非幻想異端的日常
2003年 8月 1日 (金)
 原宿駅前のハイパービジョンで先月撮影したCM(6月15日の日記参照)が流れているので、今日やっと見に行った。
 原宿駅を出てすぐに、ビデオカメラを用意して、画面を撮影しながら放映を見る。話では30分に一回流れているそうだ。
 撮影を始めて数分たらずで、運良く俺のCMが流れ出した。「おお!」という感じである。マイケル・ジャクソンなどが出ている「We are the world」のCMと、優香が出ている何かのCMの間に流れていた。
 マイケル・ジャクソンと優香に挟まれて、出演者の皆様も満足ではなかろうかと。

 原宿の後、鴬谷で撮影。非常に疲れた。
 鴬谷の後、六本木で集金。

 金が出来たので、携帯電話を機種変更した。
 俺の携帯はもう5・6年使っていて、ほとんどアンティークと化している。液晶画面は傷がつき汚れて見難い上に、ときどきチカチカと点滅して画面が真っ白になってしまう。おまけにアンテナが壊れていて、思いきり振らないと出てこない。アンテナを出そうと思って振ると、その衝撃で液晶画面が消えるという、大変不便な状態だったので、これは溜まらないと、金が入ったついでに新しいものにすることにしたのだ。
 適当に目に付いたものを買った。後で聞いたらFOMAというやつらしい(聞いたも何も、表にFOMAと書いてある)。俺としては電話が出来ればいいので、その他の今どきの携帯にごちゃごちゃ付いている機能には興味なかったのだが、いじってみると、これが素晴らしい。写真が撮れるばかりか、動画まで撮れるではないか。iアプリってやつも、オセロゲームとか付いていて、それなりに楽しい。おまけに何と、テレビ電話も出来るそうだ。誰か俺とテレビ電話しないか?
 ちなみに今まで使っていた古い携帯は、記念に貰ってきた。これは長年の人間関係で擦り込まれた血と汗がにじんだ宝物である。特に、いろいろな人と交わしてきたメールは新しい機種に移行できなかったので、この携帯でしか見る事ができない。新しい電話も来ない、メールも打てない、ただ過去の思い出の携帯メールが詰まっただけの機械の箱という訳だ。ある意味、ロマンチックなオブジェである。
 朝まで試行錯誤を繰り返しながら、せっせと着メロをダウンロードしていたら、明け方、古い携帯から毎朝セットしてあった目覚まし時計が流れ出した。最後の仕事という訳か。
 長い間、ご苦労様。
 俺は古い携帯の目覚まし時計を解除した。

 事務所に戻り、今日撮影してきた動画の編集をさわりだけやった。取り込んで整理しただけなのに、朝までかかった。本当に、動画の編集というのは時間を食う。動画の仕事がひとつ入ると、それだけで著しく生活のリズムが狂うのだ。まったく、動画編集は鬼門である。

 伊丹十三の映画「静かな生活」を見た。
 俺は伊丹映画は結構好きで、ほとんど映画館で見ている。そんな伊丹が亡くなって数年後、ふと彼のフィルモグラフィーを目にした時、この「静かな生活」の文字が目に止まった。なんだこの映画は。知らないぞ。
 知らなかったのだ。制作は1995年。米国に留学していた間(1988〜93)の新作もビデオでチェックしていたほどの俺が、既に日本にいながら、まったく気が付かなかったとは、どういうことであろう。
 よく解らないが、そんな訳でこの映画は、まだ見ぬ幻の伊丹映画として、長い間俺の頭の片隅にうずくまっていた。
 今回ビデオ屋で目に止まって借りてみて、ようやく見た。
 ほほう。これは他のどの伊丹映画とも違うぞ。豊かな表現力で描かれる人間模様は相変わらず見ていて飽きないが、この作品はそれが笑いよりもほのぼのとさせる方向へと流れてゆく。それはストーリーが進むにつれて濃くなってゆき、クライマックスあたりでちょっと荒れたかと思うと、最後はまた元に戻り、そのまま静かに映画は終わりを告げる。やはり「静かな生活」なんだな。
佐伯日菜子 特に佐伯日菜子がいいね。次のレンタルのターゲットは「エコエコアザラク」に絞られた感じである。ちょっと仁藤優子に似ているね(誰も知らないか)。
 似ていると言えば俺はこの映画、何も知らないで見始めたのだが、最初のシーンを見て、大江健三郎の映画だとすぐ解った。似すぎだ、山崎努。
 あと、ビデオの最後についている「おまけ」は映画の一部である。

