非幻想異端的日常
2003年 4月 1日 (火)
 香港映画「クローサー」が見たい。金を払ってまで映画館に見に行きたいと思った映画は久しぶりである。これは「チャーリーズエンジェル」の香港版パクリみたいな映画で、3人のアジア系美女が繰り広げるアクションといった内容。3人トリオのひとりがカレン・モクで、他は「少林サッカー」のビッキー・チャオ、そしてスー・チー(知らん)。特にカレン・モクの女刑事役は一番の注目といえる。

 「クローサー」公開に先駆け、なにげなくカレン・モクの映画が見たくなり、レンタルで「夢翔る人/色情男女」というのを借りきた。
vivaero341.jpg 数年前日本で公開されちょっと話題になった映画で、売れない映画監督がポルノ映画をいやいや撮影するはめになり、苦悩の末、最後にはポルノ映画制作に情熱を燃やすようになるという素敵な映画だった。「エド・ウッド」や「蒲田行進曲」のような“映画制作の映画”の例に漏れず、映画への愛情がいっぱいつまった作品で、映画ファンには楽しめる内容だ。カレン・モクは主役ではなかったが、可愛かった。
 ちなみに主役の女優はカエルみたいな顔した女で、最初は馬鹿なポルノ女優というキャラだったが、このポルノ出演を通じて、最後は真の女優魂に目覚めるという、なかなか味のある役どころだった。ヘアヌードなども披露していて、見事なボディを惜し気もなく曝け出してくれている。なんでも彼女は本当に元ポルノ女優で、この映画で評価されて一般映画のスターになったらしい。

 「夢翔る人/色情男女」を見た後、もう1度インターネットで「クローサー」のオフィシャルサイトにアクセスしてみる。
 主演のスー・チーのプロフィールを見ていて、出演作品に「夢翔る人/色情男女」があるのを見つけた。「あれ、この女優も出てたんだ。どこに出てた子だっけ?」と暫く写真を見て考えていて、はたと気がついた。このカエルのような顔だちは、主役のポルノ女優を演じた女優ではないか。これが近頃ないくらいびっくりした出来事なのだった。ずいぶんと立派になったもので。
 とりあえず今週中には見に行こう。

2003年 4月 2日 (水)
 モデルの掛川悠氏と天野氏がほぼ入れ違いにやってきた。
 滅多に来客などない事務所だが、来る時は何故か連続する。

2003年 4月 3日 (木)
 用あって、悠里と千葉に行って来た。
 雨の中、びしょぬれになりながら重い荷物を運んだ。手ではとても運び切れないので、タクシーを呼ぶことにする。タクシー会社に電話をかけると、現在近辺のタクシーはどれも連絡がとれず、回せないという。仕方がないので悠里を残して俺だけ雨の中、タクシーをつかまえに走っていった。
 ところが歩いても歩いてもなかなかタクシーが通りそうな道に出ない。ズボンは折り目がなくなるほど濡れ、靴下までびっしょりになりながらひたすら歩くと、やっとタクシーがちらほら目につく広い道路に出た。
 悠里から携帯が鳴った。
 「タクシー来たよ」
 タクシー会社にもう一度電話したらしい。俺は更に濡れながら、もと来た道を歩いて戻った。なんか無性に不機嫌になっていた。
 駅で、悠里にケンタッキーフライドチキンをおごってもらう。すぐに機嫌は直る。

 事務所に戻ってテレビをつけると、ニュースでレスリー・チャンが自殺したと報じていた。おとついもレスリー・チャンの映画(夢翔る人/色情男女)を見たばかりだっただけに、驚く。
 思えばレスリー・チャンの映画は結構見ている。特に好きな俳優という訳ではないが、ツイ・ハークだカレン・モクだアニタ・ユンだウォン・カーウェイだと言いながら香港映画を見ると、なぜかいつも出ているのだ。このひと月の間に6本くらい見たな。
 他の俳優には追随を許さないあの演技力とスター性は凄いものがあった。香港映画界は惜しい才能を無くしたものである。

