非幻想異端的日常
2003年 6月 1日 (日)
 午後、悠里と歌舞伎町に遊びに行く。嫌に雨が降っているなと思ったら、台風らしかった。
 ゲームセンターで、ゾンビを殺すゲームをやったら、まじで怖かった。最近のゲームは本当に良く出来てる。子供の頃からこんな怖いゲームばかりやって育ったら、やっぱり精神的な健康上よくないんじゃないかと思うが、いいのだろうか。
 夜は休日だと言うのに仕事に追われていた。早く遊びたい一心で、がんばった。さっきやっと終わった。早速、たまっていた4日分の日記をまとめて書いた。ほとんど何をしたか忘れてしまっていたので、いい加減な日記になった。
 外はすっかり明るくなっていた。

 京極の「絡新婦の理」を読み終えた。おお〜。久しぶりにすごいものを読んだな。超大作だね。天才じゃなきゃこんなすごい小説は書けないね。こんな難しくて長くてややこしいストーリーよく考えたね。文章もいいね。とくに女性の描き方がいいね。映像が鮮明に浮かんできたね。
 この小説は最初からじっくり読んで、最後まで読んだら、各章の寸前にある短い文章をもう一度読み返すと、よりいっそう味わい深く楽しめる。それにしても碧ちゃんは可哀想だったね。
 とにかくこれで、「姑獲鳥の夏」から「塗仏の宴」まで、現在まで出版されている京極夏彦のこのシリーズは全部読んだことになる(やっとだ)。「百鬼夜行」に入る前に、もう一度「姑獲鳥の夏」から読み返そうかな。「嗤う伊右衛門」を読むのはいつのことやら。

2003年 6月 2日 (月)
日曜日。今日こそは仕事をしないと心に決め、ゆっくり過ごした。
散歩をし、お茶を飲み、京極夏彦の小説(「魍魎の匣」を再読中)を読み、文章を綴り、ビデオでつまらない映画を見たりした。

2003年 6月 3日 (火)
 やたら慌ただしい一日だった。
 いろいろあったが、日記に書くほどのことはあまりなかった。

2003年 6月 4日 (水)
 先日読んだ「絡新婦の理」をきっかけに、京極夏彦にえらく嵌っている。京極夏彦はずいぶん前にもかなり嵌った。久しぶりに読みはじめたのだが、やっぱりまた嵌った。こんな面白い作家を、俺はどうして何年も読んでいなかったのだろうか。不思議に思って暫く考えて、思い出した。駄作(意図的?)である「どすこい」を読んだ後遺症によるものであった。あれは酷かった。群がってくる愛読者をちぎっては投げ捨てるような馬鹿本だった。つくづく得体の知れない作家である、京極夏彦。

 朝まで仕事していて、ちょっと寝て、午後外出。出掛けにバタバタして、掛川さんとの待ち合わせに遅れる。遅れて新宿南口に到着すると、ソフマップの前で偶然に掛川さんと遭遇。ファーストキッチンでCMの打ち合わせ。うまいアイデアを思いつく。その後代々木へ。時間が空いたのでブックオフに寄る。最後は歌舞伎町。帰りに100円スーパーで食料を購入し、事務所に戻った。夕食は最悪だった。夜は早く寝た。

2003年 6月 5日 (木)
 早起きすると妙に仕事がはかどる。今朝は6時半に起きたので、午前中はずいぶん片付いた。100分の一くらいは終わっただろうか。
 夕方池袋に出掛けようと思ったら、寸前で様々なトラブルが相次ぎ、さあ出掛けようと思ってから1時間くらい、出掛けられなかった。永遠に外に出れないんじゃないかと思った。外に出た直後、携帯が鳴り、よもやまごとが押し寄せ、事務所の前でまた15分くらい足留めを食った。実にしつこい運命のいたずらである。
 夜めしを食った後、ビデオで映画「グリンチ」を見ていた。あまりにも酷くて途中で眠った。

