非幻想異端的日常
2002年 12月 1日 (日)
 久しぶりにパチンコをやった。もちろん羽根もの。最近のパチンコはヘッドホンがあり、音楽やラジオを聞いたりテレビを見たりしながらパチンコができるらしい。こりゃいいやと喜んで、打つ前にヘッドホンをかぶり、好みの音にチャンネルを合わせ、それから打ちはじめた。
 しかし! 出ない。1曲聴き終わらないうちに千円分の玉がなくなる。結局あっと言うまに3千円をすり、久々のパチンコは酷くつまらない結果に終わった。
 同じ店でパチスロをやっていた悠里は相変わらず調子良く、わずか千円ばかりの投資で5千円ほども儲けていた。当然、夕食はおごってもらった。てんやの秋定食。

 幻想異端文学連盟のトップページに逆アクセスランキングなるものを設置してみた。
 これは最近、当サイトのアクセス解析を取るようになって、いろいろなサイトからアクセスがあるのだなあと感心していたところに、まてよ、この逆アクセスランキングを公開したら、立派な文芸・芸術・アンダーグラウンドなリンク集が出来あがるではないかと思いたったのがきっかけだ。設置は大変だったが、メンテナンスなどは使いやすく非常に便利なcgiで、これからもいろいろなサイトで使わせてもらおう。
 幻想異端文学連盟は新コーナーや掲載予定の作品など、まだ他に更新する予定のものがたくさんあるのだが、どうも途中でいろいろなことを思いついてしまい、脇道にそれてしまっていけない。
 でもまあ、まめに更新しているから良いか。

2002年 12月 2日 (月)
 事務所の床で目を覚まし、すぐにPowerBookG4を立ち上げた。最近の週末は酷く忙しくない限り、仕事はそこそこに終わらせ、執筆をしたり読書をしたりインターネットをふらふらしたりしてすごすことが多い。いろいろとやりたかったことをやっているまに、すぐに夜になった。都庁の近くでデモをやっていて、とてもうるさかった。
 夕食は米を炊き、スーパーで買った生タラコと野菜コロッケと肉コロッケとモヤシをおかずに食べた。生タラコは少々生臭かったが、熱いご飯にのせて食べるとそれなりにうまかった。コロッケもうまかった。俺はずいぶん昔から、毎日コロッケが食べられる生活というものに憧れていた。コロッケが特別好きな食べ物だというわけではなかったが、あまり食べる機会がなく、たまに口にすると意外にうまいものだと思う、そんな中途半端な好き加減が、俺にそう思わせていたのかも知れない。とにかく俺はコロッケを毎日食べられる生活に憧れていて、今それを手にしている。
 食事がほとんど終わりかけた頃、事務所の電話が鳴った。この時間にここに電話をしてくる人間はひとりしかいない。俺は食事中なので出なかった。続いて、携帯が鳴った。同じ人物に決まっていた。出ないでいると、事務所と携帯の交互にしつこく電話が鳴り続けた。食事が終わり、電話に出た。カナダのRENEさんだった。なぜ電話にでないんだと怒っているので、コロッケを食べていたのだと説明した。彼は羨ましそうに、自分もコロッケが食べたいものだと何度も繰り替えした。カナダではコロッケは手に入らないらしい。みんなコロッケが好きなのだ。それから俺達は、コロッケは何語だろうといった議題をはじめ、様々なことを1時間半ほど語り合い、電話を切った。
 ビデオで録画した北野武監督の「BROTHER」を見た。酷い映画だったが、たけし映画の魅力というか、見方がようやく解った気がした。相変わらず同じような話しで、リアリティは最初から破綻している。ここまで破綻していると、それはどうでもいいのだと思えてくる。結局、この感覚を黙って楽しんでいればいいのだ。

2002年 12月 3日 (火)
忙しくて不覚にも日記を書くのを忘れていた。

とりあえず、この日はてんやに行って北海天丼を食い、純和風喫茶で抹茶を飲み宇治金時ケーキと甘納豆を食べ、N社に行って打ち合わせをして無茶なことを言われ、夜は仕事に追われ、遅くまで仕事をし、明け方まで異常に精神に影響を及ぼす小説を何とも言えない精神状態で読み、きりがないので息をひきとるように眠った。まったく覚えていないが、たぶん夢は見たと思う。

2002年 12月 4日 (水)
起きたらやはり寝る前に読んでいた小説が原因で異様な精神状態だった。こんな異常な精神状態は生まれて初めて、あるいは子供のとき以来ではないかと思えるほど変な気分だったが、気にせず、また寝た。起きて、着替え、事務所に顔を出し、すぐに本八幡に出掛けた。打ち合わせをして帰る時、新宿-中野間で人身事故があったため電車が1時間以上止まってしまい、缶コーヒーを飲みながらずっと本を読んでいたが、その時に読んでいた本もまた頭がおかしくなりそうな本だった。あの小説の後でこの小説はきついだろう、とも思うが、気にせず読み続け、じきに電車は思ったより早めに動きだし、新宿に到着し、ラーメンと炒飯を食べてから事務所に戻り、仕事でビデオのキャプチャーおよび編集作業を明け方までやり、PowerBookG4を立ち上げ、3日の日記を忘れていたので、4日の日記を書くついでに書いた。

2002年 12月 5日 (木)
 昨日は一睡もしなかった。ボロボロだった。俺は睡眠時間は割ととらなきゃだめな方なので、きつかった。昼すぎ法務局や信用金庫を回っている頃には、意識はほぼ限界に達していた。
 とりあえずの仕事が片付いたらすぐに寝るつもりだったが、事務所に戻って緑茶を飲んだらちょっと元気が出たので、暫く仕事をした。夕方ひと休みにKOKOMOでゲームをやっているあたりで地獄みたいな眠気が襲い、俺は上にあがって仮眠をとった。仕事の電話が入り、2時間ほどで起きた。
 夜、みんなが帰った後、日本酒を飲みながら、カマンベールチーズとモッツァレラチーズとゴーダチーズとポテトサラダと酌み出し豆腐をつまみに、テレビで「あしたのジョー2」を見た。
 今週は矢吹ジョーとホセ・メンドーサの試合がいよいよクライマックスへとさしかかるところだった。ホセのパンチにボロボロになりながらも、試合を止めようとする丹下段平に向かって、ジョーあの有名な台詞を言う。

 俺はまだ、真っ白になってねえ…

 俺は俺なりに、いままで燃えるような充実感を何度も味わってきたよ。血だらけのリングの上でさ。
 ブスブスとそこにある見てくれだけの、不完全燃焼とはわけが違う。ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどに真っ赤に燃え上がるんだ。
 そして、後には真っ白な灰だけが残る。燃え滓なんか残りゃしない。真っ白な、灰だけだ。

 …たのむわおっちゃん。真っ白になるまで、何も言わないでやらせてくれよ。


 うおお!そうだジョー、男は燃え尽きるまで闘い続けなければいけない。俺もハイに、いや灰になるまでやるぞ。なるぞ、真っ白な灰に。そこで笑っているやつ、こっち来いや。
 「あしたのジョー2」が終わり、「巨人の星」がはじまった。

2002年 12月 6日 (金)
 1日中何をやっていたのだかさっぱり思い出せない。でも思い出して何とか書こう。
 起きたのは午後だった。電話をかけまくり、またたくまに真っ白だった1日のスケジュールを埋め、着替えて、ちょっと仕事をして、外出。新宿東口、代々木と回り、最後に代々木上原のミスドでH社長と会談。H社長にワインをプレゼントに貰った。「彼女とクリスマスにでも飲んでくださいよ」とH社長。残念なことに悠里はいま酒が飲めないのだが、非常に嬉しい。あ、あと、新宿東口と代々木の間に、歌舞伎町のスッポン料理の店に寄った。来週ここで、忘年会をやるのだ。
 事務所に戻り「2002FNS歌謡祭」を見た。目当てはおニャン子倶楽部である。とりわけ立見里歌に興味があった。こないだ朝のワイドショーでちらっと見た時に15年ぶりに立見里歌を見て、なつかしさとその相も変わらぬケバケバしい色気に感動したのだ。今日また見てみて、さらに感動したのはストレートヘアになってガラリと印象が変わっていた横田睦美と、15年前はションベン臭いガキでしかなかった貝瀬典子と中島早苗がなかなかどうしていい女になっていたところだ。しかし全体としてみるとやはりおばさん集団でしかなく、モーニング娘と並んでいると特にだが、やっぱりなんかどこか違うような気がする。まあでも、いろいろな意味でええもん見させてもらいました。目をこらせばこらすほど、どんどん珍しいものを見ている気分になってくるのがたまらない。
 幻想・異端・文芸サイトの主催者のみんな、トップページにバーンとはりましょうよ、リンク。

