非幻想異端的日常
2003年 2月 1日 (土)
 事務所の床で目が覚めた。支度をして、まだ午前中のいつもは寝ている時間帯に出かけた。銀行に行き、二百万円ばかりおろして、各方面に振込をした。今月の支払はだいたい終わったが、まだあと少し残っている。
 昨日仕事で百万円が入った。一発の仕事としては今までで最大級の高額だが、その次の日に二百万円支払いがあったら、元も子もないどころか、マイナスの極みである。ビジネスをやるって、こういうもんだ。それに扱う金の単位が大きいから、金の感覚が薄れがちになる。しかしここで使う金を数百円きざみで考えることができれば、ちゃんと金は残ってゆくのである。これはタイガー・ジェット・シンが教えてくれたことだ。

 午後イチで、都内のSM倶楽部に集金に行く。相変わらず経営が苦しい様子で、支払いは分割でいただけることになった。綺麗な女王様がいて、今日で入店二日目だったそうだが、「お店のために貢献してあげてください」と店長の代わりに頼んでやった。余計なお世話であったか。
 その後、新宿に戻って最近知り合ったS社のK社長と打ち合わせ。先日初めて知ったのだが、彼は十数年前マスコミを賑わした画期的なあの大人のビジネスの先駆者なのだそうだ。なるほど確かにそれほどのお方らしく、現在もたいそう面白そうなことをやっていらっしゃる。
 夕方の打ち合わせの予定がキャンセルになったので、先日から相談を受けていた、お世話になっている(お世話もかけられているが)S社長がテクノロジーの事でとても困っている件で、お手伝いに上野にかけつけた。ところが、S社長の方がまた都合が悪くなってしまい、そのまま何もせずに帰った。
 今日は朝から晩までずいぶんあちこち廻ったが、非常に中身が薄かった。

2003年 2月 2日 (日)
人助けで上野に行ったら、遅刻して、役に立てず、ウナギを御馳走になっただけだった。ウナギはうまかった。歌舞伎町で悠里と待ち合わせて、映画「アウトライブ」を見ようと思ったら、終わっていた。ヴェローチェでコーヒーを飲んで帰った。レンタル屋さんに寄ってビデオを借りてきた。「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を見た。作りはちょっと古かったが、面白かった。

2003年 2月 3日 (月)
 Amazon.co.jpでアメリカから取り寄せて購入したアンディ・カウフマンのビデオが届いたので、見た。先日アンディ・カウフマンの伝記映画「マン・オン・ザ・ムーン」を見たので(1月 6日の日記参照)、本人の姿を見てみたくなったのだ。想像していた通り、あの映画でジム・キャリーは、アンディのギャグを本人以上に面白く演じていたということが解った。

 レンタル屋で借りてきた「キューティーハニー」のビデオを見た。近ごろ古いアニメのビデオばかり借りている。「キューティーハニー」は幼少の頃、「デビルマン」などと比べてあまりしっかりと見ていなかった。好きではあったが、再放送の回数が少なかったことがその原因である。しかし今見てみると面白い。背景がドイツ表現主義とオースティン・パワーズを彷佛とさせるようなシュールなデザインなのが、意外な再発見だった。

 中島みゆきが紅白に出たビデオが見たいのだが、誰か録画した方はいないだろうか?

2003年 2月 4日 (火)
 眠れなくて、朝まで一睡もせずに起きていた。午後、2時間ほど仮眠をとった。
 夕方同じ時間に、事務所に2人も来客があった。来客などそうたびたびあるものでもないのに、珍しいこともあるものだ。
 六本木に行った。そこのTさんと話をしていて、偶然にも我々がこれからやろうとしていることに奇妙な共通点があることが発覚した。また新たなビジネス展開の兆しである。最近、多い。
 夜、帰って疲れて横になったらそのまま眠た。結局、今日はスニッカーズ以外、食事らしい食事をしなかった。

2003年 2月 5日 (水)
 用あって川越の実家に帰ってきた。ついでに本棚からコリン・ウィルソンの胡散臭いオカルト本と、初期の谷崎の文庫本などを持ってきてつらつらと読みはじめた。コリン・ウィルソンって、文章筋肉隆々な著作を数多くものにしているが、実際の所、読んでいて勉強になっているのか最もらしい理屈を目で追っているだけなのか、さっぱり解らない。ページをめくるにつれて次第に焦れったくなってくるところが魅力と言えば魅力である。