2003年 6月 6日 (金)
 歌舞伎町へ行って、打ち合わせ。ネットのことがさっぱりな相手だったので、時間の節約で早めに切り上げ、外に出てから携帯でネット担当の方に電話する。すぐに話がまとまった。その後千葉へ。電車の中では某歴史小説を読んでいたが、どうも面白くないので駅のゴミ箱に捨てる。
 千葉のクライアントに「最近どう?」と聞かれたので、「おかげさまで、急激に売り上げがあがってます」と答えた。これは事実だった。最近、ものすごい勢いで仕事が増えている。売り上も急激にあがっている。理想にはまだまだだが、2・3ヶ月この調子で伸びてゆけば、かなり良い感じになるだろう。すると、「だろ?」とクライアント。曰く「私と付き合うと、みんな商売繁盛するんです」とのこと。そう言う方は周囲に複数いるが、それがぜんぶ本当だとしたら、なんて幸福者なんだろうか俺は。
 10時頃事務所に戻った。今夜は忙しいので夕食はカット。プリングルズのクリーミー・チーズ味とミニ・バナナ餡ドーナツをつまみながら、夜遅くまで仕事をした。
 そう言えばこの前、悠里が言っていた。
 「日記を読んでいる人はみんな、ザッピーが働き者だと誤解しているんじゃないかしら?」
 どういう意味なんだろ?

2003年 6月 7日 (土)
 暗い内に寝て午前中に起きる。俺にしては的・早寝早起き生活も順調に続いている。
 午後、池袋東口。これまでメールでやりとりしていたクライアントと始めてお会いする。最初にメールくれた方と、途中やり取りしていた方と、今日お会いした方は全部違う人だった。結構大手なのだろうか。
 ちなみに池袋東口に久しぶりに行ったが、線路沿いのプロムナードはなかなか雰囲気が良くて、古本屋などもあって良かった。
 池袋に来たついでに北口に足を伸ばし、別の用事も済ませる。
 夜、某クライアントがわざわざ事務所まで金を持ってきてくれた。
 今日一日で結構金が入ったが、支払いで瞬く間に殆どお亡くなりになった。

2003年 6月 8日 (日)
 E田さんが来る。
 今度原宿のハイパー・ビジョンにうちで運営しているサイトの宣伝をすることになった。撮影は俺がすることになった。内容は、街頭で素人衆にカメラに向かってサイトの名前を大声で叫んでもらったものを編集するという良くあるタイプのものだ。本格的な撮影は来週だが、今日はその予行演習も兼ねて、事務所の前のパークハイアット広場で撮影をした。E田さんにも協力してもらい、それなりに感じはつかめた。
 撮影の後、事務所で仕事。今日は悠里が具合が悪かったので、仕事は早めに切り上げてE田さんは帰っていった。
 仕事が終わらず、夕食はあんドーナツとチョコ・デニッシュと牛乳で、あとはずっと仕事をしていた。

2003年 6月 9日 (月)
 思い立って、カーテンを買いに行く。事務所の上に部屋を借りてそろそろ1年になるが、ずっとカーテンがないままだったのだ。まず歌舞伎町のドンキホーテに行ったが扱ってなかったので、南口の東急ハンズに行く。あったが、意外と高かった。2900円のオレンジ色のチェック柄を3つ購入し、途中で悠里と落ち合って、事務所に戻った。
 午後、悠里の実家に行く。彼女の母君と初めてお会いした。とても若々しい母君だった。彼女の経営するコンビニで、件のCMの撮影(昨日の日記参照)をさせてもらった。悠里がコンビニで立ち読みをしていて、その後ろに母君がいて、二人一緒にカメラの方を振り向いて台詞を言ってもらうといった感じだった。それなりに巧く撮れた。メロン・ソーダとフライド・チキンをご馳走になり、お弁当をお土産に頂いて帰った。

 来週は新宿で本田美奈子の握手会だが、売り出し中の新人歌手よろしく回っておられるのか、7日の土曜日には秋葉原で行われていたようで、一足先に静夜さんが行ってきたらしい。詳細は彼の日記を参照。完全に先を越されたようだ。