2002年 12月 7日 (土)
 眠い。今朝は午前5時に目が覚めた。事務所で寝ると、別れが辛い蒲団のぬくもりなどないだけに、寝起きはよくなる。たまに良すぎて、こんなとんでもない時間に目が覚める。そんなときは当然いつもより早く眠くなる。しかしやんなるかな仕事の量は変わらない。夜は今にも死滅しそうな頭を振り回しながら仕事をするはめになる。
 税理士のA先生が「祝・会社設立 (有)イース」と花を持ってきてくれた。事務所に飾ってみると、なかなか会社設立という感じがして喜ばしい。何げなく生き何げなく独立し何げなく会社を作った輩としては、期待していない現実感というのは拾い物的な喜びをもたらすものだ。もう一人の自分が自分に「ああよかったねぇ」と言っているような感覚とでも言おうか。
 近ごろ、寝不足が続いてて文章が書けない。

2002年 12月 8日 (日)
 仕事がうなるほどあるにもかかわらず、1日中寝ていた。本当にもう、自分でも馬鹿じゃないかと思えるほど寝まくった。
 夜は河豚を食いにいった。河豚ヒレ酒をちびちびやりながら、空揚や鍋の河豚の骨を音をたててしゃぶる快感は何にも勝る背徳の喜びである。ひと冬に3回は河豚を食いたいもんだな。
 河豚を食い終わり、事務所に戻って、また寝た。寝すぎだ。仕事はどうした仕事は。

2002年 12月 9日 (月)
 何ごとにも気力が薄くて、仕事をするのも面倒臭く、1日中寝ていた。最近こればっか。とにかく眠いんだ、1日中。悠里は満月になると調子が悪くなるが、俺は逆に満月のときは調子良く、半月以下になると調子が出なくなる。
 まあ月のせいばかりにしているわけにもいかないので、午後起きてちょっと仕事をした。今週末は忙しいので、幻想異端文学連盟の更新はできない。PowerBookG4を起動し、まずメールをチェックした。メールのダウンロードにはいつもかなりの時間がかかる。メールアドレスを20個も持っていると、毎日メールの数がおびただしいことといったらない。1日100通だなんだと言っていたのも既に遠い昔。今では半日で150通といった有り様である。それらのほとんどが読みもしないスパムメールの類いだ。いい加減嫌になってきたので、そろそろぼちぼちまめに購読解除して減らしてゆく方向でいくことにした。半月もたつとすぐにメールボックスがパンパンに膨れ上がり、メールソフトの動きは遅くなるわエラーは起こるわ、肝心の必要なメールは読み落とすわで、不便なことこの上ない。気がつくのが遅すぎるわな。
 夜は久しぶりにランドリーに行った。ためにためた莫大な量の汚れ物をふたつの洗濯機に放り込み、ガーッと洗った。洗濯機が回っている間、ラーメンを食ったり、コンビニをうろうろしたりして時間をつぶした。しかしうろうろするにはこの夜は寒すぎ、雨まで降ってきた。いい加減、洗濯機買おうか。
 洗濯から帰って、寝た。冗談ぬきで、この週末は80%寝ていた。よく考えたら、土曜日はK-1がやっていたではないか。見逃してどうする。

2002年 12月 10日 (火)
 早起きして仕事をしていると、悠里が来て「雪が降ってるよ」と教えられた。窓を開けてみると、本当に雪が降っていた。しかも結構まえから降っていたらしく、すでにそこそこに積もっている。「雪だ!」思わず声をあげた。なぜか雪が降っている光景を見ると血が騒ぐのだ。外に出るのは寒くて嫌だが、室内から雪景色を眺めるぶんにはとても楽しい。つまり朝は雪のせいで、とても気分がよかった。 
 そんな気分に反して、あまりいい1日ではなかった。いいこともあったが、嫌なことも多かった。嫌なことは忘れたいので、ここには書かない。だからいいことだけ書こう。
 悠里の真似をして、フィットネスクラブに入会した。運動不足解消のためである。周囲の意見では、絶対に長く続かないとのことだ。自分のことながら、人々がそう思うのは120%理解できる。ところが自分としてはとてもそうは思えず、当たり前のように長く続くような気がするのはなぜだろう。たぶん気のせいかもしれない。俺がフィットネスクラブなど、長く続くわけがない。でも長く続けよう。
 それにしても人間関係って難解だ。

2002年 12月 11日 (水)
 本来なら集金や何やらで外をかけずりまわっていなければいけない時期なのだが、この頃デスクワークがたまっていたので、ずっと事務所で仕事をしていた。しかし運の悪いことに、こういう時に限って面倒臭い仕事は増える一方だった。その煩わしさとといったら、いばらの中で仕事をするがごとくである。
 少しばかり精神的に憤った瞬間があったが気をもちなおし、八方に電話をかけまくった。精神錯乱状態に落ち入ったときは、「老子」を1章だけ読むか、電話をかけまくるに限る。
 電話をかけまくった結果、少しは先が見えてきたのでまあ良しとしよう。

2002年 12月 12日 (木)
 悠里の体調が悪いというので、病院に連れていった。ここはインターネットで検索してとりあえず一番近い場所にあったので、前からこんなときのために目星をつけていたものだ。うぶられたビルの2階にあるので、どんな病院か不安があったが、中に入ると雰囲気はそれほどでもなく、小奇麗なものだった。受付をすませ、待ち合い室でそこにあった童話の本を読んでいた。童話がもう少しで終わるというところで名前を呼ばれ、診察室に入った。先生は妖しい感じの人で、穏やかな話し方の中にも一抹の違和感があり、それは話してゆくうちにユーモアさえ伴った感覚のずれにつながっていった。とりあえずこの先生はあまり信用できないと思われたが、医学に関して見識の狭い俺のことだから、即座に判断してしまうわけにもいかない。とりあえずじっくり話を聞き、無理を言って先生の書いた論文が掲載されているという医学書を借りて診察室を出た。待ち合い室で童話の続きを読み、病院を後にした。童話はとても感銘深かった。
 夜は歌舞伎町のスッポン料理屋で、わが社の忘年会があった。あまり派手にやりたくなかったので、内輪の限られた人数でひっそりと行なうことにした。参加予定者は俺、悠里、静夜さん、ケンちゃん、天野くん、そして古巣の広告代理店の先輩と後輩のお二人である。天野くんは結局連絡がとれず、残念ながら欠席となった。後で聞いたところによると、8時を過ぎてから俺に電話をしていたのだが不通だったらしく、いったんは事務所にまでやってきたのだが、既に我々は出掛けてしまっていて誰もいなかったとのことだった。大変遺憾なことであるが、天野くんには頼みたい仕事もあることなので、近いうちに改めてスッポン料理を御馳走しようかと思っている。
 体調不良で参加が一番危ぶまれていた悠里であったが、時間までに体調は大方回復し、なんとか彼女は参加できた。でも完全に回復しているというわけではなく、スッポンの生き血のリンゴジュース割りを飲んだときなど、弱った体内に血流が乱れかい、非常に苦しい思いをしていたとのことだったが、みんなの前で行儀の悪い態度をみせないようにと、水面下でかなり頑張っていたようだった。
 ちなみにこのスッポン料理屋は去年墨森先生が見つけてきた店で、俺は2度目だった。他のみんなは悠里を抜かしてスッポン料理それ自体が初めての体験だったらしく、得体の知れない見てくれに畏縮していたようだったが、食ってみるとやはり旨いので、それなりに料理に関しては満足していただけたようだった。料理はとても良かったが、会話は俺の配慮が行き届いていなかったばかりに、大して盛り上がっていなかった。しかし要所要所で有意義な話はできていたと思う。
 平日なので飲み会は早めに切り上げ、皆と解散した後、俺と悠里は喫茶店に寄りちょっと仕事の話をしてから事務所に帰った。
 スッポンの生き血を3杯も飲んでしまったのがかなり利いて、寝不足で眠いにもかかわらず、肉体はかなり元気が有り余っている感じだった。その勢いで、朝まで仕事をした。
 それにしてもスッポン、旨すぎる。また、食いたし。