 夕方、知り合いのテレビ番組の外注ディレクターであるSさんから電話があり、ぜひ話がしたいという。事務所に呼んで話しを聞いてみると、えらいことを頼まれた。
 今度、某民放テレビのワイドショーで、ヤミ金融業者を扱ったドキュメントをやるという。そこで、俺にヤミ金融への突入取材をやってもらいたいというのだ。
 具体的には、俺が隠しカメラを装着して、ヤミ金融業者に金を借りに行く。寸前のところで「えっ! そんなに金利が高いんですか? じゃ、借りるのやっぱりやめます」と言って断る。怒った金融業者は「なんだテメェ! 冷やかしかよ!」と怒って俺を脅す。そこをばっちりカメラに納めてテレビで放映するという寸法だ。
 会社の社長になんてこと頼むんだ…。そりゃ、まだSさんと同じ事務所で仕事していたときの俺だったら、面白がってやったかもしれない。
 「他の人を紹介しましょうか?」
 「いや、こういう役ができるのは、浅野さんのように、恐い人に怒鳴られても屁とも思わない勇気のある人物がいいんですよ。なんとかお願いします」
 そう言われても困る。人に頼まれたことはなるべく断りたくはないのだが、こういう阿呆な仕事をいつまでもホイホイ受けていると、周囲の人間に対しても示しがつかない。やはり断ることにした。
 それにしても自分のことながら意外だったのは、俺は昔からこのテの仕事は面白がってやるタイプだったはずだ。ザッピー浅野は変わったか?

 ケンちゃんが「あずまんが大王」のビデオをダビングしてきてくれたので、夜むさぼり見た。ビデオには、テレビ放映の後半13話が収録されている。以前、前半13話のビデオをダビングして貰って、かれこれ4回は繰り返し見ていた。榊さんのファンである。笑い過ぎて仕事する気なくなるくらい笑った。

 そういえば先日は節分だった。一応豆まきをしようと思って前日から豆を買っておいたのだが、深夜になって腹が減り、全部食べてしまった。よって、今年の節分は豆まきをしなかった。恵方巻きも食べなかった。決まった方向を向いて無言でものを食べるというのは消化に悪そうで、どうしても性に合わない。俺には出来ない。恐らく一本食い終わるまでに気が狂うか消化不良で倒れていただろう。

2003年 2月 6日 (木)
 青山のC社の新事務所に行った。C社が移転して初めての訪問である。H社長と久しぶりにお会いした。さすが風水師の奥さんを持つH社長だけあって、事務所に入るなり、幾何学的に整然としたレイアウトのインテリアが脳に気持ち良く響いてきた。胡散臭いながらもこの技術は見事としか言う他はない。仕事の話をあれこれとした後、帰りに高価な時計をお土産に貰った。

2003年 2月 7日 (金)
 第六回幻想異端文学大賞の締め切りが延びている。前回の様に延びに延びてはいないが、今回も思ったよりは延びた。ジャン・ボルニロック氏に幻想異端文学大賞の締め切りはゴムの様に延びると掲示板でつっこまれ、心の底で何をと思ったのだが、何のことはない、今回も実に良く出来たゴムの如く延びまくっているではないか。実も蓋もないとはこのことである。
 とりあえず今週の土曜日が最終締切で、これ以上はもう延びません。

2003年 2月 8日 (土)
 今朝は妙に眠かった。起きるのが辛かった。

 スティーブ・マーチンとゴールディ・ホーン主演のコメディ「アウト・オブ・タウナーズ」を見た。あまり期待しないで見たのだが、それでも足りないくらいつまらなかった。スティーブ・マーチンがまともな演技をしたら意味がない。ゴールディ・ホーンは50歳超えているのにまだ可愛い。ジョン・クリーズが出ていて、彼のファンとしては、彼の名演技が唯一の華だった。

 まもなく締きりである。

2003年 2月 9日 (日)
 週刊文学文芸にアクセスできなくなっていた。サーバダウンかドメインの期限切れかと思い、ドメイン検索してみると、案の定、2月6日でドメインが切れている。夕方、編集長から電話がある。
 「まいったよ。ドメインの期限が切れているのにサーバ会社から連絡が来なくってさ〜」
 「時に編集長、幻想異端文学大賞の作品は?」
 「それどころじゃないんだよ」
 確かにそれどころじゃなさそうだった。