2003年 4月 4日 (金)
 最近妙に生活が規則正しくなってきた。毎日午前中(昼近く)に起きて、緑茶を飲み、軽く朝食をとり、仕事をし、夜は腹いっぱいめしを食って映画を見て、明け方4時には眠る。体調もそこそこに良くなってきた。やはり早寝早起きは大切なのだと実感。

 金がない。銀行口座に10万円も入っていないのに、先月分の事務所の家賃16万円がまだ払えずにいる。他にも支払いは結構たまっている。実に大変だ。しかるに、こんなときでも焦らないのが大切だ。明鏡止水の心境でこそ、正確な判断が可能となり、それが逆境を覆す原動力になるのである。

 夜、ツイ・ハーク監督の香港映画「トワイライトランデブー」を見た。あまりにも面白くなくて100回くらいあくびをし、寝転んだり起きたり、早送りしたりして、やっと最後まで見れた。ツイ・ハークは香港のスピルバーグと言われるだけあって、作品にもむらが多い。
 それにしてもチャーリー・ヤンってブスだ。

2003年 4月 5日 (土)
 レンタルビデオの中古ビデオ販売コーナーで、チェビー・チェイス主演のコメディ映画「フレッチ登場!/5つの顔を持つ男」が290円で売っていた。レンタル料金より安くチェビー・チェイス出演作品のビデオが買えるならと、即購入。
 ぬる〜いギャグの連続に、それらを中和するようなチェビー・チェイスの飄々とした演技が絶妙な、佳作である。ストーリーもいい感じに淡々としていて面白い。
fletch344.jpg チェビー・チェイスは曾てサタデー・ナイト・ライブで爆発的人気を誇ったコメディアンだが、映画ではあまり成功しなかった。しかしそれなりの佳作は多くある。
 映画を見た後、Yahooオークションで検索したら、他のチェビー・チェイスのビデオや欲しかったコメディのビデオが290円〜500円で売っていたので、6本ばかり買いあさった。
 なんか最近、映画のことばかり書いてるな。

2003年 4月 6日 (日)
 悠里の妹君がはるばる千葉より遊びに来る。美人の妹君で、悠里にはあまり似ておらず、かわりに顔も声も夜長さんにそっくりだったので驚いた。事務所で歓談し、喫茶店でお茶を飲みながら歓談し、杵屋でうどんをすすりながら歓談し、最後は駅まで送っていった。ぜひまた来られたい。

 テレビで「ウエストサイド物語」をやっていて、何気なく見始めたら面白くて最後まで見てしまった。話はシュールで馬鹿馬鹿しいが、なんだかんだ言って古き良き時代のアメリカの雰囲気が爆裂している快作と言える。若者達の今にして見ると極端な馬鹿さ加減などがどうしようもないくらい可笑しい。最初のくるくる回りながら若者達が群がって絡み合う喧嘩シーンも笑えた。この映画を作った国が、いまこうして戦争をしている。とにかく命だけは大事にされたい。

2003年 4月 7日 (月)
 香港映画「クローサー」を見に行った。
 これほど楽しみにしていた映画も近頃では珍しい。スー・チー、カレン・モク、そして「少林サッカー」のヴィッキー・チャオ。アジアの三大美人女優が日本刀を振り回したり、ワイヤー・アクションで宙を舞ったり、サイバー・テクノロジーを駆使して電脳の世界をあばれまわったりときたら、これはもう見るしかない。
 見た。面白かった。期待をはるかに上回る素晴らしい映画だった。
close346.jpg いきなりクライマックスのような冒頭から、ラストの壮絶華麗なチャンバラまで、印象的なシーンは数多い。あのシーンも萌えたが、あのシーンもたまらなかった、三人娘の美貌とアクションがまぶしい傑作である。一番好きなカレン・モクのカッコ良さは言うにおよばず。スー・チーも美人で死ぬほどいかしていた。そしてこれがまた、ヴィッキー・チャオ(右画像)が想像以上によかった。超アイドルになる素質を秘めた女優であることはこの映画を見た者なら誰もが疑う余地は残されていない(変な文章だな)。
 ストーリーに所々ツッコミを入れたくなったり、アクションに若干チャチな動きがあったりしない訳ではなかったが、総体的に「チャーリーズエンジェル」よりは100倍面白いと断言してしまおう(「チャーリーズエンジェル」は見たことないのだが)。
 この春、ザッピーが最もおすすめする香港美少女活劇の名作である。

