非幻想異端的日常
2003年 1月 1日 (水)
 仕事をしながら年を越した。ネットの仕事をしていると、年明けの瞬間はなにかと忙しい。運営しているホームページで新年のご挨拶をしなければならないからだ。よく正月にネットサーフィンをしていて、ホームページのトップページに「謹賀新年」だとか「明けましておめでとうございます」だとか「本年もよろしくお願い申し上げます」だとか書いてある、あれである。うちくらい運営しているホームページが多いと、とてもすべてには気が回りきらないので、1部のホームページだけでそれをやった。個人的に運営しているサイトは非営利なので、とくに何もやらなかった。
 かように、年末年始といっても、俺にとってはそこいらに転がっている普通の1日と変わらない、起きて、めしを食って、仕事して、といったものであった。皆が年末年始だとか言って騒いでいるのを横目に、ひとりスーツを着ていつものように淡々と仕事をしているというのは、ある種の優越感のようなものを感じさせるが、街を歩いてみると何のことはなく、歌舞伎町などは特にこの時期に働いている人間であふれている。
 一応年末らしいこととしては、年越しそばを食べた。食べたのは歌舞伎町のそば屋だった。そばを食べる前に、日本酒を飲みながら天麩羅を食べた。その後、閉店する前にスカラ座で最後にコーヒーを飲もうと思ったのだが、なぜかスカラ座の出入り口からおびただしい行列が出来ており、この寒いのに並ぶのは嫌だったので、外からお別れを告げ、他の喫茶店に入った。キャラメル・ラテを飲んで、テレビでイノキ・ボンバイエが始る前に、事務所に戻った。
 ベルナルドはあぶなかったが、よくやった。グッドリッチは惜しかった。吉田もよくやった。佐竹もいつもよりは多分よくやった。ミルコは強かった。安田は健闘したが、弱かった。ちなみにあのタオル投入は、テレビ放映時間の都合で圧力がかかったのではないかと思えるくらい、不自然な気がしたが、いかがなものだろう。高山は最初でミスった。ボブ・サップは相変わらず。ではなく、意表をついた腕ひしぎ。ほほえましいじゃありませんか。ちなみにあの腕ひしぎは完全には決まっていないような気がしたが、レフェリーが試合を止めたのはまったく異論を感じないほどボブ・サップの力量が圧倒していた。とにかくみんな頑張ってるね。
 新年が明け、悠里が近所の熊野神社に初詣でに行くというので、ついていった。俺は俺教の教祖であり信者なので、そういった宗教的な理由により、基本的には初詣ではやらない。第一、幻想異端者に初詣では無用である。それにしても外は寒かった。神社には、深夜デートかイベント気分でわいわいと、おでんを食ったり、酒を飲んだり、携帯で馬鹿な話をしていたりする若者であふれかえっていた。用事をすませ、腹が減ったので帰りにAMPMに寄って、タラコスパゲティとネギとろ巻きと納豆巻きとキュウリと卵とツナのサンドイッチと森永のホワイト・チコレートを買い、事務所に戻って「タイムボカン」や「千と千尋の神隠し」のビデオを見ながら食べた。ちょっと仕事をして、寝た。まことに完全無欠の年越しであったといえる。

2003年 1月 2日 (木)
 朝10時半頃、まだ寝ていた時分に、妹の静香と父上から電話。新宿にいるので一緒にめしを食おうと誘われる。昼12時に西口で会う約束をして電話を切った。朝まで起きていたのでまだ眠かった。30分ほど寝て、起きて着替えて出かけた。ふたりと会い、ルミネのレストラン街を暫くうろうろして、とんかつ屋に入った。ふたりは浅草に初詣でに行った帰りだった。「俺は初詣では行かないんだ」と言うと、「ああ、そんなもん、行く必要はねえよ」と父上。さすがこの男、話が解る。めしを食いながらお互いの仕事などを語りあう。
 「それでお前、有限会社にしたのか?」
 「うん。したよ」
 そう言えば、おととし個人事業として会社を設立したとき、父上が「300万円くらいやるからさっさと有限会社にしろよ」と言っていたのを思い出した。
 「あれ、けっこう期待してたんだけど、なかなかくれないから自分で銀行から借りてやったよ」
 と皮肉まじりの冗談を言うと、カカカと笑っていた。
 食事が終わり、すぐに別れた。
 悠里と待ち合わせをして、原宿に行った。遊びにではなく、原宿駅前のハイパービジョンで、俺が運営しているサイトのコマーシャルが流れるので、それをチェックしに行ったのだ。原宿駅に到着するなり、いきなりCMが流れていて驚いた。すかさず辺りを見回す。画面を見ている通行人は数えるくらいしかいなかった。これで効果があがるかどうかは疑問に思えた。
 CMは15分おきに流れる予定なので、動画デジカメをかまえて15分待つ。ぴったり15分後に、再びコマーシャルが流れだした。俺はそれを、動画デジカメで撮影した。これで用事は終わりだった。
 ついでに原宿の街をブラブラしていきたかったのだが、悠里が原宿の空気にどうしても馴染めないと言うので、すぐに新宿に帰った。悠里の昼食につきあって、新宿駅南口のレストランでマンゴージュースを飲んだ。
 事務所に戻る途中、ワシントンホテルの前で、つきたての餅を配っているのが目に止まる。その場で杵と臼で餅をつき、大根おろし、きな粉、汁粉、雑煮の4種類にして無料で配っているのだ。つきたての餅など滅多に食べられないので、列に並んだ。俺はきな粉、悠里は汁粉の列に並んだ。汁粉の列の方が空いていて、俺がまだ並んでいるあいだに、悠里は餅を手に入れ、食べはじめていた。餅はどんどん数が少なくなっていた。俺は餅がもらえるのか少し不安になってきた。悠里は美味しそうに餅を食べている。俺の前に並んでいた奴の番が回ってきた時点で、餅はふたつ残っているだけだった。ギリギリだったが、餅は俺の番まで回ってきそうだった。
 ところが、残っているふたつの餅が、くっついている。餅を配っている着物姿のお姉さんは、それを切り離そうと、必死に箸をつかってもがいていた。しかし、なかなか餅は離れない。
 とうとうお姉さんは餅を切り離すことを諦め、くっついたふたつの餅を、一度に前に並んでいた奴の皿に乗せてしまった。それで終わりだった。
 また再び餅をつきはじめるそうだが、次に餅が配られるまで15分以上は待たなければならない。俺は馬鹿馬鹿しくなってその場を後にした。どうせ15分待っても、たまたまものすごく小さな餅だったりして、がっかりするのが落ちだ。なぜなら、悪いことは続くからだ。最悪の気分だった。正月早々、うまそうな食い物を逃すなんて、ついてなかった。今年は最悪の年になりそうだ。
 寝不足であちこち歩き回ったので、とても疲れていた。事務所に戻って横になったらすぐに眠くなり、それから夜10時すぎまで眠り続けた。起きると仕事を始めた。悠里が腹が減ったというので、ピザを注文。深夜、ピザを食べながら、テレビでベルトルッチの映画「リトル・ブッダ」を見た。あまり面白くないので、ビデオで「ネクロマンティック」をちらちらと見ていた。「リトル・ブッダ」が終わり、「エマニュエル夫人」がはじまった。最初の方をちょっと見た。いい映画だ。青春の象徴である。今年はいい1年になりそうな気がした。

