非幻想異端的日常
2003年 3月 1日 (土)
 午後、出掛けた。どこへ出掛けたのかと言うと、ここには書けない。四次元の世界とでも言うしかない。時空の彼方へと旅をしてきたのだった。時空の彼方といっても、人間の感覚にして1日ほどの誤差である。

 さて、時空の旅の余韻も覚めやらず、夜ビデオで香港映画「金玉満堂」を見た。これは日本の漫画によくあるようなお料理対決の映画で、「包丁人味平」なんかの影響が色濃く見受けられる。馬鹿映画の一種だが、以前に同テーマを扱った周星馳の大馬鹿映画「食神」を見ていたので、かなり完成度が高い映画に見えてしまった。

 最近、アドベンチャーゲーム(AVG)というのに凝っている。通常俺はゲームをやらない主義なのだが、これは画面にグラフィックと文字が次々に流れてストーリーが進んでゆくといった仕様のもので、RPGよりもはるかにストーリー性があり、ゲームというよりパソコンの画面で絵本を読むといった塩梅である。長編小説1册分程度のボリュームもあり、毎日数時間プレイしても終わるまで数週間かかる。ストーリーの途中に選択肢があり、例えば「街へ出る」「家に帰る」のように、プレイヤーが主人公の行動を決められる部分が随所にあり、そこで何を選ぶかによって複数のストーリーに枝別れしてゆく。一般的に女性の登場人物が何人かおり、それぞれの女の子をヒロインとする伏線が用意されていて、各伏線には必ずそのヒロインとの濡れ場があり、その女の子をメインとしたエンディングに辿り着くとそのヒロインを攻略したということになるらしい。それらのエンディングに加えて途中に詰まらない終わり方をするエンディングがたまにあり、これが「デッドエンド」つまりゲームオーバーということになる。デッドエンドに辿り着いた場合は、その寸前の選択肢からまたゲームを続けてゆくことになる。同様に、ひとつのエンディングに辿り着くと、途中の選択肢に戻り、また異なるエンディングに向けて物語りを楽しめるという訳だ。なるほどなるほど。ゲームをまったくやらず、ゲームといえば「テトリス」や「ソリテリア」のようなものばかりだと思っていた俺としては、こういうものがあったのかという感じであった。これはゲームといっても、ある種の創作芸術である。出来の良いものになるとストーリーは面白く、ラストは感動的である。物語りとしての構成や完成度は概して小説と比べようもないが、登場人物への感情移入の度合いは一般的な小説のそれをはるかに凌駕する。moon.jpg現在俺がプレイしているのは「月姫」というやつで、これが同人での発売ながら結構売れたらしい。
 さあここで新たな計画を思いついた。俺もAVGを制作するのだ。かつて本サイトで人気を博した(してない)あの「ソドム1999」を、AVGとして復活させるのである。ジュスティーヌ、キリエム、ジュリエット、そしてオリジナルキャラなども盛り込み、それぞれに重圧なエピソードを大幅に追加し、本格的なAVGを目指す。今年中に制作を開始し、再来年には発売の運びで進めてゆきたい。制作参加希望者はザッピー浅野まで。→piza@po.jah.ne.jp

2003年 3月 2日 (日)
bafta_jackson.jpg 「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」を見に行った。映像がダイナミックで実に楽しかった。最初のやつは退屈だったけど、この2番目のやつは面白い映像の頻度が濃くて、よかった。退屈な部分はないわけでもなく、ちょっと寝てしまったのだが、後で悠里に聞いたら俺が寝ている間は面白いシーンはなかったそうなので、まあいいだろう。
 画像は監督のピーター・ジャクソンである。

2003年 3月 3日 (月)
 東京電力の集金で目が覚めた。お陰で久しぶりにチャーミー石川さんが見れた。
 久しぶりと言えば、久しぶりに洗濯に行った。そこでちょっとした悲劇が起こった。
 洗濯をしている間、ヒレかつを食った。ジューシーでうまくて、ご飯を三杯もお代わりした。ついでにキャベツもうまかった。
 夜は事務所の整理をした。そしたら数ヶ月前に紛失していた「あれ」が発掘された。どうせ見つかっても賞味期限切れでまずいと思っていたのだが、食ってみると、意外とうまかった。
 事務所がすっきりしたせいか、仕事はいつになくはかどった。忙しくて3週間もほっておいた仕事も、その気になれば十分で片付いた。
 夜更かしをして、明け方眠った。

2003年 3月 4日 (火)
 川越に行った。池袋に行った。本八幡に行った。東京駅に行こうとした。六本木には行かなかった。
 チョコレートを食った。ジャワカレーのチーズとにんにく入りを食べた。メロンパンとブラックココアデニッシュを食った。ピーナッツはまだ食べていない。
 法律に関する手続きと質問をした。旧友に騙されたお姉さんのグチを聞いた。集金をした。携帯電話が鳴った。仕事は相変わらず増え続けている。
 占いの本を読んだ。石川淳を読んだ。荘子を読んだ。経営学の本を読んだ。