 映画を見た後、泉で焼き肉を食べて帰った。

2003年 4月 8日 (火)
 「リレー小説はもうやらないんですか?」
 とたまーーーに言われる。
 「疲れるのでもうやりません」
 と俺は答える。実際、「ソドム1999あるいは悪徳の世紀末」を主宰していた時期はとても疲れた。ストーリーが果てしなく広がるばかりで、なかなか収拾がつかず、後になればなるほど書きにくくなり更新は滞る一方。今にして振り返ってみればなんであんなに気を病んでいたのかと思うほど、ストーリーの行く末を案じる毎日だった。
 最後は結局最終回の一歩手前で無理矢理まとめ、一気に終わらせた。そしてもう二度とリレー小説なんてやるものかと心に誓ったのだ。
 しかしここにきて、気が変わってきた。
 ノベルゲーム形式の、参加者が自由に話を広げていける形式ならば、またやってもいいのではないか。ノベルゲーム形式なら、ストーリーの途中から勝手に話を作れるし、伏線がいくら拡散しても、収拾がつかなくなっても、それがかえって企画の面白さにつながる。

 そんなわけで、この度「幻想異端文学連盟」の新たなキラー・コンテンツとして、「幻想異端小学校」という企画をスタートした。
 タイトルはださいが、これが非常に面白い。
 特に斬新なのが、物語りに登場する「幻想」を読者が勝手に決められることである。デフォルトでは「ゾンビ」に設定されているが、読み手はここに好きな言葉を入れて、自分なりの幻想で物語を楽しむことができる。例えば悠里はこれを「自爆霊」と入れて読んでいるし、静夜さんは「おばけ」、ケンちゃんは「吸血鬼」にして読んでいる。他にも「ぬらりひょん」でも「天使」でも「アンパンマン」でも何でもよい。例えばここに「河童」と入れて読んでいた人は、自分で続きを書く時も「河童」として物語を進めてゆくことになり、「蜘蛛女」と入れてた人は、当然「蜘蛛女」として話を膨らましてゆく。つまり各自がバラバラな幻想を抱いてこの果てしなく続いてゆく物語を読んでゆくというわけだ。
 もちろん、こんなことが一筋縄でいく訳はない。幻想を「イエス・キリスト」で読んでいる人と「マジンガーZ」で読んでいる人では物語の印象にギャップが生じ、そのギャップは自分で執筆するに至っては更に形骸化するはめになる。
 そう、この企画は個人個人の幻想・妄想・こだわりが、ひとつの物語りのなか混ざりあい、お互いを侵食しあう、究極の幻想バトルの戦場なのだ。

 「幻想異端小学校」の遊び方がよく解らないという方は、ザッピー浅野まで、お気軽にお問い合わせ下さい。

2003年 4月 9日 (水)
 悠里が医者に出かけるのを見送って、俺は本日の仕事を開始した。パソコンを前にあれこれと、いろいろややこしい手続きや設定をした。今日はこの後すぐ出かける予定だった。西新宿、池袋、浅草、上野とまわらなければならない。出かける時間が近づいてきて、頭がこんがらがってきた矢先に、悠里から電話がある。医者に行くのが嫌になったから、パチンコをやっているとのことだった。主治医が嫌いなので、会いたくないそうだ。「それは仕方のないことだね」そう言って、電話を切った。そういえば、「ブラックジャックによろしく」は今週金曜日放映だった。
 出掛けた。雨が降っていて、風も強かった。外に出るなり、いきなり激しい風が吹いて、傘が折れ曲がった。この後骨が歪んだ傘で、不便な思いをしながら一日中外を歩かねばならなかった。電車のなかでは山田風太郎や夏目漱石や高橋克彦や浅田次郎や中国古典文学などを読んで時間をつぶしていた。いつも俺は何冊も本を持ち歩いている。
 浅草に着くと、松屋の地下で600円のチョコレートを買い、ニューハーフの家に行った。少し遅くなったが、バレンタインのチョコレートのお礼を渡した。彼女はそっけなくそれを受け取った。暫く無駄話をして、風水に関するアドバイスをして、俺はその場を立ち去った。