2003年 1月 3日 (金)
 金が無くなってしまったので、1日中どこにも行かないで事務所でじっとしていた。
 事務所では、仕事をしたり、ビデオを見たり、食って寝たり、北方謙三、ブリア・サヴァラン、宮沢賢治、山本周五郎、荘子、孫子(ギブチュー版だぜ!)、リチャード・カールソン、アルフレッド・ジャリなどの本を拾い読みしたりして過ごしていた。なんかこう、グッとくるような面白い本ないかなぁ。

 ビデオで大昔にケンちゃんにダビングしてもらったホラー映画「ジェイコブス・ラダー」をやっと見た。なかなかよくできた映画だが、最近の俺はこういうジャンルの映画にどうしても興味がもてなくなってしまったので、そのぶん、気持ち悪いシーンが鼻についた。仮に気持ち悪いシーンをすべてとっぱらって、この雰囲気をキープして、同じストーリーで映画をつくったら、たぶんとても気に入っただろう。

 深夜、仕事のあいまに『孫子』を読みながら、「理想の指導者とは?」なる問題について浅く考えをめぐらせた。まず、孫先生のおっしゃるとおり、矛盾したことを言わないということは大事である。俺はよく自分で言ったことを忘れるらしいので(自覚はないが、よく人に指摘される)、記憶力が散漫だったり頭が不明瞭な状態でものを言ったりするのは直りそうにないが、その都度気をつけて基本理念を外れないような意見を正確に伝えることを心掛ければ、ある程度カバーすることは可能であろう。あと印象に残った言葉は、「前方を死地として軍の団結を促し、後方に生地を確保して戦局の変化や万一の退路に備える」といったもので、これは俺の仕事への姿勢と照らし合わせて考えるとたいそう奥深いものがある。
 ちなみに俺が読んでいる『孫子』はかの三国志の曹操が注釈を加えたものが随所に挿入されているのだが、孫先生が「戦争はなるべくやらないに越したことはない」と書いてある所へ、曹操が「相手国が自国より弱い場合はいいじゃないか」と注釈をしているのが曹操らしくて笑えました。

2003年 1月 4日 (土)
 年賀状が何枚か届いた。今年は俺は年賀状を出さなかった。出そうとは思っていたのだが、以前ここにも書いた通り、羊年というコンセプトからは何の想像力も働かず、市販の印刷されたものを使用する気にもなれず、結局絵柄が決まらないまま、中途半端なものを出すよりはということで、出さなかった。出しそびれた。
 仕事始めが近づくにつれ、忙しくなってきた。
 今月、でかい取り引きがあるので、その契約書制作に追われている。追われていると言っても、たかが契約書1枚作成するだけのことだが、あまりこういったものは作り慣れていないので面倒臭い。とりあえず事務所のあちこちにある契約書の類いをひっぱりだし、それらを参考にして、ひとつひとつ漏れがないように項目を埋めていった。これに限らず、この休み中は書類作成や資料制作のような仕事が多かった。
 夜、レンタルビデオに行って、「タイムボカン」とインド映画「地獄曼陀羅アシュラ」とジム・キャリーの「マン・オン・ザ・ムーン」を借りてきた。外はもう死ぬかと思うくらい寒かった。コンビニでエースコックのカップラーメンと赤飯のおにぎりとハチミツ&マーガリンのコッペパンとみたらし団子を買って、食べながらインド映画「地獄曼陀羅アシュラ」を見た。
 すげえタイトルだが、ビデオの表紙もすごい。インドのドゥルガー女神の何ごとかと思うような怒り狂ったド派手なイラストが描かれている。裏の解説には「超過激!」「インド各地で上映禁止」などと書いてあった。期待してみたのだが、超過激ではなかった。ある意味すごい映画だとは思うが、楽しめたのはむしろ最初の方にあった明るい普通のインド映画にあるようなミュージカル・シーンで、全体としてはあまり面白くなかった。不幸のどん底に落とされた女性の血も凍るような復讐劇にするのなら、もっとこう、ラストは徹底的にいろんな手を駆使して、グチャグチャに切り刻んで痛い目にあわせて泣き叫ばせてぶっ殺してしまわないと、ここまでひっぱってオチがこれではスカッとできず、後味の悪さしか残らない。音楽の使い方とか細かな演出の妙は結構イケてるんだけどなぁ。
 「タイムボカン」は面白かった。

2003年 1月 5日 (日)
 寝る時間と起きる時間は遅くなる一方で、睡眠時間が日増しにずれてゆく。最近では、昼間に寝て、夜起きるということも珍しいことではなくなった。昨晩も眠れず、一睡もせずに起きていて、昼間1時間ほど眠っただけだった。夜は墨森先生達の新年会があった。
 昼食にうどんを食べたら爆発的に眠くなったので、暫く眠気覚ましに散歩をする。喫茶店でココアを飲んだ後、紀伊国屋に寄った。「一個人」という旅の雑誌を見つけた。そういえば数カ月前、俺はこの雑誌の広告を制作したのを思い出した(2002年10月28日の日記参照)。探してみるとあったので、記念に買う。
 事務所に戻って数時間仮眠をとり、新年会に出かけた。どこで飲んでいるのかと思って編集長に電話をすると、ルノアールでコーヒーを飲みながら歓談しているとのこと。喫茶店で新年会とは此れ如何にと思ったが、とりあえずそこへ向かった。頭は何かヤバい薬をやってみたいにボーッとしていた(実際にはやっておりません)。
 ルノアール会場には墨森先生、編集長、ジャン・ヴォルニロック氏、編集長夫人と、初めてお会いするその御息女がいた。ちなみに編集長の御息女の名前は以前から俺はウランちゃんだと思っていたのだが、本当の名前は1字違いの勘違いだったということが本日判明した。でもウランちゃんの方が編集長の御息女らしいよなぁ。ちなみにこのルノアールは忘れもしない、昔友達だったAV男優のポンプ宇野氏と初めて会った場所なのだった。今頃どうしているのかしら。
 ルノアールの後、泉焼肉市場に行き、焼肉を食べた。この店で食事をするのは3週連続である。
 新年会では編集長と次の幻想異端文学大賞について話し合い、ジャン氏と女性問題について語り合い、墨森先生と格闘技の議論をし、編集長夫人と三谷幸喜の話題に花を咲かせ、編集長の御息女とじゃんけんをして遊び、11時ちょっと前に皆と別れた。
 洋服が少なくて毎日が寒かったので、帰りに歌舞伎町のドンキホーテでトレーナーを2着買い、事務所に戻ってテレビで新日本プロレスを見て寝た。

