原宿駅前のハイパービジョンで先月撮影したCM(6月15日の日記参照)が流れているので、今日やっと見に行った。
原宿駅を出てすぐに、ビデオカメラを用意して、画面を撮影しながら放映を見る。話では30分に一回流れているそうだ。
撮影を始めて数分たらずで、運良く俺のCMが流れ出した。「おお!」という感じである。マイケル・ジャクソンなどが出ている「We are the world」のCMと、優香が出ている何かのCMの間に流れていた。
マイケル・ジャクソンと優香に挟まれて、出演者の皆様も満足ではなかろうかと。
原宿の後、鴬谷で撮影。非常に疲れた。
鴬谷の後、六本木で集金。
金が出来たので、携帯電話を機種変更した。
俺の携帯はもう5・6年使っていて、ほとんどアンティークと化している。液晶画面は傷がつき汚れて見難い上に、ときどきチカチカと点滅して画面が真っ白になってしまう。おまけにアンテナが壊れていて、思いきり振らないと出てこない。アンテナを出そうと思って振ると、その衝撃で液晶画面が消えるという、大変不便な状態だったので、これは溜まらないと、金が入ったついでに新しいものにすることにしたのだ。
適当に目に付いたものを買った。後で聞いたらFOMAというやつらしい(聞いたも何も、表にFOMAと書いてある)。俺としては電話が出来ればいいので、その他の今どきの携帯にごちゃごちゃ付いている機能には興味なかったのだが、いじってみると、これが素晴らしい。写真が撮れるばかりか、動画まで撮れるではないか。iアプリってやつも、オセロゲームとか付いていて、それなりに楽しい。おまけに何と、テレビ電話も出来るそうだ。誰か俺とテレビ電話しないか?
ちなみに今まで使っていた古い携帯は、記念に貰ってきた。これは長年の人間関係で擦り込まれた血と汗がにじんだ宝物である。特に、いろいろな人と交わしてきたメールは新しい機種に移行できなかったので、この携帯でしか見る事ができない。新しい電話も来ない、メールも打てない、ただ過去の思い出の携帯メールが詰まっただけの機械の箱という訳だ。ある意味、ロマンチックなオブジェである。
朝まで試行錯誤を繰り返しながら、せっせと着メロをダウンロードしていたら、明け方、古い携帯から毎朝セットしてあった目覚まし時計が流れ出した。最後の仕事という訳か。
長い間、ご苦労様。
俺は古い携帯の目覚まし時計を解除した。
事務所に戻り、今日撮影してきた動画の編集をさわりだけやった。取り込んで整理しただけなのに、朝までかかった。本当に、動画の編集というのは時間を食う。動画の仕事がひとつ入ると、それだけで著しく生活のリズムが狂うのだ。まったく、動画編集は鬼門である。
伊丹十三の映画「静かな生活」を見た。
俺は伊丹映画は結構好きで、ほとんど映画館で見ている。そんな伊丹が亡くなって数年後、ふと彼のフィルモグラフィーを目にした時、この「静かな生活」の文字が目に止まった。なんだこの映画は。知らないぞ。
知らなかったのだ。制作は1995年。米国に留学していた間(1988〜93)の新作もビデオでチェックしていたほどの俺が、既に日本にいながら、まったく気が付かなかったとは、どういうことであろう。
よく解らないが、そんな訳でこの映画は、まだ見ぬ幻の伊丹映画として、長い間俺の頭の片隅にうずくまっていた。
今回ビデオ屋で目に止まって借りてみて、ようやく見た。
ほほう。これは他のどの伊丹映画とも違うぞ。豊かな表現力で描かれる人間模様は相変わらず見ていて飽きないが、この作品はそれが笑いよりもほのぼのとさせる方向へと流れてゆく。それはストーリーが進むにつれて濃くなってゆき、クライマックスあたりでちょっと荒れたかと思うと、最後はまた元に戻り、そのまま静かに映画は終わりを告げる。やはり「静かな生活」なんだな。
特に佐伯日菜子がいいね。次のレンタルのターゲットは「エコエコアザラク」に絞られた感じである。ちょっと仁藤優子に似ているね(誰も知らないか)。
似ていると言えば俺はこの映画、何も知らないで見始めたのだが、最初のシーンを見て、大江健三郎の映画だとすぐ解った。似すぎだ、山崎努。
あと、ビデオの最後についている「おまけ」は映画の一部である。