2003年 8月 2日 (土)
 長らく連絡のなかったMさんから電話。彼は俺が前の会社にいたときにおつきあいのあった方で、辞める際にIさんに引き継ぎをしてきたところ、最近になってIさんに紹介されるという形で再び付き合いが始まったのだった。ところが数カ月前突然連絡が途絶え、どうしたのかと思っていたら、いろいろ事情があって田舎に帰っていたらしい。
 早速、会うことになり、夜、池袋で待ち合わせた。既に彼は酔っていた。喫茶店で軽く挨拶を交わし、その後とんかつを驕ってもらった。彼は旨そうにビールを飲んでいた。
 彼はいかにも東北出身という感じの素朴でいい老人だが、やっている仕事はかなりマニアックである。俺には理解できない世界だが、出来る限りの協力は惜しまない積もりだ。

 支払いで、久しぶりに新宿のI社に行った。忙しいのと金が無いのとで月末の支払いに間に合わなかったので、直接現金を持って行ったのだ。
 ここは相変わらずのんびりしていていいな。

スパイキッズ ロバート・ロドリゲスの「スパイ・キッズ」を見た。前半はやたら楽しいが、後半は嘘みたいにつまらなくなる。しかし制作者に「だから何だ」と言われたら返す言葉も無い。まあ、前半楽しかったからいいんじゃないかと。

2003年 8月 3日 (日)
 明け方寝て、午後起きた。ちょっと仕事して、出掛けた。
 新宿南口でMさんと会い、仕事の資料を貰い、すぐに別れた。
 最近、動画編集の仕事が増えたので、ヨドバシカメラに寄り、音源の素材集を購入し、エクセシオールカフェで悠里と待ち合わせをして、雑談をした。明け方寝る前に蕎麦を360gくらい食べたので、お腹の調子が悪かった。朝から腸がゆるかった。
 ココアを飲んでいると、ものすごく突然に便意をもようし、慌てて事務所に戻った。糞をしたらやたら眠くなってきたので、そのまま深夜まで眠った。
 今日は外出もしたりはしたが、ほとんど寝ていたような気がする。忙しくて生活のリズムが乱れまくっている。目が覚めてからは、朝まで仕事をした。週末もくそもなかった。

2003年 8月 4日 (月)
 気が付いたら、第七回減相違単文学大賞の締め切りが十日に迫っていた。
 幻想異端文学大賞は最低5作品が集まらない限り締め切りは延長されるきまりになっている。
 いつも応募作品は遅れて提出され、締め切りは延長されることが定番になっている。未だかつて、締め切りが延長されなかった例は一度もなかった。そして今回もその匂いがぷんぷんしている。
 なんと、まだ一作品も届いていないのだ。いつも遅れがちではあるものの、必ず一人や二人、早く提出する人がいた。しかし今回は、締め切りの十日前になってもひとつも、だ。
 俺も何とか書いているが、8月14日にはとても間に合いそうにない。おまけに現在、仕事の方が、空前絶後の忙しさときている。とにかく諦めずにがんばろう。みんなもだ。

 デニーズで食事をした。
 帰って、ビデオでペドロ・アルモドバル監督の「オール・アバウト・マイ・マザー」を見た。久しぶりにアルモドバルの映画もいいかな、と思って借りてきた。しかし…。
 アルモドバルってコメディの監督じゃなかったっけ? 期待していた雰囲気の違いに、気が動転したまま、感動する気持ちの余裕もなく、終わってしまった。なんだったんだ。
 じっくり見ていたら、良い映画だったのかもしれない。

2003年 8月 5日 (火)
 仕事で撮影があった。今回は俳優が多い。高校の時のクラスメートのOくんを始め、毎度おなじみ巨漢の怪優・Mさん。あと誰かしらない人と、飛び入り参加の変なおじさん。その他もろもろ。くんずほぐれつという感じで、撮影は進んだ。
 なかなか楽しかったが、ひとつ、吐き気がして仕方がなかったシーンがあった。でも我慢して撮影した。
 まあそれなりにいいものが撮れたんじゃないかと思われる。

