非幻想異端的日常
2003年 9月 1日 (月)
チャン・ツィイー ジャッキー・チェンの「ラッシュ・アワー2」を見た。こないだ見た「HERO/英雄」のチャン・ツィイーつながりである。
 パート1の3.5倍くらい面白かった。チャン・ツィイーのアクションは密かに「HERO/英雄」より多かったりする。ラストでの使い方はアメリカ人らしくて苦笑した。

2003年 9月 2日 (火)
ラガーン せっかくiPodを買ったので、新しいCDが欲しくなり、「女子十二楽坊」を購入。良い音楽だ。特に「奇跡」という曲は良いね。中華鍋で身を焦がされるような想いである。

 インド映画「ラガーン」を見た。インド映画にしては、なかなか渋い出来だった。華やかさからほど遠いミュージカル・シーンも味わい深い。インド映画も進歩しているのだ。

2003年 9月 3日 (水)
 ヤボ用で悠里と市川に行った。
 帰り、別のヤボ用で幕張に寄る予定だった。電車の中で目的地を確認すると、幕張ではなく、お台場だった。とても帰りに寄れるような場所ではなかった。そこは後日改めて行くことにして、新宿に戻ることにした。
 いったん事務所に戻り仕事して、夜9時過ぎ出掛けた。レンタルビデオに寄り、借りていたビデオを返却。1日オーバーしたので延滞料金だと思いつつビデオを渡すと、店員さんはコンピューターの画面を見ながら「もう一本未返却のビデオがありますね」と教えてくれた。しまった。そうだった。明日また来なければならない。これで2日分の延滞料金だ。どうも最近、延滞料金ばかり払っている。
 歌舞伎町で用事を済ませ、近くの100円スーパーで豆腐とアジフライを買い、帰った。少し仕事をして、食事をし、エアマスターとWWEを見た。ビンス・マクマホンが最近絶好調だ。極悪ぶりもここまでくると尊敬に値するかもしれない。ある意味、俺の理想とする経営者像である。
 インド映画を見ているうちに、いつの間にか眠った。

2003年 9月 4日 (木)
 朝から面倒な仕事に取りかかった。午前中に終わらせるつもりが、各方面から電話攻撃を喰らい、午後まで大分食い込んだ。予定よりかなり遅れて、六本木に出掛けた。Jさんのところで用事を済ませ、ついでに近くのTさんの所に寄り、暫く雑談。漫画やテレビや映画や青春時代の話で盛り上がった。
 Tさんのところを出て、六本木アマンドでコーヒーを飲みながらiBookを広げて仕事。外出時も節目節目で仕事を片付けないと、みるみる溜まって仕様がなくなる。暫く連絡が取れなかったE子さんから電話があり、ちょっと心が和む。
 夜遅く帰って、少し仕事をして、米を炊き、食事。食後、香港映画を見ているうちに、いつの間にか眠った。

2003年 9月 5日 (金)
 カネボウのカップラーメンを食べて、外出。
 池袋。池袋。西船橋。
 クライアントのところで、ソフトのインストールをやらされた。こんなことは誰でも出来る。俺がわざわざやるようなことではない。そう思いながら、やった。
 インストール後、流れで今度は設定やら何やらやらされた。設定の最中、クライアントがプリンタを使い始め、パソコンの動きが止まる。ちょっとイライラし始めた。
 設定が終わり、帰ろうと思ったら、
 「浅野さんのところにホームページに使うデータを送りたいんだけど、やってくれる?」
 と頼まれた。なぜ俺がやらなければならないのだろうか。いつも自分で勝手にやって送って来る癖に。何を考えているのか、訳が解らない。嫌な顔をすると、
 「イヤそうだね」
 とクライアント。だから嫌なのだ。もうすぐ十時を回る。事務所に戻ってからも山ほど仕事が残っている。
 「いいえ、別に」
 と苦笑いしつつ答えた。クライアントはパソコンに向かい、データをせっせとメールに添付している。自分でやっているではないか。
 「それで、僕は…?」
 と言ってみた。“もう帰っていいですか?”という意味だ。
 「ああ、やってよ」
 とクライアント。何をやるのだ。自分でやっているではないか。胃がきりきり痛み出す。すでにここに来てから2時間が経っていた。
 このままでは埒が空かないので、キーボードに手を伸ばし、メールアドレスの欄に自分のメールアドレスを打ち込んだ。
 「これでいいですね」
 と俺は笑顔で言って、無事メールが送信されるのを確認して、そこを飛び出した。本当に勘弁してほしいものだ。頭ごなしにあれこれものを頼んでくる人間ほど厄介なものはない。
 松屋で牛丼を食べて、新宿に帰った。