2003年 3月 5日 (水)
 間違いなく俺の運気が堕ちている。最近嫌なことばかり。そろそろ床屋に行く時期だろうか。しかし髪の毛は数カ月前に切ったばかりだ。
 今日は外出がなかったので、1日中事務所で仕事をしていた。電話をたくさんした。また電話がたくさんかかってきた。明日と明後日はかなり忙しくなりそうだった。現在の我が社はどう考えてもパンク状態の一歩手前である。こんなに忙しいのに、金がなくて困っている。原因はあるクライアントの入金が停滞している為だ。今日計算してみたら○○○万円あった。これが全部回収できたら、さぞ余裕ぶっこいていることだろう。払ってほしいのはやまやまだが、それより彼の命が心配だった。
 明日の打ち合わせにむけて資料作成に追われている。追われているのは俺の精神である。資料作成は苦手だった。解らない人間に解らないものを解らせることほど難しいものはない。
 深夜になっても電話は鳴り続けた。お陰でカップラーメンは伸びまくり、見ていた変なビデオは中断された。

2003年 3月 6日 (木)
 今日も忙しかった。いろんなところに行き、いろんな人と会った。
 しかしここに書きたいようなことは何もなかった。

2003年 3月 7日 (金)
昨日に同じ

2003年 3月 8日 (土)
 チェコスロバキアのヤン・シュヴァンクマイエル監督の「アリス」という映画を見た。ルイス・キャロルのシュールレアリズム版といったところ。誰かが「不思議の国のアリス」の映像化でもっとも優れた作品と言っていたが、それはどうかと思う。アニメーションはチャチだし、アリス役の子は可愛くないし、同じようなシーンが続いて退屈だし、それでも我慢して最後まで見ると、意味のないオチで今まで見てしまったことを後悔する。バッド・ダウンゼント監督、クリスティナ・ドベル主演の「エッチの国のアリス」というポルノ映画があったが、あちらの方が幾らかはマシである。

 会社は相変わらずトラブル続き。広告の内容にミスがあり、謝りに行って帰ってきたと思ったら、今度は雑誌の掲載落ちが発覚した。雑誌の発売日だというのに、掲載されているはずの広告が掲載されていない。実は同じクライアントで3度目である。どうしてこういうことが起こるのだろう。

2003年 3月 9日 (日)
 休日だというのに、ケンちゃんは出社。それでも仕事は果てしなく終わらない。

aki_t01a.gif ここ数週間毎晩のように没頭していたアドベンチャーゲームが終わった。やっと終わった。このところ、俺はこのゲームにずいぶん引きずり回されていた。文章は冗長、CGは下手、物語はやや強引のきらいがあり、構成はベタである。しかし登場人物は魅力的で、どのエピソードも最後は強烈なエンディングが用意されている。
 俺はこの数週間、下手だ退屈だと思いつつも、ひとりでに生まれてしまったキャラクターへの愛着と話の行く末への興味で、ゲームを止めることなど露ほどにも思うことなく、パソコンの画面に向かい、膨大なテキストとCGの量を追い続けた。エンディングはしめて9個あったが、それらのどれもがショッキングで、精神にダメージを受けた。しばし鬱になり、キャラクターの顔が白昼夢のように頭から離れなかった。かなりの時間も食われた。そして得るものなど何もなかった。いや、得るものがない訳はない。意味のないことなどこの世にひとつもないからだ。
 これがオタクの魔力というものだろうか。なんでもこのゲームはアニメになるそうだが、俺はきっと見るだろう。しかしまあ何だ、萌えつきる前に足を洗うに越したことはない。

2003年 3月 10日 (月)
 とつぜん網さんが遊びに来た。彼は最近、本を処女出版したそうだ。名文・雑文入り乱れているが、面白いことは保証付きである。俺の名前もちょっとだけ登場する。こちらで購入できるので、ぜひ皆さんも買うように。俺は早速注文した。それにしても安っぽい購入フォームだな。

 ビデオでスティーブ・マーチン主演のコメディ「ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ」を見た。これは見事な映画だった。笑える。うまい。最後の最後まで完璧だった。タイトル通り、騙したり騙されたり、狐と狸の化かしあいの末、最後は見ているこちらまでが騙されるという、秀逸な脚本だった。
 この映画は以前レンタルして、忙しくて見る暇がないまま返却してしまった覚えがある。そんな経験をするともう2度と借りてくる気にならないものだが、重い腰をあげて借りてみてよかった。レンタル料金を2重に支払う価値はあった。

2003年 3月 11日 (火)
 ホタルさんに和太鼓と尺八のライブに誘われていたのだが、急な仕事が入ってしまい、行けなくなった。
 今日1日でホームページをひとつ制作した。忙しくて、このまま毎日ひとつづつホームページを作り続けても、間に合いそうもない。
 夕食はコンビニで買ったレトルトのチキンハンバーグと、賞味期限の少し過ぎた白菜の浅漬けだった。うまかった。
 ニューハーフに電話するのを忘れていた。最近、やることが多すぎて忘れてばかりいる。
 箇条書き的に日記を綴るのは楽である。

