非幻想異端的日常
2003年 5月 1日 (木)
 徹夜で仕事をしていた。前日も徹夜で、日中に昼寝程度の仮眠をとっただけだった。朝になっても仕事はなかなか終わらなかった。昼が近づいてくるにつれ、時計が気になりだした。午後3時までに六本木に行く用事があった。脳が半分死んだようで、なかなかスピードがあがらない。緑茶を飲んで、頑張った。
 いきなりクライアントから電話があり、打ち合わせに来てほしいと要請があった。六本木の用事を終わらせたらすぐに寝ようと思っていたのだが、どうやらそれは無理そうだった。体力的に不可能に思えるほど睡眠不足と疲労がたまっていたが、気力と精神力と呼吸法でなんとか乗り越えることに腹を決めた。
 仕事が終わり、シャワーを浴び、準備をして、出掛けた。ちょっと遅れて3時すぎに六本木に到着し、用事を終わらせ、次の予定地に向かった。まだ待ち合わせまであったので、近くのカフェ・ド・クリエで時間をつぶした。カフェ・ド・クリエのコーヒーは不味いので、ココアを注文した。ココアをすすりながら、気紛れで買ってみたオール讀物を読んだ。どれもつまらなくて、ほとんどの文章が1ページだけしか読めなかった。オール讀物新人賞の発表があり、受賞作2作品が掲載されていたが、そのうちのひとつが一番面白かった。プロよりも新人の方が面白いというのは如何なものだろうか。もうひとつの受賞作は逆に、文章も下手で、話もくだらなく、つまらなかった。俺だったら第一次予選も通過させないだろう。こうして初めて小説雑誌を読んでみて、日本の出版界はやはりなんとなく問題あるような気がした。
 時間がきたのでクライアントと合流し、打ち合わせをした。打ち合わせの途中、ちょっと居眠りをしてしまった。
 事務所に戻り、よもやまごとを終わらせ、夜10時頃、やっと眠った。

2003年 5月 2日 (金)
steve352.jpg Yahooオークションで買ったスティーブ・マーチンの「The Jerk」を見た。これはスチーブ・マーチンの映画デビュー作で、監督はスティーブの初期作品で名コンビぶりを発揮したカール・ライナーである。後半にいくにつれてギャグが冴えてくるという貴重な展開で(普通は逆だ)、最後の方に至っては、スティーブまさに絶好調という感じだった。カール・ライナーとスティーブ・マーチンというふたつの才能が出会い、名コンビとして完成してゆく過程をそのまま映画で見せられたような気がした。

 金がなくてなかなか支払いが終わらない。銀行に残高を問い合わせてみても、聞かなきゃよかったと後悔するばかり。
 わが社始まって以来の驚異的な金のなさだ。

2003年 5月 3日 (土)
 朝6時頃目が覚めた。なんかぜんぜん疲れがとれていなかった。もっと寝たかったが、眠れなかった。頭は眠い眠いと駄々をこねている癖に、眠れない。仕方がないので暫く仕事をした。9時頃、やっと本当に眠くなり、寝た。

 おかしな夢をふたつ見た。
 ひとつは幻想的な田舎の風景、具体的に言うと黒沢明の「夢」の田舎を毒々しくしたような雰囲気のなかを、俺が裸足で走っていた。小さな畑と小さな林がかわりばんこに現れ、そこを俺がひたすら走っている。気持ち良くなってきて、走りながら服を脱ぎ捨てだした。そのうちパンツ一丁になった。走りながらふと、帰るとき洋服が見つからなかったらやばいんじゃないかと気がついて、あせって、洋服を集めにもときたところを走って戻りはじめた。すると向こうから俺が脱ぎ捨てた洋服をかかえて、もうひとりの俺がやってきた。俺たちは一緒に歩きながら、会話をした。
 もうひとりの俺が言う。
 「君は晩年、夕方のような静かな人生が訪れるって言ってたよね」
 「うん」
 「それって、こんな風景なんだよ」
 「ええ? それはなんかやだなあ」
 そこで夢は終わった。

 もうひとつの夢は、巨大なスクリーンに裸の安西ひろこがセクシーな肢体をくねらせている。俺はスクリーンの前に立ち、彼女にスー・チーのことを説明していた。
 「スー・チーは良い女優になりましたよ」
 「あらそう?」
 色っぽい声で相槌を打ちながら、安西ひろこは身体をくねらせた。
 そんな夢だった。

