非幻想異端的日常
2003年 7月 1日 (火)
 或る大好きな本があって、幾度となく読み返してきたのだが、ここにきて、突如として面白く無くなった。ページを開いても、言葉が輝きを放っておらず、あれほどまでに酔いしれた名文の数々も、味気ない文字の羅列に変貌を遂げている。
 別にその本に飽きた訳ではない。呪われたのだ。いや実際のところ、いつのまにかその本が、インターネットにそこはかとなく漂う邪気を吸ってしまい、本来の精気を失ってしまったのである。
 このような場合、お清めが有効となる。
 俺は本を祭壇に祀り、塩をかけると、線香を焚いて、手を合わせてから一晩そのままにしておいた。
 読書人生30年。実に本の呪を払ったのは初めての経験だった。

2003年 7月 2日 (水)
 悠里と市川の病院に行った。診察の後、駅前で食事をし、コーヒーを飲んだ。何を食ったのかは忘れた。なにせこれを書いているのは一週間後なのだ。忙しくて、ずっと日記を書く暇がなかった。

 市川の後、大塚で撮影をした。慣れないタイプの撮影で緊張したが、それなりに妖しい、良い写真が撮れた。
 撮影後、クライアントを紹介してくれた人を紹介してくれたSさんの店に行って暫く歓談。店とは、セキュリティ用品を売る店である。またこんな商売を始めたのか。みんないろいろやっている。俺もいろいろやっている。金儲けの種はいろいろあるに越したことはない。

 大塚の後、六本木へ寄って、事務所に戻った。

2003年 7月 3日 (木)
 月末の支払いが大方終わり、まとまった入金もあったので、ソフマップにiBookを買いに行った。ついでにエアエッジに入会した。これで何時でも何処でも常時接続である。これからは宇宙が俺の仕事場だ。
 持ち帰りですぐ使えると思ったら、在庫がないそうで、後日の受け取りになった。この虚無感は、言葉に表しようが無い。

2003年 7月 4日 (金)
 夜、編集長がやってきた。iBookがなかなか届かず悶々としていたところだったので、編集長のiBookを見せてもらった。素敵である。
 編集長と悠里と三人でインド料理を食べた。
 パソコンの話はよく解らなくて話についてゆくのが難しかったが、じきに映画の話になり、楽しくなった。

 映画と言えば、先日レンタルしてきた映画「ラン・ローラ・ラン」のビデオがぶっ壊れた。壊れるなよ。俺のせいか?

2003年 7月 5日 (土)
 日暮里のT社にて打ち合わせ。事務所の場所が曖昧だったので、駅から電話をしたが、電波が悪いのか、かからなかった。仕方がないので記憶を頼りに歩いてみると、すぐに見つかった。
 打ち合わせの後、池袋にて集金。部屋番号があいまいだったので電話をしたら、またかからない。こうもそこかしこ電波が悪いはずがないと思って公衆電話から自分の携帯に電話をしてみると、案の定、料金未払いで止まっていた。慌てて近くのドコモショップに駆け込み、金を払った。

 ソフマップにてiBookを受け取る。エアエッジは、書類が揃わなくて来週になった。
 事務所に戻り、セットアップ後、早速iBookを鞄に入れて出かけた。ネットにはまだ接続できないが、せっかく買ったのだし、連れて行きたかった。
 六本木で集金と打ち合わせ。クライアントで友人でもある(←恐らく)Tさんの新しいビジネスは、順調な滑り出しとは言い難いが、順調に進んでいる。
 彼のために、今度街でビラ配りをする決意をした。来月あたり、六本木の街でビラ配りをするザッピー浅野の姿を、あなたは目撃することだろう。悠里もやるらしい。てゆうか、もともと悠里が言い出したことなんだが。

2003年 7月 6日 (日)
 朝イチで、ソフマップに行き、外付ハードディスクを購入。120GBである。
 これで、ノートパソコンで自由に外で仕事をし、毎日重要なデータは外付ハードディスクにバックアップをとるという、黄金のビジネススタイルが完成した。