 夜、悠里とレンタルビデオ屋さんに行く。「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2」と「キューティーハニー」をカゴに入れ、あと一本を決めあぐねている最中、また編集長から電話がある。
 「まいったよ。サーバ会社と連絡がとれなくてさ〜」
 確かに土曜の夜では難しいだろう。
 「時に編集長。ビデオ屋さんにいるんですけど、オススメのビデオはありませんか?」と聞いてみる。
 「『小説家を見つけたら』という映画が良かったよ」
 「生憎、ショーン・コネリーは好きではないのです。インド映画か、中国映画か、コメディー映画か、アニメしか見ないので、そのあたりで」
 「そのあたりは、見ませんね」
 仕方がないので、残りは「グレートマジンガー対ゲッターロボ」を借りていった。カラオケで「ゲッターロボ」を熱唱する編集長の歌声が耳をよぎったのは言うまでもない。

 デニーズに寄って、ずわい蟹のクリーミードリアとスパゲティ・ミートソースと苺のミルフィーユガレットを食べた。ずわい蟹のクリーミードリアはあまりうまくなく、最後まで食べたら気持ち悪くなった。スパゲティを食べた後だったというのもあるが、基本的にずわい蟹とチーズは合わないのではなかろうか。苺のミルフィーユガレットはクレープ生地に生クリームや苺などが所狭しとのっかっているもので、先週も同じものを注文し、どうやって食べるのか悩んだ末、上に乗っている苺や生クリームをまず食べて、最後にクレープ生地を食べたのだった。今日は試みに最初からすべてをクレープ生地で畳み込み、特大のクレープのようにして手でむしゃむしゃ食べてみた。ちょっとみっともなかったが、この方がうまかった。コーンスープをご飯にかけたりするのもそうだが、時には恥を捨てないと、うまいものは食えないものだ。

 帰ってすぐに「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2」を見た。パート1と比較して、物語が滅茶苦茶、ジョイ・ウォンの撮り方がブス、アクションにスピード感が無い、と以上三点の理由により、つまらなかった。もうパート3は見ない。

2003年 2月 10日 (月)
 朝4時頃、RENEさんから電話があった。
 「やあ。この時間なら起きてると思ってたよ」
 「あのな…」
 「知ってるか君。夏目漱石が死ぬまであと15年しかないんだよ」
 「なにを言っている?」
 「だから夏目漱石は49歳で死んだんだよ」
 我々は34歳だった。
 「つまりあと15年で夏目漱石が死んだ年齢になると言いたいのだね」
 「いったい、どうするつもりなんだ」
 どうするつもりもなにも…。
 「そんなこと言ったら、堀江しのぶは23歳でガンで死んだし、夏目雅子は27歳で白血病で死んだぞ」
 「ずいぶん早く死んだもんだね。ちなみに夏目雅子と夏目漱石は親戚かい?」
 「違うと思うぞ」
 「君は何年くらい生きるつもりだね」
 「なるべく長生きしたいもんだね。一応、84歳くらいまで生きる予定だが」
 「そんなに生きたら疲れるだろう。長生きして何をするつもりだね」
 「創作活動に専念でもするかな」
 「何の創作活動かね?」
 「著述とか」
 「君は昔映画監督になると言っていたじゃあないか」
 「そうだ。俺は映画監督になるんだった」
 「どんな映画を撮るつもりだい?」
 「やはりコメディーかな」
 「コメディかね。だったら哲学者の人生でも撮りたまえ」
 「なんでそうなるんだよ」
 「哲学者の人生がいいよ」
 訳が解らない。
 「やはり哲学者の役は君かい」
 「僕は駄目だね。そうだ。墨森さんがいい。彼に哲学者の役をやらせたまえ」
 「いきなり墨森さんかい」
 「僕はチンピラの役をやろう」
 「普通、逆じゃないか?」
 墨森先生、すまない。
 「だから面白いんじゃないか。そうだ。綾さんにも出演させよう。彼女はパチンコ屋の姉ちゃんがいいな」
 「飛ばすな」
 「よしこさんは大学教授の役だ」
 「なるほど」
 「レナさんは大臣の奥さんだ」
 「なるほど。それで?」
 「君の二人の妹にも出演させるか。上の妹さんはキリスト教の宣教師。下の妹さんは禅の尼さんだ」
 「ストーリーになるのか、それで」
 「哲学者の墨森先生が借金に苦しんで、チンピラに追われるんだよ。そしてパチンコ屋に逃げ込む。そこでは綾さんが働いていて、宣教師と尼さんが禅を組んでいるのだ。そこへ、大臣の奥さんのレナさんがパチンコをやりにやってくる、というストーリーだ」
 「あーもーいーや」
 「即興で作った割にはいいストーリーじゃあないか。フィガロの結婚に匹敵する名作だよ」
 「そうか?」
 「哲学者はかく狂い、チンピラはかく狂い、パチンコ屋の姉ちゃんはかく狂い、宣教師はかく狂い、尼さんはかく狂い、大臣の奥さんはかく狂う。という訳だ」
 「大学教授のよしこさんはどこに出るんだよ」
 「それが問題だ。明日にでも彼女に電話をして希望を聞いておきたまえ」
 「そんな下らないことで電話できるかよ」
 「いいじゃあないか、君」
 「悠里は出ないのかい」
 「彼女はこういった危険な舞台に出すには忍びないので、助監督でもやらせたまえ」
 「なるほど」
 「半年後にはクランクインしたまえ。一年後には公開だ」
 「解ったよ」
 俺は電話を切った。
 映画化は難しそうだが、日記のネタくらいにはなったか。