2003年 3月 12日 (水)
 スティーブン・キング原作の映画「ショーシャンクの空に」を見た。
 これの原作を読んだのは確か一昨年くらいだっただろうか。実に面白い小説だったが、キングの小説のなかでは軽く読めるタイプの小品といった印象だった。shaw.gif最近この小説が映画化していることを知り、それがインターネットの人気投票などで異常な高得点を獲得しているのを見て、なんだなんだと見てみることにした。あの原作はどう考えても、そんな御大層な名作ができるような素材ではなかったはずだ。
 ところがこれが、素晴らしい映画だった。完璧な映画である。話自体はほとんど同じなのに、この格調高さは何だろう。映像のマジックである。俳優の演技がよい。悠里も感動していた。
 画像は主人公(左)と、本編のベスト・スマイル賞モーガン・フリーマン(右)である。

 昼間、税理士のAさんが会計ソフト会社のシステム・コンサルタントを連れてやって来た。うちのパソコンに会計ソフトをインストールしに来たのである。
 ところが、Aさんが必要なフロッピーを忘れてしまったため、できなかった。夜もう1度来てやることになった。夜、Aさんがひとりで来た。今度は必要なものはすべて揃っていたが、なぜかうまくインストールできなかった。どうもうちのパソコンがボロすぎるのが原因らしい。
 このウインドウズはインターネットの観覧用だけだったので、モニタの大きさだけ気にして、後は価格重視でスペックは一番最低のものを買ったのだった。ソフト会社の開発部と何度も電話で話しながら試行錯誤を繰り返したが、結局、ソフトはインストールできなかった。今まで何十件も同じことをやってきて、こんなことは初めてらしい。そんなにうちのパソコンは馬鹿なのだろうか。
 せっかく講習まで受けに行ってはりきっていたのだが、新しいウインドウズを買うまで、会計ソフトの導入は暫く保留である。

 先週、知らない人から電話があった。言っていることがよく解らず、とにかく一度会いたいというので、とりあえず会うことになった。今日会った。言っていることがよく解らなかったが、話しているうちに単なるインターネット広告の営業だと解った。普通、このテの営業は電話の段階で断るのだが、言っていることがよく解らなかったため、時間を割いて会うことになってしまった。しかも会ってから、話の内容が飲み込めるまで、だいぶ時間がかかった。やられたという感じである。

 今日の夕食はとろりとろけるチーズとデミグラスソースのハンバーグと、菜の花のしょうゆ漬けワサビ風味である。どちらも実にうまかった。菜の花のしょうゆ漬けワサビ風味を食べていて「これはお茶漬けだ」とピンときて、最後に少しご飯を残して緑茶をかけ、下地に鮭のふりかけをふって一緒にかきこんだ。やはりうまかった。

2003年 3月 13日 (木)
 今日は外出なし。ゆっくり事務所で仕事する。お陰で随分進んだ。先がなんとなく見えてきた。今週は本の一冊も読めるだろう。一度だけ散歩がてら銀行と金融機関を回ったが、支払いの渦で気が滅入った。金がなくて、集金しても集金しても支払いが追い付かない。帳簿上では黒字なんだがなぁ…。まずそれ以外はスムーズな1日だった。夕食は秋刀魚の缶詰めと納豆を食べた。秋刀魚は普通にうまかった。納豆は賞味期限が半月ばかり過ぎていたので少しシャリシャリしたが、うまかった。最後に少しご飯が余ったのでアサリの味噌汁をかけて食った。

 まもなく第6回幻想異端文学大賞の審査締切りである。今回ばかりはもう少し審査が集まってほしい。評価がやたらばらけているのだ。予想通りだった。このままだととんでもない結果になりそうな気がする。