 仕事が死ぬほどあると言うのに、一日中、iBookの設定にあけくれた。メールアドレスが幾つもあったり、運営しているサイトも多かったりで、なかなか終わらなかった。夜、やっと普通に仕事を始めた。

 仕事の手伝いに来たE田さんと悠里とパークハイアットにめしを食いに行った。イタ飯が食いたかったのだが、イタリア料理屋は閉まっていた。うどん屋も閉まっていた。インド料理は先週行ったばかりだ。仕方がないのでレストラン街を回っていると、串焼き屋が開いていたので、そこに入った。俺は豚丼定食、悠里は親子丼定食、E田さんはチキン南蛮丼定食を注文した。これが旨かった。豚丼はもちろん、他の二種類もちょっとづつ貰って味見してみたが、至極旨かった。近くにこんな旨いめしが食えるところがあったとは知らなかった。これからちょくちょく利用しよう。

2003年 7月 7日 (月)
angels 「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」を見に行った。
 楽しかったが、前作より中身が薄かった。最初のシーンとか、いろいろ好きなシーンはあった。
 まあ見てよかった。

2003年 7月 8日 (火)
 Sさんの紹介で、Aさんと言う社長さんとお会いした。なんかうちと同じようなインターネットの企画をはじめるので、いろいろと協力できることがあれば協力するし、協力してもらえることがあればしてもらいたいということで、かなり漠然とした感じだが、話も漠然ととりとめなく進んだ。結局インターネットに疎い方で、「私はよく解らないんです」を連発していた。俺としては、解らないことがあれば教えることは吝かではないのだが、彼のように何がどう解らないのかさえ解らないような方には、一概に教えると言ってもなかなか難しい。とにかく彼はよく解っていないのだという事実を思い知らされただけで、ビジネス的には最初と変わらず、とりとめのない状態のまま、会合はお開きとなった。まあ彼も広告業界は長いし、俺も紙媒体の頃からいろいろやっていただけに、相互理解という意味で、それなりの親睦は深めることができた。ただ彼は俺と同じような知り合いが多そうなので、今後の展開としては微妙なところである。

 法務省で会社の印鑑証明を取得し、ソフマップに行った。ようやくエアエッジの契約が通り、晴れてiBookに常時接続の環境が揃った。早速ルノアールへ飛び込むと、設定を終わらせ、ネットの世界へとくり出した。次の予定の時間ぎりぎりまで仕事を進めた。違った環境で仕事をするのは、気持ちがいい。

 大塚、本八幡と回った。
 帰りの電車でもiBookを起動し、仕事を進めた。
 この調子だ。と思う。

 すぐに事務所に戻らず、パークハイアットのエクセシオールカフェでココアを飲みながら、iBookを起動し、仕事を進めた。どうせすぐに飽きるのだ。それまでは、新鮮な気持ちで仕事をしたいではないか。
 悠里を呼んだ。iBookを前に、仕事をちょこちょこ進めながら、雑談をした。

 レンタルビデオを返すのを忘れていた。多分iBookのせいだ。延滞料金だ。借りたビデオは壊れるし(4日の日記参照)、踏んだり蹴ったりである。

2003年 7月 9日 (水)
 打ち合わせで久しぶりに西新宿のN社に行く。ここで毎月成功報酬型バナー広告をやっているのだが、来月から固定料金のバナー広告の仕事も貰えることになった。この勢いで、N社の広告専用に、新しいポータルサイトを制作する計画も具体的に進めようと思っている。

 夜、仕事で天野氏がやって来た。天野氏にはiモードサイトの制作をお願いしているのだが、彼はiモードの携帯を持っていないので、うちのiモードを見ないと最終的な微調整ができないのだ。外注に仕事を頼むのは能率の面で問題があるが、だからといって外注に降らなければ仕事はすぐにパンクするので、仕方が無い。