vince349.jpg WWEプロレスの地上波放映が再開した。今度はフジテレビだ。これでじきにテレビ東京はまた馬鹿をやったことを思い知るであろう。我が敬愛するビンス・マクマホンの狂気は健在であった。血肉わき踊るひとときを過ごした。

2003年 4月 10日 (木)
 悠里と病院に行った。出かける前に幾つか電話があり、面倒な仕事が増えた。さらにメールをチェックすると、尚も仕事は増えていた。こんなときに、俺は一日中出かけなければならない。外回りはいろいろな人と出会えるので好きなのだが、内部の仕事も少しは片付けないと非常にまずい状態だった。
 病院の後、悠里と寿司を食べ、秋葉原で別れた。ちょっとした取材で、大塚に行った。白いボブ・サップが菊の穴に戯れ、その後ろで女王様が天狗の舞い踊っていた。帰り、最近立ち上げたというスタジオを見せてもらって、12時過ぎ事務所に戻った。テレビではガッチャマンがやっていた。

2003年 4月 11日 (金)
 今日は外出がなかったので、たまっていた仕事を片付けた。H社長から電話がかかってきて、夜会いたいと言ってきた。続けて仕事をしていると、忘れた頃にH社長から電話があり、もうすぐ新宿に到着するので、悠里と出てくるように言ってきた。半分スーツに着替え、おめかしした悠里と一緒に西新宿まで出掛けた。H社長と三人で宝来屋に入り、焼き鳥とニンニクを食べながら日本酒を呑み、様々な話をした。外はとても寒かった。

2003年 4月 12日 (土)
 夕方まで事務所で仕事をしていた。夜、新しい事業の計画をたてている六本木のTさんの事務所を訪れ、ホームページ制作の打ち合わせをした。アドバイザーとして悠里も一緒に連れて行った。Tさんと悠里が会うのは今夜が初めてだった。暫く打ち合わせをして、事務所に戻った。結局「ブラックジャックによろしく」は見れなかった。ついでに「最終兵器彼女」も見逃した。大塚の集金は来週になった。

2003年 4月 13日 (日)
 今日は天野氏とスッポンを食う予定だった。天野氏には去年ちょっとした仕事を頼んだことがあり、そのギャラを現金で支払うかスッポンをご馳走するかの選択制にしたところ、スッポンを選んだのだった。スッポンの前に、C社で仕事の打ち合わせがあった。C社に赴き、Nさんと打ち合わせをしていると、Uさんが編集長を連れてやってきた。こんなところで編集長と出逢うとは思っていなかったので、俺は身構えた。編集長を交え、UさんとNさんと打ち合わせを続けた。ネットビジネスに見識の深い編集長の前でボロを出さないようにと慎重に話を進めたのだが、やはり意見は衝突し、結論はぬかるみに嵌ったまま来週に持ち越しとなった。
 打ち合わせが終わり、まだ他の打ち合わせが残っている編集長を残してスッポン会場へと向かった。マクドナルドでだべっていた天野氏と悠里を引き連れ、行きつけのスッポン料理屋に行った。俺は河豚よりスッポンの方が好きだった。ゼラチン状の亀の甲羅、旨味の良く染み込んだ空揚げ、見た目はグロいが旨い内臓、林檎ジュースで割った生き血、雑炊などを旨い日本酒を飲みながら食べた。スッポンの精のお陰でアルコールの回りが激しく、しこたま酔っ払った。帰り、事務所に寄った天野氏とポーカーをして遊び、1000円以上を巻き上げた。電車がなくなったので、天野氏は事務所に泊まることになった。というわけで、いま俺の後ろには天野氏がいる。チャットをやっている。俺はときどき彼と話をしながら、ひたすら日記を書いていた。