2003年 1月 6日 (月)
 調子が悪くて起きれず、夕方まで蒲団をかぶっていた。来客があるのでいつまでもそうしている訳にもいかず、5時すぎ身体をおこして支度をした。モデル兼広告代理店の社員をしている青年実業家の掛川悠氏が、悠里と通販サイトを企画しているとかで、ミーティングにやってきたのだ。俺はそのサイト制作の、技術担当者としてクレジットされている。
 ファッションの話はよく解らないので、ミーティングは二人の話を適当に聞きつつ、意見できるところは意見するような感じで進んでいった。夕食は三人でパークハイアットの串揚げ屋さんで串揚げを食べた。それなりにうまかったがちょっと高くついた。
 夜、ビデオでジム・キャリー主演の映画「マン・オン・ザ・ムーン」を見た。これはアンディ・カウフマンという実在したコメディアンの伝記映画で、脚本はかの伝記映画の名作「エド・ウッド」と同じ人らしい。さすがに伝記映画の王道をゆく傑作だった。
 俺はこれでもコメディ・マニアのはしくれであるが、恥ずかしながらアンディ・カウフマンというコメディアンは知らなかった。映画のなかで、ジム・キャリー演じるアンディが、かのアメリカの有名コメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の第一回放送に出演するシーンがあったが、それを見てはたと思い出した。俺はこの実際の番組を見たことがある。そうか、アンディ・カウフマンとは、あいつであったか。
 当時のアメリカでアンディ・カウフマンといったらそれなりに有名ではあったが、決して一流の人物というわけではなく、彼よりも有名なコメディアンはたくさんいた(俺が知らなかったわけだし)。しかも人気があった期間もそれほど長くはなく、その笑いは万人に理解されるようなものではなかったため、じきに干されて不遇のうちに死んでしまった。むしろ彼は、この映画で初めて全世界に脚光を浴びた人物だと言えるのだ。第一、ジム・キャリーの名演技といい、映画の出来といい、本物のアンディ・カウフマンやその人生をこの映画は見事に超越してしまっているではないか。昔、ジョン・ベルーシの伝記映画を見たことがあって、あれは下手なベルーシの物真似を1時間半見せられただけで終わる駄作であったが、あれと比べるとアンディ・カウフマンは実に運のいい男だ。
 あと面白かったのは、「サタデー・ナイト・ライブ」のプロデューサーであるローン・マイケルズや、人気テレビ番組の司会役で有名なデビッド・レターマンの役を、当時よりもずっと老けた本人が演じていたことである。20年前当時の彼等を知っているだけに、本人なのに違和感があるという、訳の解らない異次元感覚が味わえた。
 まあとにかく、コメディ・ファンのバイブルのひとつとしてぜひ記憶にとどめておきたい傑作であった。

2003年 1月 7日 (火)
 今日はわが社の仕事はじめ。年末年始も仕事をしていたので、さすがに俺だけは正月ぼけはないかと高をくくっていたのだが、見事にぼけていた。
 本当に今日、みんなが再び出社してきて、あちらこちらの代理店から電話がかかり、締きりに追われ、新たな仕事が舞い降り、すべてが動き出すだなんて、とても信じられるものではなかった。ひとりで時間を気にせずのんびりしていると、例え仕事をしていても人間てのは怠け癖がつくものなのだということがよく解った。でもなんとか昼までには起き、出社した。たるんだ気分をひきしめるために、電話をかけまくった。そして銀行や何やらを駆けずり回った。
 何とか正月ぼけを克服し、調子良く仕事をスタートしたかと思いきや、やはりいろいろとトラブルは絶えず、夜は見事に死亡した。

 深夜、悠里大先生の蘇生技術(荒療治)によって見事に生き返り、ネットサーフィンをする。
 WWEの地上派放送が終了してしまったことが心残りで、WWE関係のホームページを観覧していると、どえらいものを見つけてしまった。
 アメリカのプロレスラーであるミック・フォリーの書いた日本語未訳の著書を、ファンがホームページで完訳しているのである。しかも3册ともだ。彼の本は俺も読みたくて、原書をAMAZONで注文しようかと迷っていたのだが、英語で読むのはとても疲れそうなので、躊躇していたところだった。アメリカではベストセラーになった本だそうだが、ミック・フォリーは日本ではマニアの間でしか有名ではないので(日本ではカクタス・ジャックというリングネームでカルト的人気を誇っていた)、訳出される可能性は低い。早速全ファイルダウンロードした。
 しかし世の中にはすごい方がおられるものだ。俺もあやかって、サド侯爵の未訳の著書でも訳してみようか。無理か。無理だな。

 そういえば、今日はなんだかんだで何も食っていなかった。
 現在深夜3時半すぎ。腹減ったな。今から米、炊こうかな。

2003年 1月 8日 (水)
 悠里がパチスロで4万円を儲けた。しかもたった2千円の投資でである。
 「夕食はおごるわ!」
 とのことなので、お言葉に甘えることにした。
 仕事で池袋→代々木→新宿とまわり、西新宿で悠里と待ち合わせして食事に行く。
 待っている間にまたパチスロをやったらしく、今度は3千円の投資で5万円が儲かったとのことだった。しめて今日1日で9万円。まったく、天才である。
 鉄板焼をごちそうになった。悠里は鉄板焼が初めてだったらしく、目の前で肉や野菜を焼くのがそんなに珍しいのか、たいそう喜んでいた。ステーキ、にんにく、ガーリック・ライスなどをぱくぱくと平らげ、どれも抜群の美味しさだった。
 帰り、悠里がレジで金を払うときに、店員さんに「今日はとても面白かったです」と素直な感想を言っていたのが微笑ましい。回転寿司に初めて行った人が「クルクル廻っていて面白いですね」と言うようなノリか。

 事務所に戻って、ビデオで「タイムボカン」を見た。
 最初の方のシーンで、いきなりマージョ達の前にどおくまんの漫画「嗚呼!!花の応援団」の青田赤道みたいな女子高生が現れ、「クエッ、クエッ」とやりだして、爆笑。
 タツノコ・プロとどおくまんの関連事情とは?

 続いてビデオで映画「イノセント・ブラッド」を見た。ジョン・ランディス監督の一風変わった吸血鬼もののホラー映画である。
 十年ぶりにジョン・ランディスの映画を見たが、いや〜、変わってないよな。映像がどこか漫画っぽくて、ひとつひとつのシーンがこじんまりとまとまっており、小気味好いがどこか単調で退屈。彼の映画はみんなそうだ。この映画、出来は悪くないかもしれないが、俺はあまり面白くなかった。
 あと途中、チョイ役でダリオ・アルジェントやサム・ライミが出ていて驚いた。特にダリオ・アルジェント、なんでこんな人がこんなところにいるんだ。

2003年 1月 9日 (木)
 静夜さんを連れて、広告代理店Iを訪問した。
 会社も法人化したことだし、新入社員も入ったことなので、今年は年始回りなどというものをしてみようかということになったのだ。かといって余り派手なことはしたくないので、特に付き合いの深い代理店を3つばかし、社員の紹介がてら、手土産でも持って新年のご挨拶に訪問するのである。
 新宿南口ルミネでケーキを買い、I社を訪れる。ここは女性3人でやっていて、以前はよく一緒に食事をしたりしたのだが、紆余曲折あって、今は純粋に業務上のことでしかお会いする機会がない。彼女たちとの関係は近ごろ苦手モードに入っていて、話しているうちにだんだん畏縮して冷や汗が出てくるのがわかった。静夜さんがうまく話をつないでくれたりして、とても助かった。
 とりあえずとりとめなくネットビジネスの話や近況を語り合って、逃げるようにそこを後にした。