2003年 3月 14日 (金)
 数年前、池袋のバーで飲んでいた時、ある霊感の強い看護婦さんに出会ったことがある。彼女が言うには、俺の人生最凶最悪の時期が、35歳前後で訪れるというのだ。
 「正確には35歳の一歩手前です。34歳の5月から、誕生日の18日前までが最悪の運勢です。それを越えると、あなたの人生は楽チンです」
 誕生日の18日前というと、11月3日。つまり34歳の5月から11月3日までのあいだということになる。その霊感の強い女性はその他にもいろいろなことを言ってくれて、そのどれもが的中していたので、この人生最悪の時期というのは俺の来るべき試練として、この数年間頭から離れたことがなかった。そして俺は現在34歳。大変だ。あと2ヶ月足らずである。
 ところが今日、悠里の友達の霊感の強い占い師さんと話をしていて、妙なことを聞いた。どうみても今年の5月にそんなことは起こらないというのだ。
 「本当ですか?」
 としきりに聞く俺に、それではちゃんと観てみましょうと、水晶をとりだして占っていただいた。水晶を覗き込んだ彼女は、すぐに俺の未来が見えたようだった。
 「ああ、正確には36歳の8月ですね。その時期に大切な人を失います(断定)。これは避けられない運命です。それによる精神的なダメージで、かなり人生に影響が出るでしょう。人生最悪の事態は最低2回あって、一回目がそれで、二回目は40歳〜50歳台に体調を著しく壊します」
 40歳〜50歳台で体調を壊すというのは、先の霊感の強い女性にも言われていた。
 「人生最悪の事態はむしろそのふたつですね。今年は特別なにもありません。それらのヤマを越えたあとは、夕方のように静かな人生が訪れるでしょう」
 「夕方のようなって、なんか寂しくて嫌ですね」
 「そうですか? わたしは夕方、好きですよ」
 「僕はなんかやだなあ」
 「あなたの御先祖様は武家ですね」
 いきなり話が先祖の話になった。
 「そうです。武家です」
 俺の父方の先祖は武家である。
 「分家したんですよね」
 「ええ。よく解りますね」
 うちは六代前に分家している。
 「立派な家柄ですね。いい守護霊様がついて守ってくれてますよ」
 「ほう。誰が僕の守護霊様なんでしょうかね?」
 「そんなことはどうでもいいって言ってます」
 言ってます? 俺の守護霊様と話でもしているのだろうか。
 「それより、ちょっと伝えたいことがあるから一度お墓参りに来いって言ってます」
 やはりそうらしい。
 「なるほど。近い内に行きますよ。お墓参りに行って、メッセージを受け取ればいいんですね」
 「はい。夢に出てくるとか、耳に入ってきた誰かの言葉とかで」
 そこでふと疑問が生じた。
 「あれ。僕がいつもお参りに行っているお墓って、最近作った新しいお墓なんですけど、それは違いますよね?」
 「違うみたいですね。もっと古いお墓です」
 「うちの先祖は名古屋ですから、やはり名古屋ですかね」
 ちょっと遠いが、浅野家発祥の地である名古屋には一度行ってみたいとは思っていたし、いい機会かもしれない。
 「とにかくこの近くではないことは確かです。どこか一族の方々が集まって住んでいる集落のような場所があるはずです」
 そんなような場所が名古屋あたりにあるというのは、子供の頃に祖母から聞いたことがあった。
 「ああそれから、御先祖様のなかの一人に、戦とかで人知れずお亡くなりになった方がいるようです。その方にも手を合わせてあげてください」
 「解りました」
 御先祖様にそんな方がいたとは知らなかった。

 ここで筆を止め、暫し合掌。

 その他、いろいろと為になる助言をいただいて、電話を切った。
 さあここからが問題だ。俺の御先祖様の古いお墓とは、いったいどこにあるのだろうか。父上とはなかなか連絡がとれないので、ひとまず母に電話して、事情を話す。すると母、即答。
 「ああ、それはきっとうちのことだよ。うちも武家なのよ。分家だし。本家は近くに住んでいるし。親戚まわりに住んでるし。古いお墓あるし」
 「えっ!?」
 驚いた。俺はこの34年間、母方の御先祖様は農民だとばかり思っていたのだ。大変失礼なことである。
 「だいたい、家柄だってうちは藤原氏の系列なんだから、立派な御先祖様って言ったらうちだよ。だいたい、お前はうちのおじいちゃんに似てるんだし、生まれた場所もこちらだし」
 それから聞いてもいないのに、母の先祖の自慢話が延々と続いた。俺はまったく耳に入らず、悩んでいた。御先祖様と言ったら当然、浅野家だと思っていたのだが、よく考えたら母の御先祖様も俺の御先祖様の範疇である。
 考えても解らないので、とりあえず近い内に母方の実家のお墓参りに行くことにした。もう一度占い師さんに聞いてもいいのだが、なんでもかんでも占いに頼るのはいけない。御先祖様が伝えたいことがあるのなら、それは何らかの形で俺を導いてくれるはずである。伝えたい言葉があるならば、それは既に伝わったと同じことなのだ。今日占い師さんと話したのもそのひとつだろう。とにかく行ってみれば解ることだ。この世に偶然はありえない。あるのは宇宙の全体意思に基づいた必然があるのみだ。
 久しぶりの占い体験は実に面白くためになるひとときであった。とりあえず近い内に神奈川の実家に行ってこよう。

 それから人知れず命を落としてしまった御先祖様。さっきあなたのことを想って手を合わせたら、水道の蛇口からいきなり水が流れ出しました。それはあなたの涙なのでありましょうか。

2003年 3月 15日 (土)
 またひとつエロゲーをやり終えた。「アトラク・ナクア」。こいつはつまらなかった。「月姫」の方がずっとましだった。次は新しいやつをやる前に、「月姫」をもう一回くらいやろう。しかしこんなものばかりやっていると、感性がどんどん腐ってゆくような気がする。いや、確実に腐ってゆく。本の一冊も読んでいた方が幾らか有意義に違いない。だから1日1時間くらいづつしかやらない。しかし毎日1時間も進めていると、意外と早く終わる。「アトラク・ナクア終わったよ」「もう終わったの? いや〜、社長、ハマってますねぇ」などと言われる。不本意なことだ。ハマらないように1日1時間しかやっていないのに。

 夕食はクリームシチューをご飯にかけて食べた。クリームシチューはご飯にかけて食べるものだ。これは俺の中で常識である。そして同じ常識を共有する者はこの世界に決して少なくないと思うが、どうだろう。しかるに今日食べたクリームシチューは、ややご飯と相性が悪く、あまりうまくなかった。ちなみに昨日、夕食後に胃の隙間にチキンラーメンを流し込んだので、胃が荒れている。一日中、内側からちくちく刺すような痛みが走る。なのに今日もお腹いっぱい食べてしまった。夕食後、すぐに眠くなり、事務所の床で眠った。