 夕方、悠里を連れて青山のC社に行った。C社は広告代理店としての付き合いもあるが、最近は新しくジュエリーのお店もやっていた。H社長とその奥さんと会い、お茶を飲みながら石の話をした。悠里が感動していた。最近では例のない、充実したひとときだった。

 深夜テレビで黒沢清監督の「カリスマ」という映画がやっていたので、何となく興味をそそられ、途中からだったが、見てみた。黒沢清はどうでもいい監督のひとりだが、この映画はなかなか捨てたものではなかった。良く出来てる。このタイプの映画にしては、メリハリがあり、内容も比較的わかりやすい。

2003年 2月 11日 (火)
 今日は珍しくネット通販で2点、品物が届いた。
 ひとつはEasySeekで購入した「あずまんが大王」単行本全4巻。早速読みはじめて、笑った。もうひとつはAmazon.comでアメリカから取り寄せたコメディのビデオ「Gilda Live」。これはアメリカ最大の女性お笑い芸人であるギルダ・ラドナーのブロードウェイでのライブをドキュメントした劇場用映画で、監督はマイク・ニコルズである。英語はほとんど解らないが、ギルダの顔が見たい時にさり気なく見れるビデオがひとつ欲しかったのだ。ちょっと見てみたが、解らないながらも、それなりに笑えた。

 忙しくてなかなか第六回幻想異端文学大賞の作品発表ができない。みなさん、ごめんなさい。
 仕事の合間を見て着々と進めておりますので、もう少々お待ちください。

2003年 2月 12日 (水)
 第六回幻想異端文学大賞の全作品が発表された。今回は7作品。
 個人的には○○○さんの作品が一番いいと思った。

 今日は祭日だが、ケンちゃんは仕事がたくさんあったので、出社した。妹の静香と香織が新宿にやって来た。香織は旦那のトラさんも一緒だった。悠里も交えて、6人でめしを食いに行った。奴等はお好み焼きが食いたかったそうだが、混んでいたので、適当な居酒屋に入った。まずかった。めしの後、ちょっとだけカラオケをした。小学校の頃あれほど音痴だった静香の歌が上手くなっていた驚いた。

2003年 2月 13日 (木)
 眠い。最近忙しくてほとんど寝ていない。
 今日も忙しかった。朝まで仕事をした。
 ろくな日記も書けない状態である。

2003年 2月 14日 (金)
 アルバイトの面接がふたりやって来た。ひとりは中国人。日本語があまりうまくないので、電話受付の仕事は無理だと思い、その場で断った。フラッシュが使えてホームページ制作もできるようなので、外注スタッフとして使うかもしれない。

 ニューハーフの家に行った。いきなり小さな紙袋を渡された。中には、黒い箱が入っている。「なんですかこれは?」「バレンタインのチョコレートよ。義理チョコよ」…ガーン。ニューハーフに義理チョコを貰ってしまった。すごい体験だ。しかも、なかなかうまい。それにしても俺が何でニューハーフから義理チョコを貰わなければならないのだろうか。義理チョコなのか、本当に?

