイトからのアクセスで、そこの管理人の方とはメールで1度か2度やりとりしただけで気にしていなかったのだが、これは相互リンクをしなければならないな。あとはアンダーグラウンド系のサーチエンジン(昔俺が仕事で作ったやつで、金にならないから近々潰す予定)、団鬼六オフィシャルサイト、アダルト検索エンジンのSMカテゴリと、なぜかえげつない所からのアクセスが多い。仲間のサイトでアクセスが一番多いのはやはり「週刊文学文芸」で、さすが文芸サイトの老舗というところである。
 検索エンジンで検索してくる人も結構いる。キーワードは「幻想異端文学連盟」とまんまのタイトルで検索していたり、「SM小説」で検索していたり、中には「格闘 SM」などで検索して来た人までいた。
 格闘SMとは、恐らく最近にわかに流行っている格闘系SMプレイのことであろう。SM倶楽部でもこういったプレイを取り入れている所が増えてきているらしい。専門店になるとプレイルームに本物のリングがあり、プロレス技や関節技をかけたり、かけられたりして楽しむ言わばSMプレイの格闘技版といったものだ。こういった趣味を持つ人々は概してキャット・ファイトと呼ばれる水着を着た女同士が泥んこ、あるいはローションまみれで闘っているビデオなどを集めるのが好きである。
 皆さんもinfoseekに行って「sm 格闘sm」で検索してみよう。幻想異端文学連盟がまっ先に検索結果として現れるはずである。しかし残念ながら、このサイトにはそういった趣向の方々を満足させる要素はなにもない。もちろん俺にもそんな趣味はない。つきあっている女性にプロレス技をかけることはままあっても、だ(ちなみに悠里は四の字固めが何故か利かないのだ)。
 外国からのアクセスとしては、やはり英語圏からが一番多いが、中国語圏からのアクセスもちょっとあるようだ。あとマイナーな所ではタイ、韓国、台湾、オーストリア、デンマークなどからのアクセスもある。しかし残念ながら、幻想異端文学連盟は純然たる日本語を弄ぶためのサイトなので、そういった多種多様な世界の人々をグローバルに受け入れる体制はできていない。もちろん今後も作るつもりはない。
 話を元にもどすが、かように幻想異端文学連盟は来るべきSM文学大賞の一大イベントへと、密かな盛り上がりの様相を呈しているといえよう。個人的には、性描写というものをいまだかつて書いたことのない俺が如何にこの大賞に食い入ることができるか、前途多難である。

2002年 11月 25日 (月)
 ロバート・デニーロとエディ・マーフィ主演のコメディ「ショウタイム」を見に行った。
 アメリカ映画らしく、過剰な期待を抱かなければそれなりに楽しめる娯楽映画だった。しかし、ロバート・デニーロがなんでこんな映画に出るのか解らない。
 夜、口直しに尊敬する変態叙情詩人ユルグ・ブットゲライト監督の「ネクロマンティック完全版」のビデオを見た。これは大半のシーンが目を背けずにはいられないほど気持ち悪い映画なのだが、それでいてとても美しい。

2002年 11月 26日 (火)
 最近、外出が少ない。
 夕食は米を炊いてのりたまで食べた。
 マイナスイオンの空気清浄機を買った。
 悠里が毎日、日記を書いている。
 外で救急車の音が鳴っている。
 コーラを飲みすぎて歯が痛い。
 キャスターはまずい。

2002年 11月 27日 (水)
 また寝坊した。
 無精髭が伸びた。
 夕食のおかずは鯖味噌の缶詰めだった。
 テレビで「Wrestle-1」を見た。茶番が続いたが、最後のボブ・サップvsグレート・ムタの試合だけはそれなりに面白かった。でも茶番には違いない。
 深夜テレビでパンクラスを見た。最近の格闘技・プロレス関係のテレビのバラエティ風の作り方はなんとかならないものか。
 Iさん。頼むから電話に出てくれ。そして金くれ。Kさんもね。
 エネルギーを使わないように気を付けて日記を書くと、おのずと箇条書き風になる。

2002年 11月 28日 (木)
 悲惨な朝をむかえ、絶望の淵で昼過ぎまで不貞寝した。
 午後、仕事でたいそうな文章を書いた。
 「杉」で、珍しくラーメンにチャーハンをつけた。
 科学忍者隊ガッチャマンのDVDが欲しい。

2002年 11月 29日 (金)
 飲みから帰宅。ようやく吐き気はおさまった。
 今日の昼間は占いサイトでお世話になっている占い師のRさんから突然電話があり、たまたま新宿に来ているということでお会いすることになった。俺も後がつかえていたので、ちょっとの時間だけ喫茶店でざっくばらんに話をし、とりあえず顔見せといった程度で別れた。悠里は調子が悪くて最初は会えないと言っていたのだが、脳に鞭打ってよく頑張った。最後には必ず正しい道を歩むことができる人間というのはそんなにいるものではない。
 6時頃、新宿駅南口でKさんと待ち合わせ。仕事で会ったのだが、ついでに飲みに行く約束もしていて、会ったら最初は「今日はやめよう」ということになったが、話しているうちに「少しだけ」ということになり、近くの中華料理で飲みはじめた。Kさんは聞きしに勝る酒豪で、紹興酒をボトル3本も飲みほし、ちょっと8時までの予定が9時、10時、11時となり、あげくのはてには池袋まで連れていかされる。ついてゆく俺も俺なんだが。
 池袋への道中、吐き気をこらえるのに必死だった。やはり最後の胡麻団子3連発が聞いていた。そのうちSさんもやってきて、3人で最後は焼肉で1時過ぎまで、やっとお開きとなった。後半、俺はコーラばかり飲んでいた。胃がもたれまくっていたので、肉は食わず、ニンニクばかり食っていた。
 それにしてもKさんは飲み過ぎだ。彼と初めて飲んだのだが、彼は酔うと「大丈夫ですか!」と意味なく繰り返す習性があり、かなりうるさい。

2002年 11月 30日 (土)
 ヤフオクで落札した本が届いた。式場隆三郎の「サド侯爵夫人」という本で、昭和22年発行とえらく古い。ページを開くだけで瞬くまに目がショボショボしだして痒くなるという古書ぶりだ。更に読んでいると、次第に手までが痒くなってくる。これは絶対蟲がいるに違いない。
 この書はサド侯爵の奥さんにスポットをあてて、彼女とサドとの半生を綴った散文である。書き方が半分小説じみているだけに、多分に著者の想像で膨らまされてはいるが、ひとつの政略結婚で怪物の伴侶を持つことになった献身的な一女性の悲劇として嗜むぶんには問題なく、三島由紀夫の「サド侯爵夫人」とはまた違った角度から楽しめる。

 サドもいいが、俺がいま楽しみなのはあれだ。本日11月30日横浜文化体育館で行なわれるパンクラス興行、鈴木みのるvs獣神サンダー・ライガーの異色対決だ。これは冗談抜きで、血肉わき踊るガチな試合となろう。パンクラス・ルールだけに、自分とこの土俵で絶対に負けられない鈴木に、「どこまでやれるか」「いいや殺ってやる」的な意気込みを見せるライガー。考えれば考えるほど何故か笑いが止まらない。
 ああいっそ、行くか。横文。


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