2003年 4月 14日 (月)
 スッポンを食べたら、いきなり風邪が治った。さすがスッポンの力はあなどれない。と思ったら、悠里が風邪を引いていた。なんだ、人にうつしたから治ったのか。
 風邪は治ったが、大事をとって、夕方まで寝ていた。夕方起きて、テレビを見ながらめしを食った。食後、また寝た。
 深夜起きて、漫画を読んで、パソコンを立ち上げ、だらだらとキーボードを叩いた。

2003年 4月 15日 (火)
 会社の売上が一向に上がらなくて困ったもんだ。
 十分な利益を弾き出せるだけの理想的な会社の起動力を10とすれば、現在の我が社の起動力は凡そ5程度かと思われる。その代わり人件費がギリギリ5の支出量で済んでいるので、水を飲んで生きてゆけば何とか食いつないでゆけるかという状態だ。しかるに、十分な起動力と十分な利益を算出するにあたっての目安というのは、あくまでも事務所のキャパシティであり、現在の事務所のキャパシティを10だとすれば、そこが5の起動力と5の総売上で満ちあふれてしまっている状態は、どう考えても事務所のスペースの無駄遣いと言わざるを得ない。これでは会社の発展が伸び悩むのも無理はない。
 新しい儲け話しは引っ切りなしに持ち上がってくるのだが、それがなかなか富に繋がらず、ただ無駄に忙しくなるばかりというのは悪循環の極みである。要は、幾ら数十万数百万の売上が見込める企画が持ち上がっても、顧客の頭数とそれをさばくだけの制作力がなければ意味がないのだな。
 まあ、余裕も若干できてきたことだし、これからぼちぼち改善していこう。

2003年 4月 16日 (水)
ratrace3417.jpg ビデオで去年公開されて話題になったコメディ映画「ラットレース」を見た。面白かったのなんのって。近年で最も笑える脚本賞を授与したい。ジョン・クリーズ他、キャストも個性派揃い。ザッカー兄弟の作品は相変わらずクオリティが高いのだった。

2003年 4月 17日 (木)
 珍しく電話で起こされることなく、午後まで眠れた。久しぶりにインド料理を食べ、エクセシオール・カフェでコーヒーを飲んでから、外出。制作したホームページのデータをフロッピーに入れて、東口のS社に納品し、事務所に戻りながら買い物をした。仕事でビデオ編集をするので、ビデオをMacに取り込む機械を探してビッグカメラ、さくら屋、ヨドバシカメラと回った。前日にここらへんの技術に詳しい編集長に相談したら、canopusの製品が最も信用が高いと聞いたので、canopusのアナログ映像をデジタル変換してパソコンに取り込める機械を買った。金がないのにまたえらい出費である。もう死にそうだ。

2003年 4月 18日 (金)
 昨晩は夕食後横になっているうちにうつらうつらと何時の間にか眠ってしまったので、目が覚めたら朝5時だった。仕事を始める前に司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を暫くむさぼり読んだ。この本は上巻をだらだら数カ月かけて読んでいたが、中巻にさしかかると途端に面白くなってきて、忙しいのにも関わらず1日で殆ど読み終わった。10時くらいになっていい加減本を置いて仕事に取りかかった。ビデオ編集をしていたら、悠里が起きてきたので、一緒に杵屋に行って昼食にうどんを食べた。お腹が痛くなってきたので、暫く横になり、夕方から仕事を再開。団鬼六オフィシャルサイトの会員ページを長らく更新していなかったので、資料の段ボール箱を漁り、ネタを探した。売上もあげなければならないので、営業電話もちょっとしたが、成果はなかった。夕食はチョコチップを埋め込んだメロンパンと、林檎一個だった。ビデオで「ラットレース」をもう一度見て2度笑いして、また仕事をした。ミスを犯して、せっかく取り込んでおいたビデオ画像を半分くらい消去してしまった。今日は満月のはずだったが、曇っているのか、窓を開けても夜空には何もなかった。