2003年 9月 6日 (土)
 朝、事務所の床から起きて、iBookを立ち上げ、せっせとあちこちにメールを書いたり、壊れたファイルを直したり、しかるべきものを作ったりしていた。瞬く間に午後になった。
 今日はこないだ行きそびれたお台場に行く予定だった。そろそろ用意した方がいいような気がしていると、悠里がやって来た。彼女の方はもう出かける準備は万全だった。俺もいったん家に帰り、支度をした。俺が支度している間、悠里は銀行に行っていた。シャワーを浴び、歯を磨き、スーツに着替えて朝食のキャラメルコーンのようなシリアルを食べていると、悠里が帰って来た。既に2時を回っていた。結局、お台場はまた中止になった。まあ、大した用事ではない。
 悠里と喫茶店で歓談をして、その後はずっと事務所で仕事をした。仕事はカタツムリのように進んだ。
 外ではまだ蝉が鳴いていた。

2003年 9月 7日 (日)
 今夜はクライアントのKさんと飲みに行く予定だった。Kさんは俺がまだサラリーマンだった頃からの付き合いで、当時彼は池袋の某サービス会社の社長だったが、その後地位を追われ、現在は某ネット会社の主任として頑張っている。
 俺は仕事を進めながら、彼からの電話を待った。予定では3〜4時頃のはずだったが、6時になっても電話はこなかった。悠里は妹君と、歌舞伎町に遊びに行っている。8時頃、やっとKさんから電話があった。
 事務所にやってきて、仕事の話を暫くし、終わると、歌舞伎町にくり出した。彼の知り合いに教えられたお勧めの飲み屋があるそうなので、そこへ行き、暫く飲んだ。久しぶりにビールをしこたま飲み、酔っぱらった。
 彼とはサラリーマン時代から飲みに行く約束をしていたので、実に3年越しに実現した飲み会だった。今まで仕事以外の話をあまりしていなかったので、初めてプライベートに立ち入った深い話を語り合えた。話してみると、人間いろいろあるものだ。俺もいろいろあるらしい。
 いつの間にか時間は11時を過ぎていた。彼は終電ぎりぎりで帰り、俺は事務所に戻って仕事をした。あまりにも眠かったので、仕事を止め、ラーメンとハヤシライスを食べて、インド映画を見ながらいつの間にか眠った。

2003年 9月 8日 (月)
 久しぶりに悠里と実家に帰った。
 母にデニーズでデザートを驕ってもらった。
 iPodにぶち込むために、CDを大量に持って来た。オフラ・ハザ、リディア・ランチ、キース・エマーソン、クラフトワーク、リナ・ラヴィッチ、スリッツ、ビリー・アイドル、ヴァネッサ・パラディ、ウェンディ・カルロス、嶺川貴子。帰って、全部iPodにぶち込んだ。
 朝まで仕事して、明け方、ビデオで「チャイニーズ・ゴーストストーリー3」を見た。パート2が駄目駄目だったので、あまり期待しないで見たが、ちょっと頑張っていた。パート2の駄作ぶりを反省し、パート1の活気を取り戻そうとしたのだろう。しかし如何せん、それが仇になってパート1の焼き直しになってしまっている。

2003年 9月 9日 (火)
 1日中事務所で仕事をした。
 夜、インド映画「モンスーン・ウェディング」を見た。インド映画と言っても、ほとんど洋画であった。しかし音楽は良い感じにインドである。特に「chunari chunari」という曲がとても良い。
 ネットで音源と歌詞をゲットしたので、みんなも一緒に歌おう!