 わけがわからない。目が覚めても、やっぱり疲れがとれていなかった。変な夢を見たせいだろうか、頭がボーッとして瞼が重かった。
 とりあえず支度をして、出掛けた。渋谷と西船橋に行った。
 帰りの電車の中で、明日のオフ会のことを考えていた。まだ何もしていないので、とりあえず出席者のリストを作成した。事務所に戻り、ひとりひとりに確認の電話をした。「ザ……ザッピーさんじゃないですかぁあああああ!!!!!」とやたら驚いた方が一名。俺が電話をするのがそんなに珍しいのだろうか。
 外出している間、仕事のファックスがまた大量に届いていた。今夜と日曜日を使ってなんとかかたづけよう。
 夜、悠里がなぜか、やたら調子が悪くなった。一緒にコンビニに行った帰り、とつぜん歩けなくなり、ささえて何とか事務所に戻った。事務所の床にくずれるように倒れ、苦しいと呻いている。どうしていいのか解らず、救急車を呼ぼうかとさえ思った。
 団鬼六オフィシャルサイトのサーバがまた堕ちた件で、S社長から電話があった。いろいろと対策を話し合った。今後の方針についてもいろいろと話し合った。附随してやることが増えた。こちらの方もあまり後回しにはしていられないし、現在かかりっきりの仕事の隙間に如何にこれらの雑務をさしこむか、手際良くやらねばならない。
 悠里の体調は相変わらず戻らなかった。「どうしてこんなに苦しいの? わたしがなにをしたって言うの?」とつぶやきながら、涙を流している。俺は手を握り、ただ見守るだけだった。暫くして、おぶって部屋につれてゆき、寝かせた。
 深夜1時頃、俺は事務所に戻って、たまった仕事をかたづけはじめた。

2003年 5月 4日 (日)
 オフ会の予定だったが、ある悪意による事件があって、悠里の体調が朝からまたやたら悪かった。それはもう、やばいくらいに調子悪く、彼女のオフ会参加が無理なのはもちろん、俺も彼女をほっといてオフ会に出かけるわけにもいかなそうだった。苦しい苦しいと嗚咽しては暴れ、痛ましいことこの上ない。オフ会までになるべく仕事を片付けておきたかったのだが、そんな余裕もなかった。仕方がないのでみんなに電話をして、ひとまずオフ会は中止にし、普通の飲み会という形で飲みたい人だけ集まって飲むということになった。
 夜、静夜さん、長島さん、つぶらさんとその彼氏、深江さん、天野さん等オフ会メンバーがうちの事務所にやってきて、事務所で飲み明かすことになった。後から長島さんもやってきた。俺は家と事務所を行ったり来たりしていた。深夜やっと悠里が寝たので、ゆっくり飲みに参加した。ビールを飲みながら、とりとめなく女性や文学の話しをした。墨森先生とよしこさんからも電話があった。これはこれで俺的にはとても楽しいひとときだった。次のテーマも決まった。
 明け方、みんなは帰っていった。
 みんなといるときは楽しかったが、終わってみると、なんだかすごく疲れていた。
 すべてが慌ただしく過ぎてゆく。机の上には、手をつけていない仕事のファックスが山と積まれている。悠里の体調は戻らない。金のあてもない。
 冗談みたいな不調が続いている。外はいい天気だ。空を見ていると、すべてを捨てて旅にでも出たい気分である。

2003年 5月 5日 (月)
 午前11時半頃起きて、仕事をはじめた。ちょっとして悠里も起きてきた。今日もだいぶ調子が悪そうだった。
 午後、ついに悠里が苦しみのあまり、暴れ出した。これ以上仕事を停滞させると非常にまずかったので、俺は仕事を続けた。悠里が叫びながら表にでて、警察が呼ばれ、事務所まで警官がやってきた。事情を説明し、暫くして悠里が帰ってきた。悠里が泣きながら、家族の話をしはじめた。聞いていられなかったが、仕事をしながら聞いていた。
 暫く落ち着いていたが、深夜になってまた苦しみだしたので、医療センターに電話してアドバイスをもらった。とても参考になった。彼女の通院している病院も、これくらいのことを言ってくれると家族としても安心できるのだが。やはり病院は新しく探さなければならない。
 事務所の床に横になって眠った悠里にコートをかけてやり、俺は黙々と仕事を続けた。

 本当にこの週末はまいった。
 わが社はじまって以来の仕事量の多さに重ねて、悠里の前代未聞の調子悪さが加わり、運悪くオフ会の予定日とも重なっていた。実はわが社始まって以来の経営難も重なっていたのだが、もう資金繰りのことで悩む暇もなかった。
 悠里は苦しさのあまり暴れのたうちまわり、その後ろでファックスは流れ続ける。クライアントからは電話が鳴りまくる。仕事はできない。金のことも頭から離れない。
 そう、金と言えば、飲み会のときにお金を払うのを忘れていたことにいま気がついた。長島さんに紙コップのお金も渡さなかったじゃないか。ごめん、みんな。このお返しは、いづれ、何倍かにして。