2003年 3月 16日 (日)
 休日なので、夕方まで寝ていた。ゆっくり起きて、歯を磨いて着替えて支度をすると、もう夜だった。少し仕事をして、レンタルビデオに行った。
 ピザ・ハットに電話をしてピザを注文した。ピザというと、最近は必ずピザ・ハットである。昔はツーウェイ・ピザを愛顧にしていたのだが、ツーウェイ・ピザの西新宿店が潰れてしまったため、いったんピザーラに乗り換えた。しかしある時、ピザーラが注文したコーラを忘れてきて、電話で文句を言うと「バイトの伊藤のせいです」と従業員の過失にして詫びのひとつも入れなかったため、憤怒してもう二度とピザーラでは注文しないと心に誓った。以来、宅配ピザは必ずピザ・ハットを利用している。
 ちなみに俺は以前ツーウェイ・ピザのチラシを制作していたことがあり、ここのメニューにある「ガーリックタント」を命名したのは何を隠そう俺である。これはとてもうまいので、ツーウェイ・ピザの宅配地域に住んでいる方は、ぜひ一度お試しいただきたい。
 本日、注文したのはチーズグルメとベジタリアンのハーフ&ハーフだった。生地はゴールデン・チーズクラストだった。ゴールデン・チーズクラストとは、ピザ生地の耳の部分にモッツァレラ・チーズがぐるりと詰まっているものだ。もともとピザ生地の耳の部分を食べるのが好きだった俺にとって、最初これが開発されたとき、これほど余計なお世話はないと思った。人とピザを食べていて、誰かが耳の部分を残すと、喜んで俺はそれを食べて片付けたものだった。それが耳の部分にまでチーズをねじこんだ日には、誰も耳など残してくれなくなるではないか。しかし試しにゴールデン・チーズクラストを食べてみると、これが実にうまいので、以来ピザを注文するときはゴールデン・チーズクラストは欠かせなくなった。あっさりと企業戦略にはまった。
 ザッピーだけに、ピザは好きである。ピザを食った後、ビデオを見た。

 三谷幸喜の映画「みんなのいえ」を見た。前半は笑えたが、後半は先走り汁が飛び散る白けた結末だった。先走り汁といっても、決して狙いすぎというわけではなく、狙いは普通なのだが、本気汁には演出の濃度が薄すぎたため、不本意にも先走り汁に終わってしまったという感じだった。途中まではいい線いってたのに。三谷、やはりテレビドラマの脚本家なのか。

2003年 3月 17日 (月)
 16日は悠里の誕生日だったので、彼女の好きな鉄板焼を御馳走した。ヒレステーキ、魚介類、ニンニク、野菜、そしてフォワグラなどを奮発し、美味に舌鼓を打った。フォワグラは至極うまかった。デニーズのフォワグラとは比べようもない。
 近くにドイツ人男性二人、タイ人女性二人のカップルが座っていて、隣のドイツ人が頻繁に英語でしゃべりかけてくるので、話している内に和気あいあいと仲良くなる。悠里が誕生日だと伝えると、ドイツ人男性はハッピーバースデーの歌を英語とドイツ語で歌いだし、悠里は感激して泣き出す始末。挙げ句の果てにはテーブルに座っている人たち全員でハッピーバースデーを合唱しはじめ、悠里は更に泣き崩れ、その狭間で俺はげらげら笑っていた。騒ぎを聞き付けた店員さんが「誕生日だそうで」とか言ってサービスでケーキを振る舞ってくれ、悠里が感激してまた泣く。最後にドイツ・タイ人カップルの皆さんと握手してこの出会いの喜びを噛み締めた。お会計の時、レジで店員さんが「いや〜、こんなことは初めてですよ」と驚いていた。
 悠里にはいい誕生日を迎えさせてあげられたようで、大変喜ばしい食事であった。

 ビデオで映画「始皇帝暗殺」を見た。
 駄目な映画だなぁ。これだけ金かけて、豪華な映像で、迫力ある描写で、魅力ある俳優がひとりも出ていない。一応豪華キャストなので、巧く生かしきれていないだけか。黒沢の影響を受けているという噂を聞いていたのだが、実際、初っぱなから黒沢を意識しまくっていた。ただ黒沢的なのは表面的なはったりだけで、本質的には程遠い。映画館で見たらまだ楽しめただろうか。

2003年 3月 18日 (火)
 例のアングラ自主映画の撮影で、ホタルさんの家に行く。アンドロギュヌスも最初は楽しんでやっていたが、2回目だとだんだん馬鹿馬鹿しくなってきて、ちょっと恥ずかしい。