 I社を出たあと静夜さんと別れ、悠里と合流して川越に行った。
 川越の団地を借りていたアスラが出ていったので、一応部屋をチェックするのと、アスラが残していった荷物を彼の実家に郵送する手続きをとりに行ったのだ。
 部屋に入ると、かなり埃臭いが一応は片付いてはいた。ゴテゴテと荷物の入ったでかい段ボールが机の上に残っている他、あちこちに彼の残した残骸が認められた。タクシーを呼び、重い段ボールをかついでコンビニまで持って行って、着払いで静岡まで郵送してやった。
 アスラが出ていったのはいいが、まだ家賃は半分以上貰っていなかった。この前、彼から送られて来たメールに「ぼくはきみとは違ってしっかりした人間だ」という台詞があって、死ぬほどむかついた覚えがあるが、まあ自分で言うのもあれだが、俺はしっかりした人間ではないかもしれないので、仕方がない。本当のことを言われると人間、むかつくものだ。
 とにかく、遅れてもしっかりと家賃は払ってくれるのだろう。

 川越に来たついでに、駅ビルのアトレの中華料理で食事をした。うまそうだったし、座った席は窓際で見晴しがよく、酒を飲みたい気分になったので、老酒を1合だけ飲んだ。外を眺めながら、老酒をひとくちすすると、仕事の疲れが癒され、生き返った心地がする。俺は幸せだった。
 料理はフカヒレ麺、角煮ラーメン、点心の盛り合わせを頼んだ。食ってみると、酷くまずかった。せっかくいい場所でいい酒を飲んでいるのに、これはないだろう、というくらいまずかった。これなら、化学調味料ドバドバぶち込んだような安っぽい中華料理の方がずっとましである。
 食後、ジャスミン茶を飲み、デザートに杏仁豆腐を食べて、新宿に帰った。

 最近俺は川越の古巣に帰ると、必ず昔読んだ本を持って帰って読み返すのが習慣になっている。
 今日はなんとなく赤川次郎の短編集「世界は破滅を待っている」を持って来た。赤川次郎である。赤川次郎はデビューして5〜10年くらいのあいだのいつかに線を引いたように作品から精気が失われ、つまらなくなった作家だ。そして俺は彼のデビューして10年くらいまでの100册以上の本を読破してしまったので、赤川次郎の本が読みたくなったときは、昔読んだ本を読み返すしかないのだった。
 赤川の本をおよそ20年ぶりくらいに読んでみたが、いま読んでみるとすごい作家だ。ストーリー・テラーとしての才能は見事だが、それに反して書き方に表現と呼べるようなものがひとつもなく、まるで脚本のように文字で話しを説明しているだけである。改めて読んでみると、ある意味これほど純粋な作風もないだろう。
 今さら赤川次郎もないものだが、それをあえて目を向けてみることによって、これはこれでひとつの究極に達した境地を垣間見ることができて感銘深かった。

2003年 1月 10日 (金)
 久々の早寝早起きだった。具体的には、昨晩は夜12時頃に寝て、今朝は朝8時頃に起きたのだ。
 テレビで「美味しんぼ」のアニメがやっていたので、仕事のあいまに見ていると、おいしそうにフナ寿司を食べるシーンが目に止まった。フナ寿司。俺はまだ食ったことがない。臭い食い物は好きなたちだと思うので、以前から食べてみたかった。10年ほどまえ、デパートの地下の名産売り場などを探して廻ったこともある。そう、今ではインターネットという便利なものがあるではないか。俺は10年越しの願望を叶えるために、インターネット検索で滋賀県の業者のサイトを見つけ、通販でフナ寿司を注文した。吟醸酒でいっぱいやりながら、食ってみるのだ。果たして俺は食えるのか。続報はいずれこの日記にて。
 まったく、ネット通販は便利だが、はまると実に恐ろしいものがある。なんだか先日からまた本が事務所にどかどか届き続けてるし。
 思い立ったら、ちょっとキーボードをたたけばどんなものでもすぐに手の届くところに現れるという魔力。気がついたらネット書店を徘徊してショッピングカートに本を入れまくっている自分がいたりする。一種の発作である。
 最近どかどかと届いた本の中に、鄭問の「始皇(シーファン)」という漫画があった。秦の始皇帝の物語だ。鄭問の全作品のなかで、俺はこの「始皇」の最初のエピソード「韓非子編」が一番好きだ。
 始皇帝の人生で俺が一番興味があるのが、彼と韓非の関係である。始皇帝は韓非の著作「孤憤」と「五蟲」を読み、その思想に感銘を受け、韓非を未だ見ぬ朋友と思い込む。その頃韓非は韓の地で文官として全く評価をされておらず、それを知った始皇帝は、韓非を韓から自国へ招聘する。韓では受け入れられなかった彼の思想は、秦では大いに歓迎され、秦帝国の政治の基本システムを成す根本となってゆくのだが、韓非自身はすぐに始皇帝の機嫌を損ね、ライバルの李斯の陰謀も手伝って、とうとう獄死してしまう。
 韓非は吃りの癖があり、人間的にもあまりパッとしない容貌だったため、始皇帝のような偉大で短気な人物が、例えその著作に感銘を受けたとしても、馬が合うとも思えない。そこに他の文官の、いきなりやってきた異人に対する嫉妬の念も重なれば、いずれ潰されてしまったのも不思議はないというものだ。
 そういった背景を踏まえて、この漫画では、始皇帝と韓非の関係を友情と疑惑の交差する見事な人間ドラマに仕立て上げ、そこに李斯の心の葛藤をからめつつ、壮大な悲劇へと昇華させているのである。始皇帝の深い悲しみを背負った残酷さ、そしてあの疑心暗鬼の固まりのような法家思想をものにしたとは思えないほど純情でお人好しな韓非。それらの人間悲劇を厚みのあるものにしている超絶的な画力。そして歴史に忠実にしてあっと驚く意外な結末。なにもかもが完璧だ。死ぬまで1億回くらい読み返そう。

 夜、ビデオでホラー映画「ロード・オブ・イリュージョン」を見た。監督はあのクライブ・ばーか、じゃなかった、クライブ・バーカーである。気持ち悪くて、本当に気持ち悪くなった。彼はデビュー作「ヘルレイザー」以来、どうもそれを超える作品が作れない、ビートたけしみたいな監督である。小説も数年前ひさしぶりに読み返してみたら、昔ほど面白くなかった。駄目だね、クライブ・バーカー。三流?