2003年 5月 6日 (火)
 事務所の床で起きた。すぐ仕事を始めた。昼、パークハイアットに昼食を買いに行く。マクドナルドで話題のプレミアム・バーガーとテリヤキ・マック・バーガーを買い、ドラッグストアでカップラーメンとカップ焼そば「俺の塩」を買い、コンビニでたらこスパゲティを買い、事務所で食べた。プレミアム・バーガーは笑ってしまうほど普通のバーガーだった。マクドナルドも見事に墓穴を掘ったものだ。

 食後、ビデオでジム・キャリー主演の映画「マジェスティック」を見た。
majestic356.JPG コメディ以外のジムにはあまり興味はないのだが、監督があの「ショーシャンクの空に」と同じ人だと解って、借りてみた。ふたつの中途半端な要素が組み合わさって、見たくなった映画なのだ。
 極めて良く出来た素晴らしい映画だったが、どうしても「ショーシャンクの空に」と比べてしまって、かなり見劣りする印象があった。監督で映画を見るとより味わい深く見れる場合もあるが、逆の場合もまたあるのだ。内容は全然違うが、雰囲気とかよく似ている。ショーシャンクの空似である。
 ラストの寸前で、これは「幸福の黄色いハンカチ」オチだろうと読めてしまったが、それでも感動した。
 ジム・キャリーは相変わらず出っ歯だった。

 長島さんの「CVC-01:マッチ売りの少女のように」に俺の親友が出品している。優勝するとプレステが貰えるらしいので、ぜひみんな、投票しよう。無理かと思うが。
http://cvc0.com/

2003年 5月 7日 (水)
 ここ一週間ほどかかりきりだった仕事が今日の夕方くらいになって、ようやく一段落ついた。これで余裕が出てきたかと思うと、そうでなく、細々とした仕事がずいぶんたまっていて、返って慌ただしくなった。

 近頃いろいろと悩みは尽きない状態が続いていて、先日悠里の友達の占い師のお姉さんに「周りの人に相談した方がいい」と間接的に助言された。
 そういえば、俺は何かあってもあまり人に相談するということをしない。落ち着いて状況を分析し、問題をとりまく要素を漏れなく照らし合わせてみれば、自ずと全ての選択肢は浮かんでくるし、そこからより正しい判断をするのに余計な多数決をとる必要はない。しかし根が素直な性格なので、「相談しなさい」と言われれば相談してみるのもいいかもしれないと思いはじめた。そこで事務所のみんなに相談してみた。相談したこと事態はあまり意味はなかったが、それをきっかけに状況が動いて、ひとまず結果オーライといった状態に落ち着いた。
 世界は実にうまく構成されている。

 ビデオでロバート・デニーロ主演のコメディ「ミート・ザ・ペアレンツ」という映画を見た。デニーロ主演のコメディというところにちょっと興味をそそられた。
 デニーロ主演のコメディと言えばかの「キング・オブ・コメディ」が思い出されるが、あれは俺が生涯見た映画で最高のミス・キャストにもかかわらず、映画としての見ごたえはあるなかなかの佳作だった。
 こちらはまあ、大した映画ではないが、会話などは味があって楽しかった。

2003年 5月 8日 (木)
 東新宿で、全品100円のスーパーを見つけた。100円ショップというのはよくあるが、100円スーパーとは。メロンもソバもそうめんも缶詰めも茶碗も刺身もすべて100円。これから食料はここで買うことにしよう。

2003年 5月 9日 (金)
 悠里の体調が悪いので、近くの東京医科大学病院へ行ってみた。2時間待たされたあげく、ロクな診察もしてもらえず、その上、5000円も請求された(保険証持参)。今日初めて来たのだが、この病院がシステム的に問題あるのは明らかだった。まさに「ブラックジャックによろしく」の世界である。
 診察が終わり下におりると、見知らぬおじさんが「なんだこの病院は! ふざけるな!」と暴れていて、ガードマンに取り囲まれながらふんばっていた。そりゃこんな病院じゃこういう輩も出てくるだろう。
 俺は遠くからおじさんにむかって拳をつきあげ「がんばってください」との意思を無言で伝え、そこを去った。

2003年 5月 10日 (土)
 上野に行った帰り、なじみの古本屋に寄った。本を物色しつつあちこちの本棚を見て回っていると、いきなりそこの主人に「あんた、何をお探しですか!?」と厳しい声で叫ばれた。
 「は? 『何を』って、本を探してるんですが?」と答えると、
 「ここは古本屋なんだから、困るんですよ。あちこちふらふらと見て回られては!」
 と怒鳴られた。俺は固まった。あちこち見て回るのが客の当然の権利ではないか。何を言ってるんだ、このハゲおやじは?
 そう言えば、ここのおやじは以前、俺が本を探していた時、息がかかるほど近くに寄って来てじろじろ監視し続けていたことがあった。また別の時、他の客を同じように注意しているのを見かけたこともある。ようするに万引きを気にしているのだろうが、ここまでやると客を減らすばかりじゃなかろうか。
 喧嘩しようと思ったが、面倒臭いので「じゃ、帰ります」と言って、そこを立ち去った。もう2度と来るまい。
 秋葉原で日比谷線から山手線に乗り換えるついでに中古ゲーム屋に寄り「月箱」を買った。