2002年 12月 13日 (金)
 近ごろインターネットを徘徊していてふに落ちないことがひとつある。それが何かはここには書かない。とにかくふに落ちないことがあるのだ。
 今日仕事で本八幡に行くときに、電車の中でプルーストの「失われたときを求めて」を読んでいていつしか眠くなり、目的の駅を通り過ぎた。帰りの電車でもプルーストを読んでいてまた眠ってしまい、あやうく駅を見逃しかけた。
 さすがだ、プルースト。この本があれば、不眠症で悩むことなど不可能であろう。この日記を読んでいる方で夜眠れなくて困っている方がおられたら、ぜひ枕元にこの本を薦めたい。羊を数えるより効果は覿面である。その代わり電車のなかで読むと、俺のように寝過ごしてしまう可能性が高まるので、素人にはお薦めできない。
 羊といえば、来年は羊年。年賀状の絵面は何にしようかと迷うことしきり。去年は馬年だったから、三国志の張飛が馬にまたがり、うなりをあげながら蛇矛を振りかざす燃えるような絵を使った。羊が題材となると、そういった俺がロマンを感じられる絵図がどうしても思いつかない。今年は時間もないことだし、市販のものですましてしまおうか。そういえば御歳暮もまだだったな。
 御歳暮と言えば、ここ2・3日になって、やっとスムーズに「御歳暮」という言葉が口から出るようになってきた。この間まで御歳暮と言おうとすると、どうしても「御中元」と言ってしまう。その度に周囲の者に「今の季節は御歳暮ですよ」と諌められ、あまりにも同じ間違いを繰り返しその都度つっこまれてばかりいるので、仕舞いには「意味は解るんだからいいぢゃあないか」と開き直る有り様であった。
 かかる現象に象徴されるがごとく、最近なんだか頭がぼけている。人と話をしていても、途中でぼーっと考え事を始めてしまい、気がつくと途中からまったく話を聞いていなかったということが頻繁にある。この手の妄想癖は小学校の頃からあったのだが、近ごろ特に重症のきらいがあった。睡眠不足が原因であろうか。
 というわけで、そろそろ寝る。(現在朝の8時40分)

2002年 12月 14日 (土)
 深夜12時を過ぎると、PowerBookG4の前に座り、ワープロソフトを立ち上げ、煙草を吸いながら今日という日に思いをめぐらす。そして何を取り除き、何をピックアップして、日記の文章を構築しようかと思い悩む。実際、日記を毎日つけるのは大変だ。いままでインターネットで日記を書きはじめ、飽きたり、面倒臭くなって辞めたりしては、何かのきっかけにまた始め、何度となく日記のコーナーをやってきた。その都度毎日嘘ばかり書いていた時期があったり、半分嘘で半分真実を混合して書いていたり、やたら内面の暗くジクジクした闇の部分にスポットをあてて綴っていた日々もあったり、それぞれコンセプトは違ったが、すぐに終わったものもあれば、1年以上続いたものもある。この非幻想異端的日常のコンセプトはいろいろあるが、しいて言えば「何が何でも毎日書く」ということであろうか。しかし毎日書くと一口に言っても、大体が人の人生などというものは同じような毎日の繰り返しであるからして、なかなか大変なものである。だからたまにこんな意味のない駄文で文字数を稼いだりするのである。
 さて、今日は久しぶりに妹・静香が事務所にやってきた。人間ドックで検査を受けた帰りに寄ったとのことだ。彼女は昔から健康を標本にしたような奴で、やはり検査結果は「健康そのもの」であったらしい。
 「1日かけて検査したのに、なにも悪いところがないと言われて、なんか損した気分」
 などと、矛盾の固まりのような贅沢な不満を洩していた。ならばアンダーグラウンドの空気でも吸ってみなさいとばかりに、竹中直人の「ドクトクくん」のビデオなどを見せてやった。
 静香が帰って暫くして出掛けた。杵屋の手打ちうどんで食事をすませ、銀行に行った。銀行の前まで来て、振込をする相手先のメモを持ってくるのを忘れていたのに気がついた。仕方なく銀行は素通りし、新宿西口の協和コンタクトへ行った。1年ぶりに使い捨てコンタクトレンズを買ったのだ。使い捨てコンタクトは便利だが、購入する度にいちいち検査を受けなければならないのが面倒臭い。特に激しく嫌なのが、あの、目に空気を吹きつけて、眼圧を量るというあれだ。俺は目にプシュッと空気がかかる瞬間がたまらなく苦手なのだ。「空気がでます」と言われ、目をかっと開いて空気が今まさに眼球に吹きつけられんと待っている数秒間はもっと嫌だ。マジで、胃が潰れそうになるくらいドキドキするので、俺のような素人にはおすすめできない。
 買物を済ませ、事務所に戻る前にドトールでコーヒーを飲みながら本を読んでいると、悠里がやってきた。彼女もすぐ近くの違う喫茶店にいたらしい。
 まだ7時前だったが、外はすっかり暗くなっていた。

2002年 12月 15日 (日)
 めでたく団鬼六先生が原作・脚本・監督の3役をこなした成人映画「紅姉妹」の劇場公開が決まり、本日は特別公開初日の舞台挨拶があるということで、団鬼六オフィシャルサイト制作スタッフのひとりである俺は、取材がてら悠里をひきつれ出掛けていった。場所は銀座シネパトス。初っぱなから具合の悪いことに、新宿から銀座までの距離感を誤り、遅刻しそうになってしまった。というか、遅刻した。昨晩仕事で徹夜したので、調子はまるでよくなかった。
 映画館に到着すると、既に舞台挨拶は始っていた。慌ててデジカメをかかえて舞台の前の方まで小走りに駆け寄り、陣をとった。舞台の上にいるのは団鬼六先生、主演の愛染恭子さん、沢木まゆみさん、港雄一さん、その他の出演者、そして助監督の亀井亨さん。亀井さんという方はこの映画の陰の立て役者として、将来の日本映画界を担う実力者だと聞いたが、それは「紅姉妹」の出来をみても疑いようがない。この映画、日活ロマンポルノを彷佛とさせるような古臭い作りではあるが、ストーリーが実によくまとまっていて、下手なところがなく、エロチシズムはそれなりに見応えがあり、「本当に団鬼六が監督したのか?」と人をして言わしめる、平均点は軽く超える快作にしあがっている。
 舞台挨拶が終わり、映画が始まった。我々は後ろの方の席で鑑賞した。以前試写会で見たものよりも30分ほど長い完全バージョンである。もちろん内容は同じだし、ビデオも持っているので、俺はじっくり見る必要はなく、前日完徹して疲れていたし、この後も帰ってから仕事がたくさんあるので、ええい何を言い訳がましいことを言っているのだ、要するに、映画は見ずにずっと寝ていた。
 映画が終わり、周囲が明るくなると、真後ろに団鬼六先生が座っていて驚いた。驚きつつも、ご挨拶。悠里はこういった成人映画は初めての経験だったので、こんなものを見せてよいものだろうか不安だったのだが、ちゃんと解ってくれたらしく、なかなか良く出来た映画だと至極誉めていた。悠里は、団先生に謁見するのは2度目であるが、団先生は覚えていたのであろうか。そんなことより、寝ていたのはばれていなかったであろうか。
 映画館を出て、近くの居酒屋で打ち上げ。少し飲んで食って、デジカメを撮り、1時頃タクシーで帰った。調子が悪くて脳のすきまに蜘蛛の巣がはっているような感じで、取材スタッフとして十分な仕事ができなかったのがちょっと心残りであった。
 まあそういうわけで皆さん、ご興味がおありでしたらぜひ「紅姉妹」、見に行ってください。