 撮影後、Oくんと悠里とデニーズで食事。二日連続デニーズである。ハンバーグステーキを食べた。一日中何も食べていなかったので、えらく旨かった。

 撮影も終わり、食事も終わり、後はゆっくり事務所で仕事をするだけ、と思っていたところに、青山のB社からいきなりお呼びがかかった。夜9時過ぎ、出掛けた。いきなり急ぎの仕事を頼まれた。もうこれを受けたら死ぬので、いつも使っている外注スタッフのMさんを紹介する。

2003年 8月 6日 (水)
 甲府へ悠里と出張。出発前、銀座に行って、Mさんと昨日の件で待ち合わせ、B社のUさんにMさんを紹介して、その足で甲府へと旅立った。
 新宿駅で悠里と待ち合わせ、特急券を買い、「かいじ」に乗り込む。知らずに指定席を買っていたので、電車の中は快適だった。2時間ちょっと揺られ、甲府に到着。雷雨。タクシーでホテルへ。夕食は中華料理。旨かったが、最後に出てきた冷やし中華で萎える。温泉。
 ホテルは光ファイバーが使えたので、iBookにつないで、仕事をした。朝4時くらいまでパソコンに向かってあれこれして、寝た。

2003年 8月 7日 (木)
 朝8時に起きて、ホテルの朝食の定番、スクランブルエッグ、ベーコン、パン、トマトジュース、コーヒーをとり、出発。タクシーで、今回の出張の目的地であるF社へと向かう。
 商談はそれなりにうまくいった。
 商談後、甲府駅。駅前にご大層な武田信玄の銅像があったので、記念撮影。ふと、黒澤明の「影武者」がまた見たくなった。喫茶店でメロンソーダを飲み、お土産を買い、特急スーパーあづさに乗って、東京へと戻った。寝不足と朝食の玉子料理がたたって、電車に酔い、吐き気を堪えるのに必死だった。

 新宿駅に着くと、Kさんに電話。会う事になり、一足先に事務所に戻る悠里を見送ってから、駅前のマクドナルドに入る。数十分してKさんがやって来る。ブツを貰って、帰る。

 出張の疲れも癒されぬまま、仕事。眠くて死亡寸前。

 夜、東新宿へ集金。パソコンのことで解らない事があると、アドバイスを求められた。コンタクトをしていかなかったので、パソコンの画面を見る事さえままならず、ロクな助けにならなかった。

 帰り、100円スーパーで好物の豆腐とアジフライとコロッケを買う。
 事務所に戻り、ちょっと仕事をして、夕食を食い、食休みにテレビを見て、ビデオを見て、ちょっと眠って、すぐ起きて、仕事をした。つぶらさん他、いろんな人に仕事でメールを書いた。まだまだメールを書かなきゃならない人が沢山いる。
 人を使えば使うほど、その分、仕事が増える。使う人間が100人いたら、仕事も100人分くるだろうか?

2003年 8月 8日 (金)
 午後イチで税理士のA先生。夕方あたりから池袋、本八幡と徘徊。外出ばかりで仕事は進まない。寝不足は積もり、四六時中胃が痛い。現在、俺は比較的体調が悪い方だ。という程度に体調が悪い。総合的に、今の俺の人生、それなりに楽しいことは楽しい。かもしれない。という程度に充実している。でもちょっと忙しすぎるのがイマイチな感じではある。

2003年 8月 9日 (土)
 六本木にて、知り合いの手伝いで、チラシ配りをした。かなり疲れたが、思ったより受け取ってもらえて、初めての経験だったこともあり、それなりに面白かった。
 それにしてもスーツ着てネクタイ締めたチラシ配りってどんなもんだろう。

2003年 8月 10日 (日)
 土曜日だというのに、仕事で外出。しかも本八幡に西船橋と、遠い。しかも台風。西船橋では嫌な奴に会い、本八幡では夜十時過ぎまで足留めを食った。非常に疲れた。まだ仕事は山ほどある。朝まで仕事。死ぬ。