 仕事の後、天野氏と悠里と三人で食事に行った。先週行ったパークハイアットの串焼き屋のめしが旨かったので(6日の日記参照)、またそこに行ってみたが、今日は定食は休みだった。基本的にここは飲み屋なのである。
 仕方が無いので隣の餃子専門店に入った。セロリ餃子、ニンニク餃子、小籠包、お茶漬け風炒飯、ビビンバ風炒飯、フカヒレ炒飯などを注文した。久しぶりにビールも飲んだ。初めてこの店に入ったのだが、なかなか旨かった。パークハイアットでの食事というと、杵屋のうどんが多かったのだが、結構他にも旨い店があるものだ。

 夜、レンタルビデオを返却しに行った。一日遅れてしまったので、延滞料金を払わなければならない。しかも、借りたビデオのひとつがヘッドに絡まって壊れてしまった(4日の日記参照)。
 ビデオを壊してしまったということは、弁償しなければならないのだろうか。いっそ、黙って普通に返してしまえば解らないかもしれない。
 いろいろ悩んだが、やはり正直に言うことにした。
 「すいません。このビデオ、見ていたら、いきなり映像が止まって、テープがヘッドに絡まってしまって、壊れてしまったんです」
 とビデオを返しながら、店員さんに言う。
 「それは申し訳ありません。この分の延滞料金は結構です。あとビデオ一本無料券を差し上げます」
 そう言って、店員さんはビデオ無料券を渡してくれた。
 やはり正直に生きていてよかった、としみじみ思った瞬間である。

2003年 7月 10日 (木)
 午後、この日記を見て応募してきた新しい外注スタッフの方がやって来た。ちょうどやってもらいたい仕事があったので、それをお願いした。
 がんばってください。

 悠里とエクセシオールカフェでココアを飲みながら雑談をする。ついでにiBookを開いて作業。そのまま夕方まで仕事をした。外で仕事をすると、ネットは遅いが、環境が新鮮なので気分的にはかどる。

 最近、外食が続いたので、夜は久しぶりに米を炊いた。
 食後、すぐに寝た。

2003年 7月 11日 (金)
 いろいろあったが、ここに書くようなことは何もなかった。

2003年 7月 12日 (土)
 近頃会う人みんなにiBookを自慢している。しかし別に、自慢するようなものではない。
 ノートパソコンを持ち歩くようになって、あまりの便利さに驚いている。出かけている間に、仕事が溜まりに溜まってゆき、事務所に戻る頃には何がなんだか解らなくなっている。iBookのお陰で、そんな事態がほぼ回避できた。外出中に仕事が入れば、電車の中でも、喫茶店でも、iBookを開いて、その場でさくさくと処理できる。ちょっとした仕事は滞ることがあまりなくなった。本当に、俺のような人間にとって、ノートパソコンは便利だ。

2003年 7月 13日 (日)
 久しぶりに午後まで眠った。土曜日だと言うのに、夕方から仕事で出かけなければならない。西船橋と六本木。
 遅くまで寝ていたので、起きて顔を洗って歯を磨いて着替えたら、もう出かける時間だった。出かけた。

 どうしても好きになれない人間と会うのは非常に苦痛だ。相手の顔を見ていると、なんでもいいから早くこの場を逃げ出したいと思う。会話の内容にいちいち気をつけている心の余裕もない。一秒でも長くこの人物と一緒にいたくなかった。多くの人々と付き合っていると、たまにこんなこともある。