2003年 4月 19日 (土)
 MacOS XのiMovieというソフトを初めて使ってみて、動画編集があまりにも簡単にできるので驚いた。さすがマック。OS Xになって非常に使い辛くなり、マックももう駄目かと思いきや、所々で憎い芸当を見せてくれる。そう、このシンプルな使用感はそれだけで芸である。ウインドウズには出来ないマック芸だ。アクロバット芸である。ああドびっくりアクロバットである。編集などが、時間かからずコピー&ペースト感覚ですぐできる。画像にフィルタをかけるのもタイトルを入れるのも音楽を挿入するのもドラッグ&ドロップで嘘みたいに簡単だ。
 ビデオカメラもYahooオークションで落札したことだし、キャプチャー機器も買ったことだし、なにか映像作品のひとつでも制作してみようかな。

2003年 4月 20日 (日)
 最近、ひょんなことから金大偉(Kin Taii)という中国のミュージシャンを知り、ちょっと注目している。ゆったりとしたポップスのリズムに中国の伝統音楽の香りを味付けした癒し系テクノという感じで、そのコンセプトには深く道教思想や龍のイメージを取り込んだ深遠な精神世界が表現されている。彼はまた美術家でもあり、CDの表紙やプロモーションビデオも自分でデザインしてしまう多才な人物だが、とにかく俺は音楽がなかなか気に入っている。
 そんなわけで、彼のギャラリーが青山で開催されているというので、悠里と行ってきた。
 ギャラリーは、白い壁の一室の天井と四方の壁一面に彼の映像作品が写し出されていて、部屋の凹凸を巧みに計算した映像表現は技術的には見事なものだったが、デザイン的には高度すぎて俺の理解をいささか超えていた。とにかく彼は音楽なのだ。
 金大偉先生本人もいらっしゃった。とても優しい方で、話し掛けるととても気さくに話してくれた。CDにサインも貰い、タオイズムなんぞについて軽く雑談をした。

金大偉先生のオフィシャルサイト:
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kintaii/

 帰り、ギャラリーの下にある広東料理レストランでやたら旨い中華料理を食べ、近くのC社に寄って仕事の打ち合わせをし、帰った。

2003年 4月 21日 (月)
 なんか眠くて、午後まで寝ていた。夕方、支度をして大塚のG社に行った。昔、俺がいた会社である。久しぶりに恩師であるS社長と会った。日曜日だからか、彼は普段着というか、まるでゴルフに行くような格好をしていた。
 本日S社長に会いに来たのは他でもない。頭の堅い彼が、やっとネットビジネスに手を出す気になったので、頼まれてインターネットについて講義をしに行ったのである。講義に来るのはこれで3回目だったが、ようやくインターネットというものが解って来たようだった。
 G社のネット展開がどこまで軌道にのるのかは未知数だが、これで師匠に昔の恩返しができるのなら、俺にとってこれほど嬉しいものはない。
 めしをおごってくれるというので、ラーメン屋で俺がG社にいた時にS社長によくご馳走になったマーボー麺を食べた。俺は今でも中華料理ではマーボー麺を好んで食べるが、そのルーツは元をたどればこれである。6年ぶりだったが、不思議と懐かしさは感じなかった。でも嬉しかった。
 最後はS社長とがっちり握手をして別れた。