2002年 12月 16日 (月)
 ずっとPowerBookG4の前に存在していた。午後めしを食いに悠里と出かけた。大して腹は減っていなかったが、なんとなく食事をする気分だったのだ。
 パークハイアットのどこかで食べようと思い、パークハイアットに入った。寒かったので、あまり遠くまで歩きたくなかった。パークハイアットに入ると、悠里の携帯が鳴った。表示されていたのは知らない電話番号だった。
 「これ、誰?」
 「知らない。出てみなさい」
 悠里はその電話を受け入れ、誰かと話しはじめた。結構な長電話になった。俺は彼女が電話をしている間、紀伊国屋に入って本を眺めていた。暫くして悠里の所に戻ると、まだ電話をしていた。悠里は怒って電話の相手と喧嘩をしていた。大変そうだったので、電話を代わってあげた。それは、彼女の電話番号を知るはずのない人物からだった。
 冷静に話をし、ひとつひとつ誤解を解きほぐし、何とか事態をまるくおさめて電話を切った。争いごとはあまり好きではないのだ。
 一件落着したところで、我々はイタリア料理に入った。イタめしは嫌いだったが、たまにはイタリア料理もいいかもしれないと思ったからだ。バジル風味のパスタと、ナスとチキンのドリアと、ピッツァ・マルガリータを注文した。飲み物は俺がコーラで、悠里はジンジャエールだった。俺的にはそれなりにうまかった。
 食事が終わり、事務所に戻る時、悠里が言った。
 「イタリア料理のまずさが初めてわかった」
 俺が普段からイタリア料理が嫌いだという意味が今日、初めて解ったらしい。そう、イタリア料理は何を食べても同じ味なので、飽きるのだ。普段から俺の趣味でインド料理ばかり食べさせているので、舌の感覚がこうなるのも無理はない。インド料理のスパイスの奥深い味わいに比べたら、イタリア料理のトマトソースとチーズでべたべた固められた平淡な味は、薄っぺらに思えるというものだ。化学調味料をたっぷり使った安い中華料理でも、まだ随所に工夫があり、飽きずに食べられる。同じものばかり食べていると、舌の感覚といのは似てくるものだ。
 事務所に戻り、テレビを見た。なぜか突然カラオケに行きたくなった。

2002年 12月 17日 (火)
 ヤボ用があり、地元の埼玉県川越市に行った。
 胃が寂しそうに食べ物を求めていたので、コンビニで野菜サンドイッチとピーナッツバターのパンを買って、埼京線川越行き快速電車に乗りこんだ。電車の中では沢木耕太郎の「世界は使われなかった人生であふれている」を読んでいた。映画にまつわるエッセイ集である。ほとんどが見たことがないばかりか、聞いたこともない映画がほとんどだったが、沢木の独特の渇いた語り口で、とても読ませる本になっている。
 電車は新宿を出たときは少々混んでいたが、赤羽を通る頃には座れ、大宮の手前あたりでだいぶ空いてきた。俺は駅で買った缶コーヒーを飲みながら食事をはじめた。サンドイッチはトマトがとても新鮮で、卵と胡瓜の相性も良く、とても旨かった。ピーナッツバターのパンは、口に入れてみるとピーナッツの粒が入っていて、なんともいえない舌触りが心地よく、これも至極旨かった。人の目をあえて気にせず、俺は食べ続けた。食事が終わり、缶コーヒーが飲み終わる頃、電車は川越駅に到着した。まだイベントが始るまでに時間があったので、目的地まで歩いて行こうと思ったが、結構な距離があるので面倒臭く、バスは人がたくさんいて嫌なので、タクシーをつかまえた。予定より30分ほど早く会場に着いた。待ち合い室で悠里と仕事の話をしたり、芥川龍之介を読んだりして時間をつぶした。じきにもうひとりおじさんがやってきた。役に立っているのか立っていないのか解らない我らの良き協力者だった。
 時間がきて、イベントが始った。ふたつの部屋を行ったり来たりしながら、ひとりの初老の紳士と、感じの良い婦人と面談し、片付けなければならない面倒な問題をなんとか前へと進めていった。俺はとにかく食いたいものが食いたいときに食える人生が送ればそれでいいのだ。あとは周囲の人間たちが良いように事を処理してくれれば文句はない。読書なんてそんなに金はかからないし、文章を書くのはいつもタダである。後は好奇心のアンテナを研ぎすませ、いつでもどこでも、左から右へと目を動かせば、面白いことなんていくらでも見つかる。眠くなったら寝ればいい。
 楽しいイベントが終わり、おじさんとバスに乗って川越駅まで戻り、そこでおじさんと別れた。我々は、昔俺がよく行ったカレーライスの店で食事をすることにした。ここはジャワカレーとインドカレーと欧風カレーの3種類が選べ、それぞれ工夫をこらした手作りの味わいがある。そんな特色はセットを頼んだとき最初に出てくるサラダでも十二分に生かされていた。俺はジャワ風にんにくチーズカレーを注文し、悠里はやはりジャワ風のビーフカレーを注文した。ジャワ風にんにくチーズカレーはにんにくがたっぷり入っていて、それなりに旨かった。食後に出てきたコーヒーはまずかった。ここのコーヒーがまずいということを忘れていた俺のミスだった。食後、川越サンロードの古本屋に寄り、沢木耕太郎の「一瞬の夏」とブコウスキーの「SOUTH OF NO NORTH」を買った。新宿へと帰る電車のなかで、早速「一瞬の夏」を読みはじめた。
 新宿駅に到着すると、事務所に戻る前に、新宿ルミネの青山ブックストアに寄った。普段古本屋や事務所の前の紀伊国屋ばかりに行っている俺にとって、青山ブックストアのラインナップは魅力的だった。いつも行きつけの本屋ではもう叩いても埃しか出ないような有り様だったが、ここはそこらの本屋ではあまり見ないような本が平積みになっていたりする。いろいろ興味をそそる本はあったが、ここは松尾スズキの初の短編集「同姓同名小説」などを買ってみた。事務所に戻って早速読んでみる。読んでいる最中は笑いころげるが、最後まで読むと、こんな時間の無駄以外の何者でもない意味のないものを読んでしまった自分を殺してやりたくなるような、傑作である。松尾スズキと言えば、去年墨森先生とテレビで見た松尾スズキ脚本・演出・出演、深津絵里・大竹しのぶ主演のテレビドラマ「恋は余計なお世話/深津ちゃん何言ってるの しのぶ全然分からないスペシャル」をもう1度みたいとこの頃そんなことばかり考えていたのをふと思い出した。
 PowerBookG4を起動し、仕事のあいま、何げなくYahooテレビをチェックすると、今日のニュースステーションには偶然にも沢木耕太郎がゲストで出演するというではないか。彼がテレビに出るなど、普通ではあり得ないことだった。テレビをつけると、本当に沢木が耕太郎が久米宏と並んでしゃべっている。俺は仕事を中断して、テレビに見入った。スポーツの話はあまり好きではないので、話はあまり興味が持てなかったが、沢木耕太郎が生きて動いているというだけで感激だった。ひとつだけ、とてもいい話を聞いた。それが何かは、同じテレビを見た人なら、解るだろう。
 俺はポカリスウェットを飲みながら、仕事を再開した。さっき食べたカレーライスがまだ胃にかすかに残っていたので、ちょっと眠かった。そんな俺を横目で見ながら、悠里がつぶやいた。
 「…お腹すいた」