2003年 6月 10日 (火)
 件のCMの撮影(8日の日記参照)で、原宿で掛川さんと待ち合わせ。
 街歩く女性に次々と声をかけ、出演交渉。誰も協力してくれない。ひとり着物を着た可憐な女性がいて、話を持ちかけたら優雅な京都弁で断られた。あと美しい女性がいたのでお願いしたら、本人は乗り気だったものの、既に事務所に所属しておりマネージャーを通さないと駄目だと言うので諦めた。その他原宿の各地で数十人に声をかけたが、駄目だった。掛川さんの知り合いの美容室で一本撮らせてもらった以外は、収穫なし。街頭の素人を使ってCM撮影というのも思ったより難しい。
 場所を変えて、新宿へ行ってみたが、やはり誰も協力してくれる方はいない。ちょっと思考を変えて、高円寺へ行ってみた。何人かに声をかけて協力を要請したが、やはり駄目。寝不足もあって、精神的にも肉体的にも疲労が頂点に達し、ひとまずラーメンを食って休んだ。食後、また再開。ある女性が協力してくれ、やっと撮影できたかと思うと、その後は声をかける女性がことごとく高確率で協力してくれるようになった。
 これまで何十人に話を持ちかけて駄目だったのに、突然50%以上の確率で撮影させてくれるようになった。これはどうしたことだろうか。10人ほど撮影し、ひとまず今日は帰った。
 ケンちゃんが体調を崩して休んでいたので、事務所では彼の仕事を中心に片付けた。撮影でもの凄く疲れていたので、酷く辛かった。仕事はたまる一方だった。

2003年 6月 11日 (水)
 本日の撮影は中止。事務所でずっと仕事。夜、洗濯。

 今日ひとつ悟りを開いた。俺はよく「金がない」だとか「経済的に苦しい」だとか言っているが、それらは須らく幻想だった。金は常に有るのであり、同時に無いのである。金が無いなどと言って嘆くことも、金が儲かったなどと言って喜ぶことも、実に愚かしいことだったのだ。
 大体、金などというものは、生きていれば自然と出たり入ったりするものであって、それ自体を主体として考えるものではない。金、金、金と言ってばかりいると、人生の第一義を見失う。足を考えてみると良い。人間は足が無ければ歩くことがままならず、足が無いと前に進めない。しかし「人生は足だ」などと言う人はいない。無くなって初めてその有り難みが解るが、普通に生きている限り、その存在は忘れていて呵るべきだ。
 ただこういう考え方だと、金はなかなか貯まらないものだな。

2003年 6月 12日 (木)
 銀行に行かねばならなかったが、忙しかったので、代わりに悠里に行ってもらった。行く所が減ったと思って喜んでいると、六本木のTさんから「今日はいつ来るの?」と電話。「今日でしたっけ?」と俺。確かに今週中に彼の所に行く予定だったが、思わず忘れていた。どうやら今日だったらしい。慌てて支度して、六本木へ。打ち合わせの後、本八幡へ。打ち合わせで、素人のクライアントがデザインに関していろいろと口を出してくるので、誘導するのに一苦労。本八幡の後、歌舞伎町に行く予定だったが、遅くなってしまったので、来週になった。事務所に戻ると、また仕事が山と積まれていた。ちょっとやることが多すぎる。眠い目をこじ開けながら、2時くらいまで仕事をして、ベッドに入った。いきなり目が冴えて、なかなか寝つけなかった。もうすぐ満月だ。

2003年 6月 13日 (金)
 うちの事務所は滅多に来客など来ないのだが、来る時は集中する。今日は3組も来客があった。来客がある度、事務所の狭さを痛感する。特に、人が来る時に限って社員が全員揃っていたりする。それに加えて、今日は椅子のひとつをお浄めと称して塩を盛って祀っていたり、パソコンが入った段ボールが事務所の真ん中にでんと置いてあったりで、来客が二人も来ると座る場所もなければ足の踏み場もないといった有様だった。もう少し儲かったら広い事務所に引っ越すべきなのだろうが、何分、俺は人生で引っ越しばかりしている割には引っ越しが嫌いなので、できることならここからもう動きたくないものだ、と思う。