 夜、ビデオで香港映画「グリーン・デスティニー」を見た。
 なるほど、この時代の武道の達人は空が飛べたらしい。

2003年 5月 11日 (日)
 土曜日だけの非常勤アルバイトE田さんがやってきた。仕事を手伝ってもらった。彼はまだ助けになるほど仕事を覚えていなかった。仕事をこなす時間よりも、教える時間の方が長かった。早く仕事を覚えて、わが社の事業に貢献してほしい。
 夜、2年半ぶりに実家に帰っていた悠里が帰ってきた。
 仕事は前回よりもはかどったが、完全には終わらなかった。3人で、デニーズに食事に行った。俺は豚の生姜焼きを食べた。うまかったが、ちょっと量が少なかった。デザートにまたキャラメルハニーパンケーキを食べたかったが、悠里が早く帰りたそうな顔をしていたのでやめにした。食後、E田さんは帰り、俺はビデオで「サクラ大戦」を早送りで見て、仕事の続きを始めた。

2003年 5月 12日 (月)
 週末もほぼ終わる日曜日の午後、やっと仕事が一段落ついた。俺は休むことにした。少しとは言え、週末ゆっくりするのは本当に久しぶりだった。
 とりあえず第七回幻想異端文学大賞の募集ページを作った。今回のテーマは「蜘蛛の糸」である。ついに大御所・芥川の登場だ。前回がテーマの問題か、あまりパッとしない結果に終わってしまったので、今回は意識的に幻想異端文学連盟らしいテーマを選んでみた。俺も早速、構想にとりかかろう。芥川龍之介がスパイダーマンに変身して神と戦う話などいいかもしれない。

絡新婦の理 文芸誌を読んでいたら京極夏彦の短編が載っていた。長らく遠離っていたが、久しぶりに京極の長編が読みたくなり、未読の書庫を漁っていると、「絡新婦の理」があったので(まだこんなところで止まっておったのか)、読みはじめた。そのまま朝まで本を読んだりキーボードを叩いたりして、過ごした。仕事があってもなくてもとりあえず徹夜してしまう夜型人間の俺であった。

2003年 5月 13日 (火)
 朝6時に寝た。昼過ぎまで寝てようと思ったのだが、仕事の電話で起こされた。もう寝るのは止めて、仕事を始めた。やることは山ほどあった。書類を用意して、至急送らなければならない郵便が2通。制作の仕事がいくつか。あとは指示や企画などの雑務である。
 午後西新宿でKさんと会い、集金と仕事の話をし、帰りにレンタルビデオに寄ってビデオを借りて帰った。毎週月曜日はビデオを借りる日なのだった。
 夜、借りてきたビデオのひとつを見始めた。スティーブ・マーチンのコメディだった。マデリーン・カーンが出ていた。久しぶりにこの女優を見たが、いつの間にかおばさんになっていた。あまり面白くないので途中で止めて、違う映画のビデオを見始めた。最近、ビデオを借りてきても外れが多い。

ブコウスキー ブコウスキーの伝記を読んだ。ブコウスキーの長編小説のほとんどは彼の自伝のようなものなので、この伝記もそれらの内容に重なる部分が多かった。逆に、ブコウスキーの文学とはブコウスキーの人生そのものだと言えるので、伝記を読んでいても、どことなく彼自身の小説を読んでいるような気分にさせられた。まあ全体的に面白い本だった。それにしてもブコウスキーの本を読むと、酒が飲みたくなる。

2003年 5月 14日 (水)
 書くことがない。だから感想文でも書こう。
 ビデオでコメディー・ホラー・ミュージカルな日本映画「カタクリ家の幸福」を見た。ネットのあちこちでやたら評判良かったので借りてみた。
 俺が学生時代もっとも衝撃を受けた映画「逆噴射家族」にところどころ似ている部分がある。同じ有薗芳記も出ていた。しかしそんなことはどうでもいい。なんだこの映画は? こんなものを面白いという人は、本当に面白い映画を見たことないんじゃないのか? 単なる馬鹿はどこまでいっても馬鹿でしかない。
 あと大衆小説を2册ほど読んだ。どちらも至極つまらなかった。