2003年 2月 15日 (土)
 久しぶりにゆっくり寝た。ゆっくり起きて、支度をし出社すると、うなるほど仕事が出来てて仰天する。俺を殺すつもりか。

 悠里からバレンタインのチョコレートを貰った。薔薇の形をした柔らかいチョコレートで、つまんだ瞬間、指に沈むがごとく溶けてゆく。口に入れると何とも言えない味がする。これが恋の味ってやつかしら。しかしなんでも、ホワイトデーは三倍返しだそうだ。

2003年 2月 16日 (日)
 最近どうも日記が書けない。書けないのなら無理に書かなくても良さそうなものだが、書くと決めた以上は何か書こう。

 今週末は仕事がたくさんあるので遊ぶ暇がない。

 こないだから毎晩少しづつやっていたアドベンチャー・ゲーム「ファントム・オブ・インフェルノ」が終わった。基本的に俺はゲームをやらないので、こういったものをやったのも初めての経験である。内容も絵もあまり俺の好みではないが、ストーリーが良く出来ていて、ちょっとハマった。

 夕方、また求職者が面接に来た。今度は女性である。人材としては悪くなかったが、よく考えたら昔ここで働いていた某女性に雰囲気が似ていて、実際に雇うとなると気が引ける。

 夜、悠里と某デパートで食事。バレンタインのお祝いということで、悠里のおごりである。7階のグルメ街に行き、さして迷うことなく懐石料理屋に入った。京都懐石料理という割には味が下品で、うまかった。中には「なんだこりゃ」と思うようなものもあったが、それも御愛嬌というやつである。随分なれないものを食ったものだが、たまにはこういうのもいいかもしれない。

2003年 2月 17日 (月)
 妹・香織夫妻が明日アメリカに帰ってしまうので、最後に食事に行った。地元・川越で義弟のトラさんと静香と母と5人で回転寿司を食った。普段こちらで通っている130円均一の寿司屋と違い、至極うまかった。
 トラさんと無茶苦茶な英語で格闘技の話をした。彼はアメリカ生まれのベトナム人である。格闘技が好きで、アメリカではプライドがやっていないので、レンタルで借りてダビングして持って帰るのだと言っていた。
 妹夫妻と暫しの別れを告げ、仕事の待つ新宿へと舞い戻った。

喜劇王の張柏芝 ビデオで張柏芝(セシリア・チャン)主演の香港映画「星願 あなたにもういちど」を見た。張柏芝は、俺がこの三十年で見た映画でもベスト・ヒロインに輝く「喜劇王」の飄飄(ピウピウ)を演じた女優である。彼女が出演しているというだけで見てみたのだが、普通の恋愛映画だった。「十人中九人が泣く」映画だと聞いていたのだが、十本映画を見て5本は泣く俺が泣く気にならなかった。俺にはちょっとクサすぎた。
 ちなみに画像は「喜劇王」である。

 朝4時頃やっと仕事が終わった。米を炊いて、ふりかけと味噌汁で少し遅めの夕食をとった。

2003年 2月 18日 (火)
 パソコンに向かっていた悠里の後ろ姿がつぶやいた。
 「最近のザッピーの日記、つまんねえなあ! このままだったらもう読まねえぞ!」
 ずいぶん乱暴な言われようだが、それは事実だった。自覚はある。書けないのだから仕方がない。しかし止める訳にはいかない。書き続けなければ、ゼロになってしまうからだ。ゼロはマイナスよりある意味たちが悪い。良いゼロというのも確かに存在する。しかしそこから何もはじまらないゼロは、いいゼロではない。例えば自殺。そう、俺が日記を書くのをやめることは、自殺をする行為に等しい。いや、書くことに魂を売った人間が筆を折るのは、自殺よりたちが悪い。なんかえらく大袈裟なことを書いているな。まあいいや。

 悠里に作品を読んで評価してくれと言われた。読んだ。
 「どうだった?」
 「うん。全体の構成はとてもいいよ。でも文体にちょっと問題があるね。例えて言うならば、うんこをした後、まだおしりにクソがこびりつているような文章だ」
 「とても解りやすいけど、もうちょっと綺麗な例えはできないの?」
 と怒られた。解っている。最近、俺は忙しすぎて疲れているのだ。だから脳漿が下らない言葉にあふれかえっているのだ。まあ、下らない言葉だけでも、出てくるようになってきただけマシかもしれない。それにしても俺は何故いちいちこんなことを書くのだろう。まあいいや。