2002年 12月 18日 (水)
ヤボ用があり、市川へ行った。新宿駅のホームに立ち、総武線千葉行きの電車を待ちながら、市川へと向かおうとする俺に、心のなかで「そこへ行ってはいけない」というマイナスエネルギーが押し寄せた。俺はそれらの力を振り切り、電車に乗りこんだ。市川駅に着くと、バスに乗って目的地へとむかった。なんてことはなく、用事は思ったより少し早めに終わった。再びバスに乗って市川駅まで戻り、駅前のそば屋に入った。俺はここの青海苔そばが好きだった。しかし今日は好きな青海苔そばではなく、食べたことのない得体の知れないそばを食べてみた。そのそばを得体の知れないものたらしめている成分は、そこで出されるお茶の中にも入っており、とても健康に良いとのことだった。そばを食べ終わった俺は、この後のことを考えた。俺は浅草で用事がある。でも浅草には行きたくない。しかし行かなければならない。少し葛藤した挙げ句、やはり浅草に向かうことにした。携帯をひっぱりだし、浅草のこれから会う予定の変な奴に電話をした。そいつは本当に変な奴だった。性格も変だが、見てくれも変だった。いろいろと面倒なやつだったが、嫌いではなかった。しかしあまり付き合いたくない奴であることも事実だった。電話に出た変な奴は、かなり元気がなかった。「いま、調子悪いのよ。だから今日は中止」俺は小躍りして、電話を切った。新宿に帰る前に、市川の本屋に寄った。黒澤明関係の面白そうな本を見つけたので、買おうと思ったが、最近本を買いすぎていたので、我慢した。事務所に戻ると、妙な孤独感が俺を苛んだ。メールをチェックすると、頭にくるメールが来ていた。今日はつまらないことが多すぎた。この日記もつまらない。最悪の気分だった。仕事はたくさんあったが、眠くてしょうがなかった。まもなく満月だった。

2002年 12月 19日 (木)
いつもよりちょっと早めに目が覚めて、ゆったりと出社。たらたらと仕事を始める。遅れて悠里が出社。満月の日も近く、かなり調子悪そうだ。満月の夜は人が狂うという伝説があるが、科学的に言えば、月が地球に及ぼす引力は微々たるもので、人体への影響は考えられないとも言う。しかるに、悠里の満月が近づくにつれて変化してゆく精神状態を見ていると、とても無関係とも思えず、興味は尽きないが、まあ今のところは月にもいろいろ事情があるってことでいいだろう。ときどきかなり荒れていたが、こういった状態のときには、自分の内面にあるものをぶちまけるのは悪いことではないので、あるがままを尊重するようにした。俺も我慢するのは嫌なのでときどきぶちまけるが、そこは世の中もちつもたれつってやつだ。とりあえず、ぶちまけたらスッキリしたようなので、よしとしよう。俺は俺で、最近調子が悪かった。体調ではなく、運勢である。長らく床屋に行っていない。俺は髪がのびると運気が下がるというジンクスがあるので、久しぶりに床屋に行くことにした。ワシントンホテル地下で千円でカットしてくれるところがある。カットしてくれるのはいつもは女性なのだが、今日はおぞましいことに男だった。「前髪を眉毛の上あたり、後ろは刈り上げの一歩手前で、横は耳が完全に見えるように、全体的に短く」床屋に行ったときに必ず読み上げる頭の中の定型文をいつも通りに復唱した。10分後、俺は生まれ変わった。髪はいつもより短かめに切られていた。床屋に行った後、もっと短く切ってほしかったのに、と不満を感じることが99%なのだが、今日は満足のゆく短さだった。これは近年では記憶にないことだった。まるで「サドマニア」のプロフィール画像みたいだった。床屋が終わり、事務所に戻った直後、Yahooオークションで購入した「サーキュレーター」が届いた。サーキュレーターとは、扇風機を小さくしたようなもので、暖房・冷房の効率を上げるために室内の空気を循環させる機械である。これがあれば部屋の上半分だけに熱がこもり、頭だけボーッとして足は冷たいといった事態を免れることができる。この狭くてゴチャゴチャと物にあふれている事務所のどこにどういった角度で設置するか試行錯誤を繰り返し、適当なところに落ち着いた。この事務所も、相変わらず散らかっていて汚いが、仕事をする環境は次第に整ってきた感じだ。仕事と言えば、忙しいの一言に尽きる。夜はアリナミンVを飲みながら、がんばった。明日もがんばろう。

2002年 12月 20日 (金)
本日は脳の事情により日記が書けません。

2002年 12月 21日 (土)
本日も脳の不具合により日記が書けません。

2002年 12月 22日 (日)
 ここ2日間というもの、脳が不具合を起して日記が書けなかった。書けないものは書けないので、書かないことにした。「何が何でも毎日書く」と言っていたのに、嘘つきだ、と文句を言うのは間違いだ。俺は書けないなら書けないなりに「書けない」ということを書いたのだからして。
 さて、書いていなかったからと言って、書くことがなかったわけではない。とりあえず今日、やっと日記が書けるようになったので、何か思い出して書くことにしよう。
 先日、千葉の風俗店に行って、風俗嬢の写真を撮影してきた。広告代理店で働いていると、ときどきこういった、広告に使用する写真を撮影するという機会にぶちあたる。取り扱う広告が性風俗店となると、撮影するのは店の看板じゃなければ、女の子のヌードということになる。人は役得だと言うが、残念ながら仕事で女の子の裸を見てもなんとも思えないのは本当だ。
 その日、ちょっと遅れて店に到着した俺は、早速デジカメを取り出して、撮影に入った。撮影する女の子は3人だった。1人目はアナルファックが得意だというポッチャリ型の女の子。「“アナルファック”を目立つように書いておいてくださいね〜」と店長さん。3人目はセーラー服の似合うロリ系の女の子。性産業で、セーラー服のような学生を想起させるアレンジは法律的にヤバくなったんじゃなかろうか。まあ、それはいい。問題は2人目の子だった。この子、どこかで見たことがある。
 「あの、どこかでお会いしませんでしたでしょうか?」
 と、ナース服に着替えている彼女にさりげなく聞いてみた。
 「そういえば、どこかで、お会いしたような…」
 彼女も俺の顔を見ながら、記憶の糸をさぐっているようだった。
 「どこで会ったんでしたっけ?」
 「どこでしょう…。私、いろいろな所で働いてましたから」
 「都内で働いていたことありますか?」
 「ええ。池袋のAとか」
 それで思い出した。俺は3年前にも、この子の撮影をしたことがあった。その時は体験取材というやつで、俺が撮影をして、俺の友達が体験する男優の役をやったのだ。ちなみにその友達は文章もうまく、彼の書いた小説はこの幻想異端文学連盟にも掲載されている。
 「なつかしいですねぇ〜。あそこの店長のMさんにはお世話になりました」
 「そうですか〜。Mさん途中で消えちゃいましたよね」
 「Mさん今頃どうしてるんでしょう? 連絡とりたいんですよ」
 「あれからいろいろあったらしいですよ。NさんもKさんも連絡とれないんです。こないだまではとれたんですけど」
 「もともと僕は、NさんにKさんを紹介されて、KさんにMさんを紹介されて、そこであなたに会ったんですよ。そういえばNさんは一時期大変でしたよね」
 「Nさんはあれからまたいろいろあって、今頃は東京湾の下に沈んでいるかもしれません」
 「それは恐いですねぇ…」
 昔話をしているうちにヤバい話になってきたので、さっさと切り上げて帰った。まあとにかく、風俗産業というのはこれでなかなか狭い業界なので、頻繁にこういった再会がある。浮き沈みも激しく、暫く会わない人にはいろいろなことがある。先日も数年前とても仲の良かった会社の社長さんから久しぶりに電話があり、彼はすべてを失った後、いろいろ紆余曲折があって今は都内の某所で起死回生を狙っているとのことだった。俺だって、株式会社Gを辞めてから印刷会社やいろいろな職を転々とし、株式会社Zで同業界に復帰してから、独立と、いろいろあった。連絡とりたい人達もたくさんいる。
 千葉を後にした俺は、その後いろいろあって、体調不良に落ち入り、暫く日記も書けない状態になったのだった。人生、いろいろである。皆さんもくれぐれも御自愛されたい。