2003年 3月 19日 (水)
 西船橋と本八幡に行った。
 明日も千葉なので、早く寝た。

2003年 3月 20日 (木)
 昨晩は早く寝たので、朝8時頃に目が覚めた。今日は昼頃から用があって悠里と車で千葉の方まで行かなければならない。少し仕事をしていたら、どうも身体がだるくて眠くなった。悠里を起こしに行くと、彼女も体調が悪いと言って、身体を起こそうとしない。結局千葉行きは中止になった。そのまま、夕方まで眠った。どうも風邪気味のようだった。
 夕方起きて仕事をした。夕食は雑炊とサンドイッチとメロンパンとバナナを食べた。
 食後、ビデオで日本映画「ウォーターボーイズ」を見た。見ながらどうして俺はこんな映画を見ているのだろうという疑問ばかりが湧いてきて、どうも映画に集中できなかった。いや、別に悪い映画じゃなかったのだが。
 とりあえず眞鍋かをりは可愛いぞと。

 久しぶりに谷崎の初期作品を読みたくなり、新潮文庫の「刺青・秘密」を再読。昔読んだときと同じく「少年」は面白く、俺の最も好きな谷崎作品のひとつだが、今回新たな衝撃を受けたのは「異端者の悲しみ」という短編だ。なんだこれは? 読んだ覚えが全然ないのは、恐らくこれを読んだ高校の時はまったく解らなかった為であろう。今読むと芥川の「歯車」にも匹敵する傑作に思える。自己中の権化のような小人が、その卑屈な精神を乗り越えて文学の道に才能を開花させるという、幻想異端文学の鑑のような作品であった。

2003年 3月 21日 (金)
 朝まで眠らずに戦争のニュースを見ていた。午前10時を過ぎた時、テレビの画面には攻撃を目前に控えたアメリカ兵たちの姿が映った。携帯で家族と話をしている者、手紙を書く者、家族の写真を眺める者と様々だった。俺だったらこういう時、静かに本を読んでいるだろう。銀行、空港、病院、待ち合わせ、およそ待ち時間と呼ばれるひとときに必ず俺は本を読む。戦場に出撃することになっても、きっとその時の実感に合った本を読んでいるに違いない(戦争なんて行くつもりはないが)。アメリカ兵にもそんな奴はいないのか。そう思った次の瞬間、テレビの画面には本を読んでいるアメリカ兵の姿が映った。何を読んでいるのだ、と表紙を見ると、ダンテの「地獄」だった。おお、深いかも。

 一睡もしていなかったので機嫌が悪く、昼間、仕事をしながら悪態をつきまくった。このままでは職場が険悪なムードに陥ってしまうと判断し、いやもう陥っていたのだが、ひとまず自宅に引っ込んで仮眠をとった。夜起きて五反田に行った。

 香港映画「欲望の翼」を見た。しぶい恋愛映画だと思っていたら、予想以上にむちゃなストーリー展開と歯の浮くような台詞の連続で、かなり笑えた。俺としてはどうも、この映画は真面目に評価できない。

2003年 3月 22日 (土)
 祖母の法事で地元に帰った。親戚一堂揃って川越の高級料亭で食事をした。あまりうまくなかった。体調が優れず、帰ってすぐに眠った。

2003年 3月 23日 (日)
 週末だというのにホームページ制作。遊ぶ暇のない週末が続いている。
 悠里とまた焼き肉を食べに行く。今日は東新宿の「幸永」というお店に行ってみた。「泉」と比べて高めだが、炭火焼きで肉も質が良い。特にカルビは絶品だった。サンチェにくるんで食いまくった。ビビンバはまあまあだった。冷麺もそれなりにうまかった。
aminosupli.gif 帰り、事務所の近くの自動販売機でキリンのアミノサプリを2本買おうと、お金を入れてボタンを2回押した。ゴトンと音がしてアミノサプリが出てきた。一本取り出すと、もう一度ゴトンと音がして、もう一本アミノサプリが出てきた。それを取り出すと、またゴトンと音がして、もう一本アミノサプリが出てきた。それを取り出すと、またゴトンと音がして、もう一本アミノサプリが出てきた。同じ現象が繰り返され、計8本のアミノサプリが出てきた。2本分のお金しか入れていないのに、6本余分にアミノサプリが出てきたのだ。ずいぶんとラッキーな自動販売機である。

 まもなく第6回幻想異端文学大賞の審査締切りである。まだ審査が足りないような気がする。だが仕方がない。月曜日には発表だ。
 それにしても本当にこんな結果でいいのだろうか?

2003年 3月 24日 (月)
 第6回幻想異端文学大賞の結果が発表された。今回は遺憾ながら、大賞不選出という結果に終わった。それは最初から薄々感じていた。これまでのように、突出した作品というものがない。
 毎回結果を出す時は、5点…大賞レベル、4点…優秀賞レベル、3点…佳作レベル、2・1点…参加賞レベルを目安に、提出された評価の平均点から割り出すのだが、やはり大賞を選出するには平均点が4点台か、最低でも3点台の後半くらいになっていないと選べない。今回は非常に得点がばらけまくっていて、ある人が5点つけた作品がある人は1点だったりして、結局平均点はほとんどの作品が3点前後に止まってしまっていた。新たな審査が届けば届くほど点差は開くばかりかますます平らになってゆく。これは大賞、優秀賞ともに不選出で、佳作ばかりが5作品なんて結果にもなりかねないと懸念して審査期間を伸ばしてまでなるべく多くの批評を募ったところ、最後の最後にようやく優秀賞と佳作の分け目くらいは微かに浮き出てきた。しかし大賞が不選出なのは、もう最初の内から火の目を見るより明らかであった。まあ優秀賞が選ばれただけでもよしとせねばならない。
 この度の幻想異端文学大賞の問題は明白である。次回はテーマを慎重に、もっと幻想異端文学連盟らしいものを選ぶことにしたい。
 惜しくも参加賞になってしまった皆様。今回の結果はこの時点での瞬間的評価でしかなく、さらに審査が届けば、ある1作品を抜かして、すべて佳作に食い入る可能性はありました。気を落とさずに、またのご参加をお待ち申し上げております。