 六本木で悠里と合流。いろいろと打ち合わせをした。
 腹が猛烈に減っていたので、近くの「むつみ屋」というラーメン屋に入った。みそラーメンと餃子と豚しゃぶと大根おろしが入ったみぞれご飯というのを注文して食べた。ラーメンは旨かったが、どうも甘くて、また食べたいと言う気にはならなかった。餃子も旨かった。俺は餃子があまり好きではないのだが、腹が特別減っている時にラーメン屋に入ると、つい餃子を付けてしまう。食ったら食ったで旨いのだが、やはり巷の餃子好きの人たちが餃子餃子という神経は解らない。結局、ここで一番旨かったのはみぞれご飯だった。
 食後、ラーメンの甘さに気持ちが悪くなったので、喫茶店アマンドでコーヒーを飲んで休んだ。夜の六本木はいかにも夜の六本木という感じの人たちで溢れていた。

レンシン 先月あたりから痔が酷く悪化していたので、毎日せっせと痔の薬を飲んでいたら、ようやく楽になってきた。それにしてもレンシン(右写真)は効く。痔の薬としては、史上最強の部類に入ろう。
 しかし、まだ時々は酷い状態になる。
 六本木から帰る途中、いきなり飛び出てきて困った。小指の先ほどの疣が、顔を出しているのが感覚で解った。痛くはないが、非常に気持ちが悪かった。まるで悪戯好きの小鬼が腸の中に住んでいて、内側から指を突き出して遊んでいるようだった。
 「頼むから大人しく引っ込んでいろよ」
 と思わず誰ともなしに呟きたくなる。飛び出した先っぽが、歩く度に尻の皮やズボンの生地にすれて、いらいらする。
 事務所に戻ると、一目散にトイレに駆け込んだ。そこで何をしたのかは、ご想像にお任せしたい。

2003年 7月 14日 (月)
 「鋼鉄ジーグ」のテーマソング(バンバラババン、ババン、バン、ババン、バンバラババン、ババン、バン♪)が最近、耳で自動再生されている。磁石の威力だな。

 「寿司が食いたいな」
 俺の一言で、夕食は寿司に決まった。パークハイアット前のシャトルに乗って、西新宿まで行き、大江戸回転寿司(130円均一)で寿司を12皿食べた。食後、ルノアールでコーヒーを飲んだ。
 事務所に戻り、ビデオを見て、蜘蛛の糸の執筆。書き始めてはつまらなくなって辞め、また違うのを書きはじめるの繰り返し。今回は本当に駄目かもしれない。蜘蛛の糸って、意外と難しい。

2003年 7月 15日 (火)
 レンタルビデオで「パニック・ルーム」を借りてきて見た。小さなビデオ屋だけに、見たいビデオは借りつくしてしまったので、最近はこういった新作映画からざっくばらんに借りてきている。
 「パニック・ルーム」はそれなりに工夫を凝らした映画だったが、至極素晴らしいテクニックといったほどのものはなく、数年たったら極々普通のサスペンス映画でしかなくなるかと思われるような出来だった。微妙な斬新さと、それが色あせる時期が予想できる未来の範囲に留まっている点が、微妙に凡庸な映画と言える。馬鹿になれば楽しめないことは決してない。

 深夜そろそろ寝ようと思って、パソコンを起動した。そういえば深江さんの「蘭蕉房」が今日オープンだったと思い立ち、寄る。いろんな作品が掲載されている。とりあえず眠いので読むのは明日にしようと思ったが、その前に、どんな作品が掲載されているのかなと、あちこちクリックして掲載しているタイトルだけ見ているうちに、思わず墨森先生の作品から漂う異様なオーラに捕まり、引きずり込まれ最後まで読んでしまう。まるでブラックホールのような文章だ。他にも、「これはっ!」と思う作品が幾つか。
 皆さんも、読みましょうね。

蘭蕉房
http://www1.neweb.ne.jp/wa/ang-oh/ran/

2003年 7月 16日 (水)
 昔仕事で親しかったKさんと数年ぶりにお会いした。彼は当時野心に燃えて商売していたが、志し半ばで地位を追われ、暫く音信不通になっていた。その後新しいネットビジネスを始め、再び連絡を取り合うになり、たまに電話で相談に乗っていたりした。いろいろあって最近、仕事を貰うことになり、今日ついに数年越しに再会することになった。
 ちょっとした仕事を引き受けた。あまり金にはならないが、今後に繋がってゆくと良いと思う次第である。