 日本映画「ピンポン」を見た。最近の日本映画にしては、面白かった方だ。でも俺はもっと面白くないと嫌だ。

2003年 8月 11日 (月)
ヴィドック フランス映画「ヴィドック」を見た。おお。骨太のゴシック怪奇スリラーな雰囲気で、力技だけで最後まで見せられた。リドリー・スコットの映像美に、ケン・ラッセルの妖しさをぶちこみ、大林宣彦の違和感を付け足したような映像がまぶしい快作かもしれない(違うかもしれない)。

 京極夏彦の新作「陰摩羅鬼の瑕」を買った。早速読み始めた。

2003年 8月 12日 (火)
 墨森先生がやってきた。良い物を貰った。実に良い物だ。その後、久しぶりに墨森節が事務所に炸裂。無意味で有意義な時間を過ごす。

 夜、ビデオで映画「チアーズ!」というのを見た。またレンタルで適当に知らない映画を借りてきたものだ。チアガールたちの青春を描いたスポ根映画である。スポ根と言っても、ねじ曲がった根性にしか思えない。アメリカ人の性格の悪さがフィルムの間からにじみ出てくるような映画で、この映画の制作者が近くにいたらきっと付き合いたくないと思うだろうな、というのが正直な感想である。

2003年 8月 13日 (水)
 昼過ぎから悠里を連れて、市川の病院に行った。日本の医療システムに疑問を投げかけたくなるようなひとときを過ごし、落ち込む。

 千葉の後、渋谷のマイアミでHさんとミーティング。二人でノートパソコンを広げて、試行錯誤を繰り返した。何とかしなければならない事態に直面しているのだが、疲れていて良いアイデアが浮かばない。

 渋谷の後、歌舞伎町のS社へ。パソコンがクラッシュして、データが全てふっ飛んだとのことで、データ復旧についてアドバイスをする。ついでにいつもうちが使っているユーティリティのシェアウェアを教えてあげると、大層便利だと喜ばれた。

 深夜テレビ。
 「エアマスター」を見て、抱腹絶倒。
 松尾スズキの「マシーン日記」が最終回。狂って狂って、最後は放火とは。不満は残るが、面白かった。
 WWEを見た後、ビデオでインド映画を見ながら、いつしか眠った。

2003年 8月 14日 (木)
 悠里と鶴見で、石を物色。
 帰り、モスバーガーで石について語る。
 鶴見駅で「怪」と「極悪がんぼ3巻」を買う。
 新宿で悠里と別れ、池袋。
 用事の後、古本屋。
 喫茶店。事務所。仕事。
 夕食後、インド映画の続きを見る(長すぎて、今日も全部見れなかった)。
 日記を書いて、寝る。

2003年 8月 15日 (金)
 珍しく外出なし。昼過ぎ起きて、仕事。喫茶店。仕事。
 夜はカレー。食後、インド映画の続きを見る。長くて、まだ終わらない。

 ついに第七回幻想異端分学大賞の締め切りが過ぎた。しかし、今回は珍しく投稿作品がひとつも集まっていない。俺もまだ半分くらいしか書けていない。と言う訳で、恒例の延長と相成った。
 掲示板にも書いたが、今回から新法則を適用することにした。ミニマムの五作品に足りない作品数に、一週間を掛けて、締め切り日延長期間の目安にするというものだ。今回は五作品まるまる足りないので、五週間延長。つまり新しい締め切りは九月十八日である。
 さあ皆さん。一生懸命、書きましょう。

2003年 8月 16日 (土)
 掛川悠さんがやって来る。今後のことについて話し合う。
 帰り、新宿駅南口まで送って行く。そこで、俺はFさんと待ち合わせをしていた。Fさんと掛川さんと、三人で立ち話。もともとFさんは掛川さんから引き継いだクライアントだったので、二人再会を喜び合う。
ミモラ 今夜は墨森先生達と飲み会に行く予定だったのだが、どうも腹の調子が悪いのと、仕事が沢山出来てしまったので、キャンセルし、事務所に戻る。糞をして、仕事をした。
 最近新しく始めた企画にテコ入れ。深夜1時過ぎ夕食。素麺。
 食後、インド映画「ミモラ」を見終わった。陶酔のひとときだった。インド映画は歌と踊りが楽しければそれ以上言うことはない。
 サントラ買おう。