モンスーンウェディング ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり

 らぁらがんじゅけ らぁらぱぁぐせ
 らぁらちゅなりあ らえぇ

 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり

 らぁららんぐめ らぁらだぁらけ
 らぁららぁらだむ がえぇ

 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり

 あじゃな ちゅれめり じゅんぬでぃさなぁむ
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ
 あいじゃ ばぁにぃ さるぺぇめれぇ
 てれべ きゃっかるじゃばにぺれへむ

 はぉぃ♪

 あじゃな ちゅれめり じゅんぬでぃさなぁむ
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ
 あいじゃ ばぁにぃ さるぺぇめれぇ
 てれべ きゃっかるじゃばにぺれへむ

 あじゃな ちゅれめり じゅんぬでぃさなぁむ
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ

 ちゅなり ちゅなり♪

 めぇりぃ ちゅなり なんれ ばんぐてぃ
 しゃるまぁ へぇ かぶらぁえぇ
 ぷぅちょぉ だんね いすく なざりへ
 おぅる らんぬほぉ じゃぁえぇ

 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり

 てぇりぃ ちゅなり れぱって ぱくけぇ
 ぱぁがる むじぇ ぱなぁえぇ
 ぺへぇれぇ せぇひぃ たらぱる はぁたぁ
 あぅる むじぇ たる ぱぁえぇ

 じゃんねった まんな かるな えぇせ せたぁん
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ
 あいじゃ ばぁにぃ さるぺぇめれぇ
 てれべ きゃっかるじゃばにぺれへむ

 ほぉい♪

 あじゃな ちゅれめり じゅんぬでぃさなぁむ
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ

 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり

 じぇぃかるたへ いぇびとぅ りぃめぇ
 とぅじゅぺぇ あぁ じゅぴ らぁおぉ
 むじゅこぉ かるおぉ がぁほぉ めぇいぇ
 じゃぬりぃ ぬてぇぬ らぁおぉ

 べるたぁひぃ じゃえぇ だるどぅ ほぉなぁ はだぁん
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ
 おぉあいじゃ ばぁにぃ さるぺぇめれぇ
 てれべ きゃっかるじゃばにぺれへむ

 ほぃほぃ♪

 あじゃな ちゅれめり じゅんぬでぃさなぁむ
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ
 あいじゃ ばぁにぃ さるぺぇめれぇ
 てれべ きゃっかるじゃばにぺれへむ

 ほぉい♪

 あじゃな ちゅれめり じゅんぬでぃさなぁむ
 くちゅなんめ ぼぅろぅとぅじぇ めでぃかさむ

 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり

 あぁはん♪

 あぁはん♪

 あぁはん♪

 あぁはん♪

 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり あぁはん
 ちゅなり ちゅなり
 ちゅなり ちゅなり あぁはん♪

2003年 9月 10日 (水)
 うちで作っているホームページを見て制作スタッフに売り込みに来た若者を事務所に呼んだ。ひとまず仕事をひとつ任せることにした。
 最近、二十代のウェブデザイナーと知り合う機会が多いが、器用な奴が多くて、重宝している。フラッシュが作れて、cgiが多少いじれて、イラストが描ける知り合いがいるというのは、どうやら二十代のウェブデザイナーのステレオタイプのようだ。

2003年 9月 11日 (木)
 朝、悠里を連れてヤボ用で東京大学へ行った。
 東大だけに、雰囲気はとても良い。

 夕方、外注スタッフのM君と打ち合わせ。打ち合わせの後、インド料理スパイスヘブンで食事。スペシャルセットを食べた。うまかった。食後のチャイも素晴らしかった。

2003年 9月 12日 (金)
 午後、出掛けた。三か所行くところがあり、かなり遅くなると思われた。まず最初の目的地が中止になった。喫茶店で仕事をしていると、携帯の電源が切れたので、いったん事務所に戻り、充電をした。いきなりクライアントから都合が悪いと電話があり、残りの二か所も中止になった。結局、今日はどこにも行かなかった。予定が崩れたお陰で、かなりの時間が無駄になった。様々なトラブルも続いた。何度か気が狂いそうになる瞬間もあった。仕事の面では、とんだ一日だったと言える。

 インターネットで注文していたインド映画のDVDとCDが届いた。暫く仕事を忘れて陶酔した。
 今日のような精神状態には必要なひとときである。

2003年 9月 13日 (土)
 銀座。一年以上、150万円以上もの未収金を滞納しているクライアントから、久しぶりに金を貰った。10万円。領収証の但書きは平成14年11月の雑誌広告代。まだまだ先は長い。