2003年 1月 11日 (土)
 年始回りで、池袋のZ社を訪問。有意義な話をいろいろと賜ったが、かなり疲れた。
 その後、大詰めを向かえたビジネスの話しで、西新宿のN社を訪問。大きな収入につながる仕事だが、忙しすぎてあまり実感がない。とにかく疲れた。
 その後、新しい制作の打ち合わせで、青山のC社を訪問。ここに来るのは久しぶりだった。急ぎの割にはまだ漠然としている仕事の概要について、ざっくばらんに打ち合わせをした。この仕事をどう処理してゆくのか、考えれば考えるほど目前の道は闇におおわれているが、落ち着いて正しい判断を怠らなければ何とか乗り越えられるかと思われる。
 その後、西新宿に戻り、仕事の資料の受け渡しでKさんと会う。そのまま流されて、宝来屋に飲みに行った。
 ここの串焼きの、「アブラ」というメニューが最近お気に入りだ。単なる豚肉の脂肪を串に刺して焼いただけのものとお見受けするが、こってりとした深い味わいがたまらなく、ウマイ。その他、各種串焼き、馬刺し、小袋刺し、牡蠣フライなどを食べながら、日本酒を飲んだ。
 Kさんはなんだか今日は元気がなかった。話を聞いてみると、最近ウン百万円で店を買ったらしい。それに百万円ほど上乗せして他に売ろうと思っていたのだが、そのアテがなくなってしまい、他の売り手を探すのか、自分で経営していくのか考えあぐねているとのことだった。広告代理店が、なにやってるのか。まったく、やくざな商売だよな、広告屋って。広告代理業というのは要するに、媒体の威光を借りて、業者から利益を吸い上げて身をたててゆくという隙間な商売だから、たまには業者みたいなことをやってみたり、媒体のプロデュースにも手を出してみたり、媒体と業者の狭間でふらふらと節操なく金になりそうで面白そうなことはとりあえず何でも手を出してみるみたいな人間が多い。俺もそのひとりか。
 軽く飲んだ後、西新宿でそばを食べた。立ち食いそばなのに、天麩羅をその場で揚げてくれ、そばも茹でたてを出してくれるとは、なかなか感心なそば屋だった。
 事務所に戻り、疲れていたので暫く寝た。
 夜11時すぎ目が覚め、返却日ギリギリのビデオを返していなかったのに気がつき慌てて急ぎの仕事を片付け、持っていった。6分遅くて、延滞料金を払わされた。懲りずにまたいろいろとビデオを借りてきた。
 最近、日記を書くのが1日づつズレている。

2003年 1月 12日 (日)
 ビデオでドキュメンタリー映画「ビヨンド・ザ・マット」を見た。これは、アメリカのプロレス業界の裏側にスポットを当てたノンフィクションである。最近アメリカのプロレスラーのミック・フォリーの自伝を読みはじめた矢先に、ふとレンタル屋で目に止まって借りてきたのだ。
 噂では、プロレスが筋書きのある嘘っぱちのショーであるということをあからさまに映像化した暴露映画であると聞いていたのだが、そんなもんではなかった。だいいち、プロレスがショーであるのは当たり前のことで、嘘の中に偽りのない真実の部分を見い出し、感動にうち震えるのがプロレスの醍醐味というものだ。そして、この映画はそんなプロレスの“真実”の部分にこそスポットを当てた、ドキュメンタリーなのである。真実の部分を描くには、お座なりにも嘘の部分にも触れない訳にはいかず、いわばこの映画で暴露されているプロレスの嘘の部分というのはその程度のものなのだった。
 本編ではアメリカ最大のプロレス企業・WWF(現WWE)のマクマホン一家の生態から始り、ECWのポール・ヘイマン、ミック・フォリー、テリー・ファンクなどのプロレスラーたちの、華々しいマットの向こうに隠された知られざる人生をカメラが追ってゆく。それらはどれも奇妙で異常な世界でありながら、涙なしには語ることのできないドラマチックで人間的な感動があった。特にクライマックス。ミック・フォリーが試合で、ついさっきまで家族ぐるみで楽しく会話をしていたロックを相手に、リング上で血ダルマになりながら死闘を繰り広げ、それを観戦するミックの家族が涙をとびちらせ泣き叫ぶ光景は、なんというか、壮絶なものがあった。
 プロレス・ファンのみならず、万人におすすめしたい名作である。

 ついにフナ鮨が届いた(一昨日の日記参照)。2尾あった。とりあえず一本、食ってみることにする。
 仕事を一段落させてから、もう夜明けも近づいた明け方5時頃、冷凍庫からフナ鮨を一尾とりだし、説明書通りパックのまま水につけておいて、コンビニまでひとっぱしり日本酒を買ってきた。日本酒を熱湯につけておき、おもむろにフナ鮨のパックを水から取り出す。フナ鮨にはなんと手術用の手袋がついていた。手に臭いがつかないようにとの配慮なのであろうが、このオブジェによって、得体の知れない度がかなり増す。とりあえず手袋をして、パックを開けた。中はさらにビニールに包まれている。開けてゆくにつれ、だんだんハアハアと息があがってゆくのはなぜだろう。ついにフナ鮨の本体が姿を現すと、異様な臭いがあたりにたちこめた。ホームページに「フナ鮨はすごく臭いと聞いていたのですが、思ったより臭いはきつくありませんでした」と読者の声がよせられていたが、俺は逆にそれらを読んでいて「思ったより臭くない」という先入観ができていたので、思ったより臭かった。包丁で細かく切って、皿に盛り、ちょっと醤油をたらして熱燗をちびちびやりながら食ってみた。最初口に入れてみたときはかなりしょっぱかったが、よく味わってみると独特の味わいがある。でもこれは珍味という他はなく、お世辞にも美味とは言えないものがあった。要するに、これは「魚のチーズ」だと思えばよいのだ。半分だけそのまま食ってみて、もう半分はお椀に入れて、熱湯をそそぎ、蓋をして2・3分待ち、最後に醤油をたらしてお吸い物として食べてみた。こちらの方が酸味が押さえられ、身も柔らかくなって美味しかった。これはご飯にかけて食ったら絶品であろう。もう1本はその線でいくか。
 食い終わって、なにげなく昔録画したプロレスのビデオを見ながら横になって休んだ。しばらくすると、口の中にほんのり残っているフナ鮨の余韻がまた食いたいと思わせる。こういう食い物はやはり後からくるものであろう。あまり上等なフナ鮨とは言えなかったが(冷凍パックだし)、とりあえず長年の願望を果たせたという充実感はあった。

2003年 1月 13日 (月)
やっと生活のリズムが修正され、夜寝て朝起きる生活にもどった。夜といっても夜遅くで、朝といっても昼近くだが、朝寝て夜起きていた先週までのめちゃくちゃな生活に比べたらだいぶましだろう。しかし戻ったばかりなだけに、昼間はなんだか頭がボーッとして、脳はまだ眠っているようだった。こうして文章を書いていても何を書いていいのか、ちっとも言葉が浮かんでこない。暫くはこの生活を続けるしか他にないだろう。午後4時、テレビでパンクラスの試合がやっていた。昼間にパンクラスの試合がテレビでやるとは頼もしい。久しぶりに近藤の試合を見れた。しかし団体のレベルは全体的にまだまだな印象で、突出した才能というのがなく、みんなドングリの背比べという感じがする。パンクラスはシステム的に将来への展望が明るいような気がするので、もっともっと大きくなってもらいたい団体のひとつだ。夕方、悠里と寿司を食いに行った。帰り、コーヒーを飲んで、帰ってこのあいだ借りてきたインド映画のビデオを途中まで見た。テレビで「お笑いに命をかけた昭和の爆笑名人大全集永久保存版」というのがやっていたのでちょっと見た。俺は格闘技番組以外あまりテレビを見ないのだが、こういう番組はもっとやってほしい。