 新宿に戻り、パチンコをしていた悠里と合流し、2日連続のデニーズに行った。事務所に戻って、執筆をはじめた。
 週末は「幻想異端小学校」に3話をノルマに執筆することにしている。執筆する部分はいつも、サイコロで決めている。スタートから分岐の度にとりとめなく賽を振って、適当に辿り着いたところにエピソードを付け足してゆくのだ。
 今週は美奈子先生ルートにこれだけは書きたかった「美奈子先生監禁エピソード」を2話分追加したのと、健太郎ルートにひとつ、デッドエンドを追加した。このまま分岐が増えていって、果てしなく物語が広がってゆくのも面白いが、広がるばかりでも読む方にとってはあれだし、たまにはこうしていきなり終わらすのもありだろう。

2003年 4月 22日 (火)
 仕事してました。

2003年 4月 23日 (水)
 モンティ・パイソンの「Live at Hollywood Bowl」のビデオを見た。
python3423.gif これはイギリス・コメディ界の金字塔モンティ・パイソンが、79年にハリウッドでライブを行った時の模様をフィルムにした映画である。
 テレビ放映を通して既に彼らはアメリカでは大スターだったので、生のモンティ・パイソンのコントが見れるというだけでテンションが上がりまくり、会場はえらい盛り上がりようだった。
 テレビや映画と比べると、ライブだけにやはり実際に会場にいないと十二分に楽しめないところがあるが、相変わらずシュールでナンセンスなギャグは画期的で楽しめた。ひとつのコントの最後が次のコントの冒頭に割り込んできたり、ライブの休憩時感にもギャグを盛り込んだりと、馬鹿馬鹿しさもここまで追求すると下手な芸術作品などぶっとんでしまう素晴らしさである。

2003年 4月 24日 (木)
忘れた。

2003年 4月 25日 (金)
 外出予定があったので、ビシッとスーツに着替えた。着替え終わったところでちょうど先方から電話があり、今日は都合が悪いので来週にしてくれと言って来た。時間が空いたので久しぶりに洗濯に行くことにした。
 ビシッとしたスーツを着て、コインランドリーで乾燥機の前に座ってボーッとしていた俺は結構浮いていたのではないかと推測される。

 夜、仕事のファックスが洪水のように事務所になだれ込み、徹夜になった。結局一睡もせずに仕事をしていた。

2003年 4月 26日 (土)
 給料日である。他の人にとっては待ち遠しいこの日が、経営者である俺にとっては悪夢になる。
 その精神的苦悩に輪をかけて、忙しすぎて寝る暇がなく、結局一睡もしていない状態で体力的にもボロボロだった。一睡もしないまま、夕方になってもまだ仕事は終わらない。夜になると、眠気を通り越して酔っ払ったみたいに頭がクラクラしてきて、完全にナチュラルハイになっていた。
 夜7時頃やっと前日から追い込まれていた仕事が終わった。しかしまだまだやることはあるので、眠る訳にはいかなかった。
 ひとまず社員に支払う給料をおろしに、外に出た。金をおろして、事務所に戻った頃にはもう限界をはるかに通り越して廃人だった。しかし他にもいろいろとやることはあった。覚えていることだけでも幾つかあったので、多分忘れていることも含めたらもう一晩くらいは軽く徹夜ができるだろう。しかし俺には無理だった。
 悠里に金を渡して、俺の代わりにみんなに給料を渡してくれるよう頼み、絶命するようにベッドに倒れ込んだ。そのまま朝まで熟睡した。

2003年 4月 27日 (日)
 朝起きて、ゲームをやっていると、腹が減ってきたので、コンビニに行き、野菜サンドイッチとカップヌードルのチーズ・カレー味とすじこと昆布&鮭のおにぎりを買ってきてテレビを見ながら食べた。昆布&鮭のおにぎりは古いのか昆布が生臭くて不味く、半分食べたところでギブアップしてゴミ箱に捨てたが、それ以外はどれもうまかった。
 食後のんびりテレビを見ているとクライアントから電話があった。今日も仕事があるらしい。ファックスでは送り切れないので、バイク便で指示が届くとのことだった。
 昨日、徹夜をした後にクライアントから届いたメールを思い出した。
 “今夜はお疲れ様でした。まだまだ続きます”
 仕事はまだまだ続くのだ。