 Yahooオークションで懐かしの名作「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」を落札したのが、今日届いた。早速見てみた。これは高校の頃、父上と映画館に見に行った映画だ。スティーブ・マーチンが初めて日本に紹介された記念すべき作品で、その他ビル・マーレー、故ジョン・キャンディ、ジム・ベルーシなども出演している。ストーリーは単純だが、ロックミュージカルとして非常に完成度の高い傑作である。今回の幻想異端文学大賞に出した拙作「華の穴」はこの映画の影響を少しだけ受けている。

 仕事が果てしなく増殖している。あたかも切っても切っても分裂して倍増するミュータントの如しだ。まあいいや。がんばろう。

2003年 2月 19日 (水)
 週刊モーニングに面白い漫画があったので、切り抜いてカナダのRENEさんに送った。数週間たって、電話が来た。
 「やあ。贈り物が届いたよ。2・3日前にお礼のメールを送ったんだが、届いているかね?」
 「届いてないよ」
 「そんなことはない。絶対に送ったよ」
 試しにその場で検索してみたが、メールは見つからなかった。
 「やはり届いてないよ。全メールから検索したのだから間違いない」
 「君は聖書を読んだことがあるかね?」
 「いきなり何だい?」
 「聖書にこう書いてある。『人は父母を離れ、男女は一体となるであろう』」
 「それがどうしたんだよ」
 「この言葉の意味が解った時、必ずやメールは見つかるであろう」
 「よく解らんが…」
 「そんなことで、よく君は『聖書』なんてテーマを出題できたものだな!」
 「ちょっと待てい」
 「もう一度言おう。『人は父母を離れ、男女は一体となるであろう』───この言葉の意味が解った時、必ずやメールは見つかるであろう。じゃあね」
 彼は電話を切った。相変わらず不可解な電話であった。暫く忘れて仕事に没頭していた。
 いきなり「はっ」と気がついた。
 悠里のパソコンを立ち上げ、メールソフトを起動し、削除済みアイテムの中を検索する。彼のメールはそこにあった。こんな英語のメール、彼女が気付く訳なかろう。どうつっこんでいいんだか。
 人知を超えたRENEさんの行動にはこれからも目が離せません。

2003年 2月 20日 (木)
 久しぶりにインド料理を食べに行った。
 えーと、それだけかな。

2003年 2月 21日 (金)
 さっぱり書くことがないから見たビデオの感想だけ書こう。
 俺は食後にビデオを見る習慣がある。食事をした後2時間は頭が働かないので、仕事が出来ないからだ。2時間は長過ぎるとよく言われるが、親が死んでも食休みというし、健康を考えたら食後はなるべくゆっくりするに越したことはない。そして2時間はビデオを見るのに丁度よい時間なのである。
 今日は「マジンガーZ対デビルマン」を見た。これは確か、小学生の頃に東映マンガ祭りで見たことがある。先日見た「グレートマジンガー対ゲッターロボ」はあまり面白くなかったが、これはなかなか面白かった。内容は、復活したザンニン将軍とシレーヌを、アシュラ男爵が利用して、マジンガーZを倒そうと目論む。そこでマジンガーZはデビルマンと力を合わせ、それを迎え撃つというストーリーだ。
 「マジンガーZは空を飛べないのが弱点だ。俺だったらマジンガーZを空から攻めるね」
 と不動明に指摘され、弓教授がジェットスクランダーを開発する下りは、なんかしびれた。ジャッキー・チェンの日本語吹替えと同じな兜甲児の声にもしびれた。まったく、役者が揃っている。

2003年 2月 22日 (土)
 またクライアントを紹介された。紹介紹介紹介。こうして仕事は果てしなく増えてゆく。
 場所は銀座。超ハイクラスなアダルトむけの某事業体である。そこの社長と会い、今までに例のない画期的なホームページの構想を聞かされた。黙って耳を傾ける俺は、もうどうにでもしくれといった精神状態であった。
 「制作費はいくらくらいになりますか?」と聞かれ、「そうですね。20万円くらいでしょうか」と適当に答えた。帰りに制作会社に寄って相談すると、だいたい50万から100万だと言われた。もうどうにでもしてくれ。観音開きでパンパンである。
 でも仕事が増えるのはいいことだ。誠心誠意、粉骨砕身やらせていただきます。