2002年 12月 23日 (月)
 このあいだケンちゃんからEasySeekという中古メディア商品のオークションサイトを教えられてからというもの、ネットで古本を買う頻度が異常に増した。ひと一倍本を読むのも遅ければ読む暇もない俺なのに、本ばかり増えてどうするんだ。
 先日、また2册、EasySeek所属の古書店から本が届いた。
 1册目はギィ・スカルペッタの「サド・ゴヤ・モーツァルト」。サド侯爵が登場人物で出てくる小説で、一応サドマニアなのでチェックするために買ったのだ。こいつは昔、サドマニアでよしこさんに投稿していただき、その直後俺も読もうと思って本屋に注文したことがあるのだが、既に廃刊になっていて手に入らず、ずっと忘れていたものだ。内容はサドの伝記を要約してサド自身の口から不満たっぷりに語らせただけのもので、特筆に値する思想も解釈もありゃしないが、それ以上にストーリーがない。この直後にサドは10年の幽閉生活からついに外の世界に出されるのだから、そこにちょっとでも視点を当てなきゃ駄目だと思った。まあこの作者は、基本的に最後のモーツァルトの話が書きたかったような気がするのでで、サドの話は前座とでも思っておけばよいのだろう。
 2册目はブコウスキーの「パンク、ハリウッドを行く」だ。読みはじめて、その訳の悪さにぶったまげた。悪い訳というのはたまにあるが、ぶったまげるほど馬鹿な訳というのは初めて見た。意味のないカタカナの多用。「ありがとヨ」「わかったヨ」「その通りサ!」意味もなく台詞の語尾をカタカナにするなぁあああ!!!それだけじゃない。文章も酷い。ところどころ意味が通じない。空前絶後の馬鹿訳である。こんな糞訳でも、読めば読んだで面白い。そう、この本はなかなか面白い本なのだ。それだけに、中川五郎氏か青野聡氏の訳だったらどれだけ最高だったかと思うと、至極残念で仕方がない。
 馬鹿は翻訳をするな、と私は声を大にして言いたい。

2002年 12月 24日 (火)
 レンタルビデオで「バーフライ」という映画を借りてきて見た。これはブコウスキーが脚本を書いた映画で、この映画を制作している周辺の模様は、先日から読んでいる「パンク、ハリウッドを行く」に詳しく書いてある。件の本を読んでいて、どうしても映画が見たくなったのだ。
 映画を見ているうちに、ビールを飲みはじめた。どうも酒が飲みたくなってくる映画だ。
 ブクの書いた脚本はブクのファンの目から見て良く出来たもので、映画はそんなブクの世界を実にうまく映像化してある。ミッキー・ロークも演技もはまっていて、それ以上にフェイ・ダナウェイがはまっていた。
 これはなかなかどうしてブク的な傑作であったな。

2002年 12月 25日 (水)
今日はお仕事でいろんなところに逝きました。
とても忙しいいちにちでした。
明日もがんばりたいと思います。
おしまい。

2002年 12月 26日 (木)
 目がさめると、椅子に座っていた。これで椅子で寝るのは4日目だ。この4日というもの、横になって寝ていなかった。忙しい。動画の編集というのはまじで時間がかかるのだ。
 苦労してテレビとパソコンをケーブルで繋ぎ(テレビの後ろをいじるのはいつでも骨が折れる)、ビデオの画像をハードディスクに取り込み、取り込んだ動画を編集し、インターネット用に圧縮する。それらのどの作業も、いちいち時間がかかる。気がついたら4日もの日々が過ぎ、それ以外の仕事がまた嫌になるくらいたまっていた。とりあえず動画の編集はすべて終わり、今日の午後なんとかアップデートまでこぎつけた。
 ひと息ついた俺は、ふと思い立って、電話をかけた。俺の広告業界の師匠である。昨日、俺がいないときに電話が来たそうなので、かけ直したのだ。師匠から電話がくるのは独立してから初めてのことだった。と思う。俺にはMacの師匠やアンダーグラウンドの師匠など、何人か師匠がいる。中でも人生の恩人といえるのが、この広告の師匠である。彼がいなかったら俺は今頃、誰も知らないような三流の出版者の編集でもやりながら、毎日酒を飲んで上司のチンポをしゃぶっていただろう。そんな人生も悪くはないかもしれないが。
 最初にかつての同僚が電話に出て、師匠につないでくれた。
 「オウ、元気かい? 待ってたよ」
 電話口から威勢のいい声が聞こえてきた。
 「はい、元気です」
 「電話したのはだな、お歳暮のお礼と、ちょっと会いたいと思ってね」
 「はい、私もお会いしたいと思っておりました」
 「おお、そうか。嬉しいね。じゃあこちらの予定が決まったら電話するよ。それじゃあな」
 電話を切った。連日の徹夜で痺れていた脳が甦った気がした。

 クリスマスということで、悠里がケンタッキーフライドチキンのパーティーバーレルをプレゼントしてくれた。
 しばし仕事を中断し、俺と悠里とケンちゃんの3人でチキンを貪りながら、ささやかなクリスマスパーティーを開催した。静夜さんは外出中だった。名前が聖夜みたいなだけに、クリスマスパーティーにいないのは寂しい感じだ。
 ケンタッキーフライドチキンは「食べる」ではなく「貪り食う」である。日本語の常識だ。われわれはあまり話もせず、チキンを貪り食った。俺はチキンの心臓や内臓の苦い部分が好きなので、胸肉を選んでは丹念にそれらの部分を探して食っていた。付属のサラダやケーキもうまかった。
 チキンを食い終わり、暫く休んででかけた。
 待ち合わせ時間にちょっと遅れて新宿西口に到着し、Kさんと会った。金を貰い、また新しく仕事を貰った。仕事は毎日のように増えている。しかし金はいっこうに増えない。理由はいろいろあったが、クライアントのひとりに問題のある人物がいるのが最大の原因だった。こういう場合、俺はどうしたらよいのか、最近かなり頭を悩ましている。
 そのままKさんに飲みに誘われ、飲みに行った。「焼き鳥でも」と言うので、宝来屋に連れていった。ここに来るのは久しぶりだ。そこでわれわれは仕事の話しや家族の話しなどをしながら、焼き鳥をしこたま食い、ビールと日本酒を飲んだ。ケンタッキーを食べたばかりだったので、あまり飲めなかった。ちょっと油断すると吐くような気がしたので、煙草もほとんど吸えなかった。最後ににんにく揚げと冷や奴を食べ、宝来屋を出た。その後、歌舞伎町の汚い路地のそば屋でそばを食った。酒を飲んだ後のそばはこたえられない。
 この後またどこかに飲みに行こうという話しをしていたのだが、事務所が俺を必要としているとの連絡が入ったので、そば屋を出た後、Kさんと別れて事務所に戻った。事務所では、静夜さんがケンタッキーを食べていた。
 ケンちゃんや悠里が、俺の強烈な酒とにんにくの匂いで頭がクラクラしてくると喘ぎはじめた。しかし仕事は順調にはかどっていたので、2人には悪かったが、その場から避難するには少々忍びなかった。とりあえずこの4日間でたまった仕事は大方かたづいた。
 今夜も椅子に座って寝よう。