2003年 6月 14日 (土)
 掛川悠君がやってきて、一緒に件のCM(8日の日記参照)の撮影。街頭で素人の女性をつかまえて、カメラに向かってホームページのタイトルを言ってもらう。最初はパークハイアット前の広場で撮影していたが、係員みたいな人がやってきて、「ここは撮影禁止です」と怒られた。仕方なく場所を変え、都庁の周りをぐるぐるまわりながら、女性に声をかけまくる。それなりに成功した。ひとり可憐な女子高生が、CMに出れるのが嬉しいらしく、えらくはしゃいで協力してくれた。カメラを向けて台詞を言ってもらうと、なかなか張りのある元気な声で、いい感じである。世の女性達がこれくらい素直だといいのだが、しみじみ思った。女学生はひとりくらい入れたいと思っていたので、良い素材が手に入った。あとOLと、外人を入れたかったのだが、なかなか牙城は固く、誰も協力してくれなかった。少々心残りはあるが、とりあえず量的に、素材は十分揃った。今週末あたり、編集作業に入ろう。
 撮影後、掛川君と悠里と三人で、インド料理レストラン「スパイスヘブン」のランチバイキングで昼食。朝食にシリアルを食べた割にはよく食った。食後、ウエイトレスのインド人のお姉さんに、CMの撮影をさせてもらった。一応、インド人も外人だから、これで外人ゲット!である。

2003年 6月 15日 (日)
 近頃忙しくて日記をまとめてアップするようになってしまった。
 幻想異端文学連盟に毎日更新できるコンテンツを、と思って始めたこの日記だが、これでは何もならない。

 先日まで撮影にあけくれていたCM(8・10・14日の日記参照)の編集。単純な構成なので、割と早く終わった。
 仮編集バージョンを極秘公開。→
 なんと悠里も出演している。声だけだが、俺も出演している。
 この後何度か試行錯誤を繰り返して、最終的に編集したものを来月から原宿のハイパービジョンで流すわけだが、原宿を歩く若者を振り向かせるにはちょっと地味だろうか。
 まあ、初めてこういったものを撮影・編集した割には、よく出来たんじゃないかと。

 夕方、新宿高島屋のHMVで、本田美奈子のミニ・コンサート&サイン会。
 音楽が流れ、本田美奈子がステージに現れたときは感激した。実に歌がうまい。今にも折れそうな細い身体で、よくこんなパワフルな声が出るものだ。
 ミニ・コンサートの後、握手会。握手をするとき、「今日はとてもよかったです」と言うと、彼女は「えっ! 本当ですか! ありがとうございます!」と大袈裟に目を丸くして驚いてくれた。あまりにも愛想が良いのでその後二言三言話し掛けると、その都度「えっ! そうですか!」とか「本当に!? ありがとう!」と申し訳なくなるくらい丁寧に驚いて喜んでくれた。なんかその後、微かに自己嫌悪に陥ったのは何故だろう。まあいいや。

 夜、悠里と悠里の妹君と天野氏と「小松」4人でスッポンを食べに行く。
 「小松」に入るなり、女主人が俺の顔を見て「あら、久しぶりですね」と言った。覚えててくれたのか。
 今日のスッポンはなかなか食いごたえがあった。
 食い過ぎて、ちょっとお腹が痛くなった。でも元気は出た。

2003年 6月 16日 (月)
 おとついスッポンを食べ過ぎて、まだ胃の中で亀が泳いでいるような気分である。そのうち亀になってしまいそうだ。もう暫く亀はいい、という感じだ。

 悠里と歌舞伎町をぶらぶら。歌ブラは最近の週末の定番だが、そろそろ人混みにも飽きてきた。たまには大自然の中を戯れたい。
 夜はそうめん。うまかった。

 ジャン(そろそろこの呼び方も期限切れだが)氏のフラワーな企画に原稿を依頼され、人様に原稿を依頼されるなんて初めての経験だった俺は、喜び胃酸で短編小説を書き上げ提出したのだが、直しに直しを食らい、1週間ほどの試行錯誤の上、やっと最終オウケイが出た。ほっとした。

2003年 6月 17日 (火)
 少し前から電話でいろいろとビジネスの展開を話し合っていたIさんという方と初めてお会いする予定だったのだが、約束の時間になっても電話がこない。そういえば、先週から彼は音信不通だった。何かあったのだろうか。人間とは、たまに自然消滅する生き物である。

 ビデオで「スターウォーズ/エピソード1」をやっと見た。ここらへんを借りてくるあたり、そろそろレンタルで借りるものが底を尽きてきた証拠である。俺は「スターウォーズ」って特に興味があるシリーズではないのだ。しかし見たら見たで面白い。特にレースのシーンは実にかっこよかった。