2003年 8月 17日 (日)
 朝まで何たらかんたら、ちんたらやっていた。すっかり日が昇ってから眠り、午後起きる。仕事。読書。仕事。執筆する時間がどうにも出来ない。
 夜、デニーズに行こうと思ったら、雨風吹きすさぶ酷い天気だったので、コンビニでバニラ・コークを買い、事務所に戻る。ピザハットでピザを注文。チーズグルメとアイダホポテトのハーフ&ハーフ。バニラ・コークを飲みながら食べる。
 ビデオを見て、朝まで仕事。

2003年 8月 18日 (月)
英雄 忙しくて徹夜。昼近くやっと終わる。ハロモニ見て、昼過ぎ、寝た。三時間ほどで起きて、映画を見に行った。

 「HERO英雄」を見に行った。
 ぬおお! 冒頭から圧倒的な迫力。アクションが美しい。話も解りやすくて面白い。特に「矢」と「落葉」が素敵だったね。チャン・ツィイーはもっと活躍してほしかったね。とにかく完璧な傑作である。
 こおゆう映画こそ、映画館で見なくちゃな。

2003年 8月 19日 (火)
 仕事そっちのけで、他のことをやっていた。
 たまにはいいのだ。

2003年 8月 20日 (水)
 六本木ヒルズで講習。
 初めて六本木ヒルズに行ったが、全館禁煙とは。しかも、煙草を吸いに外に出ると、なんと外にも「禁煙」の文字が。敷地内を少し歩くと、やっと小さな喫煙場所があった。
 講習はそれなりに楽しかった。寝不足だったので、最後の一時間は眠っていた。

2003年 8月 21日 (木)
 午後、インターネット広告の営業がやってきた。大して意味のあるとも思えない話をして、帰って行った。

 外出。新宿南口でOさん。初めて会う方だったが、あまりにも真面目そうな方で、ちょっと引く。

 新宿東口の喫茶店でHさんとKさんとミーティング。思ったより話は前に進んだ。

 代々木。クライアントの買っていたチワワが子供を産んでいた。三匹も産んだそうで、ちょっと前まで貰い手を探していたとのこと。俺は愕然とした。俺は、ここに来る度に、こんなチワワが飼いたいなと思っていたのである。
 「僕にくだされば良かったのに…」
 「ええ! 浅野さん欲しかったんだ。もうちょっと早く言ってくれたらあげたのに」
 言ってくれたら、って、教えてくれよ。

2003年 8月 22日 (金)
 十年前、最初に勤めたときの会社でお付き合いのあったA社のKさんと、久しぶりに電話。A社はうちの業界の最大手のひとつであり、Kさんは俺のサラリーマン時代の天敵だった方である。この度、十年越しに取り引きをすることになった訳だが、渋いところは相変わらずであった。

 本屋で、ある本が目に止まり、衝動買い。江戸川乱歩賞受賞作品「マッチメイク」。
 江戸川乱歩賞受賞で初のプロレス・ミステリーだと?
 ふざけやがって。読むぞ。

 夜、E子さんと電話で商談。
 E子さんとは友達の友達ということで面識はあったが、今回仕事でお願いしたいことがあり、知人のRちゃんを介してコンタクトをとっていた。
 突然、Rちゃんから電話。
 「E子さんと連絡とれたよー。携帯に電話していいって言ってたよー」
 「本当か。それは良かった」
 「でも浅野さんのことよく覚えてないって言ってたよー」
 「だろうな〜」
 すぐにE子さんに電話。とりあえず来週、実際にお会いして詳しいお話をすることになった。
 ひとまず今宵は、数ある俺の青春の残像のひとつであるE子さんとお話できて、少々感激であった。

2003年 8月 23日 (土)
こんな昔のことは忘れた。

2003年 8月 24日 (日)
 墓参りの予定だったが、中止になった。
 Fさんに焼肉をおごってもらう予定だったが、中止になった。

2003年 8月 25日 (月)
 買ったばかりのFOMAがもう壊れた。

2003年 8月 26日 (火)
 Docomoショップに行き、FOMAを新しいやつと取り替えてもらう。
 また着メロやら何やらダウンロードしたり設定したりしなおしだ。

2003年 8月 27日 (水)
 朝、E子さんに会いに、歌舞伎町へ。
 十時頃、歌舞伎町からE子さんに電話したら、起きたばかりだった。ルノアールで待っていると、数十分ほどしてE子さんがやってきた。
 E子さんである。あのE子さんである。
 青春時代の残像が甦る。
 一時間ほど打ち合わせした。E子さんはなかなかパソコンに詳しくて、驚いた。
 話はなんとかまとまった。