 WWEを見ていて、プロレスラーのミスターアメリカの紹介文が気になった。
 “ハルク・ホーガンの自宅謹慎中に突如現れた謎の覆面レスラー”
 これだとミスターアメリカの正体はハルク・ホーガンであるとストレートに言っているのと変わらないのではなかろうか。
 いや、それは明らかなのだから問題はないのだが、文章がちょっと変だ。
 謎の部分に当て嵌まる要素を先に明言してから謎だと言っても、それは既に謎ではない。正確には
 “突如現れた謎の覆面レスラー。その正体は自宅謹慎中のハルク・ホーガンか!?”
 というのが正しいのではなかろうか。
 それとも、こちらの方が順序だってしまった分、返って明らかだろうか。いや、それはもともと明らかなことなんだから、関係ないのだ。
 まあ早い話が、どうでもいいってことだ。
 しかしやはり気になる紹介文ではある。

2003年 7月 17日 (木)
 用あって、実家に帰る。母にiBookを自慢した。
 「最近はもう、これがないと仕事にならないのさ」
 それを聞くと、母は
 「わたしも最近はね」
 と自分のパソコンを立ち上げた。
 「仕事でパソコンを使うようになったのよ」
 何でも、会社で部下への指示を絵で解りやすく説明した図などをパソコンで作成しているらしい。
 見ると、それは器用にエクセルで絵を描いていた。
 「エクセルって、表計算のソフトじゃん」
 と俺が言うと、母は首を傾げていた。どうやらよく知らないらしい。
 何も知らずにエクセルで絵を描いている人を、俺は初めて見た。
 いや、立派である。

 ビデオで映画「陰陽師」をついに見た。ちゃっちいようで良く出来ていて、良く出来ているようでちゃっちくて、面白いようで、つまらないようで、重いようで、軽いようで、巧いようで、下手なようで、よく解らなかった。その不可解なバランスは俳優陣にも象徴されていて、片や野村萬斎や真田広之の渋い演技が光っていたかと思うと、一方で今井絵里子や小泉今日子がぶち壊し役に回っている。日本映画の可能性と限界を垣間みた作品だった。
 側で見ていた悠里が細部にツッコミを入れまくっていて、そちらの方が映画より圧倒的に面白かった。

2003年 7月 18日 (金)
 とにかく忙しすぎる。あまりにも忙しくて、俺の人生、もうこれ以上忙しくなることはないだろうと思っていると、それ以上に忙しい時期が訪れる。もうこの上はないだろうと思うと、さらに忙しくなる。今がピークだと思うのだが、妖しいものだ。
 おまけに今日は眠かった。忙しくて眠いのはとても辛い。

2003年 7月 19日 (土)
 今日もまた新しいタッフを事務所に呼んで仕事を頼んだ。このところ外注スタッフが急激に増えている。
 仕事が多すぎて内部だけでは処理しきれないのである。
 まあ仕事があるのはいいことだ。