2003年 6月 18日 (水)
 俺としたことが、3週連続でWWEを見逃してしまった。今夜こそは見るぞとビデオの予約をセットした。次の日見てみると、チャンネルが間違っていた。12チャンネルじゃなかった。8チャンネルだった。思わずミニスカポリスを見るはめになった。しかしまあ、これはこれなりに。

2003年 6月 19日 (木)
 朝からなんだかバタバタしていた。ちっとも落ち着いて仕事ができない。仕方がないので、昼食はインド料理を食べに行った。夕方以降はそれなりにはかどった。

2003年 6月 20日 (金)
 ホームページ制作を安く請け負ったお礼に、クライアントからウインドウズのパソコンを貰った。忙しくてずっと段ボールに入れたまま、床に放置してあったものを、今朝やっと設置した。古い役立たずのウインドウズを取り外し、ついでにラックの周辺を掃除して整理した。事務所のほんの一角を掃除しただけなのに、40リットルのゴミ袋が二つ一杯になった。この事務所にはまだまだ無駄なものが眠っている。
 新しいウインドウズは快適で、早速「月箱」なんぞをインストールする。
 おお、きれいだ。

 午後、仕事で西麻布に行った。久しぶりにこのあたりに来た。ここは8年ほど前、顧客がいたのでよく通ったところだ。場所としては有名だが、駅からずいぶん離れている。微妙な立地である。
 打ち合わせはほとんど進まない。相手もインターネットに関しては素人なので、俺が動かねば恐らく100年経っても何も進まないだろう。さっさと企画して、形にしてゆこう。
 貰うものは貰ったし。

2003年 6月 21日 (土)
 ビデオで「リリイ・シュシュのすべて」を見た。
 岩井俊二監督は「スワロウテイル」を見てもう見なくていいやと思っていたのだが、天野氏が妙に話しに出すので、なんとなく見てみた。やはり好みじゃなかった(しかしこの映画を気に入る人は結構いるだろう)。映像が綺麗なだけに、描かれる人間のグロさが際立って、非常に不快である(その虚無感をひとつの衝撃・感動と認識するとか)。少年少女達の描き方にリアリティが感じられない(もだえているような一面に実感を感じる方もいて、それはそれである種のリアリティと言える)。話が訳が解らないし、何を言いたいのか解らない(映像に陶酔するには十分だし、プロダクション過程の妙は面白いか)。こう考えてみると、好きな人の理由と嫌いな人の理由は表裏一体みたいな、俺はどちらかというと凄く嫌いだが、好きとか嫌いとか離れたところで、受け手側の人間の心理をいろいろと思索する方が楽しめる映画だった。

 文章を書くのは、精神を安定させるのに都合がいい。

2003年 6月 22日 (日)
 パークタワーに新しく事務用品店がオープンしたので、買い物に行った。俺にとって「近所に出来た新しい文房具屋さん」というのは割と魅惑な概念で、思わずいろいろなものを買ってしまった。掲載誌やプレゼントを送るクッション封筒、近々事務所を整理する予定なので収納ケース、資料ホルダー、本立て、セロテープ、挙げ句にはラミネーターなんてものがあったので、買い物カゴに入れた。後でやってきたE田さんが買い物袋の中を物色しつつその中の幾つかに「こんなもの、100円ショップで買えるじゃないっすか」と突っ込み。わかってる。
 事務所に戻ってラミネーターを試しに使ってみる。なかなか面白い。これを機会に、当社は今後ラミネートも承ります。A4一枚300円。A3一枚500円。

 当社は現在、仕事がいっぱいあって、人材が足りないので、安くホームページ制作を頼める人材を躍起になって探している。今日一人、インターネットで募集した新しい外注スタッフがやってきた。ひとまず、うちでかかえている仕事のうち比較的簡単なものを渡し、腕前を試してみることにした。24歳という若さでフリーという真面目そうな好青年で、フラッシュもできるというのがいい。
 外注スタッフ希望の方は、ザッピー浅野まで。