 西麻布に行こうと思い、銀座から出ているというバス停を探す。なかなか見つからず、ひとまずバルチックカレーがあったので、腹ごしらえ。ここの豚角煮カレーはうまい。やっとバス停が見つかり、先方にバス停まで来たのでこれから向かいますと電話をすると、今日は都合が悪くなったので来週だと言われた。

 山手線に乗り、代々木駅で降りた瞬間、Kさんから電話。西新宿にいるので来いと言う。Kさんからは大量に金を貰わなければならなかったので、また電車に飛び乗り、西新宿へ。
 ずっと歩きっぱなしの立ちっぱなしだったので、下半身がムズムズしはじめた。
 Kさんの所に着き、急いでトイレを借りてパンツの中を見ると、血で真っ赤だった。どうやら生理になってしまったようだ。ナプキンなど無いので、ティッシュを千切ってパンツの中に入れた。トイレから出て、Kさんから金を貰い、雑談。
 「いやあ。いきなり生理になっちゃって、大変ですよ」
 「痔ですか?」
 「いや、生理です」
 後がつかえていたので、西新宿を後にした。

 再び代々木。用事を終わらせ、歩いて新宿へ。
 一日中歩きっぱなしの上に、蒸し暑く、汗を大量にかいていた。疲労と脱水症状で意識が朦朧となり、新宿南口のルノアールに飛び込み、コーラを注文。生き返る。
 暫くiBookを広げて仕事をしていると、H社長から電話。場所を伝え、来てもらう。

 H社長と合流し、近くの居酒屋で会議。H社長は生ビールを飲んでいたが、俺は生理中なので、コーラを飲んでいた。
 求人広告の話、通信販売の話、中国音楽の話、金儲けの話などをざっくばらんに語り合った。

 深夜12時過ぎ、事務所に戻った。
 まだまだ仕事は続くのであった。

2003年 9月 14日 (日)
 一晩や二晩では終わるわけがないやっかいな仕事をふたつ抱えていて、先週今週と、週末をつぶしてとりかかっている。今週は三連休だが、一日でも休めるかは微妙なところだ。多分無理だろう。
 そんな状況で、朝から早速、仕事にとりかかった。思ったよりもスムーズに進んだ。この調子なら一日くらいは休めるかもしれない。悠里ともちょっとだけ遊んだ。
 夕食はピザを注文した。ゆっくり二時間くらい食べ続け、腹いっぱいになると、ビデオを見始めた。


スリープレス ダリオ・アルジェントの新作「スリープレス」を見た。
 この映画は少し前からレンタルビデオに出ていたが、すぐに借りてくる気にはならなかった。今回、気が向いて、借りて来た。ダリオ・アルジェントと言えば、高校の頃、最も敬愛していた監督である。あの頃だったら、何を置いても真っ先に借りてみたことだろう。しかし「トラウマ」「スタンダール・シンドローム」「オペラ座の怪人」などの凡作愚作の嵐に俺の気持ちはすっかりアルジェントから離れてしまっていた。今回の新作のビデオジャケットに、アルジェントが久しぶりに「初期のサスペンス・スリラーに回帰した作品」だと書いてあっても、音楽があの「ゴブリン」だと言われても、それは大して変わらなかった。いや、ビデオを借りてきただけでも、大きな変化だったのかもしれない。普通なら、もうアルジェントの新作など永遠に見る気にならなかった可能性もある。
 とにかくあまり期待せずに、見てみた。
 冒頭のゴブリンの音楽、最初の殺人までの展開、雰囲気などは、確かにアルジェントの黄金期を彷佛とさせる。しかし、やはり何かが違う。それに、アルジェントはこれほどまでに下手な監督だったっけか。下手になったのか。それとも、もともと下手だったのか。今、俺が初期の作品を見直してみたら、どんな印象を受けるのだろう。
 中盤、かなり退屈するが、ラストはそれなりに締まっていた。
 一歩手前ではあるものの、まったく駄目な映画ではない。ストーリーは破綻しているものの、悪くはない(破綻していないアルジェントの映画などなかった)。問題は映像の汚さと演出の稚拙さと人間の描き方だ。付け加えるならゴブリンの音楽はゴブリンのファンとしてゴブリンを感じる喜びを味わえる程度にゴブリンしているものの、往年の名曲に比べたら印象に残るものとは程遠い。
 アルジェントはもっと馬鹿にならなければいけない。彼があの非常に狭い作風から一歩たりとも踏み出して、その地位を維持することなど不可能な監督であることは最初から解りきっていたはずだ(「黒猫」はちょっと驚いたが)。馬鹿にされても、マンネリだと言われても、アルジェントはアルジェントでいれば良いのだ。無理して違うものにしようとするから、本当の馬鹿が露見するのである。偉大なるマンネリズムを貫き通そう。まだ遅くはない。スリープレス、やれば出来るじゃんと思わせる部分も少なくはなかった。
 特に楽器で人を殺すシーンは愉快だったね。ラストの殺人鬼の演出もそれなりに決まってたね。恐怖シーンは笑えるながらもそれなりにスリルがあったね。
 まあ次回作もそれなりに期待してみましょう。
 そう言えば先週はアルジェントの誕生日だったな。