2003年 1月 14日 (火)
 百万円以上広告費を滞納しているクライアントから、やっとウン十万円だけ回収する。事務所の前で彼と待ち合わせをして、金を貰った。迷惑かけて本当にすまないと何度も謝り、「キミんとこの会社は絶対につぶさないから!」と念を押して去っていった。本当にお願いしたい。微妙な人だ。彼のおかげで俺も微妙な立場に立たされている。
 “正確である”ことと“正しくある”ことは微妙に違う。常に正しい判断をするのは難しいことだが、正確さは失わないよう心掛けたいものだ。
 ちなみに現在、わが社でアルバイトを募集している。時給850円。週4日。1日4時間。女性のみ。誰かいないだろうか。一般公募するよりは、気心の知れた知りあいの方が良いのだが。イースはあなたを必要としています。社員登用制度あり(余裕が出たら)。
 悠里とデニーズに食事に行った。最初は鉄板焼でフィレ・ステーキとフォアグラを食べようと思ったのだが、悠里が鉄板焼の方角へ歩き出した途端、精神錯乱状態に陥ったので、起動修正したのだ。デニーズでは、目玉メニューとして、トリュフとフォアグラとキャビアをのせたフィレ・ステーキがあった。さすがだ悠里。鉄板焼よりもはるかに安い値段で同じものを導きあてるとは。俺はトリュフもフォアグラもキャビアも初めて食ったのだが、もう気持ち悪くなって吐きたくなるくらいうまかった。サイドメニューでラザニアを注文したのはちょっと余計だった。俺はコーン・スープをご飯にかけて食うのが好きなのだが、人に見られるとちょっと恥ずかしい。
 帰るといきなり下痢をした。その後、横になってうなっているうちに眠ってしまった。目が覚めたらもう夜中だった。やれやれ、これでまた昼夜逆転だろうか。

2003年 1月 15日 (水)
 千葉のクライアントが警察の取り締まりにあったというので、事情を伺いに行ってきた。どうやら一斉取り締りの憂き目にあったらしい。一網打尽じゃ仕方がない。警察は、忘れた頃にやっと来る。われわれ広告屋は収入減っていい迷惑だ。とりあえず店名を変え、今度は法律に違反しない形で営業を再スタートすることになった。ひとまず来月からはまた金がもらえそうである。
 ブックオフに寄り、安くて面白そうな本を物色。と学会の「トンデモ本の世界R」が100円で売っていたので買った。俺はと学会の山本氏のファンで、と学会の本は山本氏の文章以外は飛ばしてしまうのだが、彼の科学的に極めて理論的なツッコミぶりは実に気持ち良く、読んでいてストレス解消になる(別にストレスなどないが)。
 司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読みはじめて、劉邦の人物像に深い感動を覚えた。俺はこういうざっくばらんでとりとめのない人間は好きだな。頭の中には劉邦がUFOのごとく飛びまわった1日だった。俺は「蒼天航路」という漫画の劉備が好きで、漫画家の王欣太さんに直筆サイン入りの劉備の墨絵を描いてもらい、現在イースの神棚として事務所に額付きで飾ってあるのだが、これからはこの絵が劉邦に見えてきそうだ。もともと劉備は「高祖・劉邦の風格あり」と正史でも評されており、蒼天でもかなり意識的に劉邦のキャラをかぶせてあるのだが、特にこの墨絵に描かれているシーンの劉備が追っ手に捕まりそうになって、荷を軽くして逃げやすくするために自分の妻子を馬車から投げ捨てるというのは、まさに劉邦のエピソードを拝借したものなのだ。なるほど。俺の意識変化と周囲のオブジェはここでこうシンクロするものであったか。
 「うむ。この絵はこれから、劉邦である」
 事務所に戻った俺は、絵に手を合わせながら、誰ともなしにそうつぶやいた。

2003年 1月 16日 (木)
 今日も実に疲れた。
 目黒で団鬼六オフィシャルサイトの制作の件で、H社のS社長とM社のダンテ社長と打ち合わせ。今まで繰り返し行なわれたミーティングの問題点を克服し、出来ることを出来る範囲で効率良く進めてゆき、出来ないことは切り捨ててゆく方針で今後の展望が決まった。そうは言っても、なかなか一筋縄ではいかないこともあるかと思うが、何とか結果にしてゆきたいと思うしだいである。ダンテさんに第6回幻想異端文学大賞の話をしたら、「『花と蛇』で幻想異端文学は難しいでしょう」と言っていた。そうか、みんな?

 目黒の後、大塚で用事があった。大塚の先方に電話をすると、8時になるまで責任者が来ないので解らないという。中途半端な時間で、8時までウロウロしているには長過ぎ、いったん事務所に戻るには少々短かすぎた。少しでも仕事が進められるので事務所に戻っても良かったが、これからまた何度も駅から事務所までの距離を往復するには、外は寒すぎた。仕方がないので悠里を呼び、駅前で一緒にラーメンを食いながら時間をつぶした。食後、マクドナルドでココアを飲みながら話をしていると、猛烈にお腹が痛くなり、頭がボーッとして体調が悪くなった。彼女も調子悪そうだった。二人で無言でマクドナルドに座って唸っていた。
 8時になったので電話をすると、今日は都合が悪いので金曜日に来てくれと言う。さっさと事務所に戻っていればよかった。最悪だった。痛むお腹を引きずるように事務所に戻り、牛乳を飲んでぼろぼろの身体をベッドに横たえた。そのまま病んだ身体を癒すように、こんこんと眠った。

 朝6時頃起きて、事務所に出社すると、机の上にマキャベリの「君主論」の解説書と経営学の本が置いてあった。静夜さんからのプレゼントらしい。韓非子のファンである俺に、今さらマキャベリが必要なのか疑問だったが、経営学の本はさらに難を極める。俺の「空をもって力と成し、虚をもって量と成す」脳には難しすぎやしないだろうか。

2003年 1月 17日 (金)
 西新宿のN社に打ち合わせを兼ねて、請求書を渡しに行く。請求書の金額はなんと100万円。一発の仕事としては、今までにない大金である。しかしここから経費で3分の1が消え、もろもろの借金で半分が消え、あとは毎月の未収やら人件費やらで憂いの慰みを残すばかり。しかるにそれでも、嬉しい収入であるには違いない。素直に喜ぼう。有り難屋。
 そしたら夜、N社から「浅野さん大事件!」と電話がある。一瞬100万円の話がポシャってしまったのかと焦ったが、そうじゃなくて、請求書の金額に誤りがあったらしい。
 「ゼロがひとつ多くて、1000万円になってますよ。気持ちは解りますけどね」
 いつも書く請求書と比べてゼロの数がいつになく多かったので、間違えたようだ。いっそ間違えて振り込んでくれたらよかったのに(笑)
 まあとにかく、この金を生かすか殺すかは、今後のがんばりしだいである。

 深夜、フナ鮨をおかずに飯を食った。やはりフナ鮨は酒の肴より飯に合う。最後に残ったフナ鮨をお椀に入れて熱湯を注いで吸物にしたら、フナ鮨が多すぎてかなりしょっぱくなってしまった。ご飯にかけたらまあ食えた。
 最近、胃の調子が悪い。喫茶店に入っても、コーヒーではなくココアを飲むようになった。綿密に言うとココアも糖分が多分に入っているから胃に悪いのだが、コーヒーの比ではない。酒も暫くやめよう。

2003年 1月 18日 (土)
 最近、朝はきっちり午前中に起きて、テレビでアニメの「美味しんぼ」を見るのが習慣になっている。グルメ系の漫画としては「包丁人味平」には今一歩だが、これはこれでなかなか面白い。
 今日はこれと言って特別なことはなかった。外出予定はすべてつぶれたし。
 夜めしを食いながら「ラジュー出世する」というインド映画を見た。ヒロインの女性はいいせんいっていたのだが、歌と踊りがしぶすぎて、ちょっと退屈だった。
 書くことないなぁ〜。幻想異端文学連盟の更新でもするか。