2003年 5月 15日 (木)
 よしこさんの友達の満月さんという方が本を出版することになった。満月さんとは俺も一度だけ飲みの場でお会いしたことがあった。その満月さんから、処女出版記念パーティーの招待状が来た。招待状の封筒に「以前、新宿でお会いしましたよね」と書いてあったが、最初は誰のことやら思い出せなくて、かなり悩んだが、結局思い出せなかった。暫くしてよしこさんから電話があり、話を聞いてやっと思い出した。ああ、あの時の。
フラワー 折角だからパーティーには出席したかったのだが、参加費が1万円もするので、また悩んだ。かなり悩んだが、折角なので出席することにした。紹介状に発起人として、丸茂ジュンさん、森園みるくさん、さかもと未明さんとか、月蝕歌劇団の高取英さんなど、最近あちこちで顔を見たり名刺を渡したりした人が妙に目についたのも参加してみたくなった要因である。
 そして今日がパーティー当日だった。寸前で、悠里の病状が著しく悪化し、とても彼女をほって出かけることがままならない状態となった。残念だが、出席はキャンセルすることになった。よしこさんに電話をして、満月さんに深く謝って下さるようお願いしておいた。
 いや、悪いことをした。決して1万円がもったいなかったわけではない。お詫びの印に、宣伝しておこう。

満月さんのホームページ:
http://mangetu.jp/index.shtml

 女性のための愛の絵本『フラワー』、みんな買おうね。俺も絶対買うぞ。俺が読んでもしょうがないかもしれないが。

2003年 5月 16日 (金)
 ホームページ制作の仕事がやたら増えた。つい一週間ほど前まで注文がゼロで、頭をかかえていたばかりだったのだが、この2・3日で(1)Z社のIさんからGのリニューアルと、(2)同じくIさんからの紹介で昔俺もつきあいのあった池袋のMさん、(3)静夜さんの顧客のSからの新しい注文と、(4)同じく静夜さんからの新規がひとつ、(5)最近復活したSさんからひとつ、(6)そのSさんの紹介で代理店JのKさんからひとつ。と計6つもドカドカと新規注文が舞い込んだ。この上まだ増える可能性がある。これでもうちの会社が景気良くなるかどうかはちょっと微妙である。
 この増加ぶりはちょっと極端だ。どうせ来るのなら、ゆっくり来てほしい。第一、こんなに一度に注文がきたって、うちだけで処理できるものではない。
 (1)と(4)は外注のF社に頼み、(3)はうちのケンちゃんが現在制作中。(6)は毎週土曜日に手伝ってもらっているE田さんにやらせてみるとして、残るは(2)と(5)である。ケンちゃんかF社が、現在とりかかっている作業を早く終われせてくれれば頼めるのだが、最悪、俺もひとつこなさなければならなくなるかもしれず、そうなると現在俺が追われているC社の仕事と合わせてますますスケジュールはきつくなる可能性が高い。やはり人材不足と資本不足は微妙に響いているのだ。まあここはひとつ、がんばろう。
 それにしても何で、いきなり仕事が増えたのだろう。
 そこで「はっ」と、さっきつぶらさんから来たメールを思い出した。曰く
 “事務所の水回りを綺麗にすると、運が変わります”
 確かに、先日お勝手の三分の一ほどを掃除したばかりだった。なんと、お勝手の三分の一を掃除しただけで、この変わりようなのだろうか。ならば、お勝手とトイレすべてをピカピカにした日には、更に今の6倍の仕事が舞い込むというのだろうか。これはすごいことだ。
 今週末、早速、トイレとお勝手の残りを掃除しようと俺は心に決めた。

2003年 5月 17日 (土)
 大塚に行ったついでに古本屋に寄り、いろいろと本を買ってきた。石川淳と恩田陸と原田宗典と、プロレスの本を2册。
ミスター高橋 プロレスの本はミスター高橋の暴露本第2弾「マッチメイカー」に、それを批判したターザン山本の「ここが変だよミスター高橋!」である。いやはや、二つとも実にいい加減な本だ。
 「マッチメイカー」は大ヒットした前著「流血の魔術 最強の演技」の2匹目のドジョウを狙って、本当は誰が書いたのか、プロレスの裏舞台と称してあることないこと糞みたいにぶちまけ放題書きなぐった至極下らない本である。
 「ここが変だよミスター高橋!」はそのヒットに便乗してターザン山本が、これまたミスター高橋の文章にあることないことケチをつけまくっただけの、まさにミイラとりがミイラ、同じ穴のムジナ的馬鹿本である。
 ここまで馬鹿だと気持ちが良くて、石川淳も恩田陸も数日前から熱心に読んでいた京極夏彦もそっちのけで、一晩中むさぼり読んでしまった。
 俺も確かに馬鹿なのだった。

 本日、2月から働いてくれていたバイトのR子さんが辞めることになった。理由はいろいろである。辞めてしまったとは言え、彼女がうちで働いてくれていたことは意味あることであり、辞めたこともまた何らかの意味が見い出されることであろう。今後も意味ある外注スタッフとしてぜひ頑張って貰いたい。夜、R子さんが辞めてしまったので、悠里が泣いていた。泣くなよ。