 知り合いから電話があり、あまりまともではないことを頼まれた。その後、別の知りあいから電話があり、偶然にもほぼ同じことを頼まれた。実は別の知りあいからも同じことを頼まれたことがあり、1年以上前からすでに実行してもいる。普通のまともな会社ではちょっと頼まれないようなことである。それがトリプルである。本当に勘弁してほしい。もうちょっと普通に生きようよ。

2003年 2月 23日 (日)
 週末。映画に行く予定だったが、悠里の体調が思わしくないので、食事に出かけるだけにした。
 久しぶりに泉焼肉市場へ行った。カルビ3人前、ハラミ1人前、キャベツの千切り、石焼きビビンバ、冷麺、ビールとコーラを注文した。アルコールを飲むのはずいぶん御無沙汰だった。カルビを焼きまくり、焼き上がった先からキャベツにくるんで口に頬張り、ビビンバをかき込み、ビールで流し込む。そうしているうちに、またたくまに肉もビビンバも胃の中に納まった。仕上げに冷麺を食べた。大変、美味しかった。食後、腹がいっぱいで動けなかったので、近くのドトールでコーヒーを飲みながら休憩をとった。
 帰りにレンタルビデオに寄り、またいろいろとビデオを借りてきた。事務所に戻ってそのうちの一本、スチーブ・マーチン主演のコメディ映画「オール・オブ・ミー」を見た。この映画はずいぶん前に、アメリカで見たことがあった。しかし英語がさっぱり解らなかったので、面白くなかった。最近検索してみたらかなり評判がいいので、もう1度日本語字幕付きで見直してみる気になったのだ。
 スティーブ・マーチンの芸を最も生かした演出を誇った監督といえば、カール・ライナーである。この「オール・オブ・ミー」はスティーブ・マーチンとカール・ライナーが組んだ4作目にして最後の作品である。前3作はスティーブの異次元的ギャグ感覚を最大限に活用した馬鹿映画であったが、この「オール・オブ・ミー」は打って変わってドラマ性を多大に重視し、スティーブの純然たる演技力で笑わせようとする渋い作りになっている。そして出来はかなり成功している。「スティーブ、いつまでも馬鹿やってんじゃねえぞ。そろそろまともな路線で正統派コメディアンとして羽ばたいて行ってくれ」といったカール・ライナーの親心が見え隠れする様で(気のせいかもしれません)、微笑ましくも笑わせる傑作であった。

2003年 2月 24日 (月)
 これを書いているのは2月28日である。やっと日記が書けるようになった。

 昼。小田急の地下にサンプルだけはうまそうな天麩羅屋があったので、悠里と入った。中は恐ろしく汚く、客は少ない。嫌な予感がした。出てきた天丼を見て、その予感は的中した。揚げたてではないことは明白な、ふにゃふにゃの天麩羅。小さな海老。苦いタレ。こんなまずい天丼は食ったことがなかった。糞よりもまずかった。狸に化かされてももっとマシなものを食わせてもらえそうだった。帰りのバスの中で、悠里が「気持ち悪くて吐きそう」と宣った。「よせ。口から糞をしたいのか」と諌める俺だった。
 