 ちなみに俺は個人的に今回はつぶらさんの作品が一番いいと思った。

2003年 3月 25日 (火)
sade3325.jpg 数週間前、団鬼六先生の事務所のS社長から電話があった。サド侯爵を描いたフランス映画「発禁本サド」が24日に銀座シネパレスで先行上映され、舞台挨拶で団鬼六先生の奥さんである黒岩安紀子夫人がゲスト出演するとのことだった。団鬼六オフィシャルサイトサドマニアの取材をかねて、見にいくことにした。
 というわけで、行ってきた。
 舞台挨拶では黒岩安紀子夫人の他に、ヘアヌードのプロデュースで有名な高須基仁氏と、かの三浦和義が来ていた。映画に関連のある人物を揃えたとのことだったが、SMの大御所の奥さんである黒岩安紀子夫人と現代日本の発禁本の大御所・高須さんはともかく、三浦和義は何なんだろう。解るような気もするが、解りたくない気もする。
 映画は実に面白かった。サド侯爵をキャラクターとして扱った映画は数多く見てきたが、描かれるサド象に納得できた映画は初めてだった。本当のサドはこういう、ちょっと可愛げのある人物だったのだと俺も思う。これに激しさが加われば言う事ない。サドとその恋人であるケネー夫人の俳優は、ゲンスブールとジェーン・バーキンにどこか似ていた。なんかいい感じだった。
 物語り自体はフィクションだが、ちゃんと史実に矛盾のない形で構成されている。サドが文章を書くシーンでは、筆跡までサドと同じという芸の細かさ。これまでの「クイルズ」やロジャー・コーマンの「悦楽禁書」のような、サドの悪魔的なイメージばかりが先行した嘘ばかりのサドと違い、リアルなサド侯爵を描こうという意気込みが感じられた。ただサド侯爵を描くにあたって、この54歳のピクピュス療養所での時期をあえて取り上げる必然性は何だったのか、いまひとつ疑問に残る。
 事務所に帰ると、S社長から電話があった。
 「ザッピーさん、映画見た?」
 「はい、見ました。面白かったです。ありがとうございます」
 「すごい文芸大作だったよね。ちゃんと取材した?」
 「はい。近日中にホームページにアップしますよ」
 「そうそう。最近、三浦和義さんと何度かお会いしたんだけど、ザッピーさんにも紹介しようか?」
 「結構です」
 俺は電話を切った。

2003年 3月 26日 (水)
忘れた。

2003年 3月 27日 (木)
 友人の雅珍公(ソドム1999第7話の執筆者)と税理士のA先生と懇親会があり、池袋東口の居酒屋「鳥元」で飲んだ。雅くんと会うのは久しぶりだった。彼は会社を経営している。もともとうちの税理士のA先生は、彼に紹介されたのである。それ以前に、俺が会社を設立したのも、ほとんど彼の影響だった。最近、彼の会社は経営が大変らしいが、彼ならきっと乗り越えるだろう。A先生が一緒だったので会話がゲームや本のことになると若干の違和感が漂ったが、それなりに楽しい飲み会だった。
 事務所に戻って、身体がボロボロだったので、すぐに寝た。

2003年 3月 28日 (金)
 仕事がやっと落ち着いた。これから本当の金儲けに入る。
 午後、西新宿を歩いてて、馬鹿が都知事を目指して恥を曝しているのを目撃。見ていて恥ずかしい。不可能への挑戦だという事実を本人は知る由も無い。
 相変わらず胃はきしきし痛む。
anita3328.jpg 夜、香港映画「金枝玉葉」を見た。ことごとくツボを外した映画で、まったく面白くなかった。
 とりあえずアニタ・ユン(袁詠儀)は可愛いぞと。