 午後、バイク便で大量に仕事の指示が届いた。その直後、新しく当社で臨時で働いてくれることになったE田さんがやってきた。彼に仕事を教えながら、仕事を進めていった。
 夜、E田さんと悠里と三人で、焼き肉を食いに行った。今日のカルビはやたらゴムみたいに噛みにくかったが、全体的にはうまかった。
 食後、いつものようにドトールでコーヒーを飲んで、帰った。徹夜ボケ(時差ボケのようなものである)でまだ8時だというのにやたら眠かった。
 ちょっとテレビを見て寝た。
 深夜1時頃起きて、悠里とデニーズに行って最近お気に入りのキャラメルハニーパンケーキを食べ、宇治緑茶を飲んだ。
 帰って、悠里を寝かせて、俺はまた朝までもくもくと仕事をした。

2003年 4月 28日 (月)
 日曜日だと言うのに仕事が終わらず、徹夜した。三日連続徹夜である。ちょっとチャーミー石川さんを見て、昼過ぎやっと眠ろうとしたところで、また仕事のファックスがにょろにょろと流れはじめてきた。どうやらこのクライアントは俺を殺す気らしい。まあいいや。ひとまずそのまま眠った。
 夜起きて、外出していた悠里と待ち合わせ、ケンタッキーフライドチキンを食べに行った。チキンを食いながら話をした。最近、彼女は俺に影響を受けて道家思想に触れてみたいと「老子」を買って読みはじめたらしい。実に感心なことである。読みながら、「ふんふん、これはわたしにとってとてもためになる本だわ」などと言っている。「老子」は俺もよく読んでいるが、心が乱れた時にこれを読むと明鏡止水の境地に戻れるのだ。まさに心がどうかしそうなときには道家思想というわけである。

 また朝まで仕事した。終わらせても、明日にはまたファックスがにょろにょろと流れてくるのだろう。「幻想異端小学校」の今週のノルマを書きたくてしょうがないのだが、いつ終わるとも果てしない仕事はまだ続きそうだった。

2003年 4月 29日 (火)
 週が明けても相変わらず仕事のファックスは胃がからっぽになっても胃液を吐き続ける沈酔のサラリーマンのゲロのように、事務所の床に流れ続けていた。本当にこの作業料、払ってもらえるのだろうか。すごい金額だぞ、これ。
 昨晩も一睡だにしていなかったが、徹夜もこう続くと慣れてきて、夜になってもあまり辛くなかった。でも少しは辛かった。
 夜9時くらいになってやっとちゃんと辛くなってきて、従業員の前もはばからず、倒れるように机に顔を伏せて眠った。途中ちょっと起きて、スパゲティとメロンパンを食べ、そのまま朝まで眠った。
 暫く日記も書いていない。まあノートはとってあるので、いづれまとめてアップすることにしよう。

2003年 4月 30日 (水)
 朝7時頃事務所に出社すると、静夜さんがいた。ケンちゃんとコミケ(のようなものらしい正確には)に行くついでに入金で寄ったのだそうだ。金を受け取り、彼は出てゆき、俺は仕事を開始した。祝日だが、俺にはあまり関係なかった。止め処なく仕事を吐き出し続けるファックスがうなりをあげている。俺はひたすらパソコンに向かい、マウスとキーボードを動かし続ける。
 昼過ぎ、カレーライスを食べようと思って炊飯器のスイッチを入れた。米は前日に研いで水に浸けてセットしてあった。炊きあがったご飯は見事に腐っていた。俺はべとべとに糊のようになったご飯を袋に二重に包んで捨て、仕事を開始した。暫くして本格的に腹が減ってきたので、コンビニに行った。無性に豆腐が食いたかったので豆腐を一丁と、カップラーメンと菓子パンを買って事務所でビデオを見ながら食べた。やはりコンビニで買った豆腐なので少々水っぽかったが、なるべく賞味期限が先の新鮮な豆腐を買ったのでそれなりに旨かった。
 食後、少し寝て、また仕事を開始した。


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