 E子さんと別れた後、ヤボ用で銀行をふたつ周り、買い物をして、また歌舞伎町と戻り、E子さんにブツを手渡した。

 今日、久しぶりに○○○○○を見た。

2003年 8月 28日 (木)
陰摩羅鬼の瑕 京極夏彦の「陰摩羅鬼の瑕」をやっと読み終わった。よかったぞ。これまでと比べて比較的ストレートでシンプルな感じだったが、一般的な小説と比べたら十分重圧で複雑怪奇である。
 読んでいて一部、高校の時に読んだ井沢元彦の「ダビデの星の暗号」を思い出した。
 井沢元彦は高校の頃に最も好きだったミステリー作家で、その中でも最も好きだったのが「ダビデの星の暗号」だった。
 「ダビデの星の暗号」の主人公は、かの芥川龍之介。友人の殺人事件に遭遇した芥川が、その謎の真相を追い求める最中、若き日の江戸川乱歩と出会い、謎を解く重要なヒントを教えられる。
 「陰摩羅鬼の瑕」の前半で、関口が著名な「ある人物」と出会うシーンがあるのだが、そこがなんとなく「ダビデの星の暗号」の件の場面に似ているような気がした。読み進めてゆくうちに、同じように「ある人物」の存在が、この物語の謎を解く重要なキーワードになっていることが解ってくる。
 そして後半、読者は関口と同時に真相に至り、クライマックスで、おい京極堂お前は本当にその真相を皆の前で暴いてしまうと言うのか、と関口と同じ心境で、衝撃的なラストを見守ることになるのだ。少なくとも俺はそんな感じだった。
 そう、読んでいるうちに、薄々真相が解るのだ、この小説。京極の作品にしては珍しい。
 現在発売中の雑誌「怪」に掲載されている京極の「五位の光」を平行して読んでいたら、これはどうやら「陰摩羅鬼の瑕」のサイドストーリーのようだ。

2003年 8月 29日 (金)
 「陰摩羅鬼の瑕」をまた最初から読み始めた。
 京極の長編は二回目がおいしいのである。

 恵比寿に行った帰り、ラーメンが食べたくなり、なかなか良さそうなラーメン屋があったので、入る。
 「一日20食限定」という文句に釣られ、チーズ・ラーメンというのを注文。美味かったが、ラーメンが食べたい時には不適当な味だった。チーズの味しかしない。

2003年 8月 30日 (土)
 池袋。大塚。

2003年 8月 31日 (日)
iPod iPodを衝動買い。Macで音楽データを圧縮して、小さなハードディスクに1000曲以上もの曲を入れられるスグレ者である。
 早速、せっせと家にあったCDを入れまくる。
 ゴブリン、ゲンスブール、トム・ペティ、PUFFY、R.H.ラフマーン、インド音楽、本田美奈子、金大偉、ドアーズ、ニーナ・ハーゲン、尾崎豊、YMO、坂本龍一、バングルス、ケイト・ブッシュ、大槻ケンヂ、安室奈美恵、華原朋美、河島英五、吉田拓郎、ビートルズ、シーナ・イーストン、その他、片っ端から入れまくった。オフラ・ハザやリディア・ランチは実家だったか。
 俺はここ十年、ぱったりと音楽を聴かなくなったので、上記のラインナップの九割方が十年以上前に買ったCDである(十年どころの騒ぎじゃない、と叫んだ方もおられよう)。
 なぜか、クラウス・ノーミのCDが見当たらない。誰かに貸したような記憶が微かにあるな。完璧に忘れている。誰か、これを読んでいる方でザッピー浅野からクラウス・ノーミのCDを借りている、という方、御一報願いたい。
 結構時間かけて、家にあるCDをほぼ全部入れまくった。400曲近く入れたが、まだ三分の二以上も空きがある。実に便利だ。家のCD棚のコレクションすべてがこんな小さな箱に入ってしまうなんて、数年前では考えられなかったことだ。いやはや、本当に凄い時代が来たもんだ。

 iPodのお陰で、仕事がまったく出来なかった。
 まあいいか。日曜日だし。


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