2003年 5月 18日 (日)
 E田さんがやってきた。GoLiveやPhotoshopの使い方を教えながら、一からホームページを作っていった。教えながら行き当たりばったりで作っていった割にはなかなかいいものが出来た。いいものを作ると気分がいい。
 彼が作業をしている間、俺は違うMacで動画編集の仕事にとりかかった。未編集の動画がずいぶんたまっている。忙しくてなかなか手をつけられずにいたが、そろそろ仕上げなければまずい状況になりつつあった。AfterEffectを起動して、作業を開始した。動画編集の仕事はたまにしか来ないので、いつもソフトの使い方を忘れてしまい、いちいちマニュアルを見ながら作業をしなければならない。しかも今日は人に教えながらだったので、大して進まなかった。
 夜、E田さんと悠里と3人で寿司を食べに行った。今日はいつになくネタが充実していた。特にサーモンはメロンの様に瑞々しく、とろける旨さだった。シャコも肉厚で旨かった。ひとつアスパラガスの寿司が流れていたのが気になったが、食べてみようと決意したときには時既に遅く売り切れていた。
 夜は第6回幻想異端文学大賞の作品に取りかかるべく構想を巡らせた。なーにーをーかーこーおーかーなーーー。全然ネタが浮かばない。前述の芥川がスパイダーマンに変身して云々というのは勿論冗談である。「あ、それやられたか。ぢゃ俺は違うネタを探そう」などと言っていた輩はよもやおるまいな。とにかく何を書いて良いのかさっぱり解らない。意外と難(むず)いかもしれんぞ、このテエマは。
 とりあえず、ウォーミングアップに幻想異端小学校を軽く執筆した。幻想異端小学校は作品を書く前のウォーミングアップに最適である。皆もそのように利用してみては如何だろうか。

2003年 5月 19日 (月)
 寝不足で調子があまり思わしくなかった。
 午後、天気がそこそこに良かったので、悠里と散歩に出掛けた。相変わらず日曜日の新宿の街は必要以上の情報料に溢れ返っていた。駅前まで歩いて、パークハイアットまで戻り、エクセシオールカフェでココアを飲んで帰った。それから夜まで、そこはかとなく駄文を読んで過ごした。名文を読む喜びというのはもちろんあるが、意味のない駄文を読む楽しさというのも確かに存在する。
 夜はピザハットでチーズグルメとぜいたくピザのハーフ&ハーフ(ゴールデンチーズクラスト)を注文し、ふたりでテレビを見ながら貪った。食後ビデオでチェビー・チェイスの映画を見ていたら眠くなり、ちょっと仮眠をとった。目が覚めてからは、朝までちまちまとキーボードを叩いて過ごしていた。

2003年 5月 20日 (火)
 何故だか一日中とても眠かった。夕方悠里を連れて病院に行った。受付のお姉さんが美人だった。その後、用事があって川越に行こうとしたが、バス停の前でお得意先から電話があり、急ぎでサイトの更新を頼まれた。川越行きを明日に伸ばし事務所にトンボ帰りして、作業をした。トラブルがあって思うように進まず、1、2時間で終わらせる積りが3時間以上かかった。終わったと思ったら、また指示のファックスが流れ出した。電話で聞けば、納期は明日の午前中だと言う。深夜は滞っている動画編集の作業を遣っ付けようと思ったのだが、またこちらの仕事にかかりっきりになりそうだった。ひとまず仕事を中断して、飯を食った。今日の夕食はデミグラス・ソースのハンバーグと沢庵だった。沢庵はちょっと古くなっていて、ふた口食べて捨てた。余ったご飯は赤はなのりの味噌汁をかけて食った。食後少しビデオを見て、コンビニに行き麦チョコと煙草を買って食べながら眠い目を擦り乍ら面倒な仕事に取り掛かった。外ではカラスが鳴いていた。

2003年 5月 21日 (水)
 用事があって、川越に行った。ちょうど母上が休みだったので、悠里も連れてゆき、3人で「牛角」で食事をした。肉をしこたま食った。うまかった。母上は元気そうだった。

チャーリーズ・エンジェル 今日はロフトプラスワンでサド侯爵のイベントがあったのでぜひ行きたかったのだが、川越が長引いて結局行けなかった。団鬼六先生の奥さんも出てたみたいだし、取材だと言えばタダで入れたんだけどな。七海令央さんも出てたのにな。見たかったな。七海さんのSMショー。

 ビデオで「チャーリーズ・エンジェル」を見た。いや、なんか、面白かったんですけど…。いいね。馬鹿馬鹿しくて。アメリカ映画らしくなくて。アクションとか。香港映画みたいなノリで。マトリックスのパクリとか。ワイヤーアクションとか。それにしてもキャメロン・ディアスの顔って、年々濃くなってくるよな。