 夜、E田さんと悠里と三人で、寿司を食いに行き、ヴェローチェでコーヒーを飲んだ。E田さんだけはコーヒーゼリーを食べていた。ヴェローチェと言えばコーヒーゼリーである。
 最近、E田さんに仕事を紹介し、今日それの面接があるということで、彼はいつもより早めに去っていった。

 帰り、何気なくヨドバシカメラのMacフロアに寄り、iBookなどを物色した。俺は来月中くらいにiBookを買う予定である。2月にPowerBookG4が壊れて以来、ずっとノートパソコンが欲しかったのだ。とりあえず今度はあまり高いものはいらない。iBookくらいで十分だ。
 帰るとき、ヨドバシカメラのエレベーターの中で、Macのノートを買ったおじさん二人が居て、お互い顔を見合わせながらにっこり微笑み
 「買いましたか」
 「ええ。やっぱり12インチは」
 「使いやすいですからねえ」
 はっはっはっ。
 と笑いあい、エレベーターを出ると別々の方向へと去っていった。
 見知らぬ人同士が通じ合える、これがMacの良さなのかもしれない。

2003年 6月 23日 (月)
 悠里と浅草に遊びに行った。駅前でミルク宇治金時を食べ、雷門を散歩し、揚げ饅頭を食い、不味い天麩羅を食べて、帰った。夜はテレビで「チャーリーズ・エンジェル」を見ながら蕎麦を食べた。

 テレビでプライド26を観戦。
 ミルコとヒョードルの試合が見て見てみたい。

2003年 6月 24日 (火)
 仕事は朝が一番はかどる。今朝も午前10時には出社し、緑茶を煎れてさっそうとパソコンに向かった。
 いきなり悪友のRENEさんから電話があり、2時間の長電話へ突入。彼はよく事務所に電話をしてきて、俺がいない時も従業員相手に長電話をしたりするので、当社の作業時間をかなり妨害していて困っている。
 それを正直に言うと「たまには息抜きも必要じゃあないか」と訳の解らないことを言う。息抜きは自分で作るものだと思うが。

少林サッカー レンタルビデオに行くと、中古セールのコーナーに「少林サッカー」が1980円で売っているのを発見。即購入した。早速、再鑑賞。
 ビデオで見ると映画館では下らなく思えたシーンもこじんまりとして笑える。逆に、映画館で熱狂した爆裂サッカーアクションの数々は、迫力が見劣りするのは否めない。とにかく名作なのだ。

2003年 6月 25日 (水)
 先日、この日記で外注スタッフ募集と半分冗談で書いたら、早速応募がきた。いや冗談と言っても、こんなところに募集かけても誰も来るまいと思った、という意味での冗談で、募集しているという事実はれっきとした本物である。とにかくすぐに返事を送っておいた。

 夕方、新宿南口ルミネ2階の喫茶店で、H社長と会談。痔の話で盛り上がる。

 夜、千葉で非常に苦手なタイプの人間と会い、気分が著しく悪くなった。
 この輩とは、なるべく早く、縁を切らねばならない。

 深夜、寝る前にまた「少林サッカー」を見た。少林サッカー夜更かしニ連荘である。多分、俺は明日も見るだろう。

2003年 6月 26日 (木)
 新しいネットビジネスの企画のタイトルを提案しなければならず、ひたすら悩む。人に頼まれて、初めて手を出した非常に軟派な仕事なので、頭を馬鹿にせねばならず、あえてレベルを下げてそのレベルで絶妙なネーミングを考え出すというのは、意外と至難の業なのだった。やめたやめた、普段の頭で考えよう。

大山倍達 大山倍達の「世界ケンカ旅」を読んだ。これが案外、面白かった。大山総裁が世界を旅しながら、未知の強豪と戦いまくり、ついでに各地の美女をものにしてゆくという、彼が最もエネルギッシュに無茶をやっていた頃の自伝である。戦う相手は人間に止まらず、時には牛だったり、レンガや岩だったりする。ここに書いてあることが全て事実なのか、自己申告なだけに確証はないが、とにかく読み物として痛快な本だったことには違いない。

2003年 6月 27日 (金)
 六本木で打ち合わせの後、悠里とラーメンを食べた。恐ろしく不味いラーメンだった。まったくと言っていいほど旨味がなく、なんだか微かに酸っぱいような苦いような描写のしようのない味で、こんな味のラーメンは今まで食ったことがないが、特別変わった味という訳でもない。とにかく俺の口には合わなかった。なんでこんな味にしたんだろう。