 夜。自主制作アングラ映像作品のお手伝いで、ホタルさんの事務所に行った。ホタルさんとその芸術活動に関しては2002年11月8日の日記を参照されたい。昼間から悠里の精神状態があまり思わしくなかったのだが、夜には少し回復し、笑顔で「いってらっしゃい」と送り出してくれたのでそれなりに安心して出かけた。
 ホタルさんの事務所には制作スタッフの若い青年、カメラマンの男性、SMのお姉さんが来ていた。俺はいきなり両性具有の役というのを頼まれた。まず全裸になり、全身にオイルを塗りたくり、透明なプラスティックの鎧をかぶり、最後にちんこを後ろに回し股間に挟む(小さい頃よくやったよな)。これがホタルさんのイメージするアンドロギュヌスらしい。あまりにもアングラすぎてコメントのしようがないが、面白いといえば面白い。
 打ち合わせの最中、悠里から調子が悪いと電話があった。心配だったが、皆に迷惑をかけるわけにはいかないので、無理をしないで休んでいるように言って電話を切る。暫くして、撮影に入る寸前になって、また悠里から電話。今度はさっきよりもさらに調子が悪そうだった。いや、調子が悪いなんてものではない。かなりヤバそうな雰囲気だった。悩んだが、芸人は親が死んでも舞台に出るものだという言葉を思い出し、踏み止まる。しかし気分は撮影どころではなかった。幸いというべきか、役はただアンドロギュヌスの格好で突っ立っていればいいだけだったので、心ここにあらずとも、撮影には支障はなかった。
 撮影が終わり、事務所に舞い戻った。そこには苦悩の形相で眠る悠里と、変わり果てた事務所の姿があった。
 よほど苦しんでいたのだろう。事務所の床には彼女が暴れた痕跡が阿鼻叫喚とちりばめられている。床には粉々に割れたガラスや茶わんの破片が散乱し、机や椅子はひっくり返り、ビデオや本は投げ出され、そして俺のPowerBookG4をはじめ、事務所に4台あるMacがすべて、水浸しになっていた。後で聞いたところによると、悠里はパソコンが花に思えて、植木に水をやるように、端からパソコンに鍋で水をかけていたらしい。会社の業務は一時的に壊滅状態になることは明白だが、一番の被害者は悠里であることには違いない。
 俺はひとまずどうしていいのか分からず、とりあえず瓦礫の中でぼんやりとアドベンチャーゲームをやって、破片のすきまに寝転んで眠った。

2003年 2月 25日 (火)
 昼頃起きて、ぼちぼち事務所をかたずけはじめた。パソコンは水浸しなので、ケンちゃんに電話をして、本日は会社を臨時休業にする由を伝えた。夕方あたり、一番被害が少なかった2台のパソコンを起動してみる。不安定ながら一応立ち上がる。俺は仕事をする気力が出ず、適当に過ごした。夜は早く寝た。

2003年 2月 26日 (水)
 今度我が社の経理部に会計ソフトを導入するので、会計ソフトの講習を受けに飯田橋に行った。本来なら経理担当の悠里も同行する予定だったが、まだ体調が完全に回復しておらず、俺ひとりで行くことになった。
 講習はなかなかよかった。
 夕方、仕事の打ち合わせで、上野の広告代理店Tに行く。パソコンは動かないのに、仕事はどんどん増えてゆく。
 事務所に戻る。結局、ケンちゃんのiMacは起動しなかった。俺のPowerBookG4は起動したが、電源がいかれていて、バッテリーが切れたらもう起動しなかった。ひとまずバッテリーが切れるまで、せっせとバックアップをとった。

2003年 2月 27日 (木)
 ヨドバシカメラでケンちゃん用にeMacを買ってきた。故障したiMacはアップルストアに持っていき、ハードディスクのバックアップを頼んだ。問題は俺のPowerBookG4である。アップルのサービスセンターに電話をすると、修理代は最低12万円だと言われた。それなら新しいのを買った方が早い。しかしそうも金は使えない。とりあえず後で考えることにして、暫くは悠里が使っていたiMacを使うことにした。俺もeMacほしいな。

2003年 2月 28日 (金)
 なんとかぼちぼち会社も動き出した。
 悠里がC社にお遣いに行くので、途中までついてゆき、その足で俺は六本木に行った。六本木の後、新宿南口でホタルさんと待ち合わせ、貸していたデジカメを返してもらう。先日の撮影はカメラワークがいまいちだったので、撮りなおしだそうだ。
 「こないだのはリハーサルってことで」
 わかりました。今度もがんばります。

 惨劇から数日がたち、ようやく仕事ができる精神状態になってきた。この4日間を振り返ってみると、俺もつくづく弱い人間なのだと実感する。この4日間、本当に打ちひしがれていた。自分でもあほかと思うくらい、沈んでいた。では俺は、いったい何に苦悩していたのか。しいて言えば、虚無感であろうか。4日前の事件は、俺の人生で最も無意味な出来事だった。無意味に人が傷付き、無意味に人が苦しみ、無意味に人が困り、無意味に人が疲れ、無意味な金を失った。何もかも無意味だった。こんな出来事も、いずれは意味あるものとして輝くことになるだろう。それが解っていても、気持ちまで割り切ることができない。それが俺の弱さの何たるかの本質なんだな。

 とりあえず悠里も元気になったし。仕事は日曜日からたまったままだが、明日からは徐々に片付いてゆくだろう。


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