2002年 12月 27日 (金)
 あるブツを取りに、千葉へ行くことになった。そのブツは、かなり量が多く、かさばることが予想された。最初は現地に行ってブツを調達したら、近くのコンビニで宅急便で送ろうと思っていたのだが、今日の朝になって、はたと気がついた。そうだ、レンタカーを借りて、車で持って来よう。第一そのブツは、壊れやすく、宅急便などで送ったら、五体満足で届かない可能性も高い。悠里にそれを提案すると、「そうしましょ」ということになった。
 そういうわけで、2時頃、西新宿のレンタカー屋の門をたたいた。年末で混んでいて、トヨタのカーナビ付きの車が1台しか空いていなかった。種類などどうでもいいので、それを借りることにした。
 車を運転するのは2年ぶりくらいだった。もちろん、俺の運転する車に悠里を乗せるのも初めてである。
 「最初はぎこちないかもしれないけど、じきに慣れてくるから安心しろよ」
 車に乗る前に、悠里にそう言い聞かせた。俺は昔、車で人身事故を起したことがあり、悠里はそのことをとても心配していた。
 車をスタートさせ、道路へとくり出そうと左右を確認する。前の歩道を人が行き来していて、なかなか前に進まない。
 「あぶないじゃないの! 人を曵いたらどうするのよ!」
 悠里がいきなり、狂ったように叫んだ。別に、人を曵きそうになった覚えはなかった。
 「大丈夫だよ。ちゃんと気をつけて見ているから」
 なるべく落ち着いた声で、そう言ってやった。
 「恐い恐い恐い! しっかりしてよ! もう!」
 まるで天変地異が起こっているかのように、悠里が叫びまくる。何が起こったと言うのだろうか。さっぱり訳が解らなかった。
 なんとか車を道路へと滑り出させ、車は順調に走り出した。
 「あぶない! ぶつかる!!!」
 悠里が叫ぶ叫ぶ。やはり、ぶつかりそうになったような気はぜんぜんしなかった。どちらの認識が現実に起こっていることに対してより普遍性を持っているのか、それは永遠の謎だった。
 いったん近くのコンビニの前で止まり、コーラとガムを買い、カーナビに目的地を設定し、再び走り出した。悠里が死にそうな顔でぶるぶる震えている。心臓が止まらんばかりの様子で、今にも車から飛び出してしまいたいと何度もつぶやき、仕舞いには「どうせ死ぬなら薬を飲んで寝ている間に死にたい」と本気で言い出した。悠里を安心させるために、ちゃんと車間距離を空け、ブレーキをゆっくりと踏み、スピードを出しすぎず、極力安全運転を心掛けた。俺的にはぬかりはなかった。
 高速に入り、暫く走っていると、ようやく慣れてきたようで、悠里の顔から笑顔がこぼれだした。
 暫くして、カーナビの示したルートと違う道に入ってしまった。カーナビの指示が遅すぎるのだ。しかし最近のカーナビは便利になったもので、間違うとすぐにルートを修正してくれるらしい。俺は修正されたルートを気をつけて走った。暫くして、またルートを外れた。修正されたルートを走り、そしてまた外れる。そんなことを何度くりかえしただろう。困ったものだ。一難去ってまた一難とはこのことか。何度も高速を降りたり乗ったりしながら、何度も高速料金を払い、やっと納得のいくルートに戻れた。結局、新宿から両国あたりに行くまでに、4時間あまりの時間がたっていた。
 それから先はスムーズだった。幕張パーキングエリアで破裂しそうになっていた膀胱からおしっこをしぼりだし、売店で週刊モーニングと甘いお菓子を買って、それを食べながら旅を続けた。千葉に入ってからは、1回ルートを外れただけで、じきに目的地に到着した。
 ブツを車につめこみ、すぐに出発。帰りの高速はえらく混んでいた。レンタカーの返却期限は夜10時。腹が減っていたのでファミレスにでも寄っていきたかったが、それは時間的に無理そうだった。
 ようやく新宿の街並が見えてきた。
 「どうだい。俺もなかなか運転がうまいだろ」
 「そうね」
 確かに、2年ぶりに車を運転する割には、われながらうまかった。4年半前、バイクと激突して相手に全治2ヶ月の重傷を負わせ、15万の罰金と免停をくらい、また同じ日に、前を走っていた車のカマを掘ったという経験を持つ俺も、ずいぶんと成長したものだ。電車もいいが、たまには車も良い。車を返却し、夕食にそばを食べて、事務所に戻って週刊モーニングを読んだ。
 最後に悠里さん、今日のドライブの感想を。
 「最初はめっちゃ恐かった。正直、死ぬかと思った」
 どうもありがとう。
 次の犠牲者は、あなたかもしれません。

2002年 12月 28日 (土)
 六本木のTさんのところへ行く。事業は相変わらず赤字続きで、大変そうだ。年末飲みに行く約束をした。
 新宿に戻り、事務所の前まで来たところで、携帯が鳴った。尊敬する広告の師匠からだった。
 すぐに会いたいとのことだったので、会いに行った。久しぶりに会った師匠は、ずいぶん痩せていて、金がなくて大変そうだった。最近、誰と会っても、不景気で死にそうな人ばかりに思える。しかしたまに、景気が良い人もいる。俺はというと、まあまあといったところか。
 お歳暮のお礼に古ぼけた紙袋に入っている栄養剤の箱をくれた。サイドビジネスでこれを売っているとのことだが、これは売れないだろう。
 喫茶店でインターネット広告の話などをいろいろとして、「コーヒー代払っておいてくれ」と言って彼は去っていった。コーヒー代も払えないくらい大変なのだろうか。
 しかし、いろいろ話をしてみて、希望は見えてきたように思える。
 「社長、来年の半ばまでに500万はいきましょうよ」
 「馬鹿やろう、1千万だよ!」
 大きなことを言うところは変っていない。あの日のように、この人と、もう一度いい夢、見たいものだ。

 今日はわが社の仕事納めである。俺は違うが、会社的には一応、そういったものを設けている。誰もがめちゃめちゃ忙しく、終わりようのないものを、無理矢理終わらせたという感じだった。
 おかげで俺の年末年始が数倍忙しくなった。

 深夜テレビで映画「マルコビッチの穴」がやっていたので、途中からだったが、見てみた。これは数年前公開していた時に、ちょっとだけ気になっていた映画だ。どんな映画かと思っていたのだが、見てみたら、結構イけている映画だった。
 そうか、そうくるか。ハリウッドよ。

2002年 12月 29日 (日)
 午後2時頃起きた。金をぶんどらなければならない人物のリストを頭に浮かべ、携帯のボタンを押しはじめた。まずSさんに電話。
 「ああ、後でかけなおす!」
 すぐに電話は切れた。かけなおして来ないことは解っていた。決断のときは迫っているのかもしれない。次にKさんに電話。
 「こんにちは」
 「ああ、どうも!」
 「本日、どうですか?」
 「ええ、5時頃こないだと同じところでどうですか?」
 すでに4時半だった。まだ着替えてもいない。
 「5時半でどうでしょう」
 「いいですよ」
 電話を切った。隣で悠里が言った。
 「Kさんとまた飲みに行くの?」
 「いや、金をもらいに行くだけだ」
 「絶対、飲むことになるね」
 「いや、金をもらうだけだよ」
 「じゃあ、千円かけようか?」
 「いいとも」
 着替えて、出かけた。待ち合わせ場所のこないだと同じ位置に、同じ格好で彼は立っていた。俺を見るなり、手に握りしめていた万札を渡した。
 「社長、めしは?」
 「まだです」
 「じゃ、イッパイ、いきましょうか?」
 「いや、仕事がありますので」
 俺は金をポケットにねじこみながら愛想良く断り、事務所に戻った。すぐに帰ってきた俺を見て、悠里は悔しそうに、千円札を渡した。
 しかし自分の意志で勝ち負けが決められるなんて、珍しい賭けもあったもんだ。まあ最近ちょっと飲み過ぎていたので、もともと今日は誘われても断るつもりではあったのだが(でなければ、賭けなどしない)。
 夕食にうどんを食べて、紀伊国屋に寄った。スティーブン・キングの「ザ・スタンド」(深町眞理子訳)の分厚い単行本が目に入り、衝動買いをする。
 この本はもともと70年代に書かれたキングの初期の最高傑作で、90年代前後にカットされていた非公開の部分を付け足した完全版が発売され、話題を呼んだものの翻訳である。旧バージョンは日本では翻訳されていなかったので、この完全版が日本での初訳となった。
 他に読んでいるキングの本があったのだが、買った本はすぐに読みはじめないと気が済まない性質なので、早速読みはじめた。相変わらずジワジワと恐怖が迫ってくるような書き方で、深町眞理子の訳もよろしく、ページをめくるにつれ、ずぶずぶと世界にはまってゆく。暫く寝不足に注意しないといけない。
 ちなみにこいつのおかげで、事務所に積んである読みかけの本の山が、ついに俺の頭を飛び越えた。そういえば、近々アマゾンからも本が届くんだよなぁ。