2003年 5月 22日 (木)
 今日は都内の某所で、友達の女性のイベントがあった。午後、彼女から電話が来た。「今日は来るの?」「はい、行きま〜す」と最初はいい感じだったのだが、話しているうちに喧嘩になった。
 「来たくないんなら、来なくていいわよ! じゃ、今日はもう来ないのね!?」と彼女が怒り出した。俺はもちろん、来たくないなどと一言も言っていない。
 あとで原因をいろいろと考えてみるに、「今日は何時頃に行ったらいいんですか? お手伝いできることがあったら早めに行きますけど、よろしいんだったら普通に6時頃行きます」と俺が言ったのを、「ブツブツ言うんだったら、行きたくないってはっきり言ったらどうなの!?」という解釈になったんじゃないかと思う。
 もともと彼女は気を遣って、相手の顔色を伺いながらしゃべっているうちに、返って内側で疑念が深まっていき、それがいつの間にか爆発し、喧嘩になってしまうというようなことが過去にも何度かあった。俺の喋り方にも問題があったのかどうか解らないが、話しているうちに俺も疲れてきて、最後は決裂という形で電話を切った。
 今回のイベントはあまり協力してくれる人が集まらなかったらしく、それで彼女自身、だいぶ人間不信に陥っていたということもあったかもしれない。要するに不貞腐れていたのだ。なんか後味悪かったが、仕方がないことだったと思う。
 また縁があれば一緒になることもあるだろう。

 ビデオで日本映画「溺れる魚」を見た。この映画は以前、原作も読んだことがあった。原作も登場人物ばかり多くてガチャガチャやらしてるだけの、ロクな小説じゃなかったが、映画もロクなもんじゃなかった。ところどころ笑えた分、映画の方がいくらかマシだったか。クライマックス以降の破綻ぶりが何とも愚かしい。

2003年 5月 23日 (金)
 悠里を連れて六本木のTさんを訪れ、仕事の打ち合わせ。内容が占い業界のことだけに、いつになく悠里が饒舌になり、Tさん感心してふんふん聞いている。仕事を安く引き受ける代わりにウインドウズのパソコン本体とモニターとラックを呉れるというので、ついでに宅急便に来てもらい、事務所に送って貰う。悠里が風邪を引いていたので、風邪薬まで貰っていた。打ち合わせの後、六本木交差点のアマンドで悠里とちょっとお茶して別れ、俺はその足で本八幡へ。事務所に帰る頃には夜10時になっていた。近頃事務所でゆっくり仕事ができるのはもっぱら深夜ばかりだった。朝まで終われている仕事をせっせと進めたが、まだ半分も終わらなかった。

2003年 5月 24日 (土)
 徹夜明けて、朝10時頃やっと一段落ついた。今日は午後一から出掛けなければならないので、2時間だけでも眠っておこうと、事務所の床にごろんと横になった。折角寝付いたと思ったら、11時頃仕事の電話があって起こされた。意識が朦朧としていて、電話でしゃべりがら、既に数秒前の電話を取った時の記憶がなかった。「いつのまに俺は電話でしゃべっているのだろう」みたいな感覚で、相手にはかなり機嫌が悪く思われたのではなかろうか。
 午後事務所の床にへばりつく身体を何とか剥がして、着替えて出掛けた。まず銀行に行き、その後西新宿で人と会い、新しい仕事の打ち合わせをした。
カレカノ
 ビデオで庵野監督のアニメ「彼氏彼女の事情」を見た。意外と面白かったな。

2003年 5月 25日 (日)
 休日だったが、仕事がたまっていたので仕事をした。とりあえず明日は休みたいので、今日中に何がなんでも終わらせようと、がんばった。徹夜明けて、朝10時頃やっと終わった。

 編集長から指摘を受けて、5月22日の日記の表現に重大なミスがあることに気がついた。編集長のつっこみ。
 「イベントに行けばすべて丸く収まったような」
 確かにあの文章だけ読むと、それであっさりまとまる話にしか思えない。ことはそう単純ではなかったが、多くの要素を省略してしまったことによって、本質がかなりずれてしまったようだ。簡潔にまとめて書くというのも、それが単純に情報量の短縮に止まる限りは問題ないが、あのように事実が飛躍してしまい、特に話を大袈裟に面白くアレンジするとかでなく、自分の意図しない受け取られ方をされ、尚且つ身も蓋もないつっこみを入れられた日には、もの書きとしてこの上ない恥辱である。かなり落ち込んだ。
 文章を綴る危険性を目の当たりにしたひとつの忌忌しき事態として、こうして日記に書き留めておくことにする。

2003年 5月 26日 (月)
本田美奈子 朝まで仕事をしていて、入浴剤をたっぷり入れた風呂に浸かって、眠りについた。午後3時頃起きて、悠里と出掛けた。
 高島屋のHMVで本田美奈子のニューアルバム「AVE MARIA」を買った。実はここでこのアルバムを買うと、6月に行われる握手会の整理券が貰えるのだ。
 ケンタッキーフライドチキンを食べて、買い物して帰った。
 帰って早速、本田美奈子のCDを聴いた。実に素晴らしかった。