2003年 7月 20日 (日)
 午後起きて、仕事をした。土曜日だと言うのに、今週も仕事だ。

2003年 7月 21日 (月)
 今日は友人の結婚披露パーティーがあった。招待されていたのだが、悠里が体調を壊していたため、一時間ほど遅刻して会場入りした。
 会場は結構人がたくさんいて、俺たちの座る席がなかった。
 仕方なく、会場の隅っこに椅子を持って来てもらい、そこに座った。そこはほとんど人が通る通路で、会場の中心から食事が並べられるテーブルを挟んで隔離されている。
 せっかく来たのにこんなところに座らされるのは嫌だったが、それは置いといて、ひとまずビールを飲み始めた。暫くして、店員さんがやって来て、
 「ここは通路ですから。こんなところに座らないで下さい」
 と注意された。俺は切れた。悠里も切れた。俺たちだってこんなところにいたくない。他に席がないというから、嫌々座っているのだ。それで邪魔者扱いされる筋合いはない。
 「ふざけるな。俺たちだってこんなところにいたくないんだ!」
 と声を荒げると、その店員はささっと他の店員のところに行って、二三言葉を交わすと戻って来て、「わかりました。どうぞこのままで」とそのまま引き続き同じところに座らせた。すいませんの一言もない。
 完全に頭にきて、そのまま会場を飛び出した。友人には悪いことをしてしまったが、あの店員の態度だけは許し難かった。
 編集長と天野が7時頃にやってくる予定だったが、7時にはパーティーはどうせ終わっているので、二人と合流して新宿のさくら水産で飲んだ。降って湧いたような飲みの機会だったが、なかなか楽しかった。
 飲みの後、ハイチ料理屋で旨いコーヒーを飲みながら、11時頃まで歓談をした。

 最近、俺は少々自意識過剰になっているような気がする。
 気をつけよう。

2003年 7月 22日 (火)
猿の惑星 ティム・バートン版の「猿の惑星」を見た。
 噂では、見た者誰もが
 「そりゃないだろう」
 と呆れるラストだと聞いていた。
 もちろん、旧「猿の惑星」と同じオチでは仕方がない。映画至上あれほど衝撃的なラストはなかった。あれほどの名作をリメイクするのだから、オチはそれを上回る、衝撃的なものを求めなければならない。恐らくそんな制作者の意気込みが、見事に滑ってしまったのだろうと想像していた。
 どりゃ。と見てみた。
 堅い演出で、なかなか見応えのある映画だなと思いつつ、ラストが近付いてくると、予想していたオチはことごとく途中経過で通り過ぎ、
 「なんだまだ続くのか」
 と思っているうちに、ついにラストが訪れた。
 「そりゃないだろう」
 と思った。噂どおりだ。
 しかし待てよ、と思いとどまる。
 一見訳の解らない取って付けたような下らないオチに思えるが、よくこの意味を考えてみると、いささか具合が違ってくる。
 要するに、ラストでああなるということは、○○○将軍はやっぱり○んでいなくて(そう言えば○んだシーンはなかったもんな)、あの後何らかの形で○げ出して、再び○の惑星を○○し、その○○に主人公は○○り着いたのだな。で、○○○将軍は、いつか主人公が○って○ることを予○していたので、あそこで主人公は○捕されるという訳なんだな。そう言えば主人公が○の惑星を○つ時、人間の女性が「いつか○って○てね」と言う台詞があった。あれが伏線だったのか。つまり旧「猿の惑星」では主人公は不時着したのは地○だったというオチだったが、バートン版「猿の惑星」は主人公は最後に○○○○に○って来てしまったというオチなのだ。○○○○が地○に○っくりなのが混乱の元だが、これは進化の必然がもたらしたある種の偶然と解釈することもできよう。映画の効果としては、地○に○って来たと思ったら、○た○○○○に○って来てしまったということで納得できる。
 なんだ、そうか。ならば、それほど下らないオチでもない。
 要するにこれは単なる

 説明不足なだけだ!!!

2003年 7月 23日 (水)
 特になし。

2003年 7月 24日 (木)
 韓国人のKさんに連れられて、ホームページを作りたいというクライアントのところへ行った。クライアントも韓国人で、Kさんと二人して、韓国語でしゃべりまくる。俺は訳が解らず、ただ無意味な音に耳を傾ける。クライアントは結構無茶なことを言っているらしく、Kさんも同国語ながら理解に苦しんでいるようで、時折「ああ、ああ」とやっとという感じで納得しながら、「つまりね」と俺にクライアントの趣旨を説明する。俺がそれに対して質問すると、また韓国語の嵐が吹き荒れる。そんな感じでかなり疲れたが、数時間の格闘の末、一応、内容はまとまった。
 帰り、Kさんに一杯付き合うかと言われたが、もう遅いので断った。