2003年 9月 15日 (月)
 夜が明けて、日が昇っても、まだ仕事をしていた。十時頃、悠里が起きてきた。
 「もう起きてたの?」
 「これから寝るのだ」
 ちょうど仕事は一段落したところだった。余力で日記も書き終わり、久しぶりに掲示板のレスもした。
 俺は事務所の床に寝転がった。

 午後2時頃起きて、また仕事を始めた。今日こそフィットネスクラブに行こうと思っていたのだが、悠里が何だか調子が悪そうだったので、黙って仕事を続けた。夜はデニーズで食事をした。

 食後、少しテレビやビデオを見て寛いだ。
 先週580円で買ったタランティーノの「フォールームズ」の中古ビデオを見た。3度目である。
 ビデオを見終わり、また仕事を始めた。

 明日こそは休日らしいことをしたいものだ。

2003年 9月 16日 (火)
 連休三日目。相変わらず仕事を続けていた。スムーズに進んで、夕方にはほとんど終わった。この分なら夜は少しは自分の時間が出来るかもしれない。かなり希望がみえてきた。仕事はあと三十分もあれば終わるだろう。
 最後のつめにとりかかった時、携帯が鳴った。Kさんだった。
 「ねえ社長。ホームページの更新した?」
 「しましたよ。割引の部分だけ」
 「ファックスで送ったデータの部分は?」
 「それは明日にでもやります」
 「今日やってよ。電話が毎日かかってくるんだよ」
 「今夜はちょっと……」
 「お願いしますよ」
 「仕方ないですね」
 俺は電話を切った。やっと仕事がなくなりそうになったと思ったら、絶妙のタイミングで次の仕事ができた。どうしようもない。まあやるしかないんだろうな。

 ビデオで映画「アメリ」を見た。実によく出来たフランス映画だった。しかし途中で飽きた。映像や脚本の斬新さに比べて、お話が割と普通なのが敗因かと。最初の三十分など秀逸で、もっと観念的に高度なストーリーを期待してしまったよ。惜しかった。

2003年 9月 17日 (水)
 六本木。クライアントのJさんと喫茶店で打ち合わせ。ついでに仕事以外のこともいろいろと語り合う。彼女とじっくり話したのは初めてだ。なかなか調子良くいっているらしい。
 Jさんと別れた後、Tさんのところに寄る。Tさんとも暫く語り合う。いろいろと勉強になった。人間、いろいろあるものだ。物事をひとつの角度から見ていると、真実を見失うので、気をつけたい。

 六本木の後、池袋。Mさんと会い、その後、大塚と千葉に行く予定があったのだが、クライアントと連絡が取れないので、喫茶店で時間をつぶす。そこで2時間ほど、コーヒーとココアを飲みながら仕事をした。結局、大塚と千葉は中止になり、そのまま事務所に戻った。

2003年 9月 18日 (木)
シーラ・チャンドラ 夕方まで事務所で仕事をして、千葉へ。Kさんと会い、いろいろなことを語り合う。最近、クライアントと語り合ってばかりいる。仕事の合間の良い息抜きかもしれない。