2002年 12月 30日 (月)
 目がさめると、また椅子に座ったまま寝ていた。PowerBookG4はまだ起動している。スリープを解除し、寝る前にやっていた作業の続きをはじめた。やっかいな部分にはまり、予想以上に時間がかかっていた。
 つかれたので、メールをチェック。幻想異端文学連盟宛にこんなメールがきていた。
 “幻想異端文学大賞に応募したいと思ったのですが、締切がすぎていました。今度の幻想異端文学大賞はいつ行なうのですか?”
 ホームページのトップにデカデカと「募集中」と書いてあるのに、どうしてこんなメールが届くのだろうか。書き方が解りにくいのかもしれない。いや、そんなことはないか。送信者の方を良く見てみると、中学2年生。若気の到りということか? それにしてもこの年齢で幻想異端文学に手を染めようとしているとは、たのもしいことこの上ない。とりあえず「まだ募集してますよ」と返事を書いておく。ついでに日記のネタにも使ってみたりする。

 明日から原宿駅前のハイパービジョンで、俺が運営しているサイトのPR宣伝が流れるのだが、その内容の最後のつめがまだ決まらないでいた。電話であれこれと、どうやったら原宿の駅前を歩いている若者たちが振り向いてくれるのかと議論しあい、とりあえずつかみが大事なんじゃないかということになった。あまり時間がないので、具満タンの音声素材から「ビロロロロ〜ン」という音源をピックアップし、これをCMの最初に流すことにした。かなり安易だが、とにかく締切り真際なので仕方がない。ひとまず、これで画面を振り向いてくれるひとは少しは増えるだろう。
 そんなわけで、皆様、原宿駅前を歩いていて「ビロロロロ〜ン」という音を耳にしたら、音のする方をぜひ振り向いてみてください。「あっ! あれ見て見て!」なんて大袈裟にわざとらしく叫んでみるのもこの際、いいかもしれません。

 アントニオ猪木が新宿東口にあらわれるという噂を耳にし、新宿東口へとでかけた。
 紀伊国屋に寄り、20年ぶりにタロットカードを買う。仕事やプライベートで占いにかかわっているうちに、自分もちょっと持っておこうと思ったのだ。どんな絵柄のものを買うか迷ったが、なかなか気にいった絵柄がないので、中国風の少し変わったものを選んでみた。スカラ座でコーヒーを飲みながらカードをひとつひとつ見てみると、えらいチョイスだったことを痛感した。THE DEVILが牛頭馬頭だったり、DEATHが閻魔大王だったり、JUDGEMENTにあたるのが孔子だったり、エキゾチックなのはいいが、THE HANGED MANが首吊り死体だとか、ものによってかなり面白いものもある。こんど違うやつをまた買おう。
 ちなみに新宿スカラ座は、今年いっぱいで閉店だそうな。毎週ここで悠里とコーヒーを飲みながらビジネスの話をするのがささやかな楽しみだったのに、誠に残念なことである。
 泉焼肉市場で焼肉を食った。ここのカルビは一時期クオリティがすごく落ちて、ハラミばかり注文するようになったのだが、最近またそれなりにいい肉を使うようになってきた。この店の新しいオリジナルで、キャベツの千切りにカルビをはさんで食べるというのが壁にはってあったので、試してみると、さっぱりしていてなかなかうまかった。
 で、結局猪木には会えなかった。
 帰り、レンタルビデオに寄る。今日はアニメが100円だったので、「千と千尋の神隠し」と「タイムボカン」のビデオを借りてみた。ついでにインド・イギリス合作映画「カーマ・スートラ」を借りる。帰って早速「カーマ・スートラ」をビデオにつっこんで鑑賞。途中で飽きて、仕事をしていた。いつのまにか映画が終わり、次に「タイムボカン」を見た。面白すぎて死んだ。

 沢木耕太郎のノンフィクション「一瞬の夏」を読み終わった。
 この脱力感がたまらない。とんでもない本だ。事実は小説より虚なりというべきか。この本を読み終わって、俺が沢木耕太郎先生に申し上げたいことはなにもなく、またこの本に関する誰のどんな言葉も聞く必要もない。解説も読まなかった。俺はひとことだけ言わせてもらおう。名作である。

2002年 12月 31日 (火)
 目が覚めたらまた椅子に座っていた。PowerBookG4はちゃんと落としてあった。起動して、暫くちまちまと、遊んでいるのか仕事をしているのか解らないようなひとときを過ごした。腹が減ったので、パークハイアットのマクドナルドでハンバーガーとてりやきマックバーガーを単品で買い、その隣のさいきん新装開店したドラッグストアでカップラーメンを買い、事務所で食べながら、ビデオで「千と千尋の神隠し」を見た。
 この映画、どんな映画だか前から興味があった。宮崎駿をしてどんな映画もへったくれもないと言いたいところだが、しかし周囲でこの映画を見た人はたくさんいるものの、誰も「最高だ」とも「最悪だ」とも言わず、ただ「この映画を見た」とだけしか言おうとしない。いったい面白いのかつまらないのかさっぱり解らないのがとても気になっていたのだ。まあ確かに、宮崎の映画はどれも同じようでいて、その出来不出来に関してはおおよそ3つに分類される。つまりは「カリオストロの城」や「ラピュタ」のような絶賛系、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」のような賛否両論系、そして「紅の豚」やこの「千と千尋」のようなとりあえず誰も「見た」としか言わない系。これらは私個人の周囲の意見、さらに言えば今まで自然に耳に入ってきた意見だけをまとめただけの主観的な解析なので、それはちょっと違うのではないかという人も多いかと思うが、とりあえず俺的にはこの「千と千尋の神隠し」はとても素晴らしかった。見終わった後、ビデオを巻き戻して、もう1回見てしまったくらい良かった。そのあと深夜ひとりでもう1回見てしまったくらいよかった。ああ、ひとりで見ると意外と泣けるねぇこの映画。
 映画が終わり、仕事をしながら、周りの書類や何やらをちょっと整理した。そしたら出てくる出てくる、保留になっていた仕事、とっくに終わった仕事、未払いの請求書。落ち着いて整理したら意外と簡単に机の周りがすっきりした。すっきりしたと言っても、これを読んでその後に事務所に来た人につっこまれる前に言うが、見た目はあまり変わっていない。ただ自分に残されたやるべきことが明確に輪郭を現した見えない構図が俺だけにははっきりと見えるようになっているということなのである。
 年末だというのに、いやだからというべきか、運の尽きというか、糞づまりというか、トイレがつまった(なにを言っているのだ俺は?)。大量にうんこをした後、仕事をしていたら、しばらくしてトイレに入った悠里が悲鳴をあげた。「トイレがつまってる! 何とかして!」うるさいので、俺は立ち上がった。台所のしたの戸棚からビニール袋をふたつとりだし、2重にして手にかぶせた。「な、なにをするの?」疑問を投げかける悠里に説明する。「これで流れないデカいうんこを刻むんだ。ふんきざみみってやつだ」「わからないから、行くわ」呆れて悠里はその場から消えた。俺は便器の茶色に染まった水のなかに、手刀をたたきこんだ。うんこはなかった。どうやらすでに流れて奥につまっているらしい。俺がトイレを詰まらせるときは、いつもこの手で解決してきたのだが、計算が狂ったらしい。こんな中途半端な流れ方をするうんこは今までしたことがなかった。俺は手から袋を外し、丹念に別の袋にくるんで、事務所の外に出しておいた(後でコンビニのゴミ箱に捨ててきた)。上の自宅から名称は解らないが通称“スッポン”を持ってきて(わかるよね)、それでスッポン、スッポンと、2回スッポンして、それで万事解決だった。
 これでいい新年が迎えられそうだ。


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