 知り合いの会社の人がドクリツ君になるので、ドクリツよっ!とばかりに新しい事務所にお邪魔した。事務所は新しいだけに荒削りな感じで、これから何が起こるかお楽しみという雰囲気が漂っている。編集長ブランドの金庫付きパソコンなどを自慢されて、どう反応したものかと困った。兎に角、これらもお世話になりまする。

2003年 6月 28日 (土)
キング 悠里とインド料理に行く。いつもマンゴ・ラッシーをサービスしてくれる店員のケンケン氏が最近バイクを盗まれたとこぼしていた。買ったばかりのバイクで、名前までつけて可愛がっていたらしい。
 「名前は?」と聞くと、
 「クリスティーンです」と彼。
 そりゃ、名前が悪かったんだと思ったら、案の定、スティーブン・キングから拝借したとのことだった。そこからキングの話で盛り上がった。
 キングと言えば、現在俺は「スタンド」と、「小説作法」を読んでいる。「小説作法」は2回目の再読だ。
 「小説作法」は名著だ。文章を書くことの何たるかを語るその文章が、既に彼の名人芸になっている。これまで三島由紀夫や谷崎潤一郎などの文章読本の類いを読んできたが、これほどインパクトのあるものにはついぞ出会ったことがない。
 文章書きを志す者には必読の書と言える。

 数カ月越しに読んできたコリン・ウィルソンの「オカルト」を、ついにギブアップ。駄目だ。身体に良いのか悪いのかも解らない、旨いのか不味いのかも解らない、いくら食べても腹が膨れない得体の知れない食べ物を延々と食べ続けるような文章で、耐えられなくなった。この本は序章だけ読めば十分なのではなかろうか。

2003年 6月 29日 (日)
 いつものように10時に起きて、仕事を始めたが、どうも眠くて、じきに床に横になって居眠りを始めた。第一、今日は休日だ。明日の日曜日も潰れてしまうほど仕事があると言っても、居眠りするくらいで罰は当たるまい。
 寝ていると、いつも土曜日に仕事の手伝いに来てくれているE田さんから電話。今日は疲れていて休めれば休みたいと言う。俺も仕事をする気にならなくて寝ていたと言うと、ちょうど良かったと、喜んで電話を切った。今日は仕事をする気にさせない気候か何かなのだろうか。
 斯様に昼間はだらだらと眠ったり、悠里と西新宿を散歩したりして過ごしていたが、夜はそれなりにはかどった。ひとつホームページの制作が終わった。
 明日もそこそこに頑張ろう。

2003年 6月 30日 (月)
 日曜日だというのに仕事。非常に詰まらない。日曜日くらい好きなことをしないと、何のために一週間汗水たらして仕事をしているのか解らない。無性に寝転がって本を読んだり、キーボードを叩いてパソコンの画面を文字で埋めたり、していたい。しかし仕事は終わっていないのだ。残念で仕方がないが、仕事をした。

 まったく遊ばなかった訳ではなく、悠里と近所を散歩した。近所というのは、東京都庁とパークハイアットである。こう考えてみると、なかなか豪勢な近所である。

 都庁の地下でヒレかつを食べた。ここのソースは濃口ソースと薄口ソースの2種類あって、濃口ソースはトマトと玉葱を煮込んだ一般的な洋風ソースだが、薄口ソースはウスターソースと醤油を混ぜ合わせ、和風に味付けしたものにシナモンの香を加えたという、ちょっと変わったものだった。肉は至極柔らかくジューシーで、ソースも美味しく、三杯もご飯をお代りした。とんかつ屋さんの定食は、必ずご飯がお代り自由なのは何故だろう。
 食後、都庁の展望台に昇り、そこのカフェでコーヒーを飲んだ。ガラス窓からうちの事務所がはっきり見えた。新宿中央公園の広場で蟻のようにサッカーをする人たちが面白かった。
 事務所に戻って昼寝をし、夕方、パークハイアットでまたコーヒーを飲んだ。

 夜、K-1を見ながら仕事を再開。
 K-1というより、ほとんどプロレスだった。


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