 Yahooオークションで購入した、シーラ・チャンドラのソロアルバム「The Struggle」が届く。ついこないだ購入した「Zen Kiss」は金を溝に捨てたようなものだったが、これはよかった。

2003年 9月 19日 (金)
 初めて聞く広告代理店からメールがきた。新規の代理店からの問合せは久しぶりだった。一度来てほしいと言うので、出掛けて行った。西新宿。バスを降りて、すぐ歩いたところにあった。
 事務所に入り、担当者ふたりと話をする。よくよく話してみると、名前だけはよく知っている会社だった。気が付かなかったのは、最近になって社名を変更したからだった。ここの会社とは、俺が直接やりとりをしたことはなかったが、以前勤めていた広告代理店ふたつと、印刷会社ひとつで、付き合いがあった。
 うちの媒体の説明をすると、広告料金がやたら安いと言われた。確かに安い。安すぎる。量をこなさないと儲らない仕事なのだ。常々いかんと思ってはいるのだが、忙しくて梃入れする時間がない。しかし近いうちに値上げをしよう。薄利多売もそろそろ限界なのだ。
 「僕は昔、Z社にいたんですよ」と告白すると、
 「Z社なら、Iさんと付き合いがありますよ」
 と言われた。Iさんはこの後、ちょうど会う予定だった。

 広告代理店を出て、大塚でIさんと会う。同じZ社のSさんもいた。三人で、クライアントと打ち合わせがあった。
 打ち合わせが終わり、Iさんと喫茶店で雑談して、事務所に戻った。

2003年 9月 20日 (土)
 ビデオでフランス映画「デリカテッセン」を見る。解らず。

2003年 9月 21日 (日)
 久しぶりに仕事のない週末だった。少しはあったが、昼過ぎにはすべて終わっていた。暫く警戒していたが、新たな仕事が舞い込む気配はない。安心して、読書をしたり、執筆したり、ビデオを見たり、理想の週末を満喫した。

2003年 9月 22日 (月)
 二日連続でデニーズで食事。なぜかここは落ち着く。
 食事を終えて戻ると、テレビでK-1がやっていた。ボブ・サップの試合だけ見れればいいので、寝転がって待っていると、いつのまにか眠っていた。結局、ボブ・サップは見れなかった。

2003年 9月 23日 (火)
 人に呪をかけるのはやめましょうね。

2003年 9月 24日 (水)
 来週あたり富田靖子の裸体でも拝もうかと、下準備に芥川龍之介の「南京の基督」を読んでみた。不純な動機もふっとぶ、素晴らしい小説だった。泣いた。

 映画「ドニー・ダーコ」を見た。映画館で予告編を見て、見たくなったのだ。
 最初は恐ろしく退屈な作り方だったが、それなりに引き込まれ、この手の映画にしては珍しく早送りせずに最後まで見れた。
 なかなか良く出来たトンデモ映画で、面白かった。ただ残念なのはこの映画、ひとつ決定的なミスを犯している。ネタバレになるから詳しいことは書かないが、しいて言うならば、「ドラえもん」のてんとう虫コミック7巻の「さいなん報知器」ののび太のようなことをやっているのだ。あのミスがなければ、俺はこの映画、かなり好きだが、かなり重要な要素だけに、残念賞。
 とにかく雰囲気がいい。ドリュー・バリモアは制作葬式もやっているそうだが、大したもんだ。20年ぶりにファン復活の兆しである。

2003年 9月 25日 (木)
 新宿東口でC社のH社長と待ち合わせ。なぜかH社長が少しばかり若返っていた。どこが変わっているのか解らない。
 「若返りましたね」
 そのまま感想を言ってみる。
 「ええ。言われますよ、最近」
 やはり何かやったらしい。
 「いったい、何をしたんですか?」
 悪いことをした人を追求するみたいな質問を投げかける。
 やはり何も教えてくれなかった。
 髪が少しばかり黒くなっているのか、髪の量が多いのか、酒を控えていて肌の色つやがいいのか、若い愛人でもできたのか、そのあたりだろう。
 よく解らないが、とにかく今日のH社長は若かった。