2003年 7月 25日 (金)
 波動が合わない人間との付き合いは精神の健康上、あまり良くない。

2003年 7月 26日 (土)
 最近発売されたバニラ・コークが気に入っている。

パトリシア ビデオで「ヒューマン・ネイチュア」という映画を見た。あてすっぽに全然知らない映画を借りてきたものだ。ネットで検索してみたら結構評判がいい。誰もが大絶賛。かの井筒和幸も高得点を付けたそうだ。レンタルビデオでも、オススメ作品のマークが貼ってあったな。
 見てみた。
 なるほど、これって面白い映画なのか。
 と思った。
 しかしパトリシア・アークェットはなかなか良い女優である。

2003年 7月 27日 (日)
 眠れなくて朝まで起きていた。
 午前中は仕事して、午後、ちょっと寝た。
 夜、ここんとこ毎月恒例の、歌舞伎町の小松にスッポンを食べに行った。今回は悠里の他に、静夜さんと、最近新しく付き合い始めた外注スタッフのMさんも一緒である。天野氏以外で外注スタッフを飲みに誘ったのは初めてだが、深い意味はなく、単なる気まぐれである。
 小松さん、夏場は鍋は流行らないのか、客が少なくて困っているらしい。
 と言う訳で、宣伝しておこう。
http://r.gnavi.co.jp/g566900/

2003年 7月 28日 (月)
 妙についてない一日だった。最悪というほどではなく、ただやることなすこと、ことごとくが、タイミングの悪い偶然によって、不毛に終わった。こんな日は、なるべく動かず、じっとしているのが良い。

2003年 7月 29日 (火)
 風邪を引いた。風邪を引いた時は、インド料理で治す。という訳で、インド料理を食べに行った。食後、パブロンゴールドを葛根湯で流し込み、勇んで仕事に出かけた。
 渋谷で打ち合わせ。風邪でただでさえ頭がぼーっとしているところへ風邪薬のダブル効果で、とんちんかんなことを沢山言った。でも大した内容の会話ではなかったので、あまり問題はなかった。と思われる。
 夜は早く寝た。

2003年 7月 30日 (水)
 昨日のインド料理+パブロン+葛根湯の相乗効果で、風邪は見事に1日で完治した。と思ったら、悠里が風邪を引いていた。実は悠里に移っただけかもしれない。

 千葉へ行き、用事を済ませ、近くのVeloceで仕事をし、夜事務所に戻った。1日中出掛けていたお陰で仕事が溜まりまくり、めしを食う時間もなかった。深夜1時頃、やっと一段落ついたので、そうめんを食べた。
 何気なくテレビをつけると、松尾スズキ原作のドラマ「マシーン日記」というのがやっていた。見てみたら、いい感じに松尾スズキで面白かった。同時に裏番組で「エアマスター」というアニメがやっていたので、何気なく見てみたら、これも何だか面白かった。一晩でこの程度の作品に二つ出会えるのはそれなりに珍しいことだ。
 最後にWWEを見て、寝た。

2003年 7月 31日 (木)
 だらだら仕事をしていたら、午後4時になってしまった。5時までに法務局へ行かねばならないので、慌てて支度して、出かけた。法務局の後、大久保のマクドナルドでコーラを飲みながら一服して、六本木へと向かった。悠里と合流し、クライアントのところで打ち合わせ。帰りにラーメンを驕ってもらう。俺は醤油ラーメン、悠里は坦々面を食べた。なかなか美味であった。アマンドでお茶して、帰った。

 今日はちょっと仕事に余裕があったので、前からやりたいと思っていた企画の仕事を進めようと思っていたのだが、細々とした仕事を片付けているうちに、一日が終わってしまった。綿密に言うと、仕事終了予定時間を少しオーバーした。いつもより余裕のある状態が、少し忙しいというのは、如何なものだろうか。


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