2003年 1月 19日 (日)
 幻想異端文学大賞の締切が迫っている。困ったことに、まだほとんど何も書いていない。
 1万2千字ばかり書いたのもあるのだが、これは出だしから失敗し、違う角度から同じネタで書き直すことにしたので、結局現時点では果てしなくゼロに近い。
 応募された作品はまだ5作品には半分足りないし、既につぶらさんの要請で2・3日は延長されることが確定となっているので、今日から数日間の僅かな日数で如何に有効に執筆を進められるかにかかっている。
 2回連続でパスは盟主としてあるまじき体たらくと言われたが、それにしても盟主は必ず作品を提出しなければならないのだろうか?
 いやまたまた、そんなことを言って逃げようとする。

 Yahooオークションで「サタデー・ナイト・ライブ」のスチーブ・マーチン・スペシャルを見つけ、千円で落札。それが今日届いた。見た。
 スチーブ・マーチンは「サタデー・ナイト・ライブ」のレギュラーだったことはないのだが、常連ホスト(ゲストではない)であった。このビデオはそんなスチーブが「サタデー・ナイト・ライブ」に出演したコントの中から面白いものを集めたベスト版かと思っていたのだが、そうではなくて、彼がホスト出演した日の「サタデー・ナイト・ライブ」を2回分、そのまま収録しただけのビデオだった。だから全部のコントにスチーブが出ているという訳ではなく、またコントも特に面白いものが凝縮されているということもなかった。そういうわけで、ちょっと密度の薄さは否定できないが、スチーブの秀逸な異次元的ギャグセンスに何度か腹を抱えて笑った。
 スチーブもいいが、久しぶりにギルダ・ラドナーを見れて感動した。彼女は日本ではあまり有名にはならなかったが、アメリカでは女性コメディアンの金字塔とも言える人物で、他の女性レギュラーと比べても、彼女が姿を現しただけでかもし出される笑いのオーラはものすごいものがあった。まさにコメディーをやるために生まれてきた(もう死んだが)ような女性である。

 当サイトに「紫音ちゃんの分泌活動」という作品をアップした。
 面白いのでぜひ読みましょうね。

2003年 1月 20日 (月)
上野に行った。
アメ横を歩いた。
悠里が風邪をひいているらしい。
友達の店を訪れた。
ホームページの打ち合わせをした。

2003年 1月 21日 (火)
チャウ・シンチー監督・主演の香港映画「喜劇王」を見た。
いや〜面白かった。笑った。泣いた。死んだ。

2003年 1月 22日 (水)
ああちくしょう!!!
ボブ・サップの試合のテレビ見逃した。

2003年 1月 23日 (木)
 緑茶の飲み過ぎかどうかは知らないが、最近頭がおかしい。それはいいとして(よくないが)、健康に気を使ってコーヒーとコーラの量を控え、毎朝牛乳を飲むようになったのはいいが、金がなくて食生活がやたら貧弱になってきた。1日1食でお決まりのメニューが缶詰めと漬け物にご飯ばかりというのも、悠里に指摘されたのだがあまり理想とは言えない。金がかからず、料理もせず、身体にいい食生活を営むコツがあれば誰か教えてほしい(俺は少しでも調理に近いことをすると損した気分になり、途端に食事がまずくなるという究極の面倒くさがり屋で、そばを茹でる気にさえならないのだ)。ちなみにコーヒーにいつも入れているシナモンが切れたので、試しにカルダモンの粉末を入れてみたら意外とマッチしていて美味しかった。
 そんなわけで、緑茶を飲んで黒豆煎餅をぼりぼり食いながら、午前中は仕事をしていた。夜悠里と喫茶店でだべってから外出。三ノ輪に行った。夕食は帰ってから米を炊く予定だったのだが、三ノ輪で180円の激安ラーメン屋を見つけ(炒飯つけても370円、さらに餃子をつけても550円)、そこでラーメンと炒飯と餃子のセットを食べた。値段に違わずかなりチープな味だったが、不可解にもとてもうまかった。用事をすませ、まっすぐ帰った。帰りの電車で、石川淳を読んでいた。
 石川淳て初めて読んだのだが、こいつぁすげえ。実に見事な文章だ。「曾呂利咄」という短編など、全編「。」も段落もなく、14ページで一文だったりする。それでいて読んでいて窒息することなく一気にさらりと読める。なぜこんな素晴らしい作家が本屋を探してもどこにもないのだろう。古本屋でもほとんど見たことがない。ちなみに今読んでいる本は大塚のブックオフ(汚点)で五百円で買ったものだ。

 かのタツノコプロの名作アニメ「新造人間キャシャーン」が実写で映画化するそうだ。キャシャーンは特に好きなアニメではないが、近ごろタツノコプロに入れ込んでいる俺としては、ちょっと期待してしうような過ちを犯しかねない精神状態である。実写で映画化するのなら妥当なチョイスだろう。
 個人的には携帯電話やパソコンなんかを全面に出してほしくないよな。ロボットのデザインを多少実写的にいい案配に変更するだけでシチュエーションはあのまま映画化してほしい。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200301/gt2003012208.html

2003年 1月 24日 (金)
 事務所の椅子に座ったまま目が覚め、そのまま仕事をした。
 今日も外出はない。1日中椅子に座ったまま、メールを送ったり、調べごとをしたり、電話でややこしいことを話したり、ホームページを制作したりした。
 一度だけ、振り込みをしにATMまで歩いた。雨が降っていて、とても寒かった。
 夜はまた、椅子に座ったまま眠った。
 気がついたら痔が悪化していた。座りすぎが原因だろう。酒は暫く飲んでいないし、インド料理をはじめ、辛いものもごぶさただし。このままだと椅子に同化してしまいそうだ。今日悠里に半分ひきこもりだと言われた。まあ、ひきこもりの社長というのも面白かろう。このまえ読んだ須賀原洋行の漫画に、ひきこもり会社という風刺があったが、あれはまじでいいアイデアだと思った。
 幻想異端文学大賞の作品が何とか書けた。こんども気持ちいいくらいにすべりまくっている。参加賞は間違いないだろう。とにかくこれで4作品集まった。あと1作品。
 みんな、がんばるんだ。

2003年 1月 25日 (土)
 事務所の椅子で起きた。痔がひりひりしていた。
 夜、「千と千尋の神隠し」の録画スイッチを押して、でかけた。帰って、めしを食いながら、見た。夕食はコンビーフときゅうりのきゅうちゃんでご飯を食べた。
 「千と千尋の神隠し」、テレビでやったのはDVD版らしく、噂どおりやたら画面が赤い。きれいな田舎のファンタジーな映像美が台なしだ。画面調整をしないと見られたものではない。
 いや〜それにしてもいい映画だ。