 H社長と別れ、近くにTSUTAYAがあったので、ついでにiPod用にまたCDを6つばかり借りる。
 「少林サッカー」のテーマ曲がなかなかかっこいいので、「少林サッカー」のサントラも借りた。聴いてみると、テーマ曲が入っていなかった。酷い話だ。サントラってのは、普通テーマ曲が入っているもんじゃねえのか、こら。
 その他、借りた6つのCDはほとんどが外れで、糞みたいな音楽ばかりだった。唯一、インド映画「ミモラ」のサントラだけはとてもよかった。今まで聴いたインド映画のサントラの中でもダントツではなかろうか。

チャン・ツィイー チャン・イーモウ監督の「初恋のきた道」を見た。泣いた。映画を見て、ここまで号泣したのは初めてだ。しかも、なんで自分が泣いているのかさっぱり解らない。涙がおさまり、冷静になって、不思議に思い、試しに5分間だけ巻き戻して最後の5分だけもう一度見てみたら、やはりまた号泣した。話はひたすらシンプルなのに。
 言葉にならない、思考の領域の及ばない、単純だが、何かとてつもなく純粋なものを、俺は見たらしい。

2003年 9月 26日 (金)
 悠里と用事があって、東大に行く。用事をすませ、東大の「三四郎」という食堂で食事をした。俺はカツ丼、悠里はネギトロ丼を食べた。
 やはり東大だけに、食堂もクオリティが高いのではないかと何の根拠もなく思っていたのだが、思った通り、なかなかうまいカツ丼とネギトロ丼が出てきた。いいものを食うと頭にいいのかもしれない。

2003年 9月 27日 (土)
 銀行。まずい拉麺と炒飯。ドトール。Fさん。動画編集。

2003年 9月 28日 (日)
 いきなりE田さんから頼みたいことがあるので事務所に来たいと電話があった。とりあえず、呼んだ。個人でチラシ制作の仕事を受けたのだが、都合が悪くて出来なくなったので、代わりにやってほしいとのことだった。忙しいので少し迷ったが、事情が事情だったので、受けさせていただくことにした。
 仕事の説明を聞いた後、悠里も交え、近くのエクセシオール・カフェで雑談をした。

 「ザッピーが2日連続で泣いてる」と、悠里が俺の日記を読みながらつっこみを入れた。よく読み返すと、確かに俺は24日と25日の日記で泣いている。そういえば掲示板でも長嶋さんが同じようなことを言ってたな。ずっと何のことか解らなかったのだが、そういう意味だったのか。
 これでは俺が泣き上戸みたいだ。綿密に言うと、25日は確かに泣いたが、24日の方は嘘である。「泣いた」と書いたが、泣くほど感動したという意味で、実際には泣いていない。

2003年 9月 29日 (月)
 ほとんど寝ずに、朝までE田さんに頼まれた仕事をやっていた。
 午後、悠里と高田馬場に遊びに行った。昨晩はほとんど寝なかったので、あまりにも眠く、あまり充実したお出掛けとは言い難かった。残念。
 帰って、すぐ寝た。

2003年 9月 30日 (火)
 朝、I社のOさんという人が事務所にやって来た。彼は先日、E田さんに頼まれた仕事のクライアントである。
 自己紹介して、制作したチラシ原稿のMOを渡し、親睦を深めるために、エクセシオール・カフェで少し話をした。歳の割にはとても若い方だった。

火山高 ビデオで韓国映画「火山高」を見た。かなり悪い評判を聞いていたので、期待しないで見たのだが、それほど悪くはなかった。これでも十分、駄目な部類ではあるのだが、楽しめるところは楽しめる。
 素敵なのは、型にハマった個性的なキャラクター達、コントラストの強烈な映像、雑ながら見慣れるとそれなりに迫力あるアクション、炸裂するカメラワークなどだ。
 まずいのは、もう一つ考えが足りない退屈なストーリーと、あとは上記に羅列した長所が裏返すとそのままこの映画の欠点になっている。
 ちなみにヒロインの女の子。登場したとき「火山高一の美少女」とテロップが出て「このレベルで!?」と絶句したのだが、映画を見てゆくにつれ、だんだんカッコよくなってきて、結局、好きになっていた。後半で少しだけキャラが破綻したのが残念だ。
 とにかく「火山高」、期待しないで見るとそれなりの快作だが、少しでも期待したらたちまち駄作に化学変化をおこすという、きわどい出来の映画であった。


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