2003年 3月 29日 (土)
 メリル・ストリープ主演の映画「ミュージック・オブ・ハート」を見た。
 監督はあのホラー映画の鬼才ウェス・クレイヴンである。俺がこの映画を語るには、20年ほど遡ってこの監督の話から始めねばなるまい。80年代、俺がホラー映画鑑賞に人生の全てを捧げていた時期、当時一世を風靡していたホラー映画の監督が数人いた。70年代後半〜80年代前半デビューの新鋭としてサム・ライミ、フランコ・ヘネンロッターが頭角を表してきていて、60年代後半〜70年代前半デビューのベテラン組として、ジョージ・A・ロメロ、ダリオ・アルジェント、トビー・フーパー、ジョン・カーペンター、デビッド・クローネンバーグ、そしてこのウェス・クレイヴンがまだ頑張っていた。ウェス・クレイヴンはその中でもとりわけ演出がヘタでこけ脅しの驚愕描写ばかりの三流監督という位置付けだった。
 とにかく彼は演出がヘタだった。しかし、出す映画は「サランドラ」「エルム街の悪夢」「ゾンビ伝説」とどれも大ヒット。確かに下手くそながら、偶然たまたま面白くなったとしか言い様のない微妙なバランスで、ホラー映画の名作を次々と世に送りだしていた。しかしラッキーパンチなんてそういつまでも続く訳はない。そう思い続けて早20年。気がついてみたら21世紀に入っても生き残っていたのは彼だけだった。確かに彼の作品はまずい点を深く追求しなければどれもそれなりに面白く、近年では「スクリーム」シリーズの大ヒットで相変わらず驀進を続けている。ここまでくるとひょっとしたら凄い実力の監督だとしか思えないのだが、やはりどう贔屓目に見ても、彼の演出はド下手で、たまたま面白くなったとしか思えない微妙なバランスの上に成り立っているのだった。
moh3329.gif そこに来てこの映画である。なんとこれまでホラー映画しか撮ったことのなかった彼が、アカデミー女優メリル・ストリープ主演で感動ものの音楽映画を撮ったという。こんな馬鹿な話があって言い訳がない。ホラー映画ならまだ解るが、ヒューマニズムで人を感動させるのはそう単純な作業ではないのだ。
 そんな思考を走馬灯のように巡らせながら、この「ミュージック・オブ・ハート」を見てみた。しかし……面白かった。絶句である。確かに演出は下手だ。思いきりクサいし、ストーリーも馬鹿馬鹿しい。でも何故か面白い。123分まったく飽きさせず、テンポの良いストーリー運びとメリル・ストリープのヒステリックな演技でぐいぐい引き込まれ、ラストはそれなりに感動してしまうのだ。アラは沢山あるが、やはり深く追求しなければ単純に良い映画なのだ。
 ここまでくるともう訳が解らない。一体何なんだ、ウェス・クレイヴン。20年彼の映画を見てきて、今だによく解らない監督のひとりである。

2003年 3月 30日 (日)
 朝8時に起きて、イラク戦争のニュースを見ながらゲームをやっていた。胃がやたら悪化して、痛さのあまり仕事ができなかった。そのうちゲームもやめて、腹をかかえて(笑っているのではない)事務所の床に寝転び唸っていた。テレビからは相変わらずイラク戦争のニュースが流れていた。
 ゴロゴロしていたら背中まで痛くなってきたので、気分転換に近くのエクセシオール・カフェに行って、お気に入りの美人のウエイトレスさんを眺めながら、ココアを飲んで、ブコウスキーの「ポストオフィス」を読んだ。この本を読むのは2回目だが、文章やたら面白くて人前もはばからず笑っていた。
 悠里が起きて、喫茶店にやってきた。一緒に杵屋でカレーもちチーズうどんを食べた。事務所に戻り、ゴロゴロしたり本を読んだりゲームをしたりしているうちに夜になった。夜、トンチンがやって来た。暫くいて、帰っていった。
 またゴロゴロしているうちに、いつのまにか眠った。

2003年 3月 31日 (月)
 午前中起きて、テレビを見て本を読んだ。
 いろんな作家のホラー小説を集めた短編選集を見つけて、何気なく読んでいた。どの短編もことごとくつまらなく、わざわざあちこちから集めたものでどうしてこんな本が出来るのか疑問に思った。これなら幻想異端文学連盟の方が幾らかましではなかろうか。
 本を読むのにも飽きて、そこはかとなく文章を書きはじめた。キーボードのせいか、体調不良のせいか、遅くてぎこちなく、つっかえっぱなしだった。
 キーボードを叩くのにも疲れて、ベッドに横になり眠った。昨晩はよく睡眠をとったのだが、やることがなかったので、本を読むのも文章を書くのも飽きたら、あとは寝るしかない。俺はあまりテレビを見ないし、ふらふら外に出るには出無精な性格である。
 夜起きて、ピザ・ハットでピザを注文してテレビを見ながら食べた。今夜は忘れてはならない、K-1でボブ・サップ対ミルコの一戦がある。二人の試合が始まるまでにはピザを食べ終わり、俺はテレビに釘付けになった。
 試合開始のゴングが鳴り、俺は煙草に火をつけた。一本の煙草が吸い終わらない内に、試合は終わった。たった80秒、ミルコのあっけない一発で、サップはリングに沈んだ。倒れたときにはきれいな顔をしていたのだが、試合が終わって暫くして、サップの目からじわじわと血の涙が流れ出した。どうやら眼窩底骨折らしい。
 面白い試合だったのかつまらない試合だったのかよく解らないが、あの目から流れる血だけはとても印象に残っている。
 明け方にはクライアントが金を持って来てくれる予定だった。今日も長い夜になりそうだ。
 俺はパソコンを立ち上げ、再びキーボードを叩きはじめた。


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