 ケンちゃんにファントム・オブ・インフェルノというゲームを借りた。俺はゲームは基本的にやらないのだが、何ごとも経験である。本当はエロゲーといったものがやってみたかったのだが、Macで見れるのはこれしかなかったらしい。ゲームといっても、物語りをただ追ってゆくだけで、勝った負けたの問題ではなく、絵本を読むような案配である。ときどき自分でストーリーの方向を選択する場面がある。最近はこういったものが流行っているのだろうか。美少女ゲーム初の本格ハードボイルドって……何がなんだかさっぱりわからん。

2003年 1月 26日 (日)
 夕方、悠里と歌舞伎町へでかけた。韓国映画の「猟奇的な彼女」という映画が見たかったのだが、持っていた無料券が使えなかったので、諦めてめしだけ食って帰った。めしは歌舞伎町のはずれのチープな中華料理を食べた。かなりチープな味だったが、チープなりにうまかった。特にジューシーなそぼろ肉をかけたご飯は絶品。めしを食い終わった後、喫茶店でまずいコーヒーを飲んでいるとき、中華料理でレジの計算が間違っていて三百円ばかし多く金を払ってしまっていたことに気がついた。困ったもんだな。金ないのに。

 帰り、またレンタル店に寄ってビデオをいくつか借りてきた。「タイムボカン」は全部見てしまったので、今日は「デビルマン」を借りてきた。主題歌がやたらいかしている。脚本は辻真先だったのか。衝撃的だったのは「イヤモンとバウウ」の巻。デビルマンがイヤモンを縄吊りにし、鞭でしばたたくシーンがある。イヤモンの露出した片方の乳房がアップになったりして、子供のアニメとは思えないほど官能的な場面だ。見ているうちに、幼少の頃に受けた感動と興奮が甦ってきた。ひょっとしたら、これは俺が生涯で唯一胸をときめかせたSMシーンと言えるのではなかろうか。今度は「キューティーハニー」でも借りてきて、よく考えてみよう。

2003年 1月 27日 (月)
 久しぶりに気持ちに余裕がある1日だった。チャーミー石川さんをテレビで見るのも、腹が減ってめしを食うのも、ネットサーフィンをするのも、本を読むのも、ビデオを見るのも、何にも障害のない1日だった。人生はこうでなくてはならない。余裕のない生活は心を荒ませる。

 ビデオで周星馳(チャウ・シンチー)の映画「皇帝ミッション008(ゼロゼロパー)」を見た。笑いについていけなくて、あまり面白くなかった。これで周星馳の映画を見るのは4つ目だが、彼の映画は面白いものとつまらないものとの落差が激しい。「食神」などは同じく見事にギャグについてゆけなかったが、「少林サッカー」や「喜劇王」は死ぬほど笑えた。最近の作品の方が面白いものが多いようだ。

 第6回幻想異端文学大賞の作品がめでたく5作品集まった。これで「もうちょっと待って」コールがない限り、明日の締め切りは必定である。未提出のみんな、がんばるんだ。

2003年 1月 28日 (火)
 ペットボトルの緑茶を飲んだら、具合が悪くなった。頭痛がして、胸が気持ち悪く、身体がガタガタしているような気がする。ペットボトルの緑茶は基本的に飲まないのだが、たまたま飲んでしまったのがいけなかった。ペットボトルの緑茶はよく飲まれているようだが(人の家に行くとよく出てくる)、こんなものを飲んで本当にみんな大丈夫なのだろうか? 不思議で不思議で仕方がない。これほど身体に毒なものはないと俺は思っている。コーラより明らかに悪いと思う。ペットボトルでお茶が飲みたいのなら、爽健美茶にするべきではなかろうか。

 紹介されて、人と会うことになった。あまり面倒臭い仕事は増やしたくないのだが、紹介なので仕方がない。会ったのは、おじさんと、美しくて若い女性だった。喫茶店で一方的にしゃべりまくられて、話が終わった。一体なんだったんだ。

 ビデオでジム・キャリーの「ふたりの男とひとりの女」というコメディ映画を見た。こいつは酷い。こんなヒドい映画は久しぶりに見た。この制作者は客を本気で笑わせる気があるのだろうか。ツボを180度外した、ただ下品で下劣で下等で外道で残酷で酷寒なギャグの連続。頭がおかしいとしか思えない。いや、頭がおかしいに違いない。センスの滓も見当たらない。ジムがせっかく巧く演じているのに、ギャグがここまで下品で寒いと笑いたくても笑えない。ジムが可哀想だ。この制作者はもう映画を作るべきではない。いや、死ぬべきだ。いますぐ、死ぬべきだ。なんなら俺が殺してもいい。

2003年 1月 29日 (水)
 久しぶりに外回りで新宿を縦横無尽に歩き回った。そうしたら痔の調子が大分良くなった。近頃の痔の悪化はどうやら運動不足が原因だったとみえる。忙しいのでなるべくなら外に出ることなく、ずっと事務所で仕事をしていたいと思うのだが、たまには外出をするのも大事なことかもしれない。
 ここ二三日、人を紹介されたり、1年ぶりの仕事先から電話があったり、目まぐるしく新展開の兆しが見えている。あまり面倒臭い仕事は増やしたくないので、かなり微妙なところだが、手間はなるべく少なく儲かるに越したことはないので、巧く立ち回ってこなしてゆきたいものである。

 この頃珍しくネット通販で買物をしていない。一時期は毎日のようにあちこちの通販サイト(ほとんど本屋)をかけずりまわり、ショッピングカートに入れぐい状態だった。気がついたら毎日郵便受けを見るのが楽しみになっていて、外出する用事もないのに下に降りては郵便受けを覗くこともしばしだった。ところがここ1週間ほど何も買っていないので、郵便受けに商品が入っている可能性がまったくない毎日というのは、何とも寂しく思える今日この頃である。これは一種の病気だろうか。郵便受けの前に立ち、それを開けようとして、ああ、つまらないダイレクトメールか息苦しい請求書くらいしか入っていないんだろうなと思うと、生きる張りが無い。こんな文章を書いていたら、そろそろまた何かネットで買いたくなってきた。如何ともし難い。

2003年 1月 30日 (木)
 昨晩インターネットをかけずりまわって、無料の求人情報サイトに登録しまくったら、募集の問い合わせのメールが幾つか届いていた。求人広告の営業も幾つかきた。しかしいい人材を集めるというのは誠に難しい。

 事情があって資料としてタロットの本を読むべき状況になったので、紀伊国屋に行って、良さそうに見えた鏡リュウジという人の「タロット/こころの図像学」という本を買って読みはじめた。とても感銘を受けた。タロットの持つ従来の神秘性をぶち壊し、心理学的および歴史的見地から新たな神秘性を呼び起こそうとするという、タロットに関する書物を初めて読む俺から見ても実に画期的な内容だった。

 パソコンの調子が悪いというので、銀座のクライアントのところへ行った。パソコンはウインドウズなので、俺はあまり詳しくはない。この事務所にはもうほとんど行く機会がないので、ご挨拶がわりに遊びに行ったというに近いものがあった。そこの社長さんといつもしかめっ面の従業員さんと、インスタントコーヒーを飲んで煙草を吸いながら、パソコンを前にとりとめのない話をした。パソコンはひとまず調子の悪い原因と思われる要素を解明し、それに対する応急処置を提案しただけで、根本的な問題は解決できなかった。ウインドウズ嫌いの俺にはこれが限界である。

2003年 1月 31日 (金)
 明日は忙しいから、今夜は早く寝る。


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