↓こちらで聴ける
http://columbia.jp/~minako/list.html

2003年 5月 27日 (火)
 なんかスムーズな感じである。今度こそ、この調子でずっといこう。

2003年 5月 28日 (水)
 悠里が最近、「やまや」に凝っている。やまやとは、うちの事務所の近所にある、食料品や飲料水などが非常に安く買えるスーパーマーケットのようなものである。墨森先生もよくここで酒を安く買っていた。
 悠里は100円のシリアルを買い、100円のフルーツ・ジュースを買い、毎朝シリアルを食べ、フルーツ・ジュースを飲んでいる。腹が減ればマクドナルドのハンバーガーを食べ、喉が乾けば自動販売機でコーラを買っていた少し前と比べると、まったく感心なことだ。経済的だし、健康的にも幾らかマシになった。
 俺はと言うと、以前ここで買ったクラッカーをかじった時、中から糸くずが埋め込まれていたことがあったのと、麦茶が非常に臭かったことがあって、それ以来、トラウマが形成されて一切利用していなかった。
 先日悠里に付き合って久しぶりにやまやに行った。彼女がシリアルとフルーツ・ジュースを買っている間、俺はアルコールの棚を眺めていた。ふと、紹興酒が目に入った。398円。安い。思うが早いが、俺は無意識のうちに紹興酒を買い物カゴに入れていた。
 レジで会計をするとき、後ろに並んでいたおじさんが、俺の買い物カゴの中を見て、「紹興酒だ!」と叫んでいた。だからなんだよ?

 昨晩、仕事が一段落つき、そろそろ寝ようかと思ったそのとき、ふと思い立って、紹興酒を取り出した。胃薬を飲み、グラスに琥珀色の液体を注いで、飲んだ。うまいね。チーズが買ってあったのを思い出して、冷蔵庫から持ってきた。チーズをかじりながら、紹興酒を飲んだ。なんか物足りない。
 物足りない原因を思いついて、本棚からブコウスキーの本を適当に取り出して、読みはじめた。完璧だった。申し分のない夜のひとときだった。なんかチグハグな感じもするが、まあいいや。
 ひとり酔っ払いながら、紹興酒を飲み、ブコウスキーの文章に酔いしれた。

 紹興酒を飲んで寝たので、ちょっと二日酔い気味だった。
 仕事でちょっと池袋まで行った。すぐ帰ってくるつもりが、銀座のHさんから電話があって、今度新しいエッチなネットビジネスをやるので、ちょっと相談にのってほしいと頼まれた。話を聞いてみると、去年知り合いが手を出して失敗した「あれ」ではないか。
 「それはちょっと……止めた方がいいんじゃないですか?」
 とアドバイスをしたが、とにかく凄いシステムで確実に儲かるからと言うので、先方の社長の事務所に行って、話だけでも聞いてみることにした。渋谷に行き、そのシステムを作っている会社を訪れ、説明を受けた。なるほど。確かに凄い。よくこれだけのシステムを構築したものだ。それなりに感心して、ラーメンを食べて渋谷を後にした。
 いきなり電話があって、新しい仕事先との打ち合わせで、また池袋に行くことになった。池袋に行き、D社を訪れた。寝不足と疲労で脳がかなり死んでいて、話がかなり支離滅裂になってしまったが、無事話を終わらせ、事務所に戻った。
 夜は早く寝た。

 ダイレクトメールでお知らせが来たので、読み物ランキングに参加してみた。
 登録してから、毎日自分でも忘れずクリックしている。しかし努力も虚しく、45位〜50位前後をウロウロしているようだ。
 最初はなかなか健闘しているかなとも思ったが、同じ順位のあたりのサイトを見てみると、普通の日記のサイトや、個人サイトばかり。
 うちもほとんど日記しか更新していない個人サイトではあるが、一応ポータルサイトなんだから、もうちょっとクリック率上がらないのかな。あがらないのかな。あ〜が〜ら〜な〜い〜の〜か〜な〜〜〜〜〜。
 ええい。いいからみんな、黙ってクリックするんだ。1日1回。ノルマだからね。わかったね。

読み物サイト超ランキング

2003年 5月 29日 (木)
 映画「キューティー・ブロンド」を見た。実にありきたりな映画だったが、面白かった。クライマックスは法廷シーンだった。裁判での逆転劇という形で落ちをつけるアメリカのコメディは多い。大抵くだらない場合が多いが、これは特に下らなかった。美容院で●●●をかけた日には●●●を浴びないなんて、美容に詳しい人じゃなくたって常識じゃんねえ。

2003年 5月 30日 (金)
昼過ぎ、六本木で打ち合わせ。夕方、渋谷で打ち合わせ。

2003年 5月 31日 (土)
忙しくて明日も仕事になった。日